Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

 ご飯を食べ終わった後は私のことを気遣ってか、アトラクション詰めでなく風景観賞寄りになった。
 他人が乗ってるコースターや絶叫マシンを外から眺めたり、建物の外観が西洋、欧州の洋館風に作られているので見て回るだけでも価値はある。
 午後の部は午前の分を取り戻さないといけないので、引き気味の位置取りを意識して二人に追随する。つまりは普段どおりの隊形なのだが、人混みの多い園内だとはぐれる可能性もあり付かず離れずの裁量が難しい。それに正也が隣にいるはずとは言え、片方は人だかりに突っ込んだら最後絶対に見えなくなる低身長の鞠乃だ。
 見失わないようしつこく後ろについていると、人気が引いたところ、ちょうど園内最端部で私のことを手招く姿が二つ見える。小走りで近づくと、そこが遊園地の外の景色を一望できる外周であることに気が付いた。
「じゃーん!」
 両手を広げてから前に放り投げるジェスチャー。その手先を見ると、夕陽が眩しいまでに海面を照らしている光景が見えた。
 この遊園地は沿岸部に設立され、海が一望できる絶景スポットとして一時期娯楽施設というより観光地としての名が高かったことがある。アトラクション群の外れまで来るとまるでどこかの海浜公園か何かのように、波打つ水面と潮騒を足下に散歩道となった舗道がぐるりと渡っているのだ。
「……ほぁー」
 夕陽を携えアテもなく揺れる波が、綺麗なオレンジ色を帯びて一面びっしり凛然と輝く様を見て、だらしないまでの感嘆の声が思わず漏れ出てしまう。たまらず、海とこちらを隔てる柵のギリギリまで前に乗り出した。
「すげぇなオイ」
「凄いよね。何度も来てるし何度も見たはずなのに、今でも何だかとっても綺麗に見えるんだよぉ」
「そうね……何でかしらね」
 柵の間に顔を挟める鞠乃と、その隣で同じくぼんやりと立ち尽くして見つめる正也。
 小中と、少なくとも私と鞠乃は幾度となくこの遊園地に来て、その内の半分ぐらいはこの端の舗道まで来て海を見て帰ったはずなのだ。もう見慣れていておかしくないのに、今日見るこの光輝は一際美しく見える。
「見え方、というより見方が変わったのかもしれないわね」
 まだ高校生の私が言う言葉ではないが、当時と比べて明らかに自分たちは年を重ねて一応は成熟の一途を辿っているのだ。身体的には反例が隣にいるが、精神的には確実にそうである。
 勿論のことそこには感受性も含まれる。子供だった頃は遊具ばかりに気が行って、こうした美麗な景色も蔑ろにしていたところがあったのかもしれない。それは仕方がない。そういう目しか持っていなかったのだ。
 だから今こうして、宝石を散りばめて照らしたかの如く燦然と煌めいている海を見て感動できることに、自分で感心してしまった。気付かないうちに、自分のことなのに自分の預かり知らぬところで、大人になってきていたことを認識する。
 学校で成績と進路に悩まされたり、親元を離れて生活したり、働いてお金を貰うことを覚えたり、一端に恋愛のことを考えたり、昔とは少しずつ変化してきた自分を思って、少し感傷に浸りそうになった。
「……」
 水面から私の瞳に飛び込んでくる光は、自分の心とは対照的にとても眩しく明るい。
 この絶景を見ても惚れ込まなかった、無邪気な純粋さを持っていた過去の私は、今になって何をやっているのだろう。人を裏で糸引いて突き合わせて、本人の意志関係なしに自己本意な恋愛を、それも他人にやらせている。
 とても卑怯でえげつなくて、愚かな行為。愛する彼女を思っての自己犠牲と言えば聞こえがいいが、その実は全く逆の保身でしかない。
 キラキラとまばゆく光る景色を見て感動するぐらいには成長した。その結果は、後ろめたさと罪悪で埋め尽くされた真っ黒な心だった。それが途轍もなく滑稽に思える。
 この輝かしさは、今の自分にはない魅力だ。
「そろそろかなぁ」
 水平線より下に太陽が半分ほど埋もれ、空も濃厚な橙一色だったのが、視点を真上に移すに連れて透明感のある青へと鮮やかなグラデーションを描き、次第に夜へ向かっていってるのがよく分かる。
 その爽やかな空でも煌びやかな海でもない後ろの方を鞠乃が見上げている。何を見ているのだろうかと私も振り返ってみると、
「あっ、きた」
 遊園地のシンボルである観覧車が、夕陽を照らした海に負けないぐらいのライトアップを見せた。極彩色のイルミネーションが様々なパターンで模様を描き始める。
「へーぇ……」
「こんなことやり始めたんだな」
「いつだかまさやんも言ってた新しいアトラクションてコレのことだよ。アトラクションか、って言われると微妙だけど……こっちも綺麗だなぁ」
 同意見だ。いつの間にこんな素敵に生まれ変わっていたのだろう。変化したのは私たちだけじゃないらしい。
 しばしそちらの方をボーッと見ながらポツポツと話していると、ふと鞠乃が携帯を取り出して素っ頓狂な声を上げた。
「ふぁぁ! 点灯したから覚悟したけどもうこんな時間!」
 時計を見ると四時四十分を指そうとしているところ。恐らくライトアップは四時半開始に設定されていたのだろう。
「あら、結構経ってたんだね」
 今まで通りであれば、そろそろ急ぎ足で帰らなければいけない時間だ。空が本格的に暗くなる前に家につきたいところだが、今日に限ってはどうしたものか迷う。折角遊びに来たのだしもう少し長居したいと鞠乃も思うのではなかろうか。海も、ライトアップされた車輪もなかなかムーディだし、それにあの観覧車にはまだ乗っていない。
 私に気を遣って思い切り遊べなかったところもあるだろうし、そろそろ私だけ身を引くべきタイミングだと思う。夜の暗闇については、帰り道正也にしっかり付いてもらえば問題ない。
 さてどうやって自分だけ帰ろうかと考えだしたそのとき。
「いい時間だし、このイルミネーション見て満足しちゃった。あたし、そろそろ帰ろっかな」
「え、そ、そう? もう少し遊んでいけば……」
 先手を打たれて出鼻をくじかれた。まだ夜が怖いのだろうか。
「帰りのことは私も正也もいるし、安心して遅くまでいてもらって大丈夫だけど」
「いやぁ、実はやらなくちゃいけない家事を放ったらかしにしてるのを思い出しちゃって」
「そんなこと、今日ぐらい忘れちゃいなよ。すぐやらないと困ること?」
 少なくとも私にはそんな家事思い当たらないのだが、何があるというのだろう。どれにせよ、今鞠乃に帰ってもらうのは困る。
「うん。今から支度しないと間に合わなくなっちゃうの」
「だから、それって一体……」
「ひーみつー。でも、期待して待ってていいよ!」
 そう言われてもちんぷんかんぷんである。こんなヒントだけでは心当たりも全く出てこない。
「今から急いで帰れば暗くなる前に寮につけるし、あたし一人で大丈夫だから」
「ちょっと鞠乃、だったら私も」
「志弦ちゃんは平気なんだし、普段バイトで忙しいんだからこういうとき遊べるだけ遊び尽くすべきだよぉ。まさやんと二人でもっと楽しんでってねっ」
 言うや否や、もたれていた柵から身を起こして出口へ小走りに向かっていく。引き止める間もなく、小さい背は手の届かない距離まで離れていった。
「美味しいご飯作って待ってるからー! 三人分!」
 そんなセリフを聞いたが最後、未だ減らぬ人混みに紛れて鞠乃の姿が見えなくなった。あまりの身軽さと急な行動に手も足も出ずぼんやりとしてしまう。
 私が聞き間違えなければ、夕食を三人分作ると言っていた。私と鞠乃ともう一人は誰のことか、考えずとも選択肢は一つしかないのだが、どうして正也の分までなのかは分からない。予め泊まることでも鞠乃と相談していたのだろうか。旧知の仲とは言え相手は男で、女二人だけの寮に私への相談なしに無断でそんな決定をするとは思えないのだが。
「ま、正也!」
 やり場のない無力感と怒りをぶつける先として、そして全然掴めぬ鞠乃の言動を問いただす相手として私が選んだのは、隣で我関せずと言わんばかりに何の反応も見せなかった正也だった。
「どうしてそのまま見送ったのよ! 引き止めてくれないと困るじゃない、私が正也に頼んだこと覚えてる?」
「志弦」
「私もいつまでも一緒にいたのが悪かったけど、貴方と鞠乃が二人でいてくれなきゃ――」
「なぁ、志弦」
 まくし立てる私の肩を、両手で抑えつける正也。反射的にビクッ、と震える自分がいた。
「あのさ」
 離れない腕に嫌なモノを感じつつ、そのお陰で段々と冷静さを取り戻してきた。今、自分は何てことを言ってしまったんだろう。元々無茶な願いを聞いてもらってる身なのに、なお身勝手な叱責を浴びせてしまった。
「え、えぇ……その、御免。怒鳴っちゃって」
「うん。それはいいんだけどさ」
「な、何?」
 学校で制服姿の正也しか見ていなかったので、それなりなお洒落をしている今の正也が新鮮というより別人に思えてしまう。
「二人で、話がしたい」
「……わ、私と、二人で?」
「そう。ちょうどだし、場所変えていいか」
 この時点でちょうど、というと行き先は一つしかないだろう。確かに準個室のプライベートな空間という条件は正也が望む最適の環境だろうが、その提案から私は戸惑いと困惑しか湧いてこなかった。
 いきなり、何だというのだ。鞠乃は思い立ったように急に帰ってしまうし、その直後に正也からこの誘いである。まるで示し合わせたかのような流麗な展開に、無理矢理押し流されている感じがする。
 いや、事実そうなのだろう。その流れにただ頷いて、今こうして観覧車に向かって歩いている私は確実に何かに乗せられている。
 自身の予定していたルートから大きく外れていく予想外の進路に、抵抗することもその先を読むこともできず、流れに身を任せるしかなかった。

       

表紙
Tweet

Neetsha