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* やさしい塔 *
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* 自己犠牲の屋上 *
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伊藤月子は遠視、透視、千里眼を使用して、周囲の様子を注意深く観察していた。
目を覚ましたら塔の屋上にいた。端を目視できないほどに広い空間。下は石畳の床、上は澄み切った青い空。まるで箱の中にいるかのようだった。
どうやら、この塔は不思議な力に覆われているようだ。テレポートによる脱出、念動力による床の破壊が一切できなかった。
彼女は異常な事態に対し極めて冷静だった。というのも、超能力さえあればいかなる環境でも適応あるいは制圧できる、という自覚があったからだ。。
全盛期のそれと比べるとかなり弱体化してしまっていたが、塔から脱出するぐらいなら十分だろうと判断した。
ひと通り見渡したことで、この場が安全であることが確認できた。
伊藤月子は胸を撫で下ろす。ただちに命を脅かす危険はない。自分の超能力の程度も把握できている。とりあえずは安心である。
ここでようやく、ずっと気になっていたソレに目を向けた。
眠る少女。
背は伊藤月子より少し高いぐらいだろう。甘いチョコレートのような茶色の髪と、少し幼い顔つきは非常に似合っていて愛らしい。
薄い緑色のパーティードレスは多少乱れていて肌の露出があるものの、彼女の雰囲気がそうさせるのか、イヤラシすぎず、けれどどこか扇情的であった。
しかし伊藤月子が何より釘づけになったところが、胸と脚。仰向けになっているのに存在感のある豊かな膨らみ。それとは対象的に、脚はまるで走って鍛えたようにしなやかな細さだった。
「…………」
あと、腰も細い。伊藤月子がひそかに理想としている体型がそこにあった。
ギリギリギリ。知らないうちに奥歯が鳴っている。手もぎゅっと握り締めていて痛かった。
普段の伊藤月子なら、嫉妬を感じながらもさっさと置いて脱出を目指していたことだろう。けれど、ルール2がそうさせなかった。
キャラクターが1人でもフロアの出口に到達すればクリアとする。つまり、この眠る女は保険である。万が一自分が行動不能になったとしても、奇跡的にこの女がクリアすれば、つられてクリア扱いとなるのだ。
単純に考えればクリアできる可能性が2倍になる。となれば手元に引き込んでおいて損はないだろう。
「あの、起きて。起きてくださいっ」
念動力で服の乱れを整えたあと、彼女は眠る少女の身体を揺すった。
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「漢字の“月”で月子……わぁ、いい名前ですねっ」
立川はるかが目を覚ましたところで、二人は自己紹介と現状の確認を行った。
まず、お互い面識がない。そして、ここに至るまでの記憶もない。記憶喪失というわけではなく、なぜこの塔にいるか、ということを覚えていなかった。
唯一持っている記憶が3つのルール。塔の特異性とこれからの目的がわかり、同時に命の危険が感じられた。
「大丈夫だよ、はるかちゃん。力を合わせれば、きっと脱出できる」
「は、はい……」
伊藤月子の言葉にも、立川はるかは不安を拭うことができなかった。
立川はるかは、別段何か能力を持っているわけでもなく、とても無力で単なる凡人ということを自覚していた。
そして運命を共にするだろう年上の女性も、聞けば“一般人”で“特殊な能力を持っていない”、しかも“身体能力は自分よりも劣っている”ようなのだ。
なぜそんなに自信があるのか、立川はるかにはわからなかった。
「行こう。ここでじっとしてても、何も始まらない」
「…………」
立川はるかは動けなかった。恐怖と不安で身体が言うことを聞かず、震える足を踏み出すことができなかった。
「……はい、どうぞ」
伊藤月子から手を差し出された。恐る恐る、その手を握る。そこから伝わるぬくもりが、かろうじて震えていた身体を落ち着かせてくれた。
何もない屋上。そこを二人は歩く。
「あっ」
しばらくすると、伊藤月子は足を止めた。
「……どうかしましたか?」
「ううん、なんでもない」
にこりと笑って伊藤月子は答える。
だが、なんでもないと言ったにもかかわらず、伊藤月子は何かを避けるように大きく迂回して、進んだ。
そんな普通ではない歩き方が何度もあった。
(変な歩き方やなぁ……そこを歩きたくない理由でもあるんかなぁ……)
気にはなったが、まだ親しくもない間柄。変に思われたくもなかったので、立川はるかは黙ってついて歩く。
ただ歩くだけ。どれだけ歩いたことだろうか、二人は何事もなく、下のフロアに続くと思われる扉を発見できた。
ところどころ腐っている木の扉。軽く押しただけで壊れそうなものなのだが――
「うぐぐぐ……ダメだ、開かへん……」
「鍵がかかってる。しかも、すごく特殊な……どうやって開けるんだろう……」
「……なんで鍵がかかってるってわかったんですか?」
「な、なんとなくだよっ」
妙にあたふたする伊藤月子が気になったが、それよりも扉を開けることが先決。
立川はるかは押し開けることを諦め、何度も何度も体当たりをしていた。伊藤月子はと言えば、周囲を歩いて鍵の手がかりを探している。
「ああっ」
いい加減身体が痛くなってきて、汗をかき始めたころ。背後から伊藤月子の驚いた様子の声がした。
立川はるかが慌てて振り向くと、そこには小さな宝箱を持つ伊藤月子の姿。
「そこに置いてあったんだけど、ここに鍵の手がかりがあるかもしれない!」
「あ、あの、いきなり開けちゃ――」
もしかしたらトラップかもしれない。立川はるかは止めようとしたが、伊藤月子はあっさりと開く。
「わっ」
「…………!」
目の前の惨劇から背けるように、立川はるかは目を堅く閉じる。
「手紙と……なにこれ? 短剣?」
何も起こらなかった。
幸い、トラップはなかったようだった。が、その注意力のなさに立川はるかは苛立ちを覚えてしまう。
開けるまで中身を見ることなんて不可能。だからこそ気をつけなければいけないのに。そんな立川はるかの心中をよそに、伊藤月子は手紙を読み――
「え……?」
固まる伊藤月子。立川はるかも横から覗いて読むと――
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~ ~
~ この扉を開くには1人の命が必要です ~
~ ~
~ その短剣は『即死の短剣』。苦しむことなく静かに死ねる道具 ~
~ ~
~ なお、効果は一度きり。その後は所有してくれても構わない ~
~ ~
~ さあ、相手のために命を捧げなさい ~
~ ~
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ルール2(ルール1も同様だが)の効果で、たとえ死んでも生き返ることはできる。だが、そうと知っていてもなかなか割り切れない。
手紙は『相手のために命を捧げろ』と書いている。
それはつまり、自ら死ねということ。
立川はるかは、自分の保身のことしか考えていなかった。
そもそもルールとやらが本当に適用されるかどうかも怪しい。死んだらそれっきりかもしれないじゃないか。
伊藤月子の手元にあるナイフをいかに奪うか。立川はるかはそれしか考えていなかった。
「はるかちゃん」
伊藤月子は、立川はるかと向かい合う。
手には即死の短剣。
力づくで奪ってしまおうか。蹴飛ばして倒れたところを奪い取り、そのまま刺してしまえば――いよいよ追い詰められていた立川はるかに、
「はい、これ」
伊藤月子は即死の短剣を、柄を向けて差し出していた。
「え、え?」
「私のほうがお姉さんなんだもの。それに、生き返れることはできるから……ほら、刺して」
立川はるかはつくづく伊藤月子に呆れてしまった。ルールを信じきっている、どこにも保証はないのに。
そして、自分自身を恥じた。自分が生きながらえることを考えている間、相手は自分が犠牲になることを選択していたのだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
立川はるかは顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。相手の自己犠牲心に感極まっていた。
そして何よりも、即死の短剣を自分に刺すという選択肢を思い浮かべながらも、それを無理やり掻き消そうとするエゴイスティックな自分があまりに情けなかった
「いいよ。またあとで、会おうね」
伊藤月子は両手を広げ、招く。
立川はるかは即死の短剣を握り締める。
そして腕を伸ばす。