Neetel Inside 文芸新都
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「少佐がわざわざ俺に直接話があるって、なんです?」
 ブリーフィングルーム・ナンバー3。十人程度の間に合わせの会議をするには充分な広さの部屋で、俺は少佐の真正面のパイプ椅子に座っていた。エリの護衛が終わり、車でキャンプに戻っている途中に無味乾燥な音声メールで指示があったからだ。しかし、目の前にいる少佐は、その音声メールの送り主ではない。
「内容は簡単な意思確認なのだが、君の立場は微妙だからね。君が降格前に直属だったからという理由で私が」
「アホですか」
 思わず先程エリから貰った煙草を胸ポケットから取り出し、咥える。
「アホらしいよな。この部屋が禁煙なのも含めて気を使わされることが多すぎる」
 少佐は指で天井の記録カメラを指し示す。
 俺は肩をすくめ、咥えた煙草を箱に戻し、俺の右後、定位置に立つアウラにライターと共に渡す。
 アウラはしばし困ったように固まったが、それらを背嚢に収納する。
 その動作を確認するかのように見ていた少佐が言葉を続ける。
「しかし、今の直属の上司の彼が君の意思確認をした場合、もっとアホらしい事態になりかねないのだよ」
 直属の上司──お役所仕事的定型文の彼のことだ。
 いや、真面目で堅実な職業人としては欠点が少ない人だと思うが。少なくとも監視兵器導入の影響で変化した状況に確実に対応しているのだから、優秀であるとさえ言える。
 そんな人が俺に対して下手を打つとは考えにくいのだが。
「君が了承した場合、彼が上司風を吹かせてパワーハラスメントを働いたと糾弾されると立場が弱くなる、というのが一点」
「しませんよ」
 そんな面倒なこと。あまりに面倒で言葉が棒読みに近くなってしまった。
「君じゃない。すごく親切な人権クルセイダー連中さ」
 少佐は、さも困った風に、両掌を肩の高さで天に向かって広げ、俯いて顔を左右に振ってみせる。口角は笑っているが。
 なるほど。保護対象より自分の主張が大事な輩か。その辺は色々いるから、気にしてもしょうがないと思うのだが、上の方は上の方なりに思うところがあるのだろう。
 俺は少佐の演技力に拍手を送る代わりに苦笑を浮かべてみせる。
 少佐は満足したかのように言葉を繋ぐ。
「君が了承しなかった場合、君が上司の指示に従えなかった、即ち前回の処分に不服ありと難癖をつけられると、こちらもより微妙な立場になる」
「不満なんかないんですがねえ」
「あくまでも『最悪そうなる可能性がある』という程度のことだが、組織というものはなかなか面倒でね」
 少佐は右肘を左手で掴み、左側へ上半身をひねる。
「アホというかガキですね」
 俺がそう言う頃には今度は逆へ上半身をひねっていた。
「退役後はキンダガートンの経営でもしようかと思っているよ」
 ……これは笑うところなのだろうけど、笑いどころが判らない。
 少佐は、こういう人を煙に巻く言い回しを多用する人でもあった。こういうときは大抵、何か判断が難しいことを切り出す前兆だったので、部下としては警戒レベルを上げざるを得なかったものだ。
 そんな俺の表情を読み取ったのか、
「すまない、またつまらないことを言ってしまったようだ。それでは本題だが──」

 少佐が言うには。
 単純にいえば、担当地域の配置転換の内示だった。
 今、俺が担当している地域よりもかなり前線寄りの街で、なにやら複数の人影の気配があるらしい。未だ姿はつかめていないが、大きさからすると、どうも子供であるらしい、と。
 一般市民、それも子供だということで、少しでも経験がある者を現場近くに送り込み、身柄の確保を優先したいというのが上層部の判断で、その中に俺の名前もあげられていた、ということらしい。
 ただし。
 当然、子供といえども様々な状況がある。信用できる大人がいないが故の頑な連帯感、もしくは自らの信念で、こちらに敵対するかもしれない。子供であるが故に、恐慌状態になった挙句、予想のつかない行動に出るかもしれない。
 それ故に判断は難しい。
 というわけで、意思確認を求める流れになったそうだ。

 一通りの説明を聞き終えて、俺は胸の前で腕を組んで天井を見上げていた。
 そして、人差し指で眉間を掻き、少佐の方へと顔を向ける。
「少佐、失礼ながら質問しますが、よろしいですか」
「許可する」
 当然、とでもいうかのように少佐は受け答える。
 わざわざ俺の意思確認というプロセスを挿むのだから、厄介な疑問であろうとも解消しておくに越したことはない。そのための『かつての上司による意思確認』のはずだ。
 そして少佐はそれに応えるという。ありがたい上司だ。ここは甘えておくべきだろう。
「俺の降格理由、憶えてらっしゃいますか」
「勿論。憶えていると同時に書類でも再確認したばかりだ」
 今更何を言うのだという風情で目を丸くする。
「少佐には迷惑かもしれませんが、もう一度同じ状況になっても、俺は子供を救出しようとすると思いますよ」
 エアコンの稼動音が大きくなる。
「別に露悪趣味でもないですけどね、俺の降格でひとりの子供の将来を拾えたんだからそれだけで儲けモンだと今でも思いますよ」
「それは全体から見ればひとつの結論たりえるが、君は『救えなかった方の命』をずっと気にしていたのだろう?」
 少佐は子供を眺めるような目で俺を見つつ、言う。
「私がいうのも変なものなのだが、私の命令なんて、そうたいしたものじゃないんだ」
 少佐は軽く笑う。
「命など懸けるな。そして命を賭けるな。生きて帰って来い。それだけなんだよ」
 窓の外に視線を移す。
 俺もつられて視線を移すが、何もなかった。
 ちょっと気恥ずかしくなりアウラの方を向くと、アウラは俺に視線を合わせ、優しげに微笑んだ。
「危険なことを、危険であるが故に、できるだけ安全に遂行できるようにお膳立てするのが私達の仕事でね」
 俺が少佐に向き直ると、少佐は悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。
「綺麗事に聞こえるだろうが、誰の命も失いたくないんだよ」
 おそらくこれは本音だろう。
 数の論理やらランチェスターの法則やらの話ではなく。
「質問は、以上かな?」
 少佐の言葉に俺は頷く。
「では、意思を確認させてもらおうか」
 少佐は余裕の表情で首筋を掻いている。
「拝命します」
 一応一呼吸おいて、声帯を落ち着かせてから声にする。
「うむ。頼んだよ」
 少佐が握手を求めてきたので、それに応える。
 少佐は俺の右手を掴んだまま離さずに、
「そういえば、昨日の爆発現場の検分に行ってくれたんだったかな」
「はい」
 唐突に訊くもので、ちょっと声が裏返りかけてしまった。
「その件に関して、敵方から声明があった。『許し難い非道行為』だそうだ」
 俺の手を握ったまま悲しそうな演技をする。
「いや、事故でしょう、あれは。それより手を──」
「あるものはなんでも使うといった感じだろう。気にしないでいい。それに言い忘れていたのだが」
 急ににこやかになる。そうだ。こういう人だった。
「二階級降格処分を一階級降格へと一等減ずる」
 何を隠し玉にしてやがりますか。……この狸親父が。手を離せ。

       

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