Neetel Inside ニートノベル
表紙

天国まで3階級
第三部

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 ころ、ころ、ころ……

 ところで俺のじいちゃんはハムスターを飼っていた。動物全般が平気な人だったが、ハムスターに限っては特に入れ込みようが激しくて、盆の休みにじいちゃんに遊びにいった孫の俺とその時飼っていたベツヘレムの星(注:ハムスター)を見比べて、じいちゃんはこういった。
「おまえとベツヘレムの星、どちらかが溺れていたら、俺はベツヘレムの星を助ける」
 俺はじいちゃんにハムスター以下扱いされたことよりもじいちゃんのネーミングセンスと脳みそのエラー具合の方が心配だったのでさほど気にならなかったのだが、いまになって思えば、あれが俺の心の原風景だったんじゃないかなと思ったりもする。人間にはそれぞれ大切なものってのがあって、それは『じいちゃん』が『じいちゃん』であることよりも優先される事柄なんだなって。じいちゃんはじいちゃんだけど、その前にベツヘレムの星を可愛がる一人の男であって、それと孫の俺とは全然関係ないことなんだなってなんとなく知った。
 で、じいちゃん、俺が小学校四年生の頃、夏休み総出で他校と殺し合いをしている間に人知れずぽっくりと逝っちゃった。82歳。大往生だったと思うし、だいぶ前から「ドラゴンボールもスラムダンクもないジャンプなんか読みたくねえから早く死にたい」とかナメたこと言ってたから、まあそれほど親戚一同も悲しがったりはしなかったと思う。
 そのじいちゃんが、今、俺の前にいる。
 じいちゃんはコタツの中に入って、ベツヘレムの星をハムスターが中に入って転がして遊ぶためのボールがころころ動くのを死人みたいな目つきで眺めている。じいちゃんの目つきが死んでいる時は安心している時で、おやじいわく「ばあちゃんが家にいる時も死んだ目をしていた」とか言っていたがそれはちょっといろいろ複雑な意味合いがあったんじゃないかと思うのだが、まあそれはとにかく。
 じいちゃんはなぜか若返っていた。俺そっくりだ。油断すると和服を着た俺がコタツで死んだ目をしているようで不気味なことこの上ない。隔世遺伝ってすげえ。
 俺はとりあえず、じいちゃんとは反対側のコタツに足を突っ込んだ。
「燐よ」
「なんだいじいちゃん」
「このコタツ、コンセント入ってねえんだ」
 早く言えよ。寒い思いしたじゃねーか。俺は手を伸ばしてコンセントにプラグを突っ込んだ。
「ありがとよ、俺ァ孝行孫を持ったぜ」
 コンセント差すだけでずいぶんな褒めっぷりである。
「はあ……」
「なんだよじいちゃんため息なんか吐いて。年寄りは元気にしてなよ」
「無茶言うなよ」
 無茶か? そうなのかな。
「ったくよー、年々目とか耳は利かなくなって来たし、ベツヘレムの星の背中はハゲてくるしよー。俺の髪の毛を移植してやりてえぜ」
「黒いハムスターってキモくね?」
「なに言ってんだよ、おま、ほんとバカだな。誰に似たんだ」
 とりあえずあんたの孫だ。
 じいちゃんは顎をテーブルに乗せてぱくぱく喋った。
「黒ってのはおまえ、格好いい色の代名詞じゃねーか。金と混ぜたらおまえやばいことになるよ? しかもプロトタイプとかになったら主役機を食っちゃうよ?」
 なんの話だよ。また変なアニメの再放送ばっか見て余計な知識を蓄えたなこのジジィ。若々しいにもほどがあるぜ。
「じいちゃんって若いよな」
 言ってみると、カカッとじいちゃんは笑った。
「若いだの若くないだの言うのがめんどくせーだけだよ。俺ァな、戦争が終わった時にはまだガキで、ぷらぷらして暮らして、学もないし、周りに生かされてきたよーなもんだ。だからさ、まだ大人になれてねーんだよな。ガキのまんまなんだよ」
「へえ……」
 じいちゃんが昔のことを語るのはあんまりないので、俺は神妙に聞いていた。が、じいちゃんは鬱陶しそうに手を振った。
「よせよ、まじめぶるんじゃねー。俺ァそういうの大っきらいだ。俺ァたしかにおまえより苦労して生きてきたかもしんねー。エアコンもコタツもなかったしな。けどな、べつに俺とおまえが逆の立場でも、おまえはおまえでやっていっただろうし、俺は俺で今の時代をぷらぷら過ごしてただろうよ。どっちが偉いとかそういうのはねーんだ。ただどっちでも、与えられた状況をがんばってこなしていく、それだけのこった」
「ふうん……」
 じいちゃんは背中にぶつかってくるベツヘレムの星の入ったボールを鬱陶しそうに追い払いながら、俺を見た。
「燐よ。やりたくねーことならやめちまえ。ベツヘレムの星みてーに、このボールん中でジタバタするのが好きってならいいけどよ、もしコロコロ生きてくのがかったりいってなったら構うこたあねえ、入れ物なんかぶっ壊しちまえ。それでなんか不都合が起こったら、そん時メソメソすりゃあいいんだよ。考えるなんてバカのすることだぜ」
「そういうもんかね」
「ああ、そういうもんだ」
 考え込む俺に、じいちゃんはにやにや笑った。
「なあ燐よ」
「なんだいじいちゃん」
「熱いからコタツ消してくんね?」
「…………」
 俺はコタツの中にもぐりこんでスイッチを切った。
 まったく、ワガママなジジィだ。




「どうかしたのか?」
 蜂山さんが隣から声をかけてくる。俺はぼうっと、階段の途中で立ち止まってしまっていた。
「あれ? 蜂山さん。俺なにしてたんだっけ」
「階段を昇っていたら急に動かなくなったんだ。どうした?」
「いやー」
 俺はぽりぽり頭をかいた。
「なんか変な夢見た」
 蜂山さんは気の毒そうな顔をした。
「何か嫌なことでもあったのか」
「ストレス性のものじゃねーよ。なんかおまえあれだよ、白昼夢的なやつだよ」
「ふーむ。ああ、そうか……」
 蜂山さんは周囲を見渡した。
「このあたりは神気が濃い。妙な気に当てられて、現実感が希薄になったのかもしれない」
「というと?」
「それだけ、天国が近くなったということだ」
 蜂山さんはバシッと俺の背中を叩いた。
「気張っていけよ、少年」
「うん」
 俺はまた上に向き直って、えっちらおっちら階段を昇っていった。
 光が強くなってきて、すぐに、俺たちは第三層へと昇り出た。


     





 てっきり俺と猫子ちゃんしかいないものだと思っていたし、第三層は寂れたところだと思っていたので、面食らった。
 人がたくさんいる。
 しかも羽つきじゃない。20歳前後の男女が平日の商店街のようにがやがやと行き交っている。これはどういうことだろう。
 そう思い、蜂山さんに聞いてみようとしたとき――
「邪魔邪魔邪魔ああああああ、そこどいてよバカ死ねーっ!!」
 むっ、と脇を見ると口にパンをくわえた女子高生が俺めがけて突っ込んできた。避けるのは不可能そうである。致し方ない。
「シッ!!」

 どガッ

 俺の右フックが少女のテンプルを打ち抜いてダウンを取った。少女は完全にしりもちをついて頭を回している。ふっ……と自分の拳に酔いしれていると蜂山さんが背後から俺のテンプルを打ち抜いてきた。いてーよ。
「なにすんの蜂山さん」
「それはおまえだ。いたいけな魂になんてことするんだ」
「べつに死なないんだしいーじゃん」
 口からパンを落とした少女は回していた目の焦点を合わせると案の定食って掛かってきた。
「なにすんのよバッカじゃないの!!」
「いや……だって、いきなり死ねとか言ってくるし……自分の身は守らなきゃって思って……」
「もう、なに言ってんのよ」
 パン少女は腰に手を当ててちっちっちと指を振った。
「あんたは死んでもいいけど、あたしは死んだら駄目でしょ?」
「やっぱこいつ二度と立ち上がれないダウンさせた方がいんじゃね?」
「そうかもしれん」
 蜂山さんからまさかの同意が取れてしまった。かえって困る。
 俺は早くどっか行ってオーラを迸らせながらパン子を睨んでいたが、どうもやつにはそういう類を察するセンサーが搭載されていないらしい。今の衝撃で壊れたのかもしれない。
「ああ、あんた、新人でしょ? 第三層の」
 俺はこそこそと相棒に耳打ちした。
「なんか一気にネトゲみたいな空気になってきたね蜂山さん。テコ入れかな?」
「なんの話をしている?」
 メタを装ったギャグの話だよ。
「パン子ちゃん、新人ってなに?」
「パン子って何? あたしには穂山美槍って立派な名前があるんだから!」
 そういうテンプレセリフ言ってて恥ずかしくないのかな。
 パン子あらため、パン粉、さらにあらため、穂山はずびしっと俺の全身をなめるように指さした。
「さっき、下から上がってくるのが見えたもん」
「おまえわかってて突っ込んできたのか」
「だってあたしが通るのよ? 退くのが当然じゃない」
「なんで?」
「なんでって……当然だから」
「なんで?」
「…………」
 穂山の目が涙で滲んできた。た、たのしーっ。
 が、蜂山さんがまた俺の後頭部を殴ってきたのでそれ以上はやめておいた。人の頭ってそう簡単に殴っていい場所じゃないと高木は思うんだ。
「説明しておけばよかったな」
 意外にも口を開けたのは蜂山さんである。
「第三層の種目はもう決まっているんだ」
「言ってることが前と違くね?」
「すでに決まってると明かせば、教えろ教えろと言い出すやつがいただろう」
 そういや言い出しそうなやつをゴルフバットでぶん殴ったっけな。名前忘れちった。
「じゃあもういいだろ。教えてくれよその第三層の種目ってやつ」
「わかった。見せてやってくれ穂山くん」
「あたしに命令しないで! ……やってあげるけど」
 めんどくせー女だなー。
 俺が「早くやれ」と手を振ると、穂山はぶつくさ言いながらも俺たちから距離を取り、
「はああああああ……」
 何かをため始めた。
「ふうううううう……」
 俺はなんだか、何もないところで気張っている穂山のぐしゃぐしゃになった気合面を見ていると切なくなってきてしまった。彼女をここまで不細工にさせてまで成し遂げなければならない目的ってなんだろう。穂山、顔面だけが五十歳くらい老けて見えるほど頑張ってくれてるんだけど。なんなの? これなに?
「ぬうううううう……ずあああああっ!!!」
 ぶアッ
 風が吹き抜けて一瞬、視界を覆った。そばを歩いていた魂たちがものすごく迷惑そうにしている。すみません。
 視界が晴れると、そこにいたのはコスプレイヤーだった。
「スモーク炊く必要あったの? これ」
「そんな準備してないわよ!!」
 コスプレイヤー、もとい、穂山は妙な格好をしている。全身を白くて軽そうな鎧で覆っていて、顔面はフルフェイスの兜をかぶって隠している。虫籠状の面頬からわずかに気の強そうなツラが覗いている。
 穂山は手に持った槍をぐるぐると頭上で回転させて、ドンと石突で雲の床を叩いた。また風が無駄に起こって周囲に迷惑が振りまかれる。ほんとすみません。
「これでわかったでしょ?」
「なにが?」
「なにがって……ほら、これ、これ!」
 穂山が槍を俺に突き出してくる。よくよく見れば槍の穂先が金属製の拳になっていて矢尻はないのだが、それでもぶつかったら絶対に痛そうである。俺はぴしっぴしっと突き出されてくる鉄拳をパリングして払いのけた。
「ちょっ、なんで弾くのよ。ほら、ほら」
「やめてください」
「ちょっとお!! 反応がおかしいじゃないのよお!!」
 そんなこと言われても。事前に打ち合わせとかしてくれないとお望みどおりとまでは……
 見かねた蜂山さんが涙目になっている穂山の突き出す槍を掴んだ。
「落ち着いてくれ。人が見ている」
「すげー正論」
 茶化した俺を蜂山さんが恐ろしい目つきで睨んできた。
「いいか、高木くん。君もこの格好をすることになるのだからふざけてはいられないぞ」
「え、俺が?」
「そうだ」
 蜂山さんはこくんと頷き、
「三回戦は、それまで同じトーナメントを勝ち上がってきたもう一人とのタイマン勝負……天使の兵装を身にまとい、決着がつくまで延々と闘う『エンジェル・ウォーズ』だ」
「なんかあんま面白くなさそうな映画のタイトルっぽい」
「そういうこと言うな。見てないくせに」
 なんで知ってるんだよ。
「まあいいや」
 俺は首をぐるぐる回した。
「なるほどね、決着がつくまで……ってことは引き分けありってことか。そこで勝負がつかなかったら次回に持ち越し。だからこの第三層には他のヤツらがウジャウジャしてるんだな」
「君はたまに頭がいい」
 思わぬところで褒められた。
「でもこの格好するのかあ」
 俺は穂山の全身を見回した。
「厨二だった頃を思い出さないと厳しいなあ……なにこのレリーフ? きっとなんの意味もないんでしょ」
「ちょっとさわんないでよ!! そこの天使、蜂山とかいったっけ? このバカちゃんと教育しなさいよ」
「無茶を言わないで欲しい。彼は心の底まで腐っているんだ」
「そっか」
 そっかじゃねーよ。二人して納得しやがって。しかもちょっともう仲良さげだな? 俺をハブったりしたら許さないからね。
「まあ、いいわ」
 と穂山が言った。
「今までのことは水に流してあげる。蜂山さんもいい人みたいだし」
「そうですか」と俺。
「いい人……」と嬉しげな蜂山さん。
 そこで、と穂山が悪戯を思いついた子供のような顔をした。
「ねえ、あたしもさ、ちょうどいい練習相手が欲しかったところだし、手を組まない? こういうのって波長が合わないと駄目なのよ」
「いったいどこで波長が合うと思った?」
「い、いいじゃない別に! こう見えてあたしはもう四戦もしてるベテランなんだから! そのあたしに手取り足取り稽古つけてもらえんのよ? 感謝しなさいよね、このモブ!」
 思うに、この性格のせいで周囲から浮いちゃって練習相手も見つけられないんじゃないかなこの子。だから挨拶と笑顔はちゃんとしようって幼稚園で習ったろうが。
「……」
「な、何よその顔……そうだ、あんた名前は? 名乗りなさいよあたしの名前を知っておいて。生意気よ!」
「馬場天馬です」
「嘘をつくな」
 蜂山さんが深々とため息をついた。
「彼の名前は高木燐吾。ちょっとしたキラキラネームだ」
 え? そうなの?
「りんご? あっはは、あんたの親なに考えてんのお? オトコノコにりんごだって! おっかしーっ! あはははは、ぐぇっ……やめへ……このそうひはしめにはよはいの(この装備は締めには弱いの)……」
「ちょっとしたキラキラネームでもじいちゃんが考えてくれた大切なマイ・ネームだ。バカにするやつはぶっ殺しちゃう」
 俺が手を離すと、穂山は兵装をぷしゅんと解除して元の女子高生スタイルに戻った。それにしてもお前の方がモブだろと言いたくなるような見事なボブヘアーである。
「げほっげほっ……ううっ、あたしひょっとして変なやつと知り合っちゃったんじゃ……」
 穂山が失礼なことをぬかす。こっちのセリフだ。
「二人とも、いい加減どこかへ行こう。この近くに公園があったはずだ。高木の兵装のマテリアライズも練習させてやらねばならんし、そこなら人目にもつくまい」
「わかった。仕方ねえ、ついてこさせてやるよ、ほや……」
 俺は絶句した。
 とっさに顔をそむけたが、たぶん、間違いなかった。
 ……。
 穂山のやつ、今……落っことしたパン拾って食べてた……
「? なに?」
 口をもぐもぐさせながら底知れぬ闇を湛える穂山の瞳を、俺はまともに見られなかった。




     




 俺たちはのこのこと公園までやってきた。第三層は天国が近づいているからか、開放的な空間になっている。心なしか頭上を覆う雲の層も薄く、紫外線をカットできている気配が全然しない。むしろ暑い。
 車止めの逆U字を俺たちは三者三様に格好良く乗り越えて、あたりを見回した。
「誰もいないな」
 うむ、と蜂山さんが頷く。
「練習に専念できていい。高木くん、それではこれから君には天使兵装の召喚儀式を行ってもらう。……聞いてる?」
 俺は地面を這うアリの行列から顔を上げた。
「失礼な、自分のことだぞ! ちゃんと考えている」
「目にアリしか映ってなかったぞ」
 嘘つけ。角度的に見えてなかったろーが。
 俺は落ちていた枝でアリの行列の向きを変更する実験を続行しようとしたが、背後から首根っこを掴まれてやむなく中断した。
「蜂山さん、やめろよ。猫じゃないんだから」
「君は猫並に気まぐれだからこのぐらいでちょうどいい」
 なにそれ? 飼い猫にしてくれるってこと? あー、ちょっとすぐ泣いちゃう子は勘弁かな……女の子はちょっと強すぎるくらいが好みです。
 蜂山さんは俺をブランコのほうへ放り投げた。
「バカやってないで練習だ。穂山くん、君もアドバイスしてくれると助かる……おい何してる?」
 穂山は電信柱と物置の間を三角蹴りで飛び上がっては宙返りを繰り返していた。
「何って、もちろん、平衡感覚の訓練よ」
「そのほんのり赤くなった楽しそうな顔はなんだ」
「練習は楽しくないと意味がないの!」
 俺はうんうん頷いた。さすがゆとり。気持ちはわかるぜ。
「それと水分補給もこまめにしないとな。昔かたぎのやり方じゃ熱中症になってしまう。塩をなめるのも効果的だ」
「あ、でも水飲みすぎると動き鈍るのは本当らしいわよ。極端な話、胃をおされただけで戻しやすくなっちゃうわけだし」
「なるほど、じゃあ自分にあった水分の補給回数・量などを見つけるのが夏場の運動には大切なわけだな」
「そういうことよ。リンゴのくせによくわかってるじゃない」
「くっくっく、リンゴだけに知恵があるってね!」
「ふふっ、それって聖書に出てくる知恵の実だけにってこと? あっはは、面白くなーい!」
 えええええ。まさかの最後で裏切りかよ。ここは共同戦線を張って蜂山さんをからかうところじゃなかったの? 予期していなかった一撃で俺はなんかいろいろズタズタになった。
 がっくり足腰に来てしまった俺を見てゲラゲラ笑う穂山にとうとう蜂山さんがメンチを切った。
「やる気ある?」
「す、すみません……」
 バカめ、怒られてやんの。間隙を縫って俺がちょっと得した形である。このままこっちに矛先が向く前にマジメに戻っておこう。俺はストレッチパワーをため始めた。
「さて、準備運動もしっかりして、天使の兵装をまとわなくっちゃな! ……あれ?」
 蜂山さんが今度は俺に怖い顔を向けてきた。俺、ストレッチパワーうんぬんって口に出してないよね?
 はあ、と蜂山さんは大きなため息をつく。
「君たちの相手をまともにやっていてもラチが開かないな。私が大人にならないと」
「いい心がけだと思います」と俺。
「その調子で頑張りましょう」と穂山。
「……っ!!」
 天使の怒髪が天空を突きかける。怒ると人って本当に髪の毛が逆立つんだなあ、と俺と穂山は顔を見合わせて頷きあった。
「穂山くんはともかく、高木!」
 とうとう呼び捨てである。
「君は天国へ逝きたくないのか!?」
「逝きたいでーす」
 素直に答えたのにくるぶしを蹴られた。だからいてーよ! アザになってんだって!
「だったらもう少しマジメにやったらどうだ! 君の心配をしている私がバカみたいだ……」
「蜂山さん……」
 わずかに声を震わせていた天使を見て俺はちょっと反省する。そうだよな、いくら給料のためとはいえ、それでも仕事はやりがいをもってやった方がいいに決まってるし、蜂山さんだって何も俺が地獄へ落ちて喜ぶわけじゃないだろう。
「わかったよ蜂山さん。ちょっとふざけすぎてたね」
「高木くん、わかってくれたか」
「うん。俺、心を入れ替えて、靴紐を結び直し次第、やる気を取り戻すことにするよ」
「……。じゃあ早く靴紐結び直せば……?」
 なんでまだ怒ってるんだろう。変なこと言ったかな? 俺は靴紐を熟練の手際でちょうちょ結びに仕立て上げてから立ち上がり、ぱしんと拳を手のひらに打ち付けた。
「よーし、じゃ、本番いってみようか!」
「そうね、私だっていつまでも練習相手が基本もできていないんじゃ困るし」
 蜂山さんは頷いた。
「そうだな。私が指導するよりも実戦の先輩である穂山が教えた方が効率がいいだろう。穂山、指導してやってくれ」
「任せておくがいいのよ」
 何語だよ。キャラが混沌としすぎだろ。
 俺の目による突っ込みをモノともせずに、穂山は鉄棒の前で仁王立ちした。
「いい? 天使の兵装を呼び出す時の心得、それはたったひとつにして究極」
 俺はごくりと生唾を飲み込んだ。
「そ、それはいったい……?」
「それは……」
 穂山はカッと目を見開いた。
「気合と根性、愛と勇気、そしてかけがえのない友の死!」
 俺は穂山をぐーで殴った。
「痛いっ! なにすんのよこのバカ! あたしは女の子よ」
「俺より強い女の子は女の子じゃないんだよ!」
 これでも生きていた頃は不良相手の喧嘩じゃほとんど負けなしだったので、言っていることはそれほど間違いじゃない。
「てめーどこのジャンプでそんな単語覚えてきたか知らねーが面白くもなんともねーよ! 後半のかけがえのない友の死ってなんだ? クリリンのことか? とりあえずもう知り合いがおめーしかいねーからおめー殴ったよ!」
「最低! いくらあたしがちょっとやそっとのダメージを被ったくらいじゃビクともしないと知っていたからって、やっていいことと悪いことがあるわ!」
 知らなかったよそんな情報。道理で俺の拳が当たったにも関わらずほっぺがタマゴ肌全開なわけだぜ。なに食ってたらそんな健康的な肌ツヤになるんだよ。
「蜂山ちゃん! あたしもうこいつと組むのは嫌よ! なんかパンチがヌメヌメしてたし」
「うるせーな手汗だよ悪いか! ほら喰らえよもっとベタベタにしてやる」
「ぎゃあああああああさわんないでキモイキモイキモイ!」
 俺と穂山はウロボロスの蛇よろしく公園内でドッグファイトを始めた。ぐるぐる回り続ける俺たちの周囲には砂埃が立ち込め、そしてぶるぶると震える蜂山さんの姿を覆い隠した。
「はあっ……はあっ……やるな、穂山」
「ぜえっ……ぜえっ……あ、あんたもね。ふん、認めてあげるわ。あんたがあたしの好敵手になりうる男だってこと……」
「いや別にいいや」
「あ、そう……あたしも別にいいや」
 なんだよ。最初から言うなよ。もう。
 砂埃が晴れると、穂山がキョロキョロし始めた。
「どうした」
「え? いやなんか、蜂山さんどこいったのかなと思って」
「蜂山さん……?」
 俺も周囲を見回してみたが、確かに蜂山さんの姿がなかった。公園の中を便所からゴミ箱まで探してみたが蜂山さんは見つからなかった。
 俺と穂山は生唾を飲み込んで、お互いを見つめあった。
「……もしかして」
「……たぶん、おまえの考えは正しい」
 俺たちは公園の出口、車止めのU字の向こうを見やった。
 あいつ帰りやがった。
 ええー……いくらなんでも帰る? ちょっとふざけすぎただけじゃん……マジで帰ったの? なんかマジっぽいねコレ。ないわあ。
 穂山が盛大にため息をついた。
「ま、いいや。守護天使なんて別にいなくてもいいし」
「おま、そういうこと言っていいの? 仮にも守護してくれる天使だぜ」
「えー? だって、別になんの効能もないし……正直そりが合わないと気まずいだけだし……」
 悲しいこというなよ。守護天使とそりが合わないって初めて聞いたぞ。
「そういや、穂山の天使はどこいったんだ? 最初に会った時から見かけてないけど。あれか、喧嘩別れで別行動か。おまえやっちゃったな」
 俺のセリフに穂山は笑って手を振った。
「埋めた」
 掘り出せ。
 俺は冷たくなった背筋の指示に従って穂山から距離を取った。どうして俺の周りには変な女子しかいないのだろう。こいつ見てるとなんか昔馴染みを思い出して肋骨がしくしく痛んで来る。
 穂山はふああ、と学名ヒポポタマス、またの名をカバのごとき大あくびをぶちかまして首をグルングルン回し始めた。
「なんかやる前から疲れちゃった感じだけど、一応練習始めましょ。なんだかんだ言って一朝一夕でできない人も多いし、あんたの時間だってそれほど余ってるわけじゃないでしょ?」
「時間?」
 穂山は俺のことをバカだと思ったらしい。
「時間よ時間。あんたと一緒に勝ち上がってきた対戦相手と勝負する時刻」
「そんなん知らんわ。上がってすぐにおまえとかち合ったの忘れたのか」
 そして俺に決して消えないだろうトラウマを植え付けたことも忘れてんじゃねーぞ。俺の方がおなか痛くなりそうだったわ。
「そういえばそうだったわね。ま、普通は一週間くらいの猶予はあるから、のんびりやってても大丈夫だけど。もし開始時刻にその場にいなかったら不戦敗でドボンだから後で一応、掲示板見ておいた方がいいよ」
「掲示板なんて見るものじゃないよ」
「あんたなに言ってんの?」
 だって面白いこと書いてないじゃんアレ。いや俺が言ってるのはリンボのじゃなくてうちの町内にある掲示板のことだけど。
「ま、今はそれよりもリングに上がれるようにならなくっちゃね。ほら、やってみせて」
 穂山はブランコの前の柵に腰かけて、顎をしゃくった。そんなことされても。
「え、マジで気合なの? 他にないの? なんか呪文とかないの?」
「そんなものあったとしてもあたしが覚えられるわけがないでしょ」
 確かに。じゃあやっぱ気合か。
 よーし……ちょっと恥ずかしいがやってみるか。蜂山さんも帰っちゃったしな。
 俺は両拳を腰だめにして、ムカデを殺す時の顔つきをしてみせた。
「はあああああ…………」
 肘でコップ倒してジャンプが濡れた時の唸り声を上げて精神集中(コンセントレイト)。
「ふううううう…………」
 俺の周囲で砂埃が巻き起こる。
 穂山が柵から飛び降りて拳を握った。
「いいねー! リンゴその調子! 調子いいよリンゴー!」
「……」
「砂埃出てるねー! いい汚れっぷりだねー! そのままもうちょっと気張ってみようかー! キバリング調子いいねー!」
「ちょっと待って」
「いい調……え、何?」
「ちょい、ちょい待ってちょい」
 俺はなにもかもやめて穂山の肩を押し、柵に座らせた。
 目を見て言う。
「おまえなんか応援の仕方が変じゃない……?」
「え……変……?」
 穂山はきょとんとしている。
「どこが……?」
「どこって……全体的に? あのさ、気張るって何?」
 穂山はちょっと考えてから、
「冷静に考えてみて、やっぱり兵装を呼ぶ時の感じは、気張るしかないと思う」
「そういうこと聞いてんじゃねーよ! 冷静に考えてそれなの? 仮にそうだとしてもその後のキバリングってのはなんだよ」
「気張ると英語のingを合体させて……」
「そんなことはわかってるよ!!」俺は吼えた。
「俺が言いたいのはキバリングしろなんて言われてやる気が出るかって話だよ。普通は力が抜けるだろ?」
 穂山はわかっていない顔をしている。
「抜けるんだよ。抜けちゃいますから力が。なので、もう少しこう、頑張ろうかなって思える応援をお願いします」
「えー……たとえば?」
 難しい返しである。
「たとえば……『頑張って、あと少しで超えられるよ、限界の壁!』とか」
「プッ」
「笑うなよ!!」
 ガチでへこむわ。
 がんばれ俺、気張れだのキバリングだの言う女よりはまだこっちの方がいくらかマシだ。
 穂山は完全に俺のことをバカにしている。
「へえー。そーゆー風に言って欲しいんだ? ふーん」
 小悪魔みたいな笑い方である。
「まあまあそれじゃあ努力しましょ。やってあげるから早く気張ってよ」
 全然わかってないじゃん。もしその掛け声のせいで別のものが出てきてしまった場合に責任とってくれんの? 少なくとも俺はお婿にいけなくなるぐらいリスキーなんだけれども。
 不承不承、俺は穂山から離れてまた力をためようとした。
 が、できなかった。
 その場に崩れ落ちる。
「うう……」
「ちょ、ちょっとちょっとどうしたの? まだあたしなんにも言ってないわよ」
「いや……なんかさ……」
 俺は顔を上げようとしたが見たくもないパンツが見えそうだったので顔を背けた。
「改めてあの格好になるのかと思うと恥ずかしいっていうか……」
「はあ!? あの兵装めちゃくちゃ格好いいじゃん! 頭どうかしてんじゃないの!?」
 おまえがな。どう見てもあれは人外級のイケメンだけが身にまとえるアーマーであって、量産型モブの俺やおまえが着ていい代物じゃねーよ。読めもしない文字が刻まれたレリーフついてんだぞ? その意味を問いただされた時に何も言えずに俯くしかない自分を想像してみろよ……
 俺は頭を地面にこすりつけてうめいた。
「うああああ。いやだああああ。コスプレイヤーにはなりたくない」
「コスプレの何が悪いのよ!!」
 いや悪くねーけど。なんで怒ってんの?
「俺はただ、人前であんな格好をしたら俺自身の大切な何かが失われてしまうことが予感してるだけだよ」
「あんたに無くしてはいけない大切なもんなんか一つもないわよ」
 ひでえ。
「とにかくあれにならないと地獄逝きは確定なんだから。がんばってよ」
「うう……」
 その後もやれやらないの押し問答が繰り返された挙句、俺たちは公園のど真ん中に背中合わせでへたり込んだ。舌戦だけで体力がガス欠である。
 俺たちはどちらが提案するでもなく呟いた。
「帰るか……」
「そうね……」
 まさかまともな練習ひとつせずに解散の流れになるとは……つくづくふざけたパーティである。
 立ち上がって俺はふと重大な事実に気づいた。
「どうしよう、俺には帰る、家がない」
「五七五ね」
 うるせー! いちいち言わなくていいよ!!
「こっち」
 穂山は俺を物置の方に手招きした。物置には南京錠がかかっているが、ひょっとして鍵を持っているのだろうか。ベテランっぽい穂山ならありえる。
 バッキィ!
 期待にワクワクしている俺の前で穂山のチョップが南京錠を粉々に打ち砕いた。
「………………………………………」
「さ、開いたわ。今夜はここで眠りなさいよ。三層からは夜があるからね。……さ、寂しいからってあたしのねぐらには付いて来させてあげたりしないんだからねっ!」
 願い下げだよ。あーびっくりした。手刀で錠前砕くか普通? 俺は三歩ほど穂山から距離を置いた。ばい菌だらけのパンが腹の中で突然変異起こしてバケモノになっちゃったんじゃないのこいつ。
「な、なによその目は」
「……」
「仕方ないじゃない! いいでしょうが一日くらい物置に泊まったって! 文句言わないでよ!」
 そこじゃねーよ。


     





 つぎの日。
 俺は物置から這い出た。起き上がって腰を叩く。マットで寝るのはやはりしんどい。
 頭上を見上げると薄い雲の向こうに太陽が見える。あの太陽が完全に見渡せるところを天国と呼ぶのかもしれない。
「ふんっ、ふんっ」
 準備運動しながら骨をバキバキ鳴らしていると、チャリンコに乗って穂山が颯爽と現れた。相変わらずパンをくわえている。
「ごめーん、お待たせ!」
「なんでパンくわえてるのに完全な発音ができるの?」
 ここに来てから俺の世界観は崩壊しっぱなしである。設定厨にはもうなれそうもない。
 穂山がもぐもぐもぐもぐと手を使わずにパンを食い尽くした。
「天気予報が雨だって言うからギリギリまですっぽかそうか迷っちゃったわ」
「ドタキャンしかけたことを本人に言うなよ」
「いいのよ。だってあたしは、あんたの師匠なのだから!」
 どん、と穂山が腰に手を当てて薄い胸をそらす。こんなチャランポランな師匠にだけは会費を払いたくないなあ。
 穂山はキョロキョロと公園を見回した。
「あれ? 蜂山さんは?」
「おまえが人生について深読みさせたりするからまだ戻ってこないよ」
「あたしのせいじゃないわよ。あの程度のことで気を病む方が悪いのだわ」
 ひでえ。
「そんなことより、ほら、特訓よ特訓。準備運動はちゃんとしておかないと」
「もうやった」
「それならいいわ。気が利くわね」
 こいつ会話ヘタクソじゃねえ?
「じゃあ最初から飛ばしていくわね。まずは昨日の続きで装備を呼ばないといけないんだけど、あたし考えたの」
「ほう?」
「天使の兵装を使う時は神様へのお祈りする気持ちが大切なのね。まあ気合でもいいんだけど。でもあんたは気合が足りないから、あたしが無理やり神様へお祈りしたくなるような気持ちにさせてあげようと昨夜ポテチを食べながら思ったのよ」
 夜中にそんなもん食ったら太るぞ。
 穂山は背負っていたボストンバッグをなにやらごそごそ漁り始めた。うんこ座りになってることを指摘してあげるべきだろうか。
「せめて足は閉じろよ……」
「? なんか言った?」
「いや、俺じゃないよ」
「そう? それならいいんだけど……」
 あっ、と穂山が歓喜の声を上げた。
「あったあった。これだわ。見てみて! ででん!」
 効果音つきで披露されたのは、鉄のスプリングでできたお化けだった。
 またの名を、なんらかの強制育成ギプスともいう。ぐるぐるとメタルラインが形作るは人の胴のフォルムは見ているだけでちゃぶ台をひっくり返したくなる。
 俺は生唾を飲み込んだ。ギラリと光るそのメタルを見ていると吸い込まれそうになる。
「頼む、落ち着いてくれ」
「ちょっと、開口一番がそれ? あたしは落ち着いてるわよ」
 どう考えてもそんなことはねえよ。
 俺は後ずさりしてスパルタン女から距離を取った。
「ゆとりになんてことしようとしやがる。頑張ったりとか、競争とか、そういうのは時代遅れだぜ」
 穂山がムッと眉をひそめた。
「馬鹿言ってんじゃないわよ天国ギリギリの瀬戸際に戦争ごっこしようって人間が。勝ち負けがすべてよ」
「そんな甘言にはだまされん」
 お嬢様がおニューの服を見せびらかす時のようにギプスを抱えていた穂山が、呆れたようにため息をつく。
「あんたね、この期に及んでビビるのは百歩譲って許してあげてもいいけど、それで先に地獄へ落ちていった仲間たちが可哀想だと思わないの?」
「…………」
「中にはあんただったら天国へ逝ってもいいかなって思ってくれたかもしれない人だっていたんじゃないの?」
「…………」
「そういう人たちに負けちゃいました、てへり、って地獄で顔を突合せて言うわけ? そこで傷の舐めあいしてどんな責め苦が待ってるのか知らないけど、みんなで渡れば怖くないで全滅エンドを享受するのが正しいゆとり教育の賜物ってこと? あのね、ゆとりとか教育とかそういうの度外視してさ、そもそもアンタがどうしようもないビビリなのをどうにかしてからモノを言いなさいよ」
 ぐうの音も出ない。
 穂山の言葉に感化されるのは死ぬより苦しかったが、それでも俺の脳裏には落ちていった仲間の顔が蘇ってきた。玖流井さん、山口。あれ、二人しかいない。まあいいだろう。玖流井さんと山口の
ためにも、確かに、俺は負けたらいけない気がする。
 俺は深々と息をついて、うなずいた。
「わかったよ」
 穂山が満足げに笑った。
「やっとやる気を出したようね。昨日からずっと期待してたわ」
「ああ。いま夏休みの最後の日の前日の気分がしてるんだ」
「その調子よ。じゃ、このギプスの説明をするわね」
 ボストンバッグから穂山があらたに、人形を取り出した。等身大のやつである。そんなもん入れてたからバッグがパンパンだったのか。
 穂山がその人形にギプスを着せた。
 実に楽しそうである。
「見てて、凄いから……」
 スカートのポケットからなんらかのボタンを取り出して、ポチリと押した

 ぐしゃっ

 炸裂、と言ったほうがいい。
 鉄の巨大コイルが突然収縮し、中に入っていた人形をズタズタにした。宙を綿が飛び、黒いボタン製の目玉が悲しげに俺を見る。俺は声を上げることも忘れ、穂山は人間にあるまじきことに盛大な歓声を上げた。
「ひゃっほーっ! いつ見ても気持ちがいいわね! はああっ、ぞくぞくしたあ……でね、これを使って何度かズタズタになればあんたも兵装の一つや二つ呼べるだろうとあたしは思」
「ふンッ!」

 ヅガンッ!

 俺はショルダータックルを穂山のソーラープレキサス(MIZO-OCHI)に叩き込んでやつの身体を鉄棒あたりまで吹っ飛ばした。後頭部を鉄棒に当てた穂山の脳天がゴカァンといい音を立てる。
「いったいわね! なにすんのよ!」
「そんなもん使われたらズタズタどころかミンチになるわ! てめー俺を食う気だな!」
「はあっ!? ちょ、食うって……なにやらしいこと考えてんのよ! この変態!」
 この状況で顔を赤らめて恥らうやつが人類だとは認めたくない。エロスの欠片もねーよ。もう二度と彼女には変態だなんて言葉を口にして欲しくない。本当の変態に失礼である。
 俺は今後のあらゆる禍根を絶つために、サッカーボールキックで人間断裁機を粉々にした。
「あーっ! なんてことするのよ! 限定生産でお電話でのご注文は30分限りで残りの二個のうちの一個だったのに!」
「どんだけ騙されてんだてめーは! そんなもん販元に問い合わせて試しに在庫十個ぐらいありますかって言ったら百倍はございますって返されるわ!」
「なんでそんな詳しいのよ!」
 いや、俺も半分ぐらい適当なんだけど、そんなもんでいいだろ通販なんて。ていうかそんな危ないもんを売るメーカーは天誅モンである。危うく俺がミンチだ。
「おまえと一緒にいたら命が無くなってても危ねえ。俺はトンズラさせてもらう!」
「あ、待ちなさいよ! 何よ馬鹿あたしはあんたのためを思って――」
 とかなんとか言っている穂山を振り切って俺は公園を飛び出した。あのままではぶっ壊したギプスの弁償代として素手でミンチにされていたかもしれない。あぶないあぶない。
 全速力でぶっ飛ばして息切れし始めた頃、試しにうしろを振り返ってみるともう悪魔の姿はどこにもなかった。どうやら諦めてくれたらしい。俺は建物の壁にずるずると背中を預けてずり落ちながら安堵のため息をついた。助かった。
 だが、と思う。
 どうやら天使の兵装とやらを呼び出す才能が、俺にほんのちょっと欠けているっぽいのは本当らしい。
 あそこまでの恐怖を体感させられて何も呼び出せないってさすがにちょっと駄目なんじゃないかなって思った。どうしよう。




       

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Neetsha