Neetel Inside 文芸新都
表紙

感じない温度
耳と尻尾と少年と

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「おーい、兵隊のおっちゃん」
 一瞬、俺の右後ろを歩いていたアウラが身構える。そして俺の耳に口を近づけ、小声で囁く。
「例の少年と思われます」
 『わかった』とばかりにアウラに右手で合図をし、銃を下げさせる。
 ほどなく、いかにも被災者然とした少年が俺の左側、半分崩れた平屋の屋根から降りてくる。会える時には大体この場所なのだが、いつもと違ったのは、薄汚れた中型の犬を連れていたことだ。痩せ方や汚れの具合から、キャンプから逃げたものではありえないことは見て取れる。
 ここにもまだ犬なんてものがいたのか。そう思ってしまうほどにはここも激しい戦場だった。死肉を貪ろうとする鳥類はそこそこの数がいたが、現在はそれらもほとんど見かけなくなっていた。
 少年の高さに目線を落とすため、腰を落とす。アウラは警戒のため立ったまま。マニュアルどおりだ。
「おー、相変わらず元気そうだな。なによりだが命は大事にな。まだ完全に安全が確保されたわけじゃ」
「おっちゃんもしつこいなー、わかってるって」
 飽き飽きしたといいたげに爪先で小石をもてあそぶ少年の足下、犬の目はようやく群に戻り仲間と再会しかのようにキラキラと輝いていた。
「アウラ、バーガーをひ……ふたつ出してやってくれ」
 犬の頬を両手ではさみ、捏ね繰り回しながら指示をする。狂犬病の兆候は見当たらない。キャンプに戻ったら一応ワクチンの確認と申請をしておくことにしよう。
「お前もキャンプに来たら戦災扱いで最低限のものは手に入れられるんだぞ」
 犬はゆっくりと尻尾を左右に振っている。
「わかってっけどさ、こいつと会っちまったし、色々ガラクタになっちまっても、やっぱりここが好きなんだよな、俺」
 ちょっと恥ずかしげな、それでいてどこか誇らしげな表情でまっすぐ俺を見つめる。
「まあ、無理強いはできないさ。気がむいたらでいい。考えておけ」
 自由がなくなるのを嫌っている。それは理解っていた。それに、少年が言う通り、犬を連れては無理だ。あくまでも『人の保護』を名目にしているから。
 最低限の生活も、教育も、望めば可能ではあるのだが、それは常に何かとバーターだ。
 少年はそれらより自由を好む。それだけのことだ。それは客観的には辛い選択だが、少年の誇らしい笑顔を曇らせてまでの強要は出来ない。
 それが現在の条約だ。
 そして俺は少年の意志を尊重する。
「さて、アウラ、行くぞ」
 立ち上がろうと膝に手を置き、ふと振り向きアウラの顔を見上げる。
「アウラ?」
 アウラの視線の先には、犬。
「──は、はい、マスター、ご指示をお願いします」
 目線を犬から外すことはせずに。
「おねえちゃんもこいつと友達になりたいのか?」
 言葉こそ屈託がないが、その表情は怯えていた。ようやくできた友達を奪われる恐怖だ。これまでの生活も、父も、母も、兄弟も、友人も失い、新たな友まで手放せというのか。その瞳はそう訴えていた。
「アウラも俺も、お前の友人を連れ去ったりはしないさ。約束しよう」
 努めて、温かく。
「おっちゃんたちは、そりゃ信じてっけどさー」
 とはいうものの、兵士全員を信用しろというのもこの状況におかれた少年にとっては無理な相談だし、俺もそんな無責任なことはいうことはできない。
「アウラ、少年とその友人に、バーガーをふたつ進呈してくれ」
「はい」
 言われるまま、背嚢からバーガーをふたつ取り出し、少年へと手渡す。しかし、アウラの目線は犬から外れることはなかった。
「おねえちゃんありがとう」
 少年がバーガーを受け取るために手を伸ばし、犬はそれに呼応したか尻尾の振りが激しくなる。
「!」
 アウラは少々驚き、バーガーを持った手を引っ込めかけたが、かろうじて自らの急な挙動を封じ込めた。
「お前は俺にも礼を言っとけ」
 見たことのない挙動だ。少年の目線を俺の方へ誘導する。
「うん。おっちゃんも『ついでに』ありがとう」
 悪戯っぽい目で小首を傾げつつ笑みをこぼす。
「……お前は長生きしそうだな」
「おう、そのつもりだよ」
 バーガーを受け取り、さっそく中の肉を犬に分け与えている。犬はふんふんと匂いをかぎ、ほぼ一口でそれを飲み込んだ。
「もし、具合が悪くなったら、いつでもキャンプに来い。簡単な身体検査だけで中に入れるはずだ。看護士が同伴することにはなると思うが」
 網膜パターンをアウラに記憶させ、それを登録してある。
「しつこいと思われるだろうが、これもおっちゃんの仕事なんでな、憶えておいてくれ」
「もう忘れたよー」
 ケラケラと笑う。呼応して犬が小さく『わん』と鳴く。
 それよりアウラの挙動だ。
「いこか」
「はい」
 立ち上がり、元々歩いていた方向に足を向ける。アウラが定位置に着いたのを確認し、歩き始める。
「おっちゃんたち、ありがとうなー」
 そういう声を背に。
「アウラ、犬は苦手か」
 からかい半分。この兵器に、そのような仕様も設定もない。
「いいえ、そのようなことはありません」
 機械的に応える。当たり前のことだ。
「キャンプに戻ったらその足でデータ登録に向かえ。後処理は俺がやっておく」
 普段はアウラに任せっきりの作業だ。
「了解しました、マスター」
 その後は、何事もなく、つまらないくらい平穏にキャンプに辿り着いた。

         *

 後処理と報告が終わり、部屋に戻ると、アウラは鏡に向かい、自分の両手で自分の両頬を捏ね繰り回していた。
 またなんか妙な知識を得てきたのだろうか。
 俺が戻ったことに気付いたアウラは、そのままこちらを向いて言う。
「マスター、おかえりなさい。お疲れ様でした」
 なんていったっけ、この表情。あっちょんぶりけ、だったっけ。既に古典の域だけどな。

     

         *

 その日、俺達は休日だった。
 そんな日の俺の部屋のモニターに映し出されたのは、俺の故郷で人気だったアニメで、一シーズン分で六時間前後のもの。それのファーストシーズンだ、と、思う。
 懐かしいとは思いつつもあまりに見慣れたものだったので、気に留めるでもなくそのままにしている。少々騒がしいが、気分を落ち着かせようとする作為が見え透いた自称高尚な御芸術よりは素直で落ち着ける。
 音がないのもまた、自分の心臓の拍動の残り回数をカウントダウンされているような気分になるので避けたい。
 今日はダメだ。砂糖液に申し訳程度のコーヒーの風味をつけた液体でも飲んで自分の内側から意識を追い出さなければ、やられてしまう。何かに。
 こういう時は、酒は、ダメだ。感覚が鈍くなる反面、感情のささくれに意識が集中してしまう。
 コーヒー風味砂糖液のカップを手に、ベッドサイドの椅子に座る。
 カップを置き、大きく伸びをする。見える窓の外からは、季節外れの雨雲を運んできた西風と日常としての訓練射撃の音が容赦なく割り込んでくる。
 ふと、湿度が酸味が混じった懐かしい匂いを帯びたような気がした。それはすぐに鼻先から逃げていったのだが、記憶を呼び覚ますのには充分な瞬間ではあった。
 女、か。
 アウラが来てから、抱いてないな。相手から求められることも、今のところ、ない。そこはお互い様か。女の生身に縋るほど切迫していないという部分も大きいのだろう。なるほど、この兵器の効果はこういうところにも出るのか。気分としては楽ではあるのだが、割り切られすぎているというのも戦闘とはまた別の無情感を押し付ける。
「マスター、このTVプログラムですが」
 休日のアウラも、できる限り俺と行動を共にするようにしている。主に俺の挙動パターンのサンプルをとり、緊急時の対応を確実に効率的にするためだ。任務中、アウラが俺の右後に位置取るというのもそのひとつで、俺は右側よりも左側に対応する時の方の反応速度が早いらしい。
「なにか興味があるものがあるなら変えてもいいぞ」
 正直、隙間を埋めてくれるのならばなんでもいいのだ。時間的なものはともかく、気持ちの隙間は危険だ。
「いえ、そうではなく、耳が生えました」
 そういえばそういうシーンがあったな。
「尻尾!しっぽしっぽ!」
 テンション高いな。
「生えるんですね、尻尾!」
 とてとてと駆け寄ってきたアウラは、そう叫びながら俺の左腕を抱え込み、モニターの前に連行する。
「まあ、そういう設定の世界だからな」
 そう言い、ベッドサイドへ戻ろうとする俺のシャツの裾を摘み、上目遣いで
「マスター……」
 何か訴えている。
「カップを取ったら戻ってきてやるよ」
「はい、了解しました」
 こんな笑顔も出来るようになったのか。技術の進歩は素晴らしいな。

 雨が降り始め、そして雨が止んで。
「しっぽ!」
 と喜び続けるアウラに付き合わされて六時間が過ぎていた。
 ……色々埋めてくれたみたいだな。感謝する。

       

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