Neetel Inside 文芸新都
表紙

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   六

 嘗てはここも、隆盛を誇っていた時期があったのだろうか。
華やいでいた頃の風景すら想像出来ないこの寂れた商店街の中、蒼太は携帯を片手に人を待っていた。
 左右の店達は一つ残らずシャッターを閉じて、中には「ペナント募集」と書かれた張り紙も貼られている。どれもが貼り直しも無く茶色く朽ち果て、四辺を留めるテープすら浅黒く変色していた。
 かつ、かつ、と踵を鳴らして歩く足音が聞こえた。
 蒼太は携帯を鞄にしまって、代わりにナイフを一本取り出し、手の中で遊ばせる。
「君の方から連絡とは珍しいじゃないか、藍野蒼太」
 ジーンズのポケットに両手を突っ込んだまま、彼、【何でも屋】はにっこりと蒼太に笑いかけた。蒼太は憮然とした態度のままナイフから彼に視線を移す。
「少し、気になることがあって、貴方なら何か知っているかもと思ったんです」
「俺が? 何かあったのかい……例えば【篠森紫乃に関連したこと】とか」
 蒼太の目が細くなる。握り締めたナイフに力が篭もるのを何でも屋は確認すると、嬉しそうにニコニコと笑みを浮かべながら両手を上げた。「悪かった、悪かったよ」とこれまた嬉しそうな謝罪を彼は口にする。
「それで、君が知りたいのは一体何かな?」
「先日、バスが一つ失踪したのを知っていますよね」
「ああ、あったね」
「あの失踪事件に関して、分かっていることがあれば教えて欲しい。何より、どういった理由で引き起こされたものなのか、が特に」
「バス、ねえ。君に何か関係があるの?」
「ええ、紫乃も関連しています。恐らく、という程度だけど」
「へえ、その程度の情報でなんでまた、俺のところに来たのかな」
 愉快そうに彼はそう言うと傍のシャッターに身体を預ける。がしゃん、とシャッターが鈍い音と共に波打った。
「最近、紫乃の周りを徹底的に探る輩がいたんです。彼女のデティールにとにかく拘り、彼女の一挙一動に執着する奴が」
「ほう」何でも屋は興味深そうに頷くと腕を組む。
「初めは、篠森紫乃への興味や捻れた愛情故の行動かとも思った。ただ、行き過ぎた愛は恐らく、相手に識られたい想いに変わっていくものだ。通常のストーカーだって相手に対する強すぎる想いの果てに、手紙を送ったり、襲うに至っている」
「それは君の偏見だよ。もしかしたら、そういう見ること知ることにひたすら快楽を感じるストーカーもいるかもしれない」
「見てるだけならいい。ただ、このストーカーは彼女の買ったものと全く同じものを購入し、彼女の普段通る道を入念にチェックしている」
「それで?」
「ストーカー犯は、もしかしたら篠森紫乃自身なのかもしれないと、そう思ったんです」
 蒼太の言葉に、何でも屋は寄りかかるのをやめ、じっと彼の事を見つめる。蒼太は構わず、何でも屋の表情が変わるのを見て、やはり、と小さな確信を感じていた。
「貴方は誰かの欲望を叶えて、それを見るのが何よりもの楽しみだ。その為なら自分が被害を被らない範囲内でなんでもお膳立てをする」
「何が言いたい?」
「貴方は今回も、欲を埋めようとしているんじゃないんですか?」
 そう、例えば、と蒼太は彼を真っ直ぐに見つめて言う。
「【篠森紫乃】という欲望を」
 言い終えて、あくまでこれは僕の想像です、と付け足した。自分には推理力が無い。だから自分にできることは、疑える人間を片っ端から疑っていくことだけなのだ、と。
「あの時刻のバス、よく紫乃が乗るんですよ。時々僕と一緒ですが、彼女はほぼ毎日、ですかね」
 ほう、と何でも屋は言った。
「あのバスに乗っていくと、黒鵜から白鷺を抜けて、そのまま町外れの霊園に続いていくんです」
「この停留所から乗るのかい?」
「ええ、白鷺の停留所から乗るほうが数十分ほど早いですが、彼女は必ずこの黒鵜からノリます。わざわざ一駅乗ってでも」
「なんとも不思議な事だが、それも理由があるんだろうね」
 彼の言動に白々しさを感じながらも、蒼太は構わず頷く。からかうような彼の態度に構う必要は無い。
「僕の兄、紅一の墓参りに行く時だけなんですよ。あの時刻のバスを使うのは。だから、初めここで失踪の起きたバスの時刻を見た時、ああ、紫乃が絡んでいるかもしれない、と思ったんです」
 何故、この停留所から乗るのか紫乃に聞いたことがあった。彼女は蒼太を酷く冷めた目で睨むように見た後、少し考えてみれば分かることよ、と言った。紅一の墓参りに行くのなら、その前に彼の死んだこの町を通って行くのは当たり前じゃない、と。
 少しでも彼の匂いのする場所を通って彼に会いに行くのだと。
 だから、私が死んだ時は、必ず黒鵜町のこの場所から、紅一さんの場所に連れて行ってね。
 紫乃はそう言って、いつもの微笑みを蒼太に向けたのだ。
「最近のストーカーと、僕と紫乃が必ず乗っていた時刻のバスの失踪。偶然だとしたらびっくりですよ。誰かが仕組んだとしか思えない。そして、そんなプログラムを組める器用な人が、僕の周辺に一人だけいる。これは疑われても、文句は言えないと思います」
「なるほどね、だから俺が一枚噛んでいると。蒼太くんはそう思ったわけだ」
「別に当たっていようがいまいがどうだって良いんです。もしそうなら、詳細を打ち明けてくれませんか?」
 手にしたナイフが街灯の灯りを反射して無感情な殺意を宿す。蒼太は刀身に映る自分の顔を眺め、やがて何でも屋に視線を向けた。彼はナイフを差し向ける蒼太の姿に困ったような、しかしどこか愉快そうな表情を浮かべると、肩を竦めながら、一つ聞かせて欲しい、と口にした。
「もし俺がバスジャック事件に噛んでいて、それをこの場で君に打ち明けたとしよう。君にはどんな利があるのか、はっきりと聞いておきたいんだが」
 何を今更、と蒼太は思った。恐らく何でも屋は今の彼の心情さえもハッキリと理解している筈だ。蒼太が何のために動くのか、どういった理由があれば凶行に及ぶのか、何を最も重要視しているのか。
 知っていて、彼は口にさせたいのだ。
「決っているでしょう」
 蒼太の脳裏で、紫乃が意地悪く嗤った。
「そうすれば、紫乃にまた会えるからですよ」
 暗闇の中に閉じこもってしまった彼女と、再び顔を合わせるため。
 蒼太の中にあるのは、ただそれだけ。
 彼の答えを聞いた何でも屋は、口角を以上に釣り上げた気味の悪い笑みを浮かべると、うん、うんと唸るような声と共に大きく頷いた。
「良い答えだ、藍野蒼太」

   ・

 個室に案内されると、警官は少しお待ちください、と言って退出した。
 三畳あるかないかくらいの狭く息苦しい部屋に、彼女は一人座らされている。まるで空気から時間から世界から、自分の全てが遮断されてしまったような気分のする嫌な空間だ。
 無感情的な灰色の壁と床、テーブル。閉ざされたブラインドから微かに漏れる外の光。彼女はそれらをぐるりと見回してから、再び自分の手元に目をやって、早く帰りたい、と思った。
 少しして、扉越しに革靴の床を叩く音が聞こえた。その音は次第に大きく、深く彼女の部屋にまで響いてくる。確か、昔聞いた時もこんな音だった憶えがある。いつ聞いても、慣れない音だ。このまま通り過ぎていってくれたらいいのに。
 ドアノブの回る音がして、次に仏頂面の体格の良い男性が失礼、と低い声と共に扉を開けて入ってきた。彼女は腰を上げて小さくお辞儀をする。彼はお構いなく、と彼女に両手で座るよう指示すると、向かいの椅子に腰掛けた。
「わざわざ来て頂いて申し訳ない」
「いえ、構いません。それで、私は何をお答えすればいいのでしょうか」
 仏頂面の男性は頬を指で掻いてから、持ち込んだファイルをテーブルに置く。向かい合うようにして座っている彼女に見やすいように、逆さにする。
「単純な確認なんです」
「確認、ですか」
「ええ、以前起きたバスジャック事件、知っています?」
「……いいえ」
 ニュースには疎いもので、と彼女は首を傾げながら恥じらいのある笑みを浮かべた。男性は顔を歪めた後、咳払いをして改める。
「それで、この事件は、バスジャック犯が運転手その他を人質に進路を指示し、予め人気の無い、もう随分使われていなかったトンネルにバスを停めさせ、心中を図ったようなんです」
「心中、ですか」
「犯人と思われる男の遺体から遺書と、脅迫に使ったとみられる拳銃が見つかりましてね。随分と徹底していたみたいで、彼の鞄には乗客の連絡手段が取れるものが全て詰まっていた」
「心中というのは、遺書から?」
「ええ、死にたいが一人は嫌だとかなんとか、まったくもって勝手なことが書き殴られていましたよ」
「つまり、乗客は全て亡くなったんですか?」
 彼女の問いに、男性は首を横に振る。そこが面倒なところなんです、と続けて、彼は頬を指で掻く。
「一人だけ、生き残りがいましてね。光も無い暗闇の中で、五日もずっと閉じ込められたままで、酷く衰弱している状態でした」
「それは、良かったです」
「まあ、同時に生き残りの乗客の傍に明らかに落盤とは違う死因の遺体が出てきましてね、乗客の状態が安定してからその辺りも確認しなくてはならないんです」
 ああ、これは貴方には関係の無い話でした、と彼は喋りすぎてしまったと頭を下げる。構いません、と彼女は変わらず答える。
「それで、私に聞きたいことは、その事件のどの部分なんですか?」
「それが、ね」
 男性は暫く言いにくそうに顔を渋めていた。どうにも困った様子の彼の表情を見ながら、気にせずはっきりと仰ってください、と言った。言えることがあるのなら、全て嘘偽りなく答えます、と続けた。透き通るような真っ直ぐな声だった。
 男性は暫く彼女のその瞳を見つめていた。水分の多い、今にも零れ落ちてしまいそうな綺麗な瞳が、男性の姿を映している。彼はやがて頬を掻くのをやめると、少し変な質問ですが、という前置きと共に、口を開いた。
「貴方は、篠森紫乃さんで、間違えありませんよね?」
 彼の問いかけに、彼女、篠森紫乃は困惑した。
「ええ、私は篠森紫乃です」
「身分もこちらで確認させて頂いていますし、間違えはありませんね。いや全く変な質問で申し訳ありません」
「どうして、こんな質問を?」
 いやね、と男性はファイルを開く。
 そこに、黒髪の、目は切れ長で、鼻の高い女性の写真が貼り付けられていた。紫乃はその顔を見て、更に分からないといった顔をする。
「それね、救出された乗客なんですよ」
「この女性が、生き延びた方ですか」
「彼女、救出からずっと『私は篠森紫乃だ』と言い続けているんです」
 紫乃は顔を上げた。男性は頬杖をつきながら指先でその写真を指し示す。
「確かに髪型や服装は貴方に似ているが、顔立ちに関しては全く別人だ。なのに彼女は、救出された時から、現在まで貴方の名前を騙り続けている。身元はすぐに分かりました。親とも確認が取れました。ただ、本人に何度確認させても、そんな名前じゃない、私は篠森紫乃だ、と言う」
「私になりきっている、と?」
「私達は貴方の事をよく知りませんが、篠森紫乃と名乗る彼女が口にしている事を幾つか確認させていただけたらと思うのです。ちなみに、ここ最近自分の身辺をついて回るストーカーにつけられたような事はありませんでしたか?」
「いえ、暫くは家を出ていませんでしたから。それに、ストーカーもしょっちゅうなんでどれがどれだか」
 紫乃の言葉を冗談と受け取ったのか、男性は乾いた笑いを一つあげると、では、と言ってファイルを自分のもとに引き戻し、胸ポケットに刺さっていたペンを抜いて、くるりと一度右手の中で回転させた。
 多分、藍野蒼太がやったのだと、ペンを回す彼の手元を見ながら紫乃は思う。
 【篠森紫乃】を唯一の生存者にしてみせたのは、恐らく彼だ。

――だって彼は、私を生かすことに必死な人なのだから。

       

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Neetsha