Neetel Inside ニートノベル
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白龍の紋章
プロローグ

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プロローグ



「まったく、男は勝手じゃ。戦でつらいのは女子供じゃというのに」
 評定の間でも一際目立つ煌びやかな衣装に包まれた女は言った。外にはもう夜の帳が下りている。部屋の隅に置かれた燭台の上の蝋燭は締め切っているのにゆらゆらと不吉げに揺れていた。
 評定の間には戦に出ずに城を守る兵と女たちがいた。女たちは国守の妻子とその侍女である。
「そうでしょうか、姉上。私はそうは思いません」
 先程発言した女に真っ向から反論する女がいた。姉と呼ぶからには妹なのだろう。確かに顔の造形は似ているところがあるかもしれない。二人とも美人ではある。
 しかし妹は姉と全く違っていた。
 目は黒く澄んでいて評定の間の隅々まで行き届いており、何か皆にとって不都合があれば侍女に下知し、それを取り除いた。
 口を開くと皆が気付かなかった重要なことを言い、その声は威厳に満ちていた。
 肌は触れれば溶けてしまいそうな程白かったが、頬には紅が差しており英気が溢れて見えた。
 髪は黒く長くしなやかで美しかった。
「男たちは今日死ぬか明日死ぬかという戦場で戦っているのです。またそれは強くあらねば他の国に支配され自分が殺されるのはもちろん、最愛の妻は辱められ、子供は殺されるという運命とも戦っているのです。それを女だけが不幸などと考えるのは早計かと」
 しかし何より彼女を特徴づけていたのはその雰囲気であった。七五三のように衣装に着られている感の拭えない姉と対照的に煌びやかな着物を自分の体に馴染ませており、東の大陸から来た易者には『古の我が国のある大陸を統一した陸帝の后の生まれ変わりに違いない』とまで言わしめたのである。
 彼女こそ赤虎国の王の娘で齢十五で東西の大陸にもその抜群の器量を轟かせた愛姫に違いない。
「よく言いました。男も女も辛いのが戦……乱世であります。今はただあなたたちの父親であり私の良人でもある我らが王の無事を祈りましょう」
 娘たちの母は言った。愛姫もその姉もそれを聞いて祈り始めた。
 愛姫は祈り終わるとまたよく見える目で周りを見渡した。皆、早ければ今日の夜、遅くとも明日の朝までには敵軍との決着がつくと見て評定の間に集まっているのだ。誰一人として緊張していないものはいない。
 今度は耳を澄ませた。季節は夏で夜になったというのに虫の鳴き声すら聞こえてこなかった。それは何故だろう? 戦火を本能が恐れたためだろうか? しかし昨日までここに居ても虫の声が聞こえたはず。では何故?
 愛姫は少しの間考えた後結論に至った。おそらく何か問題があるとするならばそれは鳴く側ではなく、聞く側の人間の心にあるのだろう。
 昨日と今日で人間の心がどう変わったのだろうか?
 昨日までは戦場の攻防は一進一退でどちらが勝つとも分からないと城に着いた斥候は伝えていた。
 しかし今日来た情報は敵国である白龍国の王の武勇凄まじく、我が赤虎国の四天王の三人までもが武運拙く討ち死にしたとの知らせであった。
 当然皆の心は重い。その不自由な心が虫の音さえも心の外に追い出してしまい、楽しませてくれないのだ。
 だが、誰も絶望し泣き出してなどいない。まだ我が国の王が生きているという希望があるからだ。
 赤虎国の王は『海道一の弓取り』と言われ敵に対しては背を向けたことがないという英雄であった。たとえ四天王が全滅しようとも王がいれば赤虎国の人心は離れまい。
 そんな時不意に蝋燭の明かりが消えた。
「きゃっ」
「わあっ」
「何奴ッ!」
 近くにいた兵は喚声をあげた。返事はない。
 しばらく沈黙がその場を包む。
「……どうやら風で蝋燭の明かりが消えただけのようです。私が火をつけましょう」
 愛姫が落ち着いてそう言ったので評定の間の人々は安堵した。
 愛姫と侍女がすべての蝋燭の火をつけ終えた。
「しかし締め切っているのにどうして風が……」
 喚声をあげた兵は納得がいかないようにそう呟いた。
 その時である。
 人が走ってくる音と鎧が擦れ合う音が評定の間に響き、次の瞬間扉が開いた。
「申し上げます!」
 扉が開くと血と泥にまみれた兵がそこにいた。
「何事だ!」
 愛姫の近くにいた兵が応酬する。
 血と泥にまみれた兵は息を整える暇もなく次の言葉を吐いた。
「国王殿下が……、赤虎国の王が戦場の露と消えました!」
「えっ」
「なんだと……」
「そんなまさか……」
 その場にいた誰もが茫然自失となった。
 血と泥にまみれた兵は続けた。
「我が国最後の四天王も日が天頂に昇る前に討ち取られ、最後の時が近いと悟った我が国の王は乾坤一擲の勝負を為されました。すなわち白龍国の王に一騎打ちを持ち掛けなさったのです。白龍国の王もこの戦の勝敗は一騎打ちの勝敗と同じであるとし、それを受けました。一騎打ちは今し方まで長引き、最後は国王殿下の武運拙く討ち死にと相成りました……」
 愛姫の近くの兵は慟哭しながら血と泥にまみれた兵に向かって叫んだ。
「そしてお前はどうしたのだ! まさか我らが国王殿下のご遺体を敵に預けたままおめおめとこの城に引き下がってきたのではあるまいな!」
 血と泥にまみれた兵も軍人である。このような汚辱を受けて黙っているはずがなかった。
「なにを言う! 国王殿下がお隠れになった時点で我らは敗軍。なら一番先に帰って貴人に殿下の最後をお知らせし、すぐさま後継者を決め、この城から謀反人を出さぬよう城を守り固めるのが誠の忠義者の考えだ」
「小賢しいぞ、この青二才め! 遺体も無しに後継者を決めたところで葬儀すらあげられんではないか! 全軍の命と引き替えてでも殿下のご遺体を取り返すべきだったのだ!」
「小賢しいのはそっちだ! 負けた我らがそんなことをして全滅してはそれこそ不遜ではないか!」
 この二人以外にも大声で喚き立てていたり、これからのことを話している兵の姿があった。
「負け負けとうるさいぞ! そもそも負けたのは戦場でのお前の武勇が足りなかったせいではないか!」
「なんだと? もう一遍言ってみろ!」
「止めなさい!」
 倒れてしまいそうな母や姉を支えながら愛姫は大喝した。この細い体のどこから出したのか疑問に思うくらい大きな叱り声である。
 その大喝でその場にいたみんなが黙って愛姫の方を見た。
 愛姫は自分に視線が集まっていることを確認すると評定の間を出て行った。
 皆が何処に行ったのだろう、と疑問に思っているとすぐに帰ってきた。具足を身に着け、手には薙刀を持って。
「これからは私が皆に下知をします。異論はありませんね」
 その場にいた者は突然の宣言に驚いたようであったが、すぐに愛姫へ臣下の礼をとった。
「敵はこの機に乗じて我が城へ攻めてくるでしょう。すぐに城中の篝火を煌々と焚きなさい。その上で城門を開け放ち、城の中に兵を隠すのです」
 威厳に満ちた声でそう言われると兵たちは従うしかなかった。
 所謂『空城の計』である。愛姫は独学で大陸の文字を学び、兵法にも精通していた。
 愛姫の計算ではこうだった。相手は勇だけでなく智もある白龍国の王。ここまできて夜中に焦って城攻めをすることはあるまい。しかし白龍国の将軍の中には功を焦って今夜中に攻めてくる者もあろう。もちろん相手の主力が城に雪崩れ込んだらそれまでだが、一部隊なら今の城の人数でも空城の計で相手を撃退することも可能だろう。それに城門を閉め切っていれば敗残兵が戻ってきても城に入れないという問題もあった。ただ一番良いのは相手が空城の計を恐れて城に入ってこないことなのだが。
 結果から言うと愛姫の作戦は大成功だった。敗残兵を追って来た敵の兵は功を焦って固まることなくバラバラに城に入ってきて、そこを城の兵が攻撃する。何度かそれをくり返すと敵の将軍も作戦であると感づき、その夜は開け放たれた城に入ってこなかった。
 こうして敵は一時的ながら攻撃を止め、敗残兵を城へ迎えることにも成功した。
 それからも愛姫は奇抜な作戦を用い、白龍国の兵を苦しめた。
 だが多勢に無勢である。赤虎国にとって王という大樹を失ったことは余りに大きかった。
 籠城すること数ヶ月、愛姫は城内の兵にきびきびと命令し、臨機応変に策を用い、兵からも信頼されていたがついに城の兵糧が尽きた。
 その時和平の使者が来た。城を明け渡せば城内の人間全員の命を助けるという。
 愛姫はよく戦ったがこの提案を受け入れることにした。

 亡き赤虎国の王の一族である愛姫たちは白龍国の陣幕の中で白龍国の王の前にいた。周りには王の部下がいる。
「貴様らの夫や父である赤虎国の王は俺が殺した。だが抵抗したとはいえ女である貴様らに罪はない。約束通り生かしておいてやろう」
 白龍国の王は言った。まだ若く筋骨隆々として英雄と呼ぶに相応しい偉丈夫である。
 その言葉にそこにいた愛姫以外全員平伏するが愛姫だけは平伏せずに白龍国の王を睨んでいる。
「なんだ? 貴様は女で城をまとめ上げたと噂の女丈夫ではないか。言いたいことでもあるのか?」
 王は自分を睨んでいた愛姫に話しかけた。
「私は生かしておいて欲しくなどありません。お殺し遊ばせ」
 愛姫はきっぱりと言い切った。
「愛! あなたはなんてことを言うの!」
「母上。これが私の覚悟です」
 愛姫は母に向かって言った。言い終わるとまた王に向き直った。
「人間は心と体で出来ています。私の心は父と一緒に死にました。心が死んだ今、体など惜しみません。お殺し遊ばせ」
 愛姫はまた王を睨んだ。王も睨み返した。
「父親が死んだ時に心が死んだなら、何故城を取り仕切っていたのだ?」
「交渉を有利にするためだけです。私はその役目を終えたので殺せ、と申し上げているのです」
 睨み合ったままである。
「父に殉ずるほどか貴様の覚悟は。……父を殺した俺が憎いか」
「いいえ。勝敗は武家の常。あなた様を恨みなどしません」
「ふん。ならお望み通り殺してやれ!」
 王は部下に命令した。その時愛姫の母は叫んだ。
「お待ちくださいませ! 娘は今、精神が高ぶっていて自分でも何を言っているのか分からないのです! 助けて頂ける命を何故粗末にしましょう。だから何卒……」
「いや、駄目だ。殺せ」
「そんな……」
 そんな王と母のやりとりに口を出さず、愛姫は胸の前で手を合わせて、目を閉じ黙っている。王の部下が愛姫の真横に来た。
 王の部下が刀の鯉口を切り、鞘から刀を抜いた。部下は刀を八双に構える。後は振り下ろせば愛姫の首が落ち、鮮血が辺りに飛び散るだろう。
 それでも愛姫は身動き一つしなかった。震えてさえいなかった。
 それを見届けた王は言った。
「待て! どうやら貴様の覚悟は本物のようだ。それが分かればよい。助けてやる」
 それを聞いた愛姫の母はほっと胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます!」
 愛姫は目を開けた。
「……いいでしょう。あなたが私を殺さないのなら、私は自害します」
「まあ待て。早まるな。心は女丈夫、器量は東西の大陸にも鳴り響くほどのお前のことだ。俺の命令を無視して死んだらお前が死んだ後どうなるか分かっているだろう」
 王は平伏していた愛姫の一族を見回す。
「約束を違える気か! 卑怯な!」
「なんとでも言うがいい」
 王は傍らにいる部下に小声で話しかけた。
「あの女丈夫に今宵から俺の伽をするよう伝えておけ」
 それだけ言うと王は立ち上がりその場を去っていった。
 愛姫は呆然とした。愛姫は王が去る時に言った言葉の意味が理解できた。
「私が白龍国の王の伽を……」




       

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