Neetel Inside ニートノベル
表紙

秋の夜長の蜃気楼
後.

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 後.
 自分の一番の敵は、結局は他の誰でもない自分だったのだ。
 周囲の人間にあんなにも恵まれていたのに、彼女らの配慮をはねのけるような、素直な気持ちでいられなかった自分が引き起こした蜃気楼だった。
 真実は最初から、いつだって傍にあったのに。
 過去を悔やもうと思えばいくらでも後悔はできる。犯した罪の罪悪感はきっと消えはしない。だが、それがそのまま残った訳ではない。
 姿を幾度もくらました実体を、この上なく愛する存在を、掴んだのだから。

 降り慣れない駅行きの、乗り慣れない電車に連れてこられた場所は、賑やかな学校下も前衛的な角柱校舎も縁遠い、緑ばかりの風景。
 何もかも新しい環境で、私と鞠乃は新たにスタートを切る。
 幼馴染でも友人でも、従姉妹としてでもない、それ以上の関係としての始まりを。
「新居だねぇ」
「……そうね」
 元々二人で暮らしてて、変わったところと言えば土地と部屋ぐらいなのに、こうも初々しい気持ちになるのは何故なのだろう。
「なーに辛気くさい顔してるのさー。新生活ですよー? 志弦ちゃぁん」
「いえ。色々ね……感慨深くて」
 本当に色々なことがあった。辿り着いた結末は最上の幸せだったが、そこに至るまで私は遠回りをしすぎている。ごく単純に、一本道を通ってくればよかったモノを。道中引き起こった件による被害も甚大だった。
 だが、そうした諸々の事情があったからこそ、今のこの感慨も一入なのかもしれない。
 ぼんやりと、コレからしばらくお世話になるだろう扉を見つめていたら、じっと私の顔を見上げていた鞠乃が腕を引いて、中へ入るよう急かしてきた。
 笑顔で、しかし無言の彼女に促され入った部屋は、前まで使ってた学生寮よりは少し狭いはずなのだが、家具のどれ一つとして置いてないためガラリとしている。
 くるり、と半回転して、鞠乃がこちらへ寄り掛かってきた。
「……まだ、思い悩んでるみたいだけどさ」
 鞠乃にまで悟られてしまっている。いつだって私が一人勝手に悩んで、周りに迷惑をかけてしまうのだ。
 そしてそんな私を掬い上げるのも、いつも変わらず周囲にいてくれた誰かだった。
「あたしは、志弦ちゃんに会えて、よかったよ」
「鞠乃……」
 屈託のない笑みを私の身体に埋める鞠乃を、そのまま抱き寄せるように。
「私も」
 彼女は、自分の人生を肯定した。
「私もだよ……鞠乃……!」
 私と出会うことになってしまった自身の人生を、よしとした。
 その背景にどれだけ凄惨な過去があろうと、全て包括して、私と会ったことをよかったと言ってくれた。
 この言葉に、どれだけ気持ちを軽くさせられただろう。
「……ねぇ鞠乃。蕎麦にもね、花言葉があるみたいでね」
「そなの? 聞きたい聞きたい」
「“あなたを救う”なんですって」
「おーぉ……」
 感心したように聞き入る鞠乃に、微笑を隠せない。
「でも、蕎麦茶漬け出しているのはあたしだから、方向が逆だね。あたしがいっつも志弦ちゃんに助けられてるのに」
「いいえ」
「んむぅ」
 思わず今度はこちらから、鞠乃の頭を自分の胸元に埋めていた。
 本当にこの子には、何度救われたことだろうか。
「……引越し蕎麦でも、食べよっか」
「えぇ。そうしましょう。私が準備するわ」
「やぁ、あたしが作るのー」
 誰かに見られていたら呆れられしまうようなやり取りをして、最後にはどちらともなくおかしくなって、笑い合っていた。
「あ、そだ。その前にさ、記念撮影とかしようよぉ」
「うん? 唐突にどうしたの」
「新生活記念ですよぅ。ね、今ココで! ガラッガラの部屋なんて二度とお目にかかれないかもよ?」
 そんな彼女の変な拘りに気が乗せられる。そうと決まると行動の早い鞠乃が、さっさとデジタルカメラを取ってきた。
 どんなポーズで撮るかとか、場所をどこにするかとか、笑い合いながら迷って、
「さ、押っすよー!」
 リビングの真ん中、陽がよく当たる場所で頭の高さを合わせるよう膝立ちになって、二人で一つしかないカメラを持ち上げて、俯瞰の構図になる。
 気が晴れて、心が浮かれて、本当に久々に心の底から笑えていたような気がする。
「はい、チー――」
 写真撮影時のお決まりの台詞を言い切る前に、鞠乃は言葉尻を切って。
 頬に柔らかく温かいものが触れたのと、カメラが機械音を発してフラッシュしたのはほぼ同時だった。
「え、やっ、ちょっと鞠乃!」
「えへへー」
「やめ、やめやめ恥ずかしい、撮り直し!」
「さってお蕎麦茹でないとねー」
「鞠乃!」
 驚く表情に変わる前にシャッターは降りていたようで。
 純粋に何の混じり気なく、作り笑いでもなく自分の心を偽った笑いでもない本物の微笑を浮かべた私と、その横顔に引っ付くようにした鞠乃が写っていた。

 その写真が入れられた額縁は、今でも私の仕事帰りを玄関で出迎えてくれている。
 〆

       

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