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鳥籠少女
華鳥少女

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鳥篭少女

箸端 文音

(1)華鳥少女
 
 梅雨に突入したと新聞の予報欄で書かれていた通り。今日は朝から雨だった。
 じっとりとした。梅雨特有のまとわりつくような湿気が、シャツを肌に張り付かせ。なんとも不快な気分にさせる。
 それでも、軒先から雨に打たれる紫陽花を眺める事で。幾分かその不快感も和らぐような気がした。
「ちょっと、浩介さん。若い男が昼間から軒先で紫陽花眺めてぼぉっとしてるなんて。あんまり見栄えの良い事じゃありませんよ」
 ばたばたと足音を立てて、廊下の向こうからやってきた福子さんが。私を見つけるなり苦い顔で叱りつけた。
「はぁ……すいません」
 福子さんは、私の家に長年仕えている給仕さんだ。父が家を継いだ頃から我が家で働いている。この家の事で福子さんにわからぬ事など無い。そして、私はこの福子さんが何より苦手だった。
 私だって、好きで痴呆のように一日中、紫陽花を眺めていたいわけではない。
 しかし、この家で私が唯一落ち着ける場所が、軒先にしかないのだから仕方が無い。
 閑静な住宅街の中にあっても、我が家は目立つ。
 江戸時代より続く華道の宗家という非常にお堅い歴史を持つ我が家は。生来怠け癖のある私にはどうに馴染めず。幼少の頃は、私を時期当主にと父は考えていたようだが。一向に鍛錬はおろか、華道に興味を示さない私を見て。最近では半ば諦めているような素振りを見せている。
 後を継ぐのは、妹の千鶴か。外から養子をもらうのか。どちらにせよ、既に私には関係の無い問題だ。
「妹の千鶴お嬢さんなんて毎日ちゃんと朝から起きて学校に登校されてるというに」
「そりゃあそうでしょう。千鶴は高校生なのですから」
「また、そんな事ばかり言って」
「すいません」
 謝る事しかできない。
 私も本来ならば、今頃は大学に通っているはずだった。しかし、私は不出来な人間であったので。華道だけでなく、学業の面でも父や母の期待には応える事はできなかった。
 学校ぐらいは、両親の希望に沿おうと。私なりには努力をしたが。三度受けても、志望の大学には受かる事ができず。四度目の受験の季節、私は勉強する事をやめた。
「たまには、外にでも出てくればよろしいじゃないですか」
「こんな雨の中をですか?」
 雨が降っているから、私はこうして軒先でのんびりと過ごしているというのに。
 なのに、外に出されたのではたまったものではない。
「雨だろうと晴れだろうと、坊ちゃんはいつも家にいるではありませんか。天気なんて関係ないでしょう」 
「それは……まぁそうですけど」
 まったくその通りなので、私は福子さんの言葉にぐうの音も出ない。
 福子さんの言葉は、聞くものには耳が痛いが。実に的を射ているので言い返す事ができない。
「どうせ家でごろごろとしているなら、少し用事を頼まれてはもらえませんか?」
「用事……使いか何かですか?」
「ええ、ええ。ご当主からお使いを頼まれたのですけどね。ちょっと私も今日開かれるお茶会の準備で遅くなってしまいそうですからね。ですから坊ちゃんにお願いしたいと思ったのですよ」
「はぁ、なるほど」
 つまり福子さんは、父さんに用事を頼まれたけれど。他にも多々用事があり。手が離せないので、この家で誰より暇を持て余している僕に少しは手伝って欲しいという事のようだ。
 もちろん、僕には福子さんの頼みを断れるような正当な理由をもっていない。
 本音を言えば、面倒くさい。の一言に尽きるのだけれど……。そんな言い訳が20歳にもなって通用するとは到底思えない。
 そして何より。ここで福子さんの頼みを断ると、後々非常に厄介で五月蝿く。いま僕が思っている以上に面倒くさい状況になる事が目に見えている。
 ならば、どれだけ嫌でも。面倒でも。引き受けたほうが無難と言えた。
「わかりました。引き受けますよ……」
「まぁありがとう。さすがは坊ちゃん、優しいところは昔から変わりませんわね。福子はうれしゅうございます」
「はぁ……」
 さっきまで、散々な事を言われていた気がするけれど。人の評価というのは、こんなにも簡単に覆ってしまうのかと。ほとほと呆れてしまう。
「それで、どこまで行けば良いのですか?」
「なに、簡単なお使いですよ。商屋町でお花をいくつか買って来て欲しいんですよ。菫を一束ほど」
「商屋町なら日比野花店ですよね」
「ええ、ええ。そうです、そうです。綺麗に開いているやつをお願いしますよ。お代はご当主から頂いてますからね」
 そう言って、福子さんは懐から財布を取り出し。伍千円札を僕に手渡した。
「帰りにお釣りで甘味でも食べてきなさい。なんてご当主は言ってくださいましたけどね、今日はそういう訳にもいきませんから。坊ちゃんが何か食べてきてくださいな」
「あまり甘味は好きではないのですが……」
「もう、そこは甘味じゃなくてもなんでも良いんですよ。私なんかはね、お仕えしてる身ですから。お釣りを全部使うなんてはしたない事はできませんけど、坊ちゃんは全部使ってしまっても怒られないんですから。好きなものを召し上がるなり、本を買うなりすれば良いんですよ」
 それは、どうだろう?
 僕と父さんの仲はあまり良好とは言い難い。なので、さすがに釣り銭を全部使い込んだら怒鳴られる……とまではいかないまでも、嫌味のひとつも言われるのではないだろうか。
「とにかく、任せましたからね。夜道は危ないですから、暗くなる前には戻ってくださいよ」
 まるで、子供扱いするように福子さんは僕に言い聞かせ。慌ただしく、ばたばたと足音を響かせながら廊下の奥へと消えていった。
 再び静寂を取り戻した縁側には、しとしとと雨が降る音と湿気に包まれた。
「面倒臭いなぁ……」
 手に握ったままの伍千円札を財布に仕舞い。すっかり素早く動く事を忘れてしまった体を引きずり、のろのろと玄関に向かった。
             

     

     *
     *

 突っ掛けを履き。雨傘を手に外に出ると、雨のせいか人通りは随分と少なかった。
 私の家から商屋町までは片道二十分ほどの道のりである。とぼとぼと舗装されていない土道を歩く。何も気にせず突っ掛けを選んだ私の足は、すでにぬかるんだ道の泥を浴びて汚れている。
 汚れた足下。湿気と汗をたっぷりと吸って重くなったシャツ。ぽつぽつと傘に当たる雨音。
 なんとも寂しい気持ちになる。
 子供の頃は、よく商屋町まで足を伸ばし遊んでいたので。抜け道なども知っている。
 家から10分ほど歩き、途中で雑用市場を抜ける道だ。
 当時、私がその道を使っている事を知った大人達な。口々に私を叱りつけた。
 子供の頃にはわからなかったが。高校にあがる頃にはその理由がよくわかった。
 雑用市場というのは、どうやらこの辺り一帯の暗部らしく。商人や武家。我が家のように華道の家元であったりといった特別な家系の者や、商いをする者が多くすむこの地域にあって。それらからも一般階級からも外れた人達が生活のために普通の商人では扱わないようないかがわしい薬や商品を並べた露天を祖とする場所だったのだ。
 今にして思えば。よく10にも満たないあの頃の私が何度もあの場所を通って何の災難にも巻き込まれなかったものだと思う。 
 もちろん、大人だから安全というわけではないのだけど。雑貨市場にある飲み屋なんかは、馬鹿みたいに値段が安いらしく。よくうちに出入りする大工の大将なんかは、時々そういった話を大声でしては母や父に苦い表情をされていた。
 曲がり角が見えてきたので、バラック小屋が立ち並ぶ住宅街の路地に入る。すると、間もなく薄暗く静まり返った雑貨市場の景色が目に飛び込んでくる。
 この辺りに住む人だろうか。買い物をしている客はいるのだけど、皆一様に口を閉ざし。買い物を済ますと、落ち着かない様子で逃げるようにその場を立ち去って行く。
 我が家の中に流れる、騒がしくものんびりとした雰囲気とは明らかに違う異質な世界がここには存在していた。
 あまりきょろきょろとするのも不自然なので、私は横目で店先に並べられている商品を盗み見る。
 なんの説明もなく店先に「肉」と赤いペンキで書かれただけの看板。 そして、何の説明もなく「300円也」とだけ書かれた書かれた値札の隣には真っ赤な肉が固まりで置かれている。「酒 一杯50円」などという看板を揚げている居酒屋なども見てとれる。
 物の善し悪し……は別として、確かにこの市場の物価は信じられないほど低い。
「お兄さん。良いものが入っているよ。ちょっと見ていかないかい?」
 市場も半分を過ぎようかという時。いきなりしゃがれた声の男に呼び止められた。
「申し訳ないですが、私は使いを頼まれていまして。先を急ぐのです」
 こんな場所である。あまり相手を刺激しないように、やんわりと断る。
 しかし、男はそんな私の対応などお見通しのように、笑いながらも食い下がって来る。
「いやいや、何も無理矢理に物を押し売ろうってわけじゃあないんです。ただね、ちょっとでもお時間があるなら、一目でもうちの商品を見て頂ければなと思いましてね」
「本当に結構なので……」
 半ばうんざりしながら、その場を立ち去ろうとすると。店主は私の腕を掴んだ。それは、振り切れないほどに強いものだった。
「見るだけ。見るだけでいいですから。一目見て頂ければ、絶対に気に入りますって」
 そう言って、店主は私の腕を掴んだまま。店先へと引き入れ。大きな藍色の布が掛けられた膨らみの前に立たせる。
「こいつが私の商品でしてね。この辺じゃ私のところでしか扱っていないんですよ」
 店主は自信に満ちた表情で、一気に布を取り去った。
 私は自分の目に映る”ソレ”を見て、全身が硬直してしまう。
 取り払われた布から出てきたのは大きな鳥籠だった。
 でも、中に入っているのは鳥ではない。鳥籠の大きさに見合うように入った、裸体の少女。
 少女の入った籠が10個ほど並べられている。歳の頃は十六ぐらいだろうか? どの少女も肌が透けるように白く、籠の格子の向こうから、大きな瞳を一斉に私に向けてくる。
 その瞳の虹彩は深く。見つめ合ってしまうと、吸い込まれそうで私は怖くなり反射的に目を逸らした。
「お兄さんはまだお若いから知らないかもしれませんがね。これはね、愛玩動物の一種でしてね」
「愛玩動物って……どう見ても人間の女の子じゃないですか」 
「ああ、まぁ。見た目は人間ですけどね。でも、それだけです。この子らはね、愛玩されるためにだけ造られた生き物でしてね。だから、ほら。綺麗な肌や顔をしてるでしょう?そういう風に育つように交配を繰り返してきましたからね」
「ちょっと待ってもらえますか、あの……」
 店主の言う事は突然で。いきなりこんな風に見せられても、混乱が増すばかりだ。
「確かに。確かにそれはそうですね。すいません、仕事上ついついこんな風にまくしたてる癖がありまして」
「なんていうか、非常に興味深くはあるんですが。今日はただ花を買いに来ただけなので、私には貴方の商品を買うようなお金は持ち合わせていないんです」
「ああ、なるほど。なるほど。いや、それはそうでしょう。お兄さんは今日私の店を目的に来たわけじゃないんですから。私もそれはわかっていますよ」
 だったら。といって、店主は私を店の奥へと招く。早く使いを済ませたいのだが、店主がしつこく手招きするものだから。仕方なく私は数歩だけ店の中に足を踏み入れ、薄暗い店内に目を凝らした。
「これはあんまり出来がよくないもので、店先には出せないんですけどね。でも、その分値段もお安くしてるんですよ」
 暗闇には店先にあったのと同じ形の鳥籠がぽつんと置いてあった。中には同じく白い肌の裸体の少女が座り込んでいる。
 ただ、他の少女達と違うのは。私をじっと見るのではなく、目の前の少女は長い睫毛でその瞳を儚げに伏せている事だった。
「こいつはね、出来損ないでしてね。こういうね、籠娘はね、本当は買い手のお客さんに従順に従うように造られてんですがね。ほら、こんな容姿でしょう、ソレ目的で買う人がほとんどなんですけどね。こいつだけは買い手にえらく反抗しましてね。それで突き返されたってわけなんです」
「それで、安いんですか」
「そうなんです。そうなんです。仲間の業者に安く売り飛ばそうかとも考えたんですけどね。でも、とりわけ見栄えだけはえらく綺麗でしょう。だから私も売り物にならないとわかってはいるんですが、なかなか手放す踏ん切りがつかなくて困ってたんですがね。お兄さんなら特別に売ってもいいですよ」 
 そんな店主の話にも、籠の中の少女はなんの反応も示さない。ただ、先程と同じ格好で瞼を伏せている。籠の外の出来事に、なんの興味もないかのように。 
「これだとね。伍万……あ、いや。参万圓で譲りますよ」
 店主は、籠をぽんと叩き。指を三本立てた。
 随分と値引きされているようだが。私の手持ちは福子さんから預かった伍千圓札一枚のみ。とても足りない。
 私は首を振った。
「残念ですが私の手持ちは今、伍千圓しかありませんので。またの機会にという事で」
「いやいや。まずは手付け金だけでも結構ですよ? 後から残りを持ってきてもらっても構わないですし」
 店主は食い下がる。
「これは使いのお金なので。他の事に使っては私が怒られてしまいます」
「そうですか……じゃあ、お使いが終わってからでも結構ですよ?例え千圓でも弐千圓でも。そんな良いシャツを着てらっしゃるという事は、良家の生まれとお見受けしますし。手付けの金額は相談に乗りますから」
「わかりました」
 私は言葉を適当に濁し、踵を返した。
 最後にもう一度だけ少女のほうを見る。
 何の興味も無い事は確かだったけれど、何故か最後に少女を見ておきたいという衝動に駆られたのだ。
 少女は私の視線に気付くと。僅かに瞼を動かし、ゆっくりと私に黒い瞳を向けた。それも一瞬で、すぐにまた瞼を閉じた。
 私も男の端くれだ。朴念仁ではない。美しい、と素直に思う。それは他の少女にも言える事なのだが、それでもなんだかこの少女から漂う儚さは、私の心に僅かに触れるものを感じた。
 それが何なのか。この感覚が何なのか。名前の無い感覚に私は少々戸惑った。
 あまり長居してはいけないのかもしれない。得体の知れない何かに引き込まれてしまいそうな、そんな怖さがあった。
 虫が甘い香りを放つ花に吸い寄せられるような、そんな危険な魅力。
 普通の花ならば良い。でも、もしそれが食虫植物だったら?
 背筋に冷や汗が伝う。
「あの、申し訳ないですが。またの機会に……」
 店主に頭を下げ、逃げ出すように私は店を後にした。
 これ以上、できるだけ周りの景色をみないように。市場の出口の一点のみを見据え、とにかく私は走った。

       

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