Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

 十一月になった。最初は怪訝な目で見られていた平田理沙の俺への対応は、皆慣れたらしく日常の光景になっていた。
 放課後、いつものように彼女が俺に近寄って来た。
「内間君、内間君、今度の土日どっちか暇ある?」
「まぁ」
「この前ね、結衣亜達とカラオケ行ったときに半額チケ貰ったの!店員のお兄さんがガチ良い人で学割フリータイムでもコレ見せたら半額にしてくれるって!でね、土日だったら居るから声かけてーって言ってくれてさ、内間君と是非行こう!!って思って。流石に何人もで行ったら迷惑かなーって思うじゃんねー」
 確かに普通の半額チケットの裏にペンで店員の名前が丸で囲んで書いてある。特別優待ってか、下心が丸見えだってのと鼻で笑う。優待した女が男連れて来るなんて、最高にコイツ惨めじゃんと加虐心が頭を擡げて、いいねと返事した。
 土日の予定は動画巡りとかゲームとか次の歌の練習と録音とかあるけれど、別に二日丸々かかるわけじゃないし、差し迫った予定でもない。
「やったぁ!理沙ちょー内間君の歌声聞きたいし、ヲタカラしたくてうずうずしてたんだよね!……結衣亜達の前でアニソンなんか歌えないもん。じゃあどっちにしよっか!日曜どうかな?土曜午前は部活あるんだ、フリータイムだから時間ギリギリ使いたいし」
「どっちでもいいけど……」
「じゃあ日曜!日曜十一時ね!」
「わかった。あ、あと……土日だから時間ずっとは無理じゃないかな」
「そっかーー!!満室なったら追い出されるかーーー!!忘れてた!!そうだよねー、流石内間君!土日のフリータイムならって孔明の罠だわ!!」
「いや、別にそんなつもりじゃないだろうと思うけど……てか平田さんネタ古っ」
 そう言って笑うと、彼女も笑った。今ではある程度会話も双方向だし、こうやって顔を見て笑うことも出来る。
 そこに江夏結衣亜が、理沙ー、部活行こー!と声をかけて、平田理沙に抱きついた。勢いが良過ぎて平田理沙の身体が俺の机に打つかって少し机が動く。俺は何事も無かったかのように机を直した。
「痛いって結衣亜!ごめんね、じゃあまた!」
「うん」
 江夏結衣亜は平田理沙の友人でリア充グループに属している人間だ。多分一番偉い位置に居るんじゃないかと思う。女子の関係性はよくわからないけれど。黒くウェーブした長い髪の毛と大きな胸、短いスカートに濃い化粧が目立つ女子だ。
 その江夏は俺の横を通り抜けながら、聞こえるか聞こえないかわからない声で、調子乗んなよデブと言った。
 聞き間違いじゃない。絶対に言った。俺の身体は硬直した。
 平田理沙は全く気付いていない様子で、自分の机に戻って部活に行く準備をしていた。
 イヤホンを付けて立ち上がると教科書を鞄に詰めてすぐに教室を出た。いつもならCクラスの前に康友が居て、いや居なかったら俺が廊下で待っているんだが、康友の姿が確認出来なくてもすぐ玄関に向かった。出来る限り早くこの場所から立ち去りたかった。
 何であんな事言われなきゃなんねぇんだ。外に出てから音楽のボリュームを上げる。
 いつ俺が調子乗ったよ、そりゃあデブかもしれねぇけどそれでいつお前に迷惑かけたかよ。勝手に平田理沙が来るんだから仕方ねぇだろうがよ。
 駅までの道のりでイラつきと傷ついた心は少しだけ落ち着いて、電車を待つ間に康友にメールを送る。電車の列に並んでいると、四人組の女が大声で喋りながら白線の内側を歩く。もうすぐ電車来んだから後ろ歩けよと関係の無いそいつらにもムカつく。
 何で女ってあんな五月蝿くて意味わかんなくて自分が一番偉いと勘違いしてんだ。気持ち悪ぃ。イケメンや金持ちにばっかり擦り寄って、どうせ歌い手の俺を応援してくれてる女共も俺の顔を晒せば一気に離れるんだろう。本当に醜く身勝手な生き物だ。中古便器スイーツ脳が俺を見下すんじゃねぇよ。
 その日はイライラしながらツイッターに書き込んだり、生放送をしたりして心を静めた。Lサイズのポテトチップスを食べ、冷蔵庫にあったプリンとアイスを食べ、チョコレート菓子を食べ、夕食を食べてストレス発散をした。はけ口があるというのは、救いなのかもしれないと生放送後にベッドに倒れこむ。
 皆のリクに答えて歌を歌って、感想をリアルタイムで聞けて、多少恥ずかしい言葉を呟いて。それで皆が俺のことを慕ってくれるのであれば、俺の存在価値を認めてくれるのであれば、そこが俺の居場所だ。
 寝返りをうつと枕元に置いていた携帯を取る。平田理沙からメールが来ていた。何も知らないのであろう彼女は暢気に日曜の再確認をしている。
 ふと怖くなる。日曜、彼女の言う通りの時間に行ったとして、彼女は一人で待っているのか。江夏なんかが付いて来て俺を笑いに来るのではないか。罠ではないのか。
 そこまで考えて急に胃が苦しくなって、手元にあるコーラを飲んだ。その炭酸のせいかこみ上がって来る物を感じ、トイレに駆け込んで嘔吐した。飲んだばかりのコーラを筆頭にチョコと夕食の一部が吐き出された。涙と鼻水と胃液、唾液に汚れた顔を洗うと、瞳孔と唇が開いたままで自分の顔ながら怖かった。あの女達のせいで胃が不調になっている。洗面台の鏡を割りたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えた。
 色々考えても、平田理沙の一ヶ月近く俺を慕ってくれた態度は嘘偽りないわけだから、何かあっても対処出来る心構えはして、大人しくカラオケに行こうと思った。わかってるよ、と簡素なメールを返して風呂に向かった。

 結局カラオケの前に居たのは平田理沙だけだった。私服の彼女は制服と同じくらい可愛らしく、女の流行はわからないがよく見るような格好だった。思ったより胸がある。
 俺は無難にGパンとユニクロで没個性的だったが、彼女は開口一番にそのジーンズ良いねと言ってくれた。Gパンだけはこだわっているんだ、俺のサイズで好みを探すのは結構大変で、それが認められた気がした。
 カラオケの受付で彼女は前言っていた名前の男を呼び出して、チケットを出した。俺を見る男の目線が冷たい。それでも彼女の前では良い格好をして、学割半額でフリータイムをしてくれて、部屋にまで案内してくれた。フリーのドリンクが来るまでの間、彼女はコートを脱いで、俺のジャケットも一緒にかけてくれて、はしゃいでいる様子だった。俺は烏龍茶、彼女はカルピスソーダを頼んだ。
「ドリンク来たよ!もうこれで邪魔者は居ないね内間君!思う存分歌おう!」
「邪魔者って……」
「熱唱出来ないじゃん!一番手どうするー?理沙行こうかー?」
「ん、お願いします」
 笑ってマイクを渡すと、彼女も笑ってくれる。彼女は今クールやっているアニメのオープニングを入れると、歌い始めた。
 普通、至って普通だ。声を張ると音程を外す程度で普通に上手い。歌声はいつもの声よりも高く、ふにゃふにゃしている。鼻にかかった感じだ。ぼんやりと彼女が歌うのを見つめていると、間奏の時に内間君曲入れてよーと促される。
 やっぱり歌わないとダメか。
 実際問題、彼女の知識からすると俺の歌い手としての存在を知っているか知らないか微妙なところだ。バレるのは嫌だ。教室なんかで話されたら困るし、ネットで何か暴露されても困る。声だけでバレなきゃいいんだが、と一先ず動画としてアップしていない曲を入れる。
「あ、理沙もこの曲好きだよー!」
 画面に次の曲として出た曲名に反応して返事をくれる。
 彼女の曲が終わって、一応拍手をすると、ありがとうと言われた。マイクがパスされる。この曲は声出しに最適なんだ、前奏が始まって彼女は次の曲を探そうとしたのか、俺の前からデンモクが消える。
 歌いだして、間奏になっても全く次曲が入らないから、視線を画面から移すと、彼女はデンモクを持ったまま固まっていた。
「平田、さん?大丈夫?どうしたの?」
「ちょ、凄!!え!?ガチで上手過ぎるよ内間君!!ヤバイ耳レイプ!!いや、そんなんじゃなくて、ああ始まっちゃう!歌って!!」
 歌詞が現れたのに反応して、彼女は俺に前を向くように促した。気のせいかもしれないが、頬が赤かったように思う。
 歌い終わっても、新しい曲は入っていなかった。マイクを渡そうと振り返ると、すぐそばに平田理沙が居た。歌うのに夢中で気がつかなかった、いつの間に移動していたんだ。
「凄い!!凄いよ内間君!!理沙感動した!!てか、えと、あの……」
「ん?……と、とりあえず、ありがとう?」
 彼女が言葉を濁すから、よくわからないけれどお礼を言ってマイクを置く。そのまま烏龍茶を口に含んだ。
 そんな事よりこの距離感は何なんだろう。すぐ横に平田理沙が居る。数センチ手を伸ばせば触れられる距離。歌って上がっただけじゃない脈拍が五月蝿いほど耳に響く。
「あの、あのね!理沙、内間君好きになっちゃったかも……」
「は?」
 烏龍茶を持ってストローに口をつけたまま固まった。
 目の前では耳まで真っ赤にした平田理沙が俺を至近距離で見つめている。何が、何が起きた今、何て言った、好きに、なっちゃった、かも、かもって何だ。
 ぎぎぎと音がしそうな不自然さで俺は烏龍茶をテーブルに戻した。
「あの、次、歌う?」
 正常な思考回路はどこかへ行った。無言が続く部屋で俺が出した声は全くそぐわないものだった。真っ赤な彼女は、え、と目を見開いて固まったままだった。
 今すぐ選択肢出て来い。頭の中で選択肢を探しても何も出てこない、大体どうして彼女は黙ったままなんだ、次喋れよ。カラオケの曲紹介のような音楽だけが響く。
「歌う、けど、あの、そっか、失敗か。ごめんね、変な雰囲気にして。違うの、今日本当は理沙デートのつもりだったの。内間君とデート出来るって思ってたの。一緒にカラオケしてもっと親しくなれたら嬉しいなって思ってたの」
 彼女は言葉を繋ぐ。俺はただ首を振るだけだったが、彼女は俺から目を反らさずに一語一語確認するように発音する。
「そしたら内間君ガチで歌上手くて、低音ボイスで、歌声も凄いエロくて、いや、エロいとか、ああもう理沙のバカ!!艶っぽい、色っぽい?とにかく!そんな感じで、ドストライクで、好きって気持ちが抑えきれなくなって、つい近づいちゃって、つい告白しちゃって、うん……ごめんなさい」
「いや、謝らなくて……いいし」
「内間君!理沙の事嫌いじゃない!?」
「あ、はい」
「あのっ!理沙とお付き合いして下さい!声だけじゃないよ、理沙のヲタ話聞いてくれるし、楽しいし、優しいし、内間君と話すの楽しみになってたの。……今フラれてもそんな傷つかないし、ど、どうかな?」
「どう、とは…………えっと、付き合うのは、特に、問題ないから……」  
 何とか搾り出した声は震えていた。それでも彼女の告白に答える事が出来て、彼女を笑顔に出来た。彼女はありがとう!と軽くガッツポーズをした。
 俺は彼女居ない歴イコール年齢を今この瞬間に断ち切った。降って湧いたような出来事だ。未だ脳内処理が追いついていない。目の前の可愛い女の子が友達から彼女に進化した。いや、レベル上げとは違う。
 その後、二人で笑い合って、カラオケに戻った。彼女のリクエストに答えたり、一緒に歌ったりして、初めてのデートを楽しんだ。
 そう、平田理沙は俺の恋人になった。そして俺も平田理沙の恋人になった。呼び名も平田さんから理沙へ、内間君から聖也へ変わった。
 
 学校ではいつも通りで、付き合いはバレたら話すという取り決めだったから俺達が付き合っているのが周知されたのはもう十二月に入ろうとしている時だった。一応付き合い出した次の週に康友には伝えた。彼の家に遊びに行った時にゲームをしながら、何の気なく伝えると、康友は驚いて、その後祝福してくれた。
「裏切り者め、リア充爆発しろ。非童貞にゲーム貸さねぇからな。まぁ、よし、祝いに一曲弾いてやろう」
「あははっ、じゃあまだ借りれるな。何弾いてくれんの?」
 康友はギターを本棚に入っているアンプに繋ぐと、軽くチューニングしてボス戦に使われていたゲーム音楽を弾き始めた。キーボで弾かれるはずのメロディーラインが康友の細い指で奏でられる。
 祝いがギター演奏なんてナルシストのような気もするが、彼なりの最大の祝福なのだろうと大人しく演奏を見つめる。俺はギターに詳しくないからよくわからないが、真っ赤で鋭利な形をしたギターはストラップが短く、康友の胸と肋骨辺りに抱えられて、見目はあまりカッコ良いものではない。ただ、狂いの無い音とリズムに、時折歪ませられるトーンは正確過ぎて美しい。物が少ない整然とした康友の部屋はギターの音が響きやすく、澄んでいる。
 弾き終えた康友にありがとうと言って、二人でゲームに戻った。それから先はいつもの二人で、そんなに会話もせずにゲームを攻略していった。

       

表紙
Tweet

Neetsha