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新選組絶風録
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『新撰組絶風録』


 血だ――と思った。


 が、じっくり時を潰して眺めていると、どうもそれが夕焼け空らしいことがわかった。
 土方歳三は、むくりと起き上がって、あたりを見回した。一面、自分が尻に敷いている部分から目の届く範囲まで、人骨の地平が広がっていた。だが土方の頭に衝撃を与えるには、いささか血の気が無さすぎた。
 目が覚める前、どこにいたのか、覚えていない。誰といたのかも、わからない。だが、何をしていたのかだけは知っている。
 闘っていたはずだ。
 なのに、自分はいま、ここにいる。敵の姿はない。この骨の群れが、おのれの切り伏せた敵の成れの果てでなければ、だ。
 胸に手をやった。身体のどこにも痛みはなかった。見下ろせば、フランス式の平服を着ていた。ベルトにぶちこんである大小、背負ったミニエー銃が健在であることを確かめ、人心地ついた。何があろうと、武器さえあれば用足りる。
 立ち上がると、足元で子供ほどの頭蓋骨がからりと転がっていった。土方の目がそれを追った。
 頭蓋骨は、誰かの足にぶつかって、止まった。
「やあ、土方さん」
「総司――」
 立っていたのは、忘れもしない、天然理心流免許皆伝、わずか十二で同門の徒を板敷きの間に長く這わせ、そして自分と一緒に江戸から京へ上り血風の中を共に駆け抜けた戦友。
 沖田総司が、そこにいた。
 土方には、彼がいつの姿でそこに立っているのかさえわかる。新撰組の制服である浅葱色の羽織りを着て、頭には鉢金、腰には菊一文字則宗を佩いていて、顔色は青くはあるがやつれてはいない、それは、
 池田屋を襲った時の沖田総司に他ならなかった。
 土方には、わかる。
「おまえ、何してる。寝てなきゃ駄目だろう」
 総司は答えずににやにや笑っている。
「ここはどこだ、俺ァ――俺ァこんなところで愚図愚図している暇はねえんだ」
「どこへいこう、ってんです」と沖田が言った。
「どこへでも、だ。少なくとも俺ァこんなつまらねえ場所で夜明かしなんぞしたかねえ」
「心配しなくても、日没はまだまだずっと先ですよ」
 夕陽に横殴りに嬲られながら、沖田はそう言って笑った。
 土方は、目を細めて沖田を見た。
「総司、おまえ、なんでそんな格好してる」
 沖田は笑って、答えない。
 土方は気味が悪くなってきた。
「いや、格好なんかどうでもいい。おまえ、確か――もう」
「土方さんとも、ずいぶん長い付き合いになりますね」
 沖田は菊一文字の鯉口を切っては戻しを繰り返した。剣客流に言えば、お行儀が悪い。
「僕はね、べつに自分が一番強いとは、近藤さんの道場にいた頃から思ってませんでしたよ。勝負ってのは何が起こるかわからないものだし、竹刀で勝ち負けを決めてもそれは所詮、その時だけのものだ。僕の気持ち、云々を度外視しても、やはり真剣で斬り合う他には決着というものはつかないんだ、と思ってたんです。ずっと」
「気が合うな」土方は沖田から視線を逸らして、歩き始めた。
「火力がものを言う時代にはなったが、白兵戦が廃れたわけじゃない。総司、おまえも銃を覚えて戦場へ出てみろ。いろいろ捗るぜ」
「いやです」
「そうか。なら、お光さんのところで寝てろよ。おれは、ひとりでもいい」
「嘘」
「なにが嘘だ」
「ほんとうは、みんないなくなって、一番落ち込んでるのは土方さんでしょ」
 土方は歩みを止めた。
 ことのほか、落ち着いた口調で言う。
「それは、考え違いだよ、総司」
「そうかな――僕も近藤さんも、新撰組のみんなも、ずっと一緒だったら、土方さんは負けなかったんじゃないかな」
「おれが、負けた?」
 土方の脳裏に、ちらつく炎のように記憶の影がよぎった。が、それはすぐに、近視のものがそうであるように、滲んで輪郭を失った。
「土方さん。僕は、ついていきたかった。ついていきたかったんですよ」
「おまえは――おまえは、もう、立つこともままならなかったじゃねえか」
「そう――でも、いまは違いますね」
 沖田が、左足を引いた。
「ねえ、土方さん。僕にだってね、燻ってるものくらい、あるんですよ」
 瞬間、
 受け止められたのが、奇跡に近い。
 土方がぎりぎりで抜いた和泉守兼定の刃が、沖田の菊一文字を食い止めていた。まだ刃の半分以上が鞘の中で眠っている。が、衝撃でそのまま吹っ飛ばされた土方が転がるうちに、鞘は抜け、骨の群れの中へ転がり落ちていって、見えなくなった。
「総司――てめえ!」
「参るなあ。僕の抜刀をあの体勢から受け止めるって、卑怯ですよ。一撃で決めようと思ってたのに」
「嘘をつきやがれ。手ぇ抜きやがって」
「あ、バレてましたか」
 沖田は鞘をぽいっとうっちゃって、
「いまので勝っても嬉しくないですからね。でも、これで本気になってくれるでしょ?」
 土方は頭に来ていた。が、それでも血の中には冷たさが残っていて、軍靴の爪先で足元の骨の群れをわけて探った。すぐ下は地面になっていた。これなら、注意すれば踏み込めないわけでもない。
 土方の細い目が、沖田の笑顔に据えられた。
 やるか。
 一間の間合いを取って、二人は向かい合った。土方は相変わらずクセのある星眼。沖田は誘うように右下段。
 呼吸をはかることなど知らないかのように、土方が踏み込んだ。唸りを上げて兼定が沖田の面を狙う。が、菊一文字が下からすくい上げて、鍔迫り合いになった。そのまま力押しで沖田の鉢金へ刃をねじ込もうとする土方のやり口に、沖田の唇が懐かしそうにほころぶ。が、付き合ってはやらない。鮮やかな捌きで受け流し、土方の篭手を狙う。剣戟。
 再び、間合いが開いた。
 また、数合、斬り合った。
 が、有効打はお互いにない。
 示し合わせたかのような見事な剣戟。
 浴びるほどに刃を交わしながら、土方は思った。ああ、そうだ。こいつはこういうやつだった。まるで水を相手にしているような気がする。才能でいえば、近藤はおろか、自分をも凌いでいるだろう。こと剣一本に関して沖田総司以上の才能を土方歳三はいまだに知らない。
 だからといって、負けてやる土方ではない。
 勝つ。
 迷わなかった。初手の意趣返しでもあった。
 沖田が上段からの袈裟斬りに踏み切る寸前、土方の左手が蛇のようにしなって背後のミニエー銃を捕まえた。
 撃った。
 沖田は吹っ飛んだ。
 やったか、と土方は思った。
 悔いも糞もまだ感じない、勝負の最中のことだった。
 が、沖田は起き上がるとむっつりと頬を膨らませた。
「危ないなあ。そんなもの使っちゃ駄目ですよ」
「……。おまえ、弾丸はどうした。確かにおまえに当たる照準だったはずだが」
「ん? ああ、僕も無我夢中だったんで覚えてないですが、これですかね」
 と言って、沖田は愛刀菊一文字の刃を指差した。よく見ると、少し黒ずんでいる。
 洒落か何かか、とさすがの土方も思った。
 沖田が、ぺっと唾を吐き、
「もう怒った」
 言って、大砲のように突っ込んできた。土方の知る限り、こんな我武者羅な突撃などは沖田のやり口ではなかったが、それが自分の真似だとはその時は気づかなかった。
 沖田のなぎ払いがミニエー銃の銃身を切断した。心配しなくても土方の記憶通りなら弾丸はもう残っていない。さっきのが、最後の火薬だった。土方は重荷になるものをミニエー銃ごと放り捨てた。兼定一本以外の重量はすべて土方の速度の妨げでしかなかった。
 猛烈な打ち込みを土方は受け捌いた。常人ならなます斬りにされているところだったろう。だが、受けているだけ、というのは緩慢な死であることを知っている土方に驕りなど起こりはしなかった。
 このままサシで続ければ結果は見えている。
 自分は負けるだろう。
 沖田総司は、強い。
 ふと、副長なんてやらずに、沖田や斉藤と同じ組長として、京都中を走り回っていればよかったかな、と思った。そうすれば、沖田や斉藤に剣で水を空けられることもなかったかもしれない。土方が副長として隊務や謀略に耽っている間にも、沖田たち組長衆は玉石混合の浪士たちと切り結んでいたのだ。
 一緒にいけばよかった。
 新撰組がバラバラになろうがどうなろうが別によかったのかもしれない。難しいことはすべて近藤や伊東、山南にでも任せて自分はどこまでも茨のように手当たり次第へ闘争の爪牙を向けていればよかったのだ。ただどこまでも闘い続け、血のにおいが永遠に離れなくなるまで剣と剣の間で生きていければそれでよかった。剣の時代が終わるなら、剣の時代と共に滅びればよかっただけなのだ。
 置いていかれたのは、本当はどちらだったのか。
 紙くず拾いみたいな格好で写真なんか撮るようになった自分を、どうして許しておけたのか。
 土方の目に涙が浮かんだ。この時代、男は泣くものではなかったし、まして鬼の副長と呼ばれた土方歳三の目が潤むことなど、ひょっとすると生涯通じて二度も無かったかもしれない。
 沖田の顔が目に入った。一瞬、沖田の顔に戸惑いが走った。
 結局、その時、瞬時に頭が切れるのが、土方歳三という男であり、その強さの本懐だった。
 土方は沖田のやや鈍った太刀筋を兼定で受け止めると、わざと後方へ流された。そのままゴロゴロと転がっていく。沖田もこれが真剣勝負である以上、寝転がった方が悪いのであり、その上に刃を降らせることに躊躇いはない。ただ、彼は天才的な剣士ではあれど、軍師ではなかった。
 土方は転がりざまに、髑髏の中に手を突っ込んでいた。すべては彼の頭の中にあることで、それを阻むものは、この場にも、どこにも、かつていなかった。
 沖田の一刀が振り下ろされる。土方は膝立ちのまま、それを、隠しておいた脇差、堀川国広一尺九寸五分の抜刀で持って応えた。鞘走りを速度の足しにして、また完全な体勢を作っていた土方の身体を力が流れ、沖田の菊一文字と真っ向から激突した。
 いや、土方ならば、隊士の差料のどこが弱いのか、あまねく知っていたとしても、不思議ではないだろう。
 沖田の菊一文字が、刎ねられた首のように、その折れた刃を夕焼け空に散らした。





「ひどいよ」
 沖田はぐすぐす泣いた。
「なにも折ることないのに」
 土方はぶすっとしている。
「うるせえなあ、たかが刀の一本じゃねえか」
「江戸を出る時に義理のお兄さんから刀を買うために百両ぶん獲った人が何を言ってるんですか。たかりですよたかり。僕はそんなことしなかったもの」
「あれはおまえ、あれだよ、近藤さんが悪いんだよ。近藤さんが虎徹を買ったのが悪いんだ。そんなのおまえ、俺も、ってなるだろうが」
「ならないよ。ひどい、土方さんの鬼。うう」
 土方は舌打ちして、息苦しい軍服の襟元を開いた。
「わかった。じゃ、こうしよう。これから近藤さんを探しにいって、虎徹をぶん獲ろう。それでいいだろ」
「いやだよ。あんな無骨なの僕の趣味じゃない。近藤さんにお似合いだ」
「おまえ近藤さんをなんだと思ってるんだ」
 とはいうものの、土方も兼定の代わりに虎徹を差料にすることなどごめんこうむる。
 どうしたものかと思ったが、ひとしきり愚図ると総司はすっくと立ち上がった。
「さ、いきましょうか」
 真剣に悩んでいた土方はもう少しで怒髪さかのぼるところだった。
「おまえな」
「いいじゃありませんか。それに、ここには昔の名刀がきっと一杯転がってますよ。菊一文字の親戚の一振りや二振りあるでしょう。それで我慢して差し上げます」
 二人は連れ立って歩き始めた。
「とりあえず近藤さんを探すか。どうせそのへんにいるだろう」
「僕ね、死んじゃったことだし、今度こそ近藤さんへ言ってやりますよ。お悠さんのこと、まだ根に持ってるんですよ僕は」
「あれは近藤さんも悪かったって後で言ってたよ」
 ぶつくさ言いながら、壬生狼の影法師が二つ、長々と、地獄の道を進んでいく――




                                   終




 『新撰組絶風録』    著:神崎顎男

 司馬遼太郎先生と、新撰組隊士へささぐ

       

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