Neetel Inside ニートノベル
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 彼女、雨崎 散咲は素行不良ではあるが人は悪くない。そのことは去年、一年生のときにクラスメイトだった私は経験的に知っている。
 登校時刻には遅刻するのが普通、下手をすれば昼休みになっても出席していないこともあって、彼女の平常点などあったものではないだろう。
 しかし、話してみれば普通に会話はできるし、誰に対しても変わりないこの態度と本人の気さくな性格から、こちらも気を使う必要を感じないため逆に喋りやすい方であった。つい先程教室で午前の授業終了直後、小テスト云々の会話を誰だかだったとしたが、仮にそんな話題で散咲さんと話したら「答えるべきテスト用紙配る前に、応えるべき期待を寄こしてみろよ」なんて具合に笑わせてくるだろう。
 授業態度と先生の評価はそれほどよくないがクラスの人気者である、みたいな人間はどの時代どの年齢のクラスでも一人ぐらいいるものだと思う。少なくとも私にとっては、散咲さんがそれに該当していた。
 また去年に関しては、散咲さんに対しそう言う評価を下している人は他にも多分いただろう。見た目は怖いが面白く、こちらの喋ることをときには真剣な顔で聞いてくれたり、オチをつけて軽く流してくれたりもする、付き合ってみて初めて人のよさが分かるタイプの人間だ。
 だが学校全体に広まった噂は、外見や授業態度とそちらの方面ばかりだったらしい。比較的人間関係に縛りがない一年生のときはいくら外見がアレでも彼女の地を知って絡んでいく人もいたが、二年生になってからはウィルス的に広まった噂とそれによって植え付けられた先入観に邪魔され、
「居づれーんだわ」
 あの散咲さんでも苦労しているようだ。
「一年の頃同じクラスだった人とか、今のクラスにいないの?」
「全然だ。廊下ほっつき歩いても、校舎広いからあんま目合わすこともねーし、クラス替えしてもう半年以上か? そんぐらい話してないともう声も掛けづらいんじゃねーか」
「やだ、そんなことないのに」
 確かに半年も交流がないと、友人だった人とも疎遠になって微妙な間柄になるとは思うが、こと散咲さんについてはそんな距離を感じなかった。彼女なら時間が大きく空いても関係なく前と同様の接し方をするだろうと、人柄から簡単に想像できたため、司書室の扉窓から顔を見つけたときに迷わず足を向けられたのだ。
「ま、いーんだいーんだ。寂しい思いすんのは今に始まったことじゃねーからな」
 そう言う散咲さんに正直私も、この人なら誰とも話せない今の環境とか何て事もないのだろうな、と思わずにはいられなかった。寧ろ同情でもしたら怒り出しそうだ。
 このサバサバとした彼女特有の価値観が、逆に遠慮を感じずに済むため付き合いやすい。
「で、どうだ? おめーの方はしばらくした内に“財布”の一つでも作ったか?」
「や、ちょっと……!」
 こういうところはほんの少しやりづらいが。
「んだよダセェな。んの年でそのツラしていつまでも姫様ぶってんじゃねーぞ」
「……悪かったわね」
 別に何かの童話に出てくるお姫様みたいに王子様の来訪を待っているつもりはないが、自分でも、高校二年生にしては私の顔は可愛げがないのは自覚している。目は細く、その欠点をさらに増長させるこれまた細いフレームの眼鏡に、髪型は遊び心のないストレート。身長だって女子では百七十台と高いぐらいで、鞠乃の頭が胸に来るのはあの子の身長が低いせいだけではない。制服も恥ずかしいと気後れしてしまって、スカートを上げたりブレザー或いはカーディガンなしで過ごしたりなんてできずにいる。
 まだ高校生なのだから可愛らしく飾りたいという願望は、女子として持ってはいるのだが。常日頃隣に鞠乃がいるとああはなれないなと諦念を感じる自分がいた。
「やっぱよー。年が年なんだし相応しい経験しとくべきだっつーの」
「う、うん。ねぇ、この話やめよう」
 気を紛らわせに来たはずなのに、いつの間にかまた鞠乃のことを考えていた。
 最近本当、どうかしてる。
「――へぇ」
 しかし察しのいい散咲さんはそうさせてはくれなかった。
「何かありそうじゃねーか、お姫さんよぉ」
 王城からティアラをくっつけたお姫様をさらった悪党みたいな台詞で迫ってくる。鞠乃を意識しすぎたせいか完全に話題転換の方法を間違えた。
「おめーのことだ。誰に言うことなく今まで心ん中に閉まってたんだろ」
 自分でも顔が引き攣るのが分かった。
「散咲さん御免。こればかりは勘弁して……」
「何のためにここに招き入れたと思ってんだよ。さっさと吐けオラ」
 無理矢理な言い分でにこにこ、いやにやにやと、嬉々として次々に逃げ道を塞いでくる。私が扉の前に立ったとき、悩みを抱えているなんて絶対思いもしなかったくせに。
「そんなつもりで来たわけじゃないわよ……」
「往生際わりーな。でも逃げれると思うんじゃねーぞてめぇ」
 机で頭を抱える私の背後に、いつの間にか散咲さんは回りこんでいた。ここは初めてだったな、力抜けよとか言いながら肩に手を置き揉みほぐしてくる。
「随分と信用ねーな。仕方ねーけど」
「コレは、信用の問題じゃないんだって」
「どんだけ思い悩んでるかは聞かなきゃ分かんねーが、ノイローゼんなるぐらい重いんだろ? 吐いた方幾分楽になるのは俺が保証してやっから」
「嫌……」
 この人の口車に乗っては本当に吐き出しそうになってしまう。これも去年、経験的に思い知ったことだ。
「それと、教室に帰れば誰一人寄ってこねー俺が誰かにバラせっと思うか?」
「そう、だけど……だからそういうんじゃ」
「ここで喋ったところで俺以外の誰にバレるわけでもねぇ。俺一人にぶちまけるだけで全部済む。楽になれんだよ……!」
「――う」
 語尾を強めて最後の台詞を言ってから、散咲さんゆっくりと自分がいた席に戻る。
 そして、まるで私が吐露するのが既に決定したかのように、
「さて、まず相手から聞いとくか」
「……あの、えっと、ね」
 私は決して相手の強引な説得に屈したわけではない。
 散咲さんの人柄を認めて、話すに問題ないと判断したのだ。

 さっきの購買の話から昨晩のベッドの上、それからどこまで遡ったか。
 自分でも正確に覚えていない心の異常発生時期当初まで話を続けてしまった。一旦喋りだすと止まらなくなるのはよくあると思うが、事項が事項なので何を馬鹿正直に包み隠さず喋っているのだろうかと時々冷静に馬鹿らしくなってくる。ただ恐らくもっとも愚かなのはそう思いつつも延々と口を開いている私本人だ。
「……」
 私の独白を黙って聞いている散咲さんだが、この空気というか、いつもと違う雰囲気に続きを催促されている節も少しある。そうこう言う内、結局全て話してしまった。
「何かと思って聞きゃー、妹の可愛さ自慢かよ」
 それが散咲さんの第一声。
「妹って……そう言われても仕方ないかもしれないけど一応違うよ」
「とはいえ去年からいっつも一緒だったしなーてめーら。クラスは愚か部屋までだろ?」
「えぇ、入学当初からクラスも部屋も同じ」
 さらに言うと、入学前から共に過ごしていたりするが。
「女同士でよく争わずそこまで付き合えんな……ふつーいつか片方が癇癪起こしてどっちも謝んねーで終わりだぞ」
「鞠乃と私で? ……想像つかないわ」
「重症じゃねーかバーカ」
 私と鞠乃の巡り合わせが普通ではないというのも一つの要因だが、それを抜きにしてもあの子と諍いを起こすイメージが全く沸かない。二人で暮らす上で鞠乃にはお世話になりっぱなしなので日頃から感謝しているし、仮に何か言いたいことがあったとしても、彼女となら穏便に話して済ませられる。それにそもそも、鞠乃に対する不満というのが一切なかった。
「じゃあ寧ろだな。そこまで思い入れてて問題もねーのに、何ビビってんだお前は」
「……え、っと?」
「いや、だからよ。さっさとコクったり抱いちまえばいい話じゃねーの?」
「っ――!」
 あまりにも直接的な表現に息を飲む。
「ちょっと、何言って」
「藤田から断られたり拒否られんのがこえーのか? さっきも言ったが、ぶってんじゃねーぞ」
「……大体あってるけど、それ以前の問題よ」
 まるで得心が行かないといった感じの疑問顔を浮かべられる。こう言っては失礼だが、散咲さんは普通の人と感覚が少しずれているかもしれない。だからこちらが言おうとしていることにもピンと来ないのだろう。
「だってまず、私と鞠乃は……女だよ」
「……まぁな」
 そう。私の悩みの種はこの一言に尽きる。
 今まで幾度、私か鞠乃のどちらかが男であればいいと願ったことか。
 日本国内は愚か世界中のほとんどの地で、同性同士の恋愛は法的にも世間的にも認められていない。人間の性機能や子孫繁栄の面からも勿論そうだが、男性は女性と、女性は男性と付き合うのが普通、というより当たり前という常識がこの世にはある。ただでさえ法的拘束がなくとも同性でくっつくことなく異性間の恋愛が一般的だと言うに、私の思考なんて、
「こんなの、異常じゃない……」
 あってはならない異常性癖。率直に言えばこうだ。
「妙にノリノリで話しやがるから、んなこと気にもしてねーのかと思ったら」
「ノリノリでもないし気にしないわけないよ……」
「別に俺は何とも思わねーが」
 散咲さんのことだからそう言うとは思っていた。仮に今目の前にいる人が散咲さんでなくとも、女の子が好きだと告白した人に対して真っ先に気持ち悪いと言う人はあまりいないだろう。性格的に散咲さんなら正直な感想を言いそうだが、その彼女はこの通りちょっとしたことでは動じない。
 ただ私にとってこの問題は、学業不振や寮暮らしのための金資源確保などよりは確実に重大なものだ。私は女なのだから男の人を好きになるのが普通、という世間的な認識もあり、私自身理性でそれを理解しているつもりである。しかし、完全に駄目……というわけではないと思うが、男の人に興味が向く前に鞠乃へ気が行ってしまい、頭で理解していることと実際の行動が矛盾して、普通のことができないという苦しさがある。
 そして何より、私のような同性愛者が、世間からは偏見の的になっている。
 こればかりは本当にどうしようもない。少し前、私が本格的に鞠乃が気になってしまう前までは、同性愛などありえないと自分で言っていたのだ。その自分でありえないと言っていたことを、今誰がどの口開いてやっているのかと理性が叱責する。
 好きなのだからしょうがない、と心のどこかで叫びたい衝動があるのだが、そう言わせては貰えない理性と常識とが、本心と葛藤を続ける。そしていつも勝つのは、人々の目や世間体を武器に脅してくる常識陣だった。
 そしていつしか私は本心をひた隠しにする術ばかり身につけて、鞠乃を抱いて寝るときも心音を律し、愛くるしいその姿を見ていても冷静さを取り戻し、誰にバレることなく今まで過ごしてきた。
「ルームシェアしてんじゃん。その部屋だけでいちゃつく分にはぜってーバレねーんじゃね」
「……鞠乃だって、常識人だよ。私の思いを聞いた瞬間、幻滅されたり軽蔑されたりするのは嫌」
 加え、今言った恐怖もある。世間の目を忌避するのも先決だが、まず本人が私を認めてくれないとしたら何一つ始まらない。
「今あの子に拒絶されたら……死んじゃうかも」
 過ぎた表現ではあるかもしれないが、可能性としてないことはない。今の幸せで不自由ない同棲生活は、私が理性でもって感情の暴走を必死で止めているから実現できていると言えよう。
「んだけどよ、さっき自分で言ったろ? 藤田と喧嘩するなんて想像できないって」
「えぇ」
「そんぐれー信頼関係厚いんだったら、何かすんなり通りそうじゃねーか?」
 散咲さんの口から紡がれる、甘い誘惑。
「……仮に、仮にね」
 鞠乃に私の本心を打ち明けて、受け入れられたらと考えるだけで、頬が火照って自然と気持ちが浮き上がるような想像が次々に出てくる。本当に、それが実現されたなら。実際に鞠乃に認められたらどれだけ幸せなことかと、夢を見るような感じでその瞬間の感情を妄想して、何度か口を半ばまで開きかけたことがある。
「私が本当のことを……鞠乃が好きだってことを言ったとして、鞠乃も私を好きだって言ってくれたとしても、ね」
 しかしいざその言葉を言おうとして踏み切れなかったのにはしっかり理由がある。
「私だけじゃなく、鞠乃にも苦しい思いをさせちゃうだろうから」
 それは怖いというよりは、申し訳ないという罪悪感と、鞠乃を守りたいという庇護精神の方が強く働いた結論である。
 確かに鞠乃と私が両思いであって、今よりも関係が進んだとしたら……と考えるだけでますます幸せになれる自信はある。
 だがしかし、いくら鞠乃の気持ちがどうあれ、同性愛者に対する偏見、そして私のような人間の世間体がひっくり返るわけではない。片想いがバレたら気持ち悪がられるし、お互いが愛し合っていても歪められた認識を正すことはできない。あの人達がいいのだからそれでいい、ではきっと済まないだろう。ほぼ確実に、肩身の狭い思いをする。
「私は鞠乃が好きだよ。だけども、それを打ち明けることで鞠乃が不幸せになるんだったら、それは好いている人間が取るべき行動じゃないと思う。そんな自分勝手な愛情、ないわ」
 私はあの子が好きだ。だからこそ、あの子を不幸にするようなことはしたくない。自分の欲望がために鞠乃が悲しんでしまうのだったら、
「今みたいに、私一人が苦しんでいればいい」
 私が我慢すれば、それで済む話なのだ。
「だから言わないし、言えないの。そして気付いてもらえないし、気付いてもらっても駄目」
「……蓋開けりゃ姫様どころか悟りを開いた仏かよてめーは。難儀なこった」
「こればかりは仕方ないわ。どうあがいたって人の認識は変わらないし、怖いものは怖いの」
 自分が言いたいことを言い切って、幾分か心の乱れが落ち着いたような気がした。誰かに打ち明けることで決意がまた新たに固まったり、自分の今の状態を整理できたりするみたいに。
「そりゃそうだが、俺が言ったのはてめーの性格だ」
 それもつかの間、冷静になった心にズキリとくる言葉が飛んできた。
「ぶっちゃけ俺も似たようなことやってっから気持ちは分からんでもねーが、お前の自己犠牲の精神は理解できねーよ。少しばかり過ぎてんじゃねーか?」
 似たようなこと……というのを、私は事情を知っているので何を指しているか分かる。私の秘めたる思いと同様、あまり知られたくないし、知られると身の上が苦しくなるモノだ。恐らくそれのことを言っているのだろう。
「案外何とかなってる……と言ってもおめーには気休めにはならねーかもだが、そうまでして抑えつけるモンでもねーよ。もっと気軽に考えてみやがれ」
「……ありがとう。でも」
 気休めと言われて全然そんな気がしないのは、彼女の言葉を丸々自分に当てはめることができないからだろう。
 まず彼女の秘密と私の抱える問題は根本的に別問題である。加え散咲さんはもう開き直りの精神で構えているが、私の精神力では万一のケースに到底耐えきれる自信がない。
「私は大丈夫だから。頑張る、から」
 だからこう返事をするしかなかった。
 それでもぴしゃりと言い切ることができず言葉尻がしぼんでしまうのは、我ながら本当にみっともない。自信のなさ、耐えることの痛みと苦しみに限界を感じていることを自分から喋っているようなものなのに。
「俺が少しつついただけで簡単に吐くくせ大丈夫、か。言うモンだな」
 そして散咲さんは本当によく人を観察する。あっさり心を見透かされて、今さっき改めて決めた覚悟やそれを押し通すプライドが一瞬でズダボロになりそうだ。
「まぁこの話であんまいじめてもな。それに全然救いがねーのも哀れだ」
「救いって……だから私は大丈夫だって」
「ということでだ、お前、藤田が好きなのは分かったが、それだけなんだろ?」
 私の強がりを聞くつもりはもうないらしい。
 自分で強がりと認めるのも情けない話だがそんなことはどうでもいい。それより、鞠乃が好きだけれどもそれだけ、という台詞が少し癪に障った。まるで私が鞠乃を愛玩動物か何か扱いしているように言うが、そんな失礼な人間ではない。
「違うわ。鞠乃は可愛いことには可愛いけどそれだけじゃない。あの子のお陰で今の生活が成り立ってる部分がたくさんあるし、私のこと気遣ってくれて、本当に大切な子だよ。さっきは妹じゃないって言ったけれど、個人的には鞠乃のこと、妹みたいに慕ってるわ」
「……わりー。色々勘違いさせたな。それだけってのはつまりはアレだ、鞠乃が特別なだけで別に女が好きなわけじゃねーんだろ? って意味だ」
 言い切って訂正されてから、顔が上気するのが自分で分かった。
「まっ、紛らわしいっ」
「んだけ好きで何で我慢するとか言えんのか全然理解できねー」
「忘れて。お願いだから何も聞かなかったことにして」
 勘違いさせられた怒りよりも、余計な告白をしてしまったことの恥ずかしさの方が堪える。
「とりあえず、そこらの女見てムラムラするわけじゃねーんだろ?」
「少なくとも散咲さんを見てそういう感情は出ないわね。そも、鞠乃に対してだって――」
 その先を言おうとして、昨晩と昼の購買での出来事を思い出して口ごもってしまった。
「おめーホント分かりやすいな」
 穴があったら入りたいという比喩は、まさに今この私の感情を表すのだろう。
「まーそこでだ。藤田の他に男で好きな奴を作りゃー自然と離れられんじゃねーのか?」
「あぁ……」
 提案された救いの手は、初めはそれなりに納得が行く、まともに思われるものだった。
 だが、
「う、んー……?」
 その考えが私の中になかった故斬新に感じたというのもあるが、いまいちその提案には素直に頷けなかった。既に鞠乃が好きなのに、他に好きな人を作るのが何だか二股とか浮気みたいで腑に落ちない。
「そんなのってあるのかな」
「我慢してストレス溜めるよりはよっぽど健全だ。精神的にやつれらっても後味わりーわこっちが。で、誰かいねーのか」
「急に言われても」
 これまたもの凄い恥ずかしいことだが、ここずっと、鞠乃一筋だったので正直男子になんて目が行ってない。そんな中、いきなりよさそうな男子はいないのかと無理難題を言いつけられても答えられるわけがなかった。
「アテがねーわけじゃねーだろ? 今朝のあいつとかよー」
「今朝?」
「あー。藤田とお前ともう一人、一緒になって学校来てたじゃねーか」
 つまるところ正也のことだろう。
「来てたけど……何で知ってるのよ」
「そりゃずっとここにいたしなぁ」
 その台詞を聞いて驚かずにはいられなかった。私たちの登校を見ていたということはつまり朝遅刻せず学校に来ていたということである。
「その時間からずっとここにいたの?」
「まぁな。四階だし」
 全然理由になっていない散咲さんの言葉に、何故遅刻しないで来たのに授業に出なかったのかと言及する気はすっかり失せてしまった。
「正也はまぁ確かに、古い付き合いで結構本人のこと分かってるつもりだけど」
「そのせいで恋愛対象外とでも言うのか?」
 図星で何も言い返せない。正也と別れたあとの鞠乃といい、妙に今日は正也に関する話題が多い気がする。それに恋愛絡みでだ。
「そういう散咲さんは、男の人をどこで見てるのよ」
 男性に関する話題にシフトした途端、自分の中にピンとも来なくなったので、逆に参考になるような答えを求めるつもりで切り返しをしてみた。
 口汚い散咲さんの言葉には慣れたつもりだったが、半年以上振りに会話して抵抗が働いたのだろうか。あてつけのようにそう質問してから、失言だったとすぐに後悔する。
 お前には呆れたと言わんばかりの半目をしていた目つきが、どこか遠くを見るような虚ろさを滲ませて、私から視線を外した。
「男はな、コレだコレ」
 親指と人差指で輪を作り、手の甲を下にしてゆらゆらと振る。私への呆れから、自分への嘲笑へ、表情を作る目が変化したとき、相手が散咲さんとは言え流石に罪悪感が沸いた。
「あ……御免なさい」
「気にすんな。それよりよー」
 ふっ、とまた気だるげなジト目をして時計をみる散咲さん。つられて私も見たのだが、
「おめー授業大丈夫か?」
「――!」
 その時計の針が正しければ、既に午後の第一授業が始まって半分が過ぎていた。
「えっ、チャイムはっ?」
「聞こえなかったな。俺は別にいんだけどよー真面目な朝川さんは困りモンだな」
 散咲さんのことなので本当に全く気にしないし、寧ろ授業を面白く休めてよかったとか思っているのだろうが、私にとってこれは凄いショックだった。特に何の理由もないのに欠席してしまうなんて不届き極まりない。
 会話に夢中になってチャイムすら聞き逃したか。どうあれともかく教室に戻ろうとして一直線に扉に手を掛けて、
「朝川」
 後ろから呼ばれる。返事もしないで身体だけ散咲さんの方に向いて、
「苦しくなったら話に来な。俺はしばらくここに居つく」
 意訳すると授業はサボりがちになる、とおよそ褒められたものではないその台詞に、私は首を縦に振ることで感謝を伝えた。

       

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