Neetel Inside 文芸新都
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「蟻村さん、蟻村さん」
 功二に肩をポンポンと叩かれて、有は呻きながら目をこすった。
「次、初名坂だよ」
「あ…… 寝ちゃってた、ごめん」
「いや、謝るようなことしてないよね」
 少し縮こまって視線をそらす有に、功二が穏やかな笑顔を向けている。
「えと、ナカコー、君?」
「うん」
 そらした目をそう遅くない速度で、しかし慎重に功二に戻す。昔から相手の目を見て話すように言われて育ったが、未だに慣れないものがある。ましてや相手は今日知り合ったばかり、その割にかなり親密になったとはいえ、ギクシャクした動きを見せまいとする意識が逆に所作にぎこちなさを与えた。
「今日は、その…… すごく、楽しかった。ありがとう」
「いや、こっちこそ、色々と楽しかったし、お礼を言うのはこっちだよ」
「そうそう。先輩、ナカコーの面倒を見てくれてありがとうございました」
 突然発せられた声に驚いて振り返ると、春子が目を覚ましていた。
「にしても、ちょっといい感じでしたね、ナカコーと先輩」
 春子がからかうようにコメントをする。
「そう思うなら、寝てろよ。ねぇ、蟻村さん」
「あ、私はそんな」
 満更でも無い様子の功二に有は困惑しながら言う。
 運転手がバス停の名前を連呼し、それと同期するようにバスが減速する。ブザーは既に押してもらっていたらしい。
「じゃあ、私はこれで。みんな、ありがとう。清水君にも、よろしく、ね」
「あぁ、じゃあね」
「お疲れさまでしたー」
 手を振りながら下車をする。他に降りる客がいないらしく、有が降りてすぐにドアが閉まった。車内と違って、少し生暖かく湿った風が吹いていて、別れの憂鬱さを増幅する。しかし、また会えることへの期待を含んでいるという点で、その憂鬱さは今まで味わってきたそれとは異なり、決して不快ではなかった。
 夕焼けを少し過ぎた辺りの、青みがかった空を見上げると、鳥が四羽飛んでいて、その姿が自分達と重なって見えた。緩やかな坂道は、新鮮な印象を与えた。あれだけの量の買い物をしたというのに、身体が不思議な程軽やかに動く。
「あー、バスに荷物忘れたー」

「あー、先輩荷物忘れてるー」
 足下を見た春子が有の忘れ物に気付いた時、バスは既に発車してしまっていた。
「あれまぁ。お前、蟻村さんの家知ってる?」
 功二の質問に、春子は首を横に振った。
「ううん、知らない」
「そっかー、俺明日日直だから早く出ないといけないし、お前学校に届けてきなよ」
「うん」
 春子はうなづきながら自分の荷物を有の荷物の隣に置いた。袋がガサガサと乾いた音を立てる。
「素敵な人でしょ、先輩」
 もの静かで、それでいて熱っぽい口調で春子は功二に意見を求めた。
「あぁ、そうだな」
「正直、ナカコー惚れちゃったでしょ」
「え、いや、そんなことはな、ない。いや、ほんとないから」
 功二が顔をタコのように赤くして慌てる。さっきまで有とクールな雰囲気で会話をしていた男にしては、分かりやす過ぎる動揺の仕方だった。春子は思わず吹き出した。
「フフフ、ナカコーって純なんだねぇ」
「うるせぇよ……」
「応援はするから、頑張ってね」
「そんなんじゃねぇって」
 次は、礼戸一丁目、礼戸一丁目、という機械的なアナウンスが入った。冷房の心地よい冷風と相まって、それは人工的な香りを漂わせる。だからなのか、一日で「カッコつけの叩かれ役」から「恋する純情少年」に変貌した功二が引き立つ。
「圭一には、内緒にした方がいい?」
 ブザーを押して、春子は訊く。功二の右隣では、まだ圭一が寝息を立てている。
「頼むから内緒にしてくれ」
 もう弁明する気力がないのか、両手を会わせて拝みながら功二は懇願した。
「はーい。でももったいないなー、圭一、決定的瞬間を逃しちゃった」
 例によって春子は笑う。明るくてよく笑う人間でありながら、一方ではその笑いにいちいち含羞や悪戯っぽさが感じ取れ、しかもそれが計算されていない自然なものだから恐れ入る。
「見られたら、俺死んでやる」
 再びバスが停車した。春子と功二が一緒に降りるので、圭一は終点の国東団地までの道のりを一人で過ごすことになる。
「声かけなくていいのかな。起きたら独りぼっちだよ」
「あぁ、ほっとこうぜ。こいつそう言うの結構好きだから」
 硬貨を機械に落とす音より小さな声でのやりとりに共犯意識を感じながら、二人は一段ずつ段差を降りていった。


       

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