Neetel Inside 文芸新都
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終着駅のラジオ
big plane

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 灰色の空模様は途切れることなく続いた。雨は時には激しく、時にはしめやかに降り注いだが、止むことはなかった。
 渕谷部のいる学校に居心地の悪さを感じ、有は終礼や掃除を済ませてさっさと駅に移動するようになった。功二と春子はやや間を置いて現われる。珠希も誘ったけど忙しいからって断られちゃった、と春子は愚痴る。
 水深一メートル、とでも喩えられるような、低い温度で安定した活動が駅舎のベンチ周りで繰り広げられる。春子がラーメン屋からもらってきた古いラジカセはよく雑音が入った。常にバックでホワイトノイズが走っているだけでなく、たまにブツッ、と派手に音が割れた。思いのほかラジオの受信状況もよくなかったので、民放のラジオはほとんど流さずにCDを流し、「WILD SEVEN」の最初の番組が五時半から始まるとそれを三十分ばかり聴いて帰ることが多かった。多くは90年代初頭のUKインディーズものと日本のロキノン系で、これは春子の趣味であるらしかった。ロックの轟音が外の波音と混じるなかで、三人は時折会話を挟んで読書をした。有はベンチに座って梶井基次郎の「檸檬」を読み進める。功二はその隣で漫画雑誌やライトノベルに顔を埋め、たまに改札を抜けてホームに出る。春子は「ライ麦畑で捕まえて」の合間に、持ち込んだアコースティックギターで「Psychocandy」を下手糞かつお茶目に弾き語る。圭一は人数分の無糖ブラックの缶コーヒーを提げてごく稀に顔を出し、コーヒーの苦手な有を苦しめた(好きな男の子がせっかく用意してくれたのだ、誰が突き返せよう)。圭一だけは本も漫画も嫌いと見えて、決して本を開かず、床に寝そべって軟式野球のボールを天井に放ってはグラブで捕球した。非建設的で不健康なアンニュイさを湛えた現実逃避。万事そんな調子で毎日が送られる。

「あーあ、いつまでもこうしてられたらいいのになぁ」
 本を膝の上に伏せ、功二は伸びをした。
「どしたの、突然」
 その日何回目かも分からないAのコードを鳴らして、春子は尋ねた。
「お前はまだ一年だし大丈夫だけどさ、俺達もう高二だから、いいかげん勉強とかに本腰入れなくちゃいけないんだよ。それを考えると、なんかなぁ」
「とかなんとか言って、お前理系科目以外ぜってぇ勉強しねぇだろ」
 圭一が功二をからかう。功二は少しムッとして返した。
「国語とかはまだいいだろ。俺は理科大行ければなんだっていいし、そもそも学校の国語なんて文法とか以外は」
「はいはい、分かった、分かったよ」
「でも、なんか不思議だね」
 春子が少し切なそうに言った。
「子供の頃ってさ」
「春子が大人になった憶えはねーな」
「うるさいよ圭一」
 春子にたしなめられると、圭一は小馬鹿にしたように笑ってから、話は聞いてるぜ、と続きを促した。
「子供の頃ってさ、なんかこれから毎日、なんにも変わんないで続くって思ってなかった? 毎日仲のいい子と通学路歩いて、学校で勉強して、給食を急いで食べて校庭に出て、野球グループとサッカーグループとドッジボールグループの場所取りが激しくて」
 春子の話を聞きながら、有は自分の幼少期を思い出した。小学校低学年の頃ならまだそんな思い出が少しは残っていて、有は安心したが、同時にあまりにも長い空白が現在の自分との間にあって、少し情けない思いもした。
 そっか。親や先生がなにを言っても、毎日孤独なのは変わらないとどこかで思ってた。だから本当に変わらなかったんだ。
 春子達を見回す。
 この子達に出会っても、変わらないと思ってたかな。少しでも疑ったりしてたかな。
 有は少し申し訳無さを感じた。
「放課後も日が暮れるまで遊んで、暗くなるのが怖くて、家まで走って息を切らすと、自分が夕焼けに溶けて無くなってく気がすることも、たくさんあった。そんな時に、家族が家にいるとホッとしてさ。お父さんはリビングで新聞読んでて、お母さんは台所で美味しいものつくってて、おに」
 春子の言葉が不意に切れた。少し複雑そうな表情をして、春子は強引にまとめた。
「とにかく、毎日楽しいことばっかり続くって、ずっと思ってたけど、気がついたら私達もちょっとずつ大人に近付いて、つまんないことも増えるんだなぁって」
「そう、それだよ、それ。要はそういうこと」
 功二が手を叩いて相づちを打った。自分の気持を分かってくれたのが嬉しかったのか、少しはしゃぎ気味だった。
「要するにお前らは楽しいことしか考えてねーガキ、と」
 功二の仕草を真似ても、圭一のそれは醒めていた。
「有なんか、いかにも人生設計がしっかりしてそうだぜ」
 圭一が有に振り返りざまにそう言った。自分の名前が出てきて、有は驚いた。
「全然だよ? ほら、あれ、大学もまだ決めていないし」
「へぇ、意外だなー。なんなら一緒に東京理科大行かない?」
「文系だからちょっと無理、かな」
 進学の誘いを断られてへこむ功二を圭一は軽く小突く。
「私もさっさと出て行きたいなぁ。ダサい青森、ダサい栗江、ダサい学校、ダサい私。東京行って、ここのレベルじゃないちゃんとしたお洒落がしたい」
 春子が自嘲的かつ妙に明るいトーンでそう言った。
「まぁな。東京に行かない俺が言うのも難だけどよぉ、こんなところいてもどうしようもねーしなぁ」
 意外にも圭一が同意したので、一同はあれ、と小さく声に出した。
「確かに展開もねーし、大した仕事もねーし、ここに居続ければどうなるって訳でもねーし。知ってるか、ここって『平和宣言都市』やら『自然保護モデル都市』やら大層なもん名乗ってるんだぜ。ちょっとくらいでかいったってたかが地方都市なのにな。何ができるんだよって」
 それはまるで渡邊恒雄の「分をわきまえろ、たかが選手が」発言のような字面だったが、ほとんど重みは感じられなかった。必要以上に力を与えられていない地方都市の、必要以上に力を与えられていない若者が、問題を指摘しながらも「どうでもいいや」と日和っているに過ぎない。春子の言う「ダサい青森」を認めてしまっているし、圭一の言う「展開もねぇ」栗江市そのものを体現してしまっている。
「でも、じゃあ、なんで清水君は東京に行かないの?」
 有は軽く首を傾げた。
「何も起きない寂しい街を離れて、日本の中心に行けば、なんだって手に入るのに」
 圭一はそうだなぁ、と呟きながら意見をまとめた。
「好きなんだよな」
「好き?」
「あぁ。実現できもしねー無駄な主張をするこの街も、ダセぇ俺達も、好きなんだよな。それから」
 少し間を置いて、圭一は苦笑いを浮かべた。
「はっきり言っちまえば、『皆行っちまって俺独りぼっちだよ』って思えちゃう自分も好きだったりするかもな。とにかくどっか違う場所行ってガツガツやる気がないだけかも知んないけど。あ、断っとくけど、俺功二と違ってナルじゃねーから」
「充分、充分」
 春子がニヤリとしながら前髪を指先に流した。るせーよ、と返してから、圭一は有に問い返す。
「有は、どうすんの?」
「よく分からない」
 そう、言われてみれば、考えたこともなかった。この街を出て行くなんて、何が起きたってイメージしなかった。そのことに有は気付かされる。
 圭一の話は曖昧で釈然としない部分が多かったけれども、その言葉を聞くと栗江市神村は最小単位で完結した無気力な世界であり、ゴールに思えたし、一方では春子や功二にとってはこの街はスタート地点、踏み台でしかないこともよく分かった。でも、自分がどちらに属するのか。どちらにつくのが正しいのか。それは分からなかった。
 こうして、また答えを先延ばしにするのかな。
 有は心の奥の方で舌打ちをした。紅く燃える陽の存在しない夕刻までは、まだ時間が残っている。


       

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