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気晴らし4:「プリングルスと実在」

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 言葉で語りつくすことによって言葉で語りつくせないなにかを浮き彫りにすること。小説あるいは物語の意義について仮にそう定めるとしたとき、いったいどこまで描写すればその空白としての「なにか」を提示することができるのだろうか。

 たとえばいま、ぼくの目の前にはPCの画面がある。その画面には新都者作品のシンプルな編集画面が開かれていて、画面の真ん中あたりにあるテキストボックスには次々と文章が書きこまれている。という文章が書きこまれている。という文章が書きこまれている。

 というやりとりを永遠に繰り返すこともできるが、ここでいったんやめておこう。と書き込む間にも、ぼくの頭と指は休みなくうごき、画面にはまた次の文章が書きこまれている。その内容はいまあなたが目にしているのと同じものだ。

 ぼくはいま文章を書いている。5年前に買ったASUSのウルトラブックのペラペラなキーボードを十指で叩いて、まぶしい画面に小さな文字を並べている。ときどき打ち間違えたり気に食わなかったりした一文をバックスペースで消す。間違えた文章はこうして完成した文章の中で見ることはできない。できないがしかし、僕はたしかにそれを一度書き残していた。例えばさっき書いた一文の末尾は最初「書き残した」だったが、僕はそれを「書き残していた」と修正している。意味なんてないような気がするが気になるのだ。ちなみにこの文章も後になって書き足している。

 また、この文章を書き始める前に、ぼくは横に目をずらして、そこにあるプリングルスの箱について描写をはじめようと考えていたのだが、少し考えてその文章を消した。話題の転換が少し唐突だと感じたからだ。

 だがいまこう書いたことがいわば呼び水となり、そのおかげで僕は安心して目をそらし、プリングルスの空き缶の描写に入ることができる。

 それは円筒状をしていて、高さはだいたい十五センチくらいである。全体的には緑色をしていて、側面にはさまざまな情報が書き込まれている。プリングルスのロゴ。楕円形の白い顔に、つぶらな黒い瞳と二房のチョビ髭が書かれた顔だ。頭にはウェーブのかかった茶色の髪があり、首元には蝶ネクタイ。その下には英語でPringlesという文字がある。ロゴと文字はネオンサインのような意匠で囲まれている。ロゴの下にはSOUR CREAM ONIONというこの商品のテイストを説明する文字列が書かれている。

 ロゴは側面のやや上部にあり、その隣には「薯薯動人新登場!」という文字列が並んでいる。おそらく「プリングルス新登場!」を中国語に置き換えたものだと推測される。

 側面やや中央、ロゴと中国語の売り文句を除いたスペースには、大きなイラストが描かれている。ポテトチップスが飛び込み台からサワークリームの器に飛び込んでいるというイメージ。サワークリームの後ろには、まるごと一個のオニオンが無造作に置かれている。飛び込むポテトチップスの軌跡は黄色い光で示され、全体としてグリーンの色合いの中でポテトの存在を目立たせている。

 イラストの下部には「Net Weight 53g」というおそらく内容量を示す英文があり、さらにその下には「浮重:53克(公克)」と同じ内容を中国で示したのであろう一文が並ぶ。その左横にはさらに細かな文字列があるのだが、ここからでは小さすぎて内容までは読み取れない。

 僕が見ているのは缶のおそらく正面で、おそらく背面には細かい成分表だとか、なにかしらの売り文句だかが書かれているのだろうと類推される。缶は机の上、僕の視界のやや下にあるので、缶の上部に描かれたイラストもぼくは見下ろすことができる。サワークリームがたっぷり入った深皿。白いクリームにはバジルが散らされ、スライスオニオンがのぞいている。その上には側面のロゴをそのまま小さくしたものが重ねて描かれていた。

 プリングルスの缶を横目で見つつ、目に見える範囲のことはだいたい一通り描写し終えた、と僕は感じる。だが本当にそうだろうか? 本当のところを言えばまだ書ききれていないことは大量にある。たとえば側面のイラストは全体的に緑色の布を敷き詰めたようなモチーフで書かれており、目をこらすと微妙な皺が描かれている。そういえばさっきの「薯薯同人新登場!」という文字は黄色い楕円の中からはみだすように書かれており、その楕円もまたネオンサイン風のモチーフで囲まれているのだった。ついで言えば、側面下部、ほぼ底面に近い部分の円周には、フットライトのような黄色い光点が一定間隔であしらわれていた。

 これで全部だろうか。いやいやまだ足りない。

 缶の上部について伝えたが、実はこの上部には透明なプラスチック製のふたが被せられていた。そのため缶上面のイラストは多少スモークがかかったようにくすんで見えた。また実は缶の上部外縁には包装紙が貼られておらず、缶本来の銀色がのぞいている。それは底面の周縁にも同じことが言えた。

 これで全部だろうか。いいやまだある。

 缶の上部はアルミ製ではなく、薄い銀紙がぺたりと貼られた状態になっている。それを開けるために、紙の一部がベロのように膨らんだデザインになっているのだ。ところでこのプリングルスの缶にはプラスチック製のふたがされていることは先も述べた。つまりこのベロ部はプラスチックのふたの隙間から飛び出して、缶側面のほうへと垂れているのだった。

 ここまで書いて僕はようやく、この缶についてのすべてを――少なくとも今の姿勢で見える範囲においては――描写し尽くしたと感じ、そして最初の疑問に立ち返る。つまり僕はこの缶について……正確に言えば、机に置かれたプリングルス53gの缶を正面から見た視覚表現について、すべてを「語りつくした」あとになお残るものとはなんだろうかと。こうして文章に書かれたイメージと、現実に目の前にあるこのプリングルスとの間に残る「違い」とはなんなのだろうかと。

 それを「実存」あるいは「実在性」と言葉で片づけてしまうのは簡単だ。だが本当にそうだろうか? それは単に僕の描写が「足りない」だけではないのだろうか? 例えばこの缶の素材ひとつひとつの分子を列挙したら? 例えば方程式でこの缶の持つ質量を描写した場合は? コンピュータがこの部屋の内装について正確にシミュレーションした場合は? そこに実存はないのだろうか。ないとすれば、それを隔てているものは何なのだろうか。

       

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