Neetel Inside ニートノベル
表紙

沢村、手から火ぃ出したってよ
沢村、手から火ぃ出したってよ

見開き   最大化      

 授業中、ふと隣を見たら沢村のやつが手から炎を出していた。
 俺は何事かと思って目を瞬いたが、どうもマジックの類ではないらしい。
「…………」
 誰がびっくりしていたかって沢村がびっくりしていた。ごくっと生唾を飲み込んであたりをきょろきょろしてきたのであわてて俺は顔を伏せた。
 どうやら誰も見ていなかったらしい。沢村が安堵のため息をついているのが聞こえた。
 そこでやめておけばいいのに沢村は机の下に両手をおろして、ぼおおおと炎を燃やし始めた。誰か音に気づいてもよさそうだが昼飯をたらふく食った後の五限に起きてるやつなどいないし、沢村の前の席にはヤンキーの田中くんが寝ているのであんまりみんなそっちを見ようとはしない。
 それにしてもいくら窓際一番うしろの席には魔物が宿るといっても手から炎を出すやつがあるか?
 俺は「むにゃ……すみません……ペンギンのギンってなんですか……?」とありそうでなさそうな寝言を言うふりをしつつ、組んだ腕の隙間から沢村の様子をうかがい続けた。
 炎は沢村の手をなめていたが、熱くはないらしい。本人にはダメージはないんだというご都合主義のあれか。
 なんていうんだっけ、手から炎を出す能力。パイロキネシス?
 とりあえずあの炎と沢村の能力を総じて「沢村キネシス」と呼ぶことにする。
 いまは炎をちろちろさせているだけだがそのうちに別の能力にも目覚めるかもしれない。甲冑を着た美少女っぽいヴィジョンを出したりとか。そんなことができた日には俺は人間をやめるかもしれない。沢村も人間をやめる瀬戸際なのかもしんない。
 最初、沢村は「おれって実はすごかったんだな……」みたいな顔で炎を眺めていたが、だんだんこの怪現象が恐ろしくなってきたらしい。ぱったり炎を出すのをやめてしまった。
 沢村は中空を眺めている。
 そしてまたちらっと机の下を見やり、ぽっと炎を出してみせた。あわてて消す。またつける。どうやら何度か繰り返しているうちに炎が出なくなってこの一件を真昼の中の夢にしようとしているらしい。現実から目を背けるのはよくない。
 俺は首をめぐらせて周囲を探索した。俺以外に沢村の異常事態に気づいているやつがいないかと改めて思ったのだ。
 すると一人見つけた。いつも俺と昼飯を食う仲の茂田だ。
 茂田は頬杖をついて大空を遠い眼で見上げているような格好をしているが、汗だくになっていた。明らかに沢村キネシスに気づいている。呼吸も荒くなっていて、隣の席の寺島さんが「なんだこいつ気持ち悪い早く死ねばいいのに」みたいな目で茂田を見ている。かわいそうな茂田。クラスで唯一の黒髪ロングでバドミントン部の寺島さんに嫌われるなんて。もう茂田の未来には寺島さんと仲良くミントンに勤しむ可能性はないのだ。
 その寺島さんは憎悪の目つきで茂田を見ているだけで沢村キネシスには気づいていないらしい。まだ少し高めだが、西日が逆光になって沢村キネシスが見えにくいのかもしれない。沢村がもっと虹色の炎とか出してくれれば寺島さんのかわいらしい悲鳴が聞けたかもしれないと思うと沢村の役立たずさにムカっ腹が立ってきた。
 こうなったら八つ当たりの一手である。そもそも沢村キネシスのせいかどうか知らないが俺の周囲の温度が上がってきた。暑い。なんで五月の末にこんな暑い思いせにゃならんのだ。
 俺はくんくんと鼻を鳴らせて、呟いた。
「なんか焦げ臭くね……?」
 それでハッとみんなが夢から覚めた。確かに炎の爆ぜる音やら匂いやらを感じる。
 沢村の顔は見えなかったが相当驚いたらしい。びくうっ!! と肩が震えるのが視界の端に映った。ざまを見るがいい、沢村よ、このままアメリカのラボに飛ばされて人体実験を受けるのが貴様の運命なのだ。それに授業中に時々炎を出されると落ち着かないし。
 みんなが一斉に沢村の方を見た。炎はとっくに消していたが、それでも「わたしが犯人です」という顔色を浮かべていれば追求は免れまい。ははは。
 ところが俺の想像とは裏腹に、みんな首をかしげながらまた前へ向き直ったり、机に突っ伏して眠り始めてしまった。なんだどうした。
 俺は沢村の方を見た。
 沢村は不機嫌そうな眼で前の席、この期に及んでまだ眠っている田中くんの背中を見ていた。
 俺は戦慄した。
 こ、こいつ田中くんのせいにしやがった……!
 なんだ沢村その「困ったなこいつ」みたいな顔は。下手人のくせによくもまァそんな人を責める目つきができたもんだなと俺は歯軋りした。かわいそうな田中くん、ヤンキーなのは姉貴で弟の彼はただ髪が金髪なだけなのに。それも姉貴とその友達に羽交い絞めにされた末の脱色なのに。
 沢村の横顔に、俺は人間の業の深さを思い知ったのだった。
 六限から、田中くんの肩書きに「ヤンキー」と「パツキン」に加えて「焦げ臭い屁をこく」という不名誉極まりない一文が増えてしまった。高校二年生の夏を前にしてこの失点は即死に近い。
「火力発電所田中、か……」
 やかましいわ茂田。





 ○




 放課後。
 俺はとりあえず茂田とバスケ部に入ってやめた横井と教室に居残り、沢村キネシスについて話し始めた。
「……というわけで、五限の異臭騒ぎは田中くんのものすげえ屁ではなく、沢村の仕業だったんだよ」
 はあああ、と横井が深々とため息をついた。どこか嬉しそうだ。
「まったく後藤は仕方のないやつだなあ、俺たちもう高二なんだぜ? そういう実は自分たちのクラスに秘められた力を持ったなんとかの生まれ変わりが! みたいなのさー小さいうちはいいけどもうどうかと思うよ? なあ茂田」
「問題は沢村が沢村キネシスをどうするつもりなのかだな」
 茂田の華麗なスルーっぷりに横井が吹いた。
「茂田!? なんで信じてんの!?」
「え、いや、だって俺も見たし」
 俺は満面の笑顔を茂田にくれてやった。
「おまえならそういってくれると思ってたよ」
「当たり前だろ」
 ピシガシグッグッ、と俺と茂田は熱い友情を交換しあった。横井は呆然としている。
「お、おまえら俺を担ぎやがって……あれだろ俺が話に加わったら笑い者にする気なんだろ?」
 俺は不思議そうな目をつくろって横井を見た。
「あれ、横井いたの?」
「おまえが呼んだんじゃねーか!!」
「そうだっけ? 覚えてないなあ」
 首を捻る俺に、茂田が深刻そうなツラを向けた。横井はハブられて押し黙る。
「で、沢村は?」
「帰ったんじゃね。あいつ部活もやってないし学校に残ってたら逆に怖いわ」
「おいおい後藤」
 茂田が顔をしかめた。
「なんで追いかけなかったんだよ。沢村が沢村キネシスを使って悪さを働くかもしれないじゃないか」
「俺は沢村をな、信じてるんだよ。これでも幼稚園からの付き合いだから」
「嘘こけ。おまえと沢村んちだいぶ遠いじゃねーか」
「それが答えだ」
 横井が箒をぶんぶん振り回しながら「あー野球やりてー」とか言い出した。話に混ぜてもらえないのでストレスがたまってきたのだろう。これだからゆとりは困る。クソでもしてろ。
「まあいきなり人間燃やしたりはしないだろ。そんなやつだったらすぐにNASAに電話して引き取ってもらうわ」と俺。
「NASAって宇宙開発のなんか偉いとこだろ、沢村は管轄外じゃねーかな」と茂田。
「じゃあ何SAだったら沢村を引き取ってくれんだよ」
「何SAでも無理だろうな。可能性があるのはSASAKIか……」
 SASAKIというのは、俺たちの通っている高校の体育教師である。熊みたいなおっさんなので新入生からは恐れられているが、実は結構気のいい人だったりする。たまにお菓子をくれる。
「佐々木教諭か……案としちゃ悪くねーな。大人を頼るっていうのは」
「せやろ」と茂田。ちなみに埼玉出身である。
「だがまあ、言っても信じてもらえんだろう。沢村も自分から進んで沢村キネシスを人に見せびらかすとは思えん」
「するってえと、沢村本人にも話は聞けそうにねーか」
「ヘタに刺激すると俺らが沢村キネシスの餌食になるかもしれん。あいつは追い詰められると机をひっくり返して泣き喚くタイプだ」
「なんだか俺、沢村のことが嫌いになりそうだ」
「そういうな茂田。なんとか助けてやろうじゃないか、クラスメイトのよしみで」
「ねー」横井が箒に顎を乗せて不服そうに言う。
「まだその小芝居続けんのー? もういこうぜー俺さー新作のドーナツが食いたいんだよー明後日までだからさー一緒いこうぜーなー」
 茂田が戦争映画を見るようなツラで横井を見た。
「いけば?」
 茂田、ちょっとキレ気味である。まあ気持ちはわからなくもない。さっきから横井は水を差す以外のことは何もしていない。そのまま傘でも差して帰れと言いたいのは俺だって同じだ。なんでこいつ呼んだんだろ。
 横井はちょっとひるんで、
「あー……あ、沢村はさ、その沢村キネシス昔からできたわけ?」
 話に乗ってきた。これ以上茂田の右拳に眠るコークスクリューを目覚めさせるのは俺にとっても得ではない。俺はボールを受けてやった。
「その線は薄いだろうな。俺が見たとき俺よりも沢村がびっくりしてたからな」
「じゃあ急に沢村キネシストになったわけか……」
 ふうーむ、と横井は口に手を当てて考え始めた。
「なんでなったんだろな?」
「沢村の三次元への絶望が未知への扉を開いてしまったのだろう」
 したり顔で茂田が言う。
「え、沢村って二次元派なの?」
「むしろこのクラスの男子で純血の三次元派はおまえしかいないよ横井」
 横井はショックを受けている。時代に取り残された哀れな男よ。
 ちょうど話題も二次元という一般教養へ入り込んだところだし、横井の腹がぐうぐう鳴るので俺たちはドーナツを食いにいくことにした。そしてそこで、俺たちは横井のあだ名を再認識することになる。
 人呼んで『当たり屋横井』。
 適当に町をぶらついただけで、なにかしらのイベント事に遭遇する体質を持つ男。
 でなければこのKY野郎を俺と茂田のパーティに組み込んだりはハナからしないのだ。
 魔よけならぬ暇よけというわけである。






 ○





 駅前には制服姿の高校生がちらほら見えた。最近、帰宅部というのは爆発的に増えているらしい。俺もそうなのであまり言えた口ではないが、吹奏楽部の演奏やバスケ部のバッシュの音が放課後になっても聞こえてこないのは少しだけ寂しい。
 俺がそんな郷愁に駆られていることも知らずに、茂田と横井は仲良くドーナツを頬張っている。茂田は食い物を食べると機嫌が一発で直るので、横井はたまにこうやって茂田に与えたストレスゲージをチャラにしている。またさらにたまに、おごっている時などはその健気さに涙が出てくる。己のKYに魅入られし哀れな男よ。
「このチョコのぬめり加減がたまんないよなー」
「もぐもぐ」
「茂田は何味が好き? 俺はねー」
「むぐむぐ」
 はたから見ると怪しい二人組である。俺はちょっと距離を開けた。そして茂田の身体で隠れていた向こう側が見えた。
 沢村が走っている。その姿はすぐに路地に吸い込まれて消えた。俺は茂田の脇を肘で小突いた。
「んあ? どうした後藤」
「沢村が走ってんのが見えた。ちょっち追っかけようぜ」
「おう」
 茂田がごくんとドーナツを飲み込んで頷いた。
「えー……走るのー?」
「うるせえ横井」
 俺たちは駆け出した。
 ひとつ路地に入ると駅前の喧騒が嘘のように消える。聞こえるのは、先をいっているらしい足跡。
 だがどうやらそれは、
「二人いるな」
「気づいたか茂田」
 俺は眼鏡のつるを中指で押し上げた。
「やりおるわ、西高の流星群(シューティングスター)よ」
「ふっ、まあな……修羅場くぐってきた数は伊達じゃねえってことよ」
 こんなことばかり言い合っているから横井がまじめな話も小芝居だと受け取ってしまうのだろう。
 たったったったった。
 俺はバテた。
「ひぐっ……うぇ……げふっ……」
 わき腹に乳酸がたまって爆発しかけている。呼吸ができない。
 じぐざぐ走行し始めた俺に横井が肩を貸してくれた。
「横井……!」
「無茶すんなよな、まったく!」
 白い歯を見せて横井が笑う。その笑顔が最高にむかついた。俺は最後の力をこめて横井にボディブローを食らわした。
「げうっ!? なんで……」
「うるせええええええ!!!!」
 ランナーズハイになった俺は茂田を追い越して路地裏の暗闇めがけて突っ走った。
「いいぞ後藤! おまえいま輝いてるよ!」
「あったりまえだろおおおおおお!!!!」
「うう……こいつら意味わかんねえ……」
 横井の嘆きを背に、俺はビルとビルの隙間、路地裏の空白地点へと飛び出した。
 飛び出して、その灰色の空き地に広がっている光景を目の当たりにし、そのまま室外機の裏へ転がりこんだ。茂田、横井も避難してくる。
 俺たちは室外機から頭三つ並べて顔を出した。
 空き地の真ん中で、沢村と少女が対峙している。



 ○



 ごくり、と茂田が生唾を飲み込んだ。
「あの女……東高の『紺碧の弾丸』じゃねーか」
「どうした茂田? 疲れてんのか?」
「違う俺の創作じゃねえ。あの女を見てわからねーか」
 俺と横井は目を細めて少女を見た。黒髪ロングに紺色のブレザー。そして、
「Eカップか……」
「Fだ、って違う! そこじゃねえ」
「じゃあどこだ、見てもわからん」
「わからないだろうな……」
 はあ?
「やつは一年のとき、つまり去年だが、東高のボクシング部の部長と付き合っていてな。で、あの部長、俺と同中の先輩なんだが、限度ってものを知らないから、付き合って三日で家に連れ込んで押し倒したらしいんだ」
 鼻息が荒くなってきた横井の口を塞ぎながら俺は先を促した。
「で?」
「先に手をかけたのが下でよかった、と言っていいのか……あの子、紅葉沢さんっていうんだが、その……」
 俺と横井は茂田の口元に耳を寄せた。
「……『もうこはん』があったらしくて、な」
「…………」
「実妹がいるせいで、ボクシング部の部長はロリを連想させるものを見ると不能になってしまうんだ。それで別れたという悲しい過去があって、翌日からあだ名が『紺碧の弾丸』になってしまったんだ……」
「ひとつ言っていいか」
 横井が糞まじめな顔で言った。
「もうこはんは弾丸によるものじゃない!」
「紅葉沢さんの心には弾痕が残ったと思うがな」
 俺たち三人はひとしきり頷きあった後、沢村と『紺碧の弾丸』さんに視線を戻した。
 沢村が何か喚いているので耳を澄ます。
「――い、いきなり襲い掛かってきやがって! なんのつもりだ!」
 おお、なんだか主人公っぽいことを言ってやがる。沢村のくせに生意気な。
 紺碧の弾丸さんは長い黒髪を手で払って、
「悪いけど、これも運命だと思ってちょうだい」
 俺は茂田のわき腹を突いて囁いた。
「あの人って子供の頃に頭でも打ったの?」
「言わせてやれよ、今しか言えないんだぜ」
 沢村が怒鳴る。
「運命!? てめえ、何か知ってやがるのか!!」
「むしろあなたが知らなすぎるのよ、第四のパイロキネシストくん……」
 第四……と聞いて俺の隣の茂田がもぞもぞし始めた。ちっ、こいつもロマンティックオカルティックに生きるモノか。
「パイロキネシス? 何を……それを言うならサイコキネシスじゃないのか!」
 馬鹿沢村、せっかくシリアスに運びそうだったのに話の腰折りやがって!
 紺碧の弾丸さんがちょっと一瞬もにょった顔になったが、咳払いひとつですべてを仕切りなおした。
「むしろあなたが知らなすぎるのよ、第四のパイロキネシストくん……」
 そこまで戻るんかい。
 沢村もちょっと「あれ?」みたいな顔になったが、こちらも咳払いで応戦。
「第四って、あんたと俺以外にもこの能力に目覚めたやつがいるのか……?」
「あなたが知る必要はないわ……これから死ぬあなたには、ね!」
「なっ!?」
 紺碧の弾丸さんの掌から青い炎弾が迸り、一直線に沢村へと襲い掛かった。沢村は中学生の頃にサッカー部で鍛えた脚力を持って横っ飛びに逃げた。こちらも掌に赤い炎をたなびかせて攻撃態勢へ移る。
「くっ……あんたがやる気だってんなら仕方ねえ! でもいつでも降参しろよな!」
「ふん、誰が降参なんてするものですか! 情けなんてかけないで!」
 おいおい立場を統一してくれよ。お互いに思いやってる感じになってるじゃねーか。
「うおおおおおお!!」
 沢村が裂帛の気合と共に炎を打ち出した。すげえ。友達が手から炎を撃ち出すのを見るのってこんな気持ちなんだ。
「なんか無駄に感動するな……」
「ああ、あの沢村がな……」
「俺、応援したくなってきたよ」
「やめろ横井、おまえはよく感情に身を任せて言わんでいいことを言うが、いま紺碧の弾丸さんに俺らの存在がバレたらわりとマジで殺されるぞ」
 沢村の炎が紺碧の弾丸さんへと向って迸る。が、紺碧の弾丸さんは手元で青い炎を小爆発させその余波に乗って回避。
「甘い……その程度で『ヤツラ』に立ち向かえると思っているの?」
「ヤツラ? ヤツラってなんだ!?」
「あなたが知る必要はない!」
 だったら匂わせるなよ。かわいいやつだぜ紺碧の弾丸さん。もうこはんつきでも俺はだいじょうぶだよ?
「くっ!」
 紺碧の弾丸さんが放った炎の爆発で沢村が吹っ飛んだ。あわやグロテスク! と思い目を覆った俺たちトリオだったが、しかし沢村は内臓をぶちまけて死んだりしなかった。ビル壁に思い切り叩きつけられて「おぐぇっ」とひどい声を出しはしたが、生きていた。
「ちっ……くしょ……なん……で」
 倒れ伏した沢村に、こつこつと紺碧の弾丸さんが近づいていく。
「ふっ……まだ回避能力が上手く使えていないようね。それからPSIシールドの張り方も本能に頼ってるだけ……それじゃあ私の敵ではないわ」
「あんたは……その力をどこで……?」
「ふふっ……おばかさん。本当はあなたもわかっているくせに」
「なん……だと?」
「心の中にいるもう一人の自分に聞いてごらんなさい。そうすれば道は開けるはずよ……でも残念ね、ここであなたは私に倒されてしまうのだから」
「く……そ……ごめんな朱音……兄ちゃん家帰れそうにねえ……や……」
 がくっと沢村の頭が地面に突っ伏した。それを見下ろし、高笑いする紺碧の弾丸さん。
「これでわかったわ! 私の能力は無敵……ふふ、ふ、これで見返してやる……私を馬鹿にしてきた世界のすべてを……」
 アハハハハハと笑い続ける紺碧の弾丸さん。
 その背後に忍び寄る影があった。
 茂田である。
 や、やめろー茂田ー! 死ぬ気かー!
 声には出さない俺と横井の制止に、茂田が振り返り、歯を見せて笑った。そしてそおっと紺碧の弾丸さんの首筋に近づくとビシッとその首筋に手刀を叩き込んだ。紺碧の弾丸さんは糸が切れたようにその場に倒れこみ、周囲に立ち込めていた青の炎も消えてしまった。
 茂田はふっと笑った。
「当身」
 いやすげーわ。当身ってすげえ。ほんとそう思う。
「で、どうするよ」
 茂田はくいっと気絶した紺碧の弾丸さんを親指で指差した。
 俺は腕を組んでいった。
「ほうっておくわけにもいくまい。沢村のことも聞きたいし」
「そうだな、じゃあとりあえず手足を縛っておくか」
 横井が紺碧の弾丸さんのほっぺたを突きながら言った。
「でもさ、目覚ましてまたあの炎出されたらやばくね? 縄とか意味ないっしょ」
「そうだな……では人質を取るとしよう」
 俺の意見に「人質?」と二人が首をかしげた。
 俺は懐から扇子を取り出してパッと開いて見せた。
「まあ見てろって。とりあえず、横井んちに運ぶぞ」



 ○



「なんで俺んちなんだよ……」
 横井がげんなりした風に言う。
「ぶつくさ言うな。俺の家は人が呼吸していい場所じゃないし、茂田の家には姉貴がいるから駄目だ」
「呼吸していい場所でないことと姉貴がいることが同列にされてるのが可哀想だよ」
「まあ、俺は姉ちゃんと暮らすかカビと生えた家に住むかだったらカビと仲良くしたいけどな……」
 茂田の顔に暗い影が差す。あの当身を学んだ経緯と何か関係があるのかもしれなかったが、俺と横井は何も聞かなかった。それが友情だと思ったから、な。
 紺碧の弾丸さんがううん、と身じろぎした。場所は横井の部屋、俺たちは三人肩を並べて横井のベッドの上にいる。
 紺碧の弾丸さんがぱちっと目を開けてむくりと起き上がった。
「こ……こは……」
「気がついたようですね」
「え……きゃあ!」
 かわいらしい悲鳴を上げて紺碧の弾丸さんが飛びのいた。目を白黒させている。
「あ、あなたたちは誰? なんなの、私はいったい……」
「落ち着いてください。俺たちはなにも怪しいものじゃありません。西高のもんです。俺は後藤、こっちのごついのが茂田、女々しいのが横井です。東高のこん……紅葉沢さんですよね? ちょっと聞きたいことがあって、あと気絶してたんで危ないから家まで連れてこさせてもらいました」
 とりあえず、それで納得してくれたらしい。紺碧の弾丸さんは正座して「そう……」と言った。
「で、聞きたいことって?」
「ずばり言うと、沢村のことです」
「沢村って?」
 ずばり言いすぎた。俺は咳払い。
「あんたがさっき闘ってた男ですよ、沢村は」
「あっ! あの闘争を見ていたの……?」
「とう……? ああ、闘争ね。ええ、見てましたよ。沢村はツレなんでね。あんまり乱暴されちゃ困りますよ」
 茂田と横井はさっきからすらすらと知らない人と喋れている俺を驚嘆のまなざしで見つめている。ちょっと心地いい。
 紺碧の弾丸さんはフンッと顔を背けた。
「能力者は生かしておけないわ」
「して、その心は?」
「は?」
 しまった。笑いで雰囲気をほぐす作戦に出るのはまだ早かったか。
「俺にはわかりませんな、同じ能力を天から賜ったもの同士、なぜ相争わなければならないのか……」
 俺が遠い目でそう言うと紺碧の弾丸さんは雰囲気の維持に満足してくれたらしい。
「わからないわ、能力を持たないものには……私たちの気持ちなんてね」
 ずいぶん楽しそうに炎をぶっ放してましたが。
「して、こん……近藤さん」
「紅葉沢です」
「失礼、紅葉沢さん。その能力はいつから?」
「一週間前よ。トイレでお昼の弁……」
 紺碧の弾丸さんが黙った。しかし、俺たちは気づいてしまった。その悲しい事実に。茂田は目を覆い、横井は唇を噛んでいる。俺は現実の切なさに首を振ることしかできなかった。
「ちょ、ちょっと! ちがうわ、あの日はたまたまプン子が休んでいて……」
「ウン子?」
 俺のエルボーが茂田を黙らせた。相手は女だぞ! 我々とは文化が違うんだ。
 幸い、紺碧の弾丸さんは自分の赤裸々なお昼情報を取り繕うことに必死である。
「あの、一年のときはそうでもなかっ、なかったんだけどクラス替えがあってどう考えても作為的としか思えなくってだってしょうがなくってバレー部と吹奏楽部しかいないクラスに帰宅部が一人ぽつんといたって何ができる? ねえ何ができる?」
「わかります、わかりますよこん……ぺきの弾丸さん」
「そ、その名前で呼ぶな!」
 紺碧の弾丸さんの怒りによってか、壁にかけられていた横井の家族写真が燃え始めた。
「うわああああ!!! 熱海にいった五歳の俺の思い出があああああ!!!」
 横井は涙目になってぱんぱん写真を叩いて火を消そうと空しく努力している。馬鹿が。
 俺はため息をついた。
「で、こん……ぺきの弾丸さん」
「いい度胸してるわね」
「すいません。紅葉沢さん。それであの日に何が? まさか宇宙人に脳みそをいじくられたら発火能力を得たなんて言わないでしょうね」
「ある意味では……そうと言えるかもしれないわね」
 ふっと紺碧の弾丸さんが遠い目をして横を向いた。
「だって私は、何も覚えていないのだから……」
「ひょっとして」
 俺は身を乗り出した。
「トイレで一人飯をしている時に急に手から火が出たのでは!」
 紺碧の弾丸さんが息を呑んだ。
「な、なんで知ってるの!?」
 図星か。この調子じゃ『ヤツラ』とか『第四のパイロキネシスト』も創作だなたぶん。
「実は沢村のやつもね、急に手から火が出るようになってしまったらしいんですよ。特になんの理由もなくね」
「そう……彼も……」
「だからね紺碧の弾丸さん」
「殺すわよ」
「紺碧の弾丸さん」
「こ、こいつ……!」
「紺碧の弾丸さん! いいですか、悪いこた言いません、沢村にちょっかい出すのはやめてもらえますか。超能力を得てテンション上がる気持ちもわかりますけど、さすがに殺しはまずいですよ。燃やすなら自分の黒歴史ノートでも灰にしててください」
 紺碧の弾丸さんが立ち上がった。
「な、なんで知ってるの、私の根源記録手帳(アカシックレコーディングノート)の存在を!?」
「誰から聞いたわけでもありません、むしろあなたに聞いたようなもんです」
 そんだけ痛い言動繰り返してりゃあそういう物証の一つや二つはあるだろ、普通。
「ですから、ね、紺碧の弾丸さん。ここはお互い引きましょうや。うちらも紺碧の弾丸さんをNASAに売り渡したりしませんし、そっちも沢村のことは金輪際忘れる。それでいいでしょう」
 紺碧の弾丸さんはぷいっとそっぽを向いた。
「嫌よ」
「どうして!」
「同じ能力者を倒さないと逆襲されるんじゃないかと思ってオチオチ夜も眠れないわ。確かに私が先に彼の能力に気づいて仕掛けた喧嘩だけど、一度始めてしまった以上、彼も私を追ってくる。殺し合いは避けられないわ」
 言われてみれば確かに。いくら沢村がトライデント(国数英3つすべて赤点)の馬鹿とはいえ、自分を殺しにきた女ぐらい覚えているだろうし、見かければ先手を打つ可能性がないとは言えない。いや、超能力なんていう馬鹿げたものを得てしまった以上、もはや沢村の精神がいつ崩壊しないという保証はないのだ。
「仕方ない、交渉は決裂ですね」
「ふん、あなたたちノーマルと交渉なんて、最初から成り立ちはしなかったのよ」
「ですね。ふむ、これだけは使いたくなかったんですが……」
 俺はブレザーの懐に手を突っ込んだ。瞬間、紺碧の弾丸さんの髪が逆立った。
「銃!? くっ、高校生だと思って油断した! ベレッタ!? それともグロック!? まさかワルサーじゃないでしょうね……!」
「ふっ、もっと恐ろしいものですよ」
 俺は懐から秘密兵器を取り出した。
 白い生地に熊さんの絵柄。
 パンツである。
「――――わたっ、私のパンツ!?」
 紺碧の弾丸さんがスカートの中に手を突っ込んで顔を真っ赤にした。わなわなと震えながら、
「コロス! ゼッタイニブチコロス!」
「落ち着いてください。作り物みたいになってますよ」
「いつの間に……!」
「苦労したんですよ、これでも。中見ないように横井が縁日の景品で取ったマジックハンドを使って脱がせて……気絶してるときに紺碧の弾丸さん寝相悪いから何度もスカートめくれちゃって……直視せずにスカート直した俺たちの努力と誠実さのことも考えてくださいよ」
「最初から脱がさなきゃいいでしょ!!」
「いや、だってこれないと紺碧さん帰れないでしょ。つまり人質ならぬパン質ってことですわ。あっはっは」
「あっはっは、じゃない! 返せ!!」
「返しますよ。ただ約束してください。もう二度と沢村には手を出さないと。それさえ誓っていただけたらこの熊さんは無事にお返しします」
「ぐっ……卑怯な……」
「ちなみに俺たちを殺しても駄目ですよ。俺たちが死んだら開いてくれと頼んだ熊パン姿の紺碧さんの写メを信頼できる人間に送信してありますから」
「なんてことを……」
「何も奴隷にしようってんじゃありません、ただもうふざけた超能力戦争ごっこはやめにしよう。こう言ってるだけなんですよ」
 紺碧の弾丸さんは長い間黙っていた。飽きてテレビの電源をつけようとする横井を茂田が二度ぶん殴った。そうしてようやく、紺碧の弾丸さんは頷いた。
「わかったわ。沢村くんにはもう手を出さない」
「誓えますか、大いなる闇の化身ベルゼ・ゴールさまに」
「そんなのいない」
「すみません」
 はあ、と紺碧の弾丸さんはため息をついた。
「なんでもいいわ、神様だろうと天使だろうと。誓ってあげる。これでいい?」
「ええ、ありがとうございます。揉め事にならずに済んで嬉しいです」
「まったくやれやれだわ。とんだ一日になってしまった」
 紺碧の弾丸さんは立ち上がって、長い髪をふぁさっと手で流した。
「まあ、正直、私もこの能力には戸惑ってるの。沢村くんを通じて何か分かったりしたら……教えてくれない?」
「もちろんいいですとも」
「そう。ありがとう。後藤くん……だったかしら?」
「覚えてもらって嬉しいですよ、紅葉沢さん」
「もう紺碧の弾丸でいいわよ」
 くすっと笑って、
「じゃあ、私はこれで。妙な話だけれど、楽しかったわ、あなたとの駆け引き。――また会いましょう、運命がそれを望むなら」
 そう言って、紺碧の弾丸さん――いや紅葉沢さんは横井んちから去っていった。その後ろ姿は颯爽としていて、男の俺でも憧れてしまうほどに格好よかった。
「いっちまったな……」
「ああ……」
「茂田ー、もうテレビつけていい?」
「いいぞ横井」
「やたっ!」
「しっかしまあ」
 俺と茂田は、深々とため息をついて、天井を仰いだ。
「まさか置いていくとはな……」
 俺の手には、まだほかほかしたぬくもりの残った熊さんパンツが握られていた。



 ちなみに、沢村は騒ぎを聞きつけたホームレスのおじさんに見つけられて、救急車を呼んでもらって病院に搬送されたらしい。翌日になってそのニュースを聞いて俺たち三人はようやく、あの場に沢村を置き去りにしたことに気づいたのだった。
 置き去りにしたのが沢村でなければ大惨事になっていたかもしれない、と反省する今日この頃である。





『登場人物紹介』


 後藤……語り部『俺』。眼鏡。

 茂田……友達その1。横井がちょっと嫌い

 横井……友達その2。ちょっとうざい

 沢村……手から火を出した。

 紺碧の弾丸さんのフラれた理由……もうこはん





「で、沢村は?」
 俺が聞くと横井はスラムダンクをめくりながら、
「検査入院するらしいよ。なんでも頭にこぶができてたから念のためだって」
「頭打ったのか。そりゃ大変だな。なんか後腐れが残ったら紺碧さんも気まずいだろうし早く治って欲しいもんだ」
 あれから紺碧さんからの連絡はない。メルアドも交換しないで別れてしまったので無理もないのだが。まァ何か用があれば横井んちに来るだろうし。
 例のパンツは横井が洗って、今朝干したらしい。今日は晴れているのでよく乾くだろう。それにしても横井の家族は息子の奇行をどう捉えているんだろう。
「なんだったんだろーねー昨日の」
 ぺらり、と横井がページをめくる。茂田は隣のクラスに遊びにいっていて今はいない。
「結局、沢村キネシスってなんだったの?」
「そもそも沢村とはなんだったんだろうな」
「沢村はあれだよ、あれ、あのー……コンビニ弁当のハンバーグの上に乗ってるラップ」
「おいそれすげー重要なやつじゃねーか」
「えっ! あれ重要なの?」
「あれねーと汁が飛び散って添え物のコロッケが大変なことになるんだよ。知らなかったのか?」
「ほんとかよ?」
「いま考えた。でもたぶん合ってる」
 どうでもいいが、我がことながらなんとも寂しい話題である。何が悲しくてこんな毒にも薬にもならんネタを横井とキャッチボールしなきゃならんのか。
 俺が切なさを噛み締めながら天井を見上げていると、ひとりの女子がこっちに来た。剣道部でクラス委員長の酒井さんである。
「あ、酒井さんだー」
 横井がうれしそうな顔で漫画を閉じた。俺は横井の影に隠れた。べつに酒井さんが苦手というわけでなく、俺と茂田と横井三人組の中で女子との外交をつかさどっているのが横井なので手を引いたまでだ。たまには活躍させてやらないとな。
 酒井さんは「うぃっすー」と男子みたいな挨拶をして、俺たちのそばの椅子に座った。
「ねえ、もう聞いた? 沢村が通り魔に襲われたって?」
「聞いた聞いた。こぶ作ったんでしょこぶ」
「そうそう、こぶこぶ」
 酒井さんと横井は幸せそうに自分の額を撫でてこぶこぶ言っている。なんだこの空間?
「そんでね、天ヶ峰がね、今日お見舞いにいこうかって話してるんだけど、横やんとゴトーくんも一緒にいかない?」
「えっ……て、天ヶ峰さんもいくの? あーはっは……」
 横井の顔が引きつっている。気持ちは痛いほどわかる。
 天ヶ峰美里。
 この名前を知らない西高生はいないだろう。
 今でこそ手芸部になど入って人間ヅラしているが、昔はここいら一帯の小学生ギャングのボスだった女である。シマシマのTシャツに野球帽を被った子供を見たら通報するのが常識だった時代だ。なぜシマシマのTシャツをギャング団のメンバーが揃って着ていたかといえば、その模様を見ると目が錯覚して腕のリーチを捉え損ねるからという幕末もびっくりの事情からである。
 十二歳以下のギャング団の抗争は三年と一夏続いた。
 数え切れないほどの割られたガラスと盗まれた原チャリの上に今日の平和があるのだ。
 そしてそういう暗黒時代がこの地柱町にもあったのだという生きたあかしが天ヶ峰美里である。俺も十歳の頃に胸倉を掴まれて吊るし上げられた記憶があるのでできれば会いたくない。沢村の手から出る炎なんかよりもよほど恐ろしい存在である。
 だが酒井さんに両手を合わせて頼まれると断りにくいのも事実。一年の頃、財布を忘れた俺に購買の焼きそばパンをおごってくれた酒井さんの天使のような微笑を俺は忘れることがまだできない、
「ね? せっかく天ヶ峰が言い出したことだし、ここはあの子の社会復帰を助けると思って」
「あれだけ見かけ上は普通なのにそんな言い草されてる以上は諦めた方がいいと思うけど……」
 よく言った横井。たまには正しいことを言う。
「そこをなんとか! 沢村くんのことも心配だしさ」
「でも沢村だしなあ……」
「ちょっと顔出すだけでいいから。ね? 急に首絞められたりはもうないはずだから」
「うーん……」
「ゴトーくんもさ、だめ?」
 酒井さんがうるっとした目で見てくる。くう。これだからそばかす美少女は困る。
 横井も折れたらしい。ここで酒井さんとの交友関係にヒビを残すぐらいなら数時間の苦痛は我慢してもいいと決断したのだろう。
「おっけー、じゃあ放課後一緒に 病院いくよ」
「そう? ありがとう、助かったよ! じゃ、またね」
 ちょうどよくチャイムが鳴り、酒井さんが席へと戻っていった。戦死者続出の五限がまた始まる。
「ちっ、厄介なことになったぜ。沢村のせいだ」
「まあまあ、酒井さんの平和のためだと思おうぜ」
「むう……」
「それよか、茂田が戻ってきてないな。あいつも道連れにしなきゃ」
 俺は無言で携帯を開き、画面を横井に見せてやった。
 メールが来ている。差出人は茂田。
『帰ります』
「あんの野郎……!!」
 俺は携帯をしまって天を仰いだ。
「茂田と天ヶ峰は因縁の仲だからな。ヘタに近づけると共鳴反応を起こして何もかもが灰燼に帰すかもしれん。これでよかったのだ……」
「いまほど茂田の当身が恋しいと思ったことはないよ……」
 同感である。


 ○



 天ヶ峰は開口一番こう言った。
「沢村って何色が好きなの?」
 俺と横井は顔を見合わせた。
 天ヶ峰は傍から見れば、ちょっとぼさぼさのロングウルフヘアという好戦的な頭を除けば、どこにでもいるモブ女子高生である。いまは茶色い紙袋を抱えていて、どうもそれが見舞いの品らしい。
「さあ……何色でもいいんじゃないですか?」
「なんで敬語? もぉー後藤とあたしの仲じゃん? そういうのいいって!」
「そういうのいいんで」
「ふぇ……?」
 俺の返しに天ヶ峰は脳が反応できなかったらしい。小首を傾げている。たまにこいつを小動物でかわいいなどと言い出すやからがいるが、それはこの小首を傾げた状態から左フックをテンプルに食らったことのないやつの言い分だ。ふざけやがってあん時マジで意識飛んだかんな。
「で、色って?」
「ああ、借用書の色どれがいいかなって……」
「借用書……?」
「うん」
 天ヶ峰は笑顔で紙袋の中を見せてきた。色とりどりの借用書には、
「十五万って……高校生の借りる額じゃないよ」
「うん。最初は五千円だったんだけど、月日が経って」
 利子かよ。
 俺と横井はごくりと生唾を飲み込んだ。
 ってことはこの借用書も本人と作ったわけじゃないのか。この調子だと利子についても一方的にほざいているだけの可能性もあるな……どう考えても違法だが天ヶ峰の半径二十メートル以内で万国公法は通用しない。
「ふふっ、沢村、喜んでくれるかな」
「どこを押したらそんなセリフが出てくるんだ?」
「えっ? だってあたしのためにお金を出せるんだよ。幸せってそういうことだと思う……」
 横井が俺にしがみついてきた。ええい離せ、俺にどうにかできると思うてか。
 天ヶ峰は軽快なステップで歩いていった。一歩一歩が沢村の十五万の消えていく音であると思うと胸にこみ上げてくるものがあった。手から炎出たり黒髪ロングの厨二病にボコられたり、いわれのない借金したり、思えば哀れなやつである。
(それにしても後藤、ひでえよな酒井さん。天ヶ峰だけよこして自分は部活でドロンかよ)
(仕方ねえ、最初からそういう筋書きだったんだ。そもそもおまえが女子とそこそこ喋れたりするからこういうことになる)
(俺のせい!?)
 アイコンタクトで俺たちは意思を交し合っていたが、最終的にはにらみ合いになった。んだコラやんのか横井コラああ?
「そういえばさ」
 くるりと天ヶ峰が振り向いた。
「沢村が手から炎出したってほんと?」
「いやいやいや。どこ情報だよ。なにそれ怖い」
「でも茂田が」
 茂田ァァァァァァァァァ!!! あいつ何考えてんだ。面白半分に状況をメールでかき回しやがったな! これだから男子高校生は信用できない。
「えっと……」
 俺は横井を見た。
(えっ俺?)
(頼む)
(無理無理無理。イエスでもノーでも関わっただけで嫌なことになる予感しかしないよ!)
(そこをなんとか)
 アイコンタクトで俺たちは責任をなすりつけあう。
 気づけ横井。俺は、おまえに犠牲になってくれって言っているんだ!
「ねえー二人で何目配せしてるの? ひょっとしてマジなの?」
 天ヶ峰がにこにこしながら言う。それにしてもこいつさっきから後ろ向きに歩いているが巧みにステップして対抗してくる自転車や人を避けている。うっかりしていると忘れがちだがやはりこいつは人間とは程遠いモノだ。
 仕方ない。いずれバレることだ。俺は打ち明けることにした。
「実は、こないだ授業中にさ、焦げ臭いにおいしたじゃんか」
「あ、田中くんでしょ? もーほんっと最悪だったよ。あたし席そばじゃん? 殺そうかと思ったよー」
「……。あん時な、ほんとは田中くんじゃなかったんだよ」
「え? そうなの?」
「ほんとは沢村が手から火ぃ出してさ、そのにおい」
「へえー……そうだったんだあ」
 素直に感心する天ヶ峰。
「なんていうんだっけ、そういうの、パイロキネシス?」
「よく知ってるな。それだよ」
「へへへ、化学の森が前に教えてくれたんだ」
「森はいいやつだけど化学には向いてねーな」
 トンデモ科学用語を生徒に教えるなよ。よくない病気を発症したらどうする気だ森よ。
「でも手から火ぃ出せるとかワクワクするよね。あいつは気になる転校生? みたいな

「沢村は転校生じゃない」と俺。
「沢村が美少女だったらなあ」と横井。それはどうかと思う。
「実際、どんぐらい火力出せるの?」
 天ヶ峰は沢村に興味津々らしい。
「わからん。ただ同じ能力者と交戦した時は負けてた」
「え、もうそんなイベントクリアしてんの? やるな沢村……」
 イベントってなんだ。こいつ信じてんのか信じてないのかどっちだ?
「とりあえず他の能力者と出くわしたんなら、そろそろ世界観の説明が入る頃だね」
「おまえは何を言っているんだ」
「だって、わけもわかんないまま闘ってたって面白くないじゃん? 敵をはっきりさせとかないと。秘密結社とか闇の組織とか」
 その場でスナッピーなジャブを二、三発放つ天ヶ峰。拳圧で横井の前髪がふわっと浮いた。横井は青ざめている。
「テレビの見過ぎだ天ヶ峰。いくらなんでもそんなトンデモ展開あってたまるか」
「そうかなー。ないかなー、秘密結社」
「あっても沢村の手がライター代わりになることに金出してくれるパトロンがいねーよ」
「えー……」
 不満そうな顔をされても困る。なんだその「おまえ話わかんないやつだな」みたいな顔は。俺か? 俺が神なのか? 違うわボケ。
「それじゃ、とりあえず今日は能力を見せてもらうだけにしとこっかな」
「いや、それはやめといてやってくれないか天ヶ峰」
「なんで?」
 天ヶ峰はきょとんとして俺を見上げてきた。俺はこほんと咳払いして、
「沢村は俺らにバレてねーと思ってんだよ。いきなり手から火ぃ出るようになってあいつもテンパってるだろうし、もうちょっと様子を見てあいつが自分から言い出した時に暖かく迎え入れようと俺たちは思、」
 ぎゅっ。
 天ヶ峰が俺の腕を掴んでいた。ぎりぎりと。痛い痛い痛い。
 笑顔で俺に言う、
「や・だ」
「はい……」
 そうだった。こいつがそんな殊勝に、「人の気持ちを考える」とか「相手を思いやる」とか、そういうことをするはずがないのだった。見たいものは見る、欲しいものは取る。それがこの怪物の思考回路である。日本語を喋っているのは擬態に他ならない。
 楽しみを見つけて一気に機嫌がよくなった天ヶ峰は俺と腕を組んだまま解こうとしない。非常に迷惑である。横井は役に立たないし、周囲からの視線が針のように痛い。
 伊澄西小の愛死苦(アイシクル)、それはもうかつて現場にいた人間たちの間でしか通じないいにしえの異名だ。それでもその愛死苦と腕組んで町を歩いてたなんてことが身内にバレたら切腹しても死に切れない。それならいっそ横井とも手を組んで何もかも混沌とさせた方がマシだったが、横井は俺から二メートル離れたところを俯いて歩いている。
 まァいい。いなくならないだけ茂田よりはマシだ。



 ○


 伊澄総合病院についた。
「懐かしいな……昔はここがよく戦場になったもんだ」
「そうだね……回復したてのチームメンバーを回収に来たり、逆に息を吹き返した幹部クラスをもう一度ICUにぶちこんだり」
 郷愁に駆られる俺と天ヶ峰を遠くから見て横井がため息をついた。
「なんだその思い出……おまえらいったいどんな小学校時代を送ってたんだよ」
「中学から引っ越してきた温室育ちは黙ってろよ」
「そうだよ、血の赤さも知らないくせに!」
「知らなくてよかったわ……おまえら目が荒んでるもん」
 エントランス脇の駐車場に留めてあった高級車のミラーを見ると確かに俺たち二人は人殺しの目をしていた。が、俺は当時メッセンジャーをやっていたのでそれほど前線にはいなかった。それでもこの目つきか……
 天ヶ峰がぽんぽんと馴れ馴れしく肩を叩いてきた。
「勲章だよ、後藤」
「うるせえ」
 余計なお世話である。
 俺たちは病院に入った。受付で沢村の病室を聞くと六階だった。
「案外すんなり教えてくれるもんだな」と俺。
「ね。でも受付には鉄格子がまだハマってたけど。もう病院戦なんてやらないのにねー病院に逃げ込む前に足潰しておくのセオリーだし」と天ヶ峰。
 横井が頭を抱えた。
「もうやだこの町……」
「元気出せよ」
「おまえらのせいだよ!!」
「もー、横井うるさいよ? ここ白ビルなんだから静かにしなよ」
「白ビル……? やだ、その言い方がすでに怖い……」
 横井はなにやら怯えているが少なくとも俺は手から炎を出したりはしないのでビビられるのは心外である。天ヶ峰に関しては口から火を噴いても少しも不思議じゃないが。
 俺たちはエレベーターに乗って六階まで上がった。
「この浮遊感がたまんないよねえ」
 扉が開くと天ヶ峰が真っ先に飛び出していった。きょろきょろしている。そんなに金が欲しいのか。いや、沢村キネシスが見たいのか。
「ねー病室ってこっちだよね」
「ああ」
 俺たちは連れ立って廊下をいく。
 横井が俺の肩を突いてきた。
「あん?」
「沢村さ、天ヶ峰の顔見たらなんて言うかな」
「なにも言えないだろうな」
「かわいそうに……俺、気が重いよ」
「仕方ない、やつに目をつけられた方が悪い」
「うかつに入院もできないのか……世知辛いな……」
 俺と横井は顔を向け合って俯いた。
 すると、前方から口論する声が聞こえた。天ヶ峰の声だ。
「ちょっと待って、面会謝絶ってどういうこと? そんなの受付で言われてないよ? しかも今自分で謝絶の札出したよね。そういうこと勝手にしていいの?」
 天ヶ峰の前、沢村の入院している個室605号室を通せんぼするように、スーツ姿の女性が立っていた。べっこうぶちの赤い眼鏡をかけている。
「あなたには関係ないことよ。沢村くんは疲れているの。今日は……いえ、もうここへは来なくていいわ」
 女性の高圧的な態度は俺でも少々腹に据えかねた。けど美人だからすぐに許した。美人じゃしょうがねえな。
 俺は天ヶ峰の肩を叩き、
「仕方ない、天ヶ峰、今日のところは引き下が」
 ごきっ。
「ギャァァァァァ俺の腕がァァァァァ!!」
「後藤ォ――ッ!」
 横井が駆け寄ってくる。
 くそっ、頭に血が上っている人間にうかつにさわったのが間違いだったぜ。
 俺は気息を充実させて痛みに耐えた。
 天ヶ峰は俺の腕をねじった姿勢のまま、女性をにらみつけた。
「カチンときてるんですけど」
「あら、ごめんね。でももう子供じゃないんだからわかるでしょ? 世の中には事情ってものがあるのよ」
「ふうん――子供、ね。そういう割にあんたもまだ大学出立ての歳なんだね」
「えっ……なっ!?」
 女性が驚いたのも無理はない。天ヶ峰はいつの間にか、何かの身分証明書らしきものを指でつまんでしげしげと眺めていた。いまの一瞬で女性からスッたらしい。
「いつの間に……まさかあなたもサイキックを……?」
「さあ、どうだろね、国家異能特別監察局局員の犬飼今宵さんなら……わかるんじゃない?」
 天ヶ峰はにやにやしながら身分証を女性――犬飼さんに投げ返した。犬飼さんはぎっと歯を食いしばったが、大人の女性らしく、呼吸ひとつで冷静さを取り戻した。
「ここじゃ都合が悪いわ。屋上へいきましょう」





『登場人物紹介』



 天ヶ峰美里……伊澄西小の『愛死苦(アイシクル)』。元いじめられっ子。圧倒的な戦闘力を誇る。


 犬飼今宵……国家異能特別観察局局員。


 茂田……逃げた。






「にしても天ヶ峰のやついつの間に身分証を……全然見えなかった」
「やつの動きは見るものじゃないよ横井。感じるものなのさ」
「え、なにその古い映画みたいなセリフ」
 横井の返しが気に食わなかったので俺は無視することにした。
 屋上へ出ると、ぶわっと風が吹いていて思わず目を覆った。天ヶ峰と犬飼さんという名前らしい女性はほこりっぽいビル風などモノともせずに突き進み、向かい合った。
「あなたたちは沢村くんの友達、ってわけね。心配してお見舞いに来たのだろうけれど、タイミングが悪かったわね。まさかこの私と出くわすなんて」
 正しくはクラスメイト二名と債権者一名である。
「国家……国家なんとか局のなんとかって人がわざわざ来てるってことは、やっぱり沢村には何か特別な力があるのね」
「犬飼です」
「犬飼……?」
 天ヶ峰は小首を傾げた。こいつもう相手の名前を忘れてやがる。これだから脳筋は困る。
「で、えーと、犬飼さん。こんなところへ呼び出してくれちゃって、わたしたちに何を話してくれるのかな?」
 ばきばきと拳を鳴らす天ヶ峰。
 犬飼さんは眼鏡のつるを押し上げながらふっと笑った。
「そうね……私たちは政府から派遣された超能力者を調査する機関の者よ。沢村くんには発火能力が顕現したという情報があって、話を聞きにきたの」
「だまされないよ。話を聞くだけとか言って、沢村をバラバラにしたりホルマリン漬けにしたりするんでしょう! そんなことされちゃたまらないよ!」
 横井が俺の脇を突いてきた。
「天ヶ峰、ひょっとしてまさかの正義に燃えてるのかな?」
「いや、違うな。やつはただ金が欲しいだけだ」
「…………」
 犬飼さんはやれやれと首を振った。
「信じてもらえないようね。いまのところは本当なのだけれど。仕方ない……どの道、政府が超常の力を認識していることを国民にバレるわけにはいかないの」
「その心は?」
 犬飼さんは右手を掲げた。しゅっと音がして、袖の下に仕掛けられたギミックが作動したのだろう、右手にはグロックが一瞬で握られていた。
「死んでもらうわ」
 シャレではなさそうである。
 天ヶ峰は両拳を上げてボクシングのオーソドックススタイルを取った。右拳は顎の前、左拳は少し前に突き出している。ジャブのためらしい。
 それを見て犬飼さんはぷっと吹き出した。
「何、その構えは? まさか拳銃相手に拳でどうにかしようなんて言う気じゃないでしょうね」
 天ヶ峰はにやにや笑って、トーントーンとステップを踏み始めた。よくもまァローファーであんな器用に動き回れるものである。
 しかし拳銃はさすがにやばい。俺は横井の袖を引いた。
「な、何?」
 横井はテンパっている。
「伏せろよ。流れ弾に当たりたくないだろ」
「あ、ああ……」
 横井と俺は腹ばいになって横たわった。天ヶ峰のスカートが風に翻って中身を露呈しそうで胃のあたりがむかむかしてくるがわがままは言えまい。
 横井は思い出したように言った。
「なあ、逃げた方がよくね……? 天ヶ峰には悪いけど……」
「逃げたことがバレたらどうなる」
「それはそうだけど流れ弾も怖いし……」
「大丈夫だって。よく考えろよ、犬飼さんはまず一番戦闘能力の高そうな天ヶ峰を狙うだろう。人を撃つときは胴体か頭を狙うはずだ。つまり、天ヶ峰の膝から下にいれば俺たちに流れ弾は当たらない。射線から逸れているからだ」
「なるほど……」
 横井は納得しかけたが、あっと何か思いついたような顔をして続けた。
「でも乱戦になったら? めちゃ撃ちされたら俺たちにも当たるかもしれないじゃん」
「乱戦にはならない。天ヶ峰は取っ組み合いなんて品のないことはしない。必ず射程距離圏内からの拳でKOして終わらせるはずだ」
「……KOできなかったら?」
「ああ? おまえ何言って……」とそこまで言って俺は気づいた。
 確かに白兵戦なら、拳が当たりさえすれば天ヶ峰は負けないだろう。それは実際にテンプルを撃ち抜かれた俺がよく知っている。あの拳の破壊力は人体の耐久力を超えている。
 だが、天ヶ峰といえども実銃相手の勝負は初めてだ。当たり前だ、あいつはただの女子高生なんだから。
 射程距離圏内に入る前に撃ち殺されれば拳が届くも糞もなかった。
 俺は腹ばいになったまま、ずりずりと後ろに下がった。横井もあわててそうした。
 覚悟を決めて、逃げる算段をしておく必要がありそうだった。



 犬飼さんは拳銃を構えて、よく狙いをつけていた。ひょっとすると実際に撃ったことはないのかもしれない。
「フンフンフン♪」
 鼻歌まじりに、左右へステップを踏み射線から巧みに逃げる天ヶ峰。しかし実際には少しずつ距離を詰めている。常に肩を動かしているのは一見無駄に見えるが、実際のモーションに入った時に相手の反応を鈍らせておくためだろう。遅効性のフェイントというやつだ。
 勝負は一瞬でつくだろう、と俺はアタリをつけた。射殺かKOか。
「何かやってるの、その構え」
 と、犬飼さんが喋りかけた。さっきまでの余裕が少し消えている。天ヶ峰の流れるような動きに狙いが定められずにいるからだろう。
 天ヶ峰はにぱっと笑って、
「べつに。強いて言うなら独学」
「独学にしては……うちのSP並に迫力のある動きね」
「あはっ、ありがとう。このあたりって治安悪いからさあ、女子高生やっていくのもタイヘンなんだよね」
「異常ね……そんな女子高生聞いたことないわ」
「じゃあ覚えておいてよ。あたしが、その異常な女子高生です」
「!」
 天ヶ峰が動いた。打ち放しのコンクリートを砕かんばかりのダッシュ。ウルフカットが風に巻かれて逆立ち瞬速の拳が飛んだ。
「死ね!」
 ダンッ!
 銃声と共に犬飼さんの銃が跳ね上がった。だが、
「!?」
 天ヶ峰は倒れない。なぜなのか犬飼さんには最後までわからなかっただろう。弾丸が当たらなかった理由。――天ヶ峰はこの土壇場で右構えから左構えへクイックシフトしていたのだ。一番狙いやすい左胴体が引いて右胴体が前へ出ている体勢。それで本来は心臓を撃ち抜くはずだった弾丸が二の腕をかすめて飛んでいってしまったのだ。
「このッ――!!」
 犬飼さんは二発目を撃とうとしたが、間に合わなかった。その前に天ヶ峰の右拳が逆袈裟に銃身をぶん殴り、拳銃を大空へ舞い上がらせていた。天ヶ峰はダン、と足をその場について、
「勝負あり、だね」
 言い放った。
 強い。なんだこの人。改めて人間じゃねーなあいつ。
「くっ……」
 犬飼さんは痛めた手を抱えて後ずさった。
「ば、化け物め……もしかしてあなたもやはり、何かサイキックを……?」
「ええっ? そ、そうなの……?」
 おまえが聞いてどうする。
 自分の両手を見つめて神妙なツラをし始めた天ヶ峰が、どうやら素で強いただの一般人なのだと認識したのだろう、犬飼さんは自説を引っ込めた。
「いいわ……今日のところは私の負けね。おとなしく引き下がることにするわ。第一、たかだか女子高生が政府の超能力機関について喚いたところで誰も信じたりはしないし」
「じゃあ撃ってきたりしないでよ! 弾丸避けるのめっちゃ怖かったんだから!」
「念のため、よ。……それほど重要な案件ということ。あなたたちはそれに関わってしまった。後悔しないことね……へぶしゃっ」
 犬飼さんは最後にくしゃみをして、どやっとした顔をした。しまらない人だなあ。
「ふふふ」
 天ヶ峰が悪魔のように笑う。
「逃げられると思ってるの? 捕虜はね、情報をもぎ取られるためにいるんだよ?」
「あなたこそ逃げ切れると思っているのかしら……運命の輪から、ね……」
「運命……?」
 その時、バラバラバラと轟音を立ててヘリコプターが飛んできて太陽光を遮った。一瞬の曇りに囚われた俺たちを残して、犬飼さんが降りてきた縄梯子に捕まり飛び去っていく。
「しかるべき時が来るまで……沢村くんは預けておくわ! せいぜい、大切にしてあげることね」
 病院上空から立ち去ろうとするヘリコプター。どうでもいいが騒音とか大丈夫なのだろうか。
 風でデコ丸出しになった横井が轟音に負けないように叫んだ。
「たい――ったな!!」
「ああ――? なん――だ――ぇ?」
 横井は思い切り息を吸い込んで、
「大変なあ――事にい――なったなあ!!」
「ああ――そ――なぁ――!!」
 どうでもいいが、今のやり取りで耳が遠くなった時のことを想像して鬱になった。若い時代は大切にしようっと。
 俺と横井は立ち上がり、天ヶ峰に駆け寄ろうとした。ヘリコプターは今まさに大都会の海原へと飛び去ろうとしていたし、今日の一件はさすがにこれで終わりだろうと俺も思っていたのだ。だが違った。天ヶ峰美里にそんな惰弱さは皆無だった。
 ダンッ!
 なんのための踏み込みなのか理解に苦しむ猛ダッシュ。天ヶ峰はそれで弾丸のような加速を膝から受け取りフェンスへと突撃。緑色の網目の直前でまた下方へ踏み込み。地面へダッシュの力をぶつければそれは猛烈なジャンプとなり、天ヶ峰は文字通り跳ねた。金網の構造を見なくても理解しているとしか思えない速度で爪先を突っ込んでは蹴りあがっていく。隣で横井の顎が落ちる音がした。俺の顎も落ちていたと思う。
「勝負はまだ――ついてな――いッ!!」
 相手ヘリコなんですけど。
 天ヶ峰は鬨の声を上げて金網のてっぺんから飛んだ。白ビル八階、転落すれば即死は免れないその高位へためらうことなく飛んだ。まだ縄梯子をえっちらおっちら登っていた犬飼さんが度肝を抜かれてそれこそ落ちそうな顔になっていた。
 がしっ。
 天ヶ峰の右手が縄梯子の一番下を掴んだ。そして、まるでスローモーションが終わったかのようにあっという間に時間が過ぎ去って、ヘリコプターもまた大空へ飛び去っていってしまった。嘘のように何もなくなった青空を見上げて、俺と横井は呆然とその場に立ち尽くした。
 ただのお見舞いだったはずである。

     


 俺と横井がノックすると沢村は自分で病室の扉を開けて顔を出した。
「お、おお? 後藤に横井じゃん。なになになに、どしたのどしたの」
「見舞いだよ見舞い」
 さすがに天ヶ峰が残していった色とりどりの借用書の束は渡すに忍びなかったので捨てた。
「他校のやつと喧嘩したんだって?」
 さも人づての噂の果てに尾ひれがついたような風を装って俺が言った。そうでないことはもちろん俺が一番よく知っている。ついでに横井も。
「そうなんだよ。いや俺もよく覚えてねえんだけど、なんか変な女子高生が……」
 そこでちょっと口ごもって、
「ああ、いや、すげえ強い女子高生がなんか襲い掛かってきて……肉体的な意味で」
「物理的な意味で?」
「そう」
 俺と横井は顔を見合わせた。どうやらやはり、沢村キネシスについてはまだ打ち明ける気にはなれないようだ。そりゃあそうだろう。俺だって手から火ぃ出たらちょっと友達に相談するには時間をかける。
 そういう時は、日常の話題をするのが一番だ。
「俺と横井は見舞いなんか来たくなかったんだけどよ、酒井さんがいけいけってうるせーんだ。なあ横井」
「そうそう。それに天ヶ峰のお供まで……」
 そこまで言いかけた横井の腹に容赦なくエルボー。馬鹿が、余計なこと言いやがって。沢村の顔色がいちじるしく悪くなったじゃねえか。
「天ヶ峰……? あ、あいつも来てんの……?」
「いいんだ。もう終わったことだ。忘れろ」
「そうか……」
 沢村は意気消沈してベッドにもぐりこんだ。遠い目をしている。
 俺は腹を抱えている横井の爪先を踏んだ。この空気の責任はおまえが取るのだ少年。なんだその涙目は。俺の機転で流れ弾に当たらずに済んだんじゃん。
「あ、えっと……なんか悪いな沢村、見舞い品もなくって。あ、果物がある」
 横井がめざとくベッド脇の果物籠に目をつけた。沢村はちょっと嬉しそうな顔になる。
「おお、昨日届けてもらったんだ。早く喰わないと悪くなっちまうし、一緒に喰おうぜ」
「いいの?」
「うん、俺一人じゃ食べきれねーし。悪くしてももったいないだろ? 喰おう喰おう」
「ありがとな沢村」
 横井は籠からリンゴをひとつ取り、添えてあった果物ナイフと一緒に沢村に差し出した。沢村は笑顔のまま戸惑っている。
「?」
 沢村はきっと無意識だろう、リンゴとナイフを受け取った。そしてしばらくしてから言った。
「お……俺が剥く感じ……なの?」
「え、うん」
 横井……おまえ最低だな……。
 日が暮れかかった病室の中、ひとりしゃりしゃりとリンゴを剥く沢村の寂しい姿が印象的だった。誰だよこの悲劇を作ったのは。俺もう悲しくて前が見えねーよ。
「よし、できた。喰おう喰おう」
 ことさらに明るく振舞おうとする沢村が、取り皿にリンゴを三切れずつよそって手渡してくれた。爪楊枝をブッ刺して三人でもしゃもしゃと食った。
「うまいな」
「うまい」
「おお」
 それでなんとなく「まあいっか」みたいな顔に沢村がなってくれたので一安心である。男子はこういうとこチョロイなって思う。俺も男子だけど。
「具合はいいのか?」もぐもぐ。
「おう。もう来週からは学校いけるって」
「そか」
「検査入院みたいなもんだったらしい」
「へえ。でもあれだな、そんな恐ろしい女子高生がうろつき回ってるなんて世も末だな」
「ほんとだよ」
 沢村は肩を落とした。
「最初声かけられた時はちょっと舞い上がっちゃってさ。黒髪ロングだったし」
「黒髪ロングじゃ仕方ねえな」
「そうだろ。それでのこのこついてったらいきなり燃……どつかれて追っかけ回されてとどめに後頭部への一撃だよ。死ぬかと思った」
「物騒だなあ。今後は護衛をつけた方がいいな」
「護衛?」
「ああ。誰かと一緒に登下校すればそいつももう手を出してこないだろ」
 本当はもう犯人の紺碧の弾丸さんとは話がついているのだが、リアリティのためにまどろっこしい手続きを取ってみた。沢村は嬉しそうな顔をした。
「マジか。それ助かるよ。いやーほんとは引きこもろうかと思ってたくらいでさ。ありがとう」
「なに言ってんだ水臭い。俺と沢村の仲じゃねえか」
「後藤……!」
 俺たちは固い握手を交し合った。ま、たまにはな。
「じゃあそろそろ俺ら帰るわ。おい、いつまで喰ってんだ横井。いくぞ。じゃあな沢村」
「ああ。今日は来てくれてありがとな」
「おう」
 帰り際、あっと沢村が声をあげた。俺は振り返った。
「どうした?」
「あのさ後藤……もし俺がさ……」
「うん」
 沢村は何か言いかけたが、結局やめた。
「なんでもないわ。じゃあまた学校で」
「ああ、また学校で」
 俺と横井は病室を後にした。
 隣を見ると横井が珍しく神妙な顔をしていた。
「沢村のやつ、ひょっとして沢村キネシスのこと……」
「打ち明けようとしてたんだろうな」
「あの犬飼って人になんか言われたのかな?」
「かもな……ま、あいつが言いたくなったら聞いてやればいいって方針は変わらないし、いいんじゃねえか、ほっといて」
「そだな……」
「ま、俺はそれほど重大なことだとも思ってねーよ」
「なんで?」
「だって沢村の手から火が出ただけじゃん」
 横井は、そのあとに俺が何か言うのかと思って黙ったらしい。が、俺が何も言わないので、俺の言いたいことがそれだけだと悟ったようだ。神妙なツラが意外そうなツラになった。
 別に大したことはないのだ。紺碧の弾丸さんが殺人者になったわけでも犬飼さんの凶弾に横井が倒れたわけでもない。何か起こったら起こった時に悩めばいい。それだけのことだ。
 病院の外に出ると風が出ていた。そろそろ夏が来る。鬱陶しいが相手をしてやらねばなるまい。夏休みをもらえる身分じゃ文句も言えねえ。
 勝手知ったる地元の道を闊歩していると、突然横井が立ち止まった。
「どうした」
「あ、あれ……」
 指差した先にいたのは――


「あれ? 待っててくれなかったの? ひどいなァ――わたしがどんな思いで帰ってきたと思ってるのさ?」



 天ヶ峰美里は満面の笑顔で、拳をべきべき鳴らした。
 しまった。こいつの存在をすっかり忘れていた。
「あのままヘリで敵のアジトを壊滅させてくるのかと思ったよ……」
「あはは、さすがに上から鉄砲バンバンやられちゃ降りるしかなくってさあ。裏山の森に落ちたからよかったけど」
「道理で制服に葉っぱとか土とかがくっついてるわけですね……」
「うん。それでさあ、もうこの時間だとお見舞いの受付終わってるでしょ? 困ってるんだ、わたし今お財布の中120円しかなくて」
 なくて、なんだと言うのか。そんなもん俺たちの知ったことではない。ジュースしか買えないねとでも言わせたいのか。そうはいくか。絶対に言わないぞ。
「横井、ひるむなよ。……横井?」
 隣にはもう横井の姿はなかった。すわ、逃げたか、と思って首をめぐらせて、俺の想像が途方もない誤解だということを知った。
 二十メートル先で横井が腹から煙を出して倒れている。
 とん、と天ヶ峰が俺の肩に顎を乗せてきた。
「ジュースしか買えないね、って言って」
「…………………………」
「ジュースしか買えないね、って言って?」
 駄目だ。お母さんごめんなさい。俺にはこのプレッシャーをはねのける機能がありません。せめて目をそらしながら俺は屈辱に耐えた。
「ジュース……しか……買えない……ね……」
「僕のお金をあげるよ、って言って」
「勘弁してください……」
「恨むなら沢村を恨みなよぅ」
「有り金取られて明日から俺たち何を食えばいいんですか……」
 天ヶ峰は顎をめぐらせて俺と至近距離で見詰め合い、指で地面を示した。
 正しくは、俺の靴を指していた。
「やめてください……助けてください……」
「ねーえ、わたし、来月のバイト代が入らないとご飯食べられないんだあ。可哀想でしょ?」
 可哀想なのは俺だ。
 俺は必至に目をつぶって、最後の手段に出た。ここまで来たら根競べだ。見ざる聞かざる言わざるで押し通す。呆れられてもいい、嘲笑われてもいい。俺は死にたくなかった。
 髪を掴まれた。目を固く閉じたまま俺は歯を食いしばった。髪の毛がなんだ。俺は昼食代もなしに高校生活なんて送る気はないのだ。振り回すがいい、引きちぎるがいい。俺は負けない!
 だが、予想に反して天ヶ峰の手つきは優しかった。ゆっくりとだが有無を言わさず、俺をその場にひざまずかせた。そのまま、俺の頭を持って、どうやら自分の腹に当てたらしい。まるで倒錯したカップルみたいな体勢で恥ずかしくなる。俺はどうか横井が気絶しているか、さもなくば死んでいることを願った。それにしても天ヶ峰は何がしたいのだろうか。一瞬後、答えが出た。
 ぐうううううううううう…………
 獣のうなり声だと思った。
「聞こえた?」
 天ヶ峰の悪魔のような声。
「わたしの・お・な・か・の・お・と?」
 ひ。
 ひィィィィィィ…………!!







「星が……綺麗だな……」
「あァ……そうだな……」
 かわっぺりの土手に俺と横井は少しだけ軽くなった身体を横たえて、星空を見上げていた。ちかり、と流れ星が光ったように思えたが、それは俺の目が涙で滲んで映ったゆらめきに過ぎなかった。
 クラスメイトの手から火が出たからなんだというのだ。
 クラスメイトが悪魔よりかはいくらかマシじゃん?





 クラスメイトの手から火が出るところから始まって、どうしてカツアゲされて終わるのかがわからない。が、現に俺の財布はカラッケツになってしまって毛クズも出ない。
 まァ、天ヶ峰美里と絡んでいればこの程度の災難は慣れっこになってしまうので、俺はくよくよするのをやめた。そんなことをしていても一銭になるわけでもなし。それに気に病んで不登校をキメこんだところで「あれ? あいつ最近こないな」と無駄に天ヶ峰の眼をこちらへ向けてしまうだけで逆効果だ。最悪、天ヶ峰が玄関口で「おおい、おおい」とこっちの名を呼びながら扉を叩くという放送できない恐怖劇が開催されることになる。小三の頃に転校していってしまった宮崎くんはその恐怖に耐え切れなかったと聞く。元気かな、宮崎くん。あいつ俺のビーダマン借りパクしてったんだよな……別にいいけど。
 ま、ないものは諦めるか。俺は割り切って、月曜の朝を迎えた。
 ベッドを蹴飛ばしてその上に乗っていた本の類を床へ蹴落とした。できればそんな風な扱いはしたくないのだがこうでもしないとテーブルの上が満タンになってしまうのだ。俺がすべて中古書店の100円均一で買い揃えたこの蔵書は漫画喫茶を一軒も持たないこの町では貴重な情報源となっている。一日10円で貸している。返却延滞の場合は取立人がいく。誰がいくのかはわかってもらえると思う。
 俺はパジャマのままザッバザッバと本の海をかきわけ、リビングへいった。腰から下を埋めたままレンジ用コンセントに繋いである携帯をいつものように抜き取ると、着信が一件。内容はメールで確認して、俺はため息をつく。
 七時半登校は一週間前には言ってもらわないと困るよ。



 ○



「ういーっす」
 教室に入った俺は度肝を抜かれた。机と椅子が重ねられて隅へ追いやられていたからだ。俺は教室に集まっていた横井や酒井さんを筆頭にした同級生どもにうろんげな視線を向ける。
「なに? これからワックスでもかけんの?」
「残念ながら違う」
「お――」
 教壇に腰かけているのは学ランを着た金髪ショートカットの美少女。腕を組んでこちらを見下ろすその目は青。写メでも撮れば金まで取れそうだが俺はまだ携帯を無くしたくない。
「よお紫電ちゃん」
「ちゃんづけはやめろ。貴様と私はお友達ではない」
 金髪碧眼の美少女――西高の鬼の生徒会副会長こと立花紫電ちゃんは豆腐ぐらいならスパッといけそうな目で俺を見た。基本的な人間の権利がそろそろ欲しい今日この頃。
「おい、紫電ちゃんのやつあんなこと言ってるぜ茂田よ」
 俺はいつの間にか隣にいた茂田に言った。
「生徒会副会長のセリフとは思えねーよ。校内の風紀が乱れたらどうするんだ」
「そうだぞ紫電ちゃん」茂田も拳を突き上げて賛同した。
「うちの県は校内暴力が盛んなんだ。生徒同士の結束は必要だよ。だから写メを撮らせてくれ」
「…………」
 紫電ちゃんが組んでいた腕をほどいた。俺たちはその場に平伏した。
「ごめんなさい」
「すいませんでした」
 無言の重圧が一番こえーよ。やっぱからかう相手は選んだ方がいいな……。
 紫電ちゃんはまた腕を組んで拳に安全装置をかけた。
「私とて朝一で貴様らポンコツ3組の顔なぞ見たくなかった。だが今朝はどうしても諸君に直に伝えたいことがあってな。突貫で集まってもらったというわけだ」
「このお掃除フォーメーションはどういうわけで?」
「貴様らが私の話を直立して聞くためだ」
 せめてそういう忠義は任意にしてくれよ。でも逆らうと怖いので我らがポンコツ3組は教壇に腰かけた女帝の前に四列縦隊を男女で二つずつ作った。
「この中で、すでに気づいている者もあると思うが――」
 紫電ちゃんは足をぶらぶらさせながら言った。
「先日、沢村のやつが手から火を吹いたらしい」
「火ィッ! それはほんとでやんすか!? ――うおっ!!」
 あぶねっ! 黒板消し投げてきやがったあのアマ!
「黙らんか後藤! 話が進まん!」
「すみません」確かにそうだ。
「まったく馬鹿が。とにかく、いや酒井そんな人を哀れむような目で見るのはやめろ。どうにも本当らしいのだ」
「誰から聞いたの?」
 剣道部の酒井さんはあわよくば紫電ちゃんを保健室へ連れて行きたそうなツラをしている。
「美里だ」天ヶ峰ね。
「昨夜、メールでデコりながら送ってきた。沢村が発火能力……パイロキネシスに目覚めたとな。やつは馬鹿だが私に嘘はつかない。話によると政府のさる筋、ハウンドドッグとかいう暗殺者も動いているらしい」
 当事者の俺も初耳である。
 ハウンドドッグ? それってもしかして犬飼さんのことか?
 あいつ名前覚えないってレベルじゃねーな。犬しかわかってねーじゃねーか。
「それで、そのハウなんとかはどうしたの?」
「美里が追い返したそうだ。そういう事情もあるので、今後のことをみんなで考えていきたいと思う。どうすればいいだろうか?」
 教室にどよめきが起こった。
 俺は隣の茂田のわき腹を小突いた。
「どうすればいいと思う」
「発電所に売る」
 あーいま電気不足してるしなー……って違うわ!
「馬鹿! あの程度の火力で国難が凌げるかよ!!」
「そういう問題でもねえよ!」
 横井である。
「おう横井。来てたのか」
「最初からいたよ……」
「へえー」どうでもいい。
 俺は横井の向こうにいるロリコンの木村に話を振ってみた。
「沢村の手から火が出るんだってよ。はいどうする」
「見世物にして金を取る」
 ロリコンの木村は即答した。
 駄目だこりゃ。こいつ幼女以外は人間と思ってねーんだった。俺はさわらぬカスに祟りなし、ロリコンの木村のうしろにいたヤンキーの田中くんにも話を聞こうと思ったのだが、あいにくと田中くんは立ったまま寝ていたのでできなかった。
 と、女子陣の方がにわかに「おおおおお」と盛り上がってきた。すわ、戦さかと思って見ると、どうやら意見がまとまりつつあるらしい。ていうか四列縦隊守れよ女子。輪になってるじゃねーか。
 酒井さんが一歩前に出た。
「沢村くんには、私たちが気づいていることは黙っておいた方がいいと思う」
「ふむ――やはりそう思うか」
「うん。自分から言い出してきたら受け止めればいいし、やっぱり隠しておきたいと思ったら、そのまま気づいていないフリをしていてあげようよ。可哀想だよ、きっとテンパってると思うし」
 ちっ、ぶりぶりしやがって。何が「可哀想だよ」だよ。その舌先三寸で俺と横井の財布は壊滅して俺らの学園ライフ戦線は大混乱だよ。来月までどうやってメシ喰えってんだ。
「くそっ、なんだか正論を聞いていると逆らいたくなるな」
「ああ、やはり沢村はNASAや安田大サーカスに売るか劇団ひとりをふたりにするかのどちらかだな」
「ちょっ、おまえら! そういうこと今言っちゃ駄目だよ! 酒井さんいいこと言ってんだから」
 うるせえ横井。シメんぞ。俺はメンチを切ったが横井には効果がなかった。
 しかしまァ、おおむね酒井案は俺の案と同じだったので、特にそのことに対して俺から異論はない。紫電ちゃんもそうだったらしく、ふむふむと頷いていた。
「よし、それでは一同、『沢村のことはシカトする』でいいな?」
「言葉が悪いよ紫電ちゃん。それじゃ沢村ごとシカトしてるよ」
「む? ふむ……解釈は皆に任せる」
 おいおい。
「それでは朝から集まってもらってご苦労だったが、これにて解散。意見があるやつは手を挙げろ。――いないな? よろしい、ではくれぐれも沢村キネシスのことはこのクラス以外では内密にな。すべては我が校の安寧なる風紀のために」
 紫電ちゃんは学ランの襟を正して颯爽と出て行った。どうでもいいけど紫電ちゃんはいつも生徒会員着用必須の学ランの下にカリフォルニアのトウモロコシ畑がプリントされたTシャツを着ている。誰か止めないのかな。



 ○



 俺たちが椅子と机をいじめられた子みたいに元に戻しているとガラリ、と教室うしろの戸が開いた。みんなの視線がそこに集まった中、ふらりと床の木目に倒れこんだ男が一人。沢村である。
「沢村っ! お、おいどうしたっ!!」
 サッカー部の江戸川が駆け寄ったが、沢村は生身のまま洗濯機でガオンガオン揺られたような有様でまともにクチが利けないらしい。
「あ、……」
「あ? あがどうした」
「あま……」
 江戸川はそれですべてを察した。急に無表情になってぱっと沢村から離れた。支えを失った沢村の後頭部が思い切り床に激突したが、一顧だにせず江戸川は後退しモブの海へと戻っていった。サッカー部ってそんな処世術も習うの?
 そして、江戸川が表舞台から去ることになった原因がバァンと戸を足で開けて現れた。
「おはよう、しょくん! あ、沢村発・見! だめだよぅ勝手にいなくなったりしちゃあ」
 天ヶ峰美里はトラウマを負った子供が描いた似顔絵みたいなツラで沢村に近づいた。沢村がいやいやをしながら尻でずり下がろうとする。そして俺の足にぶつかってきた。
「た、助けっ……げほっ……てくれ……後藤……」
「どうした沢村。顔が白いぞ」
「家を出た……ら……いきなりやつが……どうして……俺が何をしたって……いうんだ……」
「ああ」
 俺はポンと手を打った。
「それなら理由は簡単だよ」
「ほん……とか……?」
「ああ」
 俺はすがりついてくる沢村ににっこり笑ってみせた。
「俺が呼んどいたんだ」
 人間は心から絶望した時、声も出ないものらしい。
「ほら、沢村に護衛をつけてやるってこないだ言ったろ? アレがその護衛だよ。朝一でおまえを迎えにいくようにって言っといたんだ」
 沢村が俺の足をゆさゆさ揺すってきた。
「後藤!? 俺なんかおまえにしたか!? 俺なんかおまえに許されざる行いをしたか!?」
「いやべつに」
 だって面白いし。それに天ヶ峰が手頃なおもちゃで遊んでいる間はこっちの負担も減るしな。
 俺は沢村の肩をぽんぽんと叩いた。
「よかったな。クラスメイトで幼馴染の女の子と一緒に登校できて」
「いやだあっ!! アレはちがう、そんなんじゃない!! そんな素敵なモノじゃない!!」
 俺も似たようなセリフを吐いてきたから気持ちはわかる。が、助けてはやらない。
「もぉー」
 天ヶ峰が一歩ずつ沢村に近寄ってくる。沢村の手が痙攣し始めた。
 がしっと白くて小さな女子の手にしか見えないなにかが沢村の肩を掴んだ。そのまま引きずっていく。
「そろそろ授業始まるよ沢村クン? はい、席につきましょうねー」
 ガン!
 持ち上げられて椅子にケツを叩きつけられた沢村から嫌な音がした。酒井さんなどはあまりの惨劇に目を覆っている。寺本さんは机に座って予習をしていた。そうだよな、一限の数学小テストあるもんな。十点はでかいもんな。人を見捨てたって仕方ないよな。
「はい、じゃあ教科書をかばんから出しましょうねー」
「やめてください自分でできますからほんとお願いしますやめてください手が取れます」
 天ヶ峰は一時的難聴を患っているようだ。嫌がる沢村の右手をかばんに突っ込み、無理やりナックルを作らせて数学の教科書とノートを取りださせ、机の上に広げさせた。そして沢村の右手に今度はシャーペンを握らせて、
「はい、予習しましょうねー。因数をバラバラにしたりくっつけたりしましょうねー」
 ノートにのたくった数式が描かれていくたびに、沢村のゲンコツがきしむ音がした。俺は隣の茂田に脇を突かれたので隣を見ると茂田が耳栓を差し出してきた。
「なにこれ?」
 と俺が聞くと茂田は無言でロリコンの木村を顎でしゃくった。木村はみんなにビニール袋に詰まった耳栓を配っていた。おそらくは世間の偏見と戦う時に木村がつけているもののスペアだろう。願わくばやつに対する世間の目が偏見でなく正当な評価だとやつが気づく日が早く来て欲しい。
 俺は耳にすぽっと栓をして、一限が始まるまで眠ったフリをして過ごした。
 悲鳴の振動がびりびりと足に伝わってくるのがちょっとかゆい。






『登場人物紹介』


 後藤……まじめ系クズって言うと怒る

 紫電ちゃん……学ランはちょっとぶかぶか

 ロリコンの木村……実妹モノはちょっと苦手

 江戸川……今後出る予定はない

 沢村……来るときにどんぐりを食べさせられた




 起きたら二限になっていた。何が起こったのか俺にもちょっとわからない。
 誰か起こせよ……小テスト終わっちまったじゃねーか。数学の中西は何やってたんだ。俺のこと嫌いなの?
 朝から憂鬱になることばかりである。
 俺はため息をついて教科書とノートを数学から日本史にクラスチェンジした。話は聞かないにしてもノートくらいとらないとな。
 教壇では日本史の志波がアラビア語みたいな字で日本についてなにがしかの記述をしている。よくあんな悪筆で教員試験に合格したものである。コネか賄賂か暗殺かどれかだろう。誰を暗殺すれば教員になれるのかは俺が知りたい。
「つまり……この時……。……。……」
 志波の声がとても遠くに聞こえる。
 ううっ、やめろそのシータ波をどっばどば出させる効能のある喋り方は。寺本さんが机に沈んでるじゃねーか。
「幕末……ペリー……黒船……」
 やばい、歴史を読み上げる声がジャミングされた無線みたいに聞こえてきた。くそぅ、このままだとちゃんとノートが取れなくて大変なことになってしまう。一度写させてやったら茂田―横井ラインの不足ノート分は俺が補うみたいな空気になってしまったので、ノートに不備があるとテスト前にゴミを見るような目で見られることになってしまう。
 周りを見るとやはりみんな眠そうだった。七時半登校だったしな、うち。
 それもこれも紫電ちゃんがメールで済ませるべきところを集合かけやがったからである。沢村のことで何か不備があれば紫電―天ヶ峰ラインで何もかも殲滅すればいいだけじゃん。あの人、天ヶ峰の膝蹴りボディに喰らっても生きてた唯一の生命体だし。
「zzz……」
 かくいう天ヶ峰はお気楽にお眠りあそばしている。幸せそうなツラしやがって、これだからどんな状況でも他人にノートを見せてもらえるやつは嫌いだよ。
 俺はシャーペンの先でぐさぐさ手をやりながら時計を見た。あと三十分で十分休みだ。
 ざくり。
 俺の手の甲にシャーペンが突き刺さった。しかしそれでも眠い。
 あわや後藤艦沈没か――というときにいきなり衝撃が襲ってきた。

 ぎゅるるるるる

 腹痛である。
 あたたたたた。これはやばいわ。一瞬で顔にびっしりと冷や汗が出てきた。なんか変なもんでも食べたかな……。
 こっそりと目立たないように腹をさすってみたが駄目だった。いててててて。腹ん中で高周波ブレードが荒れ狂っているとしか思えない。致死率100%である。
 このままではうんこを漏らしてしまう。おっかしいなあ。昨日の夜結構出たんだけどな……

 ずきききききぃぃぃぃん

 あ、これはまずい。意識がかえって冴え渡ってきた。眠気がぶっ飛ぶ痛みってちょっと俺のおなか頑張りすぎだろ。本体死ぬぞ。
 呼吸が浅くなってきた。
 恥も糞もあるか、手を挙げてトイレにいくって志波に言おうと思ったが、腰が浮かない。
 くうっ、やっぱ恥ずかしい! 恥ずかしいよ! 仮に保健室へいきますって言ってもへっぴり腰だからバレると思う。俺が出て行った後の教室でかわされるにやにや笑いのことを思うとトイレにいく前にこのクラスの連中を皆殺しにした方がいい気がしてくるからふしぎだ。くそぅ、うんこの何が悪いんだ!
 と、そこで俺はハタと気づいた。
 どうも腹部を押さえているのは俺だけではない。
 寺本さんは突っ伏しながら肩を震わせているし、横井は小ざかしく風邪の演技を始めて額に手を当てている。酒井さんは爪先で床を「の」の字に書き始めたし、茂田にいたっては椅子の上で正座している。気持ちはわからなくもない。
 これって……ひょっとしてクラス全員が同じ腹痛に襲われているのでは?
 なぜそんな怪現象が……集団食中毒でもあるまいに。今日び他人の作ったものは相手に食わせてから食べるのがこの町での作法である。地柱町で生きていくのはちょっと普通の神経をしているとむずかしい。
 俺は沢村を見た。
「う……ぐ……」
 沢村も腹を押さえている。しかも一番辛そうだった。目玉が半ば飛び出している。
 ひょっとして、これも沢村キネシスの一つなのではないだろうか、と俺は思った。
 超能力といえば念動力や発火能力も有名だが、それと同じくらいに精神感応能力……テレパシーも有名だ。突然の腹痛で沢村に秘められた新たな力が覚醒し、やつの痛覚が俺たちに感染してしまっているのではないだろうか。できればそんな力に目覚める前に普通にトイレにいってほしかった。
 まずい……このままだとポンコツ3組がくそったれ3組になってしまう。いや、ひょっとすると影ではもうそう呼ばれている可能性もあるが、そのあだ名が悪口じゃなくて真実にまで引き上げられてしまうと高校生として、いや人間としてかなりまずい。半笑いじゃ済まされないと思う。
 なんとかして沢村には元気よくトイレにいってもらわねばならないのだが、野郎、必死に唇を噛み締めて痛みに耐えている。仮に沢村が腹痛に耐え切れたとしても、クラス全員が耐え切れるとは限らない。なんとかしなければ。
 俺は隣の席の人間と相談しようとしたが駄目だった。左隣は沢村だし、右隣はあんまり話したことのない望月さんだ。いきなり望月さんに「沢村、うんこしたいみたいだぜ」とか言ったらたぶん望月さんはもう俺に椅子を貸してくれたりしなくなると思う。そうすると昼休みに横井が立ち食いで弁当を食う羽目になる。べつにいいか。
「望月さん、ちょっと」
「な……に……?」
 望月さんは息も絶え絶えである。
「沢村がうんこしたいらしい」
「ああ……やっぱり……」
 思っていたよりも望月さんは話の通じる子だった。よかったあ睨まれなくて。
 望月さんは自分のおなかを指差して、
「沢村くんキネシスの影響なの、これ?」
「たぶんな。みんな腹押さえてるし」
「そうなんだ……じゃあ……消そっか……」
「え?」
「沢村くんを……」
 望月さんの左手に刃が伸ばされたカッターが握られていた。俺は手刀でカッターを弾き飛ばした。ふう、これだから女子は油断がならない。
「消すのはやめとこ。な?」
「う……ん……でもこの痛み……耐えられ……ないよ……」
 確かに。もしこれが沢村の感じている腹痛だとしたら、あの野郎、頑張りすぎである。俺だったらこの三分の一の痛みでトイレではなく家に帰っている。
 しかし、あと二十五分、このまま沢村に無理を強いているわけにもいかない。なんとかしてやつがプライドを傷つけずにトイレへと迎える口実を作ってやらなければ、三限は本当に床のワックスがけになってしまう。
 しかしどうすれば……そこで俺は名案を思いついた。自習にするというのはどうだろう。たとえばいま志波が意識を失うか怪奇現象さんに殺されるかすれば、授業は自習となる。そうすれば教室でおとなしく算数ドリルと漢検の模試をやるやつなどいるわけもない。みんなバラバラに行動し始めて、沢村がトイレにいこうがいくまいが誰も気にしない。沢村には悠然と教室を出てもらいトイレで苦痛から解放されてもらう。そうすれば沢村キネシスも収まり、やつが感じている苦痛は当然、俺らからもなくなるという算段だ。そのためには志波を消さなければ。
 やはりカッターか……と身構えた時、俺は志波の顔をこの時間、初めてまともに見た。
「……新撰組……台頭……京都……芹沢……」
 志波は青ざめていた。もともとうらなり顔で太陽光を浴びせるのは健康上よくないんじゃないかと疑いたくなる顔色だったが今はもう本当にひどいことになっている。溺死体同然である。
 間違いなく志波も沢村キネシス(テレパシー版)の影響を受けていた。
 もちろん、教師陣は沢村の異能のことなど知るよりもないから、志波はその腹痛を己の不徳だと思っているのだろうが。
「志波先生も痛そうだね……」
 望月さんから喋りかけてきてくれた。ちょっと嬉しい。
「ああ、そうだな。志波がトイレへいってくれれば、自習になって話が簡単になるんだが……」
「たぶん……志波先生、ここが好きだからだと思う」
「え、教室が?」
 望月さんがゴミを見るような目で俺を見て、とんとんと教科書を叩いた。
「幕末……」
「ああ……」
 確かにいわれて見れば、このあたりの日本史の範囲は志波の大好物なところである。世に言う幕末である。黒船が来航し、役立たずの集まりに成り下がった幕府をDQN手前の維新志士たちが押し倒して国盗りした時代だ。今で言うならニートが永田町で政治家相手にポン刀を振り回していたようなものだ。胸熱である。
「この授業を最後までやりたいから……トイレにいかないんじゃないかな……」
 望月さんにそう指摘されて俺はまじまじと志波のうらなり顔を見た。急に冷や汗でてかるその顔が格好よく見えてきた。志波……今度のテストは俺ちょっと頑張るよ。とりあえずこないだ薦められた『燃えよ剣』だけはちゃんと読んでおくよ。
 だがそれはのちの話であって、今はとにかく早いとこ沢村のケツを便器に叩きつけないことにはバイオハザードは確実である。俺は沢村にならって念を志波に飛ばしてみた。頼む、志波! おとなしく心を折ってくれ。
 その俺の願いが通じたのか、志波が「うっ」とおめいてよろけた。教壇に片手をつく。しめた、限界か? 先頭の生徒が不審げに志波を見た。
 そのとき、志波の手からチョークが落ちた。どうもそれがわざとのようだったので俺が首を伸ばしてよくよく見てみると、志波は、
「おっと……」
 などと臭い演技をしてしゃがみこんだ。そしてそのままチョークがなかなかつかめないフリをしながら、
「あれっあれっ」などと言っている。
 教壇に隠れて見えなかったが、おそらく腹をさすって体力を回復させていたのだろう。志波……あんたって人は……。これが非常事態でなければ尊敬していたところである。
 志波が再び黒板に向き直り授業を続けてしまった。

 ずきいっ、ずきいっ

 ぐっ! 痛みがまた増してきた……今度は沢村が限界なのか? 俺は隣を見た。
 沢村の口が梅干みたいになっている。
 どうやら限界らしい。もう漏らしたんじゃないかと疑いたくなるツラをしていたが、まだいくらか持っているようだ。
 その時、沢村の手がそろそろと上がりかけた。
 お? 挙手するのか? それは大変な勇気がいることだが、大丈夫だ安心していい。
 もうみんなおまえがうんこしたいのは身をもって知っているのだからな! 頼むから早くいってくれ!
 沢村がなけなしのプライドを灰燼に帰そうとしたその時、バイクのエキゾーストのような音がした。
 屁である。
 俺は絶句した。このタイミングで? 馬鹿じゃないの? 沢村も同じ気持ちだったろう。手が引っ込んでしまった。いまここで教室を出れば屁をこいた疑いまでかけられるからだ。そう、屁をおこきあそばしたのは沢村ではなかった。俺はそれが誰かわかっていた。
 茂田である。
 この馬鹿、「わり!」じゃねーよなんだそのツラ。ほんと腹立つなおまえ……。
 しかしやってしまったものは仕方がない。こうなれば運命共同体、みんなで漏らせば臭くないの精神でいくしかない。いや臭いか。
 だがその時、奇跡が起きた。志波が「ごとり」と床に倒れこんだのである。
「志波先生! どうしたんですか!」
 前方にいた生徒たちが内股で志波に近寄る。
「気絶してる……」
 どうやら痛みに耐えかねていたところに茂田の屁が精神的なダメ押しになって意識を喪失してしまったらしい。いや、志波を馬鹿にはできない。齢四十五の身空で耐えられる苦痛でなかったのは確かだ。ほんともっと早くトイレいってよかったと思うよ沢村。おまえ耐えすぎだよ。
 俺は最後の任務を果たすべく立ち上がった。横井と茂田も俺にならった。
「自習だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 そのまま脱兎のごとく駆け出して教室の戸を体当たりでぶち破った。ガラス割れたしどう考えてもやりすぎだったが俺たちも限界だった。沢村がこの期に及んでモタつくようなら己らだけでうんこを完遂するつもりだった。いってえもう無理マジで出る無理くっそいてえクソだけにってやかましいわ!
 俺と茂田はそのまま教室と同じ階にあるトイレへ駆け込んでことなきを得た。というよりも、パンツをおろした瞬間にすうっと痛みが消えたのでそれで助かったのだ。どうやら一定の距離を置くと沢村との痛覚は断絶されるらしい。
「助かったな……」
「ああ……」隣の個室から茂田の声が降ってきた。
「ていうか茂田てめえ、あのタイミングで屁ぇこくか普通? 志波が死んだぞ」
「志波は日本男児だ。切腹できる志を持った立派な侍が腹痛ぐらいで死ぬはずがなかろう」
 なかろう、じゃねーよ。志波は帯刀もしてないしあいつの実家は愛媛でみかん作ってるから武士ではねーよ。ていうか武士は滅んだよもう。
「ふう……あれ、横井は?」
 いなかった。




 実は横井は、俺たちが教室の戸をぶち破った時、錯乱して校庭側の窓ガラスをぶち破って下の植え込みへ転落していたのだった。
 なんともまぬけなその醜態を、あわてて駆けつけてきた教師陣に連行され、哀れ横井は三日間の停学を喰らうことになるのだが、その時の俺たちはまだ何も知らずに、のんきに便器にまたがっていたのであった。
 あー、冷たくて超気持ちいい。







『登場人物紹介』


 後藤……タックルに定評がある

 望月さん……弾き飛ばされたカッターが壊れてしまったので、後藤のをパクった

 横井……停学

 沢村……テレパシーに目覚める

 天ヶ峰…寝てた




 四限が終わって、昼休みになった。横井が戻ってこない。
 代わりにお隣の沢村とメシを食おうと思って声をかけてみた。
「おう沢村ーメシ食おうぜ」
「あー、いや悪い。先約がある」
 先約? ずいぶん難しい言葉をお使いになる沢村である。そういう本の中でしか出てこない言葉を現実で使ってるともうこはんがなかなか消えないらしいぜ。
「俺の誘いを断って誰とメシを食うつもりだよ」
「いや、ちょっとね」
「女か」
「……んー、まあ、一応?」
 俺は沢村を殴った。
「痛い!」
「てめえ、二度とその顎でメシが食えると思うなよ!」
 手から火を出して燻ってた行動力まで燃えてきたんじゃねーのか? いきなり女の子と昼飯随伴とはハイスピードフラグじゃねえか。誰とだか知らねえが、いますぐその旗を死亡フラグにしてやるからそこに直れ。
「後藤……俺にだってな……事情ぐらいある!」
 パリィン!
 沢村が窓ガラスをぶち破って出て行った。割りすぎだろ。
 俺はたなびくカーテンを見てため息をついた。
「おい手芸部」
「ふあ?」
 天ヶ峰は寝ぼけ眼のまま顔を上げた。
「なに……眠いんだけど」
「おまえが三限に早弁してエネルギーが有り余っているのはわかっている。このガラスを木工用ボンドで直しておけ」
「ええー……めんどくさいなあ……でもそっかぁわたし手芸部か……じゃあ手芸しないとな……」
 天ヶ峰は素直にガラスの破片を拾い始めた。
 けだものの予想外に従順な姿を目の当たりにして教室がどよめく。コツがあるんだコツが。ここで気分に任せて俺を殴れば手芸部としての自分と矛盾が発生するので天ヶ峰は攻撃してこなかったのだ。役柄というものにこの女はちょっとしたこだわりを持っている。桜木花道がバスケットマンにこだわったのと少し似ている。
 俺が机に戻ると、椅子の上におひねりが置いてあった。助かった。天ヶ峰の行動を限定化させると有志による寄付が得られることがある。お互いにピンチになったときの保険は掛け合った方が得ということだ。
 とりあえずこれで昼飯代はゲットだ。沢村の弁当のおかずを奪い取る計画が頓挫した以上、購買へいってなにか調達してくるしかあるまい。胃がつぶれそうなくらい腹が減った。
「いこうぜ茂田」
「うむ」
 茂田と連れ添って購買へいった。
 普通のライトノベルなどでは購買は戦場だなどと言われることがあるがうちの高校の出張パン屋はすこぶる人気がない。
 というのも高校の裏通りにはB級グルメの格安店が跳梁跋扈しており、フェンス一枚飛び越えれば腹も満タン財布も痛まぬ免税地帯があるのでみんな監視教諭の須藤を振り切って外へと出て行く。
 ので、一階の角際にある出張パン屋『閑古鳥』は今日も人気がない。そもそも店名がふざけている。もっと熱くなれよ。
「うぃーっす」
「おう後藤か」
 店長のおじさんが笑顔を向けてきた。名前を覚えられてしまっているのが嬉しいような切ないような。
「今日はなんかいいネタないっすか」
「ああ、あるぞ。これなんかどうだ」
 おじさんはビニールで軽く包んだ焼きそばパンのようなものを出してきた。
「なんですこれは」
「うちの池で釣れた何かをさばいて乗せたものだ」
 ほら見ろこれだ。名状もできないものをさばいてパンに挟むんじゃないよ。高校生の胃袋がどれもこれも鉄でできていると思ったら大間違いだ。
「じゃあこれで」買うんかい茂田。
「毎度あり。380円」
「いつも思うんですけど、原価5円のくせに生意気ですね」
「ははは、そう言うなよ。おじさんがいなくなったら悲しいだろう。お友達代だと思ってくれ」
 悲しいこと言うんじゃねえよ。買うわ。
 俺と茂田が小銭を渡そうとしたとき、その手が何者かに振り払われた。
「何奴!」
「そんなパン食べてたらお腹壊しちゃうよ? 先輩」
 俺たちの前には、茶髪をツインテにした女子生徒が立っていた。俺はすかさず上履きを見る。ラインが緑。
「貴様、一年生だな!」
「お昼を買いに来ている二年生に何の用だ!」
 俺と茂田の警戒ぶりに茶髪は肩をすくめた。
「なあにビビってんですか。そんなだから駄目なんですよ男子は」
「ビビるに決まってる。おまえ電車の中でいきなり話しかけられたらどう思う? ものすごく気まずいだろう」
「できれば何事もなくこの哀れな二年生を見逃してほしいんだがな」
 俺たちをヘタレと思うか。くそ、こんな時に横井がいれば! 女子の対応はあいつの仕事なんだ!
 茶髪はハアと重苦しいため息をついた。
「まったく情けないなァ。あー、あたしは1-2の佐倉って言うんだけど」
 言いながら茶髪はお菓子コーナーからポテチを買ってその場で食い始めた。
「実は先輩たちにお願いがあって」ばりばり。
「ほう。なんでもひとつだけ言ってみるがいい」
「アハハ、面白い面白い」
 そこはかとなく気を遣われている気がする。
「で、頼みとは?」
「先輩のクラスに沢村なんとかって人がいるでしょ? その人と会いたいなあ――なんて? しかも二人きりで」
 お願い、と茶髪は片手拝みしてきた。なかなかサマになっているゴメンネである。
 フ――
「いやに決まってるだろ馬鹿か!」
 俺は体勢を低く構えて佐倉某のみぞおちにショルダーをかました。が、当然のことながらかわされて背後を取られた。ちっ、やはり人外。
「ちょっと! いきなり何すんのよ!?」
「うるせえ。事情がどうあれ沢村にいい思いなどさせられるか」
「仲間に好機が巡ってきたら妨害する、それが俺たち男子高校生だ」
「さ、最低だこいつら……!」
 茂田と俺はスクラムを組んでパン屋入り口を固めた。死んでもここは死守する。
 茶髪は心底あきれ返ったらしい。ポテチの空き袋をおじさんに渡しながら、
「べつに告白とかそんなんじゃないっての。相手の顔も知らないんだからさあ。ねえ、聞いたことない? 沢村先輩が手から火を出すって話」
 なんだその話か。
「野次馬ならクラス会議でアウトになった。本人をからかったりサーカスに売るのも駄目だ。遠慮してくれ」と俺。
「ていうか佐倉某、おまえどこでその話を聞きつけてきたんだよ。緘口令が敷かれてるはずなんだけど」と茂田。
「さっき生徒会室の前を通った時に副会長が喋ってた」
 あの人は常識人なんだって信じたかったよ。
 俺は頭を抱えた。
 どうしよう。沢村を見捨ててもいいが、その挙句に「超能力者のいる学校!」とかいってマスコミとかがたくさん来たりしたらすごくいやだ。コミュ力がないやつを見下してくるヤクザッ気に溢れた社会人がたくさん来る状況はポリゴンショックの時だけで充分だ。それからたぶん沢村から紺碧の弾丸さんのことが割れるだろうし、紺碧さんは俺と似たような人種だからたぶんマイクを向けられたらイライラしちゃってそいつを焼く。いまこの状況をなんとかしないと少なくとも一名以上の死者が出てしまうことになる。くそぅ、俺が茂田だったらこんな心配しなくていいのに。
「バレちゃしょうがないな。案内してやるよ」
 ほらあ! なにもう「友達になったね」みたいな顔で階段上ろうとしてんだよ茂田! しょうがなくねーよ。もう少し頑張ろうよ。
 だが二人はもう歩き出してしまった。俺は話に入れない子みたいに後をついていくしかない。
「で、沢村先輩は教室にいんの?」
「いや、さっき窓から出て行った」
「ふうん……あれ、二年の教室ってテラスあるんだっけ?」
 ありません。普通はそう思うわな。
 仕方ない。ここは俺が人肌脱ぐか。
「こっちだぜ」
「お、わかんのか後藤」
「まかせとけ」
 俺は先頭を切っててくてく歩いた。
 階段をのぼり、廊下を渡り、階段をくだり、廊下を渡り、階段をのぼり……
「循環してるじゃねーかッ!!」
「ぐむンッ!」
 そのツッコミは予想済みだ。俺は腕を十字にクロスさせて佐倉のケンカキックを防いだ。
「おい、先輩だぞ」
「人を謀るやつを先輩とは思いません」
 正論である。
「だがもう遅いわ。佐倉、おまえはすでに俺の術中にはまっている」
「なんですって!?」ノリいいな。
 俺は眼鏡のつるを押し上げながら、背中側の扉を開け、佐倉を中へ押しやった。
「痛っ! いきなり何を……」
「紫電ちゃん! ちょっと話がある」
 生徒会室には、一人しかいなかった。紫電ちゃんが寂しく出前のうどんをすすっている。
「ふぁん? ふぉふぉふぃふぇふぉふぉ」
「何言ってんだかわからねーが副会長、あんた沢村のことを大声で喋ってやがったな。野次馬が生まれてしまったから始末をつけてくれ」
「んん?」
 紫電ちゃんはうどんを飲み込んで頭にクエスチョンマークを浮かべた。
「何を言ってるんだ?」
「だからあ」
「私は今朝からずっとここに一人でいるんだが」
「…………」
「…………」
「…………」
 ごめん……。
 俺と茂田は佐倉を睨んだ。
「何者だ、てめえ!」と俺。
「紫電ちゃんを無駄に悲しませやがって!」と茂田。
「おい私は別に悲しくなんてないぞ」と紫電ちゃん。
 一方、佐倉は目から光彩を失わせて一歩下がった。
「フフ……バレちゃったか。じゃ、仕方ないなあ。先輩たちには……消えてもらっちゃおっかな?」
 佐倉はテーブルの上に置いてあったペン入れに手をかざした。すると地震もないのにペン入れがガタガタと震え始めた。
「うわっ、やっべえ地震だ!」
 机の下に隠れようとした茂田の尻を俺は思い切り蹴飛ばした。おまえちょっとは考えろよ! いまそういう感じじゃないだろ!
「ふざけていられるのも今のうちよ」
「俺をこいつらと一緒にしないでもらおう」
 心外である。
「これを見てもヘラヘラしてられる?」
 佐倉がペン入れにかざしていた腕を振り上げると、見えない糸に引かれたようにシャーペンやボールペンが空中に浮かび上がった。
「サイコキネシスってやつか……」
「よく知ってるね。勉強したの? 偉い偉い」
「えへへ」
 ちょっと嬉しい。
「ご褒美に……これをあげるよっ!」
 佐倉が腕を振った。
 じょりっ
「いってええええええええええ」
「ぐおおおおおおおおおおおお」
 飛来してきたペン類に肩やら肘やらを抉られた俺たちは床にひれ伏してのた打ち回った。
「くそ、なんて鋭いご褒美だ。まだ傷口がシビれてやがる」
「訓練された俺たちじゃなければ怒ってしまうところだったぜ」
「え……何この人たち気持ち悪い……」
 佐倉がバス酔いしたような顔で見た。ありがとうございます。
「やれやれ……どけ、私がやる」
「紫電ちゃん!」
「駄目だよ、ここは俺たちの出る幕だ!」
「なんでそんなもったいなさそうな顔をしてるんだ貴様ら。ご褒美が欲しければ後で私が直々にくれてやる」
 あざーす。俺たちはどいた。
 佐倉は分度器で顔を扇ぎながら高笑いした。
「アハハハハハ! なっさけない! 女の子の背中に隠れちゃうの、先輩たち? うわあ、ないわあ。そんなだからモテないんだよ?」
「いやそういうの関係ねーし……」
「性格以前に出会いとか話題がないんですよね」
 俺と茂田の重苦しい本音に佐倉が気の毒そうな顔になった。
「男子高校生って可哀想……」
「同感だ」
 そりゃないぜ紫電ちゃん。
「だが、こんなのでも私の可愛い同級生でな」
 そうこなくっちゃ紫電ちゃん! 異能者相手は初めてだけど、俺たちゃ心配はしてないぜ。あと同級生相手にそのでかい態度はどうかと思うよ。だから彼氏できないんだよ。
 紫電ちゃんは拳を構えた。
「これでも私は小学生の頃、南小の火流塗(ボルト)と呼ば」
「ハッ!」
 あっ!! 佐倉のやつセリフ中に攻撃しやがった!!
 なんてことを……紫電ちゃんは用意してたセリフを喋ってたから意識が散漫だったんだぞ。
 案の定顔面にペンを食らった紫電ちゃんは後方に無様に吹っ飛び、腰を思い切り机の角にぶつけて椅子側に転がり落ちてしまった。
 沈黙。
 俺と茂田は目を合わせた。
 こくん、と頷きあう。
「逃げっ……あっ」
 くそ! ズボンの裾をペンに縫いとめられていて走ることができない!
「頼む! 俺だけでも助けてくれ」
「あ、茂田てめえ! また一人だけ逃げるのか!」
「うるせえ! 紫電ちゃんがやられた以上シャレじゃ済まんぜ」
 確かに。
 しかし佐倉のあの満面の笑顔を見る限りは見逃してくれそうな気配はちっともない。人間の八重歯ってあんなに光るものなの?
「悪いけど、見逃しちゃ駄目って犬飼さんに言いつけられてるんだよね……特に後藤とか横井とか天ヶ峰とかは」
「俺は茂田です! そんな犬飼なんて人とは会ったこともないんだ!」
「あっそ。もうサイキック使うところ見られちゃったし、どっちにしても死んでもらわなくっちゃならないんだよねー」
 佐倉の周囲を土星の輪のように文房具類がめぐり始めた。
「さあて、じゃ、選んでもらおうかな……蜂の巣にされたいのか、切り刻まれたいのか?」
 俺たちは生唾を飲み込んだ。
「どうする……」
「股間だけは許してもらおうぜ……」
 変に現実味があること言いやがって。落ち込んできたぜ。くっそお、Tポイントカードがなんのためにあるのか知らずに俺は死ぬのか。
「まったく男子高校生は……」
「この声は……」
「紫電ちゃん!」
 紫電ちゃんは埃まみれになりながら生徒会長卓の向こうから這い上がってきた。口にくわえていたボールペンを当然のようにペッと吐き捨てる。
「この状況でもふざけていられるとは、貴様らはアホなのか大物なのか」
 いや、男子には切実な問題なんすよ。
「しかし安心しろ。もうやつの攻撃は覚えた」
 佐倉がむっと顔をしかめた。
「覚えた? さっきの一発で? ナメないで欲しいなあ。あたしのサイは子供の癇癪とは違うんだからね」
「ふん……どうだかな」
 紫電ちゃんは首をごきごき鳴らしながら、俺たちの前に立った。
 拳を構える。右手を口の前に、左手は腹を撫でるような位置に据えた。
「出たぜ……紫電ちゃんのヒットマンスタイルが……!」
「残念だったなエスパー少女。『南小の災い』と呼ばれた左が貴様をギタギタにしちゃうんだぜ」
 紫電ちゃんは照れて赤くなった。
「ば、馬鹿……黙ってろ」
 はーい。
 紫電ちゃんの左拳がひゅんひゅんうなり始めた。
 それを見た佐倉が大きなため息。
「懲りないなあ……そんなに死にたいの? ま、結局全滅させるんだから、なんでもいんだけ、どっ!」
 佐倉はその場でターンしてフライング文房具を撃ち放ってきた。必殺だと信じていたはずである。

 シィ……ン

 紫電ちゃんはその場から動かなかった。
「紫電ちゃん……?」
 からり、と俺の足に何かがぶつかった。見下ろすと、シャーペンが転がっていた。
 びっしりと。
「な……な……」
 文房具類の攻撃を一瞬ですべて撃墜された佐倉はあわあわと慌てふためいた。
「い、いったい何が!? 私が外すはずが……」
「……」
 紫電ちゃんは握っていた左拳を開いた。
 砕けた定規がぱらぱらと落ちた。
「…………」
「覚えたといったろう」
「あ……あ……」
「散々コケにしてくれたな。今度はこっちの番だ」
 佐倉が一歩下がった。紫電ちゃんが一歩進んだ。まるで蛇と蛙である。
 ごくりと生唾を飲み込み、佐倉は壁にかかった時計を見てはっと口を押さえた。
「大変! ポチの散歩の時間だわ! 悪いけどあたしこれで失礼しま」
「駄目」
「ぎゃっ!!」

 ぐわしゃぁっ……

 左のフリッカージャブが佐倉の顔面を撃ち抜き、佐倉はどうっとまっさかさまにひっくり返った。スカートが幼児も恥らうご開帳状態になった。
 ほう。
「どう思う……?」
「シマパン……だな」
 とりあえず写メった。



 ○



「ううん……はっ?」
 佐倉が目を覚ました。
「起きたか」
「あんたたち……ちょ、何コレ?」
 佐倉は縄跳びの縄で両手両足を縛られ、生徒会室の床に転がされていた。もぞもぞして縄から逃れようとしたが、縄は紫電ちゃんが全力で縛ったのでたぶんもう解くことはできない。
「くっ……この変態ども……この縄をさっさと外してよ! あたしに何をする気なの!?」
「事情聴取です」
 人をけだものみたいに言いやがって。
「ハンッ。事情聴取? あたしが口を割ると思ってるの?」
「と、申しておりますぜ、大将」
「ほう」
 学ランに白手袋をはめた恐ろしい紫電ちゃんが腕組みをほどいた。それを見ただけで佐倉の喉から引きつった悲鳴が上がった。あの左拳はすっかり彼女に西高生徒会副会長の危険性を刻み込んだらしい。
 紫電ちゃんが転がされた佐倉の顎を上履きの爪先で持ち上げた。それだけで佐倉は泣いた。
「あう……ごめっ……なさっ……なんでも……言いますからあっ……助けて……!」
「おとなしく質問に答えれば見逃してやろう」
「ありがとうございます!! ありがとうございます!!」
「さて……まず、誰の差し金で襲ってきた? 目的はやはり沢村か」
 佐倉はこくんと涙目で頷いた。
「はい……上からの命令で……」
「上?」
「私みたいなサイキッカーを集めて私兵団を作っている政府の機関です。BITEっていうんですけど、そこから指示を受けて……沢村くんを仲間に引き入れるようにって」
 仲間に? その情報は初耳である。
「沢村を仲間に誘ってんのか?」
「はい……というか誘うつもりで潜入したんですけどいつの間にかこんなことになってて……」
 まさかこれほどのフリッカー使いが都内の高校にいるとは思ってなかっただろうからな。
「沢村くんが入院してた時に上司が一度話を振ったみたいなんですけど保留されてしまって……で、今日、また断ってくるようなら殺してしまえとのことで」
 紫電ちゃんが胸糞悪そうな顔をした。
「標的が沢村だったからよかったようなものの、うちの生徒を殺そうなんて言語道断だ」
 紫電ちゃん?
「聞きたいことはまだある。おまえに指示を出した上司というのは?」
「犬飼って人です……」
 佐倉は床に額をこすりつけた。
「お願いです、命だけは! 命だけはご勘弁を!」
 すげえ大事(おおごと)になってるなあ。
「どうする紫電ちゃん。許してあげようか」
「駄目だ。地下牢に監禁する」
 聞かなかったことにするよ。
 紫電ちゃんは泣き叫ぶ佐倉の首根っこを掴んでどこかへ引きずっていった。俺と茂田は本当に自然な気持ちから、彼女の行く末に向って合掌した。
「強く生きていってほしいな」
「ああ」
 さて、昼飯も食わずに昼休みが終わろうとしている。
「それにしても今度は敵対する超能力者の集団……BITEだっけ? 沢村も大変だな」
「同じサイキッカー同士の争いか……俺たちには関係ないな」
「まったくだ。平和な学園生活を乱さないで欲しいぜ。本音を言えば冬まで沢村に用はないんだ」
「ハライタで二次災害起こすしな」
 俺たちは散らばった文房具類を片付けて生徒会室を後にした。ちょうどチャイムが鳴ったので小走りで教室へと向う。
「あのさ」
 と茂田が言った。俺は睨んだ。
「なんだ」
 茂田はにやにやしている。こういう時のこいつはどうせろくでもないことを思いついたに違いないのだ。
「いや、大したことじゃないんだけど……最近の女子高生って」
 茂田は頬をぽりぽりかきながら、
「バイトで人を殺しに来るんだな」
「………………」
「ほら、BITEで、バイト……」
 ははっ。
 そうだね。
 死ねばいいのに。





『登場人物紹介』


 茂田…もうちょっと間合いを計ればもっとウケたなと思っている。

 佐倉…BITEの構成員。PK能力者とのコンタクトミッション中に失踪

 紫電ちゃん…テコ入れだと思われている

     


 横井の停学が明けてから二週間経った日、俺は沢村と一緒に下校していた。
「でさ……」
「へえ……」
 何気なく会話しているように見えるかもしれないが、俺も沢村もサシはちょっと辛いと思っているところだった。しかし横井はバスケ部脱走組の三浦とカラオケに行っているし、茂田は道を歩いていたらヤケドしたとかいう姉貴の世話で今日はもう家に帰ってしまっていた。それにしても茂田の姉貴の行動圏内には歩いてるだけで手を焼かれるところがあるのかと思うとこの町から出て行きたくなる今日この頃である。満喫ないし。
「誕生日のプレゼントって、何がベストなんだろうな」
「ベストを求めるから悩むんだよ。ベターで満足しとけ」
「おお……なんか深いな後藤」
「ああ、あとはこの理論を実践する機会さえあればな」
「なんかごめん」
「ははっ、気にすんなって」
 と言いつつ、てめー沢村、俺は今笑顔を振り向けているが貴様が最近一年生の美少女と非常階段裏で昼飯を喰っていたのを俺はすでに目撃済みだ。枕を高くして寝ていられるのも俺の五月病が治るまでだと思えよな。
 そんなこんなで俺が腹の中に底知れぬ闇を溜め込んでいると、横断歩道の向こうから不穏なツラがやってきた。
 天ヶ峰である。
「お? おー、沢村と後藤だ。きみたち付き合ってんの?」
「でさ、停学してる間に横井んちで起きた乱闘騒ぎのことなんだけど……」
 俺と沢村は話に夢中になっていて呼びかけに気づいていないフリをしたが無駄だった。天ヶ峰はすれ違いざま、俺たちの腹にポンと拳を当ててきた。
「なにしてんの?」
 逆らえません。
 俺たちは駅前のアイスクリーム屋でチョコミントアイスを食べたいのだということを打ち明けた。
「あたしも食べたい」
 ほら見ろこれだ。これだからテレビで出てきたものをすぐに食べたがるやつには言いたくなかったんだ。ついてくるに決まってやがる。
「いや、天ヶ峰、あそこのアイスすげーまずいらしいぜ?」
「えー。大手チェーン店でおいしいとかまずいとかあるの?」
 小ざかしいこと言いやがって。誰だよこいつに日本語を教えたのは。
「知ってる? チョコミントのあの緑の部分って虫を使ってるんだぜ?」
 アイス屋の親父がうしろにいたら首を絞められかねない嘘で沢村が打って出た。が、天ヶ峰はアハハハと笑う。
「篭城戦を思えば少しはマシだね」
 思うなよ。てかよく覚えてるなあんな嫌な思い出……
 俺と沢村は小学校時代の悪夢を思い出してうなだれた。九つかそこらで篭城をキメこんだ経験があるなんてこの町で育つか戦国に生まれるかのどちらかだと思う。
「で? 今日は二人のうちどっちがお金持ってるの?」
 ちっ、この人肌を暖かいまま剥ぎ取る悪魔め。
「アイス屋のクーポン券を重ねがけしてタダにするから、天ヶ峰の分はないんだ。ゴメンネ」
「じゃあそのクーポンはわたしのものだった気がする」
 違います。
「あそこのクーポンは裏に名前を記載していないと使えないんだ」
「ええ? なにそのクーポン? そんな制度聞いたことないよ」
「アイス屋の親父に言ってくれ。とにかく俺たちは夏に向けてどういう手順で120種のアイスを攻略していくか考えるのに忙しいんだ。手芸部は部活でもしてろ」
 天ヶ峰の脇を通り過ぎようとしたが、沢村がついてこない。なにしてんだ。
 沢村は中空を見つめて、
「悪い、俺いかなきゃ……」
 などと言い出した。
「腹でもいてえの? 無理すんなよ」と俺。
「すんなよー」と天ヶ峰。
「ちげえよ! くそ、おまえら人の気も知らないで……!」
「いいからいけよ。俺たちアイス食いにいくから」
「クーポン券を置いていけ」
「……! うわあああこの人でなしどもがああああああ!!!」
 沢村はクーポンを投げ捨てて走り去っていった。
「ふふふ、クーポンゲット! ……でも沢村、どこいったんだろ?」
「なんだおめー知らねーのか。遅れてるな」
「ええ? なんなの? 教えてよ後藤!」
 どうしようかな、と言おうとしたら腹に拳を添えられてしまった。やめてよこれ。ダメージないのに背筋が冷えるんだよ。
 俺は仕方なく白状した。
「正義の味方やってんだよ、あいつ」
「ああ、バイト?」
 違います。
「ほれ、あいつ手から火ぃ出せるようになっただろ?」
「?」
 覚えてないねその顔。忘れるか普通? 記憶野が脳内麻薬で燃え尽きてんじゃねーの。
 天ヶ峰は餌を待つ小鳥みたいな面になって、
「ああー。なんかあったかもそういうの。あれまだやってたんだ。で? 手から火を出してバイトしてんの?」
「バイトから離れろよ。ガスコンロがあればあいつなんかいらねえだろ。……おまえはその調子だと知らないんだろうが、最近沢村の周りには他の能力者がたくさん来るようになってな。野良の能力者とか犬飼さんのBITEって組織のやつらが」
「やっぱバイトじゃん」
 だあ! やっとそこから離れたのに! 誰だよこんなわかりにくいネーミングにしたの……かっこいいと思ってたの?
「とにかく!」俺は仕切りなおした。
「なんだかしらねーが最近超能力者がこの界隈にうろついてんだろ。で、沢村はそいつらと戦ってるってわけ」
「つまり、今から戦闘パートってこと?」
 うん……まあ……そうだね。
 天ヶ峰はその場で地団駄を踏んだ。
「なにそれ見たい見たい見たい見たい見たーい!」
「じゃあ見にいくか?」
「え、いいの?」
 俺に拒否権ってあります?


 ○


 俺と天ヶ峰は雑居ビルの屋上へ出た。初夏のにおいが顔を打つ。早く夏休みにならねーかなー。
「あれ? 沢村たちいないじゃん」
「ああ、それはな」
「謀ったな!!!」
 俺は頭を下げて天ヶ峰の回し蹴りをよけた。
「落ち着け。誰も現場にいくとは言ってねえだろ。それに沢村に見つかるわけにもいかねー」
「あー、そっか、火を出せることがバレてるってまだ知らないんだっけ沢村」
「ああ。だからやつらが主戦場にしてるビルを隣のビルから双眼鏡で眺めるんだよ」
 俺は鞄から双眼鏡を取り出した。天ヶ峰が感心したように言う。
「いつも覗いてんの?」
「うん」
 だって面白いし。
 紫電ちゃんがうら若い乙女を地下牢にぶち込んでから、沢村はかれこれ八人ぐらいとバトルしてるがそのすべてを俺は見てきた。そこには横井がいたり茂田がいたり紫電ちゃんがいたりなぜか望月さんがいたりもしたが、そのすべてを目に焼き付けたのは俺だけだ。今ではすっかり沢村の追っかけである。
「沢村のこと好きなの?」
「なんで女子ってすぐそういうこと言うの?」
「ご、ごめん……」
 珍しく天ヶ峰が謝ってきた。なんかこの話題で嫌な思い出でもあるのかな。
 俺は双眼鏡を覗き込んだ。
「はんぶんこしよ」
「わかりました」
 天ヶ峰と頬をつけあうようにして双眼鏡を覗き込む。二つに分かれるやつにすればよかった。こいつの髪の毛なんか硬い。
「わ、沢村だ!」
 隣の雑居ビルの屋上で沢村が両手から64/1スケールの炎を両手から出していた。最近気温が上がってるのってあいつのせいなのかな。
「あっち見てみろ。敵がいるぜ」
「どこどこ?」
 双眼鏡をスライドさせる。と、革ジャンを着た金髪浅黒のガキが帝王みたいな顔をして顎を突き上げていた。ガキといっても俺らより年齢は一つか二つ下だろう。ただし腕力は俺や沢村より一つ二つ上に見える。
 ガキもまた両手から炎を出していた。黒に近い紫色の炎だ。
「あー、二の腕がちょっと細いなあ」
「おまえどこ見てんの? 炎を見ろよ」
「うーん。火とか出されてもね……」
 そこだけ冷静か。こいつの興味の指向性がよくわからん。
「見ろ、なんか言ってる」
「後藤、読唇術で何言ってるか教えてよ」
「俺はメガネだから目を使う系は駄目だ」
「そういう問題?」
 ジト目で見てくる天ヶ峰を無視し、俺はエアコンの室外機裏に隠してあるとっておきのブツにかけていたブルーシートを剥ぎ取った。雨水が顔にかかって死にたくなった。
「なにそれ? グレネードランチャー?」
「科学部の桐島から借りてきた。これをこうして」
 俺はランチャーを肩にかまえて、向かいのビルの上空へとぶっ放した。といっても音は「プシュッ」と大したものではなかったが。
 ランチャーから吐き出されたタマゴ状のものが青空を背景にはじけた。パラシュートが開いて、下を向いたマイクがゆっくりと下降してくる。俺はランチャーについているイヤホンの一方を天ヶ峰に放った。
「音はこれで大丈夫だ」
「すごい! 桐ちゃんはやっぱデキる子だなあ。元気してた?」
「俺がこれ借りた時は上履きを食ってた」
 俺と天ヶ峰は双眼鏡とイヤホンを装備して腹ばいに戻った。耳元で沢村の声がする。
『てめえだな……南中の二年生を五人も病院送りにしたってのは!!』
 金髪がべろんと舌を出して沢村を嘲笑った。
『だったらなんだってんだよゥ。おまえには関係ねえだろ?』
『ある!! 俺も能力者だからな……同類が人の道から外れていくのを見過ごせねえよ』
『へっ……正義の殿様気取りかよ。気に喰わねえ……景気よく燃えちまえや!!』
 ガキが腕を突き出し、紫の炎を放った。沢村は横っ飛びによけたが、制服の裾が少しだけコゲた。
「あーっ!! あぶない沢村ああああっ!!」
「馬鹿、声がでけえ!」
 俺は天ヶ峰の頭をコンクリに叩きつけて深く伏せた。
『……いまの声は?』
『わからん。誰かいんのか……?』
 沢村とガキはいぶかしんでいるようだったが、すぐに気を取り直した。
『関係ねえ、目撃者がいるんならてめえを倒した後で燃やしてやるぜ、沢村!』
『なっ……どうして俺の名前を!?』
『有名だぜぇ……俺たちのチームを片っ端から潰して歩いてくれてるんだってなあ? 鈴木と野田が世話になったらしいな……!!』
『っ、あいつらの仲間か! 火遊びで何人も怪我させやがって……』
 話が逸れてくれたようなので、俺は天ヶ峰の頭から手をどけた。
「ふう……バレなかったようだな」
「ようだな……じゃないよ! いったーい!! もう、かすり傷がついちゃったじゃん……」
 かすり傷で済んだのがすげーよ。殺す気でやったんだぞ。
「もう後藤、次やったら許さないからね?」
「肝に銘じておく」
 そこで、大きな爆炎が向かいから上がった。
『くっ……!!』
 沢村の苦しげな声。どうも火力では向こうに分があるようだ。屋上がほとんど紫色の火に嘗め尽くされている。ぺろぺろ状態である。
『くそったれが!!』
 沢村も果敢に赤い炎をぶっ放して一瞬だけ紫の燎原に隙間をこじ開けるのだが、お気に入りのカップを壊しちゃった時のお母さんの怒りのように紫の火はその勢力を失うことはない。これはやべえ、と俺は思った。
「沢村……負けるかもな」
「そんなっ! なんとかできないの!? わたしが行こうか?」
「駄目だ」
「どうして!?」
「これは、沢村の問題だから……」
 天ヶ峰はぐっと唇を噛み締めて前へ向き直った。
「沢村……!」
『ぐあああああああああ!!!!』
 沢村が紫の火を食らってゴロゴロ転がっていき、壁にぶつかって止まった。背骨に来たらしく立ち上がることがなかなかできずに震えている。
 金髪が高笑いした。
『そんなもんかよ、ええ、正義の殿様さんよォ! ずいぶんナメた態度取ってくれた割には大したことねえなあ? ああ?』
『くっそ……』
『なんで俺に勝てないかわかるか? 弱いんだよおめーの炎はよお。こう、ぐあっとしたもんがねーんだよ。つまりビビってんだよてめーは』
『なん……だと……!!』
『炎ってのは酸素を喰らって大きくなるんだ。酸欠状態の炎なんか怖くねえや。さあ、とっておきのトドメといくか……!!』
 金髪が両手を掲げて、中空に巨大な火球を練り上げ始めた。
「やばい! あれは元気玉的な何かだ」
「じゃあ悪の気を持たない沢村ならなんとかなる?」
「フリーザが使うやつだから駄目だ」
「そんなぁーっ!! ちくしょうこんなことならもっと肉まん食っときゃよかったーっ!!」
 こんなときにヤジロベーのモノマネを始めた天ヶ峰のことは放っておき、なんとかしてやらねばなるまい。このままだとマジで沢村が焼き村になってしまう。
 俺はブルーシートから新しいウェポンを取り出した。頼むぜ桐島、あんたが頼みだ。
「なにそれ? ライフル?」
「ああ」
「ねえ、その手に持っているのは何?」
「タマゴ」
 俺はタマゴをライフルに装填した。ガシャコン、とレバーを引いてチェンバーをタマゴで満たす。
「食べ物は粗末にしちゃ駄目だよ」
「安心しろ、腐ってるやつだ」
 俺はフェンスの隙間に銃口を突っ込み狙いを定めた。金髪は沢村の頭を踏みつけてゲラゲラ笑っている。まったく生意気なやつだぜ。
 後輩にはキチッと年功序列を教えてやらねえとな。
 俺はトリガーを引いた。

 バシュッ

 タマゴは宙を切りさいて金髪の顎を撃ち抜いた。
 かくん、と金髪の膝が落ちた。同時に屋上を占めていた炎がすべて鎮火した。
「わ、横からの顎(ジョー)への一撃! これは立っていられないよ」
 俺は煙の出ていない銃口をふっと吹いた。
「よし、今のうちに沢村を回収しちまおう。いくぞ天ヶ……」
 いない。
 見るともう向こうのビルにいる。こっちに向かって手を振っている。俺も笑顔で手を振り返した。もう慣れちゃった。
 沢村を背負った天ヶ峰がペントハウスに消えるのを見て、ランチャーとライフルをブルーシートに隠しながら、俺は沢村について考えていた。今日は秘密道具を設置してあるポイントだったから援護できたが、そうでなければ沢村は死んでいたかもしれない。あの金髪の言う通りだ。沢村には火力が足りない。
 なんとかしてやろうと思い、俺はある人のところへ向かった……






『登場人物紹介』



 後藤…クレー射撃の才能がある

 桐島…科学部部長

 金髪…吉田武信(15)。得意科目は英語。得意技は発火能力

 沢村…この後、ベンチに捨てられた。

 天ヶ峰…この後、沢村を捨ててアイスを食べに行った。





「――で、沢村くんの能力を強化する手助けを求めに私のところへ来たというわけ?」
「そうなんですよ」
 俺は目の前にいる黒髪ロングの美少女に頭を下げた。
「紺碧の弾丸さんなら、発火能力なんかもう極めたんじゃないですか? ひとつよろしくお願いしますよ」
 俺のおだてに紺碧の弾丸さんは悪い気はしないらしく、優雅にコーヒーカップを手に取った。
「ま、もう組織の犬を何匹か焼き払ったけれど……」
「焼き払ったんですか?」
「ええ。信じてないわね。証拠を見せてあげるわ」
 紺碧の弾丸さんはスクールバッグをごそごそ漁り始めた。そして何枚かの布切れを喫茶店のテーブルの上に並べた。
「なんですこれは。邪炎帝の聖骸布(イフリート・オーラ)ですか」
「そんなのない」
「すみません」
 ちっ、外したか、と思ったが左手で携帯に素早くメモっていたのを俺は見逃さなかった。少しは気に入ってくれたらしい。ふふっ、後藤うれしい。夜なべして身に着けたんだ、このセンス。
 紺碧さんはテーブルの上の布を指差しで解説し始めた。
「これは最初に私を襲ってきた男の袖ね。たこ焼きを食べていたらいきなり喧嘩を売られて正直怖かったけど頑張ってアフロにしてやったわ。で、これは敵の組織の女幹部の袖ね。こいつもアフロにしてやったわ。それからこの袖は唯一私と互角の腕前を持つサイキッカーの袖……こいつは最初からアフロだったわ」
「アフロって重要ですか」
「ええ、だってアフロにしてやれば鏡を見るたびに私に負けたことを思い出すでしょう? くくっ、愉快痛快とはこのことだわ! うふふふふふ……」
 何か学校で嫌なことでもあったのかなと心配したくなる紺碧さんの捻くれっぷりだったが、今はかえって助かるくらいだ。この世界では頭のネジが飛んでいる本数が戦闘力と直結しているらしいから。
「紺碧さん、あなたが持つ他人をアフロにする才能はやはり本物です」
「やめてくれないその言い方」
「その力と経験で沢村に偶然を装いつつ修行を施してやってくれませんか。あいつ最近負けそうなんです」
「ふん……」と紺碧さんは鼻を鳴らした。
「BITEも本気を出してきたようね。犬飼とかいう女が仕切ってるっていうのは私も聞いたことがあるわ。なんでも沢村くんは特にお気に入りでちょっかいを出してきてるそうじゃない」
 そうだったのか。あの年増め、沢村の若いカラダも目的だったんだな。
「後藤くん」
「なんでしょう」
「私も鬼じゃないわ。沢村くんとは一度戦う運命の糸に編みこまれた仲とはいえ、恨みはないわ……正直あの頃の私がテンパっていなかったとは言い切れないし。だからあなたたちのスーパーバイザーになってあげたい気持ちはある……けど」
「けど?」
「なにか大切なことを忘れているんじゃない?」
「大切なこと……」
 俺は小首を傾げた。
「お金ですか?」
「穢れてるわね」
 そこまで言われるとは思わなかったぜ。
「じゃあなんですか。はっきり言ってくださいよ」
「なんて猛々しい……盗人なんとかっていうのはあなたのことね!」
 紺碧さんは俺に指を突きつけた。


 ビシィッ



「私のパンツを返しなさい!!!」



 ちっ。やっぱ覚えてやがったか。
 俺はため息をついた。
「そもそも俺たちが盗んだわけじゃありません。あなたがパンツを受け取り忘れ、堂々と帰っていったことがそもそもの発端です」
「言ってよ! アフターケアのなっていない男どもね……!」
 まるで何かコトがあったかのような言い草はやめてもらいたい。さっきから斜め隣の席の幼女が「パンツ」という単語に惹かれてこっちを見ているのだ。
「この件に関してはパンツの返還がなされないことには交渉の余地はないわ。言うことを聞いて欲しければパンツを持ってくることね」
 こっちだってあんな所持しているだけで刑法に触れそうなブツは返還したいことヤマヤマなのである。現に俺は紺碧さんを頼ると決めた時にさすがにパンツの話題は避けられまいと予感し横井にパンツの返還を促した。が、時はすでに遅すぎた。
 横井はにへらっと笑い、薄汚い舌をぺろり見せてきた。

『売っちゃった』

 常識的に考えれば知人のパンツを無断で売り払った横井は犯罪者である。が、この件には情状酌量の余地があり、そもそもさかのぼれば天ヶ峰の馬鹿が生活費欲しさに俺たちからカツアゲしたことが発端となっている。俺は天ヶ峰災害基金からおひねりをもらったりして凌いでいたが、中学から転校してきた横井にはそういうシノギがまだわかっていなかった。だから財布の中に糸くずしか見出せなかった横井はウルトラCに打って出た。それが紺碧パンツ売却事件のあらましである。
 グダグダ言ったところでパンツはないのである。ないものはない。ノーパンはノーパン。だが、それではこのもうこはんを尻に宿した女は納得するまい。そう思ってもう策は用意してきた。
「紺碧さん、悪いがパンツはここにはない」
「取りにいくわよ。どこ?」
「いや、もうどこにもないんだ」
「はあ? どういうこと?」
「洗濯して干した時に風に飛ばされてな……君のパンツは帰らぬ下着になった」
「うそ……」
 紺碧さんの身体がふにゃふにゃと力を失った。
「私のクマさんパンツが……?」
 気に入っていたのか。それは予想外だった。
「紺碧さん、代わりといっちゃあなんだが……」
 俺はカバンからプレゼント用のラッピングされた箱を取り出して、紺碧さんが来る前に食い散らかしたケーキの皿をのけてどんと置いた。
「これが俺の気持ちです」
「え……やだ、何よいきなり……」
 紺碧さんはおどおどしてしまってなかなか箱に手を出さない。その恥じらいはプレゼントを贈る側としては嬉しいものだったがさっきからパンツパンツ連呼して周囲の目が辛くなってきたので正直とっとと開けて欲しい。
「さ、どうぞ……」
「わ、私……モノで釣られるような女じゃないんだからっ!」
 言いつつ、紺碧さんはラッピングを丁寧に剥がしてそっと箱を開けた。
 するとそこには――
「どうです、パンツ12色の詰め合わせセットの味は!!」

 ばごっ

 紺碧さんの投げた箱のフタが俺の顔面を直撃した。
「死ね!!! 変態!!!!」
「パンツ返せっていうからパンツで弁償したんですけど」
「こんな大げさなラッピングされてるものを開けて色とりどりのパンツが出てきた時の女の気持ちなんてあなたにはわからないんだわ」
「そうは言いますけどね、考えてみてくださいよ、プレゼントって中身が重要なんですか?」
「え――それは」
 紺碧さんはちらりと目をそらした。
「気持ちが大事……だと思うけど」
「でしょう。じゃ、気持ちってなんです」
「は? そんなの……」
「少なくとも俺はこのパンツに誠意をこめたつもりですよ」
 俺は箱の中のパンツの一枚を手にとった。ピンクだった。
「こんな見るからに冴えない男がデパートの女性用下着売り場へいって、パンツコーナーで恥を忍んでセットもののパンツ見つけて、おまけにラッピングまで頼んで買ってきたんですよ? その間、俺はあらゆる年代の女性から軽蔑と嘲笑の的にされたんですよ。それでも俺はめげなかった。それもこれも沢村を助けてやりたいから、そして、そしてあなたにパンツを穿いていてもらいたい! その一心から俺はこのパンツセットを買ってきたんだ!」
 俺の叫びに紺碧さんは雷に撃たれたような顔をしていた。
「そ、それは……」
「お気に入りのパンツを紛失させてしまった、そのことに罪悪感を覚えていたからこそできた一事だってことをわかってほしい……ねえ、俺の目、乾いてるでしょ? ふふっ、もう出ないんですよ……涙が……」
 紺碧さんの瞳にぶわああっと涙が浮かんだ。
「ご、後藤くん……あなたって人は……!!」
 俺は駄目押しに、パンツセットの箱を手の甲で少し追いやった。
「穿くか穿かないか、それはパンツと相談して決めてください。でも俺は何がなんでもあんたに受け持ってもらいますよ、沢村の超能力コーチをね。でないと俺はこのパンツたちに顔向けができねえんすよ……」
 俺はたっぷり間を空けてから顔を上げた。
 紺碧さんは手の甲でごしごし目をこすってから、慄然と前を向いた。
「いいわ、引き受けましょう。沢村くんの先生役を」
「よかった。一度勝ってるあんたの言うことならやつも聞くでしょう」
 俺と紺碧さんは固い握手をかわした。
「それじゃあ、俺たちが沢村キネシスについて知ってるってことは内密に。隠してるんで」
「わかったわ」
 紺碧さんは優雅にコーヒーの残りを飲み干した。その時、タイミングよくケーキが運ばれてきた。俺はそれがちょっと羨ましかったが、断腸の思いで席を立った。ケーキなら紺碧さんが来る前に充分食べたし。
「帰るの? もっとゆっくりしていったら」
「ええ、ちょっと金策をしにいくんです。パンツセット買って金ないんでね」
「そう……バイト?」
「ま、そんなとこ。じゃあ」
 俺が手を振ると紺碧さんもおずおずと手を振り返してきた。まだおっかなびっくりだが、ほんの少し、今日は彼女との距離を縮められた気がする。
 俺はさわやかな気分と共に喫茶店を後にした。
 二千円浮いた。








『登場人物紹介』


 後藤…クズ

 紺碧の弾丸さん…次に会ったら後藤を殺すつもりでいる

 横井…パンツブローカー




 終業のチャイムが鳴って、クラス中からどっと安堵のため息が漏れた。生徒全員から早く終わることが望まれている高等教育というのもいかがなものかと思うが、まあ俺たちは釈迦の説法だろうと新興宗教の勧誘だろうと全然話を聞いていないので、つまり何を言っても無駄ということになる。
「あー、やっと終わったあ」
「ぶわあああああああ」
 横井がうーんと伸びをし、茂田がハンバーガー六個分のあくびをした。後は帰りのホームルームを済ませれば茶をしばくのも自由、家で動画を見るも自由な楽しい放課後が待っている。
 うちの担任は基本的には放任主義で通っている。生徒の自主性を重んじるとかいう、もはや耳にしても意味が汲み取れないほど聴覚的ゲシュタルト崩壊を起こした主張をかざしている。その結果がこれだ。

 ピンポンパンポン

『二年三組、HR終了。帰ってよし!』

 指原教諭の声だけは今日も元気である。よくもまァこのご時勢に職にありつけているものだと思う。こっちはラクだからいいけど、それでいいのか二十八歳?
「やったあ自由だあ」
 運動部系に所属している女子たちが窓から出て行った。ちなみに三階である。いくら校庭側に張り巡らされたネットに飛びつけばいいからといってそんなアクロバティックをスカートでやるのはやめて欲しい。が、怖いから誰も言わない。
 文化部・帰宅部の男子たちと一緒に俺たちは教室を出た。
「帰りどっか寄ってかね?」と横井。
「どっかってどこよ」と茂田。
「どっかはどっか」
「おまえプラン決めずに提案すんのやめろよ」
 まったくだ。横井のやつは煽るだけ煽って自分では何も具体案を出さないのである。そういうことは全部俺たちに決めさせるのである。俺たちは軍鶏じゃねえ。
「まあまあ」横井がどうどう、と俺たちを抑える。
「これもひとつの協力関係ということで」
「口の上手い野郎だぜ」
「横井、てめえ彼女でも出来ようものならおのれの顎で飯が食えると思うなよ」
「怖っ! ていうか後藤好きだなそれ」
 うるせえな。ちょっと恥ずかしくなるから指摘すんのやめて。
 俺たちはぶらぶらと歩き、途中で吹奏楽部の女子たちの校内ジョギングに巻き込まれて轢死しそうになりながらも下駄箱へ辿り着いた。外でやってくんねえかなあれ。
 下駄箱から汚ぇスニーカーを取り出しながら横井があれ、と言った。
「沢村だ」
「べつに沢村ぐらい珍しくもねえだろ。そのへんで売ってる」
「いや売ってはいないだろ!」
 茂田が目を細めて、走り去っていく沢村の背中を見送った。
「あんなに急いで、あの低血圧がどこへいこうとしてるんだかな」
「貧血にならないように下駄箱にカエルを入れておいてあげようぜ」
「やめろよ……いじめだぞそれ……」
「黙れパンツブローカー」
「だあっ! それ学校の中で言うなって! つかあれ一回だけだからね?」
 一回でも駄目に決まってんだろ。
「そういや後藤さ」と茂田が言った。
「おまえ紅葉沢さんをけしかけて沢村のコーチにしたって言ってたっけ?」
「紅葉沢さんって誰」
「もうこはん」
「ああ。紺碧さんね。うむ、頼んでおいたがどうなったかは知らん」
 横井が呆れ顔になった。
「ちゃんと最後までケアしてやれよ……」
「いや、そうしたいんだが、ちょっと今紺碧さんと気まずいんだよ」
「なんで?」
「女には洒落がわからんのだ」
「そういうこと言ってるから女子が寄り付かないんだよ後藤。あだっ!!」
 俺は横井の足の小指を念入りに踏みにじってから外へ出た。夕方にはまだ少し早い青空が広がっている。
「ちっ、胸糞悪ィ」
「青空見てどうしてそんな言葉が出て来るんだよ。俺にはおまえが恐ろしいよ」
 ツッコミ長ぇなぁ横井。
 俺たちはだらだら喋りながら下校し、そしてどう話が弾んだか、多摩川の川原でキャッチボールをすることになった。
「ボールとミットはどうする」
「あ、確か土手際に酒井さんちの酒屋があるんだよ。貸してもらおうぜ」
「酒井さんちにボールとミットが三人分もあんの?」
「あの人、兄貴が三人もいるからスポーツ用品はなんでも持ってんだよ」
 さすが女子への登竜門。そういう木っ端情報をよくお持ちで。俺と茂田はそこはかとない逆恨みの念を横井へ送ったが彼奴は気づかなかったらしくへらへらしている。
「やべー、俺さ小学生の頃リトルリーグだったから本気出すわ」
「エアリトルリーグだろ」
「チームメイトはコンクリの壁か」
「違ぇよ!! なんでそんな寂しいやつみたいになってんだよ俺。おまえらには俺がどう見えてんの? ……え、なにその目……? やだこわい」
 まったく何がリトルリーグだ。あんなもんに入って保護者同士のお茶会でもしてみろ、俺のお袋は過労かストレスで暴挙に出るし、茂田の姉ちゃんは嫌味ったらしい三角メガネババァの鼻っ柱をメガネごと折るぞ。俺たちはそういったクラブに入りたくても家庭の事情で入れなかった哀れなチルドレンなのだ。
 そうこう言っているうちに多摩川際まで来た。土手はちょっと盛り上がっている上に、ちょうど沈みかけの太陽を隠しているのであたりは薄暗い。世が世なら何か出そうな雰囲気である。
「こういうとこ、夏に彼女と涼みに来たいな」
「悲しいこと言うなよ」
「悲しいこと言ったか? 俺」
 俺たちは酒井酒店のガラス戸を潜った。
「すいませーん。かおりちゃんいますかー」
 すげぇな横井。いや、何がどうすごいのか上手く言えんが。
 レジで新聞を読んでいたおじいさんがニコニコしながら会釈してきた。
「いらっしゃい。お酒?」
 おい学生だぞジジィ。
 横井が前に出てニコニコを返した。
「いや、かおりちゃんを」
「おお、かおりね」
 そういっておじいさんはレジの下に屈みこみ、立派なラベルのついた瓶をドン! とカウンターに置いた。ラベルには墨でこう書かれていた。

 かおり

 俺は横井のわき腹を小突いた。
「もうあれでいいよ」
「よくねぇよ!? 全然よくねぇからな!? なに酒からボールとミット借りようとしてんだよ。駄目だろ」
「意外といいやつかもしれん」
「だから酒だよ!! なに茂田までおかしなこと言ってるの? 俺までどうにかなりそうだよ……」
 そうこうふざけているうちにガチモンのかおりちゃんが裏から出てきた。
「あ、いらっしゃい。どしたの? ……ああ、おじいちゃんまたそのネタやったの」
 またなんだ。恒例なんだ。おじいちゃんは「そのネタ飽きたよ」みたいな孫娘からの視線をモノともせずに合成清酒『かおり』をレジ下へ戻し、何度も会釈しながら裏へ引っ込んだ。
 エプロンをつけたはしたない格好のかおりちゃんこと酒井さんはレジに腰かけた。
「で、ご注文は?」
「君をください」
「茂田くん、女子から気持ち悪いって思われてるよ」
 茂田、即死。
 俺と横井はその屍の上に乗って、身を乗り出した。
「いや、ちょっとキャッチボールしたくって。ボールとミット貸してくんない?」
「ああ、いいよ」
 そう言って酒井さんはレジ下から「はい」とご用命のブツを取り出してきた。
「みんなよく借りに来るからさ、もうレジの中に置くことにしてんの」
「あはは、悪いね」
「いいよー。横やんと私の仲だし」
「ありがとー」
 横井と酒井さんはニコニコ笑いあった。気をつけろ酒井さん、この男は茂田の屍の上で笑っているんだぜ。
 礼を言って、俺たちは酒井さんちから出た。野球はルールもロクに知らないが、白球をバスバスとミットに打ち付けているとなんとなく気分が出てくるから不思議だ。これが魔球というやつか。
「違ぇよ」
「心を読むなよ」
「だってなんか面白いこと思いついたみたいな顔してたし」
 ひょっとしたら本当に面白いかもしれないだろ! ちょっとは信じろよクソが!
 俺たちは土手に登った。
「ふう。階段登るのも一苦労……あれ? パンツだ」
「何ッ」俺と茂田は顔を上げた。見ると本当に空をパンツが舞っている。
「いい時代になったな」
「まったくだ」
 パンツはひらひらと青空を漂っている。俺と茂田はミットを掲げた。
「オーライオーライ……」
 のんきぶっこいてたその時である。

 どんっ

 パンツが爆発した。
 茂田が腰を抜かした。
「うわああああ。うわああああ。パンツがあああああ」
 落ち着け。俺もわりかしビックリしたが、こういう時にこそクールにならねばならん。俺は横井を伏せさせ、土手の下、川原際を覗き込んだ。案の定、誰かいる。
「見てみろ。沢村と紺碧さんだ」
 横井もひょこっと顔を出した。
「マジだ。沢村のやつ、最近帰るのが早いと思ったらこんなとこにいたのか」
「パンツがあああ。パンツがああああ」
 茂田はもう駄目である。パンツの闇に飲み込まれた。
 俺は目を細めて、超能力者コンビを観察した。
「紺碧さんが何か投げてるな。あれは……あっ! あのアマ、あれ俺があげたパンツセットじゃねーか!!」
「おまっ、おまえなんでそんなもんあげてんだよ!! 変態!!」
「いやちょっと事情が……っておめーのせいだろ!」
 俺は横井のわき腹に手刀を差し込んだ。
「げぶゥ」
「その痛みは我が苦しみの一欠けらと知れィ」
「何やってんだおまえら。こういう時こそクールにだな」
 人知れず茂田が復活していた。人のセリフをパクるんじゃないよ。
「ふむ……どうやら紺碧さんが投げたパンツを沢村が燃やしてるようだな。何かの訓練か?」
 訓練、という言葉で俺の灰色の脳細胞がチカリと光った。そして、宙を舞うパンツに必死こいて火球を放ち撃墜している沢村を見てますます確信を深めた。
「鋭いな茂田」
「知ってる」
 うぜえ。俺は気にせず続けた。
「見てみろ、沢村の火球を。前に見た時と比べてデカイだろ」
「ああ、ほんとだ。でもその代わりに遅くなってないか?」
「その通り」
 俺はメガネのつるをファックサインで押し上げた。
「沢村は火力不足を補うために火球を大きくした。が、そうするとスピードが殺されてしまった……なら、どうすればいい?」
「気合と根性、努力に愛、そして最愛の人の避けられぬ死」と茂田。馬鹿が。
「えーと、スピードを上げる?」と横井。
「横井正解。だがそれだけじゃない」
 横井と茂田がかつてないほど俺に注目した。ちょっとはずい。
「後藤、それだけじゃないってどういうことだ? 教えてくれよ」
「うむ。つまり仮にスピードがなくても、要は当たればいいんだ。そのためには敵の動きの先を読む洞察力が必要……」
 茂田がポンと手を打った。
「ああ、だからか! ひらひら動くパンツに鈍い火球を当てられるようになれば、確かに戦闘力アップだぜ。考えたな紅葉沢さん……!」
「あのアマ、どうやら給料分の仕事はしてくれたらしいぜ」
 俺たちはそのままホフクして、「ヤッ」とか「ハァッ」とか言いながら飛んだり跳ねたりしている沢村とそれを操るかのようにパンツを撒いている紺碧さんを見下ろした。
 そうこうしているうちに横井がもぞもぞし始めた。







『登場人物紹介』


 沢村…修行中

 紺碧さん…転んでもタダでは起きない






 横井が苦しげに呻いた。
「ちょっかい出してぇ――――……」
 同感である。俺も顎の下の雑草を掴んでぶるぶると震える思いだった。あの野郎、このままだと紺碧さんとフラグすら立てかねない。そうはさせんぞ。
「茂田、横井、何かいい案はないか。俺は沢村のあの必死な顔をしつつ実は女の子と二人きりになれてちょっと嬉しげな目元を見るのがもう我慢できん」
「俺もだ」茂田が深々と頷いた。
「けどよ、火炎瓶を投げつけるわけにもいかねえだろ? どうすっかな」
「酔っ払ったフリをしてここから三人で立ちションするのはどうだ」
「人間としてどうかと思う」
「そうか。そうだな」
 パンツセットを売りつけるよりもよほど犯罪的である。
 俺たちはない頭を必死に捻って考えた。見上げる先では夕焼け空を背景にボンボンパンツが爆発している。たまにジョギングマンたちが不思議そうに燃えるパンツを見上げては何事もなかったかのように走り去っていく。コンセントレーションできすぎだろ。
 宙をパンツがひらひらと舞う。
 それを見てハタリとひらめいた。
「よし、キャッチボールはやめだ」
「ああ、間違ってボールを燃やされかねないしな」
「それもあるがもっと面白いことを思いついた。いくぞおまえら、目指すは酒井さんちだ」
 俺たちは石段を降りて酒井さんちへと舞い戻った。
「たのもう」
「たのもう」
「たのも―――――――ぅ!!!!!!!」
 うるせえよ茂田。やりすぎだよ。
 酒井さんはまだレジにいた。耳を塞いで、先人が流していかなかったトイレの残留物を見るような目で茂田を見ている。
「何?」
「キャッチボールはやめたから釣り道具を貸してくれ」
「いいけど……」
 酒井さんはまたもやレジ下にもぐりこみ、竿を貸してくれた。
「バケツいる?」
「キャッチアンドリリースするからいらない」
「ふうん。何釣るの?」
「知りたいかね。ふふふ、君にはまだ早い」
「どうでもいいけど竿壊したりしないでね」
 はい。
 俺たちは意気揚々と酒井酒店を後にした。石段をひいひい言いながら登る俺に横井が言った。
「で、何釣るの?」
 おまえもかよ。悟れよ。
 俺と茂田は深々とため息をついた。まったくこんな初歩的なことを教えてやらねばならんとは。
「釣りって言ったらパンツ釣るに決まってるだろ」
「常識」
「常識じゃねーよ!?」
「前向きに考えろよ。こんなこと一生で一度あるかないかだぜ」
「そりゃあそうだろ……。そんなことが何度もあったらおちおち釣りもできない身分に落ちるよ」
 急にビビリ入った横井のくるぶしを執拗に蹴飛ばしながら、俺たちは土手に上がった。相変わらず空中ではパンツが爆炎を上げて燃え尽きている。
「いいか、絶対にバレるんじゃないぞ。バレたら……これだぜ」
 俺は首をかききる真似をした。ぞぞおっ……と二人の顔から血の気が引く。
「うまくパンツに針を引っ掛けたらあとは凧揚げの要領だ。いいな。徹底的に沢村のいいところを潰すんだ」
「活躍しそうなやつを見つけたら邪魔をする、それが俺たち男子高校生」と茂田。
「わかった。背に腹は代えられない」と横井。背に腹ってなんだよ。おまえひょっとして引っ掛けたパンツ売ろうとしてない?
 ともかく、俺たちは竿を振りかぶろうとした。が、少しパンツ・ゾーンから遠い。ここから投げてもパンツには届かずむしろ地上の沢村を釣り上げてしまいかねない。沢村なんか釣ったって何も得るところがないので、もう少し近づいてパンツ圏内へと入りたい。が、これ以上近づけばつまりそこは傾斜であって二人から丸見えになる。さすがに今度こそ紺碧さんに燃やされかねないので見つかるのは避けたい。さて、どうするか。
「帰るって手もあるな」
 飽きてんじゃねえよ茂田。早いよ。もう少しがんばろ?
「くそっ……こんな時にあれがあれば」
「どうした横井。何が欲しい」
「ああ、いや、あれだよ。ほら……」
「……! あれか。いや、さすがにあれは持ってないな……」
「だよな……あれってどこにあるんだろ」
「うちのお袋はスーパーでもらってくるとか吐かしてたが、もう十年も前のことだし糞婆ァパワーがあってのことだからなあ」
「糞婆ァパワーってなんだよ。どんなエネルギーだよ。……しかしあれは……スーパー? じゃあ店とかにあるのかな」
 店。
 俺と茂田と横井はばっと振り返った。
 夕闇に沈むように郊外の道端にたたずむ店舗、酒井酒店の三度ご登場である。
「横井」
「何」
「いってきて」
 もう石段降りるの心底めんどくさい。横井は嫌がったが俺たちは蹴落とすようにしてやつをパシリに使った。それに一日に三度も茂田の顔を自宅で見るような惨い目に酒井さんを追い込みたくなかったというのもある。
「なんだよ後藤、そのツラは。なんかむかつくぞ」
「何言ってやがる、これが俗に言う『親切そうな人』の顔だ」
 茂田が目を細めた。詐欺師を見るような目で見ることはないだろうに……冗談だよ……。
 横井はすぐに戻ってきた。
 その両手にはたたまれたダンボールが抱えられている。
「よくやった横井。広げてみろ……」
 四角く立ち上げてみると、うむ、いい感じである。人ひとりがすっぽり体育座りできるほどの大きさだ。これならいける。
 俺たちは顔を寄せ合った。
「ご」とう。
「し」げた。
「よ」こい。

『レディ』

 語呂わりー……。ちょっと萎えた。でも諦めない。
 俺たちはダンボールの中に身を潜めた。股の間から酒井さんから借りた竿を出しているとなんだか自分がとんでもない大物になったような気がする。
 動くダンボールと化した俺たちは土手へと侵攻した。紺碧さんの悲鳴が聞こえてこないうちはバレていないものをみなす。
 視界にあるのは空とパンツだけである。俺たちは傾斜の半ばほどで止まり、竿を振るった。

 ひゅんっ

 針は弧を描いて飛んだが、パンツにかすりもせずに落ちた。
「ちっ、下手糞どもが」
「おまえも外したろうが役立たず!」
「馬鹿、横井うるせえ!!」
 俺たちは息を潜めた。沢村と紺碧さんの話し声が聞こえる。
『いま、私のことを役立たずって言った……? いい度胸ね、沢村くん。老婆心からあなたを救ってあげようとしているこの平成の世のジャンヌ・ダークに向って』
『違っ、俺じゃないよ!! 紅葉沢さんのことはマジやべーって思ってるし。役に立たないとか言うわけないよ』
『……そう? よかった、私も実は不安だったの。ひょっとしてお節介だったんじゃないかなって……』
『そんなことねーよ。紅葉沢さんはウルトラやべーよ』
『ふふ、ありがとう』
 ウルトラやべーって言われて喜ぶ女子高生ってどうなの?
「どうするんだ後藤」隣のダンボールが何か言った。
「かえって親密になっちまったじゃねーか。俺の腸は煮えくり返っているぜ」
「ふん、案ずるんじゃねえ。まだパンツは残っている」
 俺たちはリールをまわして糸を引き込み、再び竿を振るった。ヘタクソの茂田と根性のない横井の針はまたもやパンツにかすりもしなかったが、俺の竿にはがちりと手ごたえが帰ってきた。
「よし、かかった!!」
 俺は全身全霊をリールにかかった親指と竿を操る肘に集中した。見えないが、ボッという発炎音がしたので沢村がまた火球を撃ったのは間違いない。
 視界に火球が入ってきた。
「ふンヌゥ!!」
 竿を振るい、パンツを引いた。火球は時速80キロの低速で彼方へと消え去っていった。
『甘いッ! 風を読むのよ、沢村くん』
『くっ、奥が深いぜ!』
 愚かなやつらめ。翻弄してくれるわ。
「後藤、ここは一丁揉んでやろうぜ」と茂田。
「あたぼうよ。明日は筋肉痛で朝チュンコースにしてやるぜ」
 自分で言ってて意味がわからなかったが、気にせず俺は巧みな竿さばきで火球を何発も何発も避け続けた。
「余裕だな」
「いや、そうでもねえ。沢村の野郎、俺の竿さばきに対応できるようになって来てやがるぜ……球速も上がってきた。このままじゃ追いつかれる」
「何ッ」
「安心しろ。これでもガキの頃は親父とよく夜釣りに出たもんだぜ」
 俺は竿の先をぐるぐる振った。目を限界一杯まで見開く。大切なのは集中力……そうだよな。
 火球が見えた。120キロは出ていたかもしれない。俺は夢中で竿を振るというよりも引く感じでそれまでの回転を生かした回避軌道。
 茂田が叫んだ。
「よっ、避けたァ!!」
 パンツは端っこを焦がされながらもギリギリで火球を回避していた。
 うまくいった……だが、俺はまだまだ甘かった。沢村がひそかに放っていた二発目をかわす余力はなかった。

 どォん……

 パンツ、撃墜。俺は竿から手を離した。
「ちっ……沢村のやつ、腕を上げやがった」
「いや、すげえよ後藤!! まさかかわせるとは思わなかったぜ。なあ横井」
「ああ、感動したよ……俺たちみたいな男子高校生にもできることってあるんだな」
 俺は吐き出すように笑った。
「当たり前だろ。世の中まだ捨てたもんじゃねー」
「後藤……!!」
 俺は両脇のダンボールから迸ってくる畏敬の念を全身で感じた。
 へへっ……空の野郎、味な夕焼けしてやがる……
 俺は静かに目を閉じた。
「燃え尽きたって顔してるわね、後藤くん」
「まあな。久々に熱くなっちまったよ」
「それはよかったわね……私も脳ミソがフットーしそうだわ」
「へへ……そりゃあよかっ……」
 え?
 俺は目を開けた。
 ダンボールの四角い視野一杯に紺碧さんの顔があった。
「ひ」
「久しぶりね……」
「す、数日……ぶりじゃないですか……ね……」
 胸倉をつかまれた。
 目が据わっている。
「私にとっては一秒が一秋だったわ」
「それは……光栄……」
 俺は耐え切れなくなった。目をそらせないまま涙目で叫んだ。
「茂田ぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! 横井ぃぃぃぃぃぃぃ!!!! たすっ、たすけっ……」
「もういないわ。ついでに沢村くんもさっき帰したから安心して」
 退路がどこにもありゃしねえ。
 俺はダンボールの中から引きずり出された。さすがに天ヶ峰という名の悪や紫電ちゃんという名の闇と違って腕一本で吊り上げられるようなことはなかった。が、少し伸びた爪が掴まれたところに深々と突き刺さって恐怖で声も出ない。通報したい。
「よくも私を置き去りにしたわね……」
「あのっ……パンツセット……あれ、二千円したんで……ちょっと洒落を効かせた物々交換かな……みたいな……」
「知ってるわ。ご丁寧に値札が張ってあったから。問題はそんなことじゃないの」
 紺碧さんは虎みたいな顔をした。
「あの日、私はお金を持ってなかったのよ!」
 ……。
 ああ。
「おまえ、タカる気だったのか!!」
「たまたまお金を下ろすのを忘れてたのよ。そして男が奢るのは世の常だわ。呼び出したのはあなただし」
 紺碧さんは俺を投げ捨てた。
「お金がありませんと言い出した客を見るバイトの子の顔を見たことがある? 五千万パーセントこっちが悪いから何も言えなくて殴ろうかと思ったわ!!」
 殴っちゃ駄目だろ。
「皿洗いしますなんて昭和という怪物が生み出した幻想だったわ。普通に住所と電話番号を控えられた挙句に学校に連絡が行って反省文を五万字も書かせられたわ。私の貴重な時間が致命的に失われてしまった……それもこれもあなたのせいよ!!」
 さすがに言い返そうと思ったが俺の目の前で草が燃え始めたので黙った。ちょっと座標がずれていたら俺の股間が燃えていたところだ。
「でもいいわ……ふふっ、許してあげる」
「わかった。ありがとう。またな」
 帰ろうとした俺の襟首を紺碧さんが鉄の拳で掴み、膝を蹴りこんできて俺はその場に転がされた。なんなのこいつ? プリキュアなの?
 紺碧さんは夕空を背景に、俺をさかさまに見下ろしてきた。そしてカバンの中から、三冊ほど重ねられた大学ノートを取り出した。
「ふふふ……あなたが恋しかったのは本当よ後藤くん? なぜならあなたへの恨みが私の中の天使を抹消してくれるもの……」
 ノートをぱらぱらとめくり、
「反省文という厳罰を喰らいながらも私の創作意欲は苦痛と呼応するかのように燃え上がったの……家に帰ってからご飯も食べずにその日のうちに新作を書き上げてしまった……いえ、これはきっと百年後、新しい神話として黙示録の新聖書となるのよ……ひひ」
 ひひって言った。今この女ひひって言った。おまわりさーんっ!!!!!! お゛ま゛わ゛り゛さ゛ーん゛!!!!!!!!
「さあ、いきましょう後藤くん? 私みずから朗読してあげるわ……なに一晩もあれば読み終わるから……さあ、いきましょう? 堕天の園へ」
 くそっ……くそっ……くそっ……
 ダンボールの中に詰め込まれ、どっからかっぱらってきたのか素性不明のカートに乗せられ、紅葉沢家(=堕天の園)へと運搬されていく俺にはもう暗闇しか残されていなかった。
 天使とかっ……悪魔とかっ……言い出したのは誰っ……誰だよっ……!!

 誰でもいい……
 たすけてっ……!!








『登場人物紹介』

 後藤…釣りがうまい

 茂田…努力と根性、愛と勇気、そして避けられぬ友の死を一晩寝たら忘れた

 横井…帰って寝た

 沢村…帰り道、家族から『コロッケ買ってきて』メールを受け取る

 酒井さん…戻ってこない竿を待ち続ける日々





 脳みそが消化不良を起こしている。いや、何を言っているのか分からないと思うが俺にも何がなんだか分からん。あれからたった一晩しか経過していないということが信じられず、貫徹した両目に朝日が痛いほど染みた。
 それでも男子高校生の習性で、いつか来るやけっぱちという名の特大自主休暇のために足は学校へと向かう。いつか、いつかやってみせるぜ、俺だけのゴールデンウィークをな……!!
「おお、後藤。生きていたか」
 誰だこいつ。俺は首を傾げた。ぼんやりとした意識の霧がわずかに晴れてそいつの名前を思い出した。
「茂田どの」
「どうした? なぜ忠誠に目覚めた?」
「思い出すのもいまいましい」
 拙者は首を振った。
「あれがたった一晩の出来事だったとは到底思えぬ」
「だろうな。性格壊れちゃってるし。いったい紺碧さんに何をされたんだよ」
「詩文を朗読されたのでござる」
「内容は」
「時は幕末、魔界に堕ちた鬼の副長、土方歳三とそれをサポートする恋人・紅葉沢火穂」
「夢小説かよ!!」
 俺は頭を振って正気をいくらか取り戻した。夢小説というのは自分を空想の中へと放り込んでしまった、現実への反逆声明のことである。
「鳥羽伏見の戦いのあと、五稜郭に開いたデスティニー・ゲートから堕ちた土方と紺碧さんは一振りで確実に相手を殺せる魔剣を手にとって悪魔や堕天使をゴミのように切り飛ばしていくんだ」
「日本史の志波が聞いたら読んでくれそうだな」
 あの人が読んだら赤ペンで採点までしてくれると思う。
 俺はこめかみをもんだ。
「大学ノート三冊分と覚悟しているうちはまだよかった。家に帰ったら机の上に古紙回収に出す気なのかってくらい別のノートが束で積んであった」
「それ全部読まれたの?」
「うん」
「休憩は?」
「ない。一回吐いてぶっ倒れた。生まれて初めて気絶したよ」
「マジか」
「それでさ、起きたらさ、腕に注射針が刺してあってさ、見たらブドウ糖を点滴されているところだった」
「通報しろよ……」
 国家権力がこの町の女子に勝てるなら俺だってそうしたかったよ。
「とにかく、ひどい目に遭ったぜ……もうしばらくジャンプも読みたくねえ」
 朝が来て、読み切った疲れが出たのか、紺碧さんがベッドに倒れ伏しスヤスヤと眠り始めてくれなければ、俺は今でもやつの毒牙に引っかかったままだったかもしれない。そう思うと今お日様の下にいられることが砂漠で味わう水のようにみずみずしい。
「でもよ、本当に何もなかったの?」
「おまえ実際あの状況で『うわあ、俺の中の野性が目覚めちゃうよお~』とか言えねーよマジで。普通に気まずいわ」
「えー、つまんねえなあ。だから草食系とか言われるんだよ」
「はあ? 法律と道徳を守っててなんでけなされんの? 馬鹿か」
 本気で不機嫌入った俺に茂田が逆に申し訳なさそう。なんかごめん。
 俺は深々とため息をついた。いろいろ疲れた。
「男と女の関係なんてエロマンガ島にしかない幻想だな」
「エロマンガ島ってなくなったんじゃなかったっけ?」
「え、嘘?」
「いや、わかんねーけど」
「未確認情報かよ。ググれよ。指先ひとつでウィキペディアさんがなんでも教えてくれるわ」
「でもググったら負けかなみたいな気もするじゃん」
「わかる。わかるけど」
 などと、川原で爆発騒ぎを目撃した翌日とも思えない会話をしていると、背後から何か物言いたげなため息が聞こえてきた。
「貴様らはつくづく生産的なことしないな」
「あっ、紫電ちゃん!」
「お勤めご苦労様ッス」
「お勤め?」
 学ランを着た金髪美少女という、そのままアキバへ持っていけばどこかしらが買い取ってくれそうな1/1スケールの紫電ちゃんを俺たちはにやにや眺めた。
「気持ち悪いぞ貴様ら」紫電ちゃんは心底いやそうである。
「うぇへへ、今日も学ラン似合ってるよ紫電ちゃん」
「ぐひひぃ、今日は何色のパンツをはいているんだい?」
 紫電ちゃんはぐしゃぐしゃっと前髪をかき回し、とんでもないことを口走った。
「はいているわけがなかろう!」
「っっっ!!!」
 なんたること。
 俺と茂田は赤面してしまい、まともに紫電ちゃんの顔が見られなかった。そうか……はいてないのか……きっと何か事情があるんだな……いまちょっと思いつかないけど……。
 紫電ちゃんは自販機の釣り銭口を漁る天ヶ峰を見るような目になった。
「馬鹿が。はいてないわけがなかろう」
 なっ……
「なんで、そんなひどい嘘つくんだよ!!」
「言っていい嘘と悪い嘘があるよ紫電ちゃん!!」
「そんなにか? 早朝早々とセクハラされた私の気分は無視か?」
「はいてねー宣言の方がよっぽどセクハラだよ」
「あんたのくだらないハッタリのおかげで俺たちの心臓はオシャカスレスレだよ」
「なぜ私の下着の有無でそんなにも大事になるんだ……一度保健室にいくか?」
 頭を心配しての発言なのか、拳で送り込むつもりなのかによって返答が変わるっての。えーと選択肢選択肢。
「あれ、茂田くん。画面に選択肢が表示されないよ? 壊れてるのかなーこれ」
 ガンガン石塀に頭を打ちつけ始めた俺を茂田が後ろから羽交い絞めにした。
「もうよせ!! もういいんだ、もう苦しまなくていいんだ!!」
「はいはい面白い面白い」
 紫電ちゃんがそれこそ徹夜明けじみた気のない顔で言った。
「だから頭をぶつけるのはヤメロ。近所迷惑だ」
 はーい。
 俺たちは何事もなかったかのようにわき腹を小突きあった。へへっ、茂田、おまえは本当にいいショートコント要員だぜ。
「朝からその元気さだけは評価してやる」と紫電ちゃんが言った。
「おまえらもなにか生き甲斐でも見つければひとかどの男になれたかもしれないのにな」
「そういうテンション下がること言うのやめてもらえます?」
「ふん」
 紫電ちゃんは先端まで真っ白い鼻を俺たちからぷいっと背ける。何を言われてもいいや。かわいいからなんでも許しちゃう。
「そんなことはいいんだ。まったくおまえらは人の話を本当に聞かないな。後藤、おまえに話しておきたいことがあるんだ。聞け」
「ほほう」
 俺は腕を組んだ。
「聞こう」
「くっ……腹立つ顔しやがって……まあいい。後藤、BITEという組織を覚えているか」
「闇の国家権力、ブラック・アイアン・テリブル・エクストラ……略してBITEだろ。覚えているとも」
 ちなみに略称はブラックからエクストラまで清々しいほど全部パチだ。正式名称なんか俺も知らん。そして紫電ちゃんが心底イライラしてきたみたいなので俺は唇に指を当てて茂田に「しいっ」とやってみせた。
「俺かよ。俺ではないわ。ふざけているのは基本的におまえだわ後藤」
「…………」
「こーらっ、茂田くん、そんな生意気言ってると先生怒っちゃうよ?」
「…………」
「なんで女教師だよ。誰だよ」
「…………」
「もお、いつも授業中に寺本さんのうなじばかり見て。先生知ってるんだからね?」
「地味に実話を混ぜてくるのはよせ!! ……あっ」
「ふふ、反抗的な態度。先生怒っちゃったあ。茂田くんにはたーっぷり特別授業が必要みたいね……って痛い痛い。わき腹を小突くな。なんだよ」
 茂田は死んだ子ダヌキを見るような目で俺の背後を指差していた。俺は振り向いていた。
「ひっ……ぐっ……うっ……ぐす」
 紫電ちゃんが泣いてた。
 あ。
 やべ。
 そうだった。
 紫電ちゃんはいつもクールなフリをしているだけで、その実、無視されたり言うことをちゃんと聞いてもらえなかったりするとぽろぽろ泣いちゃう子なのだった。やっべー忘れてた。こんなことが天ヶ峰にバレたらぶっ殺される。どうしよう。いや今はそれどころではない。紫電ちゃんは今泣いているんだ!!
「ごめん紫電ちゃん。ちゃんと聞くよ」
 感情が激しても殴ってこない彼女にはその資格がある。
「悪かった。ごめん。この通り。だから泣きやんでくれ。こんなとこを女子に見られたら俺は焼却炉で燃やされてしまう」
「うっ……いつもいつも……ふざけてばっかりっ……」
 冷や汗もんである。確かにちょっとくどかったかもしれない。マジで気をつけようと思った。
「マジで気をつけるよ。ごめん。ちゃんと聞くから。バイトがなんだって?」
「BITE……」
 ほんのわずかなイントネーションのギャグさえ許してもらえない世界線に突入してしまったようだ。
「そう、そうやな、BITEやな。それでBITEがどないしたん?」
「後藤、この期に及んで関西弁に頼るのはどうかと思うぞ」
 うるせえ茂田黙ってろ。わかってんのか? なんとかこの一件を悪い冗談にしなければ俺も貴様も終わりなのだぞ。
 紫電ちゃんはだいぶ長い間、えずいていたが俺がティッシュを与えると、三回チーンをして、やっと人心地ついたようだった。あぶねー。よかった。ほんとよかった。
「大丈夫か?」
 俺が聞くと紫電ちゃんは真っ赤に染まった目元をごしごしと学ランの袖で拭った。
「……以後、気をつけるように」
 当たり前である。ほんとごめんな紫電ちゃん。
「で、話って?」
「ああ……」
 泣き疲れてどうでもよくなったのか、紫電ちゃんの声には覇気がなかった。
「あの組織、私が昨夜壊滅させたから」
「そうかそうか……そうか!?」
「落ち着け後藤、聞き返せてないぞ」
 俺はぱんぱんと頬を叩いた。
「マジかよ紫電ちゃん。そういうのはちゃんと俺が見てるところでやってくれないと」
「連絡したけど出なかったじゃないか」
 連絡? ああ、なるほど。夜は紺碧さんに携帯を奪われていたので出れなかったのだ。というと俺が紺碧さんに目を開いたまま悪夢を展開されている時、紫電ちゃんは超能力者を擁する国家権力とひとり戦っていたのか。強すぎだろ。
「よく一人で勝てたな。怪我とかしなかったか?」
「ああ、私は大丈夫。
佐倉や男鹿にも手伝ってもらったからな」
 佐倉? 男鹿? 誰だ……と俺はちょっと虚空を見上げて思い出した。沢村目当てに接触を試みてきたBITEの構成員たちだ。連中を校内で発見し次第、紫電ちゃんがぶちのめして地下牢に監禁した後に説得(パンチング)しているという噂は新聞部のやつらに聞いていたが、味方に引き込んでいたとは。男鹿というのは聞き覚えがなかったが、ひょっとすると紫電ちゃんはすでにBITEのほとんどのメンバーを取り込んでしまったのかもしれない。お台場から奥多摩までぐらいなら指先ひとつで制圧できちゃうんじゃないのこの子。
「じゃあ、もう沢村のところには異能者はやってこないんだな」
「ああ。少なくとも実力行使してくる急進分子だったBITEがなくなった以上、最低でも一度本部で再攻撃隊を編成し直さなければならないのは確実だ。また来るにしてもこれで終わったにしても、時間稼ぎはできたと思う」
「そうか。よかったよ。まあ、沢村一人のために五人も六人も異能者を失ってたんじゃ本末転倒だからな」
「うん……」
 紫電ちゃんは何かうるうるした目で俺を見てくる。
「どした?」
「……いつもそんな感じで喋ってくれると、助かる……」
「お、おう……」
 今は相当気を遣って喋っているからハイパーイケメンモードなのは自分でもわかっているが、なんていうか、普段の俺ってどんだけうざいの? 死にたくなってきた。死ーのぉっと。エヴァ新劇を見終わり次第死にまーす。
「後藤しっかりしろ」観客になっていた茂田が舞台に戻ってきた。
「悲しそうな顔をしているぞ」
「悲しいからだよッ!!」
 この馬鹿が。見たまんまを言えばいいと思ってやがるな! そうはいかんざきだよマジで。笑いなめんな。
「じゃあ、私は先にいく」
 まだちょっと目尻がぽっと風邪でも引いたみたいに赤くなっている紫電ちゃんが言った。
「生徒会の仕事もあるし」
「そうか。わかった。沢村関連でまたなんかわかったら教えてくれ……っと、忘れてた。BITEのアジトに犬飼さんって人いなかった? メガネの年増なんだけど」
「メガネ……? どうかな……すまん、覚えてない。向かってくるものは全滅させたつもりだが、逃げたやつがいなかったとは言い切れない。見かけなかったが……」
「ふむ……わかった。ま、大した人じゃないから気にしないでくれ」
「ああ」
 紫電ちゃんは「急ぐ」と言って、アスファルトを踏み砕いて猛ダッシュ、俺たちの視界から消えた。俺はその場にしゃがみこみ、砕けた道路の状態を確かめたあと、携帯電話で区役所に電話して破損した道路があることを告げた。ピッと通話を切り、ため息。
「いいことしたぜ」
「ああ、市民の義務だからな。女子の不始末をなんとかするのは……」
 俺と茂田は顔を見合わせ、力なく笑いあった。



 その時の俺は、またうちの女子が無茶をしたなあ、ぐらいに思ってヘラヘラしている余裕があった。沢村が手から火を出そうが出すまいが、俺たちの日常は国家権力にだって揺るがすことはできないし、それは今後も変わりっこない。
 そう思っていた。






『登場人物紹介』

 後藤…猛省

 茂田…ふでばこを忘れたことに気づく

 紫電ちゃん…多感な年頃

 天ヶ峰…自販機の釣り銭口はあさらずにはいられない

     


 床屋へいくことにした。
 どうでもいいことだが、俺の家から歩いて五分圏内に床屋と美容室があわせて四件ある。なぜ競争が起こらないのか? なぜ歩いて三分のそこそこ客が入っていたラーメン屋が潰れて店員の兄ちゃんがジャンプ読んでる美容室が潰れないのか? どちらもまったく謎である。が、潰れた店のジジイの喪に服していたって仕方がねえ。
 俺はひいきにしている理容室『少林寺』へ入った。中には禿頭の店員が二人いる。双子らしい。
「……」
 俺は空いている椅子に座った。すると禿頭の一人が速やかに俺にカッティングクロスをかけてくれた。
「今日は」
「短めで」
「応」
 というともう刈り始めてくれる。心地いい。
 この店は店員がハゲということもあって髪の毛なんてどうでもいいんだ、金をかけなくても整髪剤を使ってなくていいんだというやさしい気持ちになれる。なにより「普段どうしてるんですか?」とかいう「おめー俺のツラ見たらワックスなんて車にしかぶっかけねーことぐらいわかるだろ!」的な質問をしてこないのが本当に助かる。楽園。
 ラジカセから流れるお経まがいのBGMに耳を癒されながら、俺はすくすくと髪を刈られて行った。いつもなら、そのまま綺麗さっぱりして帰るところなのだが、今日に限って隣の客の顔が目についた。
「あ、犬飼さん」
「うん……?」
 犬飼さんは顔中にシェービングクリームを塗りたくっていた。眠そうである。
「ああ、後藤くん」
 俺、名乗ったことあったっけ? まあ公務員だし公務ペディアとかに載ってるのかな、俺の情報くらい。
「チッス。髪っすか」
「うっす。髪っす」
 俺たちは馴れ馴れしい笑顔を交換しあった。その間もハゲ二人はもくもくと仕事をしている。
「久しぶりっすね。元気してましたか」
「高校生に心配されるほどヤワじゃないっつーの」
 かかか、と犬飼さんは笑った。こんな人だっけ。
「ま、色々あったけどねえ。結局沢村くんはゲットできなかったし」
「すいません、なんかうちの生徒会がおたくの組織潰しちゃったみたいで」
「あー? あーあーあーいーのいーのいーの。仕掛けたのこっちだし、それにもう痛いほどわかったから。この町の人たちの強さ……ってやつ?」
 俺とか茂田とかはなんにもしてないけどね。パンツで遊んでただけだし。
「それに誰か死んだわけでもなし、喧嘩しあったにしちゃいいケリっしょ」
「そう言ってもらえると恐縮です。で、沢村はもういいんですか?」
「んー。あたしたち、パイロキネシストは炎の色でその子の素質を計測することにしてんのね。なんでかは上からの作戦指令書にぽこっと書いてあっただけだから現場責任者のあたしにもわかんねーっていうテキトーっぷりなんだけど、沢村くんは一番『黄金』に近い色を出してたから、欲しかったんだけどね」
「へえ、色」
 ちょうど俺は洗髪タイムに突入したので犬飼さんが喋るに任せることにする。
「あとはまー、この町には何人か他にもサイキッカーがいるけど、どいつもこいつもあたしの言うこと聞いてくんなくてね。手持ちのサイキッカーも減ったし、向こうから来るってんなら受け入れるけどあたしたちからの勧誘はもうなし。あとはご勝手に」
「ええ? そんなんでいいんすか、まだ馬鹿なガキが火ぃ出して暴れたりしてますよ」
「そんなの天ヶ峰さんとか立花さんになんとかしてもらえばいいじゃん。佐倉も男鹿もそっちにいるんだし」
 ぐうの音も出ません。確かにやつらが本気を出せばこの町の恒久的平和は実現されるが、問題はあいつらが人の話をちっとも聞かないとこにある。
「ま、なんかあったら連絡してよ。公衆電話の非常回線でスリーセブン押せばあたしんとこ出るからさ。地柱町の後藤ですって言ったらコレクトコールでもばっちこいよ」
「マジすか。やべー。なんか超重要人物になった気がする」
「知らなかった? 君の個人情報ってもう国家機密なんだよ。あと茂田くんと横井くんも」
「えへへ。しょうがねえなあ、かわいい女の子だけには情報流していいっすよ」
「アハハ、つまんねー」
 ひでえ。ちょっとした冗談だったのに。大人は分かってくれない。
 その時、ハゲがぼそりと呟いた。
「終わったぞ」
「あ、うす。どもっす」
 ハゲと俺の仲はもう十年近いので散髪も早く終わる。以心伝心、地域の力! 確かに犬飼さんの言うとおりこの町はよそよりも地域間のつながりが強いのかもしれない。ずうずうしいやつと馬鹿しかいないとも言えるが。
 俺はさっさと髪をすいた。うむ、満足。
「じゃあね、後藤くん。縁があったらまた会いましょう」
「うっす。あ、犬飼さん」
 何、と犬飼さんはハゲにほっぺを剃られながら聞き返してきた。俺は言った。



「ヒゲ、生えてるんですか?」



 背筋が凍るほどの沈黙の中、俺は悠然と『少林寺』を後にした。
 背後からはもう、虫の這う音すら聞こえない……








 とまあ、区切りがついたところで家に帰ろうと思ったのだが、その時ちょうど前の通りをそば屋のせがれのてっちゃんがチャリンコをぶっ飛ばして通過するところだった。ちなみにてっちゃんはダブっているのでクラスメイトなのだけれど俺たちより一個上である。
「っ! 後藤!」
 てっちゃんは俺に気づき、チャリンコを横にして急停止した。俗に言う『金田止まり』である。チャリでアスファルトから火花を出すなよ。
「どうしたてっちゃん。そばはどうした」
「注文が来ない」地味に辛い事実を口走りつつ、
「いやな、俺も又聞きなんだが、どうも喧嘩がおっぱじまるらしくてよ」
「喧嘩? 誰がどこで?」
「沢村と南中の吉田ってやつ。場所は河川敷」
 一瞬、誰のことかわからなかった。いや沢村のことじゃない。違うわ。吉田の方だわ。そう、吉田くんは例の浅黒金髪くんである。俺がタマゴライフルで脳をゆさぶって教育的指導してやったのだが、どうやら反省してねえらしいな。
「こうしちゃいられねえ。見物にいかなくっちゃな!」
「乗れ、後藤」てっちゃんはチャリンコの荷台を顎でしゃくった。
「早くしないと始まっちまう」
「ありがとう、てっちゃん」
 俺はてっちゃんの肩に捕まって2ケツした。が、てっちゃんの足がちっともペダルを踏んでくれない。俺は叫んだ。
「虚弱かっ!」
「すまねえ」てっちゃんは心底申し訳なさそうだ。
「実は昨夜、三浦たちと麻雀を打っててな……寝てねえんだ」
「ちっ、無理するな。徹夜は死ぬ病だぜ」
「後藤……心配してくれるのか? 七万スッた俺のことを!?」
「七っ」
 スりすぎだろ。素で引くわ。
「てっちゃん、ギャンブル弱いんだから無理すんなよ」
「年上だぜ、誘われて退けねえよ」
 とてもじゃないが誰も年上扱いしてないなんて言えない。てっちゃんの目は綺麗だった。
「だが、やっぱついていっても足手まといにしかなりそうにねえや。正直吐きそうだし後藤、先いっててくれ。落ち着いたら追っかけるからよ」
「そうしなよ。じゃ、借りてくぜ」
 俺はてっちゃんと消えた七万円に敬礼し、やたらとハンドルがべたべたするチャリンコをぶっ飛ばして河川敷を目指した。借りなきゃよかったこのチャリ。なんかくせえ。








『登場人物紹介』

 後藤…さっぱり

 犬飼さん…男性ホルモン

 てっちゃん…この後、三歩歩いたら嘔吐。顔を剃り終わった犬飼さんの足にかかった。




 チャリンコを気分よく飛ばしているといきなり横から吹っ飛ばされた。と言ってあわてちゃいけない、俺は昔取った杵柄で無闇な抵抗をやめ衝撃に身を任せた。親父がガキの頃言っていた、受身の極意、それは妙な方向に手をついたりしないこと、そして頭部を守ること。あとは勝手に身体が流れてなんとかなる。俺はその通りにした。
「だ、大丈夫ですか!?」
 俺は立ち上がった。幸いなことに打撲もなさそうだ。が、痛かったことは痛かったので文句のひとつも言ってやろうと思った。
「あんたな……」
 が、
 顔を上げた先にいたのは、古きよきおかっぱ頭の美少女。
 おお。なんという美しい黒髪。正直タイプだ。なんというか保護欲をそそる。妹がいたらこんな感じなのかなあ。
 美少女は何度も謝りながら俺の手を引いて立たせてくれた。
「すみません、急いでいて……」
「いや、うん、気にしないでいッスよ。全然いッス。怪我とかないんで」
「そうですか……? 自転車、壊れちゃってますけど」
「え? あーっ!!」
 見るとてっちゃんの商売道具がひん曲がっている。これはひどい。なにかしらの機材を使わないと直せそうにない。
「すみません……」
 しょんぼりと美少女が落ち込んでいく。うーん。本当なら八つ裂きにしてやりたいところなんだが、美少女だからなあ。てっちゃんへの義理と美少女がこの世に生まれてくれた奇跡、どっちが重いかといったらなあ。でもなあ。うーん。
 俺は友情を捨てた。さらばてっちゃん。
「どうせ中古で買ったボロなんで気にしないでいいッス。それより急いでたんでしょ?」
 はっと美少女が電撃を浴びたように飛び上がった。
「そうでした! いけません、私、いかないと!」
「そうでしょう。ここは俺のことなど気にせずに」
 美少女はわたわたしていたが、覚悟を決めたのだろう、きっと唇を引き結ぶと九十度におじぎして、
「このご恩は一生忘れません! ありがとうございます!」
 駆け出していった。なかなかいいランニングフォームである。陸上部なのかな。うふふ。かわいい。今日はいい日だ。
 しかし足元には依然としてひん曲がったママチャリが転がっている。いやどうしようかこれ。さすがに放置していけるほど俺とてっちゃんは仲良くないので、せめて自転車屋へ搬送ぐらいはしてやりたいのだが。日曜だけど店開いてるかなあ。
 チャリを立て直して転がすというより引きずっていこうとしたところに、たまたま、親父の軽トラが通りかかった。プァンとクラクションを鳴らしてくる。
「どうした」と親父が窓から顔を出した。相変わらずの虚弱ヅラだが、目だけがぎらぎら光っていてヤク中みたいである。
「いや、女子に轢かれて友達のチャリがこの有様」
「そりゃ仕方ねえな」
 仕方ないんだ。仕方ないか。
「親父、暇だったらチャリ屋にこれもってってくんねえ? 俺今から友達と約束してんだよ」
「いいよ」
 駄目元だったがあっさりオーケーが出た。マジか。俺と親父ってそんな仲良かったっけ?
「乗っけて落ちないように縛れ」
「どこに縛るのこれ」
「どこでもいいよ。最悪なんかに引っ掛けとくだけでいいから」
 俺は親父の愛情を一身に受けつつ軽トラにチャリを乗せた。親父はまたプァンとクラクションを鳴らして去っていった。今度夕飯でも作ってやるか。
 俺は気を取り直して、河川敷へと走った。



 きゅきゅっと一度もバスケで使っていないバッシュを唸らせて立ち止まると、もう土手下には茂田や横井たちが集まっていた。三浦や木村、田中くんもいる。ほとんどポンコツ3組男子衆勢ぞろいであった。いないのは肝心要の沢村とてっちゃんくらいか。
「おう後藤、遅かったな」と茂田がホットプレートでホットケーキを焼きながら言ってきた。何かがおかしい。
「……。えっと。ホットケーキパーティだっけ今日は」
「ははは、何言ってんだよ後藤」横井がもぐもぐやりながら笑う。
「沢村の一世一代の大喧嘩じゃないか。精をつけて応援してやろうぜ」
「そうか、そうだな」
 はい、と手渡された紙皿においしそうなホットケーキが乗っている。俺は考えるのをやめた。
「で、沢村は?」
「向こうでもうバトってるよ」
 俺は土手をよじ登り、顔だけで河川敷を覗き込んだ。
「はあああああああっ!!!」
 いた。沢村である。今日は制服ではなく普段着の無地シャツ短パンである。もう少しチョイスはなかったのだろうか。完全になにもかも諦めた駄目な大学生にしか見えない。
「くそがあああああっ!!!」
 相対しているのは金髪浅黒の吉田くん。こっちはこの初夏の中ご苦労なことに革ジャンにシルバーまで巻いている。お母さんにシルバーをねだった吉田くんの勇気を考えると向こうを応援したくなる。
「戦況は」
「うむ」と茂田がにょっきり顔を出した。
「修行の成果もあって沢村が優勢だな。相変わらず火球は遅いが、爆風と河川敷の砂つぶてで金髪にコンスタントなダメージを与えているぜ」
「ほほう。それにしちゃ沢村の方がダメージでかそうだが」
「沢村は火球そのものを回避できてないからな。小さな球を素早く当ててくる。能力の使い方は向こうのが上手らしいぜ」
「ふーん」
「ま、六分四分ってとこだから、どっちが勝つかはわからねーな。ていうか後藤、おまえホットケーキに何かけて喰ってんの?」
 茂田は化け物に出会ったかのように俺の手元を凝視している。
「何って、焼肉のタレだけど」
「はあ!? 馬鹿じゃねえの!? 俺のホットケーキに何してくれてんだよ!」
「何言ってんだ。うしろ見てみろ」
 茂田は振り向いた。
「…………」
「な? マヨネーズ、ケチャップ、とうがらし、わさび。誰一人としておまえの焼いたホットケーキにはちみつをかけるような甘ちゃんはいないんだよ」
「ふざけやがって……ふざけやがってええええ!!!!」
 茂田は怒りのあまりごろごろと土手を転がっていった。落ち着けよ。結構うまいぞこれ。
 茂田の代わりに横井が上がってきた。ちなみに焼肉のタレをよこしてきたのはコイツである。
「それにしてもさ」
 開口一番横井が言った。
「なんかシュールだな」
 おそらく火球飛び交う河川敷をホットケーキ食いながら眺めている状況を言っているのだろうが、俺たちの毎日でシュールじゃなかった日があっただろうか。
「それよりあのホットプレートって誰が持ってきたの?」
「ああ、酒井さんに借りた」
「釣竿のこと怒ってたろ」
「おまえが持って帰って夜釣りに使ってるって言ったらお咎めなしだったぐうぇうぇ」
 俺は横井の胸倉を掴んだ。
「おい! 相手は女子だぞ。つまらんシャレで俺が死んだらどうする」
「いやパンツ釣ろうって言い出したのおまえだし……」
 確かに。じゃあ俺のせいじゃん。ごめんね横井。俺は手を離した。
「くそ、酒井さんにまで命を狙われることになったのかよ。身がもたねえ」
「今まで持ってたんだから今度も大丈夫だよ」
「へっ、他人事は綺麗事だな!」
「意味がわからねーよ……」
「それよりさ、横井、なんか顔が熱くねえ?」
「……? あっ、見ろ後藤!」
 横井が指差した先では戦況が変化していた。沢村と吉田くんは向かい合っていたが、吉田くんの方がとうとう沢村キネシスの直撃を受けたらしい。膝をついて小刻みに痙攣している。それを見下ろしながら、沢村が両手を掲げ、火球を練り上げていた。
「沢村玉だ! 沢村玉が出るぞ!」
「みんな、両手を挙げろー!」
 ホットケーキ片手に土手を駆け上ってきた男子衆が喚きだした。沢村玉ってなんだよ。俺も一応手だけは挙げるけどさ、沢村玉ってなんだよ。
 それにしても沢村の玉は大きかった。色もいい。犬飼さんが言っていた黄金に近い炎の玉が、火花を散らしながらゆっくりと回転していた。沢村の顔が見えた。マジだった。
 ごくり、と俺たちは生唾を飲み込む。そんな俺たちの横で、茂田がもぞもぞ何か言いたげに動いた。
「なあ」
「なんだよ。いまいいところだぞ」
「沢村の顔さ……」
「沢村の顔がなんだよ」
 茂田は何かとてつもない秘密を打ち明けるように、俺たちに囁いた。
「あれさ……ウンコ我慢してるように見えね?」
「……」
「……」
「……ぶフォッ」
 誰かが吹いた。
 茂田ァァァァァァァァァァァァ!!!!!
 男の子が格好つけられる一世一代の見せ場をどうしてくれるんだよ! もう沢村がウンコ我慢してるようにしか見えねーよ! おまえのウンコで何もかもがメチャメチャだよ!!!!!!
 俺が茂田の胸倉を掴んでボコボコにしていると、ことが動いた。
「でやああああああああっ!!!!!」

 ごうっ

 沢村が沢村玉を振り下ろした。あわや吉田くん急逝――!! と思ったが、そうはならなかった。
 吉田くんは飛んだ。
「うおおおおおおおおおっ!!!!」
 雄叫び一声、その背中からは紫色の炎が噴出して、吉田くんを大空へと吹き飛ばした。沢村玉は地面に大穴を開けて消えた。
「はあっ……はあっ……」
「と、飛びやがった……」
 俺たちは呆然として宙を舞う吉田くんを見上げるしかなかった。どさっと何かの落ちる音。見ると今度は沢村が膝をついていた。渾身の一撃だったのだろう。しまいにはガスガス地面を殴り始めた。辛そうな表情と弾け飛ぶ涙からして己の無力さを悔やんでいるのだろうが、そんな元気があるならもう一発ぐらい撃てるだろ。
「くっそおお……どうすればいいんだ……」
「応援したくても沢村に気づかれちまうわけには……」
「俺たちにはなんにもできねえのかよ……!!」
 ポンコツ3組男子衆の苦悶の嘆きが広がった。俺も気持ちは同じである。ここまできてクラスメイトに負けて欲しくはなかった。誰も好き好んで日曜の真昼間から知り合いの負け戦など見たくない。沢村が負けたら俺たちはどんな気持ちでいいとも総集編を見ればいいんだ? どうせ見るなら勝ち戦のあと気持ちよく見たいじゃないか。
「見ろ! 金髪がなんかするぞ!」
 木村が指差す向こうで、喜色満面、本当は勝ち誇りたいのだろうが喜びが強すぎてお母さんにガシャポン代を二千円もらったガキのようになっているほんわか面の吉田くんが、どうも急降下爆撃を仕掛けようとしているらしかった。両手両足をたわめて何か力を蓄えているようなモーション。
「やばいぜ、沢村にはもう沢村キネシスを撃つパワーが残ってねえ!」
「どうする、もうバレてもいいから助けに行った方が」
「いや、」
「間に合わねーっ!!!」

 どうっ

 吉田くんが獲物を見つけた海鳥のように頭を下にして突っ込んできた。沢村の顔に苦悶がよぎる。沢村……!
 その時、沢村が何か呟いた。俺にはそれが聞き取れなかったが、たぶん、誰かの名前だったろうと思う。
 吉田くんが沢村へ激突するまであとコンマ2秒もなかった。その中で、沢村の両手がぼっと燃えた。炎拳を作った沢村はそのまま腰を沈めた。バレーのレシーブスタイル。
 まっすぐに飛来してきた吉田くんの顎を、沢村の燃えるレシーブが高々と打ち上げた。たぶんその時にはもう吉田くんは半分失神していたのだろう。吉田くんは俺たちの方に突っ込んできた。俺たちはホットケーキを口に放り込んで土手を駆け下りた。そして、

 爆発音。

 俺は光と音から顔を覆った。頭の片隅で、あまりにも速く通り過ぎていった出来事の断片がちらついていた。
 目を開けると、煙が晴れるようにあたりが明らかになった。吉田くんは一軒の民家に突っ込んだらしい。わずかな柱だけを残してあとはすべて黒煙がたなびくだけになっている家の跡地が目の前にあった。それを見ているとなぜだか胸がざわついた。何故だろう……その答えを横井が呟いた。
「あ、あ、あ、……酒井さんちが」
 そうだ。
 あれは酒井さんちだ。
 人間ミサイルと化した吉田くんが吹っ飛ばしたのは――

「うわああああああっ!!!!!」

 突如、俺たちの頭上で悲鳴が上がった。沢村だった。バレた、と思ったが、沢村は俺たちが目に入ってすらいなかったらしい。土手に背中をつけて息を潜める俺たちの横を一顧だにせず走り去り、沢村は酒井さんちの跡地へと走っていった。
「酒井さん! 酒井さん! さかっ……うわあああああああっ!!!!!」
 沢村は黒こげになった酒井酒店の上で頭をかきむしって泣き叫んだ。
 俺たちは何も言えなかった。視界の隅で、ホットプレートに残っていた切れっぱしを横井がつまんでいた。
「酒井さん……」
 いい人だった。いや、恨みつらみが重なることもあったが、女子の中ではまともな人だった。俺たちの冗談にもよく付き合ってくれたし、遊び道具も貸してくれた。
「酒井さん……!」
「何?」
 俺は振り返った。酒井さんがきょとんとしている。今は酒井さんどころじゃない、酒井さんが死んだんだ! 俺は涙を土に降らした。そしてもう一度振り返った。
 酒井さんがいた。
「……あの」
「だから、何?」
「今日はおうちにいるんじゃあ……? 日曜だし……」
「ああ、ちょっと昨日から家族みんなで親戚の家に遊びにいってて……って、あーっ! ウチがーっ!! きゅう」
 酒井さんがその場にぶっ倒れた。さすがに私財もろとも自宅が焼け野原になっていたらもう何も考えたくないのはわかるが……俺は成り行き上、酒井さんを抱きかかえることになってしまい、ほとほと困った。
「いやあ、でもよかったよ。酒井さん生きてて」
 横井が知った風なことを言う。男子衆もそうだそうだと頷いた。まあ、一瞬はマジで死んだと思ったわけだし、さすがの俺も安堵の念を禁じえなかった。
「残る問題は、あれだな」
「ああ……」
 俺たちは酒井家跡地に目をやった。
「うわああああああ!!!! うわあああああ!!!! 酒井さん、酒井さーんっ!!!!!」
 髪を振り乱し頭をかきむしり虚空へ向かって絶叫し続ける沢村。ちょっと近寄りがたい。
 さて、ヘビメタ状態の沢村にどうやって事情を説明したものか。とりあえず酒井さんをこのあたりに置いておけばそのうち気づくか。
 茂田が目を細めて呟いた。
「デトロイト沢村、か」
 やかま茂田。







『登場人物紹介』


 沢村……何か思うところがあるらしい



 たったったった

 どんっ


「大変! 沢村が転校するって!」
 それどころではなかった。
 机の上に広げられた紙の台、そこに俺と黒木の分身がちょっとびっくりしたみたいなスタンスを取って相対している。にらみ合うはおのが運命おのが意地のため。
 神官服を着た茂田が神様にケツを掘られているような顔をしながら、
「はっけよーい、のこったのこった!!」

 ズドドドドド!!!

「うおおおおお!!!!」
「だらああああ!!!!」
 俺と黒木の両指十本が痙攣を超えた速度で台を叩き始めた。土俵の上はもはやララパルーザ、地鳴りの体をなし俺と黒木の分身力士が右に左にとブローを叩き込みあう。ちなみに相撲である。
 俺と黒木はきらめく汗を飛び散らせながら笑いあった。
「やるな!!」
「おまえもな!!」
 両手が開いていれば固く握手を交わしていたところだ。だが今は勝負の最中、馴れ合いはご法度だ。
 状況は黒木が優勢。俺の分身は少しずつ競り負けて土俵際へと追い詰められていく。
 が、
「ふンッ!」
 俺は台を上からでなく横から突き上げるように叩いた。
「何ィッ! それは下手をすれば自分が一回転して負けてしまう諸刃の剣、土俵際左捻りこみ……!!」
「悪いな黒木、負けられない戦さぐらい、俺にだってあらァ!」
 衝撃を回転へと流した俺の分身が黒木のそれを弾き飛ばし――



「話を聞けーっ!!!!」


 どがっ


 俺たちの努力も涙も血も汗もついでに巻き添え食った茂田も、すべて空中へと散らばった。
「ああっ、俺の夜孔雀が」
「やめてくれ、俺の絶影狐が」
 誰も気絶した茂田の心配はしない。
 天ヶ峰がはあ、と生意気にもため息をついた。
「紙相撲なんてやってる場合じゃないでしょ? いまはわたしの話を聞くとき」
 自分で言うなよ。俺はうんざりして天ヶ峰を見上げた。
「この怪物め、自分のすみかに帰るがいい」
「誰に言ってんの?」
 ごめんなさい。
 天ヶ峰は腰に手を当てて、俺たちをぷんすか見下ろしてきた。
「もーっ。なんでまた紙相撲? いま紙相撲するご時勢?」
「時勢は関係ねーだろ」と黒木。
「これでも大事な天下分け目の超決戦だったんだぞ」と俺。
「天下分け目? なにか賭けてたの?」
 黒木がすっとルーズリーフのファイルを手に取った。
「俺と勝負して一勝すれば、この期末考査用のノートのコピーを一枚、渡す。後藤が負ければ俺は400円をもらう」
 500円でないところが黒木の優しいところだ。
 天ヶ峰はそうだったんだあ、と納得したようで、
「じゃあ、これはわたしがもらうね」
 黒木秘蔵のファイルに手を伸ばした。それを見た黒木の目がきらり光った。
「ヌンッ!!」
 ずどっ
 おそらく58キロ級の男子高校生が出せる最大戦速のナックルが天ヶ峰の腹筋に突き刺さった。
「いてっ。なにすんの!」
 全然痛そうじゃない。黒木の顔に冷や汗が浮かんだ。
「おまえと会うたびに自分に自信をなくす」
 ちなみに黒木は現役のプロボクサーである。十七歳になってすぐライセンスを取得した。まだ四回戦なので先輩連中からは「グリーンボーイ」などと呼ばれているが、自分は黒木だからブラックボーイだと言い張っている。勉強はできるのだが、頭がちょっとおかしい。
「だが天ヶ峰、このファイルはさすがに渡せないぜ。おまえが寝ている間も俺は頑張って授業を受けていたんだ。おまえだって頑張って育てたアサガオを誰かに燃やされた時は烈火のごとく怒ってたじゃないか」
 そういやそんなことあったな。確か小二の頃だ。あの頃は天ヶ峰もまだまだ弱かった。俺でも足かけて転ばせたりできたし。
「うーん、それもそうだね……まあいいや、でんでんに教えてもらうし」
「そうだ、それがいい。紫電ちゃんがおまえの係りなんだからな」
「係りってなに?」
 俺は黒木のわき腹をエルボーしようとしたがスウェーでかわされた。突っ込みをかわすな! ていうかボディ狙いをスウェーってどういうこと? 化け物なの?
 そのまま和やかな談笑に切り替わっていけそうな雰囲気もあったが、天ヶ峰がハッと我に返った。
「って、ちがーう! 話は沢村のこと!」
「沢村がなんだってんだよ」
「転校するんだって! さっき職員室で話してた! どうしよう……きっとかおりんのことを気に病んで……」
 珍しく天ヶ峰がしょんぼりしている。まあこいつからしたらおもちゃがひとつ減るようなもので、自分のコレクションは完全なまま保管しておきたいという気持ちから出た悲しみなのだろうが、そうやってしょぼくれていると普通の女子に見えてくるから不思議だ。
 それにしても、転校ねえ。
「学校をもう三日も休んでるのはそれが原因だったのか」と俺。
「誰もお見舞いにいかないからわからなかったな」と黒木。
「ねえ、なんとかしてあげよーよ。可哀想だよ」
 天ヶ峰のツラが遊園地行きを延期にされたガキのようになる。
「なんとかったってなあ。どう思うよ黒木」
「どうもこうも、沢村が手から火を出せるのは事実だしなあ。どうせ転校先も……なんだっけ、犬飼さん? とかいう人らのとこなんじゃねーの。政府とかの能力者養成機関みたいな」
「ああ、うん、なんか国がどうのこうのっていってた」と天ヶ峰。
「じゃあ決まりじゃねーか」
 黒木はゆっさゆっさと椅子を揺らした。
「元々、こんな平凡な……いや、ちょっとだけ異常な一介の高校に超能力者がいるなんてのが無理があったんだよ。やっぱそういうのはちゃんとしたところでしっかり守ってもらった方がいいんだって」
「そんな……でも」
「実際、こないだの河川敷じゃやらかしちまったじゃねーか。あれ酒井さん一家が家にいなかったからいいものの、もし残ってたらいくら女子でも死んでたはずだぜ。沢村が沢村キネシスを制御しきれてねーのは、悪いけどガチだろ」
 天ヶ峰が俺を見た。
「後藤は? 後藤もそう思うの?」
「ん、いや」
 ええい。
「さあ、どうだかな」
「なにそれ」
「だからさ、結局沢村が決めることなんじゃねーの。しらねーけど」
「知らないってなんだよ! クラスメイトじゃん!」
 俺はちょっとむっとした。
「うっせえな。だからだろ。ただのクラスメイト同士で何ができたり言えたりすんだよ。そんな文句あんならおまえがどうにかすればいいだろ。俺を巻き込むなよ」
 あ。
 言い過ぎた。
 俺はごくっと生唾を飲み込んだ。こりゃあぶん殴られて殺されるな。黒木を盾にしたいがこいつはボクシングなら天ヶ峰に勝てるが喧嘩じゃ勝てないと普段から豪語しているので二秒と持つまい。黒木のバトルスタイルは蹴りと関節と締めがお留守もいいところで面白いように足から崩されちゃうのだ。さらばわが十七年の生涯よ。後藤某、処女の拳にて散る。
 俺は目を瞑って落着の瞬間を待ったが、いつまで経ってもその時は訪れなかった。おそるおそる目を開けると、もう天ヶ峰はいなかった。
「あれ? どこいったうちのクラスの怪物ちゃんは」
「出てった。いやあ、びびったあ。天ヶ峰ってマジギレすると無表情になるのな」
「マジギレ? いや……」
 俺は開きっぱなしになっている引き戸を見やった。
 人間には二種類いる。陳腐な言い草だが、それは泣きたい時に泣くやつとそうじゃないやつだ。
 紫電ちゃんは泣く。
 天ヶ峰は、そうじゃない。



 ○



 終業のチャイムが鳴った。
 茂田と横井が俺に磁力があるかのように擦り寄ってくる。
「どうだ後藤、黒木からノートは奪取できたか」
「天ヶ峰に割り込みされて勝負はおあずけだ。明日やり直す」
 んだよーと二人は残念そうに肩を落とした。まあ俺たちもまったくノートを取っていないわけじゃなし、三人分あわせれば赤点くらいは免れるだろうが。
「じゃ、帰るか」
「おお」
 俺たちはカバンを背負って教室を出た。
「そういや、沢村が転校するってよ」
「ああ、聞いた聞いた。なんでも奥多摩の方にいくらしいぜ」
「奥多摩かあ。ちょっと日曜に遊びにいくにしちゃ遠いな」
「まあ俺たちからしたら歩いて十分以上はどこでも遠いからな」
 そりゃそうだ。俺たちの足腰はおっさん以下だからな。あーあ。運動系の部活、やっときゃよかったのかなあ。なんて。
 下駄箱まで降りると、横井が「あ」と何かを見つけた。
「どうした横井」
「あれ」
 横井が指差した先にいたのは――てっちゃんのチャリを大破せしめたコケシ少女と、この初夏の中ハガネの意志で学ラン着用を敢行している紫電ちゃんだった。妙な組み合わせである。それにしてもあのコケシの子、うちの学校だったのか。
「何喋ってるんだ。コケシの子が頭下げてるみたいだけど」と俺。
「わからん」と茂田。
「かわいいなあ」と横井。
 そうなのだ。あのコケシの子にはなにか涼しさのようなものがある。モノで言うと風鈴というか。食べ物でいうと冷たいヨウカンというか。うまく言えんが、結婚したら幸せな家庭を築けそうな気がしてならない。
「転校の挨拶じゃないかな」
 と横井が言った。
「転校? なんでわざわざ紫電ちゃんに。生徒会の子だったのか?」
 俺がそういうと、横井と茂田が不思議そうに見てきた。
「何言ってんだ? 沢村のことに決まってんじゃん」
「沢村のことって……なんで?」
 そうして茂田と横井はとんでもないことを言ってのけた。





「あの子、沢村の妹だぞ」





 ……。
 なん、です、と?
 いやいやいや。おかしいおかしい。だってだって、だって、
「だって、沢村に妹なんかいないって。俺あいつと小学校同じだったから知ってるし」
「中学であいつの親父さん再婚したじゃん」と茂田。
「その時に継母さんが連れてきたのがあの子なんだよ」と横井。
 なななななな。
「ていうか有名だろ、沢村の妹が美少女だってのは。一緒に昼飯食ってるの見たことあるだろ?」
 俺ははっと気づいた。遠目でわからなかったが、そういえば沢村は昼飯を女子と食っていた。それがあの子だったのか。いや、それだけじゃない。記憶を掘り返せばいろいろと思い当たる節がある……
『ごめんな、朱音……兄ちゃん、帰れそうにねえや』
 紺碧の弾丸さんとの初戦で死に掛けた沢村が呼んだのはいったい誰の名前だったのか?
『昨日届けてもらったんだ。早く喰わないと悪くなっちまうし、一緒に喰おうぜ』
 沢村が検査入院していた時、わけもなく犬飼さんが届けたんだと思い込んでいたあの果物のバスケットを『昨日』届けたのは誰だったのか?
『すみません、急いでいて……』
『いけません、私、いかないと!』
『このご恩は一生忘れません! ありがとうございます!』
 そもそもあの日曜の朝、あのコケシの子はいったいあんなに急いでどこへ向かっていたのか?
 なんで、
 なんで、
「なんでそういうこと早く言わないんだよ!!!」
 俺の叫びに横井と茂田が「ええー……」と困り顔になった。くそっ、そうだろうけどさ! 誰か教えてくれてもいいじゃん! なんで俺だけ知らないことがあるの? へこむわ!
 俺がその場でぶるぶる震えていると、紫電ちゃんがこっちに気づいてやってきた。
「どうした? 風邪か?」
「紫電ちゃん! いまの子って沢村の妹だよな!?」
 俺が肩を掴んで揺さぶると紫電ちゃんは顔を真っ赤にして縮こまった。
「うわわわわわなになになにをなに?」
「あの子なんて言ってた? なんの話だったんだ?」
「なんのって……転校するから、今まで兄がお世話になりましたと……丁寧に……」
「転校っていつ!」
「それが急で……もう今日だって……わっ?」
 俺は紫電ちゃんを横井にぶん投げた。横井は紫電ちゃんを受け止めそこねてくんずほぐれつアスファルトに転がった。幸せそうである。
「こうしちゃいられねえ!」
 俺は駆け出した。
「なんなんだよ後藤! どうしたんだよ!?」
 茂田の叫びに俺は振り向かずに答えた。
「いかなきゃなんねーとこがある!!」
 俺は校門を直角ダッシュで飛び出した。
 そうだ、沢村が転校? そんなことをさせるわけにはいかない。それはつまりあの子もこの町からいなくなってしまうということだ。そんなことになってみろ、この町は間違いなく今年の夏はヒートアイランド、天ヶ峰だの紫電ちゃんだの家を失って横井家(!)に居候することになって気が立っている酒井さんだのアグレッシブなバケモノどもの跳梁跋扈する魔都になっちまう! きついとき、つらいとき、この町に一人でも普通の、少なくともその魂は穢れなき女の子がいると信じられればエアコンがなかろうが自由研究を天ヶ峰にパクられようが生きていけるのだ。
 俺の脳裏には必死に頭を何度も下げるあのコケシっ子の残像ばかりが浮かんでくる。
 そう、それに、天ヶ峰に言っちまったさっきのセリフ。
『ただのクラスメイト同士で何ができたり言えたりすんだよ。そんな文句あんならおまえがどうにかすればいいだろ。俺を巻き込むなよ』
 男に二言はないと言いたいところだが、あいにく俺はまだ男子高校生。二言も三言も吐いてなんぼのオコサマなんだよ。
 俺は陽炎の出始めたアスファルトの町を疾走し、十字路のど真ん中で急ブレーキ、無限に広がる天空に向かって吼えた。



「沢村んちってどこだよ!!!!!」



 知らなかった。






『登場人物紹介』

 沢村…主人公
 沢村妹…コケシ
 後藤…一寸のモブにも五分の魂




 ここにきて、さほど沢村と仲良くなかったことが心底悔やまれる。横井あたりはもうちょい絡みがあったから沢村家の住所を知っているのだろうが。メールを送ったが全然返事が来ない。くそっ!
 俺は闇雲に市中を走り回っていた。初夏である。もうすぐ期末考査だってあるし、いくら夏服とはいえ汗がどくどくと流れてくる。何度諦めようと思ったか知れない。何軒もの書店とレンタルビデオ店が俺に甘い誘惑を囁いてきた。だがそれに乗ってしまえば沢村一家は奥多摩行きだ。俺の身体よ、今しばらくガッツを見せてくれ。
 そして俺は高台の公園へと走りあがった。高い場所から見下ろせば、荷物などを運ぶトラックが見えるのではないかと思ったのだ。仮に見つけたとして、そこから駆け出して間に合うかどうかはわからなかったが、何もしないよりはずっといい。
 子供の頃よく遊んだ公園には誰もいなかった。俺はブランコや滑り台を無視して、崖になっている柵の際まで走った。走ったのがよくなかった。誰かが捨てた某有名トレーディングカードゲームの空き袋を踏んだ俺の身体は綺麗に滑った。
 ごんっ
 腰を柵に強打。一瞬意識が遠のき、そのまま崖下へと転がり落ちていった。
 恐怖で悲鳴も上げられなかった。
 いや、実際、自分が上を向いているのか下を向いているのか、一秒先に何か尖ったものが待ち受けていないか、そんなことすらわからない時間が五秒だか十秒だか十五秒だか続けば誰でもびびると思う。地面に背中から激突して大の字になったあと、俺はこのクソ暑い中びっくりするほど弱弱しく震えていた。ほんと怖かった。死ぬのはまだまだごめんだわ。
 立ち上がると、全身が血塗れだった。細かい擦過傷がほとんどだったのがせめてもの救いだ。
 慣れないことはするものじゃないな、と後悔して、自分のモブキャラっぷりに心底嫌気が差した。が、捨てる神あれば拾う神あり、顔を上げると黒塗りのバスが停まっているのが見えた。運転席には黒いスーツを着た例のオカマが座っている。犬飼さんだ。
 どうやらまだ俺の出番は終わっていないらしい。俺は再び駆け出した。
「犬飼さーんっ!」
 駄目だ、あのオカマ、イヤホンで何かを聞きながら仕事してやがる。なんて態度だ、バイト以下だな! 罵ってやりたいが聞こえていないようだ。
 とたん、まるで俺に嫌がらせしたいかのようなタイミングでバスがエンジンをふかし始めた。そしてバスの窓から見えるあのツラは――
「沢村っ! 沢村ーっ!!」
 俺はバスに取り付いてバンバン叩いたが沢村は窓に額を当てて空を見上げている。こんな時に黄昏やがって……絶対にちょっとは聞こえてるだろ! どんだけ自分が好きなんだよ。帰ろうかな……くそっ、ああ、もう!
 俺は拳を作った。やりたくねー。でもやるしかねー。息をはあはあ吹き付けて、覚悟一発、俺はバスのシャーシをぶん殴った。

 がごんっ

「痛っ……」
「!? えっ、後藤!?」
 沢村が俺のナックルの衝撃でようやく気づき、窓を開けた。
「こんなとこで何やってんだよ?」
「それはこっちのセリフだ!」俺は真っ赤になった拳をふらふらさせながら、
「水臭いじゃねーか沢村。黙っていっちまうなんてよ……」
「それは……悪い、言えないんだ。黙っていかせてくれ」
「ケッ。何が黙っていかせてくれ、だ。格好つけてんじゃねーぞ英数国トリプル赤点のトライデントが。おまえが手から火を出せることぐらいもうみんな知ってんだよ」
「えっ……?」
「おまえな、あんな授業の真っ最中に手から火ぃ出してびびってんじゃねーよ。しかもその後何度も確認すんなよ。隣の俺からモロ見えだったぞ」
「おまえ寝てたんじゃなかったのかよ……なんてこった、じゃあもうみんなも知って……?」
「河川敷での一世一代のバトルはクラスみんなで観戦してやったぜ。わはははは、ざまあみろ、ぶわぁーか!」
 高笑いする俺に沢村がゴン、と窓枠に頭を打ちつけた。
 これで馬鹿の沢村にもわかっただろう。たかが手から火を出せるぐらいのアクの強さなんぞじゃ、俺たちポンコツ3組の中じゃむしろ地味だってことがな。
 だが、沢村は額をごりごりと窓枠に押し付けた。
「駄目なんだよ……俺はここにはいられねえんだ」
「俺の話を聞いてなかったようだな。とうとう日本語まで忘れたか猿が」
「うるさいな!? さっきから罵倒がひでーよ! ちょっとこれから喋るから罵倒をおさえて!」
 仕方ないなあ。俺は口をつぐみ、顎をしゃくって先を促した。
「駄目なんだよ……俺はここにはいられねえんだ」
 またそこからやり直すのかよ。紺碧さんかおまえは。
「俺は、俺はわざとじゃなかったけど、結局吉田を入院させちまったし、酒井さんちも全壊させちまった……一歩間違えば殺してるところだった。どんな顔して酒井さんに会えばいいのかわかんねーよ……」
 本人は横井のお母さんのご飯がウルトラやべーって今日めっちゃ嬉しそうに喋ってたけどな。ちなみにかに玉チャーハンだったらしい。
「だから、俺はこの町にいない方がいいんだ……いつまた俺を襲ってくる連中との戦いにおまえらを巻き込むかもしれないと思うと……俺は……!!」
 あー。
 飽きた。
「俺は……俺は……!!」
「うるっせえ!!!!」
 俺はバスを殴った。ごきぃ、という嫌な音がしたがアドレナリンでどうにかなった。いまはたぶん痛くても言わなきゃいけないところだ。
「いいか沢村、おまえが何を考えていようと、何を悩んでいようと、そんなことはどうでもいい」
「後藤……?」
 俺はふんぞり返って叫んだ。
「おまえの意見なんぞ知るか! 俺は――俺の意見が一番大事だ!!!!」
「え、ええー?」
 沢村が「そんなのアリかよ」みたいなツラになる。アリなんです。
「じゃあなにか、俺が今まで喋った色々は全部無駄か」
「当たり前だ。なに悲劇のヒーローぶってんだよ。似合ってねえぞ」
「だけどなあ!! 実際、次になんかあったらどうすんだよ!! 俺が誰か燃やしちゃったら、おまえ責任とってくれんのか!!」
 そんなこと、
「その時に考えればいいんだよ!!!」
 ゴンッ。
 沢村はまた窓枠に額をぶつけた。
「話聞けよ……」
「聞かん。とっとと降りてこいボンクラ。おまえが何かを燃やしたら、真っ先に小便ぶっかけてやらあ」
「もう何もかもメチャメチャだな……あーもう、なんか腹立ってきた!」
 沢村はがばっと起き直って、運転席の方へ叫んだ。
「犬飼さん、車出して! 俺、やっぱ政府のとこいく!」
 ええ!? どういうことだよ! なんでそこで意地を張る? 沢村くーん!!!
 いつから聞いていたのか、犬飼さんは事情は全部聞いていたらしく(イヤホンはもう外していた)、「あいあいさー」とのんきな掛け声と共にバスを走らせ出してしまった。ちょちょちょちょちょ!! おいオカマ! 止まれオカマ! ちょっ……オカマァァァァァァァ!!!!!
 ぶおおおお、とバスは走り出していく。俺も合わせて駆け出したがさっきまで市街を走り回っていたせいでスタミナが持たない。畜生、ここまでか――その時、バスが急停止した。なにごとぞ、と俺は前を見た。これで信号だったら笑えるな。
 信号ではなかった。
 もっと強いやつらだった。
 我らがポンコツ3組が男子女子ともにほとんど全員総出で仁王立ちしていた。
 先頭にいる茂田がにやっと笑う。
「水くせえのはおまえだぜ、後藤!」
「沢村くんをこの町から追い出したりはさせないよ!」
「おまえら……!!」
 俺は不覚にもちょっと涙で目が潤んだ。くそっ、こんなことで。
 茂田が両手を振り回した。
「やれぇーっ! 野郎ども! バスを押し倒せーっ!」
「おおーっ!!」
 掛け声の下、わっせわっせとポンコツ3組一同がバスを押し始めた。運転席で犬飼さんがマジであわてている。沢村は歯を食いしばっていた。
「おまえら、ずっと俺のことわかってたのに黙ってたんだな!? なんでそんなことしたんだよ!!」
「おまえが自分で言い出すのを待ってたんだよ!」
 茂田がショルダーをかましている。
「ったく、そんなくだらねーことでハブにされるようなクラスかよ」
 黒木がワンツーを果敢に叩き込んでいる。
「沢村くん! 実は1組の山田と牧瀬が沢村くんのこと好きなんだって!」
「答えないで逃げたらオトコじゃないよ!」
 女子どもがえっさえっさと背中でバスを押しながら叫んだ。ちなみに山田も牧瀬も男だ。
「沢村、あのさ、貸してたPSP、まだ返してもらってないんだけど!」
 横井が空気を読まずに貸した物の催促をする。
「おまえら……」
「手から火が出るからってなんだよ!」
 俺は痛む拳をバスに叩きつけた。どおん、という衝撃で沢村が震えた。
「うちのクラスにゃもっとやべーのがいくらでもいんだろうが! たかが火が出るくらいで……何が俺らと違うってんだよォッ!!!」

 がぁん!

 ぽたり

 みんなが押すのをやめた。
 窓から顔を出した沢村が泣いていた。
「みんっ……なっ……あり……ありがっ……」
「わかったならさ」
 俺は拳を振りながら言った。
「降りてこいよ、さっさと」
「うん……」
 沢村がバスの奥へ消えた。みんなから安堵のため息が漏れた。終わったのだ、これで。
 だが俺たちは忘れていた。何かが足りないことを。こんなにことが素直にいくのは、初めからおかしなことだったのだということを。

 たったった……

 たったったった

 たったったったった!

「沢村ぁーっ!!! いっちゃ駄目ぇーっ!!!」

 ああ。やばい。終わった。
 俺は絶望と共に振り返った。向こうから一直線に駆けて来るのは紛れもなく女子。硬質なロングヘアがたてがみのように揺れている。

 だんっ

 天ヶ峰美里が飛んだ。
 俺はそのハイジャンプを見上げながら思い出していた。初めて天ヶ峰と会った日のことを。小一の冬、俺はこの町に越してきた。外で遊んでこいと言われてふらっと寄った川原で、女の子がひとり、タイヤを腰に巻きつけてへたばっていた。聞けばそれを引っ張りながら走るのだという。身体を鍛えて、いじめっこをやっつけるのだという。ああ、と俺は思った。この町にはいじめっこがいるのか。じゃあこの変な女の子と関わるのはよそう。そう思いながら俺はその女の子に手渡されたストップウォッチを握って、その子が無駄に足を滑らせるだけの光景を何時間も見続けていた。
 いつしかストップウォッチにはタイムが刻まれるようになり、タイヤが増え、月日が経ち、いじめっこをやっつけるだけだったはずの戦いはいつしか町内全体を巻き込む大抗争へと発展していった。俺はそれをずっと横で見ていた。メッセンジャーとして。
 沢村が手から火を出したあの日、それを一番近くで見たのが俺だったのは、何かの因縁かもしれない。俺はいつも、いつも、そばから見ている役目柄だったのだ。




 どっがぁ!



 沢村が投降したことなど露ほども知らない天ヶ峰の跳び蹴りがバスの横っ腹に突き刺さった。
 今度は持ちこたえられなかった。
 タイヤごと浮き上がったバスがゆっくりと倒れていき、中でパニクっている犬飼さんと俺の目が合った。ごめん、助けられそうにない。

 ずどぉぉぉぉぉぉぉん…………

 バス、横転。
 さすがのポンコツ3組も一同呆然としてその場に立ち尽くした。
 天ヶ峰だけが動いている。天ヶ峰は横転したバスにへばりつくと窓を蹴破って中へと進入。一分もせずに這い出てきた時には沢村を引きずり出していた。沢村はもう天ヶ峰の顔が見た時に考えるのをやめていたらしい、幸せそうな寝顔だった。
「よいしょっと」
 天ヶ峰は猟師が獲った獲物にそうするように、沢村の首根っこを掴んで持ち上げ、バスの上からみんなに見せびらかした。息が上がっている。さすがにバスを蹴倒したのは初めてだったろうからな。
 天ヶ峰はすうっと息を吸い、

「獲ったどぉーっ!!!!」

 いや。
 そういう話じゃないから、コレ。






『登場人物紹介』


 天ヶ峰…獲った
 沢村…獲られた
 後藤…痛む拳はオトコの勲章
 茂田…気絶した犬飼さんを最寄の病院に連れて行った
 犬飼さん…オカマ
 横井…PSPはうやむや
 女子…バスを尻で押したため尻が痛い
 黒木…そ知らぬ顔をしている
 三浦…一言もセリフがないまま終わる
 田中くん…沢村が泣いちゃった時に釣られて泣いちゃった
 木村…実は女子と仲がいい
 てっちゃん…そばを配達していたので不参加に終わる
 江戸川…自慢のエースストライカーもバスには勝てず
 桐島…他クラスなので不参加
 紫電ちゃん…自宅で沢村投降の報を知る
 佐倉某&男鹿…紫電宅にて闇鍋パーティを開いていた
 紺碧さん…ヒトカラ満喫中
 志波先生&そのほか先生ズ…その時、職員室で全員のお茶に茶柱が立った
 吉田くん…入院中
 茂田の姉貴…ヤケドを負わせてきた地柱町に巣食う野良パイロキネシスト集団を人知れず壊滅させ、残りの吉田くんをシバきに病院へ向かっている最中だが、誰もそのことを知らずに終わる
 山田と牧瀬…ホモとゲイ




 期末考査が終わったあと、俺たちは何もかもが嫌になった。いや、沢村のゴタゴタがあってなんとなく浮いた気分が続いてしまって、結局ほとんどのメンバーがノー勉でテストに臨んだ。愚行もいいところで、まだ発表はされていないが、いったい何人追試を受けることになるのか見当もつかない。
 ので。
 何もかも嫌になったらパァーッとやるに限る。誰が言い出したのか知らないが、その日の放課後、俺たちはキャンプファイアーをすることになった。場所は校庭、時刻は夜八時。
 各自が持ち寄った廃材やら燃やしても問題なさそうなゴミやらを組み重ねて桐島が隠し持っていたガソリンをぶっかけて燃やした。なぜ桐島がガソリンなんか隠し持っていたかといえば、あの女は世紀末なオイルショックが起こった場合に学校に立てこもりガソリンを法外な値段で売りつけようとしていた魔女だったからだ。なので我らが生徒会副会長が直々にやつに鉄槌を下した。いま、桐島の夢とお金の名残が勢いよく燃え始めたところだ。あいつもバカだなーガソリンって腐るのに。
 俺は一階の廊下から半身を夜気にさらして、科学部の水谷が「うちの部長の不手際のおわびに」と作ってくれた何か泡立つ液体を飲んでいる。酒ではないらしい。ただの炭酸水か何かだろう。お好みでと渡された砂糖を混ぜながら少しずつなめる。おいしい。
 キャンプファイアーの周りにはポンコツ3組と、他クラスの連中も集まっていた。みんな思い思いにレジャーシートを敷いてだべったり、松明を作ってチャンバラをやったり、背筋を伸ばして麻雀を打ったりしている。てっちゃん、また負けるんだろうなあ。
「沢村、火が足りない! 火ぃ入れて火ぃ」
「わーった、わーったよ。いまやるよ……痛い! ケツを蹴らないで! なんでそんなことするの!?」
 沢村が周囲に蹴飛ばされながらキャンプファイアーに手をかざして、その火勢を強めている。キャンプファイアーの火はごうっと大きく燃え上がり、周囲の人間の頬を赤く照らした。それをクールに眺めながら炭酸水をなめる俺。超イカしてるなって自分で思う。
 沢村は、結局転校しなかった。まあ向こうから願い下げだったろう。公務で支給されていたバスを大破させられた犬飼さんは「更迭モンだよ」という苦みばしったセリフを最後に姿を消した。以来、沢村を連行しようとする政府の手先はやってきていない。
 沢村は沢村で、火を出してから今日まで振り返ってみれば驚くほど動じていなかった俺たちのあり方に思うところがあったらしく、今では普通に学校へ通っている。まあ俺たちの肝っ玉は筋金入りで、沢村が手から火を出したことを素で忘れていた猛者も何人かいたことだし。終わってみれば本当に、たかが手から火を出したぐらいでどうということもなかったのである。高校生ってすげえ。
 そんなことよりも俺は今、テストの結果が気になって仕方がない。黒木と答え合わせしたかったが、あいつは今夏の合宿へ向けての体力作りでそれどころではないらしく、今もキャンプファイアーの周りをエンドレスにウインドブレーカーを羽織ったままグルグルと走り回っている。ロードワークするか享楽に参加するかどっちかにしてほしい。見てるこっちが暑い。
 横井と茂田と答え合わせじみたものはやってみたものの、綺麗にみんな答えがバラバラで、少なくとも誰か一人は確実に赤点を割っただろうし、何もかもが駄目だと三人ともアウトの可能性もある。沢村とは違った意味でトライデントの名を襲名してしまうかもしれない。すげーやだ。
「後藤」
 呼ばれたので振り返った。志波が、どう見ても酒にしか思えないものを抱えて立っていた。
「よう」
「志波センセじゃないすか。何してんすか」
「何も糞もキャンプファイアーだぞ。家でゴロゴロなどしていられるか」
 その青白い顔からは考えられないほどアグレッシブなセリフが志波の口から飛び出した。この町には一見するとひょろっちいくせに内心には熱い魂を持っている男性が多いと聞く。うちの親父もそうだし。
 ふう、っとため息をついて志波が窓枠にもたれかかった。
「沢村、転校しなくてよかったな」
「ああ、そっすね」
「聞いたぞ?」
 志波はエロ本を見つけた小学生みたいなツラになり、
「大活躍だったらしいじゃないか」
「拳にヒビ入れたことが大活躍ですかね」
「大活躍さ」
 志波は一升瓶からオチョコにどぼどぼと酒を注いだ。日本酒かよ。酒井さんちで買ったのかな。
「オトコの勲章ってやつだな」
「志波センセ、本の読みすぎ」
「ふふふ」
 このオッサン、さてはもう酔ってやがるな? セリフがかっこつけすぎなんだよ。
「沢村が転校するって言い出した時な」
 志波はぐいっと杯を干して、まるでカラになったそこに記憶が映っているかのように覗き込んだ。
「先生たちは何もいえなかった。だって黒服びしっと着た男たちが沢村の周りを取り囲んでたからな。沢村、極道のお嬢さんにでも手をつけちゃってこれから沈められるのかなって本気で思ったよ」
 確かに黒服は怖い。気持ちはわかる。
「で、まあ話を聞いてみたら手から火を出したとか言うじゃないか。職員室は二等分されてな、行かせた方がいい派と行かせない方がいい派。俺は……行かせた方がいいと思った」
「……」
「国って言葉が強かったな。国に任せておけばいい。そう思った。先生も公務員だしな。でも……おまえはそう思わなかったらしいな」
「別にそんな格好つけたアレコレじゃないっすよ」
 きっかけは下心だったし。そう考えるとあのパンチもリビドーのなせる業で全然大したものじゃない。
「理由なんかどうでもいいんだ。問題なのは、何をやるかだ。おまえはやった。先生はおまえを教える身として誇らしいよ。おまえらみたいな若者がいれば、先生たち年寄りは安心して死ねる」
 大げさな。褒めても何も出ないぜ。
 でも、まんざらじゃなかった。
 志波は教師ぶって俺の肩を叩くと廊下の奥に消えていった。もっと落ち着ける場所で飲みなおすのだろう。
 窓枠には志波が忘れていった杯に、少しだけ酒が残っていた。俺はあたりをうかがって、その酒をぺろっとなめてみた。
 気の抜けた炭酸水の味がした。
 ったく。
 志波のやつ、下戸にしちゃあ格好いいこと言いやがる。



 ○



 俺はキャンプファイアーの周りをウロウロした。あたりには肉の焼ける臭いが漂っている。別に誰かがキャンプファイアーに投げ込まれたわけではなく、バーベキューをやっているやつがいるのだ。本当にどいつもこいつも喰うことが好きである。
 俺が近づくと火をくべていた沢村が振り返った。
「おう、後藤。肉食うか」
「食う」
 紙皿にとってもらって、俺はもりもり肉を食った。超うめえ。
「あのさ、後藤」と沢村がもじもじしていた。気持ち悪い。
 なんだ、と聞き返そうとしたが、その時強い風が吹いてまた火が消えかけ、沢村は四方八方から引っ張られて(うわーっ!)、いってしまった。何を言おうとしていたんだろう。何でもいいか。
 俺はレジャーシートに腰かけてもぐもぐと肉に舌鼓を打った。キャンプファイアーのそばでは天ヶ峰が松明を振り回して手当たり次第に嫌がらせをして回り、吹奏楽部の女子は何か綺麗で眠くなる曲を演奏している。紫電ちゃんがコーラスで何か歌っていたがヘタクソなので何がなんだかわからない。断末魔かな?
 平和である。
 のんびりと揺らめく火を眺めていると本格的に眠くなってしまった。うとうとっと顔が下がる。やべー家帰るのめんどい。茂田んち泊まろうかな……
 かくんっ
 ごっ
 うなだれかかった俺の首が誰かに支えられていた。俺はぱちっと目を開けて顔を上げた。
「大丈夫ですか?」
 沢村妹だった。
「おお、妹」
「そ、その呼び方はやめてください……」
 沢村妹は顔を真っ赤にして俯いてしまった。やべーなんだこの生き物。これが女の子ってやつか。やべーな。やべー……
 よく焼けたホルモンみたいなツラになっていたんだろう、俺を見て沢村妹が今度はくすくす笑った。なんだか幸せそうな呼気をして、
「お肉、食べてますか?」
「もちろん。そっちは?」
「私はもうおなかいっぱいで……」
 そういって沢村妹は平らなおなかをさすった。
「兄と違って、少食なんです」
「太らなくていいねぇ」
「はい」
 そのまま二人、肩を並べて火を眺めた。
「……あの」
「うん」
「今回は、いろいろありがとうございました。兄のために尽力してくださって……」
 本当は兄貴のためじゃなく君のためなんだけどね、と言いたかった。終わってみれば滑稽な話で、転校するのも引越しするのも実は沢村一人で、沢村妹はあの時あのバスに乗っていなかったのだ。ある意味で当然なことなのだったが、早合点した俺にはもう何がなんだかわかっていなかったし、結果的にはまァよかったのだろう。あんなやつでもチャッカマンの代わりにはなる、というかあいつこそが真のチャッカマンだった。
 だが、こんなチャンスをふいにする俺ではない。すかさず遠くを見てこう言った。
「べつに大したことはしてないよ。友達として当然のことをしたまで、かな」
 くぅーっ!
 決まった!
 俺はそおっと隣の少女を窺った。さてさて俺のイケメンワードの効力のほどは……?
 効いてるっ!
 沢村妹は目を潤ませて俺を見上げていた。
「……加藤さんはすごいですね」
 後藤です。あとで直させる。が、いまはいい! いまはなんでもいいから惚れてくれ! 頼む! 俺は君のことが好きだーっ!! もうひとりぼっちの夏はやだーっ!!
「私にも加藤さんみたいな勇気があれば……」
 俺は尻をずらして沢村妹に近寄った。視界の隅で天ヶ峰にボコボコにされている沢村が映ったが、妹からは見えないよう姿勢を変えた。何をやったんだか知らないが今は沢村の命運どころじゃない。
「何か悩みでもあるの? だったら、俺でよければ聞くけど……」
 あんまりがっつかないようにするのがコツだってフラワーズの漫画に書いてあった。
 沢村妹は恥ずかしそうに唇をかんでもじもじした。
「でも……あまり人に言うことじゃないですし……」
「遠慮しなくていいんだよ。どんなことでも忘れてくれって言えば俺、忘れるし、誰にも言わないから」
「……本当ですか?」
「当たり前だろ」
 ちょっと強めな口調で言ってみた。ワイルドで頼りがいのある感じを演出したかったんだが、機嫌悪いとか思われてたらやだなあ。
 沢村妹はまだ迷っていたが、数秒、キャンプファイアーの火を見つめているうちに、どうやらその心にも勇気の炎が灯ったらしい。意を決したように俺を見上げてきた。
「加藤さん」
「なんだい」
 すうっと息を吸って、



「私、兄が好きなんです」




 ……
 …………
 …………………

 はあ?



「じ、実は初めて会った時から好きになってしまっていて……でも血は繋がっていないとはいえ戸籍上は兄ですし……ずっと我慢してきたんです。もうはち切れそうなんです。理解されないまま過ごす夏にはうんざりです!」
 沢村妹は放心状態の俺にずっと顔を寄せてきた。
「でも、やっぱり、自分の内に溜め込んでるだけじゃ駄目ですよね。言いたいことは言わないと。私、兄に告白してきます! 加藤さんが勇気をくれたから……」
 すっくと立ち上がり、深々とお辞儀をして、
「ありがとうございました! そこで見守っていてください……私の戦いを!」
 意味のわからんことを言い残して沢村妹はキャンプファイアーめがけて猛突進していった。その後どうなったかは知らない。俺はその場に大の字に寝転んじまったから。
 満天の星空も今は恨めしい。
 が、まあ、いいか。
 俺は起き上がり、頭を振った。そして振り返るとキャンプファイアーの熱さを知らないのかそれともやっぱり馬鹿しかいないのか、沢村や天ヶ峰や茂田や横井やそうして今こっぴどいやり方で俺をおフリあそばした沢村妹がどんちゃん騒ぎをやらかしている。
 火に声をかけられた夏の虫のように、俺もやつらの喧騒の中に加わった。

       

表紙

顎男 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha