Neetel Inside 文芸新都
表紙

LittleBAR
05.天使の分け前、悪魔の取り分

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 その日、キョウコさんは『LittleBAR』に入ってすぐ、異変に気づきました。

(あれれれ、あれれ?)

 いつもより控えめにイスに座り、いつもよりおそるおそるおしぼりを手に取り、いつも以上に静かに、音を立てずにメニューを開きます。

(そんなまさか……こんなことがあるなんて……!)

『それら』をジロジロ見るわけにもいけませんので、キョウコさんはチラチラ盗み見ました。
 何度見ても間違いありません。『それら』はカウンターの最奥に座っていました。

(嘘だ、やっぱり信じられない!)



(私以外にお客さんがいる!)



 それは『LittleBAR』からすればとんでもない暴言でしたが、無理もありません。
 キョウコさんが『LittleBAR』に初めて来た日から今日まで(01~04以外にもキョウコさんは『LittleBAR』に通っています)、お客さんはずっと自分1人だったのです。

 それが今日、初めて自分以外のお客さんを見たと言うのだから、この驚きも納得してしまいます。しかも2人、ちょうどキョウコさんと同じ年齢ぐらいの男性と、女性でした。

(あらーいいですねー。恋人同士でこんな隠れ家的なバーでおデートですかー。
 ……あ、あの男の人、ちょっと好みかも)

 外見がキョウコさんの好みだったらしく(きっと元カレさんに似ているのでしょう)、ついつい目を向けてしまいます。

「ご注文はお決まりでしょうか?」
「え、ああっ」

 もちろん決っているはずもありません。キョウコさんは咄嗟にこう言いました。

「スタミナがつきそうなカクテル、お願いしますっ」

(……て、うわー! なんていう注文を! いつもの定食屋じゃあるまいし!)

 キョウコさんは仕事の帰りが遅くなると、夜遅くまで開いている定食屋(キョウコさんの住まいから程なく近く、安くて、適当に言っても何かしら作ってくれるところ)で夕食を済ませてしまいます。
 そこでは「軽めのもの」とか「白身魚の何か」みたいな注文をしているのですが、そこと同じノリで言ってしまったのです。

 取り消して別のものを注文しよう、そう思いもしましたが、ふと考えました。
 どんなものを出してくるのだろう。いつぞやの電車の中で見た夢ではありませんが、お客さんの困った注文にどう対処するのだろうと気になったのです。

「ふむ……」
(あ、悩んでる悩んでる。ふふふ、ちょっと楽しい)
「お客様、トマトは大丈夫でしょうか?」
「え? は、はい、大丈夫です」
「では、唐辛子などの辛さはどうでしょうか?」
「少しぐらいなら……」
「承知しました」

(トマト? 唐辛子? ……もしかして、今私はすごく大きな間違いをしてしまったのではないでしょうか……)

 一抹の不安を感じつつも、それ以上に2人の男女への興味が勝ったのでしょう。そちらに集中しました。

(あの人かっこいいなぁ。笑った顔がとっても素敵。その恋人さんも美人さんだし……て、んん?)

 キョウコさんの言う“美人さん”の女性を、キョウコさんは以前見かけたことがありました。
 電車の中で眠って夢を見たあの日(『04.鈍行電車39分間の夢』のときのことです)、隣のボックスシートでビール片手にチーズを食べていた人、その人がまさに“美人さん”だったのです。

(世間って狭いなぁ……)

 今度は“美人さん”を見つめます。ピシっとスーツを着て、髪が邪魔にならないように後で束ねているその姿は、キャリアウーマンそのものでした。

(ちょっと童顔だから、そこらの男たちは放っておかないだろうなぁ。
 それに引き換え私は……スーツはともかく、髪はだらしなく垂らしちゃってまぁ……
 ……これができる女・できない女の差ってヤツなのね)

 やや恨めしげな目つきになっていると、すぐ目の前に真っ赤な液体の入ったロンググラスが置かれました。

「どうぞ、ブラッディメアリーです」

 グラスのふちには白い粉がついていて、中身はとにかく赤色。見た目を悪く表現するのなら、濁って淀んでドロドロしていそう、これに尽きました。

「えっと、このブラッディ……なんちゃらって?」
「ウォッカをトマトジュースで割ったものございます」

(ウォッカって、あの火がつくお酒? そんなお酒を、トマトジュースで割ったって言うの? ううう、これはちょっとぉ……)

 と思うものの、困った注文をしてしまったのは自分。つまり自業自得なのです。
 それにいつものパターンで言えば、第一印象が悪くても一口呑めば魅了されるのがお決まりの流れ。

(この白い粉なんだろう……まあいっか、いただきまーす)


 コクリッ


「んっ」

 口に広がるトマトジュースの味。けれど普通のトマトジュースではないようです。どこか海の香りがして、魚介類の風味も感じます。
 次にピリピリと舌、喉を痺れさせる優しい辛さ。これはウォッカのアルコールではないことに、キョウコさんはすぐに気づきました。この辛さは唐辛子。あの唐辛子独特のピリピリが程良いアクセントになっていました。
 一口目を呑み終えるころ、カッと身体が熱くなって、頭がクラリと揺れる感覚。これはウォッカのアルコールなのでしょう、キョウコさんはほんのりと頬が熱くなっていくのがわかりました。
 そしてグラスのふちにつけられていた白い粉。口の残った後味でわかりました。この粉の正体は、チーズ。

 トマトの酸味、魚介類の風味、唐辛子によるスパイス、口に残るチーズの味。これらはまるで――

「ピザ食べてるみたい」

 マルゲリータがそのまま液状になったみたい――キョウコさんはそう思わずにはいられませんでした。
 そんな様子に、バーテンダーはニコニコと笑っていました。どうやら、キョウコさんに満足してもらえたこと以上に、奇をてらえたことが嬉しかったのかもしれません。

「いかがでしょうか? 仰られるとおり、ピザをイメージして作りました」
「魚介類の香り、味がすごく濃いんですが、これってどうやってるんですか?」
「海外のトマトジュースでそういった特殊なものがありまして、直輸入をしているのですよ。
 それとウォッカは中にバジルを漬け込んでいますので、よりマルゲリータに近づけたかと思います」
「すごいですよこれ、ほんとに、ピザ食べてるみたいっ」

 そう言っていると、どこかお腹も膨らんでくるようにも思いました。

 キョウコさんがピザを堪能しているころ、別のところで、ちょっとしたことが起きていたようです。

(……え、ええ?)

 離れた席に座っていた恋人同士の様子が、どうにも変だったのです。。
 あれほどコロコロと笑っていた女性は、むっとした表情でまったく別の方向、男性とは正反対の方向に顔を向けています。
 一方男性はと言うと、困った様子でオロオロとしていました。

(おっとぉ、これはぁ??????
 よくわかんないけど修羅場タイムってヤツですかぁ??????)

 人の不幸は蜜の味、とでも言うのでしょうか? キョウコさんはドランブイ、アマレット以上の、甘くてイケない味を感じていました。

(女の人の表情を見るに、拗ねている様子。これは男が言っちゃいけない系のことを言っちゃった感じかなー。
 別の女性の話をした……というのはベタすぎる。となると……ああ、胸。胸なのかな。あの人スタイルがゴニョゴニョだしなぁ)

 そんなことを思うキョウコさんですが、キョウコさんだってそれほど誇れるスタイルというわけではありません。ちょっと高性能なものを身につけてから割り増ししているように見えるだけです。

「………、……」
「――、―――!」

 何かを言い合っているようでした。決して大きな声ではありませんが、ちょっとした口論のように感じられ、じわじわと迫力が感じられました。

(なになに? 何のお話し? 気になるなー、でも聞こえないなー……)

 身体を絡むけ、全神経を耳に集中して何とか聞き取ろうと試みます。きっと今のキョウコさんはゾウのように耳が大きかったことでしょう。
 ですが、絶妙な声量、そして店内に流れる音楽がそれを妨げます。

 きりの良いところで諦め、ブラッディメアリーの続きを楽しみます。

(でも……羨ましいな)

 つい、本音が漏れてしまいました。
 かつては自分も、ああして恋人と喧嘩をしたものでした。それが些細なことはもちろん、深刻な内容だったときも、今となっては良い思い出でした。

(私も、またああやって喧嘩できる相手、見つかるのかな……)

 懐かしむように2人を眺めました。ですが、そんなキョウコさんを他所に、2人は収まりそうにもありませんでした。
 そんな2人の間に入るように、すっとバーテンダーが前に立ちました。そして琥珀色の液体が入った小さなグラスを、2人の前に置きました。

(ウィスキー? それともブランデー……? うーん、わからない……)

 不思議そうにしている2人に、バーテンダーはぽそぽそと何かを言いました。するとどうでしょうか、2人の間に笑みが溢れました。

(ええ、えー?)

 女性にいたっては、笑いが堪え切れないのか身体を大きく揺らし、表情すら崩していました。男性はそんな様子に、ほっと安心したように微笑んでいます。

(バーテンダーさん、お酒と一言二言で喧嘩を仲裁しちゃったよ……まるで漫画を見てるみたい)

 キョウコさんも安心したものの、お楽しみがなくなってしまったことには違いありません。しぶしぶとブラッディメアリーに戻ります。
(誤解がないように言っておくと、キョウコさんの性格が悪かったり、ねじ曲がっているわけではありません。ちょっとぐらいはワクワクしませんか? 小さな喧嘩とかって)

 しばらくすると、2人は席を立ち、会計を済まし、店から出ていきました。
 手を繋いで出ていく2人に、キョウコさんは妬むように視線を送ります。

「あのお客様は、たまに喧嘩をされるのですよ」

 空いたグラスを片づけながら、バーテンダーは言いました。

「女性は大の日本酒好き。男性は根っからのビール党。性格も違っていて、けれどそれが良いのでしょう、とても仲の良いお二人なのです」
「へぇ(別に聞きたくないんだけどなぁ……)」
「ですがたまに、あんなことになりまして……まあ、それが仲の良い証拠だと思うのですけどね」

 ここでキョウコさんは思い出しました。あのとき2人に出した琥珀色の液体。そしてつぶやいた一言二言が何だったのか。

「いつもなら自然に収まるのを待っているのですが、今日は他にお客様がいますので、無理に止めてしまいました」
「それが、さっきの」
「はい、こちらです」

 差し出したと思われる琥珀の液体。それは一口もつけられず、残っていました。

「エンジェル・シェア、をご存知でしょうか?」


「ウィスキーは樽に入れて寝かせます。そうすると、中のウィスキーが樽に染み込み、揮発してしまいます。当然ウィスキーが少し減ってしまうのですが、その現象を職人たちは“天使が呑んだ”、それをエンジェル・シェア、“天使の分け前”と呼んでいるのです」


「それが、エンジェル・シェアなんですね」
「はい。つまりウィスキーの銘柄が決っているわけではありませんが、本日用意しましたのは、あちらにいた2人が好きなウィスキーなのです」
「2人が、好きな?」
「ウィスキーの好みはぴったりと合うようで、こちらのウィスキーをいっしょに呑まれることが多いのですよ。先ほどもちょうど呑まれていました。
 ですので、私はこのウィスキーを差し出すときにこう言ったのです。
『天使が呑んでしまった分、注がせていただきました』と」
「……あはっ」

 キョウコさんも笑ってしまいました。バーテンダーは恥ずかしそうに苦笑いを浮かべています。

「ジョークが通じるお客様ということを知っていたのでできたことです。一口も口にしなかったのは『それも天使にあげてください』と言われてぐらいです。
 ……それにしてもお恥ずかしい」
「いえ、素敵ですよ」

 ブラッディメアリーが空になったことに気づいたバーテンダー、キョウコさんにも琥珀色の液体を差し出しました。

「あ、私の分も用意してくださっていたんですか? 嬉しいっ」
「……こちらのバーボンなのですが」


「先ほどお話ししたとおり、ウィスキーの熟成中に蒸発して失われてしまう分は“エンジェルズ・シェア”と呼ばれます。
 ですが、熟成が終わり樽からウィスキーを出したとき、そこに残ってしまう分も多少ながら存在します。
『ジムビーム』というメーカーは、独自の方法を用いてその残った分を抽出して販売するようになりました」


「それがこちら、“デビルズ・カット”なのです」


「…………」

 内容も名前もまったく別のもの。それが、キョウコさんの前に置かれました。
 そしてバーテンダーからは、、笑みを浮かべているにもかかわらず、どことなく迫力が伝わってきます。

「お客様」
「は、はいっ」
「盗み見、盗み聞きは感心いたしません」

 だから、自分はデビルズ・カット。もはやキョウコさんは感心してしまいました。

「あの、私あんまり強いのは」
「お召し上がりください」
「わ、私に天使は訪れないのですかっ?」
「なにぶん気まぐれですので、そのうちとしか。
 さあ、お召し上がりください」

 もう逃げることは許されません。キョウコさんは意を決して――


 ゴクリ


「―――――――――――!」

 バーボンのストレートは、キョウコさんにとって劇物に等しいものでした。鼻はツンとしたアルコール臭に麻痺し、口はビリビリと痺れてしまいます。

「いかがでしょうか?」
「あくまてきなおあじですね」
「申し訳ございません。少々意地悪が過ぎましたね」

 そう言ってバーテンダーはグラスいっぱいの水を置きました。
 それはキョウコさんへの“天使の施し”。何も言わず、グビグビと飲み干していきました。

       

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Neetsha