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沢村、手から火ぃ出したってよ
沢村、手から火ぃ出したってよ

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 授業中、ふと隣を見たら沢村のやつが手から炎を出していた。
 俺は何事かと思って目を瞬いたが、どうもマジックの類ではないらしい。
「…………」
 誰がびっくりしていたかって沢村がびっくりしていた。ごくっと生唾を飲み込んであたりをきょろきょろしてきたのであわてて俺は顔を伏せた。
 どうやら誰も見ていなかったらしい。沢村が安堵のため息をついているのが聞こえた。
 そこでやめておけばいいのに沢村は机の下に両手をおろして、ぼおおおと炎を燃やし始めた。誰か音に気づいてもよさそうだが昼飯をたらふく食った後の五限に起きてるやつなどいないし、沢村の前の席にはヤンキーの田中くんが寝ているのであんまりみんなそっちを見ようとはしない。
 それにしてもいくら窓際一番うしろの席には魔物が宿るといっても手から炎を出すやつがあるか?
 俺は「むにゃ……すみません……ペンギンのギンってなんですか……?」とありそうでなさそうな寝言を言うふりをしつつ、組んだ腕の隙間から沢村の様子をうかがい続けた。
 炎は沢村の手をなめていたが、熱くはないらしい。本人にはダメージはないんだというご都合主義のあれか。
 なんていうんだっけ、手から炎を出す能力。パイロキネシス?
 とりあえずあの炎と沢村の能力を総じて「沢村キネシス」と呼ぶことにする。
 いまは炎をちろちろさせているだけだがそのうちに別の能力にも目覚めるかもしれない。甲冑を着た美少女っぽいヴィジョンを出したりとか。そんなことができた日には俺は人間をやめるかもしれない。沢村も人間をやめる瀬戸際なのかもしんない。
 最初、沢村は「おれって実はすごかったんだな……」みたいな顔で炎を眺めていたが、だんだんこの怪現象が恐ろしくなってきたらしい。ぱったり炎を出すのをやめてしまった。
 沢村は中空を眺めている。
 そしてまたちらっと机の下を見やり、ぽっと炎を出してみせた。あわてて消す。またつける。どうやら何度か繰り返しているうちに炎が出なくなってこの一件を真昼の中の夢にしようとしているらしい。現実から目を背けるのはよくない。
 俺は首をめぐらせて周囲を探索した。俺以外に沢村の異常事態に気づいているやつがいないかと改めて思ったのだ。
 すると一人見つけた。いつも俺と昼飯を食う仲の茂田だ。
 茂田は頬杖をついて大空を遠い眼で見上げているような格好をしているが、汗だくになっていた。明らかに沢村キネシスに気づいている。呼吸も荒くなっていて、隣の席の寺島さんが「なんだこいつ気持ち悪い早く死ねばいいのに」みたいな目で茂田を見ている。かわいそうな茂田。クラスで唯一の黒髪ロングでバドミントン部の寺島さんに嫌われるなんて。もう茂田の未来には寺島さんと仲良くミントンに勤しむ可能性はないのだ。
 その寺島さんは憎悪の目つきで茂田を見ているだけで沢村キネシスには気づいていないらしい。まだ少し高めだが、西日が逆光になって沢村キネシスが見えにくいのかもしれない。沢村がもっと虹色の炎とか出してくれれば寺島さんのかわいらしい悲鳴が聞けたかもしれないと思うと沢村の役立たずさにムカっ腹が立ってきた。
 こうなったら八つ当たりの一手である。そもそも沢村キネシスのせいかどうか知らないが俺の周囲の温度が上がってきた。暑い。なんで五月の末にこんな暑い思いせにゃならんのだ。
 俺はくんくんと鼻を鳴らせて、呟いた。
「なんか焦げ臭くね……?」
 それでハッとみんなが夢から覚めた。確かに炎の爆ぜる音やら匂いやらを感じる。
 沢村の顔は見えなかったが相当驚いたらしい。びくうっ!! と肩が震えるのが視界の端に映った。ざまを見るがいい、沢村よ、このままアメリカのラボに飛ばされて人体実験を受けるのが貴様の運命なのだ。それに授業中に時々炎を出されると落ち着かないし。
 みんなが一斉に沢村の方を見た。炎はとっくに消していたが、それでも「わたしが犯人です」という顔色を浮かべていれば追求は免れまい。ははは。
 ところが俺の想像とは裏腹に、みんな首をかしげながらまた前へ向き直ったり、机に突っ伏して眠り始めてしまった。なんだどうした。
 俺は沢村の方を見た。
 沢村は不機嫌そうな眼で前の席、この期に及んでまだ眠っている田中くんの背中を見ていた。
 俺は戦慄した。
 こ、こいつ田中くんのせいにしやがった……!
 なんだ沢村その「困ったなこいつ」みたいな顔は。下手人のくせによくもまァそんな人を責める目つきができたもんだなと俺は歯軋りした。かわいそうな田中くん、ヤンキーなのは姉貴で弟の彼はただ髪が金髪なだけなのに。それも姉貴とその友達に羽交い絞めにされた末の脱色なのに。
 沢村の横顔に、俺は人間の業の深さを思い知ったのだった。
 六限から、田中くんの肩書きに「ヤンキー」と「パツキン」に加えて「焦げ臭い屁をこく」という不名誉極まりない一文が増えてしまった。高校二年生の夏を前にしてこの失点は即死に近い。
「火力発電所田中、か……」
 やかましいわ茂田。





 ○




 放課後。
 俺はとりあえず茂田とバスケ部に入ってやめた横井と教室に居残り、沢村キネシスについて話し始めた。
「……というわけで、五限の異臭騒ぎは田中くんのものすげえ屁ではなく、沢村の仕業だったんだよ」
 はあああ、と横井が深々とため息をついた。どこか嬉しそうだ。
「まったく後藤は仕方のないやつだなあ、俺たちもう高二なんだぜ? そういう実は自分たちのクラスに秘められた力を持ったなんとかの生まれ変わりが! みたいなのさー小さいうちはいいけどもうどうかと思うよ? なあ茂田」
「問題は沢村が沢村キネシスをどうするつもりなのかだな」
 茂田の華麗なスルーっぷりに横井が吹いた。
「茂田!? なんで信じてんの!?」
「え、いや、だって俺も見たし」
 俺は満面の笑顔を茂田にくれてやった。
「おまえならそういってくれると思ってたよ」
「当たり前だろ」
 ピシガシグッグッ、と俺と茂田は熱い友情を交換しあった。横井は呆然としている。
「お、おまえら俺を担ぎやがって……あれだろ俺が話に加わったら笑い者にする気なんだろ?」
 俺は不思議そうな目をつくろって横井を見た。
「あれ、横井いたの?」
「おまえが呼んだんじゃねーか!!」
「そうだっけ? 覚えてないなあ」
 首を捻る俺に、茂田が深刻そうなツラを向けた。横井はハブられて押し黙る。
「で、沢村は?」
「帰ったんじゃね。あいつ部活もやってないし学校に残ってたら逆に怖いわ」
「おいおい後藤」
 茂田が顔をしかめた。
「なんで追いかけなかったんだよ。沢村が沢村キネシスを使って悪さを働くかもしれないじゃないか」
「俺は沢村をな、信じてるんだよ。これでも幼稚園からの付き合いだから」
「嘘こけ。おまえと沢村んちだいぶ遠いじゃねーか」
「それが答えだ」
 横井が箒をぶんぶん振り回しながら「あー野球やりてー」とか言い出した。話に混ぜてもらえないのでストレスがたまってきたのだろう。これだからゆとりは困る。クソでもしてろ。
「まあいきなり人間燃やしたりはしないだろ。そんなやつだったらすぐにNASAに電話して引き取ってもらうわ」と俺。
「NASAって宇宙開発のなんか偉いとこだろ、沢村は管轄外じゃねーかな」と茂田。
「じゃあ何SAだったら沢村を引き取ってくれんだよ」
「何SAでも無理だろうな。可能性があるのはSASAKIか……」
 SASAKIというのは、俺たちの通っている高校の体育教師である。熊みたいなおっさんなので新入生からは恐れられているが、実は結構気のいい人だったりする。たまにお菓子をくれる。
「佐々木教諭か……案としちゃ悪くねーな。大人を頼るっていうのは」
「せやろ」と茂田。ちなみに埼玉出身である。
「だがまあ、言っても信じてもらえんだろう。沢村も自分から進んで沢村キネシスを人に見せびらかすとは思えん」
「するってえと、沢村本人にも話は聞けそうにねーか」
「ヘタに刺激すると俺らが沢村キネシスの餌食になるかもしれん。あいつは追い詰められると机をひっくり返して泣き喚くタイプだ」
「なんだか俺、沢村のことが嫌いになりそうだ」
「そういうな茂田。なんとか助けてやろうじゃないか、クラスメイトのよしみで」
「ねー」横井が箒に顎を乗せて不服そうに言う。
「まだその小芝居続けんのー? もういこうぜー俺さー新作のドーナツが食いたいんだよー明後日までだからさー一緒いこうぜーなー」
 茂田が戦争映画を見るようなツラで横井を見た。
「いけば?」
 茂田、ちょっとキレ気味である。まあ気持ちはわからなくもない。さっきから横井は水を差す以外のことは何もしていない。そのまま傘でも差して帰れと言いたいのは俺だって同じだ。なんでこいつ呼んだんだろ。
 横井はちょっとひるんで、
「あー……あ、沢村はさ、その沢村キネシス昔からできたわけ?」
 話に乗ってきた。これ以上茂田の右拳に眠るコークスクリューを目覚めさせるのは俺にとっても得ではない。俺はボールを受けてやった。
「その線は薄いだろうな。俺が見たとき俺よりも沢村がびっくりしてたからな」
「じゃあ急に沢村キネシストになったわけか……」
 ふうーむ、と横井は口に手を当てて考え始めた。
「なんでなったんだろな?」
「沢村の三次元への絶望が未知への扉を開いてしまったのだろう」
 したり顔で茂田が言う。
「え、沢村って二次元派なの?」
「むしろこのクラスの男子で純血の三次元派はおまえしかいないよ横井」
 横井はショックを受けている。時代に取り残された哀れな男よ。
 ちょうど話題も二次元という一般教養へ入り込んだところだし、横井の腹がぐうぐう鳴るので俺たちはドーナツを食いにいくことにした。そしてそこで、俺たちは横井のあだ名を再認識することになる。
 人呼んで『当たり屋横井』。
 適当に町をぶらついただけで、なにかしらのイベント事に遭遇する体質を持つ男。
 でなければこのKY野郎を俺と茂田のパーティに組み込んだりはハナからしないのだ。
 魔よけならぬ暇よけというわけである。






 ○





 駅前には制服姿の高校生がちらほら見えた。最近、帰宅部というのは爆発的に増えているらしい。俺もそうなのであまり言えた口ではないが、吹奏楽部の演奏やバスケ部のバッシュの音が放課後になっても聞こえてこないのは少しだけ寂しい。
 俺がそんな郷愁に駆られていることも知らずに、茂田と横井は仲良くドーナツを頬張っている。茂田は食い物を食べると機嫌が一発で直るので、横井はたまにこうやって茂田に与えたストレスゲージをチャラにしている。またさらにたまに、おごっている時などはその健気さに涙が出てくる。己のKYに魅入られし哀れな男よ。
「このチョコのぬめり加減がたまんないよなー」
「もぐもぐ」
「茂田は何味が好き? 俺はねー」
「むぐむぐ」
 はたから見ると怪しい二人組である。俺はちょっと距離を開けた。そして茂田の身体で隠れていた向こう側が見えた。
 沢村が走っている。その姿はすぐに路地に吸い込まれて消えた。俺は茂田の脇を肘で小突いた。
「んあ? どうした後藤」
「沢村が走ってんのが見えた。ちょっち追っかけようぜ」
「おう」
 茂田がごくんとドーナツを飲み込んで頷いた。
「えー……走るのー?」
「うるせえ横井」
 俺たちは駆け出した。
 ひとつ路地に入ると駅前の喧騒が嘘のように消える。聞こえるのは、先をいっているらしい足跡。
 だがどうやらそれは、
「二人いるな」
「気づいたか茂田」
 俺は眼鏡のつるを中指で押し上げた。
「やりおるわ、西高の流星群(シューティングスター)よ」
「ふっ、まあな……修羅場くぐってきた数は伊達じゃねえってことよ」
 こんなことばかり言い合っているから横井がまじめな話も小芝居だと受け取ってしまうのだろう。
 たったったったった。
 俺はバテた。
「ひぐっ……うぇ……げふっ……」
 わき腹に乳酸がたまって爆発しかけている。呼吸ができない。
 じぐざぐ走行し始めた俺に横井が肩を貸してくれた。
「横井……!」
「無茶すんなよな、まったく!」
 白い歯を見せて横井が笑う。その笑顔が最高にむかついた。俺は最後の力をこめて横井にボディブローを食らわした。
「げうっ!? なんで……」
「うるせええええええ!!!!」
 ランナーズハイになった俺は茂田を追い越して路地裏の暗闇めがけて突っ走った。
「いいぞ後藤! おまえいま輝いてるよ!」
「あったりまえだろおおおおおお!!!!」
「うう……こいつら意味わかんねえ……」
 横井の嘆きを背に、俺はビルとビルの隙間、路地裏の空白地点へと飛び出した。
 飛び出して、その灰色の空き地に広がっている光景を目の当たりにし、そのまま室外機の裏へ転がりこんだ。茂田、横井も避難してくる。
 俺たちは室外機から頭三つ並べて顔を出した。
 空き地の真ん中で、沢村と少女が対峙している。



 ○



 ごくり、と茂田が生唾を飲み込んだ。
「あの女……東高の『紺碧の弾丸』じゃねーか」
「どうした茂田? 疲れてんのか?」
「違う俺の創作じゃねえ。あの女を見てわからねーか」
 俺と横井は目を細めて少女を見た。黒髪ロングに紺色のブレザー。そして、
「Eカップか……」
「Fだ、って違う! そこじゃねえ」
「じゃあどこだ、見てもわからん」
「わからないだろうな……」
 はあ?
「やつは一年のとき、つまり去年だが、東高のボクシング部の部長と付き合っていてな。で、あの部長、俺と同中の先輩なんだが、限度ってものを知らないから、付き合って三日で家に連れ込んで押し倒したらしいんだ」
 鼻息が荒くなってきた横井の口を塞ぎながら俺は先を促した。
「で?」
「先に手をかけたのが下でよかった、と言っていいのか……あの子、紅葉沢さんっていうんだが、その……」
 俺と横井は茂田の口元に耳を寄せた。
「……『もうこはん』があったらしくて、な」
「…………」
「実妹がいるせいで、ボクシング部の部長はロリを連想させるものを見ると不能になってしまうんだ。それで別れたという悲しい過去があって、翌日からあだ名が『紺碧の弾丸』になってしまったんだ……」
「ひとつ言っていいか」
 横井が糞まじめな顔で言った。
「もうこはんは弾丸によるものじゃない!」
「紅葉沢さんの心には弾痕が残ったと思うがな」
 俺たち三人はひとしきり頷きあった後、沢村と『紺碧の弾丸』さんに視線を戻した。
 沢村が何か喚いているので耳を澄ます。
「――い、いきなり襲い掛かってきやがって! なんのつもりだ!」
 おお、なんだか主人公っぽいことを言ってやがる。沢村のくせに生意気な。
 紺碧の弾丸さんは長い黒髪を手で払って、
「悪いけど、これも運命だと思ってちょうだい」
 俺は茂田のわき腹を突いて囁いた。
「あの人って子供の頃に頭でも打ったの?」
「言わせてやれよ、今しか言えないんだぜ」
 沢村が怒鳴る。
「運命!? てめえ、何か知ってやがるのか!!」
「むしろあなたが知らなすぎるのよ、第四のパイロキネシストくん……」
 第四……と聞いて俺の隣の茂田がもぞもぞし始めた。ちっ、こいつもロマンティックオカルティックに生きるモノか。
「パイロキネシス? 何を……それを言うならサイコキネシスじゃないのか!」
 馬鹿沢村、せっかくシリアスに運びそうだったのに話の腰折りやがって!
 紺碧の弾丸さんがちょっと一瞬もにょった顔になったが、咳払いひとつですべてを仕切りなおした。
「むしろあなたが知らなすぎるのよ、第四のパイロキネシストくん……」
 そこまで戻るんかい。
 沢村もちょっと「あれ?」みたいな顔になったが、こちらも咳払いで応戦。
「第四って、あんたと俺以外にもこの能力に目覚めたやつがいるのか……?」
「あなたが知る必要はないわ……これから死ぬあなたには、ね!」
「なっ!?」
 紺碧の弾丸さんの掌から青い炎弾が迸り、一直線に沢村へと襲い掛かった。沢村は中学生の頃にサッカー部で鍛えた脚力を持って横っ飛びに逃げた。こちらも掌に赤い炎をたなびかせて攻撃態勢へ移る。
「くっ……あんたがやる気だってんなら仕方ねえ! でもいつでも降参しろよな!」
「ふん、誰が降参なんてするものですか! 情けなんてかけないで!」
 おいおい立場を統一してくれよ。お互いに思いやってる感じになってるじゃねーか。
「うおおおおおお!!」
 沢村が裂帛の気合と共に炎を打ち出した。すげえ。友達が手から炎を撃ち出すのを見るのってこんな気持ちなんだ。
「なんか無駄に感動するな……」
「ああ、あの沢村がな……」
「俺、応援したくなってきたよ」
「やめろ横井、おまえはよく感情に身を任せて言わんでいいことを言うが、いま紺碧の弾丸さんに俺らの存在がバレたらわりとマジで殺されるぞ」
 沢村の炎が紺碧の弾丸さんへと向って迸る。が、紺碧の弾丸さんは手元で青い炎を小爆発させその余波に乗って回避。
「甘い……その程度で『ヤツラ』に立ち向かえると思っているの?」
「ヤツラ? ヤツラってなんだ!?」
「あなたが知る必要はない!」
 だったら匂わせるなよ。かわいいやつだぜ紺碧の弾丸さん。もうこはんつきでも俺はだいじょうぶだよ?
「くっ!」
 紺碧の弾丸さんが放った炎の爆発で沢村が吹っ飛んだ。あわやグロテスク! と思い目を覆った俺たちトリオだったが、しかし沢村は内臓をぶちまけて死んだりしなかった。ビル壁に思い切り叩きつけられて「おぐぇっ」とひどい声を出しはしたが、生きていた。
「ちっ……くしょ……なん……で」
 倒れ伏した沢村に、こつこつと紺碧の弾丸さんが近づいていく。
「ふっ……まだ回避能力が上手く使えていないようね。それからPSIシールドの張り方も本能に頼ってるだけ……それじゃあ私の敵ではないわ」
「あんたは……その力をどこで……?」
「ふふっ……おばかさん。本当はあなたもわかっているくせに」
「なん……だと?」
「心の中にいるもう一人の自分に聞いてごらんなさい。そうすれば道は開けるはずよ……でも残念ね、ここであなたは私に倒されてしまうのだから」
「く……そ……ごめんな朱音……兄ちゃん家帰れそうにねえ……や……」
 がくっと沢村の頭が地面に突っ伏した。それを見下ろし、高笑いする紺碧の弾丸さん。
「これでわかったわ! 私の能力は無敵……ふふ、ふ、これで見返してやる……私を馬鹿にしてきた世界のすべてを……」
 アハハハハハと笑い続ける紺碧の弾丸さん。
 その背後に忍び寄る影があった。
 茂田である。
 や、やめろー茂田ー! 死ぬ気かー!
 声には出さない俺と横井の制止に、茂田が振り返り、歯を見せて笑った。そしてそおっと紺碧の弾丸さんの首筋に近づくとビシッとその首筋に手刀を叩き込んだ。紺碧の弾丸さんは糸が切れたようにその場に倒れこみ、周囲に立ち込めていた青の炎も消えてしまった。
 茂田はふっと笑った。
「当身」
 いやすげーわ。当身ってすげえ。ほんとそう思う。
「で、どうするよ」
 茂田はくいっと気絶した紺碧の弾丸さんを親指で指差した。
 俺は腕を組んでいった。
「ほうっておくわけにもいくまい。沢村のことも聞きたいし」
「そうだな、じゃあとりあえず手足を縛っておくか」
 横井が紺碧の弾丸さんのほっぺたを突きながら言った。
「でもさ、目覚ましてまたあの炎出されたらやばくね? 縄とか意味ないっしょ」
「そうだな……では人質を取るとしよう」
 俺の意見に「人質?」と二人が首をかしげた。
 俺は懐から扇子を取り出してパッと開いて見せた。
「まあ見てろって。とりあえず、横井んちに運ぶぞ」



 ○



「なんで俺んちなんだよ……」
 横井がげんなりした風に言う。
「ぶつくさ言うな。俺の家は人が呼吸していい場所じゃないし、茂田の家には姉貴がいるから駄目だ」
「呼吸していい場所でないことと姉貴がいることが同列にされてるのが可哀想だよ」
「まあ、俺は姉ちゃんと暮らすかカビと生えた家に住むかだったらカビと仲良くしたいけどな……」
 茂田の顔に暗い影が差す。あの当身を学んだ経緯と何か関係があるのかもしれなかったが、俺と横井は何も聞かなかった。それが友情だと思ったから、な。
 紺碧の弾丸さんがううん、と身じろぎした。場所は横井の部屋、俺たちは三人肩を並べて横井のベッドの上にいる。
 紺碧の弾丸さんがぱちっと目を開けてむくりと起き上がった。
「こ……こは……」
「気がついたようですね」
「え……きゃあ!」
 かわいらしい悲鳴を上げて紺碧の弾丸さんが飛びのいた。目を白黒させている。
「あ、あなたたちは誰? なんなの、私はいったい……」
「落ち着いてください。俺たちはなにも怪しいものじゃありません。西高のもんです。俺は後藤、こっちのごついのが茂田、女々しいのが横井です。東高のこん……紅葉沢さんですよね? ちょっと聞きたいことがあって、あと気絶してたんで危ないから家まで連れてこさせてもらいました」
 とりあえず、それで納得してくれたらしい。紺碧の弾丸さんは正座して「そう……」と言った。
「で、聞きたいことって?」
「ずばり言うと、沢村のことです」
「沢村って?」
 ずばり言いすぎた。俺は咳払い。
「あんたがさっき闘ってた男ですよ、沢村は」
「あっ! あの闘争を見ていたの……?」
「とう……? ああ、闘争ね。ええ、見てましたよ。沢村はツレなんでね。あんまり乱暴されちゃ困りますよ」
 茂田と横井はさっきからすらすらと知らない人と喋れている俺を驚嘆のまなざしで見つめている。ちょっと心地いい。
 紺碧の弾丸さんはフンッと顔を背けた。
「能力者は生かしておけないわ」
「して、その心は?」
「は?」
 しまった。笑いで雰囲気をほぐす作戦に出るのはまだ早かったか。
「俺にはわかりませんな、同じ能力を天から賜ったもの同士、なぜ相争わなければならないのか……」
 俺が遠い目でそう言うと紺碧の弾丸さんは雰囲気の維持に満足してくれたらしい。
「わからないわ、能力を持たないものには……私たちの気持ちなんてね」
 ずいぶん楽しそうに炎をぶっ放してましたが。
「して、こん……近藤さん」
「紅葉沢です」
「失礼、紅葉沢さん。その能力はいつから?」
「一週間前よ。トイレでお昼の弁……」
 紺碧の弾丸さんが黙った。しかし、俺たちは気づいてしまった。その悲しい事実に。茂田は目を覆い、横井は唇を噛んでいる。俺は現実の切なさに首を振ることしかできなかった。
「ちょ、ちょっと! ちがうわ、あの日はたまたまプン子が休んでいて……」
「ウン子?」
 俺のエルボーが茂田を黙らせた。相手は女だぞ! 我々とは文化が違うんだ。
 幸い、紺碧の弾丸さんは自分の赤裸々なお昼情報を取り繕うことに必死である。
「あの、一年のときはそうでもなかっ、なかったんだけどクラス替えがあってどう考えても作為的としか思えなくってだってしょうがなくってバレー部と吹奏楽部しかいないクラスに帰宅部が一人ぽつんといたって何ができる? ねえ何ができる?」
「わかります、わかりますよこん……ぺきの弾丸さん」
「そ、その名前で呼ぶな!」
 紺碧の弾丸さんの怒りによってか、壁にかけられていた横井の家族写真が燃え始めた。
「うわああああ!!! 熱海にいった五歳の俺の思い出があああああ!!!」
 横井は涙目になってぱんぱん写真を叩いて火を消そうと空しく努力している。馬鹿が。
 俺はため息をついた。
「で、こん……ぺきの弾丸さん」
「いい度胸してるわね」
「すいません。紅葉沢さん。それであの日に何が? まさか宇宙人に脳みそをいじくられたら発火能力を得たなんて言わないでしょうね」
「ある意味では……そうと言えるかもしれないわね」
 ふっと紺碧の弾丸さんが遠い目をして横を向いた。
「だって私は、何も覚えていないのだから……」
「ひょっとして」
 俺は身を乗り出した。
「トイレで一人飯をしている時に急に手から火が出たのでは!」
 紺碧の弾丸さんが息を呑んだ。
「な、なんで知ってるの!?」
 図星か。この調子じゃ『ヤツラ』とか『第四のパイロキネシスト』も創作だなたぶん。
「実は沢村のやつもね、急に手から火が出るようになってしまったらしいんですよ。特になんの理由もなくね」
「そう……彼も……」
「だからね紺碧の弾丸さん」
「殺すわよ」
「紺碧の弾丸さん」
「こ、こいつ……!」
「紺碧の弾丸さん! いいですか、悪いこた言いません、沢村にちょっかい出すのはやめてもらえますか。超能力を得てテンション上がる気持ちもわかりますけど、さすがに殺しはまずいですよ。燃やすなら自分の黒歴史ノートでも灰にしててください」
 紺碧の弾丸さんが立ち上がった。
「な、なんで知ってるの、私の根源記録手帳(アカシックレコーディングノート)の存在を!?」
「誰から聞いたわけでもありません、むしろあなたに聞いたようなもんです」
 そんだけ痛い言動繰り返してりゃあそういう物証の一つや二つはあるだろ、普通。
「ですから、ね、紺碧の弾丸さん。ここはお互い引きましょうや。うちらも紺碧の弾丸さんをNASAに売り渡したりしませんし、そっちも沢村のことは金輪際忘れる。それでいいでしょう」
 紺碧の弾丸さんはぷいっとそっぽを向いた。
「嫌よ」
「どうして!」
「同じ能力者を倒さないと逆襲されるんじゃないかと思ってオチオチ夜も眠れないわ。確かに私が先に彼の能力に気づいて仕掛けた喧嘩だけど、一度始めてしまった以上、彼も私を追ってくる。殺し合いは避けられないわ」
 言われてみれば確かに。いくら沢村がトライデント(国数英3つすべて赤点)の馬鹿とはいえ、自分を殺しにきた女ぐらい覚えているだろうし、見かければ先手を打つ可能性がないとは言えない。いや、超能力なんていう馬鹿げたものを得てしまった以上、もはや沢村の精神がいつ崩壊しないという保証はないのだ。
「仕方ない、交渉は決裂ですね」
「ふん、あなたたちノーマルと交渉なんて、最初から成り立ちはしなかったのよ」
「ですね。ふむ、これだけは使いたくなかったんですが……」
 俺はブレザーの懐に手を突っ込んだ。瞬間、紺碧の弾丸さんの髪が逆立った。
「銃!? くっ、高校生だと思って油断した! ベレッタ!? それともグロック!? まさかワルサーじゃないでしょうね……!」
「ふっ、もっと恐ろしいものですよ」
 俺は懐から秘密兵器を取り出した。
 白い生地に熊さんの絵柄。
 パンツである。
「――――わたっ、私のパンツ!?」
 紺碧の弾丸さんがスカートの中に手を突っ込んで顔を真っ赤にした。わなわなと震えながら、
「コロス! ゼッタイニブチコロス!」
「落ち着いてください。作り物みたいになってますよ」
「いつの間に……!」
「苦労したんですよ、これでも。中見ないように横井が縁日の景品で取ったマジックハンドを使って脱がせて……気絶してるときに紺碧の弾丸さん寝相悪いから何度もスカートめくれちゃって……直視せずにスカート直した俺たちの努力と誠実さのことも考えてくださいよ」
「最初から脱がさなきゃいいでしょ!!」
「いや、だってこれないと紺碧さん帰れないでしょ。つまり人質ならぬパン質ってことですわ。あっはっは」
「あっはっは、じゃない! 返せ!!」
「返しますよ。ただ約束してください。もう二度と沢村には手を出さないと。それさえ誓っていただけたらこの熊さんは無事にお返しします」
「ぐっ……卑怯な……」
「ちなみに俺たちを殺しても駄目ですよ。俺たちが死んだら開いてくれと頼んだ熊パン姿の紺碧さんの写メを信頼できる人間に送信してありますから」
「なんてことを……」
「何も奴隷にしようってんじゃありません、ただもうふざけた超能力戦争ごっこはやめにしよう。こう言ってるだけなんですよ」
 紺碧の弾丸さんは長い間黙っていた。飽きてテレビの電源をつけようとする横井を茂田が二度ぶん殴った。そうしてようやく、紺碧の弾丸さんは頷いた。
「わかったわ。沢村くんにはもう手を出さない」
「誓えますか、大いなる闇の化身ベルゼ・ゴールさまに」
「そんなのいない」
「すみません」
 はあ、と紺碧の弾丸さんはため息をついた。
「なんでもいいわ、神様だろうと天使だろうと。誓ってあげる。これでいい?」
「ええ、ありがとうございます。揉め事にならずに済んで嬉しいです」
「まったくやれやれだわ。とんだ一日になってしまった」
 紺碧の弾丸さんは立ち上がって、長い髪をふぁさっと手で流した。
「まあ、正直、私もこの能力には戸惑ってるの。沢村くんを通じて何か分かったりしたら……教えてくれない?」
「もちろんいいですとも」
「そう。ありがとう。後藤くん……だったかしら?」
「覚えてもらって嬉しいですよ、紅葉沢さん」
「もう紺碧の弾丸でいいわよ」
 くすっと笑って、
「じゃあ、私はこれで。妙な話だけれど、楽しかったわ、あなたとの駆け引き。――また会いましょう、運命がそれを望むなら」
 そう言って、紺碧の弾丸さん――いや紅葉沢さんは横井んちから去っていった。その後ろ姿は颯爽としていて、男の俺でも憧れてしまうほどに格好よかった。
「いっちまったな……」
「ああ……」
「茂田ー、もうテレビつけていい?」
「いいぞ横井」
「やたっ!」
「しっかしまあ」
 俺と茂田は、深々とため息をついて、天井を仰いだ。
「まさか置いていくとはな……」
 俺の手には、まだほかほかしたぬくもりの残った熊さんパンツが握られていた。



 ちなみに、沢村は騒ぎを聞きつけたホームレスのおじさんに見つけられて、救急車を呼んでもらって病院に搬送されたらしい。翌日になってそのニュースを聞いて俺たち三人はようやく、あの場に沢村を置き去りにしたことに気づいたのだった。
 置き去りにしたのが沢村でなければ大惨事になっていたかもしれない、と反省する今日この頃である。





『登場人物紹介』


 後藤……語り部『俺』。眼鏡。

 茂田……友達その1。横井がちょっと嫌い

 横井……友達その2。ちょっとうざい

 沢村……手から火を出した。

 紺碧の弾丸さんのフラれた理由……もうこはん





「で、沢村は?」
 俺が聞くと横井はスラムダンクをめくりながら、
「検査入院するらしいよ。なんでも頭にこぶができてたから念のためだって」
「頭打ったのか。そりゃ大変だな。なんか後腐れが残ったら紺碧さんも気まずいだろうし早く治って欲しいもんだ」
 あれから紺碧さんからの連絡はない。メルアドも交換しないで別れてしまったので無理もないのだが。まァ何か用があれば横井んちに来るだろうし。
 例のパンツは横井が洗って、今朝干したらしい。今日は晴れているのでよく乾くだろう。それにしても横井の家族は息子の奇行をどう捉えているんだろう。
「なんだったんだろーねー昨日の」
 ぺらり、と横井がページをめくる。茂田は隣のクラスに遊びにいっていて今はいない。
「結局、沢村キネシスってなんだったの?」
「そもそも沢村とはなんだったんだろうな」
「沢村はあれだよ、あれ、あのー……コンビニ弁当のハンバーグの上に乗ってるラップ」
「おいそれすげー重要なやつじゃねーか」
「えっ! あれ重要なの?」
「あれねーと汁が飛び散って添え物のコロッケが大変なことになるんだよ。知らなかったのか?」
「ほんとかよ?」
「いま考えた。でもたぶん合ってる」
 どうでもいいが、我がことながらなんとも寂しい話題である。何が悲しくてこんな毒にも薬にもならんネタを横井とキャッチボールしなきゃならんのか。
 俺が切なさを噛み締めながら天井を見上げていると、ひとりの女子がこっちに来た。剣道部でクラス委員長の酒井さんである。
「あ、酒井さんだー」
 横井がうれしそうな顔で漫画を閉じた。俺は横井の影に隠れた。べつに酒井さんが苦手というわけでなく、俺と茂田と横井三人組の中で女子との外交をつかさどっているのが横井なので手を引いたまでだ。たまには活躍させてやらないとな。
 酒井さんは「うぃっすー」と男子みたいな挨拶をして、俺たちのそばの椅子に座った。
「ねえ、もう聞いた? 沢村が通り魔に襲われたって?」
「聞いた聞いた。こぶ作ったんでしょこぶ」
「そうそう、こぶこぶ」
 酒井さんと横井は幸せそうに自分の額を撫でてこぶこぶ言っている。なんだこの空間?
「そんでね、天ヶ峰がね、今日お見舞いにいこうかって話してるんだけど、横やんとゴトーくんも一緒にいかない?」
「えっ……て、天ヶ峰さんもいくの? あーはっは……」
 横井の顔が引きつっている。気持ちは痛いほどわかる。
 天ヶ峰美里。
 この名前を知らない西高生はいないだろう。
 今でこそ手芸部になど入って人間ヅラしているが、昔はここいら一帯の小学生ギャングのボスだった女である。シマシマのTシャツに野球帽を被った子供を見たら通報するのが常識だった時代だ。なぜシマシマのTシャツをギャング団のメンバーが揃って着ていたかといえば、その模様を見ると目が錯覚して腕のリーチを捉え損ねるからという幕末もびっくりの事情からである。
 十二歳以下のギャング団の抗争は三年と一夏続いた。
 数え切れないほどの割られたガラスと盗まれた原チャリの上に今日の平和があるのだ。
 そしてそういう暗黒時代がこの地柱町にもあったのだという生きたあかしが天ヶ峰美里である。俺も十歳の頃に胸倉を掴まれて吊るし上げられた記憶があるのでできれば会いたくない。沢村の手から出る炎なんかよりもよほど恐ろしい存在である。
 だが酒井さんに両手を合わせて頼まれると断りにくいのも事実。一年の頃、財布を忘れた俺に購買の焼きそばパンをおごってくれた酒井さんの天使のような微笑を俺は忘れることがまだできない、
「ね? せっかく天ヶ峰が言い出したことだし、ここはあの子の社会復帰を助けると思って」
「あれだけ見かけ上は普通なのにそんな言い草されてる以上は諦めた方がいいと思うけど……」
 よく言った横井。たまには正しいことを言う。
「そこをなんとか! 沢村くんのことも心配だしさ」
「でも沢村だしなあ……」
「ちょっと顔出すだけでいいから。ね? 急に首絞められたりはもうないはずだから」
「うーん……」
「ゴトーくんもさ、だめ?」
 酒井さんがうるっとした目で見てくる。くう。これだからそばかす美少女は困る。
 横井も折れたらしい。ここで酒井さんとの交友関係にヒビを残すぐらいなら数時間の苦痛は我慢してもいいと決断したのだろう。
「おっけー、じゃあ放課後一緒に 病院いくよ」
「そう? ありがとう、助かったよ! じゃ、またね」
 ちょうどよくチャイムが鳴り、酒井さんが席へと戻っていった。戦死者続出の五限がまた始まる。
「ちっ、厄介なことになったぜ。沢村のせいだ」
「まあまあ、酒井さんの平和のためだと思おうぜ」
「むう……」
「それよか、茂田が戻ってきてないな。あいつも道連れにしなきゃ」
 俺は無言で携帯を開き、画面を横井に見せてやった。
 メールが来ている。差出人は茂田。
『帰ります』
「あんの野郎……!!」
 俺は携帯をしまって天を仰いだ。
「茂田と天ヶ峰は因縁の仲だからな。ヘタに近づけると共鳴反応を起こして何もかもが灰燼に帰すかもしれん。これでよかったのだ……」
「いまほど茂田の当身が恋しいと思ったことはないよ……」
 同感である。


 ○



 天ヶ峰は開口一番こう言った。
「沢村って何色が好きなの?」
 俺と横井は顔を見合わせた。
 天ヶ峰は傍から見れば、ちょっとぼさぼさのロングウルフヘアという好戦的な頭を除けば、どこにでもいるモブ女子高生である。いまは茶色い紙袋を抱えていて、どうもそれが見舞いの品らしい。
「さあ……何色でもいいんじゃないですか?」
「なんで敬語? もぉー後藤とあたしの仲じゃん? そういうのいいって!」
「そういうのいいんで」
「ふぇ……?」
 俺の返しに天ヶ峰は脳が反応できなかったらしい。小首を傾げている。たまにこいつを小動物でかわいいなどと言い出すやからがいるが、それはこの小首を傾げた状態から左フックをテンプルに食らったことのないやつの言い分だ。ふざけやがってあん時マジで意識飛んだかんな。
「で、色って?」
「ああ、借用書の色どれがいいかなって……」
「借用書……?」
「うん」
 天ヶ峰は笑顔で紙袋の中を見せてきた。色とりどりの借用書には、
「十五万って……高校生の借りる額じゃないよ」
「うん。最初は五千円だったんだけど、月日が経って」
 利子かよ。
 俺と横井はごくりと生唾を飲み込んだ。
 ってことはこの借用書も本人と作ったわけじゃないのか。この調子だと利子についても一方的にほざいているだけの可能性もあるな……どう考えても違法だが天ヶ峰の半径二十メートル以内で万国公法は通用しない。
「ふふっ、沢村、喜んでくれるかな」
「どこを押したらそんなセリフが出てくるんだ?」
「えっ? だってあたしのためにお金を出せるんだよ。幸せってそういうことだと思う……」
 横井が俺にしがみついてきた。ええい離せ、俺にどうにかできると思うてか。
 天ヶ峰は軽快なステップで歩いていった。一歩一歩が沢村の十五万の消えていく音であると思うと胸にこみ上げてくるものがあった。手から炎出たり黒髪ロングの厨二病にボコられたり、いわれのない借金したり、思えば哀れなやつである。
(それにしても後藤、ひでえよな酒井さん。天ヶ峰だけよこして自分は部活でドロンかよ)
(仕方ねえ、最初からそういう筋書きだったんだ。そもそもおまえが女子とそこそこ喋れたりするからこういうことになる)
(俺のせい!?)
 アイコンタクトで俺たちは意思を交し合っていたが、最終的にはにらみ合いになった。んだコラやんのか横井コラああ?
「そういえばさ」
 くるりと天ヶ峰が振り向いた。
「沢村が手から炎出したってほんと?」
「いやいやいや。どこ情報だよ。なにそれ怖い」
「でも茂田が」
 茂田ァァァァァァァァァ!!! あいつ何考えてんだ。面白半分に状況をメールでかき回しやがったな! これだから男子高校生は信用できない。
「えっと……」
 俺は横井を見た。
(えっ俺?)
(頼む)
(無理無理無理。イエスでもノーでも関わっただけで嫌なことになる予感しかしないよ!)
(そこをなんとか)
 アイコンタクトで俺たちは責任をなすりつけあう。
 気づけ横井。俺は、おまえに犠牲になってくれって言っているんだ!
「ねえー二人で何目配せしてるの? ひょっとしてマジなの?」
 天ヶ峰がにこにこしながら言う。それにしてもこいつさっきから後ろ向きに歩いているが巧みにステップして対抗してくる自転車や人を避けている。うっかりしていると忘れがちだがやはりこいつは人間とは程遠いモノだ。
 仕方ない。いずれバレることだ。俺は打ち明けることにした。
「実は、こないだ授業中にさ、焦げ臭いにおいしたじゃんか」
「あ、田中くんでしょ? もーほんっと最悪だったよ。あたし席そばじゃん? 殺そうかと思ったよー」
「……。あん時な、ほんとは田中くんじゃなかったんだよ」
「え? そうなの?」
「ほんとは沢村が手から火ぃ出してさ、そのにおい」
「へえー……そうだったんだあ」
 素直に感心する天ヶ峰。
「なんていうんだっけ、そういうの、パイロキネシス?」
「よく知ってるな。それだよ」
「へへへ、化学の森が前に教えてくれたんだ」
「森はいいやつだけど化学には向いてねーな」
 トンデモ科学用語を生徒に教えるなよ。よくない病気を発症したらどうする気だ森よ。
「でも手から火ぃ出せるとかワクワクするよね。あいつは気になる転校生? みたいな

「沢村は転校生じゃない」と俺。
「沢村が美少女だったらなあ」と横井。それはどうかと思う。
「実際、どんぐらい火力出せるの?」
 天ヶ峰は沢村に興味津々らしい。
「わからん。ただ同じ能力者と交戦した時は負けてた」
「え、もうそんなイベントクリアしてんの? やるな沢村……」
 イベントってなんだ。こいつ信じてんのか信じてないのかどっちだ?
「とりあえず他の能力者と出くわしたんなら、そろそろ世界観の説明が入る頃だね」
「おまえは何を言っているんだ」
「だって、わけもわかんないまま闘ってたって面白くないじゃん? 敵をはっきりさせとかないと。秘密結社とか闇の組織とか」
 その場でスナッピーなジャブを二、三発放つ天ヶ峰。拳圧で横井の前髪がふわっと浮いた。横井は青ざめている。
「テレビの見過ぎだ天ヶ峰。いくらなんでもそんなトンデモ展開あってたまるか」
「そうかなー。ないかなー、秘密結社」
「あっても沢村の手がライター代わりになることに金出してくれるパトロンがいねーよ」
「えー……」
 不満そうな顔をされても困る。なんだその「おまえ話わかんないやつだな」みたいな顔は。俺か? 俺が神なのか? 違うわボケ。
「それじゃ、とりあえず今日は能力を見せてもらうだけにしとこっかな」
「いや、それはやめといてやってくれないか天ヶ峰」
「なんで?」
 天ヶ峰はきょとんとして俺を見上げてきた。俺はこほんと咳払いして、
「沢村は俺らにバレてねーと思ってんだよ。いきなり手から火ぃ出るようになってあいつもテンパってるだろうし、もうちょっと様子を見てあいつが自分から言い出した時に暖かく迎え入れようと俺たちは思、」
 ぎゅっ。
 天ヶ峰が俺の腕を掴んでいた。ぎりぎりと。痛い痛い痛い。
 笑顔で俺に言う、
「や・だ」
「はい……」
 そうだった。こいつがそんな殊勝に、「人の気持ちを考える」とか「相手を思いやる」とか、そういうことをするはずがないのだった。見たいものは見る、欲しいものは取る。それがこの怪物の思考回路である。日本語を喋っているのは擬態に他ならない。
 楽しみを見つけて一気に機嫌がよくなった天ヶ峰は俺と腕を組んだまま解こうとしない。非常に迷惑である。横井は役に立たないし、周囲からの視線が針のように痛い。
 伊澄西小の愛死苦(アイシクル)、それはもうかつて現場にいた人間たちの間でしか通じないいにしえの異名だ。それでもその愛死苦と腕組んで町を歩いてたなんてことが身内にバレたら切腹しても死に切れない。それならいっそ横井とも手を組んで何もかも混沌とさせた方がマシだったが、横井は俺から二メートル離れたところを俯いて歩いている。
 まァいい。いなくならないだけ茂田よりはマシだ。



 ○


 伊澄総合病院についた。
「懐かしいな……昔はここがよく戦場になったもんだ」
「そうだね……回復したてのチームメンバーを回収に来たり、逆に息を吹き返した幹部クラスをもう一度ICUにぶちこんだり」
 郷愁に駆られる俺と天ヶ峰を遠くから見て横井がため息をついた。
「なんだその思い出……おまえらいったいどんな小学校時代を送ってたんだよ」
「中学から引っ越してきた温室育ちは黙ってろよ」
「そうだよ、血の赤さも知らないくせに!」
「知らなくてよかったわ……おまえら目が荒んでるもん」
 エントランス脇の駐車場に留めてあった高級車のミラーを見ると確かに俺たち二人は人殺しの目をしていた。が、俺は当時メッセンジャーをやっていたのでそれほど前線にはいなかった。それでもこの目つきか……
 天ヶ峰がぽんぽんと馴れ馴れしく肩を叩いてきた。
「勲章だよ、後藤」
「うるせえ」
 余計なお世話である。
 俺たちは病院に入った。受付で沢村の病室を聞くと六階だった。
「案外すんなり教えてくれるもんだな」と俺。
「ね。でも受付には鉄格子がまだハマってたけど。もう病院戦なんてやらないのにねー病院に逃げ込む前に足潰しておくのセオリーだし」と天ヶ峰。
 横井が頭を抱えた。
「もうやだこの町……」
「元気出せよ」
「おまえらのせいだよ!!」
「もー、横井うるさいよ? ここ白ビルなんだから静かにしなよ」
「白ビル……? やだ、その言い方がすでに怖い……」
 横井はなにやら怯えているが少なくとも俺は手から炎を出したりはしないのでビビられるのは心外である。天ヶ峰に関しては口から火を噴いても少しも不思議じゃないが。
 俺たちはエレベーターに乗って六階まで上がった。
「この浮遊感がたまんないよねえ」
 扉が開くと天ヶ峰が真っ先に飛び出していった。きょろきょろしている。そんなに金が欲しいのか。いや、沢村キネシスが見たいのか。
「ねー病室ってこっちだよね」
「ああ」
 俺たちは連れ立って廊下をいく。
 横井が俺の肩を突いてきた。
「あん?」
「沢村さ、天ヶ峰の顔見たらなんて言うかな」
「なにも言えないだろうな」
「かわいそうに……俺、気が重いよ」
「仕方ない、やつに目をつけられた方が悪い」
「うかつに入院もできないのか……世知辛いな……」
 俺と横井は顔を向け合って俯いた。
 すると、前方から口論する声が聞こえた。天ヶ峰の声だ。
「ちょっと待って、面会謝絶ってどういうこと? そんなの受付で言われてないよ? しかも今自分で謝絶の札出したよね。そういうこと勝手にしていいの?」
 天ヶ峰の前、沢村の入院している個室605号室を通せんぼするように、スーツ姿の女性が立っていた。べっこうぶちの赤い眼鏡をかけている。
「あなたには関係ないことよ。沢村くんは疲れているの。今日は……いえ、もうここへは来なくていいわ」
 女性の高圧的な態度は俺でも少々腹に据えかねた。けど美人だからすぐに許した。美人じゃしょうがねえな。
 俺は天ヶ峰の肩を叩き、
「仕方ない、天ヶ峰、今日のところは引き下が」
 ごきっ。
「ギャァァァァァ俺の腕がァァァァァ!!」
「後藤ォ――ッ!」
 横井が駆け寄ってくる。
 くそっ、頭に血が上っている人間にうかつにさわったのが間違いだったぜ。
 俺は気息を充実させて痛みに耐えた。
 天ヶ峰は俺の腕をねじった姿勢のまま、女性をにらみつけた。
「カチンときてるんですけど」
「あら、ごめんね。でももう子供じゃないんだからわかるでしょ? 世の中には事情ってものがあるのよ」
「ふうん――子供、ね。そういう割にあんたもまだ大学出立ての歳なんだね」
「えっ……なっ!?」
 女性が驚いたのも無理はない。天ヶ峰はいつの間にか、何かの身分証明書らしきものを指でつまんでしげしげと眺めていた。いまの一瞬で女性からスッたらしい。
「いつの間に……まさかあなたもサイキックを……?」
「さあ、どうだろね、国家異能特別監察局局員の犬飼今宵さんなら……わかるんじゃない?」
 天ヶ峰はにやにやしながら身分証を女性――犬飼さんに投げ返した。犬飼さんはぎっと歯を食いしばったが、大人の女性らしく、呼吸ひとつで冷静さを取り戻した。
「ここじゃ都合が悪いわ。屋上へいきましょう」





『登場人物紹介』



 天ヶ峰美里……伊澄西小の『愛死苦(アイシクル)』。元いじめられっ子。圧倒的な戦闘力を誇る。


 犬飼今宵……国家異能特別観察局局員。


 茂田……逃げた。






「にしても天ヶ峰のやついつの間に身分証を……全然見えなかった」
「やつの動きは見るものじゃないよ横井。感じるものなのさ」
「え、なにその古い映画みたいなセリフ」
 横井の返しが気に食わなかったので俺は無視することにした。
 屋上へ出ると、ぶわっと風が吹いていて思わず目を覆った。天ヶ峰と犬飼さんという名前らしい女性はほこりっぽいビル風などモノともせずに突き進み、向かい合った。
「あなたたちは沢村くんの友達、ってわけね。心配してお見舞いに来たのだろうけれど、タイミングが悪かったわね。まさかこの私と出くわすなんて」
 正しくはクラスメイト二名と債権者一名である。
「国家……国家なんとか局のなんとかって人がわざわざ来てるってことは、やっぱり沢村には何か特別な力があるのね」
「犬飼です」
「犬飼……?」
 天ヶ峰は小首を傾げた。こいつもう相手の名前を忘れてやがる。これだから脳筋は困る。
「で、えーと、犬飼さん。こんなところへ呼び出してくれちゃって、わたしたちに何を話してくれるのかな?」
 ばきばきと拳を鳴らす天ヶ峰。
 犬飼さんは眼鏡のつるを押し上げながらふっと笑った。
「そうね……私たちは政府から派遣された超能力者を調査する機関の者よ。沢村くんには発火能力が顕現したという情報があって、話を聞きにきたの」
「だまされないよ。話を聞くだけとか言って、沢村をバラバラにしたりホルマリン漬けにしたりするんでしょう! そんなことされちゃたまらないよ!」
 横井が俺の脇を突いてきた。
「天ヶ峰、ひょっとしてまさかの正義に燃えてるのかな?」
「いや、違うな。やつはただ金が欲しいだけだ」
「…………」
 犬飼さんはやれやれと首を振った。
「信じてもらえないようね。いまのところは本当なのだけれど。仕方ない……どの道、政府が超常の力を認識していることを国民にバレるわけにはいかないの」
「その心は?」
 犬飼さんは右手を掲げた。しゅっと音がして、袖の下に仕掛けられたギミックが作動したのだろう、右手にはグロックが一瞬で握られていた。
「死んでもらうわ」
 シャレではなさそうである。
 天ヶ峰は両拳を上げてボクシングのオーソドックススタイルを取った。右拳は顎の前、左拳は少し前に突き出している。ジャブのためらしい。
 それを見て犬飼さんはぷっと吹き出した。
「何、その構えは? まさか拳銃相手に拳でどうにかしようなんて言う気じゃないでしょうね」
 天ヶ峰はにやにや笑って、トーントーンとステップを踏み始めた。よくもまァローファーであんな器用に動き回れるものである。
 しかし拳銃はさすがにやばい。俺は横井の袖を引いた。
「な、何?」
 横井はテンパっている。
「伏せろよ。流れ弾に当たりたくないだろ」
「あ、ああ……」
 横井と俺は腹ばいになって横たわった。天ヶ峰のスカートが風に翻って中身を露呈しそうで胃のあたりがむかむかしてくるがわがままは言えまい。
 横井は思い出したように言った。
「なあ、逃げた方がよくね……? 天ヶ峰には悪いけど……」
「逃げたことがバレたらどうなる」
「それはそうだけど流れ弾も怖いし……」
「大丈夫だって。よく考えろよ、犬飼さんはまず一番戦闘能力の高そうな天ヶ峰を狙うだろう。人を撃つときは胴体か頭を狙うはずだ。つまり、天ヶ峰の膝から下にいれば俺たちに流れ弾は当たらない。射線から逸れているからだ」
「なるほど……」
 横井は納得しかけたが、あっと何か思いついたような顔をして続けた。
「でも乱戦になったら? めちゃ撃ちされたら俺たちにも当たるかもしれないじゃん」
「乱戦にはならない。天ヶ峰は取っ組み合いなんて品のないことはしない。必ず射程距離圏内からの拳でKOして終わらせるはずだ」
「……KOできなかったら?」
「ああ? おまえ何言って……」とそこまで言って俺は気づいた。
 確かに白兵戦なら、拳が当たりさえすれば天ヶ峰は負けないだろう。それは実際にテンプルを撃ち抜かれた俺がよく知っている。あの拳の破壊力は人体の耐久力を超えている。
 だが、天ヶ峰といえども実銃相手の勝負は初めてだ。当たり前だ、あいつはただの女子高生なんだから。
 射程距離圏内に入る前に撃ち殺されれば拳が届くも糞もなかった。
 俺は腹ばいになったまま、ずりずりと後ろに下がった。横井もあわててそうした。
 覚悟を決めて、逃げる算段をしておく必要がありそうだった。



 犬飼さんは拳銃を構えて、よく狙いをつけていた。ひょっとすると実際に撃ったことはないのかもしれない。
「フンフンフン♪」
 鼻歌まじりに、左右へステップを踏み射線から巧みに逃げる天ヶ峰。しかし実際には少しずつ距離を詰めている。常に肩を動かしているのは一見無駄に見えるが、実際のモーションに入った時に相手の反応を鈍らせておくためだろう。遅効性のフェイントというやつだ。
 勝負は一瞬でつくだろう、と俺はアタリをつけた。射殺かKOか。
「何かやってるの、その構え」
 と、犬飼さんが喋りかけた。さっきまでの余裕が少し消えている。天ヶ峰の流れるような動きに狙いが定められずにいるからだろう。
 天ヶ峰はにぱっと笑って、
「べつに。強いて言うなら独学」
「独学にしては……うちのSP並に迫力のある動きね」
「あはっ、ありがとう。このあたりって治安悪いからさあ、女子高生やっていくのもタイヘンなんだよね」
「異常ね……そんな女子高生聞いたことないわ」
「じゃあ覚えておいてよ。あたしが、その異常な女子高生です」
「!」
 天ヶ峰が動いた。打ち放しのコンクリートを砕かんばかりのダッシュ。ウルフカットが風に巻かれて逆立ち瞬速の拳が飛んだ。
「死ね!」
 ダンッ!
 銃声と共に犬飼さんの銃が跳ね上がった。だが、
「!?」
 天ヶ峰は倒れない。なぜなのか犬飼さんには最後までわからなかっただろう。弾丸が当たらなかった理由。――天ヶ峰はこの土壇場で右構えから左構えへクイックシフトしていたのだ。一番狙いやすい左胴体が引いて右胴体が前へ出ている体勢。それで本来は心臓を撃ち抜くはずだった弾丸が二の腕をかすめて飛んでいってしまったのだ。
「このッ――!!」
 犬飼さんは二発目を撃とうとしたが、間に合わなかった。その前に天ヶ峰の右拳が逆袈裟に銃身をぶん殴り、拳銃を大空へ舞い上がらせていた。天ヶ峰はダン、と足をその場について、
「勝負あり、だね」
 言い放った。
 強い。なんだこの人。改めて人間じゃねーなあいつ。
「くっ……」
 犬飼さんは痛めた手を抱えて後ずさった。
「ば、化け物め……もしかしてあなたもやはり、何かサイキックを……?」
「ええっ? そ、そうなの……?」
 おまえが聞いてどうする。
 自分の両手を見つめて神妙なツラをし始めた天ヶ峰が、どうやら素で強いただの一般人なのだと認識したのだろう、犬飼さんは自説を引っ込めた。
「いいわ……今日のところは私の負けね。おとなしく引き下がることにするわ。第一、たかだか女子高生が政府の超能力機関について喚いたところで誰も信じたりはしないし」
「じゃあ撃ってきたりしないでよ! 弾丸避けるのめっちゃ怖かったんだから!」
「念のため、よ。……それほど重要な案件ということ。あなたたちはそれに関わってしまった。後悔しないことね……へぶしゃっ」
 犬飼さんは最後にくしゃみをして、どやっとした顔をした。しまらない人だなあ。
「ふふふ」
 天ヶ峰が悪魔のように笑う。
「逃げられると思ってるの? 捕虜はね、情報をもぎ取られるためにいるんだよ?」
「あなたこそ逃げ切れると思っているのかしら……運命の輪から、ね……」
「運命……?」
 その時、バラバラバラと轟音を立ててヘリコプターが飛んできて太陽光を遮った。一瞬の曇りに囚われた俺たちを残して、犬飼さんが降りてきた縄梯子に捕まり飛び去っていく。
「しかるべき時が来るまで……沢村くんは預けておくわ! せいぜい、大切にしてあげることね」
 病院上空から立ち去ろうとするヘリコプター。どうでもいいが騒音とか大丈夫なのだろうか。
 風でデコ丸出しになった横井が轟音に負けないように叫んだ。
「たい――ったな!!」
「ああ――? なん――だ――ぇ?」
 横井は思い切り息を吸い込んで、
「大変なあ――事にい――なったなあ!!」
「ああ――そ――なぁ――!!」
 どうでもいいが、今のやり取りで耳が遠くなった時のことを想像して鬱になった。若い時代は大切にしようっと。
 俺と横井は立ち上がり、天ヶ峰に駆け寄ろうとした。ヘリコプターは今まさに大都会の海原へと飛び去ろうとしていたし、今日の一件はさすがにこれで終わりだろうと俺も思っていたのだ。だが違った。天ヶ峰美里にそんな惰弱さは皆無だった。
 ダンッ!
 なんのための踏み込みなのか理解に苦しむ猛ダッシュ。天ヶ峰はそれで弾丸のような加速を膝から受け取りフェンスへと突撃。緑色の網目の直前でまた下方へ踏み込み。地面へダッシュの力をぶつければそれは猛烈なジャンプとなり、天ヶ峰は文字通り跳ねた。金網の構造を見なくても理解しているとしか思えない速度で爪先を突っ込んでは蹴りあがっていく。隣で横井の顎が落ちる音がした。俺の顎も落ちていたと思う。
「勝負はまだ――ついてな――いッ!!」
 相手ヘリコなんですけど。
 天ヶ峰は鬨の声を上げて金網のてっぺんから飛んだ。白ビル八階、転落すれば即死は免れないその高位へためらうことなく飛んだ。まだ縄梯子をえっちらおっちら登っていた犬飼さんが度肝を抜かれてそれこそ落ちそうな顔になっていた。
 がしっ。
 天ヶ峰の右手が縄梯子の一番下を掴んだ。そして、まるでスローモーションが終わったかのようにあっという間に時間が過ぎ去って、ヘリコプターもまた大空へ飛び去っていってしまった。嘘のように何もなくなった青空を見上げて、俺と横井は呆然とその場に立ち尽くした。
 ただのお見舞いだったはずである。

       

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Neetsha