Neetel Inside ニートノベル
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 そんなことがあったのが数日前の昼休み。
 私が鞠乃から離れるのではなく、鞠乃に離れていってもらおうというこの考えは、そのまた数日前の散咲さんの助言を元に練られた発想である。
 散咲さんが私に、男が駄目じゃないなら彼氏でも作ってまともになれと提案したのを逆手にとった形となる。鞠乃が正常な恋愛をして、彼氏と二人幸せな学校生活を送られたら、流石の私も諦めがつくと思う。それをきっかけに私も、別の女の子じゃなく新たに男の子を好きになることができれば根本的問題の解決にも繋がる。誰一人苦しむことのない完璧な作戦だ。
 それに、正也への依頼目的の説明はそれほど的外れではない。正直に言ってしまえば、これは私が鞠乃を間接的に自分から遠ざけるための手段だったが、それは前提の話である。あの夜、暗い道を一人で歩こうとした鞠乃の覚悟を応援したいから、という理由付けを行えば、この擬似デートにも正当性が生まれる。
 つまりこれは私の身勝手なおためごかしとは違う。自分が愛する人を一番に考えた末の結論だった。
 私は好きな人が最も幸せになるよう努めたいと思う。好きな人の笑顔が見られれば、好きな人の喜ぶ姿が見られれば私も幸せである。
 だからこれは、愛ゆえの結果だ。私の鞠乃に対する、愛の証明だ。

 馬鹿馬鹿しい。悲恋にもなれない笑い話だ。
 こんなもの、どうすれば成就し得る。

 暗い感情が渦巻いて、喉が詰まるような圧迫感を感じながら、先を行く二人を少し後ろから眺めている。鞠乃が身振り手振りを交えて話し、それを正也が聞くという構図。見慣れた光景だ。
 その見慣れたはずの二人に、どこか頭の端で不快感を覚えてしまうことも、この頃の常。
「まさやんのクラスでも数学の小テストやったー?」
「あぁ……ひでぇモンだった」
「あたしも志弦ちゃんもでさー」
 会話には、入れず。
 学校を出ると、大きい道路が目の前を横切っている。それを渡り、前方に続く坂を下れば学校下はすぐそこにある。私達が普段利用する駅を中心に繁栄した、駅近と呼ぶ方が正確であろう場所。
 だが、学生からすれば主語が学校になってしまうのは仕方ない。学校から見ればここは坂を下ったところにある賑やかな街に違いなく、だからこそ学校下と呼ばれている。
「お前らとの帰宅もそーだけど、ここに来るの久々なんだよ」
「あたしもだよぉ。最近買い出しは寮のスーパーでやってたからなぁ」
「どちらかと言うと遊びに来る場所だからね。ここ最近ずっと余裕なかったし」
 この三人で学校下に来ることは過去何度かあったのだが、正也は部活、私はバイト、残る鞠乃は家事と、街中で一人は嫌という理由で頻繁に通っているわけではない。
 つまりまぁ、不慣れなのだ。
「来たはいいけどどうする」
 と、私を見る正也。その台詞は、どこか用事があっていきたい場所はあるかという質問なのか、具体的にどう鞠乃をエスコートすればいいのかという質問なのか分かりかねるが、後者の可能性を否定し切れない以上、
「どうするって、私にばかり一任されても。正也こそ何か用事はないの?」
 と、私たち二人の意図をひけらかさぬよう釘をさすついで、自然に軌道修正する。
「誘われたから来たけど全っ然やることないんだわ」
「んーほら、久々に来たんだったら回りたいところとか」
「そもそもあんま来ないからどこに何があるかさえ」
 修正したらしたで今度は別の問題が出てきた。この様子だと恐らく私と鞠乃二人より正也はここに通い慣れてない。私達と違い、平日はおろか休日含めほとんどを練習に費やす部活所属の人間は、学校下など駅までの途中にある騒がしい場所、程度の認識でしかないのだろう。
 となると、自動的に主導権はこちらが行使せざるを得なくなる。
「それなら、とりあえずいつものとこで腰落ち着けようか」
「そうしよそうしよー。あたしも同じこと考えてた」
「決まりね」
 やたー、と言いながらぴょっこり跳ねて喜ぶ鞠乃。
「頭使ったしお昼ご飯少なかったしでお腹すいてたんだよぉ」
 頭を使ったのは恐らく私に勉強を教えてくれたときのことだろう。内心で謝る。
「お、飯食いに行くのか? 俺も小腹空いてた」
「飯、ってほどじゃないけど。正也が気に入るかはちょっと微妙かも」
「そっかなー? 最近男の子の客もいっぱい見るよ」
 行き先について会話しつつ、目的地へ足を進める。近くにあるのでそう時間は掛からないだろう。
 駅から学校までは街を貫くようにして一本道が通っていて、私たちが目指す店はその大通り上、駅寄りのところにある。
 程なくして二階建ての建物、フランチャイズ店のカフェに着いた。通りに面している側がガラス張りで店内を一望できる。鞠乃の言うとおり男性客もちらほら見られた。
「何かと思えば喫茶店か」
「正也は甘いもの大丈夫だったっけ?」
「まぁ、全然問題ねーけど」
「なーんだ。まさやんの分あたしが食べてやろうかと思ったのに」
 そう軽口を叩きながら、鞠乃は正也の手を引き店の中へ入っていく。その後ろをついていきながら二人の頭越しに店内を見渡したが、なかなか混んでそうだった。個人経営のカフェへ行くほど金銭的余裕がない学生にとっては格好の憩いの場だから仕方ないのだが、私たちの趣旨が趣旨なので少々残念ではある。
 そんな事を考えつつ、ふと視界の焦点が店内客から、お洒落なドアに写った自分の顔にシフトした。
 いつぞやの登校時とは打って変わって見られた自分の微笑に、心が複雑な弧を描いた。

 鞠乃に、自分はいつものやつでお願い。先に席取っておくと言い残して、早々に二人から離れて席を探した。丁度よく一階、ガラス張りの席から立ち去った一団を見つけたのでそこに着席する。備え付けの台拭きでテーブルに残ったコップ痕を拭き取ってから、さっきドアに見た自分の顔を思い出した。
 ――笑ってた。
 それはいい傾向のはずだった。少なくとも、正也と鞠乃が仲よさ気に会話をして不機嫌な表情をするよりは断然マシだ。
 なのだが、その笑顔は私が鞠乃と正也の仲が進展することを素直に喜んでいる、という証拠とも捉えられないだろうか。
 本心から言えばそんなことは毛頭ない。ただ、二人が親密になることを飽くまで、想定した路線上に上手く乗ってくれているという意味で喜ばしいだけであって、私個人の心情を言えば不快極まりなかった。
 本当は鞠乃に、私以外に寄り添える存在ができることを祝福してやらなければいけない――本心から喜んでやらなければいけないはずなのだが、それがどうしてもできない。そんな現実を今突き付けられたのだ。
 嬉しいけど嬉しくない、という相反する感情が同時に生まれることが、これほどまでに精神的に堪えることを今になって味わってしまう。
 とても、とても苦しいモノだった。
「……何なのかな」
 誰に宛てるでもなく呟かれる独り言に、返答してくれるものはない。
 当の鞠乃と正也は、商品を受け取って戻ってくるのにどれぐらいだろうかとカウンター前の列に目を向けてみる。
 四~五組ぐらい並んでいる列のちょうど真ん中にいる二人を見るところ、まだ掛かりそうなのだが、順番待ちの最中という苛立つ時間でも、仲よさそうに話している二人の姿を見て、悔しいことに思わず頬が綻んだ。
 何というか、微笑ましかったのだ。クラスメイトや友人が異性といい感じになっているのを冷やかすようなそれとは違い、我が子が新しくお友達を作れた時のようなモノに似ている。
 遠くからなら、もう少し見ていたいなと、そう思った。
 あんなに会話に夢中になれるのなら、列待ちなど本人たちにとってはあっという間なのだろう。
 鞠乃がカウンター越しに注文をし始められるまでの間、じっくり、と形容するのが正しいぐらい彼女らを観察していたが、当人らにはさして長く感じたりはしないのだろうなと、そんな事さえ思う。
 私の元から離れたところにいる鞠乃を、私とは違う時間を生きる鞠乃を、遠くからだったなら、微笑ましく眺めていられる。そんな事に気づいて、少しだけ自分に安心した。
 そう、遠くからだったなら、だ。

       

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