Neetel Inside 文芸新都
表紙

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   三


 八時を回ると、外との対比でか蛍光灯がやけに明るく、部屋中が白色を孕んだように見えた。隅の紅色のクロスがかかったテーブルも、先ほど食事をしていたカウンターも、全てが眩く見える。先ほどまで頼りない街灯の下にいたというのもあるが、目に見えて店内の空気が変わったのを、蒼太は感じていた。
 店主はカウンター前の丸椅子に腰かけ、エプロンのポケットからシガレットケースとジッポのライターを取り出し、一本口に咥えると火をつけ、煙を天井に向けて吐き出した。君もどうだい、とケースを差し出され、蒼太は何も言わずただ頷くと、一本手にして口に咥える。店主の傍に寄ると先端に火をつけ、それから煙を吸い込んだ。大分重いやつだ。煙を吐き出した後蒼太の視界が若干くらりと揺れた。
「さて、何から話そうか」
「貴方が本当に人を食べたかどうか」
「君が最も気になっている部分だと思うが、その前に何故私が人を食っているなんて馬鹿げた考えに至ったのかを聞かせてほしい」
 煙を吐き出しながら店主は興味に満ちた目でこちらを見ていた。否定もしなければ肯定もしない。蒼太は暫く考える。紫乃の特異体質について言ったとしてそれは大した理由付けにはならないだろう。ならばどういった点を見て思ったのか。
 ―でっちあげる―必要がある。
「まず、常連が消えたって部分が気になったんです。僕が今日食べたステーキ定食も、コーヒも丁寧に作られていて美味しかった。それに貴方の接客だって物腰が柔らかくて受けも良い。値段もリーズナブルで、常連が突然消えるなんておかしい」
「それまで最悪の態度で常連が消えるほどのミスを犯した可能性は?」
「料理に対して聞いた時、貴方は目の前が客であることすら忘れてただ熱く語っていた。少なくとも料理を批判されて問題を起こしたりしたとして、あれほど料理に情熱を持っている姿を見れば少なくとも常連は「批判した側に非がある」と思うかもしれない。少なくとも常連が一斉に消えるなんてありえませんよ」
 店主は何も言わず、煙草を咥えてふむ、とただ頷いた。
「そして、三か月前にここにやってきたと言ったけれど、その更に三か月、丁度半年前に他県で謎の失踪事件が起きている」
 それなりに問題になった事件だったため、検索すればすぐに出てきた。携帯というものは随分と便利だと久々に思った。それまで時計代わりにしか思っていなかった為尚更だ。
「簡単に調べたのですが、そのうちの三名が最後にステーキハウスに出入りしていたことがあり、それを理由に聴取を受けている。更にマスコミに流れたことで暫くニュースでも取り上げられていたようですね。」
「ステーキハウスではなく喫茶店ではなかったかな。女性が三人もステーキハウス、紫乃ちゃんのような常連がそういるわけがないよ」
 店主が笑って答え、それから固まった。
「僕は行方不明者のうち三人、と言ったつもりですが」
「……そうだね、三人と言っていたね」
「少なくとも、その喫茶店の常連は行方不明者のうち三名なわけですね」
 店主は頷いた。
「なら多分、「食べられたのはその三人」だと、僕は思っています」
 店主がじっと見つめるなか、蒼太は鞄からポケットにこっそりと移し替えたナイフの柄を握る。
「この事件、未だに遺体は発見されていない。定期的な頻度で失踪しているのにも関わらず、まるで一人一人が勝手に決まったスケジュールで蒸発していることから連続性のあるものとみられているけど、三件以外はすべて別だったらどうなるんだろう」
 煙草の灰が床に落ちた。店主は特に気にする様子もなく、蒼太に携帯灰皿を渡す。
「模倣されたんじゃないかと思うんです」
 煙草を携帯灰皿に叩き込むと僕は息を大きく吸った。でっちあげの解れた糸だらけの考察を、まだ彼は聞いてくれている。それも真剣にだ。
 ありがたい、と蒼太は思った。これまで何度かでっちあげで犯人を決めつけたが、大体は襲われるか逃亡された。ここまで長く話を聞いてくれたのは彼が初めてだった。
「週に一度の失踪事件が起きた中で、誰かがこの流れに乗じてもうひとり失踪しても問題ないと考えた。狂気は伝染し、結果としてその後数人予期せぬ失踪者が現れた為に事件は大事になってしまった。結果、うち女性三人がよく通っていた店に関連性があると考えられ、捜査の足が運んでしまったのではないかと」
「なるほど、週一で起こる失踪で周囲が混乱し、関連性があるのかどうかもややこしくなったままその店主は聴取をかけられ、しかし証拠が全く出ないことで開放された。しかし聴取をかけられたことと、着実に人が失踪していく恐怖、常連が消えた事実から客足も冷め、商売のしようがなくなったことで彼は店を閉じてしまったと」
「証拠が出なかった理由は、もう消化されてしまったからだと」
「どこかに埋めたとは思わないの?」
「貴方は食材、特に肉に対して強い愛情を持っている。食べることができるのに、それを捨てようなんて考えないと思ったんです」
 話し終えた蒼太を、店主はじっと見つめている。どっと空気が重くなった気がして、蒼太は彼とじっと目を合わせたままポケットの折りたたみ式のナイフに触れた。

 ごくり、生唾を飲み込む。

 店主は、声を上げて笑った。すっかり短くなった煙草をアルミ製の灰皿に押し付けると、身を仰け反らせて手を叩く。
「いやあ面白い、穴だらけだが、よく繋げたね。でっちあげて形にした君の想像力、楽しませてもらったよ」
 それから彼は二本目の煙草に火をつけ、旨そうに煙を吐き出した後、顔色一つ変えずに蒼太を見て言った。
「ああ、食ったよ」
 まるで日常的な出来事のように言うものだから、蒼太は少しの間その言葉が理解できず、暫く店主の顔を見つめてしまった。特に狂気を孕んだ目でもなければ、やつれてもいない。罪悪に苛まれた人間の目でもない。本当に日常をただたんたんと過ごし、やりがいのある仕事を続けている男の人間味のある温かな瞳だ。
「人を?」
 改めて蒼太は問いかける。
「ああ、人を」
 まさかこんなことを打ち明けることになるとは思わなかったと、店主は茶色の短髪を掻いた。しかしその顔はどこか嬉しそうだった。
「物心付いた時から、肉に対して異常な執着があった。豚肉、鶏肉、牛肉、羊、食用でありながらどれも歯ごたえから臭い、味と全て違う。子供の頃から肉料理の素晴らしさにすっかりとりつかれて、気がついたら調理師免許を取得して料理の研究に没頭してたよ。どう調理すれば最も美味しくなるのか、焼き加減は? 切り落とす時の角度は? 肉料理がどこまで極上のものにできるかをね」
「そんな中で、人肉に出会った理由は?」
「特に理由は無かったよ。店を開いて、ある程度の常連ができた辺りで、一人の女性に好意を抱かれた。それまで異性に好意を抱かれたことも、抱いたこともなかったからすっかり舞い上がったよ。ただ肉のことしか考えていなかった自分でも、他人を愛せるものなのだとね」
 二本目の煙草が終わろうとしていた。店主は物惜しそうに短くなった煙草を見つめ、灰皿に押し付けて消した。
「でも違った。彼女を始めて抱いた時、快楽に身を委ねながら、ふと思ってしまった」
「この肉を調理したら、どんなに美味しいのか、と?」
 店主は頷いた。
「太腿、臀部、乳、頬、とね。腹に手をやりながら内臓はどうしたら旨いかと考えてしまった時は、思わず笑ってしまったね」
 自らの腹部に手をやって、それから何度か摩る。
「でも愛していた。始めて好意を抱けた相手だったから。だが一緒にいても、抱いてもどこかぽっかりと穴が空いてしまっていて、何をしても埋まらない。もっと彼女に対して求めている欲望がある」
「それが、食欲だったと」
 店主は頷いた。
「ああ、私は彼女を食べたくて仕方なくなっていたよ。愛する女性を肉としか認識できなくなってしまっていた。そのうち抱くこともうまくできなくなってしまった。けど愛し続けたかった。ずっと愛し合いたくて、その為には、こうするしかないと答えが出てしまった」
 腹をさする店主の顔は、非常に穏やかで、後悔の色はまるでないようだった。
「肉切り包丁を掲げた時、彼女、笑ったんだ。貴方の中で生きられるんでしょう? ならそれでいいって。涙も流さず、命乞いもせず、ただ目を閉じて微笑んだ」
 店主は目を閉じ、その時の光景をフィードバックする。
 切断した頭部を両手で大事に抱え、眠ったように穏やかに目を閉じ絶命した彼女の唇に、そっとキスをする。血の気の失せていく途中の唇はまだ暖かかった。生暖かい血液に染まっていくエプロンを眺め、それから頭部を失った女の肉を見て、下腹部が堅くなったこと、気づけば射精をしていたこと。全てが鮮明に彼の中で蘇る。
「その日、彼女の臀部を焼いて食べた。とても旨かったよ。どんな肉よりも旨かった。舌先で溶けていくんだ肉が。じわりと口の中に旨味が広がっていく。そこでやっと私の中にぽっかりと空いていた穴が埋まっていくのを感じた」
 あとは君の言うとおりだと、彼は語った。
「残りの二人は、人生に思い悩んでいた。だから死んだ後も私が面倒を見続ける。決断ができたらおいでと言っておいた」
「二人は食べられることを知っていたんですか?」
「ただの死体になって朽ちるよりは良いと答えたよ。彼女達も狂っていたんだろうね」
 彼はそれだけ言うと、席を立ってカウンターの奥に入っていく。途中で蒼太を手招きし、奥へと消えていった。蒼太は警戒しつつも、彼の手招きに従うことにし、カウンターの奥へと足を踏み入れる。あの身なりからは予想ができないほど丁寧に掃除が行き届いているキッチンだった。コンロにこびり付いた炭は丁寧に落とされ、シンクを覗き込むと顔の輪郭がよく分る。生臭さや肉の臭いは丁寧に除かれ、料理道具は丁寧に棚にかけられて保管されていた。多分閉店後に行うつもりだったのだろう。シンク横に砥石と包丁が置かれていた。もう研ぐ必要がないくらいに光を受けて輝いているが、どうやら店主としてはまだ満足のいくものではないらしい。
 キッチンを抜けると地下に下りていく階段があった。むき出しのコンクリートで出来た鋭い段差が見ていて痛い。
 階段を下りていくと、目の前に大きな分厚い扉があって、その扉の隙間から冷気が漏れている。どうやら大型の食糧保存用の冷蔵庫らしい。
「こっちに来てから、まだ誰も食べてはいないんだ。なんにせよ私は本当に愛情を注げる肉にしか興味がない。自分の最高の腕を発揮できる肉しか使いたくないんだ」
 そうして前置きを述べると、彼は分厚い扉のレバーを下ろし、体を使ってその扉を開いた。
 充満していた冷気が解放され、肌寒さに蒼太は思わず身体を強張らせた。まだ冬には早い時期だが、冬の寒さを凌駕する冷気が白い煙のような姿になって冷蔵庫の中から飛び出してくる。まるで妖精のようだ。蒼太はとめどなく流れ出る冷気の姿を見ながら、そんなことを思った。
 それから奥を見て、蒼太は目を見開いた。
 裸の女性が釣られている。既に事切れているようで唇から何まですべて青紫に変色しているが、急速に冷やされた結果なのか、ふと目を覚ましてこちらに視線を向けてくるのではないかと思うほど、丁寧に保存されていた。艶のあるセミロングの黒髪に、かたちの良い乳房、太りすぎずやせ過ぎる丁度良い肉体。
「彼女は、こっちに来て始めて私を愛してくれた人なんだ」
 うっとりと、恋人を見るかのような目で店主は釣られた女性を見つめる。蒼太は彼が新たな恋人を眺めている間、一言も喋らなかった。二人の間を邪魔してはいけないと、なんとなく思った。


 扉は閉じられ、全てを語りつくして満足したのか店主は蒼太に向けて笑みを零すと、レバーを上げて錠をした。
「そうだ、君が私を問い詰めようと思った理由は、紫乃ちゃんかい?」
 蒼太は頷いた。
「紫乃のことを愛するつもりはありますか?」
 単刀直入にそう聞くと、彼は首を横に振った。
「私にとって食べることは愛情表現だ。しかし彼女は食べられたいと思いつつ、私を受け入れるわけでもないようだった。理由が愛でなければ、私は決して食べようとは思わない」
「そうですか」
「随分と安心した表情をしているね。彼女がとても大切なようだ」
 笑みを浮かべる店主に向けて、蒼太は首を横に振った。怪訝な表情を浮かべる彼に向けて、蒼太は寂しげに微笑んだ。
「もし、紫乃の命を奪うつもりだったら、僕は貴方をどうにかして殺さなければならなくなっていました。犯罪に興味はないし、したくもない。でも、彼女を護るためにはそうせざるを得なくなる。望まない犯罪を犯さずに済んだことにほっとしているんです」
 淡々とした口調で答えた蒼太を店主はしばらく見つめて、それから頭を掻きながら彼を見つめる。その瞳には、どこか同情に似た色が混じっていた。そんな瞳に映る自身の姿を見て、蒼太はそっと笑みを浮かべた。
「紫乃ちゃんもそうだが、君も随分と壊れているようだ」


       

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