Neetel Inside 文芸新都
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         *

 あれは、アウラ──監視兵器が導入されるよりも一年も前、現在では二年も経ってしまった、ある日のこと。
 まだ、旧来のチーム編成での行動しかできなかった時期の話だ。

 テロリスト。ゲリラ。抵抗組織。言葉の選び方などどうでもいいけれど。
 ようするに敵対勢力にとっては撤退戦、こちらにとっては無抵抗に近い状態で街をひとつ管理下におくための駒置きにすぎない進軍だった。
 阿吽の呼吸といってはならないのだろうが、相手に撤退の意思が見えた場合、お互いの無用な損耗を防ぐためにタイミングを計って進軍する。全滅を目的とはしていないからだ。ブービートラップを警戒しなければならないが、こちらが無理に攻めないことを知っているので確実に撤退する方を優先するらしく、あっても申し訳程度のものだった。

 視界の先、僅かに人影が動いたのが見えた。ひとつの建物から出て、その隣の建物へと忍び込むように入ってゆく。
 俺たちを除けば、現在ここにいるのは主に次の三種の者だ。
 逃げ遅れた一般市民。それを装った敵対組織の捨て駒。撤退と進軍の間隙を当て込んだコソ泥。コソ泥でも敏い者は俺らが足を踏み入れる頃にはあらかた撤収している。こんな時間帯まで残っているのは、初心者か欲に目が眩んだ三流だ。もっとも、敏い者より三流の方が時として厄介なのだが。

 攻撃の意思がないのなら顔を見せろ。そう警告し、しばし待つが反応がない。
 五人ほどの部下を連れた俺は、人影が見えた建物の様子を窺い、制圧の思案をする。
 平屋建ての、このあたりではよく見られる民家だ。人影が見えたタイミングから考えて、まだトラップが仕掛けられている確率は低い。
 通りに面した小さな窓から、用心しながらも中を窺う。
 攻撃の意思がなければこちらも攻撃をしないこと、逃げ遅れたのであれば支援の手続きをする用意があることなどを大声で再度告げるが、またしても反応はない。
 二名に後方での警戒、違う二名に後に続くことを指示し、俺ともう一人は扉を蹴破り中へ飛び込み銃を構える。
 いた。
 左側のベッドルームらしき部屋ではなく、右手奥の台所のようなコーナーに。
 腹が減っているただの難民か?
 そう思い、最終的な警告を兼ねて声をかけ──台所から火の手が上がった。
 立ち上がった細身の男は僅かにこちらの様子を窺い、次の瞬間には大きめの窓を割り、裏通りへと身を投げ出していた。
 男の追走の中断を決定し、消火を指示、自らも台所へ駆け出そうとした瞬間。
 ベッドルームから顔を出したのは、子供だった。
 体格に不釣合いなマシンガンを構え、その目は炎を捉えていた。
 その顔に表情はなく、ただ何か酷く憔悴していた。
 おい、逃げ遅れたのか?
 問おうとした俺に目を向けることもなく、少年はベッドルームの方へと向き直り。 
 乱射。絶叫。跳弾。
 それが過ぎた後は、ただ、空撃ちの金属音。
 できる限り、優しく。刺激しないように少年の身柄を確保。マシンガンを少年から引き離す。
 部屋の中、ベッドの上には母親らしき女性が横たわり、その傍らには少年より更に年少であろう子供が蹲っていた。
 そして弾痕は、主にそのベッド上の女性と子供と、その背後の壁に集中していた。

 医療班に連絡。避難民確保。三名。怪我人在り。二名。早急に頼む。
 俺は現場を確保しながらも、どこか薄皮一枚外の世界に取り残された感覚でいた。

 ほどなく、医療班と交代部隊が到着。交代部隊の隊長と敬礼を交わし、現場確保の任務を引き継いでもらう。ここからの俺らは検証される側だ。

 そして、撤収。

 そんな、いつもの、局面のひとつだった。
 そのはずだった。

 後に聞いたことだが、母親は数日前に既に息を引き取っており、それを眠っているだけだと信じた子供達が母親を守りつつ、目覚めを待って一緒に逃げるつもりだったそうだ。

 逃げる力すら持たない者たちがいる。力を持つ者へ繋がる伝手を持たない者がいる。
 ……そんな者たちを狙う輩がいる。

 俺は部下に『避難民および作戦中の安全確保不全』と告発され、結果、降格されることとなった。

         *

「そろそろ現場に到着するんだけど、いいかしら」
 あえてそうするかのように、エリは二年前の時と変わらない事務的な口調で俺にそう告げる。
 時間にして十数分か。車は一旦停止し、エリが道端の兵士と一言二言。そして敬礼で送り出される。
 動き出した車はそれほど速度を上げることもなく、家が数件分の距離を移動し、停止する。
「ここよ」
 エリが車から降りる。そして、
「それでは私についてきて」
「了解」
 俺はそう言い、既に燃え尽きていた煙草を車載の灰皿に押し付ける。そして、車から降り、腹や股間に落ちた灰を払いながら、アウラにエリに従うよう指示をする。
 同時に、エリの監視兵器も運転席から降り、エリの後ろに従う。
 空になった車には現場の兵士が一人、その脇に立った。
 現場は、ガレキだった。おそらく上からの砲撃を何度か浴びたのだろう。外からの衝撃で屋根ごと大きく崩れ落ち、壁の一面だけがかろうじて持ちこたえていた。さらに、内側に昨日の爆発のものであろう痕跡があった。
 中にいた兵士に案内され、エリは現場の中心へと足を進める。
「記録開始」
 エリが言うと、監視兵器は小さく『はい』といい、エリの横に並んだ。
 現場の中心。そのすぐ隣に、二体、白いシーツをかけられた遺体があった。
「確認をお願いします」
 エリが大きい方のシーツを示しつつ、俺に言う。
 俺は無言で頷き、顔の前で手を合わせる。
「マスター?」
 アウラが『それはなにをしている?』と聞きたそうに首を傾げる。
「あとでな」
 俺がそう言うと、安心したかのように微笑み、アウラは俺の真似をした。
「アウラ、網膜認証を」
「はい」
 アウラは俺の言葉に従い作業に入るが、網膜認証をしなくても判る。この服装は『少年』だ。
 そんな俺の表情を読んだか、
「──そう」
 エリは少し寂しそうに呟いた。
「いつものことだけど、自分より若い命が失われるのは慣れたくないわね」
 エリの言葉に同感するが、俺は言葉を返せずに。
 遺体は思ったよりも損傷は少なかった。爆発の衝撃で頭を打ったか足を滑らせたかなのだろうか。苦しまずに逝けたのならば、少しは救われるのだろうか。
「二年前、あなたとの初対面の時にも同じ会話をしたことを憶えてる?」
 俺が告発された、あの件で俺とエリは出会った。
「ああ」
 なんとか一言搾り出す。
「あの時もあなたはそんな顔してた」
「成長がないって意味か?」
 一言一言が、やっとの思い。
「そうかしらね。そうかもしれないわね」
 エリは緩く握った右手の人差し指を自分の下唇に当てるようにして軽く笑った。
「認証できました。『少年』です」
 アウラは立ち上がり、俺の顔を見て報告する。
「ごくろうさん」
「ありがとう、アウラちゃん」
 エリと俺の言葉が重なる。アウラはきょとんとして俺とエリの表情を見比べている。
「ところでさ」
 エリのほうへ目を向ける。
「何かしら」
 エリは報告書に記入しながら応える。
「もう一体の確認は取れてるの?」
「取れてないけど、お友達、だと思うわ」
「お友達?」
 見てみたら? というようにエリが視線で示す。俺は改めて手を合わせ、そしてゆっくりとシーツを持ち上げる。
 ……なるほど『お友達』か。
 アウラはやはり殆ど損傷のない犬の死体の前に屈み、子供がそうするかのように顔の前で手を合わせる。そして、背中、横腹と優しくさすり、尻尾を愛しげに指で梳く。
「マスター……」
 アウラはいつもよりちょっと低い声で俺に問いかける。
「マスター、もう尻尾は何も言わないんですか」
 アウラにしては珍しい言い回しだが。
「何も言わないし、もう動かないな」
 一緒に逝けたということは、常に行動を共にしていたということか。
「そうですか」
 アウラは寂しげにそう言い、犬にシーツをかぶせ、さっきよりちょっとだけ長く手をあわせた。

 その後はエリの警護という名目だが、実質的に、俺とアウラはエリの後ろでただ立っているだけの木偶の坊だった。エリは関係各所と連絡を取りつつ、情報を集め報告書を埋めてゆく。
 意外だったのは。
 『少年』が少年ではなく少女だったこと。
 他所からの報告で、この少女は不発弾や金属を拾い集め、それを転売して生計を立てていたということ。
 今回の件は、その不発弾の暴発に巻き込まれた事故だということ。
「強引にキャンプに連れて行っていたら、なんて自分を責めてはダメよ」
 エリは振り向きもせずに俺に言う。
 ゆっくりと息を吐き、視線をそらした壊れた壁の向こうには、小さく白い花が二輪、並んで風に揺れていた。

       

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