Neetel Inside ニートノベル
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「放課後……付き合ってくれるかしら」
 教室に戻り、席に座っていた鞠乃への第一声。
「放課後? どったのさぁ。あ、ふふん。また勉強のことでお悩みかなー?」
 あっけらかんとして答える彼女のブレなさに調子を崩されつつも、気が解れた。こういう些細なところで日常的なモノを感じれるのは彼女の雰囲気が成す恩恵の一つであろう。
 一笑して、
「正也に謝りたいの」
「……あ、あぁ、まさやんに」
「えぇ、お願い。それと」
 鞠乃の手を取って、表情を引き締めて、
「鞠乃。貴方にも沢山謝りたいことがあるの。だから一緒に来て。私の傍にいて」
「……ぉ、わ、分かったよ」
 真剣な眼差しで懇願すると、いつにない空気でも察したのか、吃りつつも了承してくれた。

 昨日の今日であることを考えると正也を呼び出すのは自分でもどうかと思うのだが、この軋轢を少しでも早く修復したい一心で、無神経にもメールを送ってしまった。
 彼が応じるかは分からない。というより普通であればしばらくは顔を合わせたくないと思うだろう。加害者側の私も、どんな面持ちで面向かえばいいのか、自分で呼び出しておきながら分かっていなかった。
 だが、決心してから間を置いてしまうとまた行動しづらくなってしまう。加え非があるのはこちらなのだ。勢い任せだったとは言え、私の方から彼に謝るのが筋であろうし、呼び出したことに後悔はしていない。
 だから、人気のない教室を選んで指定して放課後すぐにそこへ行き、数十分ほど待った後ドアが開かれる音が聞こえたときは、
「ま、正也っ」
「し……づる」
 ありがたかったし、同時、彼に対する罪悪感が急激に湧き上がって、数々の感情が入り混じって混乱してしまった。彼も悲しいような、腹立たしいような複雑な表情をしている。
 出すべき言葉は何か迷っていると、隣にいた鞠乃がそっと手を握ってくれた。その柔らかな温もりに助けられ、当然言うべき台詞を苦労しながら口にできた。
「御免なさい、本当に御免なさいっ、正也」
 頭を下げて、誠実な気持ちで謝罪する。視界が必然下がっているため、彼が今どんな顔をしているかが見えない。分かるのは、返しの言葉が飛んでこない少しの間だけだった。
「……あ、あのね、まさやん」
 沈黙に、不穏な空気に耐えられないといった様子で後ろの鞠乃が喋り始める。
「あたしは何があったか分からないけど、志弦ちゃんの謝りたいって気持ちは、本当だと思う。昨日だって帰ってきてから泣いて泣いて泣きじゃくって、大変だったんだよ。後悔して、申し訳なさでいっぱいで溜まらなかったんだと思うの。だから、聞いてあげて!」
 鞠乃には件のことをほとんど話してないのに、おおよそのことを代弁してくれていた。
「凄く酷いことを言ってしまったわ。そんなつもりはなかったなんて言うとふざけてると思われるかもしれないけど、カッと来て、思ってもないこと滅茶苦茶ぶちまけちゃって、本当に申し訳ないと思ってる。アレは、本心なんかじゃ……」
 言い訳めいていると、自分で言っておいてそう感じる。捲くし立てるような畳み掛けで更に拍車が掛かって聞こえているかもしれない。けれどコレは嘘偽りない、私の本心そのものだ。
「とにかく、本当に御免! 許してとは言えないけど、謝らせてほしい。御免なさい!」
 もっと深く頭を下げて謝り倒す。後ろ目に見ると、何故か鞠乃まで同じく頭を下げていた。一緒に来てとは頼んだが、ココまでお願いしていないのに。
 再び少しの沈黙があって、正也はゆっくりと口を開いた。
「……別に、怒ってなんかいないんだ」
 何度も聞いてきた彼の声でも、こんなにも落ち込んだトーンの時はほとんどなかった。それぐらい、沈んだ声だった。
「確かにショックだった。志弦にあそこまで言われたのは結構堪えた。けど、振られたからって逆恨みなんてしない。ただ、自分の好きな人に嫌われる自分が憎らしくて仕方がないな」
「それは違う!」
 反射的に、否定句が出た。
「正也を嫌っている訳じゃないの! アレは、言葉の弾みというか、勢いで」
「そんな……そう言われたって」
「白々しく聞こえるかもしれない。けど! 本当に違うの……。そんなつもり、本当になかったの……」
 正也の顔色を伺うと、何とも言い表し難いモノだった。
 呆れて物も言えない、というやつだろうか。完全に閉口してしまっている。
「……じゃあ、問い詰めたい訳じゃないけど」
 無理矢理にでも喋ろうとする素振りが痛々しい。
「どういうつもりで、あの……あの罵声が飛んだんだ」
 彼も責める気は毛頭ないのであろう。だが正也にそうまで言わせてしまったという事実は、抉られたようにきつく来るモノがある。
 もう、引き返せないなと思った。自分の決心と見せられる限りの誠実さを、彼に、そして彼女に示さなければならない。
「……私もね。好きな人が他にいる」
 俯かせていた頭を持ち上げ、真っ直ぐに正也を見つめる。
「正也のことは嫌いじゃない。コレは信じてほしい。だけれど、正也以上に私には、愛する人がいるの」
「……」
 何も喋らず黙って聞いている正也に、少しだけ背を向けた。
 不安そうに私と正也を交互に見つめていた鞠乃に向かい、彼女の頭の位置に合わせ、耳元で小さく囁く。
「鞠乃。今まで悪かったわ。御免なさい」
「え、ぅ、うん?」
 事の次第が把握し切れてないような、曖昧な返事だった。構わず続ける。
「そして、コレからもきっと、御免なさいだと思う」
「……志弦ちゃん?」
「それでも、それでもずっと、一緒に……いてくれるかしら」
「あ――」
 私の言わんとしていることを、多分何となくのレベルでしか感じ取っていないのだろう。
 ただ、私の目をじっと見上げて軽く頬が赤くなっているのを見る分、きっと鞠乃を信じて大丈夫だと思えた。
「……――うん」
 力強く頷いて言う鞠乃が、とても頼もしかった。
「正也!」
 向き直って、彼と再び対峙して、高く声を張って己を奮い立たせる。
 迷いは、もう捨て切った。
「軽蔑するならしてもいい。変だと思うなら思えばいい。だけど」
 啖呵を切ってからは、すらすらと言葉が頭から湧いてきた。流暢に、怯むことなく我を通せる。
「自分の心に、嘘は付けないのよ。それは私も同じだわ!」
「志弦……」
 観覧車で彼が言った思いの旨を、私が反芻してぶつける。感じ入るように棒立ちで聞き続ける正也は、きっと今の私の心境を理解してくれているだろう。
 自分が作り出したこの状況に後押しされた気がして、もう物怖じする暇も持てなかった。
 一歩下がって、愛人の隣へ横並びに立つ。すると自然、右手が優しく、けれど強く握られた。
 深呼吸を一つ付いてから鞠乃を見ると、彼女も意を決したかのような真剣な眼差しである。その視線を受けて私は軽く微笑して、眼鏡を外し、軽く屈んで、
「鞠乃……好きよ」
 空いた手で鞠乃の頭を引き寄せて、私は彼女の唇にそっと口付けした。
 つ、とすぐに顔と顔が離れる。ほんの一瞬だった。眉間にヒリヒリとした痺れを感じるのも、唇を熱源に顔全体が火照るのも、彼女がとろりとした目を開け、優しげに笑い掛けてくれるのも。
 上体を真っ直ぐに持ち上げ、鞠乃を手元に抱き寄せて、遠慮がちに正也と向かい合う。恥ずかしくてあまり正面を向けなかったが、上目遣いで視界の上方に映る彼の表情は、少し傷心的で驚愕が滲んだ、
 晴れ晴れとした、笑顔だった。
「やっぱ、な」
 屈託のない笑みを浮かべながら、しれっと言いのける正也。そんな彼に驚いたのはこちらの方だった。
「……やっぱ、って」
「気付いてはいたんだ。多分、そうなんだろうなって」
 憑き物が落ちたようなすっきりした様子でそう告げられる。
「お前ら二人の仲の良さ、凄かったからな」
「……えへ」
 別に見せつけていた訳でも、まして散咲さん以外に口外したこともないのに、彼に感づかれていたというのはなかなかに衝撃的だった。鞠乃は暢気に照れていたりするが、コレは言い換えれば、私達二人は普通に生活しているつもりでも周りからはそう映っていたという事である。
「……バレてたの?」
「いいや。俺が勝手にそう思ってただけ」
 懸念がそのまま表に出て、返ってきた答えはそれは杞憂という結論。
 そして更に心に深く抉り込む、
「ずっと……ずっと、見ていたからな。志弦と、志弦の隣にいつも一緒にいた鞠乃ちゃんを」
「……――」
 コレまた衝撃的な告白。
 事実、小学校から今の今まで、遊ぶときはほとんどこの三人だったし、私と鞠乃が二人暮らしを始めてからというもの、しきりに私生活の不便を心配してくれたのは他ならぬ正也である。
 その間、彼の言葉を全て本当とするのであれば、正也は私のことをどんな心境で見てくれていたのだろうか。
 他人事なら聞いただけで切なくなりそうな話だが、当事者となるとコレほど罪悪感を抱くモノはない。私はきっと、知らないうちに彼を酷く傷付けていたのだ。
「だから、今回の件は俺が悪いんだ。そうだと思いながら、しかもほぼ確信に近いモノを感じておきながら、志弦のことも考えず自分の気持ちを捨てきれないで身勝手に出しゃばったんだから」
「正也……!」
「俺のことは気にすんな。志弦と鞠乃ちゃんなら、お似合いだ」
 寛容な理解でもって私達を祝福してくれた正也は、諦念が目に見えて分かる無理矢理作った笑顔を最後に、教室から出ていこうとした。
 掛けるべき声が分からない。何と言って引き留めればいいのだろう。私が言葉を掛けてもどうにもならないように思えて、喉が音を紡いでくれない。
「まさやん!」
 そんな私の代わりに彼を呼び止めたのは、腕の下で抱かれている鞠乃だった。
「いつだか約束したよねっ? どこにも行かないって、あたしに言ってくれたよね? アレ、嘘じゃないよねぇっ?!」
「……」
 私の腕の間から顔を突き出して、強く尋ねる。それはいつの日か学校下で遊び歩いた日の帰路、正也が鞠乃に対し安心させるため言った、恐らく何の気もない軽い台詞。
 鞠乃としても、このまま正也と疎遠になるのは不本意なのだろう。だが無理に引き留めるのもどうなのだろうか。しかし私としてもコレで正也とは終わり、というのは嫌だ。その狭間で答えを出せず迷いつくし、鞠乃を制止することも、また加担することもできず立ち尽くす。
 関係性から言って、私と正也はぎこちなく、とまで行かずとも少なくとも今までと同じように付き合えはしないだろう。彼だってコレ以上痛い思いをするのは御免なはずだ。
 そうだろうに、
「あたしは嫌だよっ! まさやん、あたしの大切なお友達だもん! また一緒に遊びいこうよ! いなく、ならないでよぉ!」
「ま、鞠乃……」
 駄々をこねる子供のように喚き散らす鞠乃に、扉付近に来てから向き直り、
「……おぅ」
 一笑して答える正也は、
「今度また喫茶店連れてってくれ。よさそうな店見つけたら案内してくれよ。な、志弦も」
「っ」
「もう慣れたろうけど、二人暮らしで悩み事あったら、いつでも話してくれていい。力になれるようなら、手伝うからさ」
「正也……」
 紛れもなく長年ずっと連れ立ってきた、理解ある幼馴染だった。
「正也……御免、ありがとう……」
 こんな恵まれていながら私は、既に彼の姿がない教室で鞠乃の小さい背を抱きつつ、虚空に向かって感謝することしかできなかった。
 〆

       

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