Neetel Inside ニートノベル
表紙

秋の夜長の蜃気楼
ex in 1

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 得体のしれない、というと失礼だろう。
 不気味で不可解、というと侮蔑に値するだろう。
 だが、何も喋らず、何も見ず、何一つ動かさなかった彼女を初めて見たとき、まるで人形のようだと思わずにはいられなかった。
 いや、人形ならばまだ可愛げのある方かもしれない。作られた表情で愛嬌を振りまき、見た者を惹きつけ、人と友好的な関係を築ける彼らの方がよほど愛らしい。
 半開きで音を紡がぬ口。光を映さず地に落ちた視線。膝立ちのまま、身体も肩も首も頭も腕も指の先も髪さえも微動だにしない彼女。
 人形のようで、人形のように笑わず人を惹きつけず、寧ろそこには、誰一人とて近づけんとする形容しがたい雰囲気があった。
 それを簡単に、一言で表すならばこうだろう。
 怖い。
 目の前の見知らぬ存在に何をどうすればいいのか分からないという戸惑いと、自分が存ぜぬこの状況をどうすることもできないという無力感がないまぜになった結果である。
 ただ、ただひたすら、怖かった。
 誰もいない畳の部屋の中央で、置き物のように佇んでいる彼女を、遠目から見ることしかできなかった。

 彼女の人間らしい行動を見ることができたのは意外にも早く、初対面の日の晩だった。
 食事も入浴も受け付けなかった彼女を寝かしつける役目を、両親は私に命じたのだ。
 明らかに理不尽な押し付けをされ、昼に感じた恐怖と無力感を思い出し、途方に暮れたような気持ちになったことをよく覚えている。
 それでも不平一ついわず引き受けたのは、これから共に暮らす彼女とずっとこのままなのが嫌だったからだろうか。
 いざ寝る時間になってまず、彼女はいつの間にか私の部屋に移動していたことに驚いた。そんな気配も一切なかったのに、音一つ立てずカーペットの上に、畳の部屋にいた時と同じように膝立ちしていたのだ。本当に、置き物を誰かが運んだかのように。
 とりあえず第一段階として声を掛けようとして、
「あの、えっと……」
 両親から彼女の名前を聞かされていないことにようやく気付いた。
「ねぇ、これから寝るから、電気消すよ?」
 名前のことは明日なりいつなり、後からでも聞けるので置いておくとして、寝るための準備を進めようと発した台詞だったのだが、
「やだ! 暗いのはいや!」
 いきなり部屋に悲鳴が響いた。
「電気消しちゃいやだ! もう暗いのはだめ! いやあぁぁぁぁ!」
 首をこちらに向けて叫ぶそのあまりの剣幕にびっくりして、スイッチまで伸びた手が止まる。
「ご、ごめん! ごめんね! 電気消さないから大声出さないで?」
「いや……くらいのだめ……だめなの……」
「うん、分かったよ。明るくするから泣かないで……」
 再び俯いたその身体に、今度は不思議と容易に近づくことができた。その小さな背中を撫で下ろしてあげる。
「くらい……みんないない……」
「どうしたの?」
「みんな、いないの……いなくなっちゃうの……」
 そのときの自分には彼女が何を言っているのか分からなかった。不吉なことを何度も何度も呟く弱々しい声は今にも泣き出しそうで気が気でない。
 そして私がした行動は、彼女の小振りな頭を寄せ付けて、肩の辺りで優しく抱きしめることだった。
「う、ぅっ……?」
「いなくならない。あたしは、ずっとここにいるよ」
 事情も知らず幼かった私は、彼女の発言を言葉通りに受け取った。純真だったからこそできた芸当だと思う。
「ほら、あたしのことぎゅうってしてみて」
 ゆっくりと、しかし確実に動く細い腕。それが、下の方で私の腰の辺りを捉えた。
「ね、いるの、分かるでしょ?」
「ん……」
「大丈夫だよ。今日はこれから、一緒に寝るの。朝までずっと一緒」
「で、も。でも」
「まだ信じられない? じゃーあー……」
 べったりくっついた頭を離そうとして、不安からかなかなか離れてくれない彼女に少々苦戦しつつ、彼女の耳を自分の胸にぴと、と押し当ててやった。
「あたしの心臓の音、聞こえない?」
「……は、ふ」
「どく、どく……って、いってるでしょ」
 落ち着いたのか、私の胸で深く深く息をつく彼女。そして、
「……うん」
「あたしはここにいるから、ね」
「うん」
「じゃ、寝よっか」
 ベッドまで行くときもずっと私の胸に顔を擦り付けたままの状態だったから、横歩きという変な状態で移動する。
 ようやく布団の中へ寝かしつけたところで、彼女はさらに私へ寄り添ってきた。
「んむぅ」
「やぁ、くすぐったいよぉ」
 彼女と会って初めて笑えたその瞬間、自分の腕の中にいる小さな女の子が、この上なく愛しく感じた。
「おやすみ」
「……うん。おやすみ、なさい」
 言っても私の胸から離れようとしないその子に、諦めてそのまま眠ってしまったのだった気がする。
 とても愛らしい小さな頭を、掌で撫で付けながら。

 この、子供が子供に抱く純粋な“可愛い”という思いが、じゃれ合いのような幼い感情の範疇に収まりきらなくなったのは、いつごろからだっただろうか。
 本人にも他人にも到底言えぬような、まして自分自身でも絶対に認めたくないようなふしだらなモノに変化したのは、いつだっただろうか。
 〆

       

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