Neetel Inside 文芸新都
表紙

アンチェイン由江
新任教師

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 憂鬱な気分のまま朝食を終えた陽が、2階にある自室で制服に着替えて
玄関に降りると、陽と同じく出掛ける所だった由江に鉢合わせした。
 白のレディースシャツに黒の膝丈タイトスカート。服装が
まともな所為で、余計にピンク色の髪の毛に違和感を感じる。

 陽は由江を無視して、靴箱から出したローファーの踵を踏んだまま玄関から出る。
 歩きながら片足ずつ踵を靴に収め、門の脇に停めてある自転車の
ロックを解除し、またがって漕ぎ始めようとペダルに足を掛けた瞬間、いきなり
後ろから襟首を掴まれ、陽はバランスを崩して危うく転倒しそうになった。

「何すんだよ、危ねぇだろ!」

「お前に話がある。少し付き合え」

 高圧的な態度で、陽に対して一方的に対話を要求する由江。

「俺は話なんてねぇよ、離せ!」

 襟首を掴む由江の手を左手で払いながら、陽は由江に対して敵意を露にする。

「ふ、私は別にいいんだが、お前はいいのか?」

 由江は鼻で笑うと、陽に対して思わせぶりな質問を投げ掛ける。陽の敵意に満ちた態度など
まるで意に介していない余裕が、由江からは感じられた。

「ハァ? 何がだよ?」

 由江の質問の意味が分からず、質問に質問を返す陽。由江はそんな陽の様子が
滑稽な物に見えて、思わず口元を綻ばせる。

「頭の悪い奴だな。別に私は無理してお前と2人きりで話なんか付けずとも
 この家に居続ける事に支障はないんだぞ? 情報が無くて困るのはお前の方だ」

「……くっ」

 先程、由江に対する両親の態度を目の当たりにしている陽には、由江の言葉を
否定できる根拠が無く、馬鹿にされて悔しくともただ黙って歯噛みする事しか出来なかった。

「なのにわざわざ、こちらから話す機会を与えてやっているのに
 それを拒否するとは、馬鹿の考える事は分からんな」

「……うるせぇな、もう分かったから話って何だよ」

 続けて陽を馬鹿にする由江の言葉に耐えかねて、陽は話を
元の方向に戻そうと、由江が当初話すつもりであった話について尋ねる。

「どうしてそういう態度になる。ちゃんと話を聞いてたのか?」

「は?」

「話して下さい、お願いします。 だろ?」

 なおも陽を馬鹿にした態度を取る由江。この対応は馬鹿にされつつも、一度は話を元の
流れに戻そうと譲歩した陽にとって、もはや我慢のできないものであった。

「……もういい」

 由江から目を離し前を見据えると、陽はペダルを漕ぎ出す。それを見た由江は
やれやれといった様子で陽を見送ったが、最後に陽の背中に向かって言葉を投げ掛けた。

「現実から目を逸らしても無駄なんだがな」

 背中から聞こえる由江の声を、陽はやり切れない思いで聞いていた。
 現実から目を逸らしても無駄? そんな事は言われなくても分かっている。
 さっきのような時は、腹が立っても我慢して話を聞いた方がいいに決まってる。
 いや、それ以前に何で俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ? おかしいだろ!
 頭の中で様々な感情が入り混じって、気持ちがうまくまとまらない。
 それもそうだろう、陽にとっては朝からいきなり色んな事が起こり過ぎたのだ。

 いらいらして陽のペダルの踏み込みが思わず強くなる。スピードを上げ、車通りの少ない
横断歩道を赤にも関わらず勢いよく突っ切ると、ちょうどそこに走ってきた車と
接触しそうになり、タイヤが路面との摩擦で締め上げられて生じる
ブレーキ音と、耳をつんざくようなクラクションで、ようやく陽は我に返った。

「やべっ」

 停止した車の運転手がこちらをじっと見ているのが分かる。接触しそうになり
お互い急ブレーキを掛けたので、陽の自転車も相手の車も停止しているのだが
どうも相手の車の運転手が降りてきそうな気配である。
 それを感じ取った陽は、力強くペダルを踏み込むと車が交差できない程の
細い小道に入り、陽にとって全力の立ち漕ぎで自転車を飛ばした。
 謝りもせず逃げるというのは非常識であろうが、陽にとって
朝からこれ以上の面倒事はご免だったのだ。

「おい!」

 遠くから怒鳴り声が聞こえたが、陽は振り返らず自転車を飛ばす。しばらくして
両足に痺れる様な疲労感を感じたとき、ようやく陽はペダルを漕ぐ足を緩めた。
 心臓がバクバクして両足から激しい疲労感を感じる。朝から凄まじく体力を消耗した陽は
精神的にも肉体的にも最悪な状態のまま、学校までの道のりを辿る羽目になってしまった。

 そんな陽を教室で出迎えたのは、いつもと何ら変わらない喧騒であった。
 いつもは耳障りなだけの級友達のドラマやらアイドルやらの話題と、大した変化の無い
会話の内容も、今の陽にとっては、自分がいつもと変わらない
日常にいることを実感でき、陽は心が落ち着くのだった。

 しかし、登校時間から10分ほどが過ぎ、いつものように始業前のHRを始めるため担任が
教室に入って来るが、その様子がいつも通りでは無かった。
 担任一人ではなく、もう一人、女性を伴っていたのだ。

「……マジかよ」

 陽は思わず呟いた。何故ならもう一人の女性が、朝に同じ卓で朝食を取った
陽の姉を自称する由江だったからだ。

「誰? あの人」

「髪ピンクとかパネェwww」

 初めて見る由江に関してあれこれ言う級友達。
 当然の反応だろう、彼女はインパクトがあり過ぎる。
 だが、もっとインパクトがあったのは担任の次の発言であった。

「えー、突然ですまんが先生、教師辞める事になったから」

「え! 嘘でしょ。なんで?」

「マジかよ!」

 担任の突然の辞職宣言にざわめく教室。それもそうだろう、余りにも前触れが
無さ過ぎる。

(あの女がまた何かやったんだ!)

 陽は事の元凶が由江であると直感的に察し、担任の横に控える由江を睨み付けるが
視線に気付いた由江は、陽に向かって微笑みながら控えめにひらひらと手を振った。
そんな、愛嬌のある可愛らしい仕草も、本性を知る陽にとっては
わざとらしい演出にしか見えない。

 一方で、未だざわつく生徒達を鎮めもせず、担任は言葉を続ける。

「それで、後任の先生を連れて来た。君、自己紹介したまえ」

 担任に促され教壇に立った由江、彼女は落ち着いた声で自身について語る。
 まず、名前は大谷由江である事。昨夜は緊張して中々寝付けなかった事。
 そして、大学を卒業したばかりの、未熟な自分が迷惑を掛けてしまうであろう事。
 由江が語るそのどれもが、陽にとっては本当なのか疑わしい物に思えたが
新任の教師の自己紹介という点では、不自然な所は見当たらなかったので
「変な事言い出したらどうしよう」と、内心気が気ではなかった陽はホッとしたが
最後に余計な一言が待っていた。

「ちなみに、私はそこにいる大谷陽くんの姉でもあります。
 姉弟共々、どうかよろしくお願い致します♪」

 由江の発言を受けて、級友達の視線が一斉に陽に集まる。だが、一方で
陽に視線を移さない者は「陽ってだれ?」とか「そんな奴いたっけ?」などの
失礼な言葉を発していて、陽は不愉快な気分になる。

 由江の自己紹介が終わるとほぼ同時に、1時間目の数学の教師が教室に入ってきた。
 本来、HRは5~10分くらいでいつもは簡単な連絡事項くらいしか話さないので
時間が余ることが多いのだが、今回は自己紹介があった為、時間が押してしまったのだ。
 由江は数学の教師に会釈すると、担任の教師と慌てて教室から出て行ったが
陽はその由江の後姿を複雑な気持ちで見送っていた。
 それもそうだろう。正体不明の存在が自宅だけでは飽き足らず、自宅以外の
唯一の逃げ場であった学校にまでその食指を動かして来たのだ。陽にしてみれば
朝に不意打ちを食らい、そして今また先手を打たれたような形となってしまい、これから
由江に対して何をするにも後手に回ってしまいそうな
精神的圧迫感を植え付けられてしまったのである。

 こうなってしまうともう、授業はほとんど陽の頭に入らなかった。
 1時間目の休み時間に、級友達が由江の事について質問攻めをしてきた時も
陽は上の空でろくに返事も返さなかった。当然、そんな対応をしていれば、陽に
対して由江の事を質問する人間は、休み時間の度に減って行き、昼休みには
その数はとうとうゼロになってしまったのだった。

 昼休みの教室内は、あちらこちらで友達同士、会話を弾ませながら
昼食を取る姿が目立っていたが、陽はそれを鼻で笑うと音も無くスッと立ち上がる。
 その手には弁当袋が握られており、それを持った陽は、すたすたと
旧校舎の方へ歩いて行く。
 なぜ陽は人気の無い旧校舎に行くのか? その答えは決まっている。

 ――目的は、弁当を食べる事だ。

       

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