Neetel Inside ニートノベル
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Zクライド
“ダンス・ウィズ・ソード”

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 夢を見る、ひまもなかった。
 どこまでいっても瓦礫しかない街を、幼い少女が、駆け抜けていた。
 はだしだ。
 ぼろきれを身体に巻きつけているほかは、何も着ていない。
 破片かなにかで足を切ったのか、赤い足跡が塵芥まみれの道路に残っている。
 髪の色は、冷たいほどの銀。それが背丈とほぼ同じに、伸びている。
 真夜中。
 新月ならまだよかった。
 だが、生憎の満月。
 青い月光までもが、少女を追いかけているようだった。
 ――待てぇ!
 男たちの怒声、痛罵、嘲弄。
 もし、男たちが、あとほんの数十キロ、東方で産まれていたら少女のことをこう呼んで罵倒していたかもしれない。
 ――ネイティブアルター、
 と。




 二〇二四年。
 かつて、大阪と呼ばれた大地は、いまではこう呼ばれている。
 扇経済特区、もしくは、
 セカンド・グラウンド。
 隆起した大地は本土から隔絶され、その浮き上がった亀の背のような大地では、科学や自然では説明のつかない能力者たちが産まれていた。
 物質感応性変換能力、通称、アルター能力。
 セカンド・グラウンドの新生児の5%に発症する原因不明の特殊能力。
 力を持たない人々は、彼らを恐れ、荒野へ封じた。自分たちの世界を侵食してこないように、徹底的に。
 そして三十年後、二〇五五年、三月十日の大災害(ゲット・アウト)によって、アルター能力者はこの世から完全に消滅する運命にあった。
 だが、いまはまだ、生きている。





 金がないのは、まだいい、とミズノは思った。怖いのは、仕事の腕が鈍ることだ。技術というものは、毎日使い込むことによって初めて輝きを放つ。価値を見出す。だが、少しでもそこに油断や怠惰が入り込んだらもう駄目だ。腕は錆びつき、食い扶持はなくなる。
 なにより、ミズノは自分の仕事が好きだった。だから、やることがなく、ただこうして空腹に耐えながら夜が明けるのを待っているのは、つらい。
 このあたりは土壌が悪く、アスファルトを引っぺがしても畑にはできない。それにゴロツキが気に入るようなしっかりした建築も無いというどうしようもない廃墟だった。
 そんなところで、散髪屋に仕事などあろうはずもない。
 腹が地鳴りのように唸った。
「腹ァ……減ったわァ……」
 もう三日も何も喰っていない。水だけは天からの恵みでなんとかやりくりつけられたが、もし雨が降っていなかったらと思うとちょっとだけゾッとする。
「はあ……なんでもさァ……水に変えられるアルター使いとか……おらへんかなあ……」
 闇夜に愚痴ってみるが、答えるものはない。
 かつてはコーヒーショップかなにかだったのだろう、傾いた雑居ビルの二階の座席に座って、雨水を貯めたカップを恨めしそうに眺めながらミズノは呻いた。
 ちゅちゅっ
 鳴き声がするので、そちらを見やると、一匹のネズミが暗がりからミズノを見ていた。
「なんじゃい。喰いもんならあらへんよ。それともなにか、おまえが、おれの練習台になってくれんのかあ?」
 ミズノはにやにや笑いながら、腰のシザーケースから一挺のハサミを取り出して空気をチョキチョキ切ってみせた。身包みまとめてみすぼらしいミズノの持ち物の中で、そのハサミだけが、銀色に輝いていた。
 その光が、気に喰わなかったのかもしれない。
 ネズミの灰色の身体の輪郭が、にわかに、虹色の燐光を帯びた。目を見開いたミズノの手元で、カップが消失して水が弾けた。
「あ、アルタ――!」
 その言葉は最後まで言い切れなかった。
 ネズミのそばに塵が積もるようにして現れた機械で出来た目玉の異形が、かっとその瞳を光らせた次の瞬間、コーヒーショップ跡地は跡形も無く吹っ飛んだからだ。




 ミズノは立ち上がって、身体に刺さったガラスを抜き取った。てろりと血がついている。咄嗟にガラスをぶち破って外へ逃げ出していなければ、お陀仏だったろう。
「このあほんだら、なにしくさる!」
 見上げて怒鳴るが、もうコーヒーショップは沈黙したあとだった。内心、あのネズミのアルター使いが、追撃をかけてくるのではとひやひやしていたから、ミズノはぶつくさ言いながらもほっとしていた。
「やれやれ、せっかく静かに夜明けを待っとったちゅうのにぐぶぉっ!?」
 突然、腹部に何かが激突してきた。ミズノはもんどりうって転がった。立ち上がりざま、とうとう怒髪天を衝いて、叫んだ。
「おどれらなあ! おれがなにしたっちゅーねんさっきから……あン?」
 見ると、自分にぶつかってきたのは、小さな人影だった。子供だ。
 銀色の髪に、茶色のぼろきれ。
 ミズノはてんで構っちゃいない自分の髪をばりばりとかいた。
「ガキィ? こんな夜中になにしとんねん。親御さんはどないしたんや」
「…………」
 銀色の髪をした子供は答えない。ただ透明な目でミズノを見上げるだけ。
「だんまりかい。へんなガキや。ま、べつにええけどな。おれの知ったことやあらへんわ。喰いもんもないし、お互い勝手にしようや。たすけて欲しいのはこっちやっての」
 そう言ってハイサヨナラと手を振ったミズノのシャツを小さな手が掴んだ。ミズノはため息をついて振り向き、
「あのな……!?」
 息を呑んだ。
 立ち上がった際に、子供がまとっていたぼろきれが路上に落ちていた。
 ミズノはそのとき、初めてその子が女の子であることに気づいた。
 素っ裸だった。
「ちょ……あ、あかんて。それはあかん。とにかくあかん。あかんよ」
 ミズノは慌てて手を振り目を背け逃げようとするが少女はシャツを掴んで放さない。
 ただ一言、言った。
「たすけて」
「え……?」
 その時、路地からくだんの男たちが堰を切ったように飛び出してきた。その数、七人。
 その中のひとり、金髪の、顔に長い傷の走った男が叫んだ。
「見つけたァ――――――!!」
「わ、わ、わ、なななななななんやおまえら、なんなんや!」
 ミズノはひとまず全裸の少女を背後に隠した。
「じ、事情はわからんけど、こんな小さい子をいじめたらあかんよ!」
「いじめるゥ?」
 金髪がくすくす笑った。連れの男たちも釣られて笑う。が、それはどうも、金髪にあわせて形だけ笑っているようだった。
 どうやらこの男がボスらしい。
「なんのことだか、わからんのォ」
「わ……わからんてことあるかい! ほれ、見てみぃ! びっくりして隠れとるやないか! おまえら何したんじゃ!」
「何もしとらんがな。それによお、おれたちはそのジャリの保護者からどうか頼んますゆわれて、こうして探しに来てやったんや。感謝してほしいくらいやで」
「そ、そうなんか?」
 ミズノは背後を見る。が、少女は何も言わない。
「何も言わんけど……」
「そのジャリは口が利けんのや」
 ミズノにはそれが嘘だとわかった。
「それはちゃうで! そや、思い出した、この子はおれにたすけてって――」
「さっきから」金髪が表情を消していった。
「うるさいで」
 男の身体が、虹色の輪郭をまとった。ミズノがハッと息を呑む。
「あ、アルター使い!?」
「そうや。これが……おれのアルタァ――!!」
 男の前に、ダイヤ形の盾が現れた。黄金の色をしたその盾の裏から、無数のなまっちろい腕が生えている。
「黄金千手百式、や」
「おう……え、何?」
 ミズノに悪意はなかったのだが、金髪の男はこめかみに青筋を立てた。そして雄たけびを上げると、盾から伸びた手がミズノの顎を打ち上げた。
 気絶してもおかしくない一発だった。
「がっ……」
「なめた口を利くとどうなるか、ようわかったろ。――おい、モタモタしとらんでそのジャリさっさと連れてこんかい!」
 連れの男たちが慌てて銀色の少女の髪や腕を掴んだ。ぼろきれすらまとわせてやらない。
 倒れこんだミズノは口に血の味を感じながら、それを見ていた。
 垢まみれの男の手が、少女の美しい銀髪を握っていた。力任せに握ったのか、ぶちっと嫌な音がして、少女の顔が一瞬歪む。
 金髪たちが背を向けて、立ち去りかけた。
「おい」
「――あ?」
 金髪たちが振り返ると、ミズノが立ち上がっていた。
 その目つきが、変わっている。
「おまえら、その汚ぇ手ぇ放せや」
「どうやら、お薬があんまり効いとらんらしいな」
 金髪が一歩、踏み出した。
「馬鹿が。黙っときゃ生かしてやったものを。おい、てめえら、六人がかりでやれ」
「へへへ、ジンさん、いいんですか。おれたちが本気出したらこのあたり一帯瓦礫も残らんけど」
「かまへん。やれや」
「ありがとうございます――!!」
 おう、と男たちが気合を入れると、全員の身体が燐光を放ち、次々とアルターが結晶化した。
 その総数、七。
 警備レベルBの市街なら一週間で壊滅させられる数である。
 だが、ミズノの目には敵の数も、それどころか敵すらも映っていなかった。
 その目は、うな垂れた少女の顔だけを見ている。
「死ねやァ――!!」
 ごろつきどものアルターが一斉にミズノへ殺到した。
 両者の瞳に、剣呑な輝きが宿った。
「おれの前で……そういうことは一切やめてもらう」
 ミズノの右手が、シザーケースに伸びた。
「くそったれ、弁償は、してもらうからな!」
 抜き放った散髪用のハサミを宙に放り投げ、
 閃光。




「な、何――!?」
「ジンさん、こいつ、アル……」




 宙に舞い上がったハサミが、絵の具のように、光に溶けて消えた。
 光が晴れる。
「これが」
 ミズノの両手には、二振りの刃が握られていた。ハサミの面影を残した、生体的な片刃の剣。
「おれの商売道具よ」
 六人のごろつきはただその刃にだけ目を奪われていたが、金髪のジンだけは、その他に左手に篭手、右足に具足が現れているのを見て取っていた。アルター戦慣れしている証拠である。
 アルター能力は、戦闘タイプではおおまかに分けて自立稼動型と融合装着型に分けられる。
 やつは、融合装着型。
(どっちにしろ、おれの敵やあらへんがな)
 ジンはにやりと笑って、すぐにそれを消した。
「ダボども!! なにボケッとしてくさる! さっさとその兄ちゃん刻んだれやァ!!」
「う、うす!!」
 再び突進する六人のアルター使い。自立稼動四、融合装着二。
 ミズノは目を細めてそれを見、右足で地面を蹴った。身体が流れる。
 一瞬だった。
 身体が一回りする間に、ミズノの両刀が稲妻のような速度で走った。目に残像が残って見えるほどの速度。
 一秒にも満たなかった。
 六人のアルター使いが、その場に倒れこんだ。すべてのアルターが消滅している。
「これでサシやな」
 ミズノが笑った。
「そうか?」
 ジンも笑って、銀髪の少女の首に手をかけた。
「っ! おどれェ……!!」
 歯噛みするミズノをジンはせせら笑う。
「人質に取ってるつもりはないで? かまへんやろが、おまえとこいつはただの他人なんやから。気にせず攻撃してみ? おれ、恥ずかしいけど弱っちぃさかい、きっと兄さんには叶わんて」
「この――ッ!! それが人間のやることか!?」
「人間? なにそれ」
 ジンが少女の頭に手を埋め、髪を鷲づかみにした。
「いっ……」
「ガキ!!」
「ははは、ガキか。ひどい言い草よのォ。ま、おれもこいつの名なんぞ知らんけどな。名前のないやつは人間ちゃう。家畜や。そう思わん?」
「思わん!!」
「あ、そ。なんでもいいさかい、ほれ、とっととアルターほどけや。見てていらいらすんねん、その気取ったドスよォ」
 ジンの手が少女の髪を掴むのをやめた。代わりにくるくると指に巻きつけ始める。
「さ、どうする? このまま決闘しゃれこむか?」
「おまえ、その子を追いかけてたんちゃうんか!!」
「追いかけてたよお。報酬もたんまりやった。でもなあ、兄さん、おれ飽き性やねん。金なんてべつにいらんねん。ちょっと刺激が欲しかっただけやあ。なあ? アルター使いに生まれたらメシも酒も女もねぐらも、自由やもん。うふっ」
「こンの野郎っ……!」
「兄さん、わかってえな。おれ……このやり取りにも飽きてきてんねんぞお……!」
 ジンの左手が腰のうしろに回った。そしてまさに鳥が魚を獲るような俊敏さと獰猛さで、ナイフを振り上げた。切っ先は、少女の顔に向いている。
 少女の瞳がそれを見た。
 ――その時、その虹彩が虹色に一瞬輝いたことに、その場の誰も、気づかなかった。
 ナイフが突然、少女に触れる寸前で粉々に砕け散った。ジンが絡めていた髪もいつの間にか千切れている。
「なっ!?」
 その一瞬をミズノは見逃さなかった。
 具足で固めた右足で、大地が割れるほどに踏み込んだ。
「馬鹿が! その程度の速度で俺の黄金千手が捉え損ねるとでも――」
 ミズノのスタイルは、右手で一本逆刃に持ち、左手を正刃に構えたかたち。それを、ホームランを左下から打ち上げたバッターのように傾けている。
 確かに、踏み込みだけなら速度はたかが知れている。
 だが、
 右手の刃が、見えないけだものに噛み砕かれたかのように、削れていった。
 氷が張るのを逆再生で見ているようなそれを、ジンの目は確かに見た。
 そして完全に消え去った刃の跡から、噴き出す、緑色の衝撃。
 ミズノの身体が回転しながら加速した。
 弾丸のライフリングのように。

 だ、

「――――からなんじゃこのダボがァァァァァァァ!!!」

 黄金千手百式が、無数の手をミズノへと殺到させた。
 その手を、涼しげにかいくぐったミズノの一刀が、黄金千手に逆胴を撃ち込んだ。
 ジンの目が見開かれる。かはっ、と息を吐いた。
 自立稼動型からの本体へのフィード・バック。
 膝をつき、倒れこみながら、ジンはミズノの顔を見上げる。
 酒と暴力でかすんだ記憶が、少しだけ晴れた。
「おまえ……そや、思い出した……二刀流のアルター使い……おまえ……おまえ……」





        「“ダンス・ウィズ・ソード”の水野ツバ、サ……」





 気を失ったジンを、ミズノはため息を吐いて見下ろした。
「まったく、懐かしい名前出しゃがって。せっかく美容師ミズノの名前が売れ始めて来た頃だっちゅうのに。――おい」
 ミズノは、ぼろきれをまとり直してこっちを見ている少女に顔を向けた。
「大丈夫か? なんや、急にナイフが折れて助かってよかったな。不思議なことはあるもんやなあ」
 感慨深そうにアルター使いは言う。
「……アルター」
 少女は、ミズノの剣を見ながら言った。
「ん、そや。……怖いか?」
 少女は首を振った。ミズノは笑って、その頭をくしゃくしゃと撫でた。
 二人の顔を、遅れてやってきた朝日が、その時ようやく照らした。
「なら、よかった。……おまえ、名前は?」
「……」
「言いたくないならべつにええで。適当に呼ぶわ。そやな、銀髪やから銀子なんてのはど」
「やだ」
「……。おまえな……いいわ、もう勝手に呼ぶからそう思え」
 銀子が、じっとミズノを見上げてくる。
 ミズノは朝日を見やって、さて、どうしようか、と思った。まずは飯を食わねばならない。そのためには農場か牧場、とにかく人のいるところへ出ることだ。それから、新しいハサミを見つけなければならない。商売道具がなくてはおまんまの食い上げだ。
「はああ……まったく、おれってば超忙しいわ。……ん? なんや銀子」
 見ると、銀子がハサミを差し出していた。
「おまえ、どこでこんなん見つけたんや? ……なんか変なハサミやなあ。左利き用でも右利き用でもない。なんやこれ?」
「……」
「ま、いいか」
 チョキチョキと空気をハサミで噛みながら、ふとミズノの目に、銀子の伸びきった髪が映った。





「ほれ、一丁あがり」
 カッティングクロス代わりにかぶせていた、ごろつきたちの上着をどけると、銀子の銀髪がさらさらと地面に流れ落ちた。服もごろつきの中、一番チビだった少年から奪って着せた。さすがにパンツは奪えなかったのでノーパンではあったが。
 かつてはブティックだったのだろう、裸のマネキンが立ち並ぶショーウィンドウに半透明に映った銀子の髪は、かなりショートカットにされていた。銀子は不思議そうに、軽くなった頭を何度も振っている。
「へん」
「へんてなんや。ひとが一生懸命切ってやったのに」
 銀子が言ったのは重さの変わった髪だったのだが、ミズノは悪い方に受け取ってそっぽを向いた。
「ミズノ」
「おま、呼び捨てかいな」
「ありがとう」
 ミズノはしばらく黙っていたが、にっと笑った。
「おれと一緒に行くか?」
 銀子は、無表情のまま、こくんと頷いた。
 ミズノはばりばりと頭をかいて、ため息をついた。
 これからは、食い扶持を二人ぶん稼がなくちゃならない。美容師に髪を切らせてくれる物好きなどこの荒野にそう多くはいない。
 が、なぜか、髪を切った後のように、さっぱりした気分だった。




















        朝陽へと続く失われた大地の塵芥に、足跡が続いている。
         二条の足跡、大きな足と、小さな足が、荒野を往く。
          やがて風が吹くと、その足跡も、かすんで消えた。









                 Zクライド










       

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