Neetel Inside ニートノベル
表紙

横井、宝くじ当てたってよ
第一部

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『明日どこいくー?? v(?へ?)v』


 これがたったいま俺に来たメールだ。いかにも女子から休日の過ごし方を尋ねられたメールっぽいだろう。
 糞喰らえである。
 横井である。
 何が悲しくて男からこんな顔文字に精を出したメールをもらわねばならないのか。そのvはなんだと言いたい。目をハテナにしてダブルピースしてるやつを見かけたら俺なら近寄らないか塩を撒くかのどっちかである。夜中の二時半に何考えてんだ横井のやつは。しかも茂田ともども男三人で駅前へ繰り出すのは明後日の予定である。ほんと横井なにしてんの横井。俺は充電コードのついたガラケーをマットレスに投げて枕に顔をうずめた。貴重な睡眠時間をいくらかでも取り戻さねば。
 沢村が手から火を出した挙句に天ヶ峰がバスを蹴り倒したあの一件からまだ一週間と経っていない。学校は次の週末を乗り越えてテスト返却に付き合えば夏休みへと突入する。もちろん帰宅部の俺は死ぬほど忙しい。おおよそ三日に一度は茂田と横井と駅前に繰り出す予定である。カラオケに映画にファミレスで駄弁って中古書店でマンガの安売りセットを買った後に茂田の家で64をやっているうちに夏休みなどバクチのカネか暑中のアイスかといった具合にぼろぼろ溶ける。溶けまくりである。
 俺はごろんと寝返りを打って天井にぼそっと呟いた。
「彼女、欲しいなあ……」
 うっ。
 やばい。涙が滲んできた。これからあと何十年この天井を一人寂しく見上げるのだろうかと思うと嫁がバケモノでも魔人でもいいんじゃないかと弱気になってくる。駄目だ後藤、頑張れ後藤。その考えはいろいろ負けだ。
「はあ……」
 夏休みが楽しみじゃないとは言わない。無論、楽しみだ。少なくともお昼過ぎまで寝てられるしいいともだって見れる。MMORPGでも買ってくれば男三人のアバンギャルドをぶっちぎって廃人ゲーマーになることだって可能だ。でもそういうことじゃないのだ。なんか違うのだ。もっとこう、ワクワクしたものが欲しいのだ。
 もっとも観客視点が身に染みついている俺がワクワクなどとほざくのは分不相応な戯言かもしれないが。
 思考が空転する。またぼそりと本音をこぼす。
「宝くじでも当たんねえかなあ……」
 末期である。このセリフが出てきたら福沢諭吉を生贄に捧げてプロのマッサージを受けるか、父方のおばあちゃんちでトトロを見ながら芋ヨウカンをご馳走になる以外は精神が回復する見込みはない。おおよそこのセリフの後に「月極駐車場とか経営したい」などと言い出したらもう社会復帰は見込めない。うんこ製造機確定である。
 俺はうんこ製造機にはなりたくないので、ぶんぶん首を振った。焦ることはない。俺はまだ十七歳である。天下無敵のセブンティーンである。これからである。これから。
 はあ。
 目を瞑る。ぼんやりとしたオレンジ色の豆電球のあかりを瞼に浴びながらそうして寝たフリをしていると、なんだかんだで男三人の駅前探索が楽しみになってくるから、男子高校生はやめられない。
 そのままいつもなら眠りに就くところだったのだが、隣の部屋から妙な音が聞こえてきて寝付けなかった。それはシクシクシクシクと延々と続く、女のすすり泣きだった。
 夜中の二時半過ぎである。
 なに考えてんだ。
 俺は壁ドンした。黒木に習った弾くブローで壁さんを傷めないように、ただし音だけは派手めに。アパートの壁に反響した打撃音は女のすすり泣きを一時的に止めた。息を呑むような気配。だが、しばらくするとまた、
「ううっ……ううっ……」
 これである。俺はバリバリと髪をかきむしった。今日は日付が変わって金曜日。試験休みなどという生ぬるい制度はうちの高校にはない。俺は速やかに寝て爽やかに起きて全国の男子高校生たちと同じように高校生活の代え難い一日をやっつけなければならんのだ。それをお前、「ううっ」じゃねーよ「ううっ」じゃ。泣きたいのは俺だよ。
「すいません、うるさいんですけど」
 割りと大きめな声で言ってみた。だが声は止まない。
「すいませーん!」
「ぐすっ……えぐぇっ……ひっぐっ……」
「なんなんだよ……」
 このままではとても眠れたものではない。俺は隣に住んでいる住民の顔を思い出そうとしたが、どうしてもできなかった。確か隣はだいぶ長いこと空き部屋だったはずだ。確か前に住んでいた人間が失踪したとかで、ちょっと大家さんも気味悪がっていた部屋だ。というかそもそも隣に誰かが引っ越してきたという話を俺は聞いたことがない。
 時計を見る。
 三時前である。
 もしかして……
 幽霊?
「とでも言うと思ったか寝るわああああっ!!!!」
 俺はタオルケットをバサァーッとおなかにかけてお眠りスタイルを取った。何が幽霊だアホか。貞子だろうが犬神家だろうがどんと来やがれってんだ。たとえのしかかられても構うもんか。その時は天ヶ峰から見て覚えた俺の巴投げが火を噴くだけだ。そのままひっくり返してマウントを取ってしまえば呪いも糞もない。パンチに次ぐパンチでKOである。
 そこまで考えて一人ニヨニヨ笑っていると、いつの間にか隣室からのすすり泣きが止んでいた。最後、「ぐふっ」と妙な声を上げていたが肉まんでも喉に詰まらせたのだろうか。
 ま、どうでもいいか。早よ寝よ。
 俺はそのまま嘘のように、すうっと眠りの中へと落ちていった。
 無論遅刻した。


「おっせーよ後藤。金曜の一限は数学だから出ないと駄目だって」
「そんなことは俺が一番わかっていた。わかっていたんだ」
 三限前の中休みに俺は教室へ入った。茂田の机にどかっとケツを下ろしてうなだれた。
「超気分悪い。吐きそう」
「お前八時間以上の睡眠取らないと具合悪くなるってわかってるんだから早く寝ろよ」
「そうだぞ後藤ぉー」
 ニコニコと横井が俺と茂田の間に割って入ってきた。
「夜更かしはお肌によくないからな」
「あーごめん横井。いま横井って気分じゃないから」
「いや気分って……俺じゃない気分ってなんだよ……」
「ていうかてめーのせいだろうが」俺はずびしっと横井の丸顔に指を突きつけた。
「夜中の二時半にメール送ってきやがって。なにが明日なにするだよ。遊ぶのは日曜だろうが」
「悪い悪い」ちっとも悪びれていないご様子。
「ちょっとテンション上がっちゃった。えっへへ、てへぺろ」
 俺はべろりと飛び出た横井の舌にポケットから取り出したマスタードをぶちゅりと放出した。世にも恐ろしい断末魔を上げてのた打ち回る横井と俺と茂田とクラスのみんなが冷たい目で見下ろす。茂田が醜いものから目を逸らさずに言う。
「おまえそのマスタードさあ、こないだフランクフルト買った時に余分にもらって使わなかったやつだろ」
「うん。無駄にならなくてよかったよ」
「腹壊されたらめんどくせえぞ……遊ぶの明後日なのに」
 横井に始末をつけた俺が言うのもなんだが、茂田くんなかなか辛辣である。ちょっと茂田―横井間の内政問題はそのうち俺が取り持ってあげないと駄目かもしれない。まあでも横井だしいいか。
 人の苦しみを見て俺が心穏やかな気持ちになっていると、沢村がやってきた。
「よお、後藤! 授業に遅れるのはよくないぞ」
「それはお前が左手にぶら下げてるものを取ってから言え」
「あはは……」
 沢村の左手には、妹の朱音(あかね)ちゃんが頬ずりするようにもたれかかっている。先日の一件で俺の男気に触れ、近親相姦のタブーをぶっちぎって生きていくことを誓った現代社会への反逆者である。この子だけは普通な子だと思ってたんだけどなあ。後藤、超残念。
「いや、こないだからこの調子でさ……下手すると一緒に授業も受けかねない感じで」
「兄さん……兄さん……」
「朱音、ほら、そろそろ三限始まっちゃうから。な?」
「もう……兄さんのいけず……」
 朱音ちゃんが色っぽい流し目をしながらも沢村から離れた。くすりと笑って、
「こんにちは、後藤先輩。茂田先輩。ご機嫌うるわしゅう」
「朱音ちゃん、なにか悪いものでも食べた?」
 俺の心からの心配に朱音ちゃんはぷうっと頬を膨らませた。
「まあ失礼な。私は実の兄に好かれるために人格を改造しただけです」
「悪いもの食べるよりも危険な所業だねそれ」
「ふふっ。そう、私は危険な果実……私と兄さんは新世界のアダムとイブなんです」
 なぜだか無性に紺碧の弾丸さんこと紅葉沢さんに会いたくなった。連絡取ってないけど元気かなあ。この子のことなんとかしてあげてくれないかな。飲み薬とかで。
「それじゃ、私はこれで。みなさん失礼」
 ぺこり、とお辞儀して朱音ちゃんは去っていった。沢村は笑顔で手を振っていたが、自分の席に座ると両手で顔を覆った。
「俺っ……お袋とオヤジになんて言ったらいいかっ……」
「だろうな……」
 実際に妹から求愛されたら気まずいどころじゃないだろう。親に指詰めて詫び入れるレベルの話である。
「とりあえず今は朱音ちゃんとのことは一線を越えないように……な?」と俺。
「そうだぜサワムー。AでもBでもCでも駄目だ。ましてやDなど」と茂田。ちょっと黙ってて。
「ああ……参ったぜ……相変わらずサイキッカーたちとの闘いは続いてるっていうのによ……ああ、俺ってなんて不幸なんだろう」
「お前ってほんと主人公体質な」と俺。
「主人公なんじゃね?」と茂田。
 沢村は深々とナーバスなため息をついた。
「もしそうならやめたいよ。後藤、代わってくれないか」
「無理無理。だって俺の人生ヒロインいねーもん」
「リアルな問題だな……」
 できれば同意じゃなくてフォローして欲しかったよ。え、後藤おまえ知らないの、何組の何部の何々子ちゃん、実はおまえのこと好きなんだぜ? ヒューヒュー!
 的な。
 そういうのないんすか。ないんすね。
 俺は一人で無闇に凹んだ。夏とかマジでテンション下がるし。
「てかまだ闘ってるんだ?」
 横井が机の下からせり上がってきた。唇からただれた舌がはみ出しているが気にしないことにしたようである。
「ああ」と沢村は深刻そうに頷いた。
「政府の組織は解体されたみたいだけど、俺と同じように野良でサイキックに目覚める連中はどんどん増えててさ……そのうち誰かが指揮取って組合みたいなの作らないとヤバイんじゃないかな」
「紫電ちゃんとかに相談したらどうだ? あの人、家が極道かなんかみたいで裏社会に幅利くって天ヶ峰が言ってた」
「えっ、極道なの!?」
 なぜか横井が食いついてきた。うるせーちょっと舌でもしまってろ。
「お母さんがアメリカ人らしいんだけどな、オヤジさんの方が」
 俺は頬に指で線を引いてみせた。
「ま、組っていうよりも地元の名家が大きくなりすぎて裏も仕切ってるって感じらしいけど」
「そういや俺も聞いたことあるな」と茂田。
「結婚する時に相当揉めたとかなんとか」
「紫電ちゃんも大変だなあ」
「そうだな……ま、時期を見て話してみるよ。正直、立花さんとか天ヶ峰とか割りとマジで戦力になるし」
 戦力っていうか、最終兵器だろ。
 俺が心の中で突っ込むと、三限の化学受け持ちの森が入ってきた。今日も元気に白衣の前を膨らませている。断っておくが、腹の話である。
 俺と茂田は授業が始まる寸前のごたごたで話を続けた。
「でさ、明後日どうするよ」と俺。
「あんま金ねえんだよなあ」と茂田。こいつはいつもこれである。俺もだが。
「宝くじとか当たらねーかなー」
「な」
 その時、ぐりんと満面の笑顔で振り向いてきた顔があった。
「なーっ!? 宝くじとか当たったらいいよなー!?」
 横井である。
 俺と茂田は硬直した。じっと横井の顔を見た後、お互いに目と目と交し合う。
 思っていることはひとつである。
 何この反応?
 え、だってさ、宝くじ当たらないかなってもっと暗い顔でやる話題じゃない?
 それをこの満面の笑顔で、しかも横槍で話に飛び込んできたというのは、ちょっと横井が空気を識字していないからといっても、不自然である。
 前置きはよそう。
 俺と茂田は確信した。



 横井の野郎、宝くじ当てやがった。







『登場人物紹介』

 後藤……カムバック
 茂田……横井とナマズだとナマズの方が好き
 沢村……今朝飲んだコーヒーに妹の髪の毛が入っていたことに気づいていない

       

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Neetsha