Neetel Inside 文芸新都
表紙

かくも遅咲き短篇集・弐
悲しい足音/和田駄々

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「これはチャンスだ。モテなくてモテなくてどうしようもない俺達に与えられた最後のチャンスだ。もしもこれを逃せば、この先何十年、いや墓場に入っても、いやいや来世になっても後悔し続ける事は確実! そう確実だ!」
 声を潜めて力説する和田先輩の目は真っ赤に血走り、だるんだるんの二重顎を揺らし鼻息荒く熱弁している姿はまるでカバの演説だった。
「まずは彼女達が温泉から帰ってくるまでに完璧な作戦を立てなくちゃならん」
「え、作戦すか?」
「そう、作戦だ。うーむ……」
 和田先輩は手で口を塞ぎ、部屋の中をきょろきょろと見回している。たった今その様をカバと表現したばかりで申し訳ないが、餌を探しているブタにも似ていると付け足そう。
「所沢。何かあるか?」
「いきなり丸投げすか」
「こういうのは部下が考えるもんだろ?」
 和田先輩は俺の7つも年上ながら同じ大学の同学年という不思議な位置にいる人で、本来ならば「先輩」と付ける義理も無いしため口でも構わないと思うが、そうしないと見るからにイライラしだす上、温帯低気圧並の非常に強い先輩風を吹かしたがるので、仕方なく敬意のない敬語で接している。
 6回の留年の理由は紛れも無く和田先輩自身の自堕落な生活によるものだし、3年前から既に最古参と化したサークル内でそれを愚痴った所で単位など1つも貰えないのは分かりきっている。にも関わらず、耳元で何度号令を鳴らされてもスタートラインから1歩も動こうとしない和田先輩は、それなりにこの腐ったモラトリアムを楽しんでいるようでもある。
 とはいえ、俺と和田先輩は大学に入ってから知り合った仲という訳ではない。遡る事十数年前、小学1年生だった俺は、当時中学2年生の和田先輩が結成した「わっちゃん探偵団」のメンバーとして所属しており、汚れを知らない低学年時代を「ケルベロス討伐」という名の町内の野良犬退治や「(秘)秘密基地建築秘密計画」という名のダンボール集めに費やした。
 もちろん、わっちゃん探偵団は、和田先輩が取り仕切る組織であり、俺が抜けた後も和田先輩は高校2年の夏休みまでリーダーを勤め上げ、近所の小学生達に絶大なる支持を得ていた。
 和田先輩が俺の事を「部下」と呼ぶのはその頃の名残で、正直言って恥ずかしいのでやめてほしい。
「……まあ、ベタっすけど、怖い話とかするのはどうすかね?」
「……ん? どういう事だ?」
「女子達、帰ってきたら、とりあえず一旦こっちの部屋来るって言ってましたけど、部屋はまだもう1つあるじゃないすか? しばらくしたらそっちの部屋の方に2人で戻っちゃうと思うんすよ」
「うん……ん?」
「いや、だから、何か怖い話でもしてすげえ怖がらせれば、『部屋戻りたくない』ってなるかなって」
「……どういう事?」
「……あの、ちゃんと聞いてます? 怖い話する→怖がらせる→部屋戻らない……」
「コワイハナシ、スル……コワガラセル……オレ、ワカラナイ」
「何で分かんねえんすか! 猿かよ!」
 和田先輩はいっちょまえに険しい表情にぽかんと疑問符を浮かべて俺の顔を見ている。パンチングマシンにこの顔がプリントされていたら、誰でも最高記録が叩き出せると思う。
「え? つまりどういう事よ?」
「いや、だからまず、和田先輩は女の子達と良い雰囲気になりたいんすよね?」
「うん」
「それなら、これから夜も長いのに別々の部屋になったらそこで終わりじゃないですか。だから怖い話をしてビビらせれば、そのまま、ね? きゃーなんつって体も密着するかもしれませんし、おのずと良い雰囲気に、ね? いい加減分かるでしょう?」
「……うん。えっと、どういう……」
「あーもういいっす! 寝るす!」
「待って待って待ってごめん。分かった。怖い話すればいいんでしょ? だったら俺めちゃめちゃ得意。十八番の奴あるから。めっちゃ怖い奴俺1本持ってるから」
「得意な割には察し悪すぎじゃないすか……」
「あ、はいはい。あーはいはい。今、完全に理解した。大丈夫だ、完璧。これでひと夏のアバンチュールは俺らのもんだな!」
 和田先輩は豪快に笑い、あたりにきったねえ唾が飛び散った。
 当初の予定では、俺と、俺の友人2人と、サークル内で比較的に仲の良い3人の女子という計6人組で、このコテージ付きのキャンプ場に来るはずだった。しかしその前日、男子チームの1人が突如高熱で倒れ、仕方なく代わりに誰か、という話をしていた時、たまたま近くを通った和田先輩がそれはもう飢えた鯉のような食いつきを見せ、空気も読まずにキャンプ計画に割り込んできた。遠まわしに断ったものの効き目はなく、「連れて行ってくれないならここでうんこ漏らすぞ」という最低な脅し文句が決め手となり、メンバーは、俺、和田先輩、もう1人の友人に、女子3人という組み合わせになった。
 そして今日、昼間、河原でバーベキューをしている最中、和田先輩は「わっちゃんわんだほー!」という今だかつて1度もウケた事のないギャグをフリつきで連発し続け、燦燦と照る太陽に反抗したが、そんな寒い空気の中においても男女の仲というのはなかなか逞しいらしく、もう1人の友人が女子の1人を口説き落とし、残された俺は和田先輩の子守をしつつ、女子の機嫌取りという損な役割を負わされた。
 夜になり、さっさと抜け駆けしたカップルはコテージにある三部屋の内1つを占拠し、圧倒的ラブラブ空間を広げ、白けた女子達はせめて参加費分だけでも楽しもうとでも言いたげに、少し離れた場所にある露天風呂に行ってしまった。そして出来た空白の時間を使い、和田先輩は俺に作戦の提案を要求してきたというのがここまでの大筋だ。
「本当に大丈夫っすか? すげえ怖い話って、それまさか稲川淳二の怪談からとかじゃないっすよね?」
「なっ、ばっ、おま、馬鹿言ってんじゃないよ。オリジナルよオリジナル。というか実際に俺が体験した話だからこれ」
「本当っすかぁ?」
「マジマジ。本当と書いてマジ」
 すげえ古い。しかも間違ってる。
「じゃあまあそれでいいっすけど……」
 提案しつつも、こんな幼稚な作戦が上手くいくとは俺自身思っていない。というより、このキャンプに和田先輩がついてくるとなった時点で、「はい終わった」という感覚が俺の中には確かにあり、ここまでの流れを見ても十分伝わる通り、それを確信させるだけの負のオーラが和田先輩にはある。中学の時に同級生と遊べずに小学生と遊んでた奴は大抵そうだ。
「でもさあ、怖い話が俺の1本だけってのは、よく考えるとちょっと不安だな? 所沢も何かねえの? そういうの」
「怖い話っすか?」
「うん。やっぱこういうのは重ね技だからさ。ミルフィーユと一緒で、重ねれば重ねる程効果が出てくるというかさ」
 喩えが異様に下手なのも和田先輩の特徴だ。
 とはいえ、怖い話をするならするで、ちょっと本気を出したいというのも俺の中にはある。和田先輩がこの場にいる限りカップル成立はまず100%ありえないと言い切れるが(和田先輩と2人きりにされる女子が不憫で仕方ないだけであって断じて俺がモテない訳ではない)、怖い話をして人を怖がらせるというのは目的と手段と需要と供給がはっきりしていて俺は好きだ。
「あの、和田先輩」
「なんだ? 飯か?」
「いや今は飯の話してないじゃないすか。じゃなくて、怖い話なんすけど、俺もとっておきのがあるんすよ」
「ほう。聞こう」
「これ、俺も別の先輩に教えてもらったんすけど、内容自体は正直ベタなんすけど、そこにちょっとした『演出』を加えて怖くするんすよ」
「演出?」
「はい。先輩、そのとっておきの怖い話をし終わったら何でもいいっすから理由つけて部屋の外に出てもらえます? で、遠くに行ったと見せかけて、扉の前で待機しておいて俺が怪談を始めたら、話の展開に合わせて『音』を鳴らしてください」
「うん? 音?」
「まあ1回話しながら説明しますよ」


 あのさ……これは俺もたまたま小耳に挟んだ話なんだけど、ここのキャンプ場、どうやら「出る」らしいんだわ。
「と、こうして目を見開きながらゆっくり喋る事によって怖さを演出します」
「お、おお……」
 何でも、十年以上前、このキャンプ場に来ていた家族がいてさ、まあ仲の良い家族で、旦那と妻と、子供2人とで、釣りしたりBBQしたり、幸せな一時だった。……でも旦那の方は実は不倫していてな、その不倫相手の女は、いつも別れる別れると言って一向に別れる気配の無い旦那に対して、密かに怒りを溜めていたんだ。
「男女関係のいざこざを入れてリアリティーを増します」
「ほ、ほう……」
 で、その日のキャンプの事を不倫相手の女は偶然に知ってしまった。……ついてきてたんだよ。家族のキャンプに、こっそりとね。それで昼間、いよいよその不倫相手の女は家族団欒の所に飛び込んで洗いざらいぶちまけたんだけど、夫はまともに取り合わなかった。初対面だと言い張って、キチガイ扱いしてキャンプ場の管理人やらを呼んで強制的に追い出してもらった。女は連行されていく途中で、隙を見て逃げ出して、近くの崖から飛び降りて……自殺した。
「大体ここまでが前フリです」
「う、うん。で、それでどうなったんだよ?」
 その夜、
「ここで更にトーンダウンします」
「分かった。続き続き」
「主旨忘れないでください」
 その夜、ここと同じタイプのコテージで家族が寝ていると、ふと、旦那が目を覚ました。妙に嫌な予感というか、寒気がして、そわそわする感じ。で、耳を澄ますと、遠くから何かこう、女の泣く声がした。
「和田先輩。出番す」
「分かった。ここで俺が部屋の外で、女の泣き声の真似をすればいいんだな?」
「珍しく察しがいいすね!」
「ちょっとやってみようか。んん、おほん……ううぅ……おおぉ……お゛お゛ぉ……」
「うめえ! 人間何か1つくらい取り柄ってあるもんすね」
「どういう意味だかは分かんねえけどありがとうな」
 旦那は気のせいだと思ってやり過ごそうとするんだけど、今度は鼻をすする音がしてきた。
「はい、どうぞ」
「ずず……ずずぅ……」
 それでもまだまだ音はどこからともなく聞こえてくる。旦那は心の中で何度も謝りながら、去ってくれ、去ってくれと頼んだ。でも、最後にこんな音が聞こえた。
「はい! ここで足音!」
 和田先輩は持ち前の偏平足を生かし、ぺたん、ぺたん、と床を鳴らす。完璧だ。この人は怪談を補助する為だけに生まれてきたに違いない。怪談人間だ!
「段々と足音は大きくなっている。近づいてくる。そして扉に手がかかり、ガチャッ、バタン! するとそこには!?」
「じゃじゃーん! わっちゃん、わんだほー!」


「まあオチはどうかと思いましたが大体こんな感じでいいと思うす」
「マジで? イケるかな、成功するかなぁ」
「イケると思いますよ。和田先輩、擬音出すのやたら上手いし。ただ順番には気をつけてくださいね。最初は『泣く声』次に『鼻をすする』最後は『近づいてくる足音』っすからね」
「おう、分かってる分かってる」
 作戦会議が終了し、女子達が帰ってきた。いよいよ本番。ここまで来ればせっかくなので、アバンチュールはともかく怪談だけは何としても成功させたい。
「ねえねえ、怖い話しなーい?」
 和田先輩の空気の読めなさも、こういう時ばかりはありがたい。
「えー何か面白いの知ってるんですか?」と、女子の1人。
「知ってる知ってる。あのさ、これは地方営業の時に泊まった旅館での出来事なん……」
「明らかに稲川淳二の話じゃん」
 瞬殺。どうやら先ほどの俺の指摘は図星だったらしい。
 一気に白ける室内。「じゃ、部屋戻るから」と今にも言い出しかねない所に俺は割って入った。
「あ、俺も怖い話1つ知ってる」
「えー本当にぃ? 聞かせて聞かせて」
 和田先輩に目配せをする。和田先輩は、「なんかお腹痛くなってきちゃった。トイレいってくる」と消え入りそうなか細い声で宣言し、部屋から出て行く。女子も「はいはい、いってら」と非常に雑な具合。よし、いい感じだ。
「あのさ……これは」
 と語り始めた時、女子の1人が声を潜めてこう言う。
「ていうかさ、和田先輩キモくない?」
 別の女子。
「うん、超キモい。ていうか『わっちゃんわんだほー!』だっけ? あのギャグ何?」
「つまんなすぎるよねー」
「ねー」
 やばい怖い話どころじゃない。もう単純に和田先輩の陰口が始まってしまった。
「ていうか何でついてきてる訳? 集合時間ずらして集合場所も嘘教えたのに」
「あれでしょ。妖怪の類だから第六感がやばいんだよ、きっと」
「あははそうかもねー」
「ねー」
 図らずも妖怪が出てきて若干怪談に近づいたかと思いきやそうでもない!
 和田先輩は俺の話に合わせて演出をする役な訳で、今も扉に耳をぴたりとつけてこの話を聞いている。かといってこの女子の会話を遮って「和田先輩の悪口を言うな! 和田先輩は本当は小学校低学年の子供にも優しい良い人なんだぞ!」などとキレる義理も道理もなく、
「まあ、そ、そうだね」
 深く頷くしかない。
 女子達の和田先輩バッシングは更に加速し、泊まらない。
 しばらくすると、まだ怪談は始めていないというのに、扉の外からは最初の「泣き声」が聞こえてきた。
「え……何この声」
 不審がる女子達を宥め、俺は急いで怪談を開始する。
「あーー、なんかこの辺出るらしいんだよねえ、霊!」
 前フリもへったくれもない突発怪談。
「え、マジでー?」
「うん、マジマジ。本気と書いてマジ」
「なんかふるーい」
 間違ってないだけマシだ。
 そうこうしている間にも音響監督和田先輩はずずず、と「鼻をすする音」をたて始めた。
「いや、なんか不倫相手にフラれた女の霊らしくてさ、死んだ今でも時々このキャンプ場に現れて、男に復讐しようとしているらしいんだわ、うん」
 雑ここに極まれりといった口調だったが、意外や意外、女子達は少しそわそわとし始めている。怪談にとって最も重要なフリが決まらなかったのは確かに痛かったが、それを補って余りある演技力が、今の和田先輩にはある。何というか、熱が篭っていて、非常にリアルなのだ。本気で現世を恨むようなこの声。
「え、ちょっと本当に怖いんですけど……」
「やだ、なんかどんどん大きくなってない? この声」
 これはいける。そしていよいよ最後の音。和田先輩の「足音」が聞こえた!
 どすどすどす、ぺたぺたぺた、たたた……。
 近づいてくる予定だった足音は、どんどん遠のいていった。
 そして残されたのは涙と鼻水で出来た水溜りと、「いい年した男の霊が泣きながら『わんだほー!』と意味不明な事を叫びキャンプ場を駆ける」という新しい怪談だけだった。

       

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