Neetel Inside 文芸新都
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終着駅のラジオ
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 梅雨時に二日もまともな天気の日が続けば大したものだ。そうは分かっていても、やはり雨が降っているのを見ると気分が七ミリくらいは沈む。
 右手に持った赤い傘は持っていることを忘れるくらい軽い。小学校の頃差していたものとは大違いだ。靴だって、軽くて防水性の高いものが増えてきている。しかし、春子にはそんな些細な時代の変化は特に意味を持たない。灰の空が延々と続く下に、ポツンと配置された岩礁のようなバス停。早く屋根の下に入りたいが、走るとバス停を囲む水溜まりの水がはねるので走れない。時の移ろいよりは突きつけられた現実の方が重要な案件だ。
 ひとまず雨から身を守る手段を得て、春子はベンチに腰掛ける。今日はいつも一緒に登校する功二が日直に当たり、礼戸一丁目から乗車する知り合いが他にいないせいで一人きりだ。バスが来るまでの七分間、春子は昨晩のテレビドラマについての上級生の会話を横聞きして潰した。どの俳優がかっこいいとか、この役にあの女優を持ってくるのはおかしいとか、あんな展開になるとは思わなかったとか、中高生なら誰でもするような他愛のない話ばかりだが、そのドラマに興味が持てず、一度も見ていない春子にとって、同級生と話を合わせるのにはそこそこ有益な情報である。バスに乗った後もその会話は続く。
 たまに、なぜそんなことをしなければいけないのか、と自問することはある。しかし、周囲が「普通」と考える女の子を演じることがクラス内の春子の役割であり、それを考慮しない行動は人前では許されないと言わんばかりの無言の圧力が存在する。また、その演技は自分の内面を繋ぎ止めてくれている部分もある。同級生や教師が「普通」だと思ってくれていれば春子も自分が「普通」で「まとも」な人間だと思い込むことが出来る。だから、どんなにうんざりしても、「普通」でいる努力はしないといけない。
 夏服期間に長袖を着るのはおかしい。だから、手首の傷を隠したければブレスレットやリストバンドをする。手は隠せる限り隠す。
 過ぎたことでいつまでも悩むのはダメ。だから、心の傷を隠したければ明るく振る舞う。笑顔は出来る限り自然に作る。
 女子生徒の世界のしがらみとは無縁の、自分らしいと思える笑顔を見せられるのは、お互いの手の内をよく知っていて心を許せる圭一と功二と、逆に春子の抱えるものや世間を知らな過ぎる有のみ。
 こうして私は、世渡りばっかり上手くなってくんだ。
 そう毒づいてもなにも変わらないということ自体は受け止められるが、不安や変革意識を持つにはあまりにも印象が漠然とし過ぎていて自分の無力さを感じるだけだ。
 外を歩く生徒達のなかに有の姿を見つけ、追いつき、追い抜く。向こうがこちらに気付く気配はない。
 冷たい海流を泳ぐ魚のように憂鬱な塊となってバスは進む。春子は降りる準備を整えてブザーを鳴らす。

「先輩、おはようございまーす」
 靴のつま先や濡れたアスファルトを見つめていた顔を上げ、振り向いた有の視界に春子が入る。
「あ、春子。おはよ」
「先輩、これ昨日忘れてましたよ」
 春子が手渡す大きなビニール袋を受け取りながら有はバツの悪そうな顔をした。
「ありがと……。ごめんね、重かったでしょう」
「そんなことないですよー」
「ほんと?」
「はい」
 ニッコリ笑う春子の顔を見て安心する。
「そう、よかった。なんだか、かっこ悪いね、私……」
 目を細めた有の表情を見て、春子はキた、と思った。
 普段有は大人っぽさや暗さ、近寄り難い雰囲気に包まれているが、時折隙を見せる。茶目っ気のある笑顔、照れた時の紅潮した頬。有の二面性を見ると、案外いつもの憂いを湛えた面は周囲のイメージによって形成されてしまっていると感じることがある。事実、有は孤独によって性格を変えられ、さらに孤独になるという悪循環に陥っていた時期もあったとほのめかした。心を許してくれれば、もっともっと素敵な面を見せてくれるはず。春子は期待した。
「新利さーん、おはよー」
 背後から明るい声が聞こえる。少し駆け足になって追いついてきた声の主を、有は興味津々で見つめた。
「あ、インチョ」
「隣の人は誰? 友達?」
「うん。蟻村先輩っていうの」
 リアクションに困りながらも有は会釈をした。
「先輩、この子がうちのクラス委員の円井さん」
「初めまして、円井珠希です。みんなにはインチョって呼ばれてます」
 紹介された珠希は礼儀正しい風にお辞儀をした。
「先輩は写真部なんですか」
「ううん、帰宅部」
 有の回答にうなずいて、珠希は言った。
「部活入った方が幸せですよー。友達だってたくさんできるし、楽しいし」
「しあ、わせ」
「インチョはやたらみんなの幸せを気にするんです」
 春子が説明をすると、仕事だからね、と珠希が笑う。
「でもそうだね。蟻村先輩も写真部入りませんか」
 両手の親指と人差し指で長方形を作って、春子はカメラのシャッターを押すような仕草をした。
「そうそう、新利さんもそう言ってくれてるんだし、入ったらきっといいことありますよ」
 珠希が春子の意見に賛同する。
「でも、私、写真のことはさっぱり……」
「心配しなくても大丈夫。私が先輩に分かりやすく教えてあげます」
 春子が威張るように胸を突き出す。全く威厳が無いのがおかしい。
「それに写真部は月一の定例会と、たまに講習がある以外は個人活動だから楽なんですよ」
「うちの写真部はレベルが高いから入ったら箔がつきますよ」
 二人とも熱心に誘ってくる。考えてみると、確かに悪い話ではない。知り合いも増えるだろうし、写真が上手く撮れるようになったらきっと楽しいだろう。
 春子や圭一や功二の顔を想像する。写真に収めれば彼らとの思い出が長く残せる。しかし、一方でカメラを使って人の姿を収めるという行為は、どこか傍観者的なスタンスとも取れる。レンズを向けて一瞬でも他者を冷静に見てしまう自分を自分自身がどう思うのかが気になる。
「少し、考えさせて」


       

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