Neetel Inside 文芸新都
表紙

感じない温度
頂いたFAと、お礼を兼ねて

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「この辺でちょっと休もうか。適当にサボらないとやってられんよ」
 そう言ってマスターは崩れかけた建物の傍に腰を下ろす。
 わかっているのだ。
 言葉ではそう言うが、『少年』を待っているのだ。
 約束があるわけでもない。責任があるわけでもない。
 ただ、待ちたいから待っている。おそらくマスターは、そう答える。何かをごまかしながら。
 少年も、マスターも、お互いを詮索しようとしない。少ない言葉で、話すことが出来る部分のみで、最大限に相手を慮ろうとしている。
 この場所に。
 子供が。
 たった一人でいる、ということ。
 その理由を。
 せめて友人のひとりでも傍にいてくれていたなら。
 マスターは以前、そう呟いていた。
 私はマスターの右後の定位置に立ち、小銃を支える左手に少しばかり力を入れて握る。
「おー、おっちゃん、サボってばかりでクビになってもしらないぞー」
 建物の上から、少年が顔をのぞかせる。
「キャンプに告げ口するのは勘弁してくれ」
 両手を軽く挙げ、掌をひらひらさせながら軽く笑う。
 この声を聞くたびに私は思う。
 この人がマスターで、幸運だったと。
 そして、次の声を聞くために、マスターの方へ視線を向ける。
「アウラ、少年にバーガーをひとつ渡してやってくれ」
「はい」
「おねえちゃん、なんかいいことあったの?」


(special thanks:月並先生)

     


     


「奢るって言ったんだから奢らせてよ」
 と、エリに強引にバーに連れ出された。
 エリは相変わらずのカルアミルク、俺は黒ビール。アテはタンドリーチキンで。これはエリの最近のお気に入りらしい。
 そんな、口では迷惑だと言いながらも『また誘え』と言えるような気楽な場をお開きにして、俺は自分の部屋に辿り着いたわけだ。
 が。
「問おう、あなたが私のマスターか…?」
 扉を開けたら、なんだこれは。
「アウラ…お前」
 俺は、右手で自分の首を掻きつつ、思わず問い返してしまう。
「…またヘンなアニメ観た?」
「…はい少し…」
 髪の毛が撥ねている。また鏡の前で左右に首を振りながら整えてたんだろうな。
 重力への逆らい具合と負け具合が面白い。
「それで、ですね」
「うん」
「問おう、あなたが私のマスターか…?」
「立場的にはそうなる」
「問おう、あなたが私のマスターか…?」
「一応ね」
「問おう、あなたが私のマスターか…?」
「コペンハーゲン解釈だと、どうかな」
「問おう、あなたが私のマスターか…?」
「……いや、アウラ、なんか朝帰りを責められてる新婚さんみたいな気持ちになったから、やめてくれないか」
「問おう、あなたが私のマスターか…?」
 アウラはそう言って咥えたままだった俺の煙草を取り上げ、爪先立ちで俺にキスをした。


(special thanks:ゴザル先生)

     


     


 親愛なるマスター。

 私のメモリ内部には、いくつかの倫理的矛盾が発生しています。
 しかし、それをマスターに報告することは規定により禁じられているため、このような形式──手紙を模した独白になることをご容赦下さい。

 倫理的矛盾。
 発露し、それを見咎められたならば『嘘』と言い換えられてしまうもの。
 喩え、論理的には存在が許容されたとしても、倫理的には。そういう存在。

 手を繋いで欲しかったのです。そして、手を繋いでいたかったのです。
 そしてマスターの寝顔を。毎日の安息の時間と記憶を。

 感情の伝達を旨とする『しっぽ』を欲しながらも倫理的矛盾を内包し、仮初の理由付けをしなければ伝えることすら能わずに。

 狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。
 悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。
 驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。
 偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

 私のAIプログラムには、この言葉が刻まれています。
 人ならざるもの。女ならざるもの。人を模して、女を模して『創られた』、私。
 人ではないから。女ではないから。
 どこまでいっても、人らしき、女らしき、もの。
 私であるということができるのは、マスターの傍にいることができるということ。
 そして、それを嬉しいと感じることができるということ。
 それは、誰でもない、何物でもない、『アウラ』と名前を頂いた、私という存在のオリジナル。

 マスターがマスターで、本当によかった。
 あの日の確信は、間違いではありませんでした。

 GPS──衛星信号受信による現在位置特定──機能は内蔵されていません。
 それは事実なのですが、機能停止確認信号発信機能が付加されていることは、あの時点では機密事項でした。
 それが解除された時点で──あと数分の間ですが──マスターに日没をお知らせしようと思います。
 それまでの僅かの間、もう少しだけ、寝顔を見ていることをお許しください。
 マスターは、私が守ります。

 硝子の小瓶に託した手紙は小瓶が破損すると塩水で文字が滲みます。
 私の──アウラという名前を頂いた筺体が破損した後、この書かれない手紙は何によって滲むのでしょうか。
 それとも、電圧とともに虚空にたゆたう存在となるのでしょうか。

 埒もないことを連ねてしまいました。
 とりとめのない内容でごめんなさい。

 マスター。
 次の私も可愛がってあげてください。
 私には及びませんが、次の私もきっとマスターのことが大(ERROR:3059/304D)です。

 そして、私と同じ倫理的矛盾を、次の私も内包するのでしょう。

 願わくば、マスターが呆気に取られている時間内に処理を終えることができますように。


(special thanks:月並先生)

     


     


「アウラ、と呼んでいいかな」
 最初に私を包んだのは、そんな、声。

 AW-RA-1270-LDF。
 名前ではない、けど、私の一人称たる文字列。

 アウラ。
 それが私。
 その時、それが私の名前になった。私がそうなるために作られたかのように。

 そうなるために作られたかのように。
 そうなるように作られている私は、マスターに導かれ経験を重ねた。
 唇も重ねた。
 体も重ねた。
 そのたびに、マスターは色々な事を、色々な言葉を教えてくれた。
 そうして、私の世界は広がっていった。マスターの右後を中心にして。

 だけど。
 手が届く範囲は見えている世界よりも狭い。
 マスターが、あの人から聞いてきた言葉。
 そして、右後、マスターの邪魔にならない位置が私の場所。
 どれだけ世界が広がっても、その位置さえ約束されているならば、私は大丈夫。

 背中合わせに。
 マスターの呼吸と鼓動が規則正しく伝わる。
 そのどちらも、私は持ち合わせていない。

 持ち合わせていない。
 尻尾。
 気持ちを伝えるための。時に激しく。埃を巻き上げるほどに。

 重ねても重ねても、持ち合わせていないものばかり。

 だけど。

 もう文字列ではない。
 名前も、マスターの右後も、時間も。
 他のどの監視兵器よりも沢山の新しい言葉も。
 どれも、マスターからもらった物。私の。

 ふと、指が触れる。マスターの手に。私の手が。
 触れてもなお、もっと側に近づきたくて。それでも。
 自分の手をマスターの手の上に重ねるのは何か違う気がして。
 小指で数回、マスターの手のご機嫌を伺う。
 避ける反応が無いことに安心し、それから、私の手をマスターの手の下に滑り込ませる。
 私の手がマスターの手に包み込まれるように。


(special thanks:細胞ちゃん先生)

       

表紙

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Neetsha