Neetel Inside 文芸新都
表紙

LittleBAR
08.閉園時間

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 春が来たら桜が咲いて、

 夏が来たら蝉が鳴き、

 秋が来たら紅葉が色づき、

 冬が来たら、その年の名残を惜しむ。



 当たり前のお話しですが、そうして一年は巡ります。

 ……早いもので、もう一年が経ちました。

「こんばんはー」

 お店の扉が開いたらと思ったら、そこにいたのはキョウコさん。今日は金曜日、いつものスーツ姿ですのでお仕事帰りなのでしょう。ですが、その表情に疲れは見えません。むしろ生気に溢れているように感じます。

「いらっしゃいませ。なにか、良いことでもありましたか?」
「いえー、特になにもー」

 にこやかに笑って席に座ります。
 ……何があったのでしょうか。

「……おや?」

 よく見ますと、キョウコさんの髪型が変わっているじゃありませんか。「美容院に行く時間がないので」と言って腰まで伸びしていた髪が、肩ぐらいまで短くなっています。
 それは、まるで。

「初めて、ここに来たときみたいですね」
「え、ああ、髪ですか……そうですね、ちょうどこれぐらいでしたね」
「何か、心境の変化ですか?」
「ふふ、そんなところです」

 髪先を指でいじりながら、軽く微笑んで答えました。

「今日は、何をお作りしましょうか?」
「ん、うーん……実はこのあと待ち合わせしてまして……ハイボールはお腹膨れちゃうからなー……」
「では、ショートカクテルはいかがでしょうか?」
「そうですねっ。じゃあ何にしようかな……うーん、あっ」

 ひらめいたように、キョウコさんはぽんと手を叩きました。

「マティーニ、マティーニください」
「……それも、初めて来たときみたいですね」
「わぁ、覚えていたんですね」
「はい、もちろんです」

 よくよく思い出せば、キョウコさんはあの日から今日までマティーニを注文していません。
 何から何まで、あの日のようです。

 ミキシンググラスに氷を入れ、冷たい水を注いで。それを流して冷えたミキシンググラスにドライ・ジン、ドライ・ベルモットを注いでステア。
 冷やしたショートカクテルにオリーブを飾って、それをキョウコさんの前に置いて、マティーニを注ぎます。

「おまたせしました、マティーニです」
「ありがとうございます」

 キョウコさんはそれを一口飲んで、眉をしかめます。

「……ここではいろいろいただきましたが、やっぱり、苦い」
「角砂糖、お出ししましょうか?」
「いえ。苦いんですが……でも、おいしい。おいしいと、思えます」

 ふと、キョウコさんの左薬指に目が止まりました。

「あっ」

 視線に気づいたのか、キョウコさんは恥ずかしそうに左薬指のそれを優しく撫でました。

「その、先週、もらっちゃいました……」
「おめでとうございます」
「まだぜんぜん、時期とか……お互いの両親にも挨拶してないのに、気が早くって……でも、すごく嬉しくて……えへへ」

 ………………



「ほぼ一年前」

「……ほぼ一年前?」
「はい。お客様が初めてここに来られたとき、今だから言えることですが、とても消沈しておられました」

「え、そうでしたか? どうしてだっけ……? あ、あのときか……」

「ですが、その1年後の今日、大変失礼ながら、これだけ幸せそうなお客様の顔を見ることができるとは、思ってもいませんでした」

「そうですね。私も、想像していませんでした」

「わたくしは、とても嬉しく思います」

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「あ、もうこんな時間。そろそろ行きますね」

 キョウコさんはお代を置いて、席を立ちました。

「お客様、お気をつけて」
「はいはい、気をつけますよー」

 すでに意識は待ち合わせに向いているのでしょう。荷物を持って、ばたばたと店から飛び出して行きました。



 私は誰もいない、開いたままの扉に向かって、頭を下げました。


「ありがとうございました」


 もう、大丈夫のようですね。

     




「あっ」

『LittleBAR』を出て数分歩いたところで、キョウコさんは思い出しました。

(しまったー……渡すの忘れてたー……)

 バッグの中に入っていた茶色い包みを取り出し、がっくりと肩を落としました。
『LittleBAR』の扉を開き、バーテンダーと出会っておよそ一年。その間にバーテンダーの誕生日もあれば、『LittleBAR』のオープン記念日もあっただろう、ということでプレゼントを用意していたのだ。
 ちなみにプレゼントの中身は、ライトグリーンのブックカバー。店内には多くの本があったので使うだろう、たぶん。バーテンダーさんはライトグリーンって感じだなー、という考えのようです。

(どうしよう、また今度渡そうかな。でもそのときは持ってくるのを忘れてる気がする。あいつには悪いけど、今日のうちに渡しちゃおう)

 キョウコさんは待ち合わせ時間に遅れることを恋人にメールで伝え、引き返しました。

(一度お勘定したところも戻るってかっこ悪いなー……)

 お酒の酔い以外に、恥ずかしさで顔を熱くしながら歩いて、歩いて――


「あれ?」


 周囲の風景を見て、気づきました。

 行き過ぎている。

 いつの間にか、いつも使っている道を通り過ぎていました。

 慌てて引き返しました。


「……え?」


 キョウコさんは、全身の体温が下がっていくような感覚を味わいました。

 あの日、偶然見つけた脇道。街灯がポツポツと灯っていて、なんだかとっても怪しい雰囲気があった、あの脇道。

 それが、見つかりません。


 もう一度周囲を確認しますが、間違いありません。ここに、いつも使っていた脇道があったはずです。ついさっき『LittleBAR』に行ったときには間違いなくありました、それなのに。

「嘘だ……!」

 スマートフォンを取り出し、初めて『LittleBAR』を検索しました。同名のお店はヒットしましたが、キョウコさんが探している『LittleBAR』は見つかりません。

 マップを表示して、今までの脇道以外のルートを調べます。そして最短ルートを見つけ出して、無我夢中で走り出しました。

「……そんな」

 着いた場所は空き地でした。岩や砂利、人の手がまったく入っていない、土地。
 しかも、その場所は正確には『LittleBAR』があったところではありません。どれだけ探してもあの場所に行くことができなかったのです。

「うそ、うそ、ウソだ……」



『私は、遊園地を作りたかったのです』



 いつか聞いた、バーテンダーの言葉を思い出しました。

『私は、そんな空間を作りたかった』

『来られたお客様が皆に楽しんでもらえたり、嬉しく思ってもらったり……そう思っていただきたいのです』



『ですがこの店から出られたら余韻はさっと引いて、それぞれの日常に戻ってほしい』



「……時間。今日が、私の閉園時間、なんですね……」

 キョウコさんは、不思議と涙は出ませんでした。もちろん、悲しいし、寂しい。ですがこの感情は引っ張ってはいけない、そう思ったからです。

 バーテンダーが理想とするのは、このまま日常へ戻ること。キョウコさんはそれをわかっていたからです。

 手に持っていた茶色の包み、バーテンダーへのプレゼントを、そこに置きました。

 これで、キョウコさんが手にしているものは『LittleBAR』の記憶と思い出、だけ。

 キョウコさんは来た道を戻ります。



「……もしもし、ごめんね。もうちょっとだけ、遅れそう」



「……ちょっとだけ……ううん、ずっと、道に迷ってたの、私」



「でも、もう平気だよ」



「もう、大丈夫だよ」

     

























(あーーーーーーーー! くそっ、なんだよもう!)

 その女性は近ごろ、ずっとイライラとしていました。

 社会人も早●●年。がむしゃらに働いていたら恋人ができないまま、けっこうな年齢になっていたのです。

 可愛がっていた大酒飲みの後輩は、憎たらしくも優秀な後輩と結婚してしまった。その結婚式に出席して以来、その女性は焦っていました。

(男の年収なんてどうでもいいんだ、どうせ私のほうが稼ぐから! でも、なんでどいつもこいつも、怯えたような顔しやがって!)

 ……説明しますと、お見合いパーティか何かに行って、惨敗(この場合別の意味で圧勝かもしれませんが)してその帰り、と言ったところでしょうか。

(そう、そうよ……なんで、皆は私のことを怖がるのよ……)

 ふと大酒飲みの後輩を思い出します。おいしいものやお酒を飲むと、だらしなく笑う後輩。

(たしかにあの子は可愛い……私には、あれは無理かもしれない……あの子の真似してブログでもやってみようか……いやでも、それだけが需要じゃないだろう!)

 何やらいけないオーラを出しながら歩いていると、すれ違う女性に目を奪われました。

(なんか、幸せそうね……うわ、年寄り臭い!)

 考えれば考えるほど、悲しくなってくる。



 その日、いくつかの『偶然』がありました。



(ん?)

 外回りのとき、しばしば使う道。その道、、見慣れない脇道がありました。

(こんな道、あったっけ?)

 その女性は『偶然』、その脇道を見つけました。
 街灯がポツポツと灯っていて、なんだかとっても怪しい雰囲気。

(いかにも、何か出ますよー、な雰囲気ね)

 危険だ、脳がそう告げます
 でも、それなのに、一歩、踏み出しました。

(ま、このまま帰ってもむかむかするだけだし……それに、ちょっと気になるし)

 普段ならさっさと踵を返していたことでしょう。なのに『偶然』、気分が向いたのです。

 新規の客を相手にしているときみたいだ、こんなときにも仕事のことを考えながらその女性は進みます。
 ですが、その脇道はすぐ行き止まりになっていました。

 肩をすくめ、ため息一つ。引き返そうとしたとき、その女性は『偶然』、それを見つけました。

 そこは小さなバーでした。お世辞にも立派とは言えない店構え。ですが、スモークガラスからモヤモヤと漏れ出る光は力強く、きっと気のせいなのでしょうが鼓動さえ感じられました。
 よーく耳をすませば音楽も聞こえてきます。


 その女性は、お酒をまったく飲めません。会社の飲み会では弱い自分を見せまいと無理に飲むことはありましたが、それ以外ではまったく飲もうとしませんでした。
 ですので、バーなんて一人ではもちろん行ったことがありません。

 なのに、その女性の手はトビラに伸びていました。
 それも、『偶然』……なのでしょう。



 扉を開くと、そこにはバーテンダーが一人だけ。閑古鳥が鳴いていたのでしょうか、バーテンダーはライトグリーンのブックカバーがかけられた本を開いていました。

「いらっしゃいませ」

 バーテンダーが女性に気づくと、本を閉じて言いました。



「『LittleBAR』へようこそ」

     


■コラム 第8回~LittleBARについて~

◆これは?
 コラムというか、あとがきです。

◆この作品について
 ある日作者はバーに行きたくなりました。その当時バーなんて行ったことがなかったので、知っているところがありませんでした。ネットで最寄りのバーを探して晴れてバーデビュー、めでたしめでたし。

 数日後、もう一度あのバーに行きたいなと思ったのですが、なぜかその日はそこに行けない。迷って迷って、行くことができませんでした。
 これは超常現象とかではなくて、方向音痴なので本当に迷っただけで別の日にちゃんとルート調べたら行けたんですけどね。

 そのときの蜃気楼的体験が印象に残ったのか、この体験を文章にしてみたいなー……と思って一年ぐらいが経ち、ようやく形にできたのがこれ、『LittleBAR』でした。

 商業の作品でもいろいろありますが、カクテルやウィスキーは創作意欲が刺激されるようなネタが多くありますね……まだいくつかネタのストックはありましたが、もともと長期連載するつもりはなかったのでこれぐらいで良かったかな? と作者的には思っています。

◆書きたかったこと
「07.閉店時間」の遊園地の下り。それはそのときのコラム参照。

◆したかったこと
 作者が抱いているコンプレックスに、「自分には人の心を揺らすようなものは書けない」というのがあったりします。というのも、作者は漫画や小説の登場人物に共感とか感情を重ねるとかをしたことがないからです。というか、できない。それ以外にも、音楽を聞いたり絵を見たりしても、特に何か考えたりとか心打たれたりとかがありません。そんな作者が他人の心を動かすようなものが書けるか、と考えたとき、それはどう考えたって、無理。
 無理っちゃ無理なんですが、いい加減これぐらいできないと上に行けない感じがしたので、今回はだいぶがんばってみました。
 その結果は……いかがでしたか?

◆一番最後に出ていた女性
 某作品のあの人です。本当は最後のためだけにキャラ考えようとも思いましたが、しっくりするキャラが浮かばなかったので出演させました。案外マッチしてて作者はお気に入りです。

◆次回作のこと
 よくわからないんだけど、生きてる文章、てのを書いてみたい。 脈動感がある? 色がついてる? 呼吸をしてる? よくわからない。
 このわけわかんないのが理解できたら、また向上できるんじゃないでしょうか。

 ジャンルは……そろそろラブコメですかねー。ストーカー物、擬人化物も案はありますが、悩むところです。塔からシリーズはもうちょい後。

◆最後に
 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
 連載当初はコメントなんて来ないだろうと思っていましたが、思っていたよりもはるかに多くコメントがいただけて嬉しい限りです(とはいえ0コメとかだったら心折れてた)。
 しかも後藤健二先生、真純先生、ココ太先生、阿羅鬼格之進先生からはFAをいただけました。もうおどろきです、FA枚数が更新回数を超えるかもってときがあってドキドキしてました。
 ツイッター上でも読みましたと言ってくださった皆さま、この場を借りて、感謝。

 それでは、ごきげんよう。

       

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Neetsha