Neetel Inside 文芸新都
表紙

感じない温度
揺られて揺れて、揺れなくなって

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 それから数日。
 一回の休日を挿んで、俺と少年とは会うことは無かった。
 そうなると警邏の仕事は不審者や状況の変化の発見、そして、警邏の存在を示すことが主な任務となる。示すといっても、整然と。武力の誇示はせず、平和的であることを旨としなければならない。
 とはいうものの。
 昨晩、俺が担当するこの地区から少々離れた位置にある、大通りに面した商業区で爆発があった。その商業区は数ヶ月前に激しい戦闘があった場所で、倒壊した建造物の撤去すら未だ進んでいない。
 事故なのか、事件なのか、故意なのか、偶発なのか。それすら調査中だ。
 現在判明しているのは、こちらの設備・人員ともに被害が一切ないこと。
 ──ここしばらく、かなり前線は圧して遠ざかってたんだがな。色々入り込んで厄介なことにならないように祈っておこうか。
「マスター、認証付開封確認音声メールが一件入りました」
 アウラが小声で機械的に告げる。
 立ち止まり、右手でアウラに停止を指示する。
 認証付か。何らかの指令だ。軍からの支給品なので認証付であろうとなかろうと何らかの指令なのだが、ハッキングや敵方に奪われた時のことを考慮に入れてある。
 アウラから端末を受け取り、内容を確認する。

──医療班の者がそちらに向かう。指示に従え──

 無味乾燥な文言。妙に文学的に朗々と歌い上げられても困るが、いつもながらつまらない音だ。
 もっとも『いつもながら』というほど指示が来るわけでも頻繁に変更されるわけでもない。役所仕事的な定型句にされる程までに画一化された行動規範というものが云々。どうでもいい。軽く溜息をつき視線を上にあげる。太陽がまぶしくて、端末を持ったままの左手を目の上に翳す。
 しかし、医療班の御出座しとは、意図が読めない。風土病が急に出現するわけでもあるまいし。
 そんなこと思う俺に、アウラが囁く。
「マスター、車両が一台近づいてきています」
「物陰へ」
 指で手近な建物を示し、壊れた扉から中に入る。その両脇。警戒しながら俺とアウラは外の様子を探る。
 徐々に近づくエンジン音。視界の中を、軍用のフルオープンタイプの四輪駆動車が速度を落としながら通り過ぎ、そして停まった。
「時間的にも端末情報からも、この辺のはずなんだけれども」
 エリだ。エリかよ。
 車には、エリと兵士が一人、そしてそれぞれの監視兵器が搭乗していた。
 俺は警戒を解き、外へ。そして車に近づく。
「エリだったのか。ご苦労さん」
 アウラはしっかりと定位置で俺についてきていて、型通りの敬礼をしている。仕方なく俺もだらしなく一応の敬礼をする。
「私だったの。自由に動けるのが休日だった私しかいなかったのがあなたの不幸ね」
 小首を傾げてウィンクしながら言うセリフか。一応の敬礼を返してはいるが。
 顔だけは見た事があるまだ若いだろう兵士とその相棒は、車から降り、俺に型通りの敬礼をしている。このままでは手を降ろしそうにないので、そちらにも返礼する。
「指示を伝えます」
 エリの声に耳に神経のリソースを割く。
「あなたとアウラちゃんは、こちらの兵士と交代。一緒に来てもらうわ」
「交代?」
「今日だけよ。それ以上の詳しいことは移動しながら説明する」
 この若い兵士は、その内容を聞かされていないということだな。
「了解。その職務上の俺とエリの関係性は?」
「私が主。あなたはその協力者ってことになるかしら」
「協力者、ねえ」
 理由が思いつかん。わざわざ通常任務を交代してまでエリと同行させる意図がわからん。
「それじゃさっそく向かいましょうか」
 いぶかしげな表情になってしまったか、エリが俺に促す。
「今度奢ってあげるから拗ねないでね」
 エリはそう言いながら俺の右腕を抱え込むように固定し、車の後部座席へ導く。ちょっとこれは馴れ馴れしすぎないか。一応職務中だし、職務中でないとしても人前で。
「運転は?」
 なるべく強引にならないようにエリの腕を振りほどく。
「私のにやってもらうことにするわ」
「わかった。アウラは助手席へ」
「はい」
 素直に助手席へ乗り込む。
 俺は若い兵士に向き直り、今度は型通りの敬礼をして。
「それでは任務引継ぎ、お願いします」
「任務引継ぎ、了解しました」
 兵士とその監視兵器も敬礼を返す。
「行きましょうか」
 エリは運転席の真後ろ、後部座席の左側に乗り込んだ。
 俺も急いでその隣に座る。
「出して」
 エリがそう言うと、車は丁寧に走り始めた。
「まずは、気安く親しげにしてごめんなさい」
 さして悪いとも思ってない風で。
「理由は?」
 肩が凝っているわけではないが、右肩をまわしながら訊いてみる。
「口説かれてたの。さっきの兵士に」
 何故拗ねた口調になる?
 俺が色恋沙汰に疎いだけかもしれないが、『口説く』なんて単語はひどく久し振りに耳にしたような気がする。以前はそれなりに噂が流れ流されてきたものなんだけどな。
「モテて結構じゃないか」
 エリに年下趣味があるならば、だけど。
「ぶー」
 ないらしい。笑顔のまま舌を出してみせる。
「まあ、珍しい行動だからなんかあるなと思っただけだ」
 ドアに右肘を乗せ、心もち体重を預ける。乾いた風圧が意外に心地良い。
「でも、奢るって言ったのは本当。今度バーで会った時にね」
 どうでもいいことのようにどうでもいいことを言う。バーに行けば結構な頻度で会えるのだろうが、そもそも頻繁に足が向くわけでもない。
「死亡フラグ立てないでくれ」
「……」
「なんだその微妙な沈黙は」
 意識しておどけて言った俺に、ふう、と、エリがひとつ溜息。そして、
「それで、任務の説明なのだけれど」
 わざわざこんな見え透いた軽口を枕にするんだ、ロクでもないんだろう。
「うん」
 続きを促す。
「昨日爆発があったじゃない」
 速度を落とした車は丁寧に左へと方向を変える。
「うん」
 一旦弱くなった風圧が元に戻る。
 エリは少しだけ、目を細める。
「そこで、子供の死体が発見されたのよ」
 声のトーンを落とし、そう言って細めた目を一回、長く閉じる。
 そうして、目を開き俺の方に顔を向けて、反応を窺っている。
「──そうか」
 そう、か。まいったな。ままならねえな。
 シートの背もたれに体重を預け、空を仰ぎ見る。
「それで私が検死をするんだけど、その護衛と、……その」
 エリにしたところで、やはり言いづらいものはあるのだろう。
「──なんとなく判るから続けて」
「あなたから報告のあった『あの少年』らしいのよ」
 エリは俺から目線をそむけるように、左前方に顔を向ける。
「……そうか」
 予想された、一番聞きたくなかった事実をエリが告げる。もちろん、エリにしたところで言いたいわけでもないだろう。ただの事実だ。感情面を除くことが出来るならば。
「どうしても辛いなら、あなたは離れた位置で待機、アウラちゃんの持ってる網膜データだけでもいいといえばいいわよ」
 ゆっくりと。文意ごとに区切るように。その優しさが少しだけ刺さる。
「──本当はそういうわけにもいかないんだろう?」
 少し苦笑交じりの言い方になってしまった。それを誤魔化すための笑みもぎこちなくなっているのだろう。
「ごめんね」
 事務的に。しかし、こちらを向いたエリの表情は少し沈んでいて。
「エリが謝ることでもないさ。でも」
「でも?」
「少し時間をくれないか」
 エリは静かに微笑んで、ブリーフケースから煙草とライターを取り出し、俺に渡す。
 俺は少し驚きながらも、わざわざ買ってきたらしいそれを受け取り、封を切ってその中の一本に火を点ける。
 紫煙が車の軌跡を描くようにたなびき、そして、少しずつ溶け込むように、消えゆく。

     

         *

 あれは、アウラ──監視兵器が導入されるよりも一年も前、現在では二年も経ってしまった、ある日のこと。
 まだ、旧来のチーム編成での行動しかできなかった時期の話だ。

 テロリスト。ゲリラ。抵抗組織。言葉の選び方などどうでもいいけれど。
 ようするに敵対勢力にとっては撤退戦、こちらにとっては無抵抗に近い状態で街をひとつ管理下におくための駒置きにすぎない進軍だった。
 阿吽の呼吸といってはならないのだろうが、相手に撤退の意思が見えた場合、お互いの無用な損耗を防ぐためにタイミングを計って進軍する。全滅を目的とはしていないからだ。ブービートラップを警戒しなければならないが、こちらが無理に攻めないことを知っているので確実に撤退する方を優先するらしく、あっても申し訳程度のものだった。

 視界の先、僅かに人影が動いたのが見えた。ひとつの建物から出て、その隣の建物へと忍び込むように入ってゆく。
 俺たちを除けば、現在ここにいるのは主に次の三種の者だ。
 逃げ遅れた一般市民。それを装った敵対組織の捨て駒。撤退と進軍の間隙を当て込んだコソ泥。コソ泥でも敏い者は俺らが足を踏み入れる頃にはあらかた撤収している。こんな時間帯まで残っているのは、初心者か欲に目が眩んだ三流だ。もっとも、敏い者より三流の方が時として厄介なのだが。

 攻撃の意思がないのなら顔を見せろ。そう警告し、しばし待つが反応がない。
 五人ほどの部下を連れた俺は、人影が見えた建物の様子を窺い、制圧の思案をする。
 平屋建ての、このあたりではよく見られる民家だ。人影が見えたタイミングから考えて、まだトラップが仕掛けられている確率は低い。
 通りに面した小さな窓から、用心しながらも中を窺う。
 攻撃の意思がなければこちらも攻撃をしないこと、逃げ遅れたのであれば支援の手続きをする用意があることなどを大声で再度告げるが、またしても反応はない。
 二名に後方での警戒、違う二名に後に続くことを指示し、俺ともう一人は扉を蹴破り中へ飛び込み銃を構える。
 いた。
 左側のベッドルームらしき部屋ではなく、右手奥の台所のようなコーナーに。
 腹が減っているただの難民か?
 そう思い、最終的な警告を兼ねて声をかけ──台所から火の手が上がった。
 立ち上がった細身の男は僅かにこちらの様子を窺い、次の瞬間には大きめの窓を割り、裏通りへと身を投げ出していた。
 男の追走の中断を決定し、消火を指示、自らも台所へ駆け出そうとした瞬間。
 ベッドルームから顔を出したのは、子供だった。
 体格に不釣合いなマシンガンを構え、その目は炎を捉えていた。
 その顔に表情はなく、ただ何か酷く憔悴していた。
 おい、逃げ遅れたのか?
 問おうとした俺に目を向けることもなく、少年はベッドルームの方へと向き直り。 
 乱射。絶叫。跳弾。
 それが過ぎた後は、ただ、空撃ちの金属音。
 できる限り、優しく。刺激しないように少年の身柄を確保。マシンガンを少年から引き離す。
 部屋の中、ベッドの上には母親らしき女性が横たわり、その傍らには少年より更に年少であろう子供が蹲っていた。
 そして弾痕は、主にそのベッド上の女性と子供と、その背後の壁に集中していた。

 医療班に連絡。避難民確保。三名。怪我人在り。二名。早急に頼む。
 俺は現場を確保しながらも、どこか薄皮一枚外の世界に取り残された感覚でいた。

 ほどなく、医療班と交代部隊が到着。交代部隊の隊長と敬礼を交わし、現場確保の任務を引き継いでもらう。ここからの俺らは検証される側だ。

 そして、撤収。

 そんな、いつもの、局面のひとつだった。
 そのはずだった。

 後に聞いたことだが、母親は数日前に既に息を引き取っており、それを眠っているだけだと信じた子供達が母親を守りつつ、目覚めを待って一緒に逃げるつもりだったそうだ。

 逃げる力すら持たない者たちがいる。力を持つ者へ繋がる伝手を持たない者がいる。
 ……そんな者たちを狙う輩がいる。

 俺は部下に『避難民および作戦中の安全確保不全』と告発され、結果、降格されることとなった。

         *

「そろそろ現場に到着するんだけど、いいかしら」
 あえてそうするかのように、エリは二年前の時と変わらない事務的な口調で俺にそう告げる。
 時間にして十数分か。車は一旦停止し、エリが道端の兵士と一言二言。そして敬礼で送り出される。
 動き出した車はそれほど速度を上げることもなく、家が数件分の距離を移動し、停止する。
「ここよ」
 エリが車から降りる。そして、
「それでは私についてきて」
「了解」
 俺はそう言い、既に燃え尽きていた煙草を車載の灰皿に押し付ける。そして、車から降り、腹や股間に落ちた灰を払いながら、アウラにエリに従うよう指示をする。
 同時に、エリの監視兵器も運転席から降り、エリの後ろに従う。
 空になった車には現場の兵士が一人、その脇に立った。
 現場は、ガレキだった。おそらく上からの砲撃を何度か浴びたのだろう。外からの衝撃で屋根ごと大きく崩れ落ち、壁の一面だけがかろうじて持ちこたえていた。さらに、内側に昨日の爆発のものであろう痕跡があった。
 中にいた兵士に案内され、エリは現場の中心へと足を進める。
「記録開始」
 エリが言うと、監視兵器は小さく『はい』といい、エリの横に並んだ。
 現場の中心。そのすぐ隣に、二体、白いシーツをかけられた遺体があった。
「確認をお願いします」
 エリが大きい方のシーツを示しつつ、俺に言う。
 俺は無言で頷き、顔の前で手を合わせる。
「マスター?」
 アウラが『それはなにをしている?』と聞きたそうに首を傾げる。
「あとでな」
 俺がそう言うと、安心したかのように微笑み、アウラは俺の真似をした。
「アウラ、網膜認証を」
「はい」
 アウラは俺の言葉に従い作業に入るが、網膜認証をしなくても判る。この服装は『少年』だ。
 そんな俺の表情を読んだか、
「──そう」
 エリは少し寂しそうに呟いた。
「いつものことだけど、自分より若い命が失われるのは慣れたくないわね」
 エリの言葉に同感するが、俺は言葉を返せずに。
 遺体は思ったよりも損傷は少なかった。爆発の衝撃で頭を打ったか足を滑らせたかなのだろうか。苦しまずに逝けたのならば、少しは救われるのだろうか。
「二年前、あなたとの初対面の時にも同じ会話をしたことを憶えてる?」
 俺が告発された、あの件で俺とエリは出会った。
「ああ」
 なんとか一言搾り出す。
「あの時もあなたはそんな顔してた」
「成長がないって意味か?」
 一言一言が、やっとの思い。
「そうかしらね。そうかもしれないわね」
 エリは緩く握った右手の人差し指を自分の下唇に当てるようにして軽く笑った。
「認証できました。『少年』です」
 アウラは立ち上がり、俺の顔を見て報告する。
「ごくろうさん」
「ありがとう、アウラちゃん」
 エリと俺の言葉が重なる。アウラはきょとんとして俺とエリの表情を見比べている。
「ところでさ」
 エリのほうへ目を向ける。
「何かしら」
 エリは報告書に記入しながら応える。
「もう一体の確認は取れてるの?」
「取れてないけど、お友達、だと思うわ」
「お友達?」
 見てみたら? というようにエリが視線で示す。俺は改めて手を合わせ、そしてゆっくりとシーツを持ち上げる。
 ……なるほど『お友達』か。
 アウラはやはり殆ど損傷のない犬の死体の前に屈み、子供がそうするかのように顔の前で手を合わせる。そして、背中、横腹と優しくさすり、尻尾を愛しげに指で梳く。
「マスター……」
 アウラはいつもよりちょっと低い声で俺に問いかける。
「マスター、もう尻尾は何も言わないんですか」
 アウラにしては珍しい言い回しだが。
「何も言わないし、もう動かないな」
 一緒に逝けたということは、常に行動を共にしていたということか。
「そうですか」
 アウラは寂しげにそう言い、犬にシーツをかぶせ、さっきよりちょっとだけ長く手をあわせた。

 その後はエリの警護という名目だが、実質的に、俺とアウラはエリの後ろでただ立っているだけの木偶の坊だった。エリは関係各所と連絡を取りつつ、情報を集め報告書を埋めてゆく。
 意外だったのは。
 『少年』が少年ではなく少女だったこと。
 他所からの報告で、この少女は不発弾や金属を拾い集め、それを転売して生計を立てていたということ。
 今回の件は、その不発弾の暴発に巻き込まれた事故だということ。
「強引にキャンプに連れて行っていたら、なんて自分を責めてはダメよ」
 エリは振り向きもせずに俺に言う。
 ゆっくりと息を吐き、視線をそらした壊れた壁の向こうには、小さく白い花が二輪、並んで風に揺れていた。

     

         *

「少佐がわざわざ俺に直接話があるって、なんです?」
 ブリーフィングルーム・ナンバー3。十人程度の間に合わせの会議をするには充分な広さの部屋で、俺は少佐の真正面のパイプ椅子に座っていた。エリの護衛が終わり、車でキャンプに戻っている途中に無味乾燥な音声メールで指示があったからだ。しかし、目の前にいる少佐は、その音声メールの送り主ではない。
「内容は簡単な意思確認なのだが、君の立場は微妙だからね。君が降格前に直属だったからという理由で私が」
「アホですか」
 思わず先程エリから貰った煙草を胸ポケットから取り出し、咥える。
「アホらしいよな。この部屋が禁煙なのも含めて気を使わされることが多すぎる」
 少佐は指で天井の記録カメラを指し示す。
 俺は肩をすくめ、咥えた煙草を箱に戻し、俺の右後、定位置に立つアウラにライターと共に渡す。
 アウラはしばし困ったように固まったが、それらを背嚢に収納する。
 その動作を確認するかのように見ていた少佐が言葉を続ける。
「しかし、今の直属の上司の彼が君の意思確認をした場合、もっとアホらしい事態になりかねないのだよ」
 直属の上司──お役所仕事的定型文の彼のことだ。
 いや、真面目で堅実な職業人としては欠点が少ない人だと思うが。少なくとも監視兵器導入の影響で変化した状況に確実に対応しているのだから、優秀であるとさえ言える。
 そんな人が俺に対して下手を打つとは考えにくいのだが。
「君が了承した場合、彼が上司風を吹かせてパワーハラスメントを働いたと糾弾されると立場が弱くなる、というのが一点」
「しませんよ」
 そんな面倒なこと。あまりに面倒で言葉が棒読みに近くなってしまった。
「君じゃない。すごく親切な人権クルセイダー連中さ」
 少佐は、さも困った風に、両掌を肩の高さで天に向かって広げ、俯いて顔を左右に振ってみせる。口角は笑っているが。
 なるほど。保護対象より自分の主張が大事な輩か。その辺は色々いるから、気にしてもしょうがないと思うのだが、上の方は上の方なりに思うところがあるのだろう。
 俺は少佐の演技力に拍手を送る代わりに苦笑を浮かべてみせる。
 少佐は満足したかのように言葉を繋ぐ。
「君が了承しなかった場合、君が上司の指示に従えなかった、即ち前回の処分に不服ありと難癖をつけられると、こちらもより微妙な立場になる」
「不満なんかないんですがねえ」
「あくまでも『最悪そうなる可能性がある』という程度のことだが、組織というものはなかなか面倒でね」
 少佐は右肘を左手で掴み、左側へ上半身をひねる。
「アホというかガキですね」
 俺がそう言う頃には今度は逆へ上半身をひねっていた。
「退役後はキンダガートンの経営でもしようかと思っているよ」
 ……これは笑うところなのだろうけど、笑いどころが判らない。
 少佐は、こういう人を煙に巻く言い回しを多用する人でもあった。こういうときは大抵、何か判断が難しいことを切り出す前兆だったので、部下としては警戒レベルを上げざるを得なかったものだ。
 そんな俺の表情を読み取ったのか、
「すまない、またつまらないことを言ってしまったようだ。それでは本題だが──」

 少佐が言うには。
 単純にいえば、担当地域の配置転換の内示だった。
 今、俺が担当している地域よりもかなり前線寄りの街で、なにやら複数の人影の気配があるらしい。未だ姿はつかめていないが、大きさからすると、どうも子供であるらしい、と。
 一般市民、それも子供だということで、少しでも経験がある者を現場近くに送り込み、身柄の確保を優先したいというのが上層部の判断で、その中に俺の名前もあげられていた、ということらしい。
 ただし。
 当然、子供といえども様々な状況がある。信用できる大人がいないが故の頑な連帯感、もしくは自らの信念で、こちらに敵対するかもしれない。子供であるが故に、恐慌状態になった挙句、予想のつかない行動に出るかもしれない。
 それ故に判断は難しい。
 というわけで、意思確認を求める流れになったそうだ。

 一通りの説明を聞き終えて、俺は胸の前で腕を組んで天井を見上げていた。
 そして、人差し指で眉間を掻き、少佐の方へと顔を向ける。
「少佐、失礼ながら質問しますが、よろしいですか」
「許可する」
 当然、とでもいうかのように少佐は受け答える。
 わざわざ俺の意思確認というプロセスを挿むのだから、厄介な疑問であろうとも解消しておくに越したことはない。そのための『かつての上司による意思確認』のはずだ。
 そして少佐はそれに応えるという。ありがたい上司だ。ここは甘えておくべきだろう。
「俺の降格理由、憶えてらっしゃいますか」
「勿論。憶えていると同時に書類でも再確認したばかりだ」
 今更何を言うのだという風情で目を丸くする。
「少佐には迷惑かもしれませんが、もう一度同じ状況になっても、俺は子供を救出しようとすると思いますよ」
 エアコンの稼動音が大きくなる。
「別に露悪趣味でもないですけどね、俺の降格でひとりの子供の将来を拾えたんだからそれだけで儲けモンだと今でも思いますよ」
「それは全体から見ればひとつの結論たりえるが、君は『救えなかった方の命』をずっと気にしていたのだろう?」
 少佐は子供を眺めるような目で俺を見つつ、言う。
「私がいうのも変なものなのだが、私の命令なんて、そうたいしたものじゃないんだ」
 少佐は軽く笑う。
「命など懸けるな。そして命を賭けるな。生きて帰って来い。それだけなんだよ」
 窓の外に視線を移す。
 俺もつられて視線を移すが、何もなかった。
 ちょっと気恥ずかしくなりアウラの方を向くと、アウラは俺に視線を合わせ、優しげに微笑んだ。
「危険なことを、危険であるが故に、できるだけ安全に遂行できるようにお膳立てするのが私達の仕事でね」
 俺が少佐に向き直ると、少佐は悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。
「綺麗事に聞こえるだろうが、誰の命も失いたくないんだよ」
 おそらくこれは本音だろう。
 数の論理やらランチェスターの法則やらの話ではなく。
「質問は、以上かな?」
 少佐の言葉に俺は頷く。
「では、意思を確認させてもらおうか」
 少佐は余裕の表情で首筋を掻いている。
「拝命します」
 一応一呼吸おいて、声帯を落ち着かせてから声にする。
「うむ。頼んだよ」
 少佐が握手を求めてきたので、それに応える。
 少佐は俺の右手を掴んだまま離さずに、
「そういえば、昨日の爆発現場の検分に行ってくれたんだったかな」
「はい」
 唐突に訊くもので、ちょっと声が裏返りかけてしまった。
「その件に関して、敵方から声明があった。『許し難い非道行為』だそうだ」
 俺の手を握ったまま悲しそうな演技をする。
「いや、事故でしょう、あれは。それより手を──」
「あるものはなんでも使うといった感じだろう。気にしないでいい。それに言い忘れていたのだが」
 急ににこやかになる。そうだ。こういう人だった。
「二階級降格処分を一階級降格へと一等減ずる」
 何を隠し玉にしてやがりますか。……この狸親父が。手を離せ。

       

表紙

栗野鱗 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha