Neetel Inside 文芸新都
表紙

LittleBAR
07.閉店時間

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 はじまりは、1件のメールからでした。


     


 その日、LittleBARの扉は陽が落ち切らない夕方に開きました。

「いらっしゃいませ」

 と、いつものように接客をするのはバーテンダーで、入ってきたお客さんはキュウコさん。
 ですが、今日のキョウコさんはいつもと違います。

 まず平日なのに、私服。普段着とも言うのでしょうか、(こう言ってはなんですが意外にも)見た目ふわふわしている、女子力高めな服装でした。

 他には……表情は、どこか影があるような、どうにも元気がないように見えました。

「今日はお休みですか?」
「いえ……会社、サボっちゃいました」

 ニコリと笑みを浮かべるものの、やはり元気のないキョウコさん。

「あ、まだ開店していませんか……?」
「いえ、そんなことありませんよ」

 バーテンダーは内心ひやりとしました。扉には『CLOSE』を表にしたプレートを置いていたからです。それをキョウコさんが気づいていなかったことが、唯一の救いでした。

 今から直そうとするとキョウコさんに気づかれてしまいます。もっとも、気づかれずに直す方法ぐらいバーテンダーは持っていましたが……今日のキョウコさんはワケありのようですし、バーテンダーは『CLOSE』のままにしておきました。



 注文されたハイボールを作りながら、バーテンダーはキョウコさんの様子をうかがっていました。
 改めて見ると、目は充血して腫れていました。しかも左手には包帯がグルグルと巻きつけられています。
 まあ、間違いなく悪いことが起きたのでしょうが……バーテンダーにはどうすることもできません。どれだけ腕を磨こうとも、自分には酒を出すか話しを聞くか、そのどちらかしかできません。
 それが『お客さん』『バーテンダー』の関係なのですから。

「おまたせしました」

 キョウコさんに出されたハイボールは、妙に茶色の濃い、中の表面には黒い大粒の粉が振りかけられていました。

「初めて見るハイボールですね……」
「こちらは、タリスカというやや塩辛いウィスキーで作らせていただきました。そしてタリスカの地元の方々がしばしば呑まれている、ブラックペッパーのハイボールです」
「なんだか辛そうですね……」
「そうですね。ですので、もしよろしければ少しずつ飲んで、氷が溶けて薄まるを待ち、時間をかけてお飲みください」

 バーテンダーは、キョウコさんが抱えているものを解決できるとは思ってもいません。ですがそのお手伝いはできるだろう、そのためには時間がいるかもしれない、時間がかかるかもしれない、そう考えてのハイボールでした。
 ハッとした様子でキョウコさんはバーテンダーと目を合わせました。どうやら意図に気づいたようです。
 コクリと一口飲んで、「……辛い」とつぶやいてから寂しそうにハイボールを眺めました。



「友だちの話なんですけどね」

 陽も落ちてすっかり暗くなったころでした。ハイボールも半分ぐらいなくなったとき、ずっと沈黙を守っていたキョウコさんは口を開きました。

「友だち、友だちですよ? これは私の、友だちの話なんですけどね」
「……はい」
「えっと……7年、付き合った恋人がいたみたいなんですね。で、彼氏の浮気が原因で別れっちゃったみたいなんですね」
「ふむ、浮気ですか」
「……バーテンダーさんも経験がお有りで?」
「いえ滅相もございません」
「話を戻しますね……で、別れたものの、友だちは結局、彼氏のことが好きで好きでしかたがなかったみたいなんですね。でも悔しくて苦しくて、どうしようもなかったんです」
「一途な方ですね」
「いやぁ、ハハハ(照れ)。えっと、それで続きですが……でもまあ、傷というのは癒えるものですからね、次第に、少しずつですけど彼氏のことを忘れていきました。ですが」
「ですが……?」
「最近、彼氏からメールが来たんです、何て来たと思いますか?『もう一度、やり直したい』ですって」
「…………」
「せっかく、ようやく忘れ始めていたのに、また思い出してしまいました……! なんで、今になってそんなことを……!」
「お客様……」
「私は、自分が大嫌いです、結局私は、そのメールを待っていたのもしれません……でも、許せな、いえ、ああでも……なんで! もう、ぜんぜんわからない!」

 キョウコさんは包帯が巻かれた左手を高く上げ――ゆるゆると、ゆっくり下に降ろしました。そして右手で優しく左手を撫でました。

「……以上が、友だちのお話でした」
「なるほど、ありがとうございます」

 何とも言えない、重い空気が流れていました。バーテンダーは冷蔵庫からいくつかの果物を取り出し、それを切り始めました。

 長い時間をかけて、キョウコさんはハイボールを飲み切りました。

「そのご友人は、どう返事したのですか?」
「え、あ、まだ返事は、していません……らしいです」

 急に話しを振られ、キョウコさんはあたふたと答えました。もういい加減バレているのですが、それでも嘘を突き通します。

「まだお時間はありますか?」
「え? はい」
「では、こちらは私からのサービスです」

 と言って出されたのは、ロックグラスに注がれたウィスキー。ですが中には氷、オレンジやレモンのスライス、角砂糖が入っています。そこにはマドラーもありました。

「こちらはオールドファッションドと言いまして、ウィスキーベースのカクテルなのですが、飲む方が自分で作るカクテルでございます。そのマドラーで中のフルーツを潰したり、角砂糖を溶かしたり、氷が溶けてまろやかになったり……少々お時間がかかるかもしれませんが、ぜひお好みのカクテルをお作りください」
「オールド、ファッションド?」
「はい」
「……昔、バーテンダーさんが夢に出てきたことがあるんです」
「夢、ですか?」
「その夢がおもしろかったんですよ。私とバーテンダーさんの立場が逆で、私がバーテンダーさんにお酒を出していたのです」
「ほほぉ、それは楽しいですね」
「その夢の最後で……結局出せなかったんですが、バーテンダーさんはこのオールドファッションドが一番好きだ、と言っていました」
「そう、ですか」

 キョウコさんはマドラーでオレンジをぐにぐにと潰し始めました。

「そうですね……オールドファッションドは、何かを待つときに飲むには、一番なのかもしませんね……」



「ここって、何時まで営業しているんですか?」
「あまりはっきりとした時間は決めていませんが、眠くなったら閉めるようにしていますね」
「そうですか……」

 オレンジと角砂糖が溶け込んだウィスキーはとても甘く、後からウィスキーの辛さがやって来るようでした。

「地球最後の日、あなたは何をしますか?」
「……はて、世紀末は無事に過ぎたと思いましたが……」
「ああ言え、もしもの話ですよ。もし今日が地球最後の日だとしたら、ああそうだ、何を飲みますか?」
「お客様はどうされますか?」
「どうしようかなー。うん、マティーニ。ここで初めて飲んだマティーニを頂きます」
「大変光栄でございます」
「バーテンダーさんは、何を飲みますか?」
「私は、水ですね。冷たくておいしい、水です」
「水、ですか……?」
「地球最後の日、私はこの店のお酒を全部飲むつもりです。そうなると最後は酔っ払ってしまうでしょう、なので最後は水なのです」
「ああなるほど、それいいですね」

 レモンが少しだけ潰れ爽やかに、氷が溶けてまろやかになったウィスキーは、ヒリヒリとしていたキョウコさんの喉を優しく潤しました。

「バーテンダーさんはどうしてこのお仕事をされるようになったのですか?」
「難しいですね……強いて言うのなら、お酒が好きだったのでしょう」
「なるほどぉ、天職ですね」
「ただこう言ってはあれですが、何もこの職でなくても良かったのです」
「と、言いますと?」



「私は、遊園地を作りたかったのです。
 ……ああ、もちろん物理的にではなく、心情的に、ですけどね。
 遊園地という施設はすばらしい。子供も大人も、男性も女性も、皆が皆楽しむことができるのです。
 もちろん笑顔を作ることもできれば、お化け屋敷や絶叫系アトラクションで恐怖や、涙することもあるでしょう。……順番待ちで、ちょっと喧嘩とかしてしまったり。
 そんな遊園地ですが、いざ帰るときになれば子供は悲しむでしょうが、大人は次の日のこと、特に仕事などを考えます。子供も遊園地から出てしまえば、数日しかその余韻は残っていないでしょう。思い出は残るかもしれませんが……
 私は、そんな空間を作りたかった。来られたお客様が皆に楽しんでもらえたり、嬉しく思ってもらったり……そう思っていただきたいのです。ですがこの店から出られたら余韻はさっと引いて、それぞれの日常に戻ってほしい……それがわたくしと、このLittleBARなのです」



「……それ、嫌です。寂しいです」
「はは、そうかもしれませんね」
「私は、このお店には通い続けます。それに、忘れたりなんかしませんから」

 すっかり氷が溶けてしまったウィスキーは、まるで水のようでした。
 キョウコさんはそれを飲み干して……残ったものは、潰れた果物だけ。



「もう、行きますね」

 キョウコさんは席から立ちました。日付けが変わる直前のことでした。

「ありがとうございます。答えは出ましたでしょうか?
「……かっこ悪いかもしれませんが、もう一度やり直してみます。やっぱり好きなんです、あいつのこと」
「そうでしたか。では、ご友人には頑張っていただきたいものですね」
「……もう、知ってるじゃないですか! 友だちの話じゃなくって、これ私の話なんです! もう! 恥ずかしい!」

 と言ってから、キョウコさんは声を上げて笑いました。

 結局、バーテンダーのしたことは2杯のお酒を出しただけ。答えを導いたのはキョウコさん自身。
 これが、バーテンダーが作りたかった遊園地の形なのです。

     


■コラム 第7回

◆オールドファッションド
 昔、作者が片想いをしている相手と何度かバーに行ったのですが、そろそろ帰ろうかなという空気が流れ始めたとき、必ずこれを頼むようにしていました。
「それ好きだね」
 そう言われるたびに作者は「うん、そうだね」と答えていました。
 正直、作者はオールドファッションドがそれほど好きじゃありません。面倒だし、同じ味の再現なんてできませんから。
 ですが、帰りたくなかったのです。ずっとその人といたかった、でもそれを素直に言えない、だから最後にオールドファッションドを頼んで時間稼ぎをしていたんです。
 その相手は、今は一児のお母さんです。もちろん作者の妻ではありません。もしどこかのタイミングで作者に勇気があれば……オールドファッションドを頼まなくても、ずっといっしょに時間を過ごせた、そんな現在があったのかもしれません。
 ――というネタがあるんですが、誰が使ってくれませんか?

◆遊園地を作りたい
 作中バーテンダーが言っていたことはすべて、作者の創作観念です。
 作者は娯楽を提供したい。読者に楽しんでもらいたい、ただそれだけが目的で、信念でもあります。もちろん感動で泣いてもらえたり、リョナで恐怖してもらえたり、エロで興奮してもらえていれば感無量です。
 そして最後は余韻を残さず、作品(フィクション)を現実(ノンフィクション)に引きずらない、でもできれば記憶の片隅にでも残っている、そんな作品を作りたい。それが遊園地を作りたい、なのです。

       

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