Neetel Inside 文芸新都
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感じない温度
あたたかいじかん

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 エリは幼少の頃に両親を事故で亡くし、祖父が経営する小児科の手伝いをしながら暮らしていた。
 その祖父も亡くなり、病院も閉鎖。
 その病院を再興するのが、エリが掴みたかった夢のひとつだ、と、籍を入れた直後に俺に語った。
 祖父が亡くなり、奨学金で医学を学んだものの病院の再興はすぐに叶うはずもなく、最も早く償還できる軍属医を選択したそうだ。実際の償還は一年ほど前──ちょうど記録兵器の導入の時期に前後して終了していて、それでも一年間延長した理由について質問すると、
「なぜか気が向いたので」
 と、俺の頬を抓りながら答える。
 エリは週に二日ほど、街の軍病院の救急救命に応援に行きながら、なんとか小児科医院の再開に成功した。
 俺はといえば、とくにやることもできることもないので、エリの病院の雑務や力仕事、そしてプライベートでは家事を担当している。
 協力できることはそれほど多くないにしても、邪魔だけはしたくなかった。

 そんなある日。
 病院の庭を歩いて家に戻ると、
「にゃあ」
 猫がいた。どこかで会ったことがあるような気にさせる、あっさりした模様の三毛猫。
 どうやら気付かぬうちに俺の後ろをつけてきていたようだ。
 まだあまり成長していないようで、親から離れたばかりだと推測される。
 猫に向かいしゃがみこみ、手を上げると、その手を興味深げに見上げる。
 左に、右に。すると、猫の視線も、左に、右に。
「あなた、おかえりなさい。なにやってるの?」
 エリが玄関脇の小窓から顔を出す。
「あら、その子」
「知ってるの?」
「ええ。通院してる子供から話は聞いていたのよ。でも、本当にねえ」
 くすくすと笑う。
「何?」
「本当に後ろをついて歩くのね」
「気付かなかったんだが、噂になってたのか?」
「いえ、私が聞いたのは今朝だから、長くてもここ数日のことよ、たぶん」
 割と滑稽な姿じゃないか、それ。
「そんなことより、ご飯にしましょうよ。その子も一緒にね」
 エリは俺にウィンクをする。
 猫は俺の足に頭をこすりつけ、
「にゃあ」
 と鳴き、きょとんとして俺とエリの表情を見比べている。
 それから、その猫は家族になった。
 眠る時も歩く時も、何故か俺の右後がお気に入りのようで、気が付いたら大体その位置にいる。椅子に座り、太ももを叩いて呼ぶと、恐る恐る膝の上に乗ってくる。恐る恐る乗る割には長時間眠るのだが。
 窓ガラスや鏡に自分の姿が映るのが面白いようで、体長の割には長い尻尾を右に左に振って遊び、楽しんでいるようだ。
 そんな姿を見て、後ろからこっそり近づいて驚かすと、
「にゃあにゃあ」
 と、こちらを向いて両手を揃えて座って抗議してくるのだが、最近ではその形式美のためにわざと驚いてくれているような気がしている。
 そして、頭を撫でると、そんな抗議する気持ちも誤魔化されるらしい。

 数日後、久し振りに少佐からの電話を受ける。
 少佐は通り一遍ながら祝いの言葉を並べる。
 世間話の中で少佐が言うには、記録兵器のデータ保存サーバーの遅延が解消され、スケジュールは通常に戻りつつあるそうだ。
 ただし、原因としては依然不明で、不明のまま不調になり不明のまま復調した、ということになるらしい。サーバーに感情があるならば、と仮定した上でいうならば、何か予想外のことが起こり驚いて取り乱したのではないか、とも喩えられる様相だったそうだ。
 それと、もうひとつ。
 キャンプに近い街──前線から遠い街──では、キャンプや避難先で一息ついて落ち着きや体力を取り戻した人たちが再興のために帰還を始めたという話だ。
 もちろん不貞な輩を排除するために少しずつ、徐々にではあるのだが、そのようなスローペースでも力を取り戻してくれるというのは嬉しいもので。
 連絡ありがとうございます、ではまた、と電話を置き、安堵の息を長めに吐く。
 膝の上で寝ていた猫が机の上に飛び乗り、窓から外を眺める。
 そして俺に、
「月が綺麗ですよ」
 と言いたげに、にゃあと鳴く。
 その月の、冷たく優しい光の中で。

       

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