第一話

 凌辱している。
 相手が誰なのかは分からない。正体不明の女性に覆いかぶさり、一心不乱に腰を突き動かしている。
 見知らぬ相手というわけではない。女性の顔には黒い靄がかかっており、自分が凌辱している相手が誰なのか判別できないのだ。ただ、この女性は自分がよく知っている人間なのだろうなと、根拠もなしにそう思っていた。
 彼女は華奢な身体つきをしているが、肉付きの少なさの割に身長は高めだった。
 ……いや、彼女は決して身長が高いわけではない。どうも僕が小さすぎるようだ。それゆえ相対的に彼女が大きく見えている。おかしいな、僕はたしか身長が170センチあるはずだ。
 腰を動かしながら僕は自分の腕、上半身、下半身を順に見た。目に映る小さな体躯は小学生のそれだった。
 あれ、そもそも僕はいくつだったっけ……?。そんな疑問が頭を埋め尽くすが、下腹部を中心に高まっていく快感がそれをかき消してしまった。
 快楽の頂きを目指して腰の動きを早める。そんな僕とは対照的に、相手の女性は喘ぎ声一つあげるどころか、身体をピクリとも動かさなかった。
 右手を伸ばし、彼女の小ぶりな乳房に指を沈ませる。少し硬さのある感触。真っ白な肌はとても冷たく、人の温もりが微塵も感じられない。乳房から全身に指を這わせるが、彼女の身体から感じ取れる温度は変わらず冷たいままだ。
 その異様な冷たさが僕の気持ちを高ぶらせた。
 情欲を込めた視線で彼女の真っ白な裸体を舐めまわす。綺麗な肌の一部に紫色をしたシミのようなものが浮かび上がっている。僕がそれに気づいた途端、シミは急速に彼女の白い肌を侵食していった。
 興奮と快感が最高潮へと向かって加速度的に高まっていく。腰の動きが一段と早くなる。
 もう全てを吐き出すことしか考えられなかった。情欲と支配欲、そしてそれらが満たされていることによる充足感。すべてを精液という形で彼女の中に吐き出したいと本能が渇望する。
 全てを思うままに――。僕は彼女の“死体”に腰を打ち付け、そして……



「朝、です、よ!」
 聞きなれた声がまどろみから僕を引きずり上げようとする。その声に続いて左右の耳にけたたましい目覚まし時計の音が鳴り響いた。
 あまりのやかましさに意識が一瞬で現実に引き戻される。
「ほら透、早く起きて」
 僕の身体を覆っていた掛布団が引きはがされる。少し冷たい空気が布団の温もりに代わって僕の身体を包み込んだ。
「起きるよ、起きるから静かにしてくれ」
 僕は枕元にある二つの目覚まし時計を叩くように止めると、上体をゆっくりと起こす。
「はあ……」
 大きな溜息が僕の横で吐き出された。
 ベッドの横で 僕を見下ろすように立っているた少女――幼馴染の栗原葵の顔を見上げる。溜息の主は僕の股間へと視線を向けていた。
 彼女の冷めた表情が目に入ると同時に、僕は股間の違和感に気づく。そしてすぐに視線を葵と同じ方向へと向けた。
 履きなれたパジャマのズボン、その一部が不自然に隆起していた。男性ならば誰でも起こり得る朝の生理現象である。先ほどまで淫夢を見ていたせいか、股間のそれは普段よりも硬く大きくいきり立っていた。
「……生理現象だから、ね」
「もう五回目だよ。さすがに見慣れた」
 葵は再び溜息をついた。彼女の言う通り、僕の朝立ちは過去にも同じように何度も見られている。
 ……しかし、よく回数を数えていたものだ。思春期の異性からすれば強く印象に残る光景なのだろうか。
「先に下に行ってるからね。朝ごはんの準備もできてるって」
「了解」
 彼女から鉄拳が飛んでくるのではないかと内心ひやひやしていたが、結局暴力の類はふるわれずほっと胸をなでおろす。今までは朝立ちを見られるたびにビンタを食らっていた。それがないということは本当に見慣れてしまったらしい。僕は未だに見られる恥ずかしさには慣れていないというのに。
 葵は「早くおいでよ!」と言うと僕の部屋を後にした。
 さて、朝ごはんが冷める前に着替えるとしよう。僕は立ち上がると壁にかかったワイシャツに手を伸ばした。



 洗顔を終え、ダイニングへ。すでに母さんと葵がテーブルに座って待っていた。テレビを見ながら談笑している。
 テーブルの上には焼き鮭と豆腐の味噌汁、白菜の漬物。今日の朝食だ。
「おはよう、透」
「おはよう。お待たせ」
 母さんに挨拶を返すと、あくびをしながら席に着く。僕が腰を下ろすと同時に母さんが「いただきます」とよく通る声で言った。僕が来るまで食べるのを待っていたようだ。
 母さんに続き、葵も元気な声でいただきますと言うやいなや、味噌汁に手を伸ばした。葵は母さんの味噌汁が大好物なのだ。
 そもそも、なぜ他人である葵が――とは言っても一応幼馴染でお隣さんなのだが――我が黒崎家の食卓で食事をとっているのか。
 葵曰く「これは契約なのだよ、ふふん」とのことだ。高校に入学して早々遅刻を繰り返した僕を起こしに来る代わりに、母さんが葵に朝食を提供する、という契約。
 実際のところは、シングルマザーである葵の母の仕事が最近忙しくなり、代わりにうちの母さんが育ちざかりで部活もやっている葵に朝食を提供している、というのが真相だ。葵がこのことを知っているのかどうかは分からない。
「ねえ、透はさあ――」
 葵がテレビで流れているニュースの話を僕に振ってくる。ここ最近の朝は今までに比べて会話が多い。根っからの元気娘である葵がいるからだろう。
 この朝のひと時は、嫌いじゃない。
『続いてのニュースです』
 たった今話題にしていた事件から別の事件のニュースに切り替わる。三人とも視線はテレビの画面に移っていた。
『○○市××町のアパートで女性の遺体が発見された事件で――』
 空気が、凍りついた。
 母はテレビがら視線を離して顔を伏せる。あれだけ喋っていた葵も口をつぐんで表情を少しこわばらせた。
『――県警は、遺体はこのアパートに住む大学生、村田希望さん18歳で、死因は首を絞められたことによる窒息死と発表しました』
 若い女性、そして首を絞められたことによる窒息死。その二つの“共通項”がさらにこの場の空気を悪くする。
『県警は××署に捜査本部を設――』
 耐えきれず、僕はリモコンに手を伸ばし、テレビの電源を切った。それでも、沈黙は続く。
 きっと二人はあの事件のことを思い出している。忘れたくても忘れられない、身内に降りかかった不幸のことを。
 突如、食器がカチャカチャと大きな音をたてた。視線を音の鳴った方へ移す。葵が朝食の残りを男顔負けの勢いで口内にかきこんでいた。
「ごちそうさまでした!」
 場の空気を吹き飛ばす、元気な一言だった。たったそれだけで妙に重かった空気がどこかへと吹き飛ぶ。
「おばさん、今日も美味しかった!」
「ありがとね、葵ちゃん」
 母さんの表情にも明るさが戻っていた。
「家にバッグ取りに行くからそれまでに食べ終えて支度しておいてよ」
「分かってるよ」
 葵は僕の肩を軽く叩くと、小走りで階段を駆け上がっていった。……玄関から帰らなかったということはまた僕の部屋の窓から入ってきたのだろう。やめろといつも言っているのに。
「あんたも早くしなさいよ」
 母さんに急かされる。確かに人を待たせるわけにはいかない。だが、すぐに立ち上がれるような状態ではなく、自然と箸が進むペースが遅くなる。
 先ほどのニュースのせいだ。先ほどから頭の隅であることがチラついてしかたがない。若い女性の遺体、あれが頭から離れない。
 母さんと葵は昔のことを思い出していたに違いないが、僕は違った。
 あの遺体、村田希望という女性はどんな人だったのだろうか。美人だったのかそうではないいのか、痩せているのか太っているのか、明るい性格なのか暗い性格なのか。そして犯人は彼女になぜ殺したのか。そして、殺した後、彼女の遺体に何かしたのか。
 もし僕なら彼女の遺体を――
 昨夜見た夢の映像がフラッシュバックする。僕は、死人を犯していた。そして今、僕は脳内でまた死人を犯そうとしている。
 股間はとっくに硬くなって張りつめていた。だからすぐには立ち上がれない。それなのに、妄想は一向に止まらない。
 箸を持つ手が止まる。妄想の世界に入り込んでいく。想像で作り上げた村田希望の死体に僕は触れている。冷たい肌を舐めるようにまさぐって……
「まだ食べてたんかい!」
 頭を叩かれ、意識が妄想の世界から現実に引き戻される。振り返ると、バッグを持った黒髪でショートカットの女子高生が立っていた。葵である。もうバッグを取りに行ったようだ。
「ご、ごめん。今食べ終わるから」
 僕は慌てて食事をかきこむ。びっくりしたせいか勃起はすぐにおさまった。
「まだ寝ぼけてたの?」
「そうみたい」
 急いで食器を片づける。次は、ええと、歯を磨かなければ。
 僕を急かす葵の声を聞きながら、登校前の身支度を終える。バッグを持って廊下を走り、玄関で待つ葵の元へ。
「ごめん、お待たせ」
 少し息を切らしながら、靴を履く。
「それじゃ、いってきまーす!」
 葵が母さんに向かって元気よく挨拶。僕もそれに続いた。
 玄関を開けると、まぶしい日差しが僕たちを照りつける。本日は晴天なり、だ。
「もうちょっとシャキっとしなよ、シャキっと」
「僕は朝弱いんだってば」
 別に言うほど朝が弱いんじゃない。ただ、ちょっと妄想の度が過ぎてしまっただけ。
 いつも夢に見てしまうほどに、ふとした拍子に妄想が止まらなくなるほどに……

 僕は死体が好き、ただそれだけなのだ。