Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 電車の中で乗り合わせてしまうのも困りモノなので、駅の方面へは向かわなかった。
 後ろから追いかけられる気配はなかったのだが、自然と足がそちらを避けるように動いていた。
 しばらく、正也とは顔を合わせられないだろう。力の抜けきった目付きを思い出して、いくら個人的感情や理由が何であれやり過ぎたことを認識する。
 でも、どうすればよかったと言うのだ。
 簡単な話である。受け入れればよかったのだ。私が正也と付き合うことを承諾すれば何もかも丸く収まったこと。鞠乃に対しても距離を置けるだろうし、私の性癖改善も見込めたかもしれない。
 元々、男でも作ればいいのではと散咲さんに進言されたのは私なのだ。そのアドバイス通りになる彼からの告白は、利害関係を言えば最適、最上に近かった。
 尤も、飽くまで本心を隠して円滑な交流関係をそのままにしつつ損得勘定した場合の話でしかない。そして私は、好きでもない人と付き合える程に全てを損益で判断して行動する機械的な人間ではないし、本心を隠して恋愛をしようだなんて強かさは持ち合わせていない。
 そして昂った感情の赴くまま言葉を吐き散らして、こうだ。
「はっ……はぁっ」
 走っていた足も、息切れで段々と止まってくる。激しく動かすために回されていたエネルギーがやり場を失って、途端にそれらが頭へと送られ始めた。
 罰が当たった。脳がそんな考えでびっしりと一色に染まっていく。
 正也は私の頼みを、私に近づけるかもしれないという希望に変換して請け負ったと言った。それは言い方を変えれば、鞠乃を私とのコネクションに、つまり道具に使ったということになる。
 私が正也にああまで怒り心頭したのはコレが原因である。鞠乃を重荷と感じていると勘違いしたのもそうだが、彼のその発言に、私は過去鞠乃を忌避して、他の家を陥れるための道具扱いした大人たちとの共通点を見出してしまった。正也もあいつらと同じなんだと、絶対許せない奴らと一緒なんだと瞬間的にそう思ってしまった。
 その話を鞠乃本人がよりによって正也から直接聞いていて、かつ甘んじてそれを受け入れていたというのがまた悲しい。昔からそんな見なされ方しか受けてなくて、誰も鞠乃自身を見てあげる人がいなくて、切なくて腹立たしくて、それで、逆上した。
 だが、当の自分はどうなのだ。
 他人のバッシングばかりしている自分は非の一つもないとでも言うのか。
 答えは否で、寧ろ誰よりも罪深い自覚さえ芽生えてきている。
 正也にほぼ罵声に近い暴言を浴びせた時は、正直鞠乃のことより我が身のことの方に思考の比重が移っていた。結局最終的に主観第一になった自分にも辟易としたし、私が彼を拒絶した二つの理由を相手に押し付けていたのはどこの誰だろうか。正也は鞠乃を恋愛対象として見ていないといった。つい先程判明した事実だったとは言え、その好きでもない相手に本心を隠しつつ付き合うよう依頼したのは誰だったか。
 何よりも、鞠乃を自分のところに置くのを嫌がってたらい回しにした大人たちと全く同じことをした人間は、当人のことを思ってと偽りつつ自分のところから遠ざけた人間はどこの誰だ。
 鞠乃のことを何一つ分かってないと言い放った手前、誰よりも理解してあげているつもりの私は一方で彼女に嫉妬して、夜の暗闇に一人置いて、最愛の人を泣かせて。それを理由に正也を貶す自分の、棚上げの何と甚だしいことか。
 自分批難してきたそれらのことを、誰が最たる程度でやっているのか理解しているのかと。
「あ……あぁ」
 歩行へとシフトした足だが、緩やかな足取りも朧気になって次第に地面を踏み締める気力も消えかけてくる。
 またさらに、今件でより鮮明になった私の異常性。
 私は本当に男の人を受け付けない性質なんだろうか。仮に、利害やそれまでの関係など全ての前提をなしに、純粋にごく普通に彼から告白されたとして、それでも私は正也を拒んだだろうか。それとも?
 尤もそれも、答えは自分が一番よく分かっている。
「あああああぁぁぁぁあああぁあぁぁぁぁっっ!」
 立つ気力もなくなって、心と共に膝が折れた。
 ズボン越しに、コンクリートとは違うザラザラした感触を感じる。手をついて、砂地であることが分かった。
 瞼に溜まった雫が頬に落ちるのが嫌で、目だけを上に向けて周りを見渡すと、歪んだ視界でもここら一帯が道路から切り離された一つの空間であることが掴める。当て所なく、なるように任せて走ってきたらどうやら公園に出たらしかった。狭い一角に遊具が何個かあるのが分かる。
 頭の向きはそのままに、身体だけ立ち上がらせる。掌に付いた砂を落として取り出したのは、携帯だった。
 画面を見もせずに操作して、電話帳から目当ての相手の番号を導き出す。やり慣れた動作だ。ダイヤルして、耳に押し当てる。
『あ、志弦ちゃん?!』
 呼び出し音が二度なるかどうかというぐらいで、向こうが出た。
『もー随分時間かかったねぇ。まさやん意外と意気地なし? 思い切り悪いのかな。ね、ね?』
「鞠乃」
『まーまーま、早く二人で帰っておいでよ。今日の晩ご飯、絶対美味しいからさ!』
 何が起きたのか、そしてどうなったのか分かりきったかのように携帯が喋り出す。そこに疑いの色はなく、自分の想定した通りに事が運ばれたと絶対の自信を持って思い込んでいる。
 その声を聞いて、またやるせなくなって、たまらず申し訳なくなってきて、
「鞠乃……御免」
『今日はお祝い日だねー記念日になるねー! 皆で食べきれないぐらい作っちゃってるよもぅ』
「御免、鞠乃御免」
『あとでお話いっぱい聞かせ……うん?』
「御免……ごめん、ね……」
『志弦ちゃん? ……志弦ちゃん?!』
 それだけ言って、通話を切る。すかさず震える携帯を、見もせずに今度は電源を落とした。
 私は、あの子に何てことをしたのだろう。謝っても謝りきれない。後悔と罪悪感が胸を締め付けて、どこかにいなくなりたい。消えてしまいたい。
 少なくとも今日は、合わせる顔がない。言葉も音も発しなくなった携帯をポケットに戻して、ゆらゆらと園内へ進んでいく。団地の子どもが遊ぶような小さい場所で、私の寮の近くにも似たようなところがある。コレといった特徴もなく、お約束の遊具が多少ある程度。
 その内のブランコに腰を下ろす。無意識的に、座れるようなモノに真っ先に足が向かった。
 空はとっくに真っ暗で、さっきの鞠乃の言葉からしても、遊園地から出て結構な時間が経ったのが伺える。雲がほとんどなく星がちらちらと光る空を見上げて、私の心とは相反した様相に、惨めな気持ちがより一層際立つ。共通するのはその黒さだけで、思考がどこまでも深い暗闇の中へ沈んでいく。
 考えれば考える程、上手く行かなかった。余計な事をした、というよりはやること全てが間違いだった、が表現として適切か。そう、何もしなければよかったのだ。
 彼女のことを思って、そして自分の保身に必死になって、私達二人だけでなく正也も巻き込んで、誰もいい思いをしなかった。それどころか今までの関係も全部壊れてしまう程のことをしでかして、事態が好転どころか転覆した勢いで何もかもが崩壊である。
 人を裏で動かしていたような背徳感、欺いて思い通りに働いてもらうよう仕向けた罪悪感などはあった。だけど全部鞠乃の事を思ってと自分を言い聞かせてやってきた。それが全て裏目に出たのだ。人間として最低なことをして、最悪な結果を引き出して、誰に顔向けもできない。
 ココまで上手く行かないだなんて。人を思うようにするのがココまで難しいだなんて。言い訳のような言葉が頭から湧いてくる自分が恨めしく、醜く見える。謝りたい一心ならばそんな気持ちなど起こらないはずだろうに、自分が悪いのは明白なのに、それを受け止めきれずなにかやり場を探している私が最低の人間に思える。
 色んな感情で脳がいっぱいになって、誰にどう謝ればいいとか落ち着かない心をどう処理すればいいとか、まず何からすべきなのかさえ分からなくなる。そして次第に、やるべき事の膨大さに辟易としてきて、何をどう取り繕っても取り返しはつかないだろうことに気付き始めて、どれもこれもが嫌になって、何をする気力さえなくなってきた。
 何もしたくない。考えたくもない。消えていなくなってしまいたい。いっそのこと――。
 全部自分のせいなのに被虐的な思考が進んで、耐え切れなかった涙が目からこぼれ落ちた。
「……うっ、く」
 一度そうなると、堰を切ったように止まらなくなる。
「ひぐっ……うぅぅ……」
 まず眼鏡に浮かんだ雫がボタボタと足に落ちれば、頬をじっくり伝って顎まで滴るのもある。
 主犯の私が、諸悪の根源の私が泣いていい権利なんてあるはずないのに、そう思っても止まらないモノはある。今の行動理念は感情の赴くままだった。
「うっ……まり、まりの……まりのぉ……っ」
 この期に及んでなお彼女の名を呟く事も、きっと私には許されないのだろう。
「鞠乃っ……鞠乃……えぅっ……ぅええぇぇっ……」
 彼女の事を思って、というより、彼女を求めてその名を延々と呼び続ける。そこには弱々しい鞠乃を気遣う保護者としての私でなく、一人の愚かしい人間として、許しを請い慰めを求め苦しみを取り除いてほしいと望む、汚らしい自分がいた。
 傍から見れば、どう映ったものだか。少なくとも私が今の自分を見下ろして、同情の余地は一切ないと断言できる。そしてきっと、何も知らない赤の他人が公園で一人泣いている女の人を見たら、訝しんで近づこうとはしないだろうなと思う。惨めにもおかしくも見えるかもしれない。
「……あの、どうか、なさいましたか?」
 そうだろうに、私の嗚咽以外に人の声が入り込んできた。
「こんなところで、お一人で、その、泣いていたように見えましたけど……」
「……」
 とても綺麗な、澄んだ声だった。聞いていて心地の良いハイトーンで、不快感なくすんなりと頭に入ってくる。バスガイドやアナウンサーみたいな、とても洗練された声。
「もう夜になって暗いですし、女性一人でこんな場所にいては危ないですよ」
 仕事上心象をよくするために作ったような、所謂営業トークみたいなモノだが、今はそんな人の気遣いさえ有り難く、喜ばしく感じた。
「……その、何があったかは存じませんが、そろそろお帰りに、でなければせめて、場所を変えたりとか……」
「……ふ」
「或いは、通りすがりの私ですけれども、何があったか、お話なさってはいかがですか?」
 突飛な提案だと思う。余程の物好きでなければこんなところで泣き腫らしている得体の知れない人間なんて無視してしまうのが普通だ。
 だが、相手が相手なら私も私である。そう声を掛けられて、とても嬉しかった。救われた気がした。
「お力になれるかは分かりませんが、誰かに話して落ち着いたり、すっきりすることも、あるかと思いますよ?」
「……えぇ。そうですね。ありがとうございます……なんてね」
「ホントな」
「……久々に聞いたわ、貴方の、その声」
 腕で目尻を拭いて、努めて平然とした顔で相手を見上げる。コレが今の私に張れる精一杯の虚勢だった。
「分かってんならさっさと顔上げろや馬鹿が」
「御免なさい。ちょっと……ね」
「は。悟り開いた仏でも傷心のお姫様になれんだな」
 ラジオやテレビで聞くような綺麗な声が、私が声を発した途端聞き覚えのある人のモノに変化した。
 ブランコに揺れる私の目の前には、暗がりでも分かるジト目でこちらを見下ろしている女性が。
 雨崎散咲がそこにいた。
 学校で見る時とは違い、今は女生徒らしくスカートを履き、常にネクタイが下がっている首元にはリボンが付いている。ただその口調その語調から散咲さんで間違いはない。
「その格好……」
「あー? あー。そうだよ」
 彼女がこのような服装をする場面はほぼ限られる。そして今その出で立ちでいるということは、その限定的場面の前後である証拠だ。
「さっき相手した野郎がとんだスカシでよ。パッと見持ってそうだから本番までOKしてやったんだが、ヤる前に払うよう言ったら渋りやがって、締め上げたら財布カラでやんの。しゃーねーからシバいて有り金全部かっぱらって捨ててきた」
「あの……そこまで聞いてないわ……」
「てめーも気ぃ付けんだぜ。こんな公園、女一人でうろつく場所じゃねーよ」
 こちらの主張も虚しく喋りたいことを憚らず喋る。ただ忠告は尤もで、私は意図せず内にとんでもないところへ逃げ込んでしまっていたらしい。
 本人からのいらないカミングアウト通り、散咲さんと言う人間はそういう行為を夜な夜なこなす人種である。
 ――援助交際。以前司書室で言っていた、お金のため仕方なしにやっていることの正体。日頃堂々と生きているように見える散咲さんが唯一抱える秘め事だ。
 周囲を見渡してみると、公園を縁取る木々のさらに向こうに、目が痛くなりそうな発色をしてる建物が多く見える。この光に気づかなかった愚鈍な自分に嫌気が差した。
「つーかだな、何でこんなとこにいんだよ」
「……」
「そーいや遊園地だかってガキっぽいとこに行くって言ってた日、今日だったな」
「……えぇ」
「ほーぅ」
 聡明な散咲さんだから恐らく何か納得がいったのだろう。恥ずかしながら泣き顔まで見られているのだ。
「事情はどうあれ感心しねーな。下衆どもに見つかったらどーにもなんねーぞ」
「えぇ。そうね……」
「……ちっ。オイ目ぇ覚まさねーか」
 乱雑に肩を揺さぶられる。あまり働かせないように思考を止めていた脳が無理矢理引きずり出される感じがしてとても嫌だ。
 惨めだったり汚かったり最低だったり、また、また……泣きそうになる。
「ホラ。可哀想なお姫様にご献上だ」
 言って、散咲さんは手に提げていたコンビニ袋から缶を取り出した。それを私の頬に持ってきて、
「冷たっ」
「くれてやる。何も考えず無心で一気に飲み干してみな。ある程度気が紛れんぜ」
 冷えた刺激が、沈んだ頭を幾分か持ち上げてくれた気がした。そして散咲さんの進言が何となしに魅力的に感じる。なりふり構わず、何か単純な行動に夢中になってみるのもいいかも知れない。
 そして言われた通り缶のプルタブを開ける。プシュ、という音が立ったのを聞く分、どうやら炭酸のようだ。全部一気は苦しいので半分ぐらいまでの心持ちで、顔を持ち上げて口の中に流し込むように缶を傾けた。
「……?」
 今まで飲んだことのない、初めて感じる味わいだ。どこかの新製品だろうか。第一印象は清涼飲料水なのだが、その枠では括りきれない何か私の知らない風味がある。いや、味というより感覚的なところに強く異変を感じる。目頭や鼻筋がキュウと締め付けられるような、そして頭の芯と体幹が緩くなって、姿勢を保つのが面倒くさくなるような脱力感が襲ってきた。
 たまらず崩折れたくなってきて、そこでようやく缶を口から離す。自分の身に何が起きたのか、今の状態を冷静に分析して、話題の上だけで聞いたことのある症例に思い当たった。
「え、ちょっとコレって」
 暗がりの下だったのでその缶が何の飲み物かラベルすら見えず、確認もしないまま口をつけたのだが、それがとんでもない過ちだったことにようやく気付いた。とても洒落たイメージ図に隠れるようにして小さく『アルコール』と書かれている。
「お、お酒じゃないっ!」
「いい飲みっぷりじゃねーか。驚いてみせなくていいぜ。どうも初めてじゃねーな」
「飲んだことないわよこんなもの! コレだって、私まだ未成年――」
「ほーぅ? まー所詮缶チューハイなんて水と大差ねーしな。こんぐらい普通か」
 相変わらず私の言うことは耳に入らないようで、さっと手にある缶を持って行ってしまう。一缶しか買ってなかったのだろう。恐らく憂さ晴らしのために自分用としてだ。
 煽る手付きも慣れたもので、日常的に飲んでいるのではとさえ思えてくる。年齢のことを言えば確実に違反だろうはずなのに、服装が高校の制服であることを除けばその姿がとても様になっていて、散咲さんらしくもあって、思わずそんな彼女をぼんやりと見つめていた。
 呆けた表情でもしていただろうか。私の顔を見るなりいたずらっぽく笑って、缶からまた一口煽り、ただでさえ伏し目がちな目をさらに細めてこちらに近づいてきて、
「つ、ぷっ」
「……」
「――?!」
 散咲さんと私の唇が重なって、途端こちらの方へ液体が流れこんできた。
 何事か一瞬訳が分からなくなって、先程自分もお酒を飲んだせいか判断力が鈍っていて、抵抗するという選択肢が頭の中から消えていた。そのまま散咲さんを突き放すことも、口へ入ってきた飲み物を吐き出すこともできず、されるがまま受け入れてしまう。
「ん、ぅむっ、ふ」
「だりーことがあった時。全部がウザくなってぶん投げたくなった時。或いは何もしたくねーって時」
「……」
「その他色々、やってらんなくなったら飲むモンだ。覚えとくといい」
「……んくっ、そ、そんなこと、教えてくれなくていいわよ……」
 酷い目に遭った。
 というと散咲さんに失礼だが、未成年飲酒に加えこんな変態めいたことまでされるだなんて。
 彼女の唐突な行動を受けて私はどうしても、鞠乃の事を思い描かずにはいられなかった。
「まだ……あの子ともしたことないのに……」
「乙女のファーストキスを奪って悪かったな」
「全然悪びれてない様子だけど」
「望む相手じゃねーかもしんねーが、普通じゃ満たせねー欲望に報いてやったんだ。感謝しな」
 理不尽なまでに横暴な言い分だった。
 そして彼女が横暴なのは口上だけではない。こんなことされても許してしまおうと思わせるほどの、そしてこんなおかしいことをやっても別段突飛に感じない散咲さんの人となりが、常識とか人の目とか偏見とか吹き飛ばしてしまうまでの威力を持っている。
 どんなことでも平然とやってのける目の前の浮世離れした変わり者が、今とても卑怯に見えた。
 その気持ちはきっと、羨ましさと憧憬が入り交じったものなのだろう。
「んだよ。その恨めしそうな目」
「実際恨めしいの。笑ってよ」
「めんどくっせーなァ……」
 呆れたように息をついて、また缶を差し出してきた。
「自分の事は自分で笑うんだな。オラ、さっさと飲み切っちまえ」
「いや、だってそれお酒」
「またアレされてーのか」
 脅し方まで卑怯そのものである。そう言われてしまったら受け取るしかない。
 監視までされたら、飲む気がなくともやらなくてはいけないではないか。
 目を瞑って、意を決して、缶の中身を口に運んだ。
「っぷは……っ。散咲さん」
「あ?」
「また泣きそう」
「嘘だろオイやめろよ」
「だって……だってね……?」
「冗談言ってんじゃねー、甘えてんじゃねーぞ離れやがれ」
 ブランコに座りながら散咲さんの手をひしと握る。正確には指が一つもかみ合っておらず、五指をまとめて掴んでるというのが適切だが。
 こうしてみると、意外にも散咲さんの手が小さいことが分かる。背は私よりは低いといえ確実に平均以上な高さなのに。
 こんな小さな手でどうやって男を払い除けてるのだろうか。そして男を力で押し返せるなら、私なんかが縋ったって簡単にあしらえるだろうに、どうしてそうしないのだろうか。変に細かなことばかり気になった。
「あーうぜぇな……」
「飲ませたのは散咲さんじゃない……」
「あー分かった分かった」
 紐を引くように腕をグイグイとしていると、根負けしたように向こうがそう言った。私の腕を振り払い、ブランコを取り囲むように付けられた背の低い鉄柵にもたれかかる。
「こんなただの水でも酔っ払ったなら、その勢いで何もかも吐いちまえ。適当には聞いてやるよ」
 今は、散咲さんのこうした遠回しの気遣いが何よりもありがたいと感じた。

       

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Neetsha