Neetel Inside ニートノベル
表紙

70000歳
地下室へGO

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 それからしばらくして、ツツジが今日は早く家に帰らなければならないということを思い出し、モロボシはそれについていくことになった。モロボシの部屋はすでに用意してあるのだという。
 ということは、もうミクリヤの家に泊まることはないのである。ない、ということはないだろうが、ツツジの家がこれからの生活の拠点になるのだ。そう思うと、少しだけ不思議な感じがした。
「あっあのさ、700年前もこういうのってあったの? こういう、自主サークルみたいなもの」
「わからない」
「ま、まあまあ。そうだよねー。モロボシはほとんど1人ぼっちみたいなものだったらしいしねー。700年前でも」
 モロボシは頷く。
 自分以外の男性とは出会った覚えはない。700年前の記憶自体ないのだから、そんな局所的な記憶があるはずもない。しかし、なぜだかモロボシには確信できた。また、ミクリヤが教えてくれたのだが、モロボシが生まれたと思われる時代には、すでに男性が絶滅したものと考えられていたらしい。
 空き家になった家々が立ち並ぶ通りを、長い影を作りながらツツジと歩く。もしかすると、ツツジは緊張しているのかもしれない。モロボシにそう思われてしまうほど、ツツジの態度は顕著だった。
「普段の」
「ほえっ!? どうしたどうした? モロボシ」
「研究」
「けんきゅう……? けんきゅう。あー研究ね。研究なんて飾りだよ。単純に、渡しが蔵にあった本をコピーして、それをあそこに持っていってみんなで読んでわいわいするみたいな感じ。研究っぽいのは感想とか言いあったりするぐらいかな? あこれシミズたちには内緒だよ。先生たちは渡したちを勉強熱心な生徒だって思ってるからね」
 なるほど。だからさっきのミクリヤは、研究、という言葉に自信がなかったのだ。
「楽しい?」
「楽しい楽しい。みんなで騒いでるとさ、厭なことぜーんぶ忘れられるから、渡しは好きだよ。モロボシはどう? 気に入ってもらえたかな?」
「わからない」
「だよねー。わかんないよねー。……でも、渡しにとって、史学研究会は大切な宝物なんだ。唯一他人を気にしなくていい場所。あ! 今もしかして普段から気にしてないと思った? 違うんだよなーこれが。渡しは計算しているんだよ。気を使っていないように振る舞うことで気を使っているんだ。ってゆーか何でこんなことしゃべってるんだろうね渡し。無意識につらいことでもあったのかなあ……」
「蔵」
「うん? くらくら?」
「見ていい?」
「あっは、もちろん大歓迎だよ! 家に着いたらすぐ行こ!」
 やがて着いたのは、昨日丘で見たあの巨大な建物だった。遠くで見ても印象的だったが、間近で見るとさらに圧迫感が加わる。モロボシとツツジは入口と思われる重厚な門扉の前に立った。
「モロボシは学校の留学生で、ホームステイしてるってことになってるから、そのつもりで。のちのちは渡しと友情と恋をはぐぐんで、この土地を離れられなくなった、っていうシナリオで行くから」
 モロボシは頷く。
「よし、それじゃ行くよ!」
 いつの間にか、ツツジはいつも通りの元気を取り戻していた。モロボシは少しだけ安心した。
 ギギギ……と重々しい扉が開く。
「おかえりなさいませ」
 召使と思われる人物が、調度品のように45度のお辞儀をして立っていた。その振る舞いから齢はツツジよりも10歳ほど離れていそうだったが、フリルが過剰に付いたエプロンを着ており、また幼い顔立ちのために年齢不詳な雰囲気を醸している。
「ただいま」
 ツツジは先ほどのテンションを殺したそっけない態度で居住区らしき建物に向かう。召使はその建物のドアを開けるために小走りで先回りして立ち止まった。
「こちらが、件の」
「そ」
「モロボシです」
「申し遅れました。渡くし当ツツジ家の召使をさせて頂いておりますツツジ科ヒノキ属第1種で御座います。本日はわざわざ遠いところからツツジ家にようこそおいで下さいました」
 丁重にお辞儀をして、建物のドアを開ける。
「旅の疲れもございましょう。ごゆっくりおくつろぎください」
 モロボシは頷く。
「行こ」
 手を引かれて流されるようにモロボシは歩いた。玄関は巨大な吹き抜けになっており、1階から3階までを見上げることができる。吹き抜けの天井には雰囲気を重視した照明器具が取り付けられており、全体に暗すぎず、しかし明るすぎない適度な光を注いでいる。2階に上がろうと階段に足を踏み出したそのとき、背中からツツジと同じ顔をした人物が、血相を変えながらこちらに走ってきた。
「キュウ!」
「…ニィ」
 ツツジはしまった、という顔をして目を伏せた。
 ニィ。というのは、ツツジと同じ顔をした人物のことだろう。顔だけ見ればどちらがどちらかわからなかったが、身長と、髪の毛を後ろでまとめて縛っているところが違った。身長はモロボシと同じぐらいある。服装は白のシャツに黒い上着を羽織っていた。おそらくはこれがフォーマルな服装なのだろう。
「今日は早く帰りなさいって言ったじゃないか!」
「……ごめんなさい」
「ったく、勉学にいそしむのは大いに結構だが、自分がどれだけ重要な位置に居るのか自覚を持って欲しい……おお、こちらが?」
 ニィと呼ばれた人物がモロボシに好奇の視線を注ぐ。
「モロボシです」
「モロボシか。面白い名だ。渡しはツツジ科ツツジ属第2種。この村の治世を任されている。しばらく滞在するんだと聞いた。今後ともよろしく」
 ニィとモロボシは握手を交わした。
「さて……それじゃ早速、行こうか」
「ちょっと待ってよ、今モロボシを部屋に案内しようとしていたんだから」
「ヒノキ」
「かしこまりました」
 音もなく背後から先ほどの召使が現れた。
「モロボシに部屋を。さ、キュウはこっちおいで」
 ニィが第2種ということは、キュウが第9種ということか。
「荷物を」ニィがツツジに言った。
「……」
 ツツジは不機嫌を代弁するかのように布袋を投げ捨てた。ヒノキは何事もなかったかのように受け取り、いってらっしゃいませ、と小声で言う。ツツジは溜息をついて、
「じゃモロボシ、そう言うわけだから蔵はまたあとでね。あっそうだヒノキ、モロボシに何冊か本を出してあげて。どうせ暇だろうから」
「かしこまりました」
 ヒノキは分度器で測ったように45度でお辞儀をして、言い争いをしながら1階の奥に消えて行くツツジたちを見送る。
「さて、渡くしたちも行きましょう。第9種さまに指定された部屋はこちらで御座います」
 モロボシは頷いた。
 階段を二度上り3階へ辿りつく。それから廊下を折れて左手のドアで立ち止まった。
「こちらで御座います」
 ヒノキがドアを開ける。室内は広々としていて、モロボシ1人が寝起きするには勿体ない気がした。クリーム色の壁は、触るとちょっとした凹凸があるのに気付く。床は全面フローリングで、見下ろすと鏡のようにモロボシの姿を反射した。その他、重々しい調度類などが壁際に置かれている。ふらふらと観察していると、不意にヒノキが、
「しばらくお待ちください」
 と言って部屋から出た。パタン、とドアが閉まる音までが行儀良かった。
 モロボシは窓辺に立って、観音開きの窓を開いた。そこから見える夕日に染まった風景は、周りに高い建物がない所為で、壮大だった。流石に学校のある丘とまではいかないが、村の向こうにある山々と、その上にかかる夕焼けを見るのには何も障害がない。
 700年前、自分はこんなにも赤い空をみたことがあっただろうか? 青空もしかり。昔の記憶があるという手触りは感じられるのだが、いざ掴もうと、するとたちまち霧散してしまう。目覚めてから幾度となく記憶を取り返そうとしてみたが、一向にうまくいかない。自分がどういう人間だったのか。
「お待たせしました」
 無音で、背後にヒノキが立っていた。
「それは」
「第9種さまから預かっていた本です」
 ヒノキは胸に10冊ほどの本を抱えていた。受け取ると、ずしりと腕に重みがかかり全部地面に零してしまった。
「モロボシ様、失礼しました」
 失礼だったのはモロボシなのだが、ヒノキはすぐさま回収して、厚みのあるローテーブルに積み上げる。
「ありがとう」
「御用があれば、この呼び鈴を鳴らしてください」
 と鈍色の鈴をどこからか取り出して、チリン、と鳴らしてローテーブルに置いた。
「では」
 パタン。
 モロボシは窓を開けたまま、積まれた本の一番上の物を取り、ベッドに横たわってペラペラめくって見た。文字が頭の中でダンスする。
 いつの間にか眠っていた。
 目覚めると日はすっかり落ちており、窓からは半分に欠けた月が覗いていた。モロボシはおもむろに身を起こし、ベッドを下りて窓をそっと閉じた。
 ふと尿意を感じて部屋を出てみることにした。尿を我慢することができるようになったのは、人類にとっては大したことないが、モロボシにとっては意義のある一歩である。
 ヒノキを呼んでトイレの場所を聞こうかと思ったが、それだけのために呼び出すのは不憫な気がしてやめた。
 ドアを開けると廊下にはポツポツと照明が灯りはじめていて、暖かな空間を演出している。モロボシは階段を下りて1階に立つ。さきほどツツジが消えて行った方向に向かって歩き出す。
 廊下には様々な絵画や陶器が一定の間隔で並んでいた。が、なかなかトイレにはたどり着けない。
 やがてトイレとは全然関係がなく、地下に降りていく階段を発見した。
 モロボシは呼ばれているような気がして、その階段を下りた。
 先ほどまでの廊下とは全く趣が異なり、薄暗く立ち入り難い印象を受けた。幅も狭く、素材は打ちっぱなしのコンクリートだったので足音がカツンカツンと反響する。何度か角を折れて、やがて重厚な扉が現れた。モロボシはそのドアを開けようとしたが、鍵がいくつもかかっているようでびくともしない。
 ふと尿意を思い出してその場を立ち去ろうと振り返る。と、
『おしっこか』
 幼いけれどやけにしわがれた声が扉の向こうから聞こえてきた。
 モロボシは頷く。頷いただけで声は出していなかった。なのに、
『1階の左奥。廊下の突き当たりだ』
「ありがとう」
『お前は誰だ。この家の者ではないな』
「モロボシ」
『モ、ロ、ボ、シ、珍しい名前だ』
「誰?」
『渡しか』
 モロボシは頷く。
『渡しの名前はもう捨てた』
 それっきりその声は聞こえなかった。
 モロボシは来た道を辿って1階に戻り、左奥に突き進む。しばらくしてトイレらしき扉があったので開くとやはりトイレだった。花を数種類分量良く混ぜた良い匂いがした。
 便器で用を足していると、
「モロボシさま」
 ヒノキであった。ヒノキがドアの向こう側に立っている。
「地下へは、勝手に立ち入らぬようお願いいたします」
 モロボシは用を足しながら頷く。
「それと、夕食の用意ができましたので、1階の右奥の部屋に来て下さるようお願いします。すでにツツジさま方は着席されておりますので、お早めに」
 モロボシは水を流して、頷く。
 
 
 

       

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