Neetel Inside ニートノベル
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 吹き込む風を鉄扉ごと押しのけると、嫌らしいくらいの真っ青な空が開けていた。
 大気を素通りした太陽光はコンクリートの足場にも跳ね返り、上から下から暗順応した瞳孔を挟み撃ちにしてくれる。目を細めて防御態勢をとりつつざらついた感触を踏みしめながら左右を見渡したけれど、やはり何者もいなかった。それも当然だ。真夏日に灼熱地獄で休憩時間を過ごしたい奴なんて、修行中の韋駄天か鳥取の観光客くらいしかいないだろう。
 屋上の端に植えこまれたフェンスまで歩いて、立ち止まる。落下防止にしては高いし、自殺防止には言い訳にしかならない低さだ。緑の網越しにグラウンドを見下すが、テニス部らしい女子がコートで作業をしているだけで他に人影はない。風の子だって冬の川では泳がないだろうし、ましてや汗漬けの制服を着てクーラー無しの午後の授業を受けなきゃならない未来を憂うならば賢明な判断だろう。
 さて、目標を見失ったことだし、トーストされる前にとっとと弁当を食いに戻ろう。
 そう判断して踵を返した僕の周辺視野が違和感を捉える。今度は明順応したせいか、鉄扉の横に見えるその暗い輪郭はペントハウスの影と250%くらいシンクロしていた。確認のために近寄ってみる。
「やあ、会いたいと思っていたよ」
 と、唐突に溌剌と腕を掲げたのは自主廃棄予定クラブの紅一点、黒髪ロングのアクエリ少女であった。意志の充満した瞳を僕宛てに差し向けている彼女の名前はまだ知らない。
「それはよかった。僕もいくらか話したいことが出来てね。ええと、名前は……」
「名前……名前か! なるほど教えていなかったな!」
 演技くさい口調でお察しいただいてから数瞬、彼女は顔を影に隠しつつ、
「ええと……あく……ぽ……けい……」
 などと朦朧状態で残したダイイングメッセージのように意味深な呟きを交え、
「ケイコかな。ケイは……そうだな、契約者の契にしようじゃないか」
 このさい作り名とか名字だとかは置いておこう。
「そうか。契子さん」
 正座した彼女の太ももにちょんと乗っかる、見覚えのある箱に視線を落とす。
「おいしそうな弁当だね」
「そうだろう、君の弁当だからな」
 あっさり自白しやがった。包みと箱が被っただけかと疑った自分に謝りたい。
「まあ座ってくれ」と上から目線の提案を受けて、示された隣の位置に腰を下ろす。日陰はそれなりに涼しく、太陽に比例するように刺々しくなっていた心も幾分落ち着いた。夏相応には違いないけれど。
「憧れていたんだ」
 右手に弁当用の短い箸を持ったまますっと目を細め、柵向こうの青空を見やる契子さん。
「屋上で弁当を食べるシチュエーションにね。すこぶる青春を感じるだろう」
「自分で作れよ」
「し、しかし、そうはいうが。私は鍋もコンロも食材も何一つ持ち得ていない。だからその……教室を訪ねた時に弁当箱だけが寂しく取り残されているのを見て、千載一遇のチャンスというか、据え膳くわぬは女の恥というか」
 苦笑いを浮かべて顔色を覗ってきたので三白眼で返事してやると、不審気味だった挙動が縮まっていく。
「すまなかったと思っている……だが後悔はしていない!」
 断言される。開き直りとはこのことか。
 世の中に人が大量にいれば、その趣味も様々だ。それに関しては異論も意義も、改変だって唱えるつもりはない。人類共通で同じ趣味ならば一見平和そうで、資源や土地の拡大を目指してさぞ醜い争いが頻発するに違いない。だからその多様性は、少なくとも、自らの目的と競合しない限りは傍観なり是認すべきなのだ。
 要約するならば、趣味なんて自分に被害が及ばなければ構わないし、今回のケースはもはや手遅れなのである。
「お、怒らないのか」
 溜息とも感嘆ともつかない生返事を発した僕に、硬度が増してそうな表情筋と質問文を投げ掛ける契子さん。
「経験が欲しかったのなら次回はないだろう。それに、一度目は許すことにしているんだ」
 責めることを厭うほどに無気力ともいう。口に出しては言わないけど。
「なるほど、自律的に反省し改善する兆候が見られれば、責めるだけ時間と労力を無為にするわけか。相手にしても合理的だ。しかしそうだな、正当に私を攻撃する利益を放棄されているわけだから、これは借りと捉えるべきか‥…捉えるべきなのだろうな」
 僕の詭弁をなにやら真剣に掘り下げているところ悪いのだけれど、いくらボーリングしようと空洞以外には到達しないと思われる。
「別に大したことじゃないだろう。実行に至った過程はともかく、ほんの僅かな損害じゃないか」
 メードバイミーではないので原型は把握しかねるが、視線を流した分には白米(ワカメふりかけ付き)の隅に遠慮がちな穴が空いているのみで、一口どころか半口にも満たない被害状況は至って軽微だ。放っておいたらどうなっていたかは知らないけれど。  
「雰囲気が手に入れば、それで十全なのだよ」
「だったら、そんなものは端数扱いの切り捨てで構わないと思うけど」
 無闇な堅実さは相手にもそれを強要するのだ。ただし善人に限る。というのは建前かつ任侠な矜持をもたない僕にはどうでもいいことであり、率直なところそんな主張は、白米半口分のポカリスエットを払い戻されても何ら嬉しくはないだろうという先見の明にもとづいている。
「そうはいかない。物事には決着をつけねばなるまい。そのほうがすっきりする。しかし些事を気に留めない心意気もよく理解できる。そこで、よい提案があるのだが」
 いっそ120円分食わせたまえ、とかいう台詞を予想していたのだけれど、続く言葉は空白で、なにやら箸で弁当箱をつつき回し始めた契子さんを静観していた僕の眼前に、はやにえ状態の卵焼きが出現した。
 食えということだろうか。昨今のにわかメイドさんのようにサービス料で相殺しようとする魂胆なのだろうか。惜しむらくは僕は病人でなければ両肩から先に故障もないため、この心遣いのような何かからむしろ手間と時間を増大させるノーセンキューな予感ばかりがひしひしと伝わってくることくらいだろう。メイドさんをなめているのか。多忙な彼女たちがどこぞのカフェみたいに色んな意味で甘い作業ばっかやってると思うなよ。
 とりあえず食べる。普通に甘かった。

       

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Neetsha