Neetel Inside 文芸新都
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中学性日記
◆1 「屎尿に仏性ありや?」

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新学期が始まり、一ヶ月がたった。
錦乃宮中学校を新たな学び舎とすることになった新一年生たちは、入学当初こそ、教科書の縦の尺が分厚さのほうに振り分けられたのと保健体育の資料の描写が明確なることに戸惑い、しばらくは落ち着きなく緊張した面持ちであったが、この頃にはもう童子本来の性質を取り戻し、箒と紙屑で甲子園を催す者や、教師の頭頂部にどうにか黒板消しを落とそうと密談を交わす者が現れるようになってきた。
私立校であるが故、一部の者は初等部からの竹馬の結束で結ばれており、特に彼らは教師などおそるるに足らずといった体で、しばしば特別指導室の厄介となった。

ちなみに私はその結束のうちにはいない。
私は受験によって外部から来た新参者であり、六年間の初等教育は同じ県内の別な公立校で受けた。
どうやら私のような境遇のものはクラスにおいて一割に満たぬ少数派であるらしく、そのことがあってか、入学当初は方々から異星人を見るかのような好奇の目を向けられ、大いに困惑し、肩身の狭い思いをしたものである。
自信過剰の誹りを覚悟で言うと、私の器量は、同年代の少女たちをはるかに凌駕しているから、あるいはそれも、この視線の集中砲火に拍車をかける一因となったのかもしれない。
これは断じて、私の自惚れに由来する何の根拠もない揣摩臆測の類ではなく、実際にこの身に降りかかった数々の事例から客観的に立証できる。
冒頭で述べたとおり、私がこの新しい学友たちと対面してまだ一月も経たないが、すでに下駄箱に恋文が投書されること三度、校舎裏に呼び出され熱烈な求愛を受けること二度、兄直伝の後ろ回し蹴りを暴漢に加えること三度といった風で、私の容姿の細工の極め細やかなことは、種々の逸話が傍証するところである。

     

さて、ここで一人、本作における重要な登場人物を紹介しておく。
名は石川早苗といい、これがおはようからおやすみまで私に夏の湿気のごとく付きまとい、鬱陶しいことこの上ない。
学業もうだつが上がらず、日常生活においても鈍くさく、一人歩きも危なっかしい程だ。
唯一の救いは、彼女の容貌が校内でも私に次いで端麗であることだが、その残された美質も、精彩に欠ける話し方や態度が台無しにしている。
彼女はいつも自信なさげに見え、神経質に相手の顔色をうかがおうとする節がある。
声も異様に小さく、向こう三里に通過する電車があっては話もできないというほどだ。
私が、もっと覇気を持てと叱咤激励しても、「う、うん……」と小さく首を上下させるばかりで、一向に破棄のはの字もひねり出そうとはしない。

一度、どうしてこうも私に付きまとうのか、お前には初等部からの旧友はいないのか、と問い詰めたことがある。
早苗は「ああ」とか「うう」とか言葉を濁すばかりでなかなか話したがらなかったが、私がしつこく尋問しているととうとう白状した。
その小さな口から漏れ出る音を掬い取って繋げてみるに、どうやら以下の通りのようだ。

早苗は小学五年生の夏、同級生の男子から愛の告白を受けたが、それをにべもなく断ったのだという。
しかしその男子というのが異様に粘着質な男で、早苗にソデにされた逆恨みから、彼女のあることないことを、針小棒大に、ご丁寧に尾ひれまで添えて周囲に触れ回ったという。
具体的には、早苗が○○の陰言を言ったとか言わないとか、まぁそんな類のものだ。
早苗はその讒言を慌てて否定したが、元来気が小さく、おまけに声まで小さい彼女の供述は、男児の多弁と数々の詰問に掻き消され、結果的にそれらは真言として同輩たちに認識されることとなった。
それからというもの、級友たちの彼女への態度は冷徹を極め、ことに女子たちは、彼女に細大さまざまな嫌がらせを加えるに至った。
中等教育突入とともに私がここに渡来するまでは、彼女が校内第一位の器量自慢であったはずで、おそらくここには、男子に比べて成熟の早い女子たちの嫉みも溶け入っていたのではないだろうか。

     

とにかくそういった事情であるそうだ。彼女は多分、私にある種の救済を求めたのだろう。
また、私は上述の暴漢討滅事件以降、学校内では勇猛果敢をもって鳴る古今未曾有の烈女という、女子としては甚だ不名誉な評を得ていたので、あるいは私を盾か核シェルターのように利用しようという腹積もりがあったのかもしれない。
そんなことは知ったことか、と彼女を憫殺することも容易であったが、そこは水葬する糞にも一辺の情を抱くほど煦煦たる日射のごとき慈悲深さをもつ私である。
結局は、彼女が金魚の糞のように私に扈従するのをよしとし、今日に至っている。

ひょっとすると、彼女が私に救いを求めたのと同じように、私も彼女に何かを期待していたのかもしれない。
この頃の私の言動は、ともすれば驕慢なりとも思える部分があり、上であげた淫蕩に服を着せたような輩を除いては、あまり私に声をかける者もなく、いくばくか侘しい思いをしていたのであった。
もっともまだ自覚としては現れず、もし仮にその寂寥感に気がついたとして、意地でも色に出さなかったであろうが……。

思い返せば、私たちはこの時からすでに、相互に求め合い、依存しあう間柄だったのである。
ただ、少なくともこの頃の私たちは、幾分不健全な関係ではあったけれど、どこへ出しても恥ずかしくない、無垢で素直な乙女であった。


       

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