Neetel Inside ニートノベル
表紙

70000歳
しっきん!

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「で、モロボシはアホなの?」
 あらゆる検査の結果とにらめっこを始めたミクリヤに、ツツジが訊いた。モロボシは700年ぶりの目覚めを迎えたベッドで横たわり、頭に色とりどりのコードが延びる電極を取り付けられ、あらゆる検査を受けてその結果を漫然と待っている。
 あらゆる検査、というのも具体性に欠けるので一例をあげると、水分を大量に摂取し、限界まで尿を我慢する、というものがあった。モロボシが飲まされた水には利尿作用のある薬品が混ぜられており、常人ならば30分ほどで猛烈な尿意に襲われる。モロボシは尿意を感じたその瞬間、短パンのまま失禁した。
「……モロボシは、アホだな。結論から言えば、アホだ。しかし刺激に対して、脳波に変化はみとめられる。よって反応の仕方を忘れているだけ、という可能性が大きい」
「えーっと、それってつまり?」
「モロボシは、普通の人間に戻れる」
 今までは普通ではなかったのか、とモロボシは思った。思うだけで、特に何か感情が湧くわけでもない。事実として受け止めた。こんなときどういう反応をしていいのかわからないのは、感情を忘れているだけなのか。
 ツツジは作っているのか素なのかはわからないが、大げさな態度でため息をついて、
「よかったーとゆうことはとゆうことは! 相手を好きだと思ったり、嫌いと思ったりすることもあるってことだよねっ?」
「そうなる」
「やりぃ! つまり、渡しとモロボシは結ばれるってわけだね?」
「それはどうだろう」
「なんだと!? ……まさかミクリヤ、あなたも!」
「いや、違う違う。感情を取り戻せるかどうかって話だ。忘れている感情を、取り戻す。それを具体的にどうすれば可能なのか、渡しにはわからない。モロボシ自身にもわからないだろう」
「そんなの簡単じゃん! モロボシを外に連れ出して」
「色んな体験をさせて、思い出せる?」
「そう」
「だがそれで上手くいく可能性があるか? 確かに感情は、自分自身の過去の体験や、周囲の環境によって形成される。それは学問が古来よりそう主張しているし、渡しも間違いはないと思う。しかしここで問題なのは、モロボシが700年前の人物だということだ。700年前の体験など再現できるはずはないし、ましてや【ここ】には【女性】しかいない。この世界でモロボシに色んな体験をさせれば、感情、みたいなものは生まれるだろう。しかしそれは、モロボシのもともとの感情とは違う、別物だ。とすれば700年前の感情と、今この世界の感情。その2つがモロボシの中に生まれることになる。それは1つの身体に2つの人格を持つようなものだ」
「……ミクリヤの言いたいことはわかるよ」
「渡しも、ツツジの言いたいことはわかる」
「モロボシ」「モロボシ」
 2人が同時に呼びかけたので、漠然と会話を聞き流していたモロボシは、少しだけ目を見開いた。
 その後30分ほどかけて、ミクリヤとツツジによってプレゼンされたのは、これからのことについてのプランであった。
 2人の意見を要約すると、ミクリヤはモロボシが学校へ行くことは賛成だが頻繁に行くことは反対な慎重派で、ツツジは皆勤賞を目指そうという改革派だった。
 どちらが良いかモロボシに判断を委ねられたが、2人とも同じ熱量でその思いの身の丈を語るので、モロボシはどう反応していいかわからず、硬直した。
「……」
 やがてミクリヤがため息をついて提案した。
「お前の運命、野球拳で決着つけてもいいか?」



「……わかったよ。わかったから、返してくれ」
「うへへ、ま、そろそろ許してあげまっしょう!」
 ツツジはミクリヤの白衣を放り投げた。
 序盤、勝負はミクリヤの優勢であった。ミクリヤはツツジのパターンを知り尽くしていて、快調にツツジの衣服を剥いでいった。ツツジが寒々しくなるにつれて、隠されていたミクリヤの本性が露になり、サディスティックな言葉でもってツツジを追い詰める。それがさらに袋小路の奥深くへとツツジを誘っていた。
 形勢は突然翻った。
 ツツジが脱げるものは、あと、下着と上着のみ――となったとき、モロボシが失禁したのである。先ほどの、利尿作用のある薬の効き目が終わってなく、第2波が訪れたのだ。ツツジだけでなく、ミクリヤも動揺した。視界の端で失禁されて平常心を保っていられるほど、ミクリヤも達観していなかった。
 そして、さらなる誤算があった。ミクリヤは白衣の下には何も纏っていなかったのである。「うわーミクリヤ博士、変態じゃん」「違うんだ。実験の最中は、白衣の下に何も着ない方がインスピレーションを得やすいんだ!」「世界はそれを変態って呼ぶんだぜ」先ほどの仕返しとばかりに白衣を取り上げて、意味もなくミクリヤを裸にしたツツジは、得意げであった。
「ふふ……明日から新生活が始まるね! いやー楽しみだね! モロボシは学校って行ってた? 行ってない? 知らない。そう。でもでも! 行くからには狙うよ、皆勤賞」
 と、下半身を尿まみれにしたモロボシに、笑顔で言いまくる。
 白衣を振り回す躁病の少女。一糸まとわぬ涙目の幼女。失禁しても無感動なモロボシ。客観的に見れば何一つ噛み合わず、一人一人のまがまがしさが悪い感じに共鳴し合っている光景であるが、当人たちがその異形さに気づかないというのは、よくあるパターンである。

 

 ツツジはまた明日ね!明日から始まりだね!とか言って帰った。
 今日も昨日に引き続き、ミクリヤの家で寝ることになった。
「ツツジ、今夜家の人を説得する方法を考えるんだってさ。モロボシがスムーズに泊まれるように。ところで、お茶飲む?」
「やる」
「え、何を?」
「お茶」
 ミクリヤは、自分が失敗することを見越したモロボシに驚いたようだった。もしかすると、これが感情の萌芽なのかもしれない。しかしその発見を喜ぶには、少しだけ気恥ずかしい。ミクリヤは怒ったふりをして誤魔化した。
「失礼な奴だな! お茶ぐらい失敗しないで入れられるよ! ……でも、お願い。ちょっと実験とか、実験以外のことで疲れた」
 モロボシは頷く。
「モロボシは疲れたか?」
「わからない」
「わからない。おっけ。まだそれでいい」
 モロボシはミクリヤの指示に従って茶を入れた。それから2人は台所のテーブルで向かい合って茶をすする。モロボシは熱湯のお茶を、あたかも常温水のようにゴクゴク飲む。それを真似しようとしたのか、勢いよくコップを傾けたミクリヤは、
「あっつ」
 と叫び声をあげた。
 フーフーと冷ましながら、上目遣いに彼女は言う。
「しかしモロボシはツツジの家に仕舞われていて幸運だったな」
「幸運」
「ツツジの家には巨大な蔵がある。明日泊るときになったら真っ先に見せてもらうと良い。あんなにたくさんの本は他の村には絶対にないぞ。何でもツツジ家は図書館で財をなしたからな」
 図書館。
 頭の奥がちくりと痛んだ。
 700年の夢の中。そこでモロボシは飽きることなく、本を読み続けていた。あんなに読んでいたのに、具体的な内容については何一つ憶えていない。それが悔しいのか、悔しくないのか、モロボシにはまだわからない。
「ま……詳しい話は明日ツツジから訊くと良いさ。それよりも…景色を見てどうだった?」
「景色」
「今日の昼」
 世界の終りみたいな丘。
「広かった」
「平和だっただろ?」
 モロボシは頷き、そして思い出す。どこか無機質な街並み。
「あれ、半分以上誰も住んでないんだ」
「……」
 丁度良い温度になったのか、ミクリヤはちびりちびりと飲み始める。初めてにしては良い出来だな、と呟き、
「モロボシが目覚める数カ月前にな、隣街と争いがあった。原因は大したことないさ。って言ったらたぶんみんなから叱責されるだろうけど、つまりその隣街が、こっちの街の祖科……つまりツツジ科は自分の子孫だって言い出して、作物を何分の一か納めろと主張したんだ。まあ確かにそれは歴史的事実ではあるんだけど、何で今さら主張したのかってのと、子孫だからと言ってなぜ作物を納めなければならないのかって渡したちも反論した。どこからどう見てもそれは、明らかに隣街の不作が原因だってことはわかりきっていた。だからまともに取り合わなかったんだけど、そのうち隣街の連中が街の境を越えて荒らしに来た。それならまだ話し合いで解決したんだが、何らかの手違いで子供を殺してしまった。それが火種になって争いに発展したんだ……悪いのは全部、向こうだけとはいえない。なぜなら隣街が不作だったのは、渡したちの街が水流の仕組みを変えてしまって、隣街に十分な水が行き届かなかったという原因もある」
 まあ、渡したちが水流の仕組みを変えざるを得なくなったのは、隣街が大量の農薬をばら撒いて被害が波及するのを阻止したためなのだが、とミクリヤは補足した。
 モロボシは頷く。
 そしてなんとなく、ミクリヤの親のことについても聞いてみた。ミクリヤは一瞬顔を曇らせたが、
「ああ。祖ミクリヤもその争いに巻き込まれて死んだ。……祖ミクリヤも死期だったんだ。ベッドの上で最期を看取れなかったのは悲しかったけど。争いってのは単純に、血みどろの殺し合いだ。それが一週間続いた。街の人間は働き盛りから順に戦場に送りだされた。そして取りあえずこちら側が勝利をおさめたんだが、その代償として人口の約半分がこの世を去った。この地域じゃ珍しいことだけど、北の方では利権や不作により、頻繁に祖科が替わるらしい」
 なぜ統一しないのか聞いてみると、
「さあね……ただ、大昔の文献を読む限りでは、渡したちの祖先である女性は小さな集団をつくって行動する傾向にあったらしい。だからなかなか統一しようという人物が現れない、のかもしれない。ところでモロボシ。あいつ自分が第9種だから存在価値ないとか言ってなかった?」
 あいつとはツツジのことか。確か、自分は後継者じゃないからたいしたことないよ、というニュアンスのことは言っていた気がする。
「やっぱり……実はツツジは、その争いで第4と第6と第7種を亡くしている。第1種は生まれてすぐに死んで、第3種は5歳で流行りの病で死んだ。つまり今残っているのは第2と第5と第9種。さらに第9種は臥してばかりの第5種よりも重要視されている。今は祖科も引退なさってほとんど第2種が治世を行っているが……そのうちあいつの肩にも大きな役が降りるだろう」
 第9種といえど、その責任は非常に重い。
 ミクリヤはすっかり冷めたお茶を飲み干した。
「そう。で、どうして渡しがこう言う話をしているのかって言うと、……つまりだ。モロボシにはツツジと契りを交わして、男性を甦らせて欲しい。それがこの硬直した時代を砕く、唯一の方法だと渡しは思う」

 
 
「それじゃ今日はここまで」
 昨日のダッシュが効いたのか、それとも興味を失われたのか、今日はほとんど質問に来る生徒はいなかった。クラスメイトの順応は早く、もはや教室の一名としてモロボシは数えられていた。
 タマキに、昨日貸したブラジャーを返してもらおうと思ったのだが、今日は休みだった。タマキはたびたび学校を休むことがあるらしい。タマキはタマキで、どうにかブラジャーを大量生産できないか、おしゃれ研究所で思案に明け暮れていたのだが、それは今はまだ関係のない話である。ツツジはほとんど諦めていた。
「そんなことよりさ、今日は付き合って欲しい場所があるの」
「実験は……?」
 と裏切られたようにミクリヤが言う。
「今日ぐらい良いじゃん。それに昨日めいいっぱいやったでしょ」
「それは、そうだけど」
「それよりもさ、昨日家帰ってからからずっとこれを見せたくてうずうずしていたんだ。もしかしたら懐かしくて泣くかもしれないよ。いや、泣くので収まるなら良いよ。全身の穴という穴から失禁しちゃうかもしれないよ!」
 そこまで行くと、もはや、懐かしいで収まりきるスケールなのだろうか? とツツジ手を引かれながらモロボシは思った。本当に全身の穴と言う穴から失禁してしまったらどうしよう。ミクリヤにさりげなく相談したら、それはツツジの冗談だ真に受けるなと半開きの目で言われた。
 やがて幾何学模様のレンガ通りを外れ、いかにも安い素材で作られた小屋があった。ドアをノックする。
 と中から声が聞こえてきた。
「そもさん」
「せっぱ」
 ツツジとミクリヤは同時に答えた。
 ドアが開かれる。
「ツツジにミクリヤ。昨日はどうしたの? 定例会議をサボって」
 中から現れたのは、教室で見たことがあるような顔の少女だった。しかしツツジたちと会話している場面を見たことがないし、良く見ると、そのクラスメイトよりも髪の色が少し茶色がかかっている。つまり、色違いの別人である。
「どうしたの……?」
 もう1人が遅れて登場する。今にも消えて無くなりそうな声だ。こちらは腰まで伸びた髪が特徴的で、胸に犬をかたどった布袋を抱いている。
「えへへ…驚かないでねコバヤシ、タチバナ。じゃーん! はいはいモロボシ、自己紹介自己紹介っ!」
「モロボシです」
 先にツツジに名前を呼ばれてしまったが、一応自己紹介しておいた。
 キョトンとした2人は軽く会釈をして、再びツツジに向い合った。
「え? 噂の留学生?だっけ」
「ねえねえ、二人には話して良いかな? 良いよね。それぐらいなら、アリだよね?」
「もう良いんじゃない」
 とミクリヤはそっけなく答えた。昨日の野球拳で、彼女の中の何かが吹っ切れたのかもしれない。
「じゃあ入って入って」
 ツツジはモロボシの背中を押して室内に促す。室内は少し蒸し暑かった。首振りをするプロペラによって時折風が吹いてくる程度で、ずっと居たらじわりと汗が零れそうな温度だ。
 けれど、そんな室温などどうでもよく、何より圧巻なのは、視界を埋め尽くすほどの本である。入口以外の壁はすべてが本棚であり、その本棚には本がぎっしり詰め込まれている。どこか夢の中の図書館とも似ていなくもないが、これほどまでに狭苦しくはなかった。
 登場した2人はツツジに促されて適当な場所に腰を下ろす。モロボシはまだ立っているように指示されたので、立っておく。
「さて、ともかく2人とも、先に自己紹介して」
「ああ、わかったよ……渡しはコバヤシ属第143種。齢は十三。第144種が同じ教室に居ると思うけど、ともどもよろしく」
 続いて隣の長い髪の女の子が、犬の布袋をぎゅっと絞って、
「……タチバナ属第20種。齢は十三」
「それじゃ自己紹介もすんだことだし、早速」
 ツツジがドアの鍵を落として、うへへとモロボシに近づいた。そしてしゃがむ。
「それじゃショータイムが始まるよ! みんな驚かないでよ……えいっ」
 掛け声とともにモロボシのスボンを勢いよく下ろす。昨日と同じくツツジが乱暴に裾上げしたパンツを直に穿いていたので、男性器が零れるように露出された。
「うわ!」
 興味なさげにしていた二人の目が一瞬にして輝く。
「えっ? えっ、どうして? ……だって、それって……けっこーずっと昔に」
「ちょっと待って」
 タチバナ、が犬の布袋を片手に抱きながら、もう片方の手で本棚からピンク色の背表紙の薄い本を取り出す。そしてパラパラめくりながらとあるページで止めて、何度もモロボシとその本を往復して見る。
「同じ……」
「でしょ。凄いでしょ」
「え、じゃあほんとに本物? ツツジどうしたのこれ。絶滅したんじゃ……」
 タチバナが、「触っても良い?」
 モロボシは頷く。タチバナは何のためらいもなくモロボシの男性器に触れる。
「ぐにぐにしてる……」
 タチバナが口に含もうとしたのでツツジが慌てて止める。
「ちょっ! それはまだ駄目!」
「でもこの本にはこうしたら変形して……」
「ちょっと待ってってば。モロボシも拒否してよ! もう」
「……」
「……なんか言ってよ!」
 代わりにミクリヤが口を開いた。
「とまあ、取りあえず、こういう奴なんだ。で、あまり外に漏れるとまずいのは、コバヤシもタチバナもわかるだろ?」2人とも頷く。「だから史学研究会だけの秘密にしておいてくれ」
「史学研究会」
 ツツジにズボンを穿かされながら訊いた。
「そう、ここは大昔の文献を研、究……する、自主活動サークルなんだ」
 ミクリヤが応じる。心なしか研究、という言葉の歯切れが悪かった。
「ここにある本は全部、渡しの家の蔵にあった本のサンプルなの」
 とツツジが言う。昨日ミクリヤが言及していたことを思い出した。図書館で財をなした、という。
 タチバナは犬の布袋をギュッと抱きしめる。
「モロボシ。もしかして、大昔から来た……?」
 モロボシは頷く。
 ツツジとミクリヤが一瞬だけ顔を見合わせた。男性だということは開示しても、このことを2人に知られても大丈夫なのか検討したのだろう。大丈夫だと判断したのか、弁解はしなかった。代わりに、
「そう。渡しの蔵で眠っているのを見つけたの。それをミクリヤ博士の手際で蘇らせた。すごいでしょ、どっちも」
「えー…ほんとツツジの家の蔵は何でもあるんだね」
 コバヤシが驚きを通り越して呆れたような声で呟く。
「何でもはないよ。本ばっか。あと装飾具とか。でもうん。流石に見つけた時は渡しもびっくりしたんだけど、やっぱり」
「セックスって気持ち良い?」
 ツツジのセリフを遮って、タチバナがお面のように表情を崩さず訊いた。
「わからない」
「なら。研究しないといけない……」
 少しばかり頬を赤くしてタチバナが言った。ツツジはうへへと笑って、
「まーね。ここは史学研究会。研究という名のもとに、しっちゃかめっちゃかやりたい放題やるところなんだ!」
 だからモロボシにはこの研究会の名誉会員にしようと思うんだけど、とツツジが提案した。2人には断る理由の方が少なかった。


       

表紙

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Neetsha