Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

 残った疲れと、朝早くに起きなければという懸念は、枕元からの大音量と小刻みな振動によって取り除かれた。
 開いている左手で頭の後ろにある発信源を掴みとり、何かしらのボタンを押す。メタリックレッドの私の携帯が、目覚まし機能で動いたようだ。
 止めてから、昨晩鞠乃との会話後、気を紛らわすために端末を色々操作していたのを思い出す。変な形で用意周到さを見せた自分に自分で感心した。
 当の動転の原因である鞠乃を見るとまだ起きる気配はない。ゆっくりと枕代わりだった腕を抜いてから、携帯を持った方の手で目の前の華奢な身体を揺り動かす。
「うぅぅ」
「朝だよ」
「うぅぅん」
 分かったのか寝ぼけてるのかどちらともつかない返事を聞いて、とりあえず自分はベッドから抜けだした。立て続けに鞠乃も上体を起こす。その目はまだつむったままで、放っておいたら起き上がった惰性で頭から前に倒れそうだった。
 寝癖ともとれるゆるゆるで柔らかな髪を、くしゃくしゃと少し乱暴に梳いてやる。
「おはよう」
「……はよ」
 あくび混じりに答えて、自分でも頭をかき始めた。もう大丈夫だろう。
 私もパジャマをさっくり脱ぎ捨て、秋に入って若干重くなった制服を着始める。鞠乃はしばらくベッドから起き上がれないようで、上半身を起こしたまま私の方をずっと見ていた。
「志弦ちゃん」
「ん?」
「どしたの? 制服着づらそうだけど」
「そう? 別に普通だよ」
 痺れる右腕を笑顔で取り繕いながら、片手で器用にボタンを留めてみせた。

 私も鞠乃も寮に帰ってこないということはないので、朝ご飯の準備は基本的に二人揃ってやることができる。
 踏み台に乗らないとコンロや水道が使えず不自由する鞠乃も、私が代わってあげることによって、パンの焼き加減を見ながらドリンクを並べるという軽作業に割り振られるのだ。
 こちらが厚切りのベーコンを片面焼き終える前にパンはもうできあがってしまって、鞠乃だけ手持ち無沙汰になってしまった。こちらも急いで、ベーコンをフライ返しで押し付けたり、ひっくり返してみて焼き色がついたのを確認したら卵を落とし、蓋を閉め……とやっていると、
 ――ピンポーン。
「わぉ、チャイム鳴ったよ」
 おおよそ非常識な時間帯の来客だった。とは言え、
「こんな時間に来るの一人しかいないよ。鞠乃、出てあげて」
「はーい。まさやーん!」
 ちょくちょくと定期的に、それにこんな朝早くの決まりきった時間に来られれば、迎える側としても慣れたものだった。扉を開ける前からそこにいるだろうと思われる人物の愛称を呼ぶほどには。
 遠くで鞠乃ともう一つ、男の声が聞こえてきて予想が当たったことを確認する。シンクに並べてあった皿の上に、二人分のベーコンと目玉焼きを乗せた。使い終えたフライパンに水を張ってからテーブルに朝食を運ぶと、
「志弦ちゃん、まさやんきたよー!」
「お邪魔しまー。飯まだだったのか?」
 来客の男子高校生とそれに腰上の位置でひっついてる鞠乃がリビングに入ってきた。身長差を見るとまるで兄妹、下手すると親子みたいだが、服装も身の上も年齢までも一応同じである。
「えぇ。相変わらず朝早いのね。ここに来たってことは朝練なし?」
「あぁ。試合近いから練習軽いんだわ」
 自分たちと同じ制服を着ているこの男子は佐々木 正也――ささき まさやと言う名で、小さい頃からずっと近所付き合いのあった所謂幼馴染だ。
 長年見ているせいで見慣れた顔だが、こざっぱりとした雰囲気以外には特に目立つところのない外見で、強いて言えば目がほんの少しツリ目なところと、髪の短さのため常に上向いている髪型ぐらいである。どこにでもいる普通の男子高校生といった感じ。
「へー、試合やるの?! ねーねー出る? まさやん試合出るー?」
「……あー」
「鞠乃、鬱陶しいだろうから離れなさい」
 通う高校まで同じで、部活に所属していない私や鞠乃と違いサッカー部に入っている。朝練がほぼ毎日あって厳しいらしいが、暇なときはこうして寮で暮らし始めた私たちのところにちょくちょく様子を見に来てくれていた。
 選手としての実力は、先の鞠乃とのやり取りから推して知るべし。
「しかし悪いな飯時に」
「気にしなくていいよ。食事私たちの分しかないから」
「急に押しかけて食わせてもらうつもりはないって」
 言うところ、既に家で食べてきたのだろう。こんなに朝が早いのは毎日の練習で起きるのに慣れてしまっているからか。
「……まぁ、座って? 椅子もないけどさ」
「あぁ、大丈夫大丈夫」
「まさやーん、あたしの椅子に座るー? 膝借りるけどさ!」
「……大丈夫だ」
 朝から騒々しい食卓だった。

 寮でのくっつきっぷりを見る通り、昔からの付き合いがあるため鞠乃は正也に随分懐いている。
 話し振りなどがとても朗らかで、社交性や友人関係が広そうに見える鞠乃だが、あれで結構人見知りをするため実は学校ではそんなに話し相手がいなかったりする。せいぜい私づてに数人ほどだ。
 そのため正也に寮まで来てくれると、登校中の鞠乃が普段より元気に溢れるようで見ていて安心する。人に話しかけにいかず、人から話しかけられてようやく会話が成り立つような彼女なので、私以外に気兼ねなくお喋りをできる人間というのはとても貴重だ。
 ただ……その姿を見ていると安心する反面、どこか心の底が軋む。
 今日も、隣で腕いっぱい広げて喋る鞠乃とそれを聞く正也を見て、寂しいような、妬ましいような感情が燻る。息が詰まるほど苦しいとかではないが、頭の中全体に埃がかかったような、軽いながら無視できない胸のつかえがあった。
 ふと、言葉一つも発せず俯いて、鞠乃の方を見ようとしない自分に気がつく。地面以外に目の置き場を探して、喫茶店のウィンドウに顔を向けてしまった。
 それは――酷い表情だった。元から大きくない目は垂れ下がり小ささが強調され、眼鏡もつられたのか鼻掛けになっていて、口は半開きでだらしなく、背中の中ほどまである長い髪は手入れをしているつもりだが、逆に暗い表情を助長してしまっていて、自分のことながらどこか不幸な雰囲気まで感じてしまう。
 流石にいけないと思い、そのままウィンドウに向かっていつもの表情と姿勢を取り戻した。
「志弦」
「ん、何?」
 後ろから急に話しかけられてびっくりする。今のを見られてはないだろうかとどぎまぎした。
「鞠乃との寮生活、大丈夫か?」
「全然問題ないよ。鞠乃が家事全部やってくれるし、仕送り十分だし、私のバイトもある」
 それは嘘ではない。昨日だって、バイトから帰った私がやらなくてはいけないことなど一つもないほど掃除も洗濯もしっかりしてたし、親からの仕送りはそれだけで暮らせるほど送られてきている。万一のため、というよりかは年頃にお金も入り用だからバイトをやってこそいるが、生活に支障が出るほどの重労働ではない。学生のルームシェアとは思えないほど安定した暮らしだ。
「……そうか」
「えぇ。毎度心配かけて御免ね」
「いや、それこそ全然。何かあったら連絡くれよ」
「ありがとう」
 正也のこういうところには私も助けられている。
 助けられては、いるのだが。

 こちらの生活を心配する正也と相変わらずの会話をしていると、そのうち目的地の外観が見えてきた。
 学校都市と言うと大袈裟、それ以前に順序が逆なのだが、私たちの通う学校はまさにそう言い表すことができると思う。
 さっきも表情直しでお世話になった喫茶店の他、ブティックやファンシーショップ、ショッピングモール、百貨店までもが並ぶ都市部に、とても窮屈そうに立っている角柱状の建物が公立銀丈高校である。
 四面のうち、道路に面した側の下部がアーチ状に繰り抜かれておりそこが校門となっている。そこをくぐれば、角柱に見える建物が中心だけ吹き抜けになっているのが分かる。正午には光が差し込んで明るくなるのだが、その他の時間は太陽を周囲の壁が遮って日陰になるという、中庭と呼ぶにはどうかと思われる設計。
 校門を除く他三面は玄関となっており、ここから校舎へと入ることができる。一つの学年ごとに一つの面、というように振り分けられているため混乱は起きにくく、自動的に校舎も一学年が一棟を占拠という形になっているため、学年差のいざこざもほとんど発生したことがないらしい。
 私たちは二年生なので、中庭中央にある噴水を避けつつ正面の玄関へ向かう。二年校舎とも言えるこちらが北棟で、校門が南棟になっており、方角についても分かりやすい構造だ。
 しかしそんな利点は通学者としては正直どうでもよく、初めてここに来た時から一年以上たった今でもこの建物に対するイメージは変わらず“狭い”である。
 元々ここは先に言った商店街らが立ち並ぶ都心部であったのだが、そこに無理矢理新設校など建てようとするからこうした無理な設計になったのだろう。ただでさえ土地の広さに無理があったところに、空から巨大な鉄柱でも落ちてきたかのような風貌である。学校が元からあって、そこに通う学生を商売客と見込んで各商店が発展したわけでなく、既に賑やかだった繁華街に学校がお邪魔したという流れがあるので、学校都市と呼ぶには順番が逆なのだ。
 校舎の位置関係上、中庭にいる人間は周囲四辺、しかも上階から見下ろされる形になる。建物の高さによる圧迫と、見られているような気がする落ち着かなさが、本来勉学に励むべき学校として健全に機能してないように私は感じていた。現代的と言えば聞こえはいいだろうが、いざ通ってみれば本当に好きになれない。
 私のこんな胸中を知る由もなく、仲良さそうに会話し続けて歩く二人と共に、正面の昇降口についた。
「じゃ、またな」
「えぇ。今朝もありがとう」
「じゃあね~」
 私と鞠乃は同じクラスなため教室まで一緒だが、別のクラスの正也とはここでお別れだ。午後の練習はあるだろうし、試合が終わればまた朝練も再開すると思われるので、また三人で登下校をするのは当分先のことだろう。
 一階の自分の教室へ入る正也を見送って、私たちは二階へと上がる。横に狭いくせ上には広いこの学校なのでエレベーターがあるのだが、登校時間の今は混雑してとても乗れたものじゃなかった。
 地道に階段を登っている最中、
「まさやんさーぁ、部活やってからさらに格好良くなってなぁい?」
「そう?」
 鞠乃がそんな言葉を発したとき、どきりとしたのは言うまでもない。
「夏場とかもう陽に焼けちゃって、顔付きとかも変わっちゃって、男の子らしさアップ! みたいなぁ」
「んー……長い間見てるから違いに気付かないんだけど……」
「あー志弦ちゃんひどぉい。まさやん泣いちゃうよー?」
「正也はそんなタマじゃないよ」
 寧ろ、私が正也に顔付き変わった? なんて言った瞬間笑い飛ばされそうなものである。想像して、絶対に言わないことにした。
 本人のいないところで勝手な話をしていると、あっという間に階段を登り終え教室の前だ。開けっ放しの横開きのドアは生徒を快く迎え入れているようだが、その実教室内はそれほどにこやかでない。敷居をくぐっても誰も寄って来ず、おはようの一言もなく、都会の高校は人付き合いの上なかなか淡白だ。
 とは言うが、実際には教室内で声を張るのが高校生ともなると恥ずかしくなる故のことかもしれない。席に座れば、
「おはよう」
 近くの席の子や周辺に立っていた生徒に挨拶はされる。
「えぇ、おはよう」
「はよー」
 言うほど交流がギスギスしているわけでもなく、かと言って深くもなく。あれほど元気だった鞠乃も、挨拶以上の会話をしようとはしなかった。

       

表紙
Tweet

Neetsha