Neetel Inside ニートノベル
表紙

70000歳
収穫祭から帰ろう

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「渡しとツツジとコバヤシがブラジャーつけて大通りで呼びこみな。遠慮はいらねえ、ガッツリ売り込むんだ。タチバナとミクリヤは店に残って売り子をしてくれ。手順はさっき教えた通りだ。とにかく笑顔を絶やすんじゃねーぞ」
 タマキはみんなを見回し、一人一人の役割を確認していく。モロボシに視線が止まると、少しだけ、憐れみを込めた目つきで、
「モロボシは……ちびたちの面倒を見てやってくれ」
 この戦力外通告はモロボシにとっても好都合だったので、しっかりと頷く。
「よし、それじゃ行くぞ!」
 みんなの声が薄汚れた路地に響き渡る。建物でトリミングされた狭い青空は、狭い所為か、よりいっそう青かった。
 そして、日が傾き始め、街の明かりが灯るころ、収穫祭一日目は例年のごとく熱狂のうちに幕を閉じた。明日以降の英気を養うためか、各店舗が営業を終えるのは意外なほどに早い。ツツジたちのブラジャーショップも、日が完全に落ちる前に閉店した。
 売り上げは、5枚。ツツジ、タマキ、コバヤシ必死の努力が実を結んだのか、そうでもないのか定かではないが、明らかに3人の周りには敗戦ムードが漂っている。一方、タチバナが悔しそうにミクリヤに1000円札を渡している光景が某所で目撃された。
 この日、モロボシたちは自分たちの売り場のスペースにテントを2基張ってそこで寝ることにした。設置作業を終えて、みなで公衆浴場に行く。ミクリヤに股間だけは死守しろと囁かれた。声量は少なかったが、ほとんど命令に近い重みがあった。しかし、あの落ち着きのないちびたちが、いつイタズラしてタオルをもぎ取って行くかわからない。モロボシは曖昧に頷いた。
 予想に反し、公衆浴場でのちびたちはかなり大人しかった。モロボシはなぜだろうと不思議に感じたが、テントに帰るとすぐ横になってスヤスヤ寝息を立てたので、得心がいった。一日中、元気に市場を走り回った所為だろう。モロボシも一日中ちびたちに付き合っていたことを思い出し、今さら疲労を感じた。しかし疲れすぎて、逆に寝付けない。
 ちびたちが寝ているテントを出ると、同じくテントを出たタマキと遭遇した。タマキは穴だらけのシャツを着ていた。もともとはコーヒーのシミを誤魔化すために穴を開けたら、イケるんじゃないかと思って至る所に開けまくったんだ、と頼んでもいないのに説明してくれた。
「で、モロボシお前、どこ行くつもりだったんだ?」
「特に」
「そっか。んじゃ、ちょっと付き合ってくれよ。月が綺麗にまんまるだ」
 モロボシは頷く。
 サクラギ街の夜は幻想的だった。昼間の薄汚れた感じが夜の化粧によって、魅力的な部分はくっきりと、醜悪な部分はぼんやりと、見事に表情を整えている。モロボシたちの歩いている道路には、ほんのりとした照明が等間隔に灯っており、星の夜空を殺さない。
「……ブラジャー、なんだけどよ」
 ふいに、タマキが言った。モロボシは頷く。
「ま、ぶっちゃけそんな簡単に売れるわけねーと思ってたから、別に良いんだけどな」
 モロボシは頷く。
「それよか、ちびたちの面倒見ててくれて本当に助かった。あいつら基本、あんなに自由じゃないからさ、家では。たぶんコバヤシんとこも同じだろうけど、この前の戦争でいろいろあってな。どこの家も生きるのに必死なんだよ。……だから、あと3日。頼んで良いかな?」
 モロボシは頷く。タマキはモロボシに顔を背けて、
「ありがとよ……」
 と言った。ちびたちのことで礼を言いつつも、タマキが落ち込んでいることは、モロボシの目にも明らかであった。
「気にするな」
「は?」
「酷評されても、それほど悪くはない。絶賛されても、それほど良くはない」
「……なんだそれ」
「誰かが言っていた」
「気休めかよ」
「他人の反応は、曖昧だ」
「5枚だぜ。売り上げ、たったの5枚。渡したちは無視されたんだ。誰かにミッチリこき下ろされる方が、まだマシだっつーの」
「無視されたのではなく、気づかれなかっただけだ」
「渡したちを評価してくれるヤツが現れるまで、我慢しろってことか?」
「新しいものは、すぐに普及しない」
「そりゃー、そうだ」
「5人でも、明日、その5人が、それぞれ、5人にブラジャーを紹介すれば、25人。その25人が、それぞれ、5人にブラジャーを紹介すれば、125人。簡単にノルマは超えられる」
 モロボシは、自分でも何を言っているのかわからなかった。なぜこれほどまでに舌が回るのか。あふれ出てくる言葉の源は、――どこだ?
 タマキは、呆れ果てたように長いため息をついた。が、
「それこそタヌキ演算だろ。でもま、付け心地はやっぱりいいはずだ。渡したちは間違ってない。足りないのは、知名度だけだ……よし! 具体的に何をすればいいのかまだ分からないが、とにかく明日も頑張るか!」



 翌日、一日遅れでようやくシミズが合流した。
「ごめんなさい。ちょっと用事があって抜けられなかったの。で、どう? 売り上げの方は」
「全然ですね……」
 と、ミクリヤが言う。
「あっそう」
 しかし全然だったのはその日の昼までであった。午後になると、加速度的に客がどっと増えた。まるで何かの冗談みたいだったので、ミクリヤとタチバナはお互いにお互いを叩き合って、何度も現実を確かめ合った。やがて現実を確かめ合う暇もなくなっていく。
「どうしたんだろうね急に……」
 とタチバナ。
「少しずつ知られてきたってことか。宣伝効果? いやいや……それでも、この人数は異常だ。きっとすぐ、何事もなかったかのように静まるさ」
 ミクリヤの予想を大きく裏切り、その日は閉店時間まで客足が絶えることなく、午後だけでいきなり100枚ほど売れた。
 次の日は朝から晩までずっと客が絶えず、時折、行列ができるほどであった。モロボシとちびたちも会計にかり出され、行列を作るのはモロボシの不器用さに起因していた。シミズにも売り子をしてもらおうとツツジは提案したが、そんなときに限って姿をくらましているのである。
 そしてとうとう最終日は、午前11時で3000枚全てが完売してしまった。買えなかった人たちが作ったら売ってくれと連絡先を預けたほどだった。ミクリヤとタチバナは信じられない悪夢に巻き込まれたような顔で、この騒動を見守っていた。
「賭けに勝った気がしないんだが……」
 とはミクリヤの弁。
 午前中に後片付けをして、午後は皆で収穫祭を回ろうということになった。最終日とあって、人の数は前の3日とは比較にならない。
「もっと作ってこれば良かったねー」
 燃えるような熱気の人ごみを見て、ツツジが呟いた。大通りを歩いていると、ブラジャーを付けている人をちらほら見かけた。人が多くて暑いので、普通の服だとすぐに身体の熱が籠ってしまう。しかしブラジャーなら涼しげである。さらに胸が固定されるので、ブラブラして落ち着かない人には最適だ。さらにタマキは、これには胸の形を整える効果もあるんじゃないかと予測していた。
 つまり、多種多様の人間が集う灼熱の収穫祭で、ブラジャーが売れるのは必然だったのである。
「ねえタマキ、コバヤシ、今度は色と刺繍のバリエーション増やそうよっ!」
「そうだな……これは革命だからな。マネされる前に手を打っとかねえと」
 と、三人は早くも次回の作戦会議をしていた。
 それから昼は屋台で軽いものをちょくちょく食べたりして、夕方はシミズが予約した店で、シミズのおごりということになった。
「まあ四日間頑張ったんだし、先生としてはこれぐらい当然でしょ」
 と、ほとんど店を手伝わなかったことを埋め合わせるようにシミズは言った。みんなそれを承知の上で、
「ありがとうございます!」
 続々と料理が運ばれてくる。ちびたちは今まで食べたことのない料理に興奮して、暴れるように箸を動かした。それをモロボシがたしなめる。するとしゅん、となってチマチマ箸を動かすのだ。しかし頭を撫でてやると、元気を回復してまた暴れ始める。どうやらすっかり懐かれてしまったらしい。
「そーいやシミズは毎日昼間どこに行ってたの?」
 と、ツツジが純朴に尋ねる。シミズは年齢を重ねることで会得できる微笑みで、、
「ちょっと日差しが強くて休んでいたの。ごめんなさいね」
「そういや渡したち、スッカリ焼けたな」
「渡し日焼けの痕がこんなんになってる」
「ミクリヤなんてやばいよ! なんかもう、色違いの別キャラだよ!?」
「うるさい! ツツジ黙れ!」
 やがて食事が落ち着いて、
「でさ、……結局、どれぐらい売りあげたんだ?」
 とタマキが訊く。
 ツツジはキョロキョロと周りを確認して、ぐへへといった顔をした。それから神妙に息を吸い、吐いた。
「ゼロが5つと、8」
「はぁッ!? そんなに!?」
 どよめきが走る。
「材料費引いてこれだから。完全利潤だから」
 はち、じゅー、まん……4日で……と、タマキが明らかに故障していた。
 対面の席で赤い液体を飲みながら生徒たちの様子を眺めていたシミズが、思い出したように口を開いた。
「そうだツツジさん」
「はい?」
「売り上げを学校に報告しないといけないの。一応、決まりだから。その売り上げ、少しのあいだ先生に預けてくれない?」
 ツツジとタマキは顔を見合わせて、頷き、
「お願いします」
 と、厚さ1センチ弱の封筒をシミズに渡した。
 
 
 
「でさー、海に行こうと思うんだよねー。みんなで」
 宿への帰り道、ツツジが提案する。
「海、いいね、行きたい」
 コバヤシが賛成する。タチバナもコクッと頷く。
「タマキも行く?」
「渡しは……ちびたちがいるからな。どうだろ、行くときになったらまた誘ってくれ。その時に決める」
「りょーかいっ! ……それはそうとミクリヤ」
 ツツジは急に声を細くして、
「モロボシ、何だか海の記憶があるらしいよ」
「えっ、何でそれ早く言ってくれなかったんだ」
「ごめんごめん、忘れてた。だってここんとこ忙しかったじゃん」
「ったく……モロボシ、帰ったら検査再開だからね」
 モロボシは頷く。結局きちんと検査をしたのは目覚めてすぐのあの日だけだった。
 そのとき、収穫祭のフィナーレを告げる花火が打ち上がった。
 和気あいあいとしていた一行に、沈黙が訪れる。皆が皆、この熱狂が長く続かないことを思い出したのである。
「もう、終わるんだ……」
 と、タチバナ。
「そうだな……あっという間だった」
 と、タマキ。
「こういうのまたやりたいね」
 と、コバヤシ。
 ツツジがうんうんと頷いて、
「来年も出ようよ、このメンバーで。来年はすごいことになってるよ、きっと」
  
  
  

       

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