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X 救世主の塔 X
X X
X 対峙する2人 +1 X
X X
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ホッシーナはそのフロアが1階、つまり出口があるということに気がついた。
どこからか風が流れてきている。今まで窓はあっても壁と一体になっていて、押しても引いてもピクリとも動かない。えて銃弾すら弾き返しそうな分厚い代物で、太陽の光は差し込んでも風が通る余地は少しもなかった。
それほど厳重に封鎖されている塔内に、風を感じるのだ。
たしかに、贔屓目に見ても塔の出口が開いているというのはあまりに無用心。けれど閉め切られていた窓がこのフロアに限って開いているというのは、それ以上に不自然すぎる。
なのでホッシーナは自分の都合の良いようにとらえることにした。
どこかに出口がある。
そこから脱出できる。
そして今回こそ、伊藤月子を助けることができるかもしれない。
ホッシーナは、とにかく前向きに物事を考えた。
――目の前の絶望と向き合うまでは。
「なに、これ……」
突然話しは変わるが、ホッシーナは比較的ゲームを嗜むほうである。
特に好き嫌いはなく『贅沢な暇つぶし』ぐらいのつもりだったが、それなりに遊んでいたので『それ』については直感でわかってしまった。
典型的なロールプレイングゲームを考えていただこう。ダンジョンの最奥には何がいるかはご存知だろう。
次に典型的なアクションゲームを考えていただこう。画面がスクロールして音楽が変わったら、そこから起こる展開を予想することなんて容易なことだろう。
……いい加減脱線するのも興が冷めるので、そろそろ本文に戻るとする。
ホッシーナは目の前にいる『それ』に、言葉を失っていた。
『それ』に対してホッシーナが抱いた感想は『怖い』だとか『住む世界の違う生物』などではなく、『美しい』という意外で、かつボキャブラリーの乏しいものだった。
まず目に入ったものが、『それ』が着ている毒々しい程に赤いドレス。綺麗に染まっているわけではなくムラもあればまだらもある(元々は淡いライトグリーンのドレスであったが、幾人もの血を吸い込み変色してしまったのだ。もちろんホッシーナはそのことを知るよしもない)。
ところどころ破れてほつれて、お世辞にも良品とは言いがたい。なのに魅入ってしまう。『それ』が着る小汚い赤いドレスが、何にも勝る召し物に感じられた。
そんな赤いドレスに隠された身体。胸元はドレスをはち切れんばかりに盛り上げ、それとは対照的に腰は引き締まり、くびれている。そして縦に破れたスカートの隙間からは、むっちりと弾力のある脚がちらちらと見え隠れしていた。
「……また、ハズレか」
『それ』が口を開いた。ようやくホッシーナは『それ』と目を合わせた。
一見童顔、けれど必要以上に甘ったるく、なのに陰気で、ところが艶やかで、一転憎しみで歪んでいるように見えた。
かなり失礼なことを言われたにもかかわらず、ぽそぽそと動いた唇に思わずゴクリと、ホッシーナは生唾を飲んでしまった。
「めんどうやし……これで、えっか」
『それ』はゆっくりと、右手をホッシーナに突き出した。すると手のひらの周囲の空気がゆらゆらと揺れる。
「時間――」
このホッシーナの判断、行動は理性的なものではない。
「停止!!!」
反射的に、なるべく温存しておきたかった能力を使用した。
さして戦闘慣れしていないホッシーナでも感じられるほど『それ』から殺気が放出され、ホッシーナの本能を痛いほどに刺激したのだ。
ホッシーナは床を蹴り、駆けた。『それ』の隣りを通り過ぎ、振り返ることなくがむしゃらに部屋から飛び出した。
「…………あれ?」
しばらくして時間停止の効果が切れて『それ』――“救世主”は目の前のハズレがいなくなったことに疑問を抱いた。
“救世主”はハズレが『消えた』と結論づけた。今さら超高速で動かれても見逃すはずがない。それにこの部屋は2階からの階段と、自分のすぐ後ろにしか出る扉がない。2階に戻るということは塔のシステム上、不可能。
そうなるとハズレは後ろの出口からしか逃げることはできない、しかも自分に気づかれずに。もちろんこれも不可能。
そこで思い出した、「時間停止」という言葉。
まるでお伽話のようだが、もしあのハズレが言葉の通りに時間を止めることができるなら、不可能と思えたことも可能になる。
時間と止めるだなんて科学や腕力ではもちろんできない。そんな都合の良い魔法だって存在しない。
となると一つの可能性が思い浮かぶ。
「……超能力者、か……!」
魔法や科学ではない、未知の、超常的な能力。身が焦がれるほどに待ち続けている『あいつ』と同種の存在!
“救世主”は自分でも久しいと感じるほどに、笑みを漏らしていた。
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走って、走って、できる限り時間と止めたまま走り続けたホッシーナは、糸が切れたようにガクリと体勢を崩して床に膝を着けた。
ずいぶん無理をして時間を止めてしまった。走ったことによる疲労以上に、時間停止の代償がホッシーナを降りかかる。
重い。身体が、とても重い。のろのろと立ち上がり、ずしり、ずしりと一歩ずつ脚を踏み出す。
もたもたしているとあのバケモノに追いつかれてしまう。幸い、風の吹く方向から出口のある場所は何となくわかる。身体は重いがあと一回ぐらいなら時間停止もできるだろう。
何の対策もなくもう一度会えば、その時点で死亡がほぼ確定する。が、まだこちらに分がある。悲観するところではない、とにかく、出口を目指すのだ。
「伊藤、月子さん……」
歩くことさえ表情を歪ませるホッシーナ。そんな彼女が、ぽつりと名前をつぶやいた。
伊藤月子という女性。その女性こそが、ホッシーナがどうしても助けたい人物だった。
平行世界を行き来できる(この塔ではなぜか使用できないが)ホッシーナは、何人もの伊藤月子を出会ってきた。そしてすべての伊藤月子が、自身の強大すぎる超能力に悩み、苛まれ、ある世界では忌み嫌われ、ある世界では暴走し自我を失う――悲惨な結末を迎えていた。
ホッシーナは、伊藤月子を救いたかった。最初こそ、ただただ伊藤月子から逃げるためだけに平行世界を移動していた。けれど少しずつ情が湧き、いざ触れ合ってみると自分と何ら変わりない女の子ということもわかった(スタイルはだいぶ違うが)。
いつしか、伊藤月子と自分が平穏に暮らせる世界を探そうとしていた。だから、この塔から脱出することが目的ではない。脱出は単なる通過点で、この世界の伊藤月子を助けること、自分が伊藤月子の『救世主』となることが、ホッシーナの真の目的だった。
頬を撫でる風が一層強くなっていく。ヒュウヒュウと耳元で音が鳴る。曲がり角を曲がるたびに風が湿っていくようで、心が踊った。
「あ、ああ」
ようやく光が見えた。突き当たりの部屋から入り込む光がとても眩しくてよく見えない。けれど、ある。出口がそこにある!
「やった、やった……!」
あれだけ重かった身体が軽く感じられた。脚を踏み出す速度も上がっていく。進む、進む、歩が進む。長い廊下を進み、出た先はエントランスホール。広くて、煌々と明かりも灯っている。
その先、広いエントランスホールの向かいに光源、出口があった。もう身体は限界だった。代償によりボロボロになった身体に鞭を打っていたため、疲労も限界を迎えていた。それでも、たとえ這ってでも突き進んでやる、ホッシーナからはそんな気がいさえ感じられた。
まあもちろん、ホッシーナの脱出劇は呆気無く幕を閉じる。
「はい、おつかれさーん」
ホッシーナは背後から肩をつかまれた。
あの声。あのバケモノ――“救世主”の声だった。
「あんたさぁ、『アキレスと亀』って知ってる? 屁理屈言ってアキレスはいつまで経っても亀に追いつけないっていう、アレ。ウチ、まさにアキレスの気分やったわ。
お前遅すぎ。ウチがその気になれば、200回ぐらいは死んでたで?」
脚が震え、冷や汗が垂れ、奥歯がカチカチ鳴っている。すぐ後ろのバケモノは、まるでドアノブを捻って開けるぐらいに簡単な気持ちで殺すことだろう。
ホッシーナは時間停止のタイミングを図っていた。自分以外のすべてが停止する以上、肩をつかまれているとそこで固定され、身動きが取れなくなってしまう。
身体が離れた一瞬。それに賭けるしかなかった。
「あなたは、何者?」
「誰が質問してええて言うた?」
ギチッ
「あうっ!」
肩をつかむ手に力が込められ、ホッシーナは苦痛に顔を歪める。
みしみしと軋んでいる。折るだの外すだの、そんな甘いものではない。あと1回機嫌を損ねれば、その瞬間粉砕してしまうほどの力だ。
「あんたはウチの質問に答えるだけ。ええな?」
「…………」
「黙るなや。ちゃんと答えてくれるなら、ここから出してあげるで?」
「……本当に?」
思わず聞き返してしまう。だがこれを質問とは受け取られなかったらしく、「ほんまほんま、ハズレには興味ないし」と軽い口調で返ってきた。
もしも(だいぶ希望は薄いが)本当なら、これほど楽なことはない。たとえ(おそらくこちらが本命)嘘だったとしても、とりあえず時間を稼ぐことはできるし、気を逸らすチャンスも生まれるかもしれない。
「最初の……というよりは確認やけど、あんた、時間を止めることができるな?」
「…………」
「『時間停止!』なんて叫んだら誰だってわかるで。そこから辿ると、あんた自身は戦力があらへん。時間を止めることで相手が無抵抗になるのに、攻撃した形跡がなかった、ただ逃げることだけを優先した。
出口があることを知ってたかもしれへんけど、障害を排除したほうが確実に安全、でもしなかった。どうや?」
「……ご名答(本当は時間停止だけじゃないけど、わざわざ言うこともない……)」
「まあそんなことはどうでもええ。ここからが本題。
あんた、超能力者?」
「ええ、そうよ」
時間停止がバレているのなら秘密にすることもないだろう。ホッシーナのこの考えはあまりに浅はかだったのかもしれない。
「なら、伊藤月子ってヤツ、知ってる?」
その名前に、びくんと身体を震わせてしまった。それは肯定したも同じ、“救世主”はニンマリと笑う。
「その反応、知ってるな? あの貧相な身体つきの、性悪超能力者のことを」
「性悪?」
「ウチは昔、その伊藤月子に騙されてここに閉じ込められるようになったんや。だから言うなれば、復讐したいねん。簡単には殺さず、殺してって懇願するところまで虐め抜いてやりたいんや。楽しいやろなぁぁ」
ヒシヒシと殺気、怒気が伝わってきていた。どれほどの恨みを抱いているのか、肌で感じることができた。
「そこでや、あんたが知ってる伊藤月子のこと、教えろや。あいつも超能力者なんやろ?」「…………んっ!」
ホッシーナは違和感を感じた。下半身――ヘソから下が、冷たい。氷のように、とか、恐怖で固まって、などといったチープな表現ではなく、血が通っていない(これもチープな表現ではあるが)ように冷たかった。
「これ、は……?」
自分の身体を見て、ホッシーナは思考が止まってしまうほどに驚いた。冷たいと感じていたヘソから下が石化、無機質なグレー色へと変わり、石になっていたのだ。
「ようやくアイツの手がかりが見つかったんや、逃さへんで」
「この石化な、全身に広がったらもう戻れへん。そこで終わりや」
「でも今ならまだ間に合う」
「伊藤月子のこと、全部教えてくれたら戻してやる」
「それで、さっさとここから出てけばええで」
「さあ」
「お? し? え? て?」
そんなこと、悩むまでもなかった。
「――時間停止」
最後の時間停止を、ホッシーナは使用した。そして下半身は動かないまま、上半身を捻って肘を“救世主”にぶつける。何度も何度も、骨が悲鳴を上げ、筋肉がパンパンに腫れてしまっても、それでも何度も何度も。
「……解除」
代償によって意識を保つことさえままならないホッシーナと、きょとんと目をパチパチさせる“救世主”。
「妙にヒリヒリするんやけど……お前、やったな?」
「ええ、しましたよ。時間止めて、男性たちが好みそうなその身体を殴ってやりました。それが何か? これが、私の答えです」
「お前、自分がどうなるかわかってんのか?」
「わかってますよ。バカじゃないんですから。
もちろん怖いです。生きたいに決まってます。
ですが、私は伊藤月子さんを裏切らない。
あなたは性悪と言った。たしかに、そういう世界の伊藤月子さんはいました。
ですが、ほとんどの世界の伊藤月子さんは、とても優しい。でも他の人たちが彼女の存在を許さない。あなたも、その一人だ」
「言いたいことは、それだけか?」
石化は首元まで進行していた。
ホッシーナは、とっくに覚悟ができていた。
「私はここで終わりでしょうね。
もしかしたら、あなたは伊藤月子さんと会ってしまうかもしれない。
でも、あの人があなたなんかに負けるはずが」
ついに口まで石化し、ホッシーナの言葉が途切れた。
(ごめんなさい……私は、もう)
『ホッシーナ、すべてを思いだせ』
(…………! 伊藤先輩、伊藤)
――ピシリ
ホッシーナの全身はグレーに染まった。
呼吸もない、体温もない。ホッシーナは単なる石像になってしまった。
「はい、バイバイ」
――トンッ
“救世主”が軽く押すと、ホッシーナは倒れ――音と立てて砕け、粉々になった。
【ホッシーナ(タイムトラベラー)――バッドエンド:脱出失敗】
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“救世主”は不満だった。
すぐ後ろにいる、得たいの知れない男。その存在が不愉快で堪らなかった。
「で、お前は誰やねん」
「ん、僕? 僕は、そうだなぁ……単なるストーリーテラーだよ」
すたすたと無警戒に“救世主”の隣りを通り過ぎていく。
貧弱すぎる。これが“救世主”の感想。その気になればいくらでも殺せるような相手、それなのに、できない。まるで『何かに命令されているかのように』殺す気が起きなかったのだ。
「ちょっと干渉しすぎたからね、そろそろ僕は退場するよ。すべてが終わるまで、ね」
「すべてが終わる?」
「ああそうだよ。もうすぐ、キミの待ち人が現れる。そのときが、終わりさ」
「さあ、いよいよクライマックスだ」
得たいの知れない男は、軽く手を振って外へと出て行った。
“救世主”は煮え切れない気持ちで、その背中を眺めることしかできなかった。