Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 どの順序でいこうか迷ったが、まずは取りかかりやすい方を、と安易な道を選んでしまうのは心が弱いからだろうか。
 事実地団太を踏んでいる自分がいるのは否めない。正也に対してどんな顔を向ければいいのか、まだ答えを見つけ出せていないのだ。
 ともあれひとまず感謝を。私を自己嫌悪の底から引きずり出してくれ、鞠乃に向き合う勇気をくれた散咲さんに挨拶しようと、翌日の昼休み、学校の図書館に足を踏み入れた。
 彼女は変わらず司書室にいる。登校していながら授業も受けず、午前中はずっとここにいたのだろう。しかし昨日は私も直接話を聞いた通り、繁華街での一件があったはずだ。そんなことがあっても次の日にはしっかり学校に来てはいるのだから、もしかしたら讃えられるべきなのかもしれない。どちらにせよ、大した胆力の持ち主ではある。
 コンコン、とノックをして司書室に入る。家主のいないところで堂々と机の上に足を組んで乗せている彼女に発するべき第一声は何だろうかと考えて、
「よぉ。新婚初夜を経て迎えた朝は清々しかったか?」
「……はっ?」
 開口一番によく分からない台詞をぶつけられ、用意していた言葉も全て吹き飛んでしまった。
「何だきょとんとしやがって。別にとぼけなくてもいいぜー昨晩藤田からアレやコレやと色々……」
「色々、って?」
 それはきょとんとさせられる。全く身に覚えがない。
「……マジで何もなかったのか?」
「ちょっと散咲さん?」
「あのガキ……しそこねやがったな……!」
「散、咲、さん?」
「あー? 何だよ何でもねーよ」
 掌を返したように知らぬ存ぜぬの態度を取られても見逃しようがない。
「鞠乃に何を吹き込んだの」
「オイよせよ。何のことか分かんねーなァ」
 加えて往生際が悪かった。
「……朝が清々しい訳ないじゃない。お陰で眠れなかったんだから」
「んだよしっかりヤッてんじゃねーか。最初からそう言いやがれ」
「鞠乃が遠足前の子供みたいに遊園地楽しみってはしゃぐものだから、当日私寝不足で仕方なかったの。それに彼女だけ元気で大変だったわ」
「……」
 かなり勇気のいる揺さぶりだったが恐ろしいまでに効果覿面だった。散咲さんでもこんな表情はするらしい。
「やったって何を? 新婚初夜ってどういうこと?」
「腕上がったな。今まで数々の野郎から本番回避してきた援高生の俺も真っ青だ」
「話反らさないで。何をやったの?」
「分かった分かった。そう怖い顔すんなや」
 ありがとうの一言でも言おうとしに来たのに、なぜか尋問になっていた。
「確かてめーと久々にここで会った次の日だよ。あいつの方から来やがったんだ」
「鞠乃が?」
「あー。何か志弦ちゃんをたぶらかしただの悪い道に引きずり込んだだのうっさく突っかかってきてよー」
「……まさか」
 私が授業を保健室で休んだのではなく、散咲さんとサボっていたと正直に話したことを悪い方向に受け取ったのか。
「それは……失礼したわ」
「あまりにもうっせーから、軽く話したら急に志弦ちゃんが自分でボロボロダベリ始めたんだよって分からせてやった」
 事の流れは大体合ってるが語弊もある。半分脅しが入っていたことなど散咲さん本人は覚えていないのだろう。後で鞠乃に弁明しておかねば。
 それにしても散咲さんから下の名前で呼ばれるのは少々寒気がする。加え彼女は絶対からかうつもりで言っている。尚更質が悪かった。
「……って、あの日こぼしちゃった事って」
「安心しろ。んな事細かに話しちゃいねーよ」
「話したの?!」
 由々しき事態ではないか。
「え、つまり私が鞠乃のことを好きだってこと、あの子……!」
「先走んなよ馬鹿が。少し参ってるみてーだって言っただけだ」
 瞬間的に沸騰したように赤くなった顔から、一気に熱が引いていく。数言のやり取りで目眩がする程心拍数が上下した。一言一言が紛らわしくて心臓に悪い。
「だからただ、ちょっと近くに付いててやれって」
「……う、うぅ」
 その言葉が本当なら大変ありがたいのだが、聞いて分かるとおり何とも誤解を生みやすい喋り方をする人だ。台詞の概要がそうでも実際の発言はどうだったか分かったモノではない。
「そ、その他には何も言ってないの?」
 戦々恐々としながら問い詰めてみる。彼女の“それだけ”というのが少し信用ならずもっと詳細に聞いておきたい。
「信用ねーのな俺。いーけどよー」
「いえ、そんなつもりじゃ」
 こちらの内心がバレていることに冷や汗をかく。
「でもマジでそれしか言ってねーぜ? 下手なこと滑らせて無闇に動かれてもうぜぇ」
「動かれてもって、やっぱり誘導する気だったわけね」
「てめーに非難される筋合いはねーな」
 ご尤もである。私も似たようなことをして重罪を犯している以上被害者面はできない。
「当て付けで言う訳じゃねーが、役者を裏で動かす場合、演技指導はほどほどでいいんだよ。さり気なく仕向けるだけで思うように働いてくれやがる。てめーは表に出過ぎだ」
「……身に染みるわ」
 経験上、手玉に取るのが上手だ。私ではこうはいかない。
「まー、元々二人して引き合ってたからできた芸当ではある。俺としてもてめーらには上手く行ってほしかったしな」
「……え」
「んなこって、余計なこと言う必要なかったんだわ。お前ら両思いなの知ったからよ」
「……えぇっ?」
 のべつ幕なしに色々言われて、頭が軽く混乱している。
 私と鞠乃が両思い? そんな馬鹿なことが。だって私が鞠乃を好きなのは自分が異常だからで、普通ではあり得ない感情な上、それを悟られぬよう努めてきたのだから感化される可能性も考えられない。万一本当に鞠乃も私のことを好いてくれていても、一番近くにいた私自身がそのことに気付かないなんて鈍感極まりない。それで散咲さんだけが見抜いていたと言われても空々しく聞こえる。
「藤田がココに殴り込みに来たとき、すげぇ必死だったんだぜ。あたしの志弦ちゃんを取らないで、引き離さないで、ってな」
「そんな……そんなこと」
 頭を鈍器でガツンと叩かれ、中が痛覚でとても熱っぽく感じるような、それぐらいの衝撃が奔った。
「でもそんな言葉、友達として、って捉えることだって」
「いい加減、目を背けんのもやめたらどーなんだ」
「目を、背ける……?」
 私が、だろうか。
「そんなつもり――」
「あろうがなかろうがしてんだよ、無意識的にな。きっとたくさんあったと思うぜ。藤田なりの、てめーに対するアピールがよ」
 てんで心当たりがない。仮に鞠乃から正面切って告白を受けたとしたら、きっとその場で崩折れるぐらいに嬉しいと思う。或いはそこまで直接的でなくとも、それらしい素振りをされたら舞い上がる気分になるのではないだろうか。
 少し考えて、納得がいかない。ここ最近浮き足立つほど喜んだ機会に思い当たらなかった。
「……ないわ」
 そう、思い込む。
 けれどどこかで無駄だなと、諦念を感じている自分がいることに気付いた。
「じっくりと考えたフリして、全部気のせいで済ませることはできたか?」
 散咲さんは聡い。こちらの意図も思惑も全て彼女には割れているのではとそんな錯覚さえ起こしてしまうぐらいだ。いつも核心を突いて、私の頑固な思考を崩壊させる。
「てめーでてめーのこと分かってっからそーなんだ。女同士はおかしい、狂ってる。そういう前提があっから、相手からの接近も反射的に拒否しちまう」
「そんなことないわ。ないわよ……ないのよ」
「あんだよ。初っ端ココに来たときてめー言ったよなァ? 偏見と奇異の目はどうあっても避けられない。つるむことになって周囲から非難を浴びることになりゃ、自分は平気でも藤田には迷惑を掛けることになるって。それは御免だってよ」
「……私は」
「だがなー、それはてめーが藤田を気遣っていることにゃならねーんだ。常識にビビるてめーの都合であいつの気持ちを曲解、いや拒絶してんだよ。藤田本人もそれは嫌だろうと決めつけて、さもそれが正しいことであるかのように、悪びれず堂々とそうしてんだ」
「私はぁっ」
「飛び込んでメンチ切ったあいつの叫び声は図書室全体に響くレベルだったぜ。それで俺はてめーらは両思いだと察した。てめーから昨日公園で馴れ初め聞いて確信した。何より……」
 怒涛の畳み掛けに地に伏した私へ止めを刺すかのように、間を置いて溜めを作ってぶつけられた台詞に、
「志弦ちゃん志弦ちゃんって何度も言うあの目が、マジだった」
「私はあの子だけは、傷付けたくなかったのよ……っ」
 自分で勝手に好きになっておきながらこの言い分は身勝手だとは思っている。勿論、鞠乃のそういった兆しに気が付いてなかったわけではない。
 だが絶対、確実に……辛い思いをする。私も鞠乃も世間からの蔑みの目線に晒されることになる。そんな不健全な環境で生きれる自信は少なくとも私にはまだなかった。
「その態度が寧ろ藤田には苦しかったんじゃねーの」
「そんなこと言ったって……!」
「誰も彼もがてめーみたいに悟った仏っぽい性格してねーんだよ。好きな人がいりゃその人から好かれてーし、そいつから拒否られたらつれーだろーよ。それは分かんだろ」
 分かる。痛いほど理解できる。
 自分を律するため、禁断の領域に足を踏み入れぬため、鞠乃は私のことが“友達として好き”と決め付けて、彼女の言葉全てをその前提の下受けてきたのだから。
 私は悟った仏なんて存在ではない。ただの、一人の女子高校生である。
「逃げんじゃねーよ。正直になりやがれ。てめーも藤田も、てめーらが好きだってこといい加減認めるんだな」
 散咲さんの言う通り、素直でないなと思う。
 自分達のことは自分らが一番分かっているのに、その自分が自分を否定していたのだから救いようがない。
 その完全に一人称のみだった問題に、第三者の視点が混じり込んで別の見方を示されて、光明が差したようだった。
「ま、そんなこんなで元々上手く行くようできてんだ。後は間違い起きねーようお前に男へのゲロいイメージ植え付けて俺の仕事は終わり」
 彼女にとってはココまで出来レースだったのだろう。私が正也を拒絶して、鞠乃の元へ回帰して、そこでもやっぱり迷って、一向に進展の気配がない堂々巡り。散咲さんの読みでは昨日の晩に決着が付くことになっていたようだが、それさえもかわしてみせた私の残虐さは、鞠乃にとってどれほど苦痛だったろうか。
「人間に運命的な巡り合わせなんてねぇ。人間の手による斡旋と汚れきった思惑による誘導でしかありえねーんだ。てめーらもそうやってくっ付き合ったんだよ」
「……」
 何とも夢のない台詞だが、そういう世界で過ごしてる散咲さんからすればそれは絶対の真実なのかもしれない。
 彼女の方こそ悟りきったような言葉を吐くものだ、と思って、何となく私達二人に協力してくれた理由が、分かった気がした。
「俺が手を貸すとか普通じゃねーことだぜ。それまで受けてなお無駄にされちゃ骨折り損だ」
「……ありがとう」
 初めから言おうと思っていた謝辞を、ようやく口にすることができた。
「私、行ってくる」
「いちいち行動がおせーんだよ。さっさと行っちまえ」
 憎まれ口を叩いて追い出すような手振りをする。その様子がものぐさな散咲さんに似合わず、とても優しげで、その裏羨望と諦念が入り交じった儚さがあったように感じられた。
 飽くまでコレは私の推測の域を出ない妄想だが、もしかしたら散咲さんは私と鞠乃の関係に嫉妬していたのかもしれない。
 彼女は最後、人間に運命的な出会いなどないと言った。人に、思惑に誘導されると。
 だがそれは、私達に限っては当てはまらない。
 私が鞠乃と出会った経緯はまさに運命的だったと言わざるを得ない。そこに至るまで鞠乃は凄惨な経験を経てきているので、それをそう呼ぶのは憚られるが、皮肉にも不謹慎ながらも、私と鞠乃は偶然性を孕んで巡り会った。
「本当に……本当にありがとう」
「……早く行けよ。んで、もう二度とその面見せんな」
 嫌悪感剥き出しで言い放つ散咲さんが、痛ましく見える。
 彼女はその出会いを知っている。昨日、夜の公園で全てを話した際に、私と鞠乃がどう邂逅したかも伝えた。
「……それじゃあ、ね」
「……」
 何も言わない散咲さんに振り返らず、私は後ろ手で司書室の扉を閉めた。
 そして背後から、ロッカーとも机ともつかない、何か大きな金属類が横に倒れる盛大な音が聞こえてきたのはしばらく経ってからである。
 引き返すことはしない。それは嫌味以外の何者にもならない。散咲さんがないと信じて疑わなかった運命的な出会いを成した私が慰めに行っても、火に油を注ぐだけである。
 私は自分で自分に対する愛を否定していた。彼女も彼女で、もしかしたら自分も持ちうる運命を頑なに認めなかった。そんな自分を真っ向から全否定されたのだ。
 それ故の羨望、嫉妬ではなかろうか。
 どれほど常識外れの言動をして周囲からその存在を認められても、慣れた素振りで援助交際を重ねようと、彼女とて根は人間である。加え、私や鞠乃と同じ、女子高校生である。
 不良と謳われる彼女が暴力行為を働いて、また学校の人間は問題行動だと思うかもしれない。ただその原因は彼女が不良だからではない。
 誰よりもロマンチストだったその人に謝罪と感謝の言葉を頭の中でだけ唱え、私は散咲さんに言われたように、愛する人のところへと急いだ。

       

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Neetsha