Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

 それから幾つかの月が過ぎ山が緑から茶色へ、畑が一仕事終え、冬の気配が感じられる季節になった。結局この年桜は咲くことなく時が止まったかのように蕾の状態で静止していた。
 この時期になるとこの町の若い男の人たちは出稼ぎに里を降りていく。冬の間は街で行商や大工などして春までの食い扶持を稼ぎに行く。次郎さんはそんなことをしなくてもいいほどの稼ぎを持っているが里の者と同じ生活をしなければならないといって行商に出ることにした。
 あれから私と次郎さんははれて夫婦となった。私にとっては身に余るほどのいい夫であった。行商の才があったようで父上の商いを直ぐに飲み込みすでに成功といってもいいほどの成果を収めている。また村の者とも交流を行い商いの合間にも畑に出て手伝いのようなことをしていた。本当に内外含めよい夫であった。
「どうしたお七、何か心配かい?」
 次郎さんが荷造りの手を止めてこちらを振り向く。明日から里を降りるためその準備だろう。
「申し訳ございません。本来ならそのような雑多ごと妻である私の役目でありますのに」
 次郎さんは良いと一言発すると荷物に手をかけた。長い旅になるのだから結構な荷物の量になると思ったのだが思いのほか小さな風呂敷一枚であった。
「こちらこそ悪いと思っている。前々から決まっていたとはいえ体調の優れないお前を一人でおいていくことになってしまって」
 次郎さんは顔を上げると庭を見た。私もつられてそちらを見る。時の止まった桜がそこにはあった。
「あの桜がどうかしましたか?」
「いや、どうということはないがあのような立派な木でも老いて枯れる事があるのだなと思っていたのだ。お七は春に話した桜の話を覚えているかい?あれはあながち嘘ではないのではないかと思えてくるよ。こうして人の心を惹くにはそういった理由があるのではないか。無念や願がこうして桜を美しくそして、もの悲しげに咲き誇らせる。あの桜を見ていると殊更そう思う」
 次郎さんはそう言うとまた荷物に手をかけた。
 そうか、そうだったのか。なぜ早く気がつかなかったのだろう。人だって食べ物がなければ飢える。植物も同じだ。養分がなければ飢えるのは当然だ。花が咲かないのは当然だ。なぜ早く気づかなかったのだろう。なぜ桜からの言葉に耳を傾けなかったのだろう。
 私は気がつくと次郎さんの首に手をかけていた。苦しそうにもがく。そうか、あの木もこのように苦しんでいたのだろう。今楽にしてあげよう。次郎さんが何か言っていたが何を言っているのかわからない。それは桜の叫びなのだから私には理解できない。次郎さんの体から力が抜けていく。もう完全に動かない。その様はまるで桜の木のようだった。
 私は庭に出ると桜の根元を掘った。根を傷つけないように細心の注意を払い丁寧に掘っていった。二刻ほど経ったであろうか。人が一人埋まるほどの穴をようやく空けることができた。そこに次郎さんだったモノを入れる。そして上から土を戻す。これでいいのだ。これできっとこの桜は立派な花を咲かせるだろう。満開の花を咲かせ人々を、私の心を楽しませてくれるだろう。
 
 次郎さんは朝早く旅立ってしまった。その二日後そこには狂い咲きの立派な桜が聳え立っていた。本当に美しい。母上は次郎さんも見れれば良かったのにと言ったが次郎さんはきっと今も見てくれている。なにせこの立派な花を咲かせてくれたのは次郎さんなのだから。私は今でも桜と同じくらい次郎さんを愛している。それはこのサクラが安泰のうちは変わることはない。

  コトシモワタシノサクラハウツクシクサイテイマス

                         完

       

表紙
Tweet

Neetsha