Neetel Inside ニートノベル
表紙

横井、宝くじ当てたってよ
第三部

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 最近うちの電話がよく鳴る。といっても金曜日の放課後に携帯をぶっ壊してから買わずにただいま日曜のお昼、土曜に横井誘拐事件で一日潰したから実質昨日の晩にやたらとかかってきたというだけなんだが、五・六件かかってきたのでさすがに疲れた。どいつもこいつも人に電話するということに躊躇いをもたなすぎである。間が持たなくなったら「ところで何か面白い話ない?」と無茶振りをかましてくるあたり家族ぐるみでヤキを入れてやらねばならんと思う。主にうちのバイト先の店長とか。何事かと思ったら用がないとか社会人のすることかよ……
 それはともかく。
 日曜のお昼である。
 本当ならいいとも増刊号でも見ながら親父と茶でもしばきたかったのだが、昨夜の電話のうち一件、立花紫電嬢からの呼び出しがあったので泣く泣く重い腰を上げた。電話口では紫電ちゃんが珍しくモゴモゴしていたので要領を得なかったが、まァおそらくは誘拐犯の遠山さんのことに関することだろう。最近は地柱町もビックリ人間が増えてきて自治体でも問題になっているらしい。年配の方の中には露骨にそういった人種を嫌がる人もいて結構モメてるとか。べつに普通に暮らしていく上で手から火が出るくらいなら付き合っててなんの問題もないけどなあ。
 そんなことを真夏の空に思い描きつつ、俺は待ち合わせ場所を日陰にしなかったことを後悔していた。かつてこの土地に一門を築いたという名士・粕小路諸斬(かすのこうじ・もろきり)の銅像の下は甘く見積もって目玉焼きが作れそうな熱波の渦中にある。やっべーまた帽子忘れた。
 俺が青空に真水を幻視する頃合になって、ようやく紫電ちゃんがやってきた。今日はさすがに学ランではなく私服姿。青チェックのスカートが目に眩しい。上はベージュのシャツを羽織ってその中に黒いTシャツを着ている。Tシャツには白い筆字で「ぺんたごん」とある。誰かほんと止めてやれよ。
 俺は片手をあげて、爽やかな笑顔を浮かべ、紫電ちゃんを迎えた。
「水」
 本音が出た。挨拶もできない。死にそう。
 紫電ちゃんが呆れた顔で言う、
「後藤、おまえまた帽子忘れたのか」
 自分でもわかってるから言わないでくれよ。
「仕方ないな……これでも被ってろ」
 そういうと紫電ちゃんは近くの水道で自分のシャツを水浸しにして俺に頭からそれを絞ってくれた。金持ちは発想が違う。すげービショビショする。
「ありがとう、おおむね生き返ったよ。あとそこをどいてくれれば俺はもう自分で水を飲むよ」
「そうか、気をつけるんだぞ、夏場は危険が多い」
「そうだね」水うめぇーっ。
 ひとしきり水分補給を終えた俺は口元を拭い、紫電ちゃんに向き直った。
「さて、どこいく?」
 紫電ちゃんはキョロキョロとあたりを見回す。ちなみに駅前からは少し離れていて、あまりお店や人気はない。
「このあたりに喫茶店があるんだ。そこへいこう」
「俺あんまこっちでは遊んだことないから案内は任せるよ」
「うん」
 紫電ちゃんはずんずんと歩き出した。時折、俺がちゃんとついてきているのかを確かめるために振り返ってくるがこの暑さの中で下らんイタズラを思いつくほどの元気が今の俺にはない。紫電ちゃんのシャツもう乾いてるんだけど。すげー。
 やがて、住宅地の途中にいきなり地下への階段が現れた。入り口脇にメニューが貼られたボードがある。コーヒー一杯六〇〇円。絶対に払わないと決めた。メシ喰えるじゃん。
「ここ?」
「ここだ」
 看板によれば、名前は『黒い悪魔』というらしい。どいつもこいつも商売を侮りやがって。
 俺たちは薄暗い打ちっぱなしのコンクリートの中へと下りていった。一段降りるたびにひやっとした空気が増していって、なるほど、ここなら涼しくお茶をしばきながら会話を楽しむことができそうだ。
 最下層に辿り着くと木のドアがあり、紫電ちゃんは慣れた手つきで入店した。俺もそれにならう。
「いらっしゃ――げっ、後藤!!」
「む……立花先輩と同伴とはいけないやつ」
 失礼なことを抜かしてきたのは佐倉・男鹿の超能力コンビである。出たなビックリ人間ども。俺はファイティングポーズを取った。
「んだコラやんのかおぉ!?」
「ん? なに、やるの?」
 俺の足元にあった傘立てから静かに先の尖った傘が浮いたのを見て俺は両手を挙げた。
「ごめんなさい」
「わかればいいのよ」佐倉はドヤ顔である。俺はせめてもの反撃に出た。
「てめえ佐倉、昨日は仕事がなくなるから困るって言ってたじゃねーか。掛け持ちとかナメてんのか」
「立花先輩に相談したらここを紹介してもらったの。ね、先輩?」
「うん……」紫電ちゃんは後輩との接し方がまだ分からないらしくもじもじしている。闘うこと以外はほんと純情なひと。
「能力者はひとつのところに集めておいた方がいいと思ったんだ。沢村も誘ってみたのだが断られた」
「ふーん。ま、あいつコーヒー淹れられるような器用なやつじゃないしな」
 俺は適当にボックス席に腰かけて紫電ちゃんに笑顔を振りまき、隣をポンポンと叩いた。
「後藤の隣空いてますよー?」
「うわっ、キモッ」佐倉おまえ絶対に許さないよ。
「後藤が積極的行動に出るときは本命ではない証」もう訂正する気も起きんよ男鹿。
 そして、冗談のつもりだったんだが、紫電ちゃんはさらっと俺の隣に座ってきた。ええ? いいのか? ……ああやばい紫電ちゃんからハーブ系のにおいがする。体力が回復しそう。
「実は……」
「先輩! そこに座ってると後藤菌が移りますよ!!」
「うるせーよ佐倉とっととエスプレッソでも淹れろブス!」
「はあああああああああ!? もう絶対に淹れてやらないから!!」
「じゃあ俺がやるよ!!」
 俺はカウンターに入って自分でコーヒーを淹れちゃった。他にお客さんがいないからできる荒業である。佐倉は俺のポテンシャルについてこれず歯噛みをして、男鹿は新聞を読み始めた。どうでもいいけど自分の手で持てよ。
「それで、紫電ちゃん。俺を呼び出したわけを聞かせてもらおうか」
 俺はカップに注がれていく黒い水を眺めながら言った。何してんだろ俺。
「実は……」と紫電ちゃんは喋り始めた。
「その、後藤に相談があるんだ」
「相談?」俺は自分で淹れたコーヒーを二杯トレイに乗せて、テーブルへ置いた。
「俺はてっきり遠山さんのことかと思ったんだけど」
「ああ……彼女はもういないからいい」
 なんだよその意味深な発現。怖いよ。
「その、な……あ、座ってくれるか?」
「いいとも」
 えらっそーに、と佐倉がぼそぼそ言う。うるせーな。
「で? 俺にしか相談できないことなのか?」
「ああ……後藤以外にあんまり喋れる男子いないし……」
 そうだろうとは思ってたけど生々しくてちっとも嬉しくないな。まあこっちからしても似たようなもんだ。
「突然なんだが、後藤」
「はい」
「……いきなりそんなに喋ったことがない女子と付き合うことになったらどうする?」
 俺はボタボタと熱湯同然のコーヒーを服に思い切り零したがまったく何も感じなかった。
 いきなり何を言うのか。
 紫電ちゃんは相変わらず尻の座り心地が悪いとでも言うようにもぞもぞとして少しもジッとしていない。胸の上で組んだ手を何度も組み替えてはチラチラ俺の方をうかがっては視線を逸らす。テーブルの上に吊るされた弱い橙の明かりが金髪に反射して七色に輝いている。どうしてやろうかと、いやどうしようかと思った。
 とりあえず手に持ったカップをガタガタ言わせながらチョーサーに置いた。
「……あのさ、それってひょっとして俺と紫電ちゃ」
「違う」
 はいはい。わかってたよ。あーこのコーヒーくっそまじい。泥水だわーマジで。
「ま、まあもののたとえだと思ってくれ……」
「ふーん。ま、とりあえず付き合いはするんじゃないの。据え膳喰わねばなんとかだし」
「い、嫌じゃないか? そんなに知らないんだぞ?」
「不細工ならともかく紫電ちゃん美少女だから問題ねーよ」
 そう言って俺が残り少ないカップをすすると、みるみる紫電ちゃんの顔が真っ赤になった。あざとい。
「そ、そうかな……嫌がられたりしないかな……」
「紫電ちゃんあんまりひどいこと言わないでやってくれよ佐倉が可哀想だ」
「なんであたしに振るのよ!?」
「うるせー黙ってポテトでも揚げてろカス! 俺は腹が減ってるんだよ! 何時だと思ってやがる!!」
 お昼である。
 佐倉はぶつぶつ言いながらポテトを揚げ始めた。仕事はちゃんとしないとね。
「そういうわけで紫電ちゃん。世の中にはCanCanの表紙になれない子がたくさんいるんだ。それを跳び箱三段レベルであっさり飛び越えてしまっているのに自分に自信がないなんていうのはブスに失礼だよ」
「そうだろうか……」
 自分で言っててなんだがどう考えても俺の方が失礼である。
「でも……その……いや、なんていうか、上手く言葉にならないんだが、私の方も付き合えるのかどうかってことで……それで……」
 要領を得ない。ここまで動揺している紫電ちゃんは久々に見る。
「……もし後藤だったらどうする? 私と付き合えるか?」
「結婚まで考えるわ」
「けっ……な、何言ってるんだお前!! そんなのお父さんに話もしないうちに決められるわけないだろ!!」
 名家出身というだけあってパパにゾッコンらしい。ゾッコンっていうかファザコン? とりあえず黙っとこう。
「ああ、後藤を頼ったのは間違いだったかもしれない」
 紫電ちゃんは額に手を当てて呻いた。それが日曜日に人を呼び出した女の言うことか。
「どうしよう……ああ、もう、私にはどうしたらいいのか……」
「サッパリ話が見えないよ紫電ちゃん。……紫電ちゃん?」
 紫電ちゃんはふらふらと立ち上がって覚束ない足取りで出て行ってしまった。おいおい……なんなんだ? ストーカーにでもつきまとわれてんのか? もしそうなら、まずあの速射砲みたいな左ジャブを潜り抜けられるやつじゃないと危険はゼロなんだが……
「ま、なんでもいいか」
 なんだかんだ言ってコーヒーもまあまあ美味かったし。さすが俺。
 立ち上がり、佐倉と男鹿に片手を振って出て行こうとしたところを男鹿ハンドで襟元を捕まえられた。
「ぐえっ」
「待って」
 振り返ると男鹿が透明な表情で俺を見つめていた。
「なんだよ」
「お勘定」
「はあ? そんなの紫電ちゃんが……」
 払ってなかった。
 背中を脂汗が伝う。
 痩せそう。
 二人の視線が痛い。
「えっと……あの……御代はいくらですかね……」
「三〇〇〇円」
「紫電ちゃんのもかよ!! ていうかポテトはまだ喰ってねえだろ!!」
「関係ない」
 くそっ、男が金出す風潮ってなんなんだよ。景気がいいときにしてくれよ。
 俺は渋々自分のケツをまさぐった。丹念にまさぐった。執念深くまさぐった。もはや手が埋まるまでまさぐった。
 が、ない。
 財布が……ない……
 えぇー……
 いやわかっている。もう最初にケツに触れた瞬間に「あ、入れ忘れた」と思い出してはいた。いたが、それを認めたくなかった。重苦しい顔でケツをまさぐり続ける俺に佐倉と男鹿がゴミを見るような目つきを向けてきた。客だぞ俺は。少なくとも今は。
 しかし、ないものはない。
 俺はふう、とため息をついて片手拝みに頼み込んだ。
「わり、財布忘れた。今度払うから今日のところは見逃してぇぇぇぇぇ!?」
 男鹿ハンドに背中から引っ張られ床に叩きつけられた。
 ズン、と店員二人が俺を暗い顔で見下ろす。
「飲み逃げ厳禁」
「観念しなさい」
「ど、どうしろってんだよ……」
 二人の魔の手がいたいけな俺の身に迫る。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 どう考えても五千円分は働いた後、俺は無事に外へおっぽり出された。すっかり暗くなった家路をえずきながら帰る道すがら、今日ほど面倒な日はしばらく来るまいと思った。土曜もひどい目に遭ったし。
 まさかこの週末のすべてを塗り替える魔物が月曜日に潜んでいるなんて、その時の俺には想像できるはずもなかったのだった……。
 あと、家に帰って判明したが三〇〇〇円なんて大金はどの道持ってなかったので俺の運命は変わらなかったらしい。金貯めよう。そう思った。

       

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Neetsha