Neetel Inside ニートノベル
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 およそ十数年前ほどに遡る。
 当時小学校低学年だった鞠乃は家族に連れられ旅行の帰路途中にあった。
 日帰りの予定だったのか。温泉街からの帰り、真夜中の山道を車で下っている最中だった。
 寝かしつけられた鞠乃はそのまま車に乗せられていたので、カーブの遠心力と雑に切り開いたアスファルトの振動に目を覚まされたとき、車窓の外が暗闇だったことに酷く驚いた。
 急激な不安と恐怖に苛まれた彼女は車内で泣き出す。すかさず助手席の母親があやしたが、父親もそれに気を取られハンドル操作に支障が。
 ガードレールを正面から突き破り、下り坂になった雑木林に飛び込み車は大破。父親は即死、母親も動かなくなるまで時間は長くなかったらしい。
 後部座席にチャイルドシートで座っていた小柄な鞠乃は一命を取り留めたが、衝撃が少なかったのが災いして意識まではっきりと残ってしまっていた。
 雑木林に突っ込んだ瞬間動かなくなった父親と、自分を案じて振動が終わっても庇おうとする母親の腕が、力なく垂れ下がるのを、シートベルトに縛られてまざまざと凝視してしまった。
 幼くか弱い鞠乃にはあまりに残酷で、残虐な事故。
 深夜帯、加え山間中腹という人気の全くない状況下、救急がくる翌朝まで、気絶することも眠りにつくこともできず、ぴくりとも動かない両親を真っ暗闇の中、永遠に感じられるほど長い時間見せつけられていたのだ。
 その間に嫌と言うほど浴びただろう衝撃と恐怖と悲哀を思うと、掛ける言葉もない。現に当人は、言葉では言い表せられない諸々の感情を味わったことだろう。何が起きたかさえ、分からなかったかも受け入れられなかったかもしれない。
 翌日、宿泊客なのか地元住民なのか、早朝に事故車を見つけてもらい、ようやく通報を受けることになる。
 救急隊が現場に到着し、大破した車体から引き上げられたのは、凄惨な死体と、それに守られるようにしてかろうじて生きていた“人形”である。目は死んだように光を映さず、四肢さえ微々として動かさず、口はモノ一つ喋らない。
 救援者に抱き上げられたときすら、何の反応もなかったと聞く。明らかにこの時点で彼女の心は、死んでいた。
 父母は手の打ちようがないのでそのまま葬儀の手続きが行われ、鞠乃は外傷と内傷がほとんど見受けられないため、一応の外科医診断を経た後直接精神病院へ搬送される。遺留品から親戚が特定され、葬儀に関しては問題なく執り行われたが、問題は鞠乃の処遇であった。
 医者の呼びかけへの反応、薬による効果がほとんど見受けられなかったらしい。ただ夜毎に暗くなる世界へ極度の不安と不静脈、錯乱と発狂から起こる異常行動、睡眠障害が続き、重度のPTSDによる後遺症状のため隔離病棟行きが即座に決まる。
 常例の精神患者とは違い身体矮小とその若年性が障り、鎮静剤などの投薬も無闇に行えない。夜を迎えれば四肢拘束をされて、トラウマ障害に苛まれる中ストレスにまでも晒され、精神状態は壊滅的に。体力の限界を迎え本能的に休息行動を取る、という地獄のようなループに陥っていたという。
 数ヶ月でその症状は緩和傾向に入ったが、カウンセリングや投薬による改善の兆しは見られず、単に時間経過によるモノではと思われる。現に精神的に落ち着いた、と言うよりは感情そのものが欠落しているかのような状態だったと揶揄されている。
 この頃にようやく精神科医に言葉での反応を見せるようになったと言うが、発せられる単語は一貫して「くらい」「いなくなる」のどちらかであった。
 このまま生涯を病院で送らせる訳にもいかず、医者側からも八方塞がりと匙を投げられ、展望が絶望的な中、ひとまず退院させてみようという運びになった。明らかに見切り発車、試行的発案だったのは目に見えて分かるが、外聞の件もあったのではないだろうか。どれにせよ、人道的発想ではなかった。
 ココで親族一同、鞠乃を誰が引き取るかという問題で論争が始まる。それぞれが最もらしい理屈を並べて家では引き取れない旨をさんざあげつらえ、次第に兄が弟が条件がいいと押し付け合いに発展。
 最終的に、収入が安定しており構成が核家族、子供が少ないため養育費に苦労する割合が比較的低い、唯一の娘は鞠乃と同い年である、などの理由から、我が朝川家が彼女を引き受けることになった。私から見ると鞠乃は母方の従姉妹に当たる。
 私の両親は、自分の娘と鞠乃を面向かわせることに猛烈に反発した。同じ小学生、しかも同学年の子に鞠乃のような悲劇的な経験をし、精神的にやられている子が存在するということに衝撃を受け、悪影響を及ぼすのではと危惧し、引き取りたくないと何度も断ったらしい。
 だがそれが仇となった。精神科医や親戚一同、ほとんどが大人である。同年代の子との交流が事態の好転に繋がるのではないかという、根拠の一つもないこれまた試行的発案で両親以外の全家庭が賛同。その理屈で言えば子息の多い家庭の方がよほど効果的ではないかと今の私にも分かる。しかし金銭関連のこともあり、長い不毛な議論の末、鞠乃は家へとやってきた。
 事情を知らず、姉妹が一人増えると喜んでいた当時の私だが、いざ初めて鞠乃を見たとき、第一印象は最悪だった。
 得体のしれない、というと失礼だろう。
 不気味で不可解、というと侮蔑に値するだろう。
 だが、何も喋らず、何も見ず、何一つ動かさなかった彼女を初めて見たとき、まるで人形のようだと思わずにはいられなかった。
 怖かった。
 目の前で膝立ちになって身体のどこ一つとして動かさない鞠乃を、自分と同じ小学生の子供とは、人間とは思えなかった。
 私のことを心配してくれた両親は鞠乃が来たとなった瞬間、それまでの言い分が嘘であったかのように全て私任せにし始めた。自分たちは構ってやったり遊んでやろうとする素振りも見せず、何かあれば私を呼びつけその後丸投げである。
 結局、私を理由に鞠乃を引き取れないと言ったのは、自分達が鞠乃の世話をしたくない一心の、名目上の言い訳だったのだなと分かると、彼らを見る目が変わった。
 こいつらと、また鞠乃の押しつけ合いに躍起だった親戚どもは、人間ではないなと、そう思えた。
 その人間でない者達のえげつない場当たり的実験が功を奏したのは皮肉としか言いようがない。当時の私としては嬉しい限りだったが、今思えばあいつらの思い通りに行ったことがたまらなく悔しい。
「みんないなくなっちゃう……」
 儚げな声で初日の夜に呟く鞠乃を、私は上手く介抱したモノだった。
 怖くて仕方がなかった彼女に対し何を思って普通に接することができたかは分からない。ただ、普通の子と一緒で、誰でも感じる暗闇への不安を人一倍怖がる鞠乃に、ようやく人間らしい面を見出したのかもしれなかった。
「絶対いなくならないよ」
 会ってすぐ、何の気なしに出た言葉。たった一つのそれが、彼女が他人に心を開くきっかけとなった。
 探り探りで様子を伺う鞠乃に、自分の言ったことの真偽を行動で示してやろうと、当時はまだそれほど差がなかった同じぐらいの背丈の彼女を抱き寄せる。そして私の胸に頭を預けた彼女は、深く長く、息をついた。
 安堵してくれたのだと分かった。その様子に私も安心して、認識を改めねば、人形のようだと思ってしまったことを謝らなければと思った。
 だって、こんなにも人間らしい仕草ができるのだから。
 恐らく鞠乃は、医学的療法や他人行儀な大人達の励ましなどではない、身近で親身になってくれる存在を欲していたのだろう。小学校低学年ながら、一晩の内に家族を失ってしまったのだ。その心細さ、衝撃は筆舌に尽くし難いモノであったに違いない。
 だから私は、鞠乃の母親という役割を担えたのだ。
 以降、狭い範囲の人間に対してのみではあるが、徐々に普通の子らしき情動を取り戻し、生活も段々と元の水準へ復帰を果たす。学校は私の通うところへ編入。事情を説明し、全学年時同じクラスになるよう手を打ってもらうなどの対応は必要だったが、それでも誰しもに将来を悲観された彼女にしてはめざましい進歩であっただろう。
 給食の時やグループ学習時も常に私と組んでいた点、かなり依存的になってしまったが、それも中高と来て、周囲から“ただとても仲がいい二人”と認識されるに留まる程度には自立心も育ちつつある。
 そして中学卒業後の高校入学式前、両親から二人暮らしでもしたらどうだと勧めを受け、今の生活へ。
 自由も利いて勉強にもなるだろうという大変ありがたい推薦のお言葉であったが、その実は鞠乃を家から離したい魂胆が見え見えのおためごかし。私にはとても懐いてくれた鞠乃だが、父母の二人は“人形”の先入観が拭い切れず、鞠乃も一方的に世話になってる身分上近づくに近づけず、ぎくしゃくした関係が延々続いてきたため無理もない事とは思う。だが、我欲全開のこの提案には実の子として閉口させられた。
 結局その提案をのんだのは、偏にコレ以上こんな親の元で暮らすのは御免だったからである。
 自分の家から、血縁上戸籍上の違いはあれど娘を追い出そうとする奴らのところになどいられない。
 高校生という身分上、援助なしには生活できないが、少しでも自分らの生活を自分でまかないたくてバイトも始めた。今受け取っている仕送りは全て職に就いてから突き返してやるつもりである。
 私から言わせれば、鞠乃を人として見なさなかった両親や親戚らの方がよほど人でなしだ。
 だから誓った。
 他の誰から見放され、疎まれ、哀れまれても、私だけは鞠乃の傍にいてあげようと。彼女を――愛そうと。
 果たした、いや、果たしてしまったというべきだが、この運命的な出会いを鞠乃に悪い思い出として残さぬように。出会ったのが私でよかったと言ってもらえるように、彼女に尽くそうと。
 ちょうどそれは、大昔のふとした発言が、今も尚効力を持つ契りへと形を変化させただけのことだった。

       

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