Neetel Inside 文芸新都
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 バス停までの長い坂道を下りながら、有は高鳴る鼓動を抑えようとしていた。
 朝からソワソワしてしょうがなかった。服はなにを着ればいいのか、髪は結わえるべきか、挨拶はどうするか、ちゃんと会話が出来るのか……。どうにかして良い印象を与えたいけれども、積極的にいじる気にもなれず。結局いつも通りでいい、という結論に落ち着いたが、それでも失敗への恐れが心の奥底で鎌首をもたげる。それに加えて、久々の晴天だ。視界に滑り込む日差しの角度がなんとも言えず有の心情に煽りを入れ、心の揺らぎがそのまま道路の陽炎の揺らぎに反映されているように思えた。
 地に足がつかない、ってこういうことかな。現実感のなさに駆られて、そう呟きながら、有は自分や周りの景色に目をやった。真っ青な空や、自分が着ている水色のワンピースや白い肌、坂道に沿って生え、緑色の葉を茂らせている桜や、顔を横切る白い蝶などの淡い色合いは白昼夢の表情をして包み込んでくる。アスファルトや自分の影の濃い黒さだけが妙にリアルなのだ。
 しばらくして、整然とした小さなバス停が現われる。壁に張られたガラスがなんとも言えず眩しく、危うい程に白く光る。途端に、鈍いエンジン音を立てながらぼろいバスが追い抜いてきた。有はバス停まで一息に走り、バスより少し遅れて立ち止まった。
 初老の男性と双子連れの母親に続いて、二人の少年を連れた春子が、バスからゆっくり降りてくる。
「先輩、おはようございまーす」
「よう」
「初めまして」
 春子が陽気に手を振ってきたのに続いて、少年達が挨拶した。
「俺、清水圭一。よろしく」
 一八〇センチはあろう背の高い少年が名乗った。顔を見るために上を見上げなければならなかったし、学校によくいるような、カッコつけの少し不良っぽい男子の話し方だったので、有は少したじろいだ。
「あー、怖がらなくていいよ、こいついつもこんなだから」
 もう一人の「中肉中背」という表現がぴったりな、ボサボサの髪をした少年が有をなだめる。
「俺は、中川功二。ナカコーでいいよ」
「あ、えと、わ、私は、蟻村、有、です」
 有はいつになくしどろもどろになってしまった。緊張していた上に、それでも二人の顔立ちの端正さをしっかり認識している自分に気付いたのだ。
「いや、そんなにかしこまらなくてもOK。蟻村さん、高二でしょ? 同い年だから、普通にタメ口でいいよ」
「あ、はい」
「はい、じゃねぇ、うん、だろ」
 不意に圭一が口を挟んだ。圭一は笑みを浮かべていたが、なぜだか怒っているように聞こえてしまい、顔を見ることが出来ない。
「あ、その……。う、ん」
 有は弱々しく答えるのが精一杯だった。逃げ出してしまいたいくらい恥ずかしかったし、早くも圭一に対する恐怖心を植え付けられてしまった。そっと視線をあげ、圭一の方を見て、有は驚いた。圭一は目を細めて微笑んでいた。なんとも言えず親しげな様子で。
「ハハ、可愛いな、こいつ」
「圭一、あんまり先輩を怖がらせちゃダメだよー」
 春子が笑いながら圭一の背中を叩くのを見て、有は安心したが、同時に体力をかなり消耗した気分になった。
「なるほど、シャイでミステリアスな美少女、ね。『廃駅の魔女』にうってつけだ」
 圭一と春子をよそに、功二が感慨深げに言う。
「魔女……?」
 有が聞き返すと、功二は淡々と説明を始めた。
「あぁ。廃駅に不思議な女の子が住み着いてる、って噂になっててね。うちの妹が『魔女だ、魔女だ』って大騒ぎしてたんだけど、魔女の正体は蟻村さんだった訳だ」
「そうなんだー」
 知らない間に魔女にされていたとは。有は少し驚いた。なんの変哲もない人間なのに。
「にしても、魔女とコンタクトがとれるなんて、さすが春子。君は英雄だ。大変な功績だ」
「はいはい、バカ言うのもそこまでにしなよ、ナカコー。二人とも、ちゃんと先輩と友達になれるよね」
 功二の発言を軽く受け流す春子を見て、有は思った。これだけ親密な空気を感じる人達の中に私は入っても大丈夫なのだろうか。
「友達、ね。俺は別にそういうことでもいいよ」
「圭一、そんな適当な答え方ないでしょう。友達の友達は、みんな友達なんだよ」
「へいへい」
 ポケットに手を突っ込んだ圭一は気のない返事をしているように聞こえるが、うきうきした表情がその場の空気を保っている。
「ナカコーは?」
「バッチリ」
 功二はうなづいて、春子に親指を突き出した。
「先輩も、この二人の面倒見られますよね?」
「ちょっと待った、面倒ってなんだよ、新利。俺と圭一が黙っちゃいねぇ」
「黙っちゃいねぇのはお前だけ。俺面倒かけてねぇし」
「はぁ?」
 二人の少年の発言に突っ込みを入れたりスルーしたりし、進行役をとってその場をまとめる春子。功二の言うことにいちいち突っかかってみる圭一。格好を付けては妙に外し、二人に容赦なく叩かれ、それでもヘラヘラしている功二。
 その関係は確かに密接だが、なぜかアットホームなムードができていて、同じクラスの女子同士の関係程は閉鎖的なものを感じない。三人の仲のよさそうな様子を見て、少しずつ心の中の緊張の糸がほどけていくのを有は感じた。この三人の仲間になれたら、どれだけ楽しいだろう。そう思うと、笑わずにはいられなかった。
「アハハハハ」
「そうだよ、笑えよ。笑った方が気分もいいだろ」
 圭一がさっきよりずっと優しげに話してくる。見上げて、一瞬だけその顔を直視する。さっきと同じように微笑んでいた。もう怖がる必要は無さそうだ、と有は思って、春子の方に向き直った。
「うん。しっかり面倒見るよ」
「はい、じゃあそうと決まったら、円陣組もうよ」
 春子の呼びかけで、瞬く間に円陣が組まれた。
「で、組んだはいいけど、なんて言うんだ?」
「そうね、『神高、ファーイ!』でいいんじゃない?」
「あのー、俺神高じゃないんですけどー」
「大体なんで神高の応援するんだよ」
「いいのいいの。さあ、行くよ。せぇの」
 問答無用といった感じで、かけ声は神高、ファーイ!」に決まった。大きく息を吸い込んで、せぇの、と春子は言った。
『神高、ファーイ!』
 そう叫びながら、有は春子の顔、功二の顔、そして圭一の顔を見回して、決意を固めた。
 これでいいんだ。頑張ろう。


       

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