Neetel Inside 文芸新都
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「……あれ?」

 目を開いたとき、あまりの違和感に声を出してしまいました。

 これまでに降りる駅を乗り過ごすなんてしばしば。それどころか終点まで眠ってしまい、駅周辺が田んぼだらけで呆然としたこともありました。。
 しかし今回の違和感、驚きはその比ではありませんでした。

 ありのまま、キョウコさんに起こったことをお話しすると、「電車の中で眠っていたと思ったら『LittleBAR』にいた」のです。

「ん、んんん?」

 行きたいという願望が無意識のうちに脚を運ばせていたのだろうか――と考えるものの、それも違う、ということに気づきました。
 なぜなら、キョウコさんは店内で立っていたからです。

 カウンターの内側で。

(え、え~? これって……え~?)

 いつも座っている、カウンターの隅っこの席。それがカウンター越しにありました。
 背後には数多くの酒瓶。そして様々なグラスに冷蔵庫、冷凍庫。シェーカーやメジャーカップ、アイスピック、果物ナイフなど、間違いなく『店の人間』側の領域にいたのです。

 すでにお気づきの方もいると思いますが、これはキョウコさんの夢です。ただ『夢を夢として自覚する』というのは個人差があり、それが当たり前のようにできる人、どうやってもできない人、と分かれると言います(ちなみに作者で自覚できません。しかも必ず白黒で味気ない)。

 さて、キョウコさんはと言うと――

(知らなかったなー、私にこんな才能があるなんてー)

 どうやら自覚していないようです。

 頭はまったく別のことを考えていましたが、身体はバーテンダーそのもの。首元には蝶ネクタイ。パリっときまった黒いベストとシャツで、いつもはだらりと下ろしている髪がぎゅっと纏め上げられていました。
 そして左手にはブロック状の氷、右手にはアイスピック。カシュカシュと氷を削り、綺麗な球体に変えていきます(当然手が勝手に動いているだけで、普段のキョウコではできるはずもありません)。

 出来上がったランプオブアイスをいろいろな角度から確認し、その仕上がりに満足できたので冷凍庫へ。そして次のアイスブロックへ手を伸ばします。

(当たり前だけど手が冷たいなぁ……うっかりしてると刺しちゃうし……)

 1個目にして飽き始めていたとき、扉が開きました。
 お客さんです。そのお客さんを見て、キョウコさんは驚きと混乱のあまり声を枯らし、思考がフリーズしてしまいました。

(ば、バーテンダーさん!)

 そこにいたのは『LittleBAR』の本当のバーテンダーでした。ですがいつもと様子が違います。ちょっとくたびれたスーツ姿で、表情もどこか疲れているように見えました。

「いらっしゃいませ(バーテンダーさん、これはどういうことですか?)」
「1人ですが、大丈夫ですか?」
「はい、もちろんです(あれ? まったく別のことを言ってる……)」

 どうやら自由にできるのは思考だけで、あとは誰かが操っているように身勝手でした。
 慣れた手つきでおしぼりとメニューを渡し、手を低く前に組んで、待ちました。

(あ、わくわくしてる……普段のバーテンダーさんもこんな気持ちなのかな)

「よろしいですか?」
「はいっ(き、来たぁ……)」
「コウベハイボール、できますか?」
「はい、かしこまりました(どうしよう、わからないぞー……)」

 キュウコさんもハイボールぐらいは知っています。ウィスキーを炭酸で割ったもの、ぐらいの知識ですが、まあ十分でしょう。ですが注文はコウベハイボール。この『コウベ』の部分がまったくわかりません。
 しかしこのキョウコさんはちょっと違います。どれだけ知識がなくても、さながら自動操縦の如く身体は動きます。冷凍庫から白い霜で覆われたウィスキーの角瓶を取り出し、トロトロに冷えたそれをメジャーカップに流し、背の高いグラスへ。そこに炭酸水をざぶざぶと注ぎました。

(氷入ってないけど大丈夫なのか……?)

 そんな心配をするものの、もはや黙って身を委ねるしかありません。最後にレモンをキュッと絞って、完成のようです。
 そんなハイボールをすぐ出すわけでもなく、次に取った行動は瓶に漬かった薄い何かを菜箸で取り出し、小皿に盛りつけました。

(カレーの香りがする。黄色くて薄いこれは……なに?)

 カレーの香りがする何かと、氷のないハイボール。それらをバーテンダーの目の前に出しました。

「お待たせしました、コウベハイボールです(だ、大丈夫かなぁ……自信ないぞぉ)」
「ほぉ、これは……ここまで忠実なものが出てくるとは……」
「(え、これが正解?)冷凍したサントリーホワイトにウィルキンソンを注ぎ、レモンピールで香りをつけました。当時のレシピをそのままで作らせていただきました(正解なのかぁ)」
「しかも、このピクルスまで……」
「当時もカレー風味の、ジャガイモのピクルスを出していたと聞きましたので、試行錯誤を繰り返して作ってみました。お口に合えば良いのですが……(ジャガイモだったんだ)」
「いやぁ、懐かしい……嬉しいなぁ」

 顔を緩ませ、心から懐かしむようにして、グラスのぎりぎりまで入ったハイボールを口から迎え、じゃがいものピクルスを食べるバーテンダー。
 そんな様子に、キョウコさんはじぃんと心に熱が帯びてしまいます。

(当時ってことは、これを出していたところってもう閉店してるのかな……すっごく嬉しそう。私も嬉しい、すごく嬉しい……自力とは言い難いけど。
 ……て、あら?)

 すでにグラスと小皿は空になっていました。
 夢の中ですので、多少時間の経過が早いのかもしれません。もっともキョウコさんが知る由もありませんが。

(……あ、わかった。これ、いつもと逆なんだ)

 今自分とバーテンダーがいるポジション、役割、挙動。おそらく職業さえも逆転している。パラパラとメニューを見ているバーテンダーを眺めているとき、キョウコさんは気づきました。

(ここは平行世界なのか)

 ……間違いとは言えなくありませんが、正解でもありませんね。

「注文、よろしいですか?」
「はいっ(よーし何でもこーい! 私の身体がやってくれる!)」
「少々わがままなことを言ってしまうのですが……
 今夜は甘いものと辛いもの、その2つを呑みたい気分なのですが、3杯目は一番好きなものをいただくと決めているのです。なので、あと注文できるのは1回だけなのですよ。
 そこで、1杯で甘い口当たりと辛い口当たり、どちらも味わえるようなもの、できますか?」
「(それ一休さんのとんちですよ……)はい、かしこまりました(えーっ、できるの? 本当にできるの!?)」

 どれだけ心配しようとも、座禅をしてポクポク音を鳴らすイメージをしようとも、今のキョウコさんの身体は誰かのもの。テキパキと仕事を始めます。
 グレープフルーツを半分に斬り、それをジューサーでぎゅうぎゅうと絞ります。そしてオールド・ファッションド・グラス(ウィスキーが入っていそうな、背が低くて口径の広いグラス)のふちを果汁で濡らし、その半分にだけ塩をつけました。

 ふちのの半分には塩。残りの半分は果汁。肝心の中身は、先ほど作ったランプオブアイスと絞ったグレープフルーツ、そしてウォッカを注ぎます。

(これは知っている気がする……なんだっけ)

 マドラーで何度か混ぜて完成。バーテンダーの前に置きました。

「お待たせしました」
「これは……作っているところを見させていただいていましたが、ソルティードッグのようですね。しかし、半分しかスノースタイルになっていないようですが」
「はい。塩がついているほうから呑めば、ソルティードッグです。口をつけたときは少々辛く感じるかもしれませんが、喉を通ればちょうどいい塩梅となります。
 そして、塩がついていないほうから呑めば、ブルドッグです。グレープフルーツの甘みが口いっぱいに広がります。
(おお、うまいことできたものだ……)」

 あとは相手の反応だけですが――

「なるほど。たしかに1杯で2つの味……ふふ、ははは、これは参りました」
「ありがとうございます(いやぁ、私もびっくりです……)

 噛み殺すことができず、声を出して笑うバーテンダー。意外な一面を垣間見ることができましたが、やはり達成感はありません。

(できたからって得られるものじゃないんだなぁ……長らく感じたことないかも、達成感……)

 今の仕事、今の自分を振り返り、ちょっぴり気が滅入ってしまうキョウコさん。社会人になって数年、どこかナアナアで仕事をしてしまい、感動も失望もさして感じることもなく日々を過ごしていく――誰もが一度は考えそうなことを、わざわざこんなときに考えてしまいました。

「さて、最後の1杯、よろしいですか?」

 このバーテンダーのタイミングの良さも健在らしく、グルグル渦巻き出していた悪循環がうまく断ち切られました。

「はい、何なりと(一番好きなもの、なんだろう)」
「最後は、私が一番好きなものを注文させていただきましょうか」



「……と思ったのですが、もう時間のようですね」



 バーテンダーのこの一言、その瞬間でした。周囲の風景がぐにゃりと曲がり、砂の城のようにボロボロと崩れ始めました。

「え、これは?」
「もう30分も経っています。この辺りで終わりにしないと寝過ごしてしまいますよ?」

 その言葉の意味を、キョウコさんが理解することはできません。ただわかることは、何かが終わろうとしている、ということだけ。

「あの、あのっ」
「さあさあ急いでください。身体が固まって節々が痛いかもしれませんが、乗り過ごしては一大事です」

 こうしている間にも周囲が崩れていきます。もはや2人以外の空間は黒一色。かろうじて足場が残っていましたが、それも時間の問題です。
 ですがキョウコさんにとってそれは些細なこと。キョウコさんはバーテンダーの最後の1杯が知りたくて仕方がありませんでした。

「あのっ、バーテンダーさん!」
「……お目覚めのようですね、お客様」
「最後に、何を頼もうとしていたんですか!?」

「…………」



「それは……」

       

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Neetsha