事態を飲み込めない伊藤月子は力なく尻もちをついた。もちろん神道陽太がそれを見逃すはずもない、伊藤月子の長い髪を掴みあげ、無理やり起き上がらせた。
神道陽太はまじまじと、血や涙でぐちゃぐちゃになった伊藤月子の顔を見つめる。そしてそんな無様な恋人の姿に、興奮のあまり身体を震わせた。
「いだ、いだい! がみ、いだいっ!」
「髪が痛い? 鼻は大丈夫なの? ああでも、それよりこっち、心配したほうがいいんじゃない?」
ゴボッ
鼻を抑えていたことで無防備になっていた腹部。そこに神道陽太の拳が叩きこまれた。
「――――!」
容赦のない一撃はすさまじく、つかまれた髪はぶちりと切れて吹き飛び、伊藤月子は床に転がった。
身体はくの字に曲がり、低いうめき声が漏れる。目を堅く閉じ、じっとりに脂汗をにじませるその姿はあまりに痛々しい。
「ンッ――エ、ウ、ェ……!」
身体は何かを吐き出そうとしていた。しかし空っぽの胃からは何も出ず、ただえずくだけ。
『伊藤月子、立て』
「うえっ……え゛……?」
伊藤月子は『命令』のことを知らない。自分の意思とは無関係に立ち上がってしまう身体に戸惑ってしまう。
「怯えた顔……すごく、可愛いよ」
伊藤月子の顔を両手でそっと包み込む神道陽太。その表情はとても穏やかだが、伊藤月子には感情が見えない不気味な表情に見えていた。
何か言いたいことがあるのだろう、伊藤月子は必死に口を動かすが何も声が出ない。
ゴチュッ!
「アガッ……!」
「大丈夫、僕たちは何度だった巻き戻れる」
グチュッ
「ァ……」
「まだ1回目。次はどんなことして遊ぼうかなぁ」
どぷっ
「…………」
腹部に3発、神道陽太の拳を受け止めたところで伊藤月子の意識はなくなっていた。粘っこい血を嘔吐していて足元を汚していた。
かすかに息はある。が、目はうつろで光を宿していない。このような、反応が期待できない状態になってしまうと、神道陽太の興味はなくなってしまう。
「こうなるとおもしろくないよね。『伊藤月子、死ね』」
――びくんっ。
伊藤月子は事切れた。しかし神道陽太の“命令”は継続したままだったので倒れることはなかった。
塔のシステム上、ここから巻き戻りが発生し、伊藤月子はこのフロアのスタート地点へ戻される――
【ゲームオー「バーにはまだ早い。もうちょっと楽しもうよ」
――はずだった。しかし、神道陽太は巻き戻る寸前で塔のシステムを妨害した。
マネキンのように立ちすくむ伊藤月子を抱きかかえ、神道陽太はあの部屋へと戻って行った。