Neetel Inside 文芸新都
表紙

サクラに纏わる幾つかの物語
お七のサクラ

見開き   最大化      

「父上、この桜はいつからあるのですか」
「そうさなぁ、先々代の時にはもうあったらしい。その頃から立派に咲いていたそうだ」
「へぇ、とても長生きなのですね」
「お七は桜が好きかい」

「はい、大好きです。特にこの桜が・・・」



朝日が部屋にさし、庭の鶏が一鳴きする。
私はそれで目を覚ました。いつもの時間いつものように行動する。そんな決められた毎日。苦痛は感じない。それが幼少の頃からの日常だったから。
「お七様、朝餉の準備ができてございます」
世話役のばあやが呼びにくる。元々一時奉公に来ていたらしいがそのままずっと残り家の手伝いをしている。
「わかりました、すぐ参ります」
私は服を着替えると居間へと向かった。庭の向こうに見える田畑はようやく雪も融け、今年の春の始まりを囁いていた。
縁側を渡り居間の障子を開けるとすでに父上と母上は座っていた。
「おはよう」
「おはよう、お七」
「おはようございます、父上、母上」
私は二人に挨拶をすると母上の正面に座った。
「では頂こうか」
父上の声で朝餉が始まる。
父上はこの土地の地主でありながら商いで成功を収め、この辺りはもちろんのこと、遠方からも度々客人が訪れるほどだった。
朝餉を終え茶を飲みながら落ち着いていると父上が口を開いた。
「お七、お前ももう十七だ。私が言うのもなんだがお前はお初に似て顔も美しいし気立ても良い。求婚も私のところへ届いておる。そろそろ婿をとってはどうだ」
私はこの話が嫌いだった。
「考えて・・・おきます」
そう言って私は立ち上がり部屋をあとにした。
縁側に出ると朝霧も晴れ遠くの山々までくっきりと見えた。田畑ではもう何人か作業を始めている。
緑に染まり始めた山と田畑やそこに見える人々が美しい絵の様に見え私はしばらくその風景に見とれていた。
「お嬢様、いかがなされましたか?」
その声で私は現実に引き戻された。食事の片づけが終わったのかばあやがいつの間にか後ろに立っていた。
「ばあや、なんでもないのです。この風景が美しいなと見とれていたのです」
そういうと私は縁側に腰を下ろした。ばあやも失礼しますといって隣に腰を下ろした。
「まことにそうでございますねぇ。春になり百姓たちも動物も、これからの仕事の準備に追われているようです。ほら、そこの桜の木も」
ばあやが指差す方向には大きな桜の大木があった。樹齢100年は超えるであろうこの木は数多くの古いものがある中でも一際存在感を放っていた。その木の枝を見ると確かにまだ小さくはあるが確かに蕾が芽吹いていた。もう少し日が経てばこの大きく張り巡らされた枝々に埋め尽くさんばかりの花が咲くことだろう。
「お嬢様は昔からあの桜の木が好きでどんなに夜鳴きしたりぐずったりしても、あの木の下に行けばいつの間にかおちついてらっしゃいましたね」
ばあやはそういうと目を細め遠くを見つめているようだった。私自身には記憶はないのだが今でも何かあるとあの木の下へ行く。なぜかはわからないがあの木の下がとても落ち着く。大きな木に抱かれ何も考えず、見るともなく惚け静かにしていると心が落ち着く。それはあの木に限らず桜、全てにおいてそうなのだがあの木は殊更それが良く感じられる。
「桜といえばお嬢様」
ばあやが唐突に口を開く。
「二つとなりの村の大きな桜のある御家をご存知ですか?」
二つとなりの村の大きな桜の家。私はさて、と考えた。大きな桜の家。思い出した。あれは昨年のことだったか父上とともに街へ降りた折通りかかった。高い塀から窮屈そうに頭を出しているそれは大きな桜の木だった。父上とうちの桜とどちらが大きいか話したのだ。そのとき私があまりにも桜々言うものだから父上は面白がって私が桜に呪われてるのではないかと笑っていたのを思い出した。今思い出してもあそこまで必死な自分は恥ずかしいものであったと思う。
私はそれを忘れるように頭を一振りするとばあやに話の続きを促した。
「ええ、どうやらその家の方からも求婚の文が届いているようですよ。お嬢様があまり乗り気ではないことは知っておりますが大変良い方です。その地の分限者ではありますが次男ということでこちらへの婿入りを希望しているそうです。あの辺りでは結構な良い方とのお噂ですよ、お嬢様」
ばあやが嬉しそうにこちらを向く。反対に私の心は曇る。
私はこの話が嫌いだ。
結婚というものに嫌悪があるわけではない。むしろ結婚はいいものであると思っている。好いた男女が夫婦となるのは大変良いことだと聞いている。私もそう思う。だが見合いというものがあまり好きではない。初対面の者が互いを互いに好くことを強制されるような気がしてあまり好きではない。合わなければ断ればいいのだが両親の手前や相手方への失礼となりそうで私は断れる気がしない。ならばはじめから受けなければ良いという考えに至った。逃げている考えだとは思うがこれ以上にいい考えが思いつかないのだからしょうがない。
だがこのばあやの嬉しそうな顔をどうすべきだろうか。父上から見合いのことを言われたことはこれまで何度もある。その度にばあやに相談を持ちかけていた。私の見合い嫌いは百も承知だろう。それなのにここまで自信を持って薦めてくる。相当良い方なのだろう。
ばあやは私の全てを知っている。父上や母上以上に相談事を持ちかけたりした。そのばあやがこれだけの自身をもって薦めてくるのだから私にとっていいことなのだろう。
「お嬢様、少し考えてみてはいただけないでしょうか?」
ばあやが頭を下げる。十七にもなって身寄りの定まらない私をばあやなりに心配してくれているのだろう。私は渋々ではあるがその申し出を受けることにした。

     

それから数日の時が経った。父上も母上も私が見合いを承諾したことに驚き、そして喜び直ぐに先方への返事の文を書いた。先方も乗り気らしくトントン拍子で話が進んでいった。そして話が進んでいく度私は気分が沈んでいく。ばあやの頼みとはいえ軽はずみすぎたかもしれない。私はそんな後悔に苛まれる度に桜の元へと向かった。
この木はいつ、どんなときでも私の思いを受け止めてくれる。私がいくら思いをはいてもこの木にとっては些細なことでありそんなことではびくともしないだろう。何も語らない、触れない。だがそんな無言の優しさが今の私には嬉しかった。日に日に回数は増え最終的にはほぼ一日中木の元で過ごしていた。
そして見合いの日。家の中は朝から大忙しのようだった。私の部屋の前を何人もの人が走り去りまた戻ってくる。私自身は初めてのことなので戸惑っているとばあやがきて一日の流れを説明し着付けに入った。その着物ははじめてみるものだった。淡い桃色の中にもしっかりと桜の模様が刻まれている。決して華美ではないが存在感はしっかりとあるとてもよい着物だった。
「これは?」
「はい、奥様が嫁入りの際着てきたものです。奥様直々にこれを着せてくれとのことで」
「母上が」
母上がこのような着物を持っていることにも驚いたがそれ以上に母上の思い出の品を私が着ても良いものか戸惑った。


着付けが終わると私は一度庭へ出て桜の元へと向かった。このところ桜の調子がおかしい。例年ならばすでに満開の花を見せているところだがまだ蕾が膨らんだ程度だった。周りの桜はもうすでに満開だ。この桜だけが狂い咲くわけでもなくまだ花をつけていなかった。
「この桜もそろそろ寿命なのかねぇ」
父上が後ろから声をかけてきた。
「そう、なのでしょうか・・・」
父上の寿命という言葉が心に響いた。寿命がきたらこの木は切られてしまう。それは私の心も共に切られてしまうような気がした。
「何とかならないのでしょうか」
父上のほうに向き直ると父上も考え込んでいるようだった。
「私もこの木を切るのは惜しいが・・・そんなことより、そろそろ始まる。部屋へ行こう」
父上はそういうと踵を返しあるいていった。私は後ろ髪を引かれながらも父上についていくしかなかった。


間もなく見合いが始まった。お相手の方は次郎さんとおっしゃるそうだ。顔立ちはすっきりしておられ実に好青年という雰囲気だった。話した印象もとてもよい。ばあやが私に薦めた意味がわかった。
しばらくすると二人だけで話す時間が設けられた。私が話す機会を模索しているとあちらから話してきた。
「どうかなさいましたか?先ほどからあまり優れないようですがこの度の縁談好ましくなかったですか?」
どうやら明るく振舞っていたつもりでも桜のことを考えているのが出てしまったらしい。
「いえそんな、私は次郎さんにお会いできて大変嬉しく思います。次郎さんでなかったら縁談をお受けしなかったと思います」
「それは良かった。私も貴女のような方に出会えてよかったと思います。これからも末永くよろしくお願いしたいのですが」
次郎さんは少し不安の混じったような表情で聞いてきた。私に断る要素は何もなかった。
「こちらこそ末永くよろしくお願いいたします」
そういって頭を下げる。次郎さんも頭を下げたのが雰囲気でわかった。
「ではなにか他に心配事が?」
私は桜の様子がおかしいことを伝えた。
「そうですか、それは心配ですね。話は少し変わりますが桜といえばこのようなお話をご存知でしょうか。桜の根元には人であったモノが埋まっていてその血で桜を染め、そのオモイで桜を咲かすといわれているそうですよ。小さい頃その話を聞いてうちの桜の木の下には死体が埋まっているんじゃないかとこわくなったことがありました。今考えると馬鹿馬鹿しい話ですけどね」
そういって次郎さんは笑った。私もつられるようにして笑ったが内心では納得していた。
あの妖艶に咲き乱れる様子はそうだったのか。私があそこに行くと落ち着くのは様々なオモイが詰まっている桜だからこそ私の思いも不安もかき消してくれるのだと。
私は開け放たれた障子から見える桜の木を見ながらそう思った。

     

 それから幾つかの月が過ぎ山が緑から茶色へ、畑が一仕事終え、冬の気配が感じられる季節になった。結局この年桜は咲くことなく時が止まったかのように蕾の状態で静止していた。
 この時期になるとこの町の若い男の人たちは出稼ぎに里を降りていく。冬の間は街で行商や大工などして春までの食い扶持を稼ぎに行く。次郎さんはそんなことをしなくてもいいほどの稼ぎを持っているが里の者と同じ生活をしなければならないといって行商に出ることにした。
 あれから私と次郎さんははれて夫婦となった。私にとっては身に余るほどのいい夫であった。行商の才があったようで父上の商いを直ぐに飲み込みすでに成功といってもいいほどの成果を収めている。また村の者とも交流を行い商いの合間にも畑に出て手伝いのようなことをしていた。本当に内外含めよい夫であった。
「どうしたお七、何か心配かい?」
 次郎さんが荷造りの手を止めてこちらを振り向く。明日から里を降りるためその準備だろう。
「申し訳ございません。本来ならそのような雑多ごと妻である私の役目でありますのに」
 次郎さんは良いと一言発すると荷物に手をかけた。長い旅になるのだから結構な荷物の量になると思ったのだが思いのほか小さな風呂敷一枚であった。
「こちらこそ悪いと思っている。前々から決まっていたとはいえ体調の優れないお前を一人でおいていくことになってしまって」
 次郎さんは顔を上げると庭を見た。私もつられてそちらを見る。時の止まった桜がそこにはあった。
「あの桜がどうかしましたか?」
「いや、どうということはないがあのような立派な木でも老いて枯れる事があるのだなと思っていたのだ。お七は春に話した桜の話を覚えているかい?あれはあながち嘘ではないのではないかと思えてくるよ。こうして人の心を惹くにはそういった理由があるのではないか。無念や願がこうして桜を美しくそして、もの悲しげに咲き誇らせる。あの桜を見ていると殊更そう思う」
 次郎さんはそう言うとまた荷物に手をかけた。
 そうか、そうだったのか。なぜ早く気がつかなかったのだろう。人だって食べ物がなければ飢える。植物も同じだ。養分がなければ飢えるのは当然だ。花が咲かないのは当然だ。なぜ早く気づかなかったのだろう。なぜ桜からの言葉に耳を傾けなかったのだろう。
 私は気がつくと次郎さんの首に手をかけていた。苦しそうにもがく。そうか、あの木もこのように苦しんでいたのだろう。今楽にしてあげよう。次郎さんが何か言っていたが何を言っているのかわからない。それは桜の叫びなのだから私には理解できない。次郎さんの体から力が抜けていく。もう完全に動かない。その様はまるで桜の木のようだった。
 私は庭に出ると桜の根元を掘った。根を傷つけないように細心の注意を払い丁寧に掘っていった。二刻ほど経ったであろうか。人が一人埋まるほどの穴をようやく空けることができた。そこに次郎さんだったモノを入れる。そして上から土を戻す。これでいいのだ。これできっとこの桜は立派な花を咲かせるだろう。満開の花を咲かせ人々を、私の心を楽しませてくれるだろう。
 
 次郎さんは朝早く旅立ってしまった。その二日後そこには狂い咲きの立派な桜が聳え立っていた。本当に美しい。母上は次郎さんも見れれば良かったのにと言ったが次郎さんはきっと今も見てくれている。なにせこの立派な花を咲かせてくれたのは次郎さんなのだから。私は今でも桜と同じくらい次郎さんを愛している。それはこのサクラが安泰のうちは変わることはない。

  コトシモワタシノサクラハウツクシクサイテイマス

                         完

       

表紙

成瀬成 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha